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哲学者と幸福度

例によって思いつきだけの浮遊思考を書く。
哲学とは、幸福に至る道を見出す試みだ、と定義するなら、はたして幸福な哲学者がどれくらいいたか、という単純な疑問を呈してみたいのである。
私の、何の根拠もない推測によれば、幸福だったと思われる哲学者は

1。ソクラテス
2。プラトン
3。デカルト
4。ディオゲネス
5。ヴォルテール

後、名前は失念したが、「快楽主義哲学の祖」である人物くらいだ。ただし、この快楽は「思考する快楽」「哲学自体の快楽」であったという。その点ではデカルトと同じである。

一方、幸福でも不幸でもない哲学者が、宗教者も含めるなら

1.仏陀
2.アリストテレス
3.ショーペンハウアー

など。ショーペンハウアーなどは「厭世哲学」と言われているが、その書いた内容は、何だか楽しげに思えるのである。つまり、この人生の悲惨など、どうでもいい、という雰囲気がある。その点では仏陀に似ている。
その一方で、キリストなどは、不幸な感じがする。何か、人生が思いのままにならない、という雰囲気が満ちているからである。
つまり、ここで私が言うのは、前に書いた「幸福の方程式」の基本形、

H=A/B

すなわち、現実を理想で除した割合の数字によって人生の幸福度と不幸度は決まる、ということなのである。
そういう意味では、ソクラテスは、「自分の希望する人生を十全に生きた」から、最高度に幸福な人間だろう、と私は思うのである。彼が自殺を強いられたから不幸だとは私は思わない。その死は、彼が望む人生のありかたを最高度に実現する形の死であったから、その死でさえも幸福なのである。これが、私がソクラテスを最高に幸福な哲学者ではなかったかと言う所以である。









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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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