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エアコンの経済的使用法

「ライブドアニュース」から転載。
エアコンは、起動時に大量の電気が流れるという話である。つまり、つけたり消したりは経済的には良くないわけだが、古い型のエアコンだとつけっぱなしもどうなのか、という疑問は残る。最近のエアコンは自動的に「送風・送風停止」をするエコ運転機能があるから、つけっぱなしの方がコストは低くなるのではないか。(送風停止は、電気そのものの停止とは別だろう。)
まあ、エアコンの使用法で少し悩んでいる人もいるだろうから、こんな記事も時にはいいか、というわけである。だが、こういう情報は、家電の説明書に載せておくべきかと思う。私自身は家電の説明書は読まない人間だから、書かれてもどうせ読まないが。(笑)



(以下引用)


「つけたり消したり」or「連続運転」?エアコンの使い方、どっちが正解?


エアコンはこまめにつけたり消したりか、連続運転か。どっちが省エネ?

写真拡大



毎日暑い日が続きますね。今住んでいるところの最高気温をネットの記録から調べてみたところ、

8月1日:35度
8月2日:35度
8月3日:35度

でした。室温だと31度~32度くらいです。頭痛がするので、エアコンはこの際我慢しないことにしました。

冷房はとても快適ですが、吹き出し口からの冷気が直接体にあたると寒く感じることもあります。

冷え過ぎ→エアコン停止→やっぱり暑い→冷房運転→冷え過ぎ

というような繰り返しになりがち。暑くなってエアコンのスイッチを入れると、かなり運転音が大きい=負荷がかかっている様子です。

そこで、寒すぎないように設定温度を27度→28度に上げ、連続運転をしてみました。

8月3日(連続運転)、8月2日(運転―停止の繰り返し)で、大体午前10時過ぎから夜10時ごろまでと、夜中暑い時に短時間運転しています。使用電力量は、

8月2日:19.7kWh
8月3日:16.7kWh

でした。おお! 連続運転のほうが減っています。

ちなみに、どちらも運転―停止をしていた8月1日と8月2日の使用電力量は、

8月1日:21.0kWh
8月2日:19.7kWh

でした。8月はおそらく1年で一番エアコンを使う月なので、しばらく連続運転を試してみます。1日だけではまだよくわかりません。

それにしても、30分ごとの電力使用量がわかるこのシステム(スマートメーター)、なかなか便利です。やはり目に見えると、電気製品の使い方を工夫しようと思うようになります。

1人しか家にいないのにエアコン使えないよーという場合は、図書館などの公共施設や、商業施設、カフェなどに避難する「クールシェア」もいいですね。

夏休みということもあり、近所のスーパーのフードコートも賑わっているようです。健康第一、あまりガマンはしないようにしましょうね。

(小池 富美江)

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「合掌」の謎

私の趣味は「分析と解釈」であり、それも、誰も気にも留めないような些細な事柄の中に潜む謎を分析したり解釈したりするのが一番好きだ。であるから、下のような記事は大好きである。
合掌という動作の持つ意味は、おそらく宗純氏が言うとおりだろう。死者の冥福を祈る、もしくは謝罪し自らの命乞いをする、というものであり、食事の際の合掌も、これも宗純氏が言うように、食べ物となった生命体の冥福を祈ることであり、謝罪の気持ちだろう。
そう考えると、滝川クリステルのオリンピック招致プレゼンでの合掌が、何の冥福を祈り、あるいは何に謝罪したのか、ぜひ本人に聞いてみたいものだ。
だが、もちろん正解は、「日本文化について無知な帰国子女」が、西洋式の誤解で「単なる挨拶」と思い込んで合掌したにすぎないのだろうが、そういう人物にプレゼンをさせた日本政府の責任は大きい。世界中に「日本人は挨拶で合掌する」という西洋式の誤解を確定させたようなものだ。まさに「売国政権」にふさわしい所業である。

