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河内守と武蔵守で東西バランスがいい

ネットニュースで「佐村河内守」という名前を見て、驚いたのだが、今の時代に「河内守(かわちのかみ)」が存在していた、ということに驚いたのである。確か日本は明治維新で廃藩置県が行われたはずだが、それは私の錯覚で、今でも日本は「摂津守」とか「安房守」とか、あちこちにいるのだろうか。
もちろん、これは冗談で、「佐村河内守」は「佐村河内(さむらごうち)・守(まもる)」とか読むようだが、それが何やら詐欺めいたことをして話題になっているようだ。詳しくは知らないが。

そこで考えたのが、橋下辞任による大阪市長選挙の件である。
何も高い費用をかけて選挙をするまでもなく、「河内守」が実在するのだから、彼に市長をさせればいいではないか。あの橋下の後任にはふさわしいのではないか。

ついでに、東京都知事には「舛添ムサシの守」で決まりだ!

東京都民、大阪市民の知的レベルにふさわしい首長ではないか。

細川の殿には残念ながらムサシには縁がなかった、ということで肥後藩にお帰りいただくしかない。(笑)



(2月8日追記)もしかしたら、「ムサシの守」の意味が分からない人もいるかもしれないので、「kotobank」から解説を引用しておく。言うまでもなく、「ムサシ」はあの票読み機のことである。ムサシを使って、武蔵国の知事になるのはまったくふさわしいではないか。




むさしのくに【武蔵国】
 
現在東京都埼玉県および神奈川県 川崎市横浜市にまたがる地域を占めた旧国名。


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王将殺人事件(将棋界の話ではない)

最近は、有名企業の社長が銃で殺されるという日本では珍しい事件でも、いつの間にかマスコミから忘却され、そうすると大衆からもすぐに忘却されてしまう。
まあ、銃を使っていることからも明らかにプロの犯行だが、依頼人は誰か、というのが問題だ。そして、警察はこの事件を本気で解決する気があるのかどうかも問題だ。
最近私はネットテレビで「名探偵モンク」ばかり見ているのだが、自慢ではないが、私は推理小説などを読んで犯人を当てたりトリックを見破ったりできたためしは無い。しかし、この事件は興味深いので、何か新情報でも出てきたら、素人推理など試みてもいいな、と思っている。そこで、まずはこういう情報をメモしておく次第だ。
なお、「名探偵モンク」は、トリックの豊富さとその合理性においては、実に見事なドラマであり、主人公が冴えない中年親父である、というだけであまり見る人がいないのは残念である。まあ、私もそのせいで長い間見なかったのだが、ふと見てみて、その出来のよさに今さらながら驚いている。もっとも、二作目から数回は凡作が続いていたと思うので、そこは我慢して見続けた方がよいだろう。



(以下引用)




「餃子の王将」3代目は行方不明だった 社長銃殺のウラで神かくし事件

もぐもぐニュース 2013年12月20日 14時10分 (2013年12月24日 14時23分 更新)










※事件の裏には一体なにがあったのか?
昨日19日、「餃子の王将」を展開する王将フードサービス社長の大東隆行さん(72)が射殺されるという痛ましい事件が起きた。ここにきて注目されているのが、今年の夏頃に写真週刊誌『フライデー』(講談社)に掲載された失踪事件だ。行方知れずになっているのは、王将の創業家3代目だったのだ。

将来的には会社を継ぐと見られていた3代目の加藤貴司氏が、行方不明になってからすでに5年間が経過しているという。加藤氏は03年に姫路の外国人パブで、妻だった加藤カチェリーナさん(ウクライナ出身)に出会い、約半年後に電撃婚。カチェリーナさんによれば妊娠してから加藤氏のDVが始まったといい、彼女は当時3歳だった長男を連れてウクライナに帰ってしまう。

しかし加藤氏からの再三にわたる誘いがあり、長男をふくめた3人でエジプト旅行に出かけることになった。08年2月のことだ。24日、カチェリーナさんがスパに行き戻ってくると、長男と加藤氏が姿を消しており、彼女の携帯電話、ビザ、航空券、キャッシュカードなどがなくっていたという。

