マルチチュードは、主権の形成化 forming the sovereign power へと解消する「ひとつの公民 one people」に変容するべきである。(…)multitudo 概念を強調して使ったスピノザは、政治秩序が形成された時に、マルチチュードの自然な力が場所を得て存続することを強調した。実際にスピノザは、マルチチュードmultitudoとコモンcomunis 概念を推敲するとき、政治と民主主義の全論点を包含した。(…)スピノザの教えにおいて、単独性からコモンsingularity to the commonへの移行において決定的なことは、想像力・愛・主体性である。新しく発明された制度newly invented institutionsへと自らを移行させる単独性と主体性は、コモンティスモ commontismoを要約する一つの方法である。(The Salt of the Earth On Commonism: An Interview with Antonio Negri – August 18, 2018) |
なぜ我々はこれをコミュニズムと呼ばないのか。おそらくコミュニズムという語は、最近の歴史において、あまりにもひどく誤用されてしまったからだ。(…だが)私は疑いを持ったことがない、いつの日か、我々はコモンの政治的プロジェクトをふたたびコミュニズムと呼ぶだろうことを[I have no doubt that one day we will call the political project of the common ‘communism' again]。だがそう呼ぶかどうかは人々しだいだ。我々しだいではない。(The Salt of the Earth On Commonism: An Interview with Antonio Negri – August 18, 2018) |
▶︎「俗に知られているマルクス主義と真のマルクスの思考の相違」
特にマルクスは私的所有[Privateigentum]を否定しつつも個人的所有[Inndividuelle Eigentum]を肯定していることに注意。