ところで、合掌という動作がなぜ祈りや謝罪や、インドや東南アジアでの感謝の動作となったのか、空想してみるのも面白い。頭を軽く下げる動作も、同様な意味を表すことが多く、こちらはもっと世界的な広がりがあるのではないか。こちらも、なぜそうなったのか、誰にも分からない、つまり「日常の些細事の中の謎」である。動物も同じ動作をするだろうか。まあ、感謝の動作はしないだろうが、謝罪(命乞い)の動作として、頭を下げることはやりそうな気もする。相手の目を見て、あるいは相手を睨んで威嚇の声を上げる、というのが攻撃意思を表すのなら、頭を下げることは、その威嚇に屈したポーズ、つまり命乞いの動作となるわけだろうか。
さて、合掌はどうか。片手だけを前に立てる、「片手拝み」というのもあるが、そちらは「手刀」を額の前まで立てるのに対し、合掌は胸の前で手を合わせ、軽く頭を下げるのが普通だろう。その際、瞑目することも多いと思う。いや、たぶん、ほとんどの人は合掌と頭を下げることと瞑目は無意識のコンビネーションで行うのではないか。それに対し、「片手拝み」は頭を下げることも瞑目も伴わないのが普通ではないか。いや、伴うのかもしれないが、それは「武士が相手を殺した場合」くらいのものだろう。少なくとも、たとえば原爆慰霊祭などで「片手拝み」などするのは相当に失礼な動作になる気がする。これは単なる「略式」なのか、それとも「片手拝み」は、実は合掌とは全然別の起源なのか。
これはあるいは武士を起源とする動作かもしれない。つまり、片手には刀を持っている、という前提での動作。よく考えると、私は日本人以外では「片手拝み」をしているのを見たことが無い気がする。(「手刀」を頭の右横に持っていく「敬礼」の姿勢は西洋起源だと思うが、これもまた、その動作がなぜ「敬」や「礼」を表すことになったのか、よく分からない。)
合掌は両の手を合わせることで、「武器を持たない」ことを示す意図から来たのではないか、というのが取りあえずの私の仮説である。(ならば、両の手の平を相手に見せる動作でもいいではないかと言われそうだが、こちらは「降参」の姿勢に近い。合掌は降参を意味するものではないだろう。)あるいは、「武器を持たない」というよりも、もっと積極的に「武器を放棄する意思」「戦いをしない意思」を示すものとして生まれた動作ではないだろうか。
想像すればすぐに分かるとおり、合掌しながら相手と戦うのは不可能である。戦うには、少なくとも拳を作るか、手指が自由に使える状態でなければならない。合掌しているとそれが不可能になるのである。頭を下げ、瞑目すればなおさら闘争は不可能だ。
つまり、合掌はまさしく「平和」を暗示する姿勢であるわけだ。これが祈りや感謝の姿勢となったのも当然かもしれない。
話が長くなるので、とりあえず、この問題はここまでとしておく。


(以下「逝きし世の面影」から転載)