加藤氏と長男は失踪翌日、関西空港行きの飛行機に搭乗していることが判明している。そしてカチェリーナさんが加藤氏の実家に電話すると、母親が“息子があなたの子供の面倒を見られなくて困っている”と告げたという。だが、彼女が戻ってみると加藤氏の親族は、氏と長男がどこに行ったかはわからないと言うばかり。その後長男が9月にシンガポールに出国したことが判明しているのだが、いまだに加藤氏とカチェリーナさんの長男は行方不明となっている。

今回の銃撃による暗殺事件は、この創業者3代目の失踪と関係があるのではないか、そんなことを言うマスコミ関係者も多い。果たしてこの2つの事件、どんな接点があるのだろうか?





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いのせ(瀬)もやがて淵となるか

久々に小田嶋隆ツィッターから転載。
いや、本当に小田嶋隆は天才だ。
ついでに言うと、私は高校くらいまで「恋すてふ」を「恋捨てふ」と思っていた。「ふ」って何だよ。いや、それくらいはまけとけ、となると落語の「ちはやふる」だが。
念のために、下記狂歌の元歌を、句読点・引用符付きで書いておく。「てふ」は「と言ふ」の縮約形、「まだき」は「早くも」の意。最後の「しか」は[過去助動詞「き」の連体形「し」+疑問の「か」]ではなく、上の「こそ」との係り結びで、「しか」全体が過去助動詞「き」の已然形である。


「恋す」てふ、我が名はまだき、立ちにけり。人知れずこそ思ひ初めしか。




(以下引用)



小田嶋隆 ‏@tako_ashi 11月23日

返すてふ わが名はなおき バレにけり 人知れずこそ もらいそめしか




 

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「八面六臂」対「社会的低脳」

「小田嶋隆の『ア・ピース・オブ・ア・警句』」から、一部転載。
夏目漱石の『こころ』の、語り手ではなく、真の主人公である「先生」が自殺した理由を、「先生」自身は「自分という人間がこれ以上生きていても結局(「ひっきょう」という漢字が出ない!)時代遅れだから」と、遺書(手紙)で語っている。昔読んだ時には、この理由にまったく納得できなかったから、一般に理解されているように、Kへの裏切りという過去の悪事に伴う心の負担を清算するため、というのが自殺の真の理由だろう、と思っていた。というより、悪を憎みながら、自分自身が悪を為したことに、「先生」は長い間悩んでいたが、「解けない問題を解決する手段は、その問題自体を消滅させることだ」という、「ゴルディアスの結び目に対するアレキサンダーの解」よろしく、自分自身を消滅させた、というのが「先生」の自殺の真相だったと思う。しかし、「先生」が表向きの理由とした「時代遅れになったから」という言葉は、けっして荒唐無稽な自殺理由でもない、と最近は私も思うようになっている。
下記記事を読んでみても、私自身、時代遅れの人間だなあ、と思う。
もともと若い頃から社会生活不適応者であり、ここまで生きてこられただけでもいわば「社会のお目こぼし」で生きられたようなものだから、いつ死んでも不満はないのである。その社会不適応とは、何よりも「頭の回転が悪い」ということである。他人との思考スピードが全然違い、相手との会話に付いていけないのだ。従って、世間話がまったくできない。相手が言った言葉の意味を考えているうちに、相手の言葉は次の段階に移るのだから、こちらは馬鹿みたいに相槌を打つしかない。相手の話の半分も理解できていないのだ。
その代わり、読書速度は速かったから、文章の読み書きには不自由はなかった。だから、こうしてネットでブログを書いているのは、私にとっては日常会話の代用みたいなものだ。日常会話なら、相手の気持ちをあれこれ気にして話すから、思うことの半分も言えないし、相手と共通の話題があることも少ないから、ネットで好き放題に書いているほうが、私にとってはマシかもしれない。それもこれも私が「思考速度が極度に遅い」人間だからだ。「社会的低脳」と言っていいだろう。
まして、下記記事にあるようなマルチタスク人間は私にとっては別世界の人間である。そういう人間と共存することは私のような人間には相当なストレスだろう。いやはや、早々と社会から降りていて正解であった。(今やっているパート労働は、いわば「隠居仕事」であり、社会の第一線の仕事ではないから、ストレスもほとんど無い。)