日本の一番長い日から70年目 日本の最も暑い日に

2015年08月08日 | 政治
『2年前のアルゼンチンのオリンピックの最終プレゼンで、本音が(無意識に)思わず出てしまった滝川クリステルの大失敗(合掌)』

150年前の欧米の知識人は、日本的挨拶(お辞儀)を『情報』として知っていたが、お辞儀で腰を曲げる時に手をぴったりと体に添えるとまでは知らなかったので、当時の新聞の挿絵に登場する『お辞儀する日本人』は、頭を下げた時にラジオ体操のように肩から垂直に手をだらり下げて描かれている。
この150年前の勘違いに似た間違いでは、ハワイなど日本人観光客が多い場所では少ないが、世界では今でも『仏教徒は挨拶で合掌する』と信じているので、イギリスなど欧州諸国でも相手が日本人だと分かると、礼儀正しく親切の心算で両手を合わして合掌してみせる例が良くある。
日本人は死人に対しては手を合わせるが、生きている人間に向かっては決して合掌しない。
相手の英国人は礼儀正しい心算なのですが、日本人にとっては逆に実に失礼である。
人間相手にも合掌するヒンズー教のインドとか上座部仏教の東南アジアなどと、神仏以外には合掌しない日本や中国の大乗仏教を混同しているのです。
滅多にないが、我々日本人でも偶には生きている人間に手を合わせる場合がある。
オリンピック最終プレゼンで滝川クリステルが思わずやった『合掌』の正体ですが、日本では例外的に、命乞いとか、究極の謝罪として土下座と共に両手を合わせる。
平身低頭『すみません。すみません』の究極の謝罪なら合掌する時が有るが、『おもてなし』の気持ちで合掌する例は無い。
(話は少し横道にそれるが、)
ところが、何故か日本でも食事を始める時の『いただきます』には両手を合わせて(オリンピック最終プレゼンの滝川クリステルのように)合掌する。
今の文明化した日本人はすっかり忘れ果てているが鶏肉を食べる為には先ず飼っていたニワトリを殺す必要があり、実は日々の食事とは(他者の生命の一部を)『いただく』という厳粛で少しだけ残酷な『神聖な行為』だったので合掌していたのでしょう。(肉食に限らず植物食でも動物食でも同じで『食べる』と『殺す』とがコインの裏表、一体不可分の関係にある)
ドイツ生まれの生物学者ルドルフ・シェーンハイマーが指摘したように『生命』とは機械の様な『不動のもの』では無く、持続する『動的平衡』(変化のバランス。破壊と生成とが絶え間なく変化する流れ)のことだったのである。

『へらへら笑いながら手を合わせるな。このバカ者が』

日本人なら滝川クリステルの『お・も・て・な・し』のあとの合掌には違和感を持って当然であり、2年前のインターネット上では、
『だから、合掌なんかしねえんだよ』
『見てるこっちが恥ずかしくなるよな』
『あの合掌は誰も止めなかったのかな』
『あれが日本式かと勘違いされるよな』
『おもてなしで合掌するとかやめろボケ』
『どちらかというとお辞儀だよね 合掌して挨拶や御礼はしない』
『外人的には合掌挨拶が日本人が公式に認める挨拶ってことになっちゃったんだな』
『おもてなし 合掌ってなんか違う おもてなし お辞儀の方が日本らしい』
との声が噴出。
滝川クリステルもネイティブな日本人以上に自分の大失敗は熟知しているのでマスコミで『お・も・て・な・し』の動作の再現を求められても、最後の合掌部分は絶対に人前では行わない。
失敗しないように何遍も何遍も事前に練習したのだろうが、本番では極度の緊張状態で思わず隠していた本心(羞恥心やら謝罪やら罪悪感やら)が無意識に動作に表れて、滝川クリステルは『お・も・て・な・し』の最後に合掌して仕舞ったのである。
オリンピック最終選考会での滝川クリステルの『合掌』の意味とは、フロイト心理学の無意識が動作に表れた大失敗でないとしたら、日本の田舎の選挙戦の最終盤では良くある一票欲しさに恥も外聞もかなぐり捨てて行う保守系候補の土下座の浅ましいパフォーマンスである。何れであるかは不明だが、恥ずかしい事実に変わりはない。
ところが、合掌と『お・も・て・な・し』の珍妙な組み合わせから2年が経過して、やっと隠されていたトンデモナイ意味が判明する。(暴いたのは8月8日の毎日新聞)


『なんと!2020年東京オリンピック開会期間の日付は酷暑の7月24日から8月9日だった』

『2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会計画』

オリンピック競技大会開催概要
正式名称第32回オリンピック競技大会(2020/東京)
英文名称The Games of the XXXII Olympiad
開催期間2020年7月24日(金)~8月9日(日)
競技数28競技

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「理不尽」と「無理」

漫画・アニメの「銀の匙」で主人公の通うエゾノー(蝦夷農業高校だったか)の、壁に掲げられた校訓は、前の二つは普通だが、三つ目は「理不尽」というもので、これだけがやけに目立つ。
好意的に解釈すれば、「物事は理屈じゃない。まず、体を動かして覚えろ」ということだろう。
実際、私が常々思うのは、「理屈とは物事の骨格にすぎない」ということだ。理屈ですべてが解決すると思っている人は、骨格標本が生きた人間の代わりになる、と思うようなものである。そういう人は骨格標本とデートをし、骨格標本と結婚すればいい。と言いながら、実は私自身が理屈が大好きであるのだが、理屈と現実は違う、ということは重々承知している、ということだ。
さて、「理不尽」とは「理を尽くさず」ということで、理屈はあるが、それが十分に説明されていない、というのが本来の意味かと思う。それに対して「無理」は、「理が無い」ということで、最初から現実にも何にも合致していないのである。いわば、クラゲに骨格を求めるようなものだ。
で、「戦争法案」は最初から「無理」なのだから、「国民の理解を得る」ことなどとうてい不可能な話なのである。それを「無理やり」通そうとするから国会や国会の外で安倍総理や安倍一派がさまざまな喜劇を演じることになる。
言うまでもなく、実際の使用の上では「理不尽」は「無理やり」とほぼ同義であり、上の文章はただの言葉遊びである。

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東京オリンピック法被

わりといいデザインではないかと思う。配色もいいし、波のデザインもモダンな浮世絵風でいい。少なくとも、「おもてなし制服」の百倍はいい。仮に、帽子も付けるなら、野球帽タイプ(キャップ)を希望。野球帽は女性でも案外似合うものだ。作りも簡単だし。
もっとも、東京オリンピックは開かれない可能性大、とは何度も書いたことである。



(以下引用)




1: ドラゴンスープレックス(愛知県)@\(^o^)/2015/08/01(土) 02:41:40.70ID:T1Oz2zFt0●.net
東京法被 @TokyoHappi
勝手に東京オリンピックのボランティア法被デザインと着用イメージを作ってみました。
#東京オリンピック #五輪 #オリンピック #法被 #ボランティア
#東京 #五輪ボランティアはハッピで
1_1
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https://twitter.com/TokyoHappi/status/626671495771615232

東京法被 @TokyoHappi
たくさんのコメントありがとうございました。引き続き、
勝手に東京オリンピックボランティア法被の女性着用イメージも作ってみました。
#東京オリンピック #五輪 #オリンピック #法被 #ボランティア
#東京 #五輪ボランティアはハッピで
1_3
1_4

https://twitter.com/TokyoHappi/status/626990825063477248


3: ドラゴンスープレックス(愛知県)@\(^o^)/2015/08/01(土) 02:43:56.09ID:T1Oz2zFt0.net
おもてなし制服

3_1
3_2
49_2
15: 足4の字固め(茸)@\(^o^)/2015/08/01(土) 02:51:16.00ID:jWdbKY/h0.net
>>3
絶望しか感じない

16: ドラゴンスープレックス(愛知県)@\(^o^)/2015/08/01(土) 02:51:32.89ID:T1Oz2zFt0.net
>>3は70年代のデザインなんだよな
大阪万博の頃の

56: フェイスクラッシャー(家)@\(^o^)/2015/08/01(土) 03:22:58.46ID:KgojR1ef0.net
>>3
糞暑い夏にニットとネクタイはないわ

60: セントーン(東京都)@\(^o^)/2015/08/01(土) 03:28:37.78ID:DJNcuqUd0.net
>>3
こういうのこそ公募してコンペしろよ

86: ファイヤーバードスプラッシュ(dion軍)@\(^o^)/2015/08/01(土) 03:51:56.49ID:0dsxQF0P0.net
>>3
これ1着25万円なw

89: 閃光妖術(大阪府)@\(^o^)/2015/08/01(土) 03:54:04.73ID:IlSnVqpR0.net
>>3
この帽子おかしいとは思ってたんだよなぁ…
全体的に受け付けないし


2: オリンピック予選スラム(庭)@\(^o^)/2015/08/01(土) 02:43:25.67ID:wh9/ESd+0.net
こっちのほうが数万倍いいな。


24: ミッドナイトエクスプレス(東京都)@\(^o^)/2015/08/01(土) 02:58:03.31ID:0f7e2S4p0.net
大売り出しセールか


26: チェーン攻撃(やわらか銀行)@\(^o^)/2015/08/01(土) 02:59:41.37ID:493dt+mc0.net
電気屋にいそうw
30: ラダームーンサルト(家)@\(^o^)/2015/08/01(土) 03:01:14.71ID:P/avJsmO0.net
>>26
ぱっと見それだよな

38: チェーン攻撃(やわらか銀行)@\(^o^)/2015/08/01(土) 03:04:44.89ID:493dt+mc0.net
>>30
配色と、男サンプル画像のインナーがシャツにネクタイつーのがますます電気屋に拍車をかけている


28: アルゼンチンバックブリーカー(dion軍)@\(^o^)/2015/08/01(土) 03:00:16.09ID:KXs0JvI70.net
素材はともかく発色のいいのにして五百円から千円の間で売ればめちゃくちゃ売れそう


31: セントーン(大阪府)@\(^o^)/2015/08/01(土) 03:01:49.56ID:lUxxydIe0.net
ビートルズの来日か


32: スターダストプレス(神奈川県)@\(^o^)/2015/08/01(土) 03:01:53.86ID:wUh9aS490.net
>>1
グラフィックだからよく見えるが
実物化したらかなりダサくなると思われ。


36: トラースキック(大阪府)@\(^o^)/2015/08/01(土) 03:03:45.04ID:/d+lATPv0.net
ビックカメラの店員かよ


39: ダブルニードロップ(catv?)@\(^o^)/2015/08/01(土) 03:05:39.92ID:QaPcTIaI0.net
>>1
いいなこれ、でもネクタイは要らないと思う


43: フォーク攻撃(チベット自治区)@\(^o^)/2015/08/01(土) 03:07:48.04ID:fTBEIk/x0.net
これいいじゃんね
家電量販店っぽいけどw


47: ジャンピングカラテキック(茸)@\(^o^)/2015/08/01(土) 03:11:42.34ID:Jj0DQTkp0.net
だから紫にしろっつってんだろ、江戸紫


69: レインメーカー(東京都)@\(^o^)/2015/08/01(土) 03:36:53.28ID:7vJ7Tq210.net
大手の制服になればなるほど出来レースだよ。コンペ大々的にやるけど。


110: セントーン(WiMAX)@\(^o^)/2015/08/01(土) 04:34:50.33ID:9ZQTuax70.net
比較対象が酷すぎるから平凡なのでもものすごいよく見えるな

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(桃太郎=押し込み強盗)説

「男の魂に火をつけろ!」というブログから転載。
まあ、桃太郎が侵略者であり、押し込み強盗であり、今ならばイスイス団のようなものだ、というのは、この御伽噺を読んだり聞いたりした人なら誰でもすぐにそう思うことで、芥川龍之介もそういうパロディ小説を書いているし、私の幼いころの愛読漫画であった「ストップ! 兄ちゃん」の一話がそういう話だった。
今で言えば、米国が桃太郎、となり、日本は犬か猿か雉、ということになる。強盗の仲間入りである。



(以下引用)

もし安倍首相桃太郎を読んだら




昔々あるところに、おじいさんとおばあさん、おじいさんとおばあさんがですね。住んでいたと、わたくしはそのように、うかがっております




おじいさんが山へ、山へですね、柴刈りに出かけまして、おばあさんは川へ洗濯に、洗濯に出かけました。わが国では、伝統的にこのような家族観を持っており、現代グローバル社会でも、その価値を見失ってはならない、のであります




おばあさんが川で洗濯を、洗濯をですね、しておりますと、川上から大きな桃が、桃がですね、ドンブラコ、ドンブラコと音を立てて流れてきたのであります。あたかもそれは、ヤンキースタジアムメタリカの"Enter Sandman"が鳴り響くがごとくです。おばあさんは川へ飛び込んで桃を拾いましたが、川の流れは完全に、完全にコントロールされておりますので、飛び込むことによっておばあさんのリスクが増大するという指摘は、これはまったく当たりません。




おばあさんが桃を、桃をですね、持ち帰りまして、おじいさんが切ってみたところ、桃の中から男の赤ちゃんが生まれました。少子高齢化少子高齢化問題となっている昨今ですが、われわれ政府は、このように出産子育てのしやすい社会、すべての女性が輝くことのできる社会を作り、女性を、女性をですね、活用していくのであります




桃太郎と名付けられた男の子は、すくすくと育ちまして、やがて自ら志願して、鬼ヶ島での平和維持活動に参加いたしました。これはあくまで彼の自由な、自由意志に基づくものでありまして、一部マスコミがいうような、狭義の強制性、狭義の強制性はまったく認められないものであります。ましてや、徴兵制憲法によって禁止されておりますので、わたくしはまったく、まったく考えていないものであります




鬼ヶ島での平和維持活動が、憲法で禁じられている武力行使にあたるという、一部の憲法学者の方々の意見はうかがっておりますが、国際法学者の方々は、合憲だという人が多いのではないでしょうか。それに、武器使用国際法で認められた権利でありまして、桃太郎の戦友であります犬が、鬼に噛みつくのも、猿が鬼をひっかくのも、キジが、えー、キジがですね、鬼の目をつつくのも、憲法ではこれらの行為は禁じられておりません。これは、砂川判決に鑑みましても、明白に、明白にですね、明らかであります




我が軍が、いや桃太郎鬼ヶ島派遣される法的根拠となります集団的自衛権と申しますのは、みなさまにわかりやすくたとえて申しますとですね、ここに「鬼ヶ島家」と「桃太郎家」という家が、道路を隔てて建っておりますジオラマを置く)。そして、鬼ヶ島の家が火事燃えております生肉を立てる)。このとき桃太郎鬼ヶ島で消火することはできません。しかし、放っておいたら、鬼ヶ島の火が桃太郎の家まで燃え移ってきます。そうならないように、鬼ヶ島で消火をしている鬼たちに、桃太郎消火器を届けることができる。これが、これがですね、わが国の憲法で禁じられていない、集団的自衛権なのであります。これは正しいと思いますよ、わたしは総理大臣なんですから





やくみつる:「鬼はむしろ放火する側じゃないんですか? 消火じゃなくて放火魔の手伝いをさせられることになるんじゃないですか?」)




そのようなことは、まったくありません。これは正しいと思いますよ、わたしは総理大臣なんですから




犬山紙子:「メリットばかりおっしゃっていますけど、総理が考えるデメリットを聞かせてください」)




あえて申しますならば、きび団子を作る任務が増えるというのがデメリットデメリットといえるかもしれません。








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エウレカ!

別ブログに書いた記事だが、重要な発見なので、ここにも転載しておく。
これに気づいた時は、風呂の中で比重の原理を思いついたアルキメデスみたいに「エウレカ!」と叫んで裸で外に飛び出したい気持ちになったものである。風呂の中でもなく、裸でもなかったが。(日経ビジネスか何かの扉の「経営者の名言」みたいなもので、某経営者が「顧客第一」みたいなことを言っているのを見て、どの経営者も同じことを言うなあ、と考えた瞬間に、この「世紀の大発見」をしたのである。ww)
実際、これまでの生涯で、この事実にまったく疑問も持たなかったのだから、常々疑問すら持たないことがいきなり発見につながったという稀有な例であった。
今後は、「顧客第一」と言う経営者には(自覚的かどうかは別として、まあ、本性は詐欺師か偽善者に近いであろう、と)眉に唾を付けて見ることをお勧めする。(笑)会社というものは本質的に「利益第一」で存在するに決まっているではないか。


(以下転載)


「顧客第一」の意味

今気づいたのだが、ほとんどの経営者が「顧客第一」と言うのは、顧客(仕事)のために滅私奉公しろ、と従業員に言っているのだった。つまり、顧客第一と言いながら、顧客のために社の利益を犠牲にする、ということはまったく無いのである。

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いくさばぬとぅどぅみ

「前田有一の超映画批評」から転載。
私自身は軽いぜんそくの気味があるので、映画館には滅多に行かない。2時間も咳をしないでいられないからだ。同様に、講演会なども、どんなに興味があっても行けない。野外作業の肉体労働者であることのいい点は、いつでも「思いのままに咳き込む」ことができることだ。
まあ、それはともかく、「戦場ぬ止み」(これを沖縄語で読める人はほとんどいないだろう。なぜ、こういう「一般人を遠ざける」ような題名にしたのか、少々疑問である。どうせならすべて平仮名書きで「いくさばぬとぅどぅみ」とした方が、もっと謎めいていて興味を引いたのではないか。)はいい映画のようだ。ただし、こういう映画は「今の時点で」見ないとあまり意味がない。残念ながら、よほど真面目な人、政治と沖縄問題に関心のある人でないと見に行かないだろう。つまり、観客数が期待できないことは、かなり確実である。
前田有一の批評は真摯なもので、この作品を作った人たちは彼に感謝すべきだろう。と言って、点数が「65点」では感謝できない、と言うのなら、それは「映画としての完成度」の点数であり、政治プロパガンダ(これは必ずしも否定すべきものではない。)としては十分以上の完成度だ、ということが批評文から読み取れる。
少なくとも、辺野古問題についての本土側一般大衆の偏見と誤解を解くには十分であるようだ。

私は沖縄出身だが、沖縄方言には無知なので、この映画の題名末尾の「止み(とぅどぅみ)」は、動詞形か名詞形か分からない。動詞形ならば、語尾に助動詞「ん」を加えて「止みん(とぅどぅみん)」(止めよう)となるのが自然なような気がするのだが、よく分からない。もっともこれは、「ぬ」を「を」と解釈してのものだから、「ぬ」が「の」の意味なら話は別だ。「止み」が名詞形ならば、「戦場の最後」の意味か。それも意味がよく分からないが、「最後の戦場」の意味か、「戦場をこれで最後に」の意味か。


(以下引用)

「戦場ぬ止み(いくさばぬとぅどぅみ)」65点(100点満点中)
監督:三上智恵

ぬるいラストでインパクトが不足したのが惜しい

東京にすんでいると、沖縄、まして最果てにある辺野古の新基地問題など、何の関心もない。そんな人が多数だろう。だが、この問題は沖縄ローカルな話題ではない。日本という国家のありかた、未来の選択がここに凝縮されているといっても過言ではない大問題である。


そして、この問題を長年現地の人々に寄り添い、追い続けてきたのが三上智恵監督。あらゆる映画人の中で、彼女ほどこの問題を深く語り、伝えられる人材はまずいないだろう。


「戦場ぬ止み(いくさばぬとぅどぅみ)」は、そんな三上監督渾身のドキュメンタリーである。この、何度読んでも発音しにくいタイトルが、われわれ本土の人間と沖縄の距離感そのものといった感じがする。


反対運動をしている人たちの信頼を得ているからこそ、彼らの懐まで踏み込んだ映像がとれているし、証言もまたしかり。辺野古問題とは何なのか、どういう人たちが、今なにを考え、行動しているのか。その現実を確実に持ち帰れる作品となっている。


とはいえ、監督自身が彼らと同化しているがために、「そもそも彼らはなぜ反対しているのか」といった、基本すぎる疑問には十分に答えていない。反対するのは当たり前、なんでそんなこと疑問に思うの? という世界に住んでいるのだなということが伝わってくるのは、中立性を感じさせない点でマイナスである。


ともあれこの映画を見て感じるのは、米軍の異様なまでの不在である。


対峙しているのは常に日本人同士。たとえばそれは海保と反対派のカヌーであり、デモ隊と警察だったりする。言論界でいえば、リベラルと保守派、である。私たち日本人は、ケンカに夢中になる前にまずここに疑問を持たなくてはなるまい。


その一方で、わずかでも米軍の敷地内に踏み込んだときに、迅速に集まってくるアメリカ兵たちの恐るべき圧力。ここで下手をうてば命がないと誰もが気付く、その緊張感を画面は伝えてくる。そしてこの「日米の対立構図」こそが米軍側がもっとも隠したい、この問題の本質である。


そう、結局辺野古をはじめとする基地問題最大の問題点とは、米軍に踊らされ結果的に彼らの利益代弁者に成り下がっている日本人勢力と、別の日本人が争わねばならぬ理不尽さにある。


うちなんちゅ同士のそうした争いの中で、かすかに芽生える交流を切り取ることで、三上監督はその最大のタブーを観客に実感させた。それは大きな功績である。


この「日米の対立構図」とは、つきつめていけば戦争になると言うことは歴史が証明している。だからこそ、本来日本の総理大臣は基地反対派にしぶしぶ折れることで、米国の妥協を引き出すくらいの寝業師でないとダメなのである。現在の総理大臣にはその資質が決定的に欠けている。それが人々を不安にさせる。


また、よくある反論として、反対派は県外などよそものばかり、住民は反対なんぞしていない、というものがある。この映画ではそうした底の浅い主張が木端微塵に打ち砕かれていて痛快である。


たとえば辺野古の住民はわずか1900名。そんな小さなコミュニティでぬけがけ的な反対運動などできるわけがない。みな基地で働いているのだから。


──というと、ほれみたことかと基地の経済効果をしたり顔で語り始めたりする人もいるが、その主張も完全に論破されることになる。


そもそもなぜ辺野古の住民は、米軍基地で働いているのか。そういうことをいう人たちは考えたこともないのだろう。


彼ら住民の就職が、いったい何と引き替えに得られたものなのか。この映画はその悲しい歴史を暴いている。辺野古の基地反対派をバカにするすべての人間は、この場面だけでも刮目してみるべきである。


庭先で、本当は反対なんだよとへらへら笑う地元の爺さんたちがでてくるが、彼らのノーテンキな態度、その目の奥には、底なしの闇がある。目は全く笑っていない。注意深い観客なら、それを感じ取れるはずだ。


どこの馬の骨ともわからぬ人間が取材に言ったところで、彼らが本音など言うわけがない。そうした当たり前の冷酷な事実を、報道番組にかかわる身としても痛感せざるを得ない。


私の場合は現地に血縁者が長年暮らしているため、そうした本土からの取材者には明かさない、本音の一端をわずかながらも認識している自負がある。だからこの問題において、見当はずれな主張が東京でなされている点についてはいささかの危機感を感じている。


三上監督の論破祭りは容赦がなく、たとえば「反対派には怪しげな左翼集団が混じっている」との批判にも、明確かつ説得力ある回答を得ることができる。


「漁師は基地に賛成している」論についても、その実体をきちんと暴いている。


辺野古の基地は、そもそも普天間飛行場の代替ではまったくないことも資料とともに証明している。


中国を結果的に利することになるとか、反対運動の資金源はどうなのかと言った重要な疑問点は残るものの、限られた時間内の映画としては、重要なことがらをいくつも網羅している。


少なくとも、この映画が見せるファクトの数々を見て、怒りを感じない人間に愛国者を名乗る資格はないだろう。


それにしても、選挙で全敗してもまるで妥協する様子のない現政権のやり方は、そう遠くない未来の破たんを予感させる。また、そうでなければ将来に禍根を残すに違いなく、それは大いに国益を害する。


映画はこれほどいいネタをつかみ、みせておきながら終幕がぬるくていけない。ぐだぐだ飲み会を見せる必要など全くない。ハグして終わりで十分である。新鮮な刺身同様、ネタを生かす編集をつきつめてくれれば傑作になれただろうに惜しい。


見ていると怒りがわいてきて、そして感動の涙を何度も流すことになる。国を愛する日本人必見のドキュメンタリーといえる。

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酔生夢人
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考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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