(以下引用)



博覧強記対八面六臂


小田嶋 隆


2013年11月8日(金)

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 大阪のホテルの一室でこの原稿を書いている。

 当地に滞在している理由は、昨晩(水曜日の夜)、市内のとある書店で開催されたトークイベントに登壇者として呼んでいただいたからだ。
 イベントは盛況だった。終了後の打ち上げも、終始なごやかにこなすことができた。

 ところが、ホテルに着いてみると、携帯電話が無い。
 イベント会場の書店に、上着ごと忘れてきたらしい。

 東京を離れると、かなり高い確率で、所持品を失くしたり、忘れてきたりする。
 昔からそうなのだが、旅先でのオダジマは平常心を失う設定になっている。
 ノマド適性が低いのだと思う。

 とにかく、夜が明けたら、書店の開店を待って、ブツを引き取りに行かないといけない。なのに、携帯電話がないと、携帯電話を回収するための連絡さえままならない。ダブルバインドだ。
 というよりも、大げさに言えば、世界とのつながりを絶たれた感じだ。

 電波世界のロビンソン・クルーソー。
 お手上げだ。

 で、仕方なく開店を待つ間、ホテルにとどまって原稿を書いている。
 ところが、うまく執筆のリズムに乗ることができずにいる。
 そんなに繊細至妙な文章を書いている自覚は無いのだが、どういうものなのか、調子が出ない時は筆が進まない。

 おそらく私は、自室の執筆環境に依存している。
 いつも使っているパソコンの扱い慣れたエディタや、ブラウザのブックマークや、各種の辞書や、気晴らしのためのゲームや、逃避先としての紅茶やテレビといった、固有の環境が揃っていないと、アタマが十全に機能してくれないのだ。

 とはいえ、ノマド環境に適応するべく自分を最適化すれば良いのかというと、単純にそうとばかりは言えない。
 マックブックエアでバリバリ仕事ができるようになると、今度はどうせあいつに依存するようになる。私はそういう性質(たち)の人間なのだ。

 持ち歩き用のパソコンやタブレットに依存している人々は、昨今、珍しくない。

 たとえば、昨晩のようなトークイベントに若い世代の登壇者が登場するケースでは、彼らは、まず間違いなくモバイルのパソコンを持ち込んで来て、それを目の前に開いた状態で話を始める。必ずそうするのだ。

 シンポジウムでも、単独の講演でも、公開の鼎談や座談会でも同じことだ。三十代までの若手文化人は、デジタルのガジェット込みの拡張版の自我を介して現実に対応していて、それらのモバイルなエゴのスイッチがオンになっていないと、自分の知的活性力を十全に機能させることができない。だから、彼らは生放送のスタジオにさえ自前のマシンを持ち込む。

 彼らは、場の話題に追随しながら調べ物を続行する能力を備えている。具体的に言うと、口から言葉を発しながら、同時に、手元では資料を並べ直していたりするわけで、訓練の行き届いた人になると、会場のナマの声(ツイッター経由だったりニコ生のコメントだったり)を拾いながら、パワポの資料をスクリーンに展開しつつ、絵柄に沿ったジョークをカマすことができる。おそらく、生まれた時からあのテのマシンと並走してきた彼らのアタマは、デフォルトの設定がマルチタスクになっているのだと思う。


(以下「会員ページ」なので、略)




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平和への警告か、朝飯前にケーキを食べるか

小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」から転載。(「ア」はタイトルについていたかどうか不明。)
なお、「警句」は寸鉄人を刺すような、機智のある言葉であり、「警告の言葉」ではない。最近は後者の意味で使ううっかり者が多いので一言注意。
上の文から分かるように、私は言葉にうるさい「小言幸兵衛」であるのだが、その自分自身、言葉の誤用やうっかりミスもたくさんしているだろうとは思っている。かと言って、間違った言葉使い(これだって「言葉遣い」と書くべきかどうか、私には分からないのだが)をあまりに見逃すと、日本語は滅茶苦茶になる、という危機感もあるのだ。
私は日本文化が大好きだし、文化の根底は言葉だと思っているのである。
だが、下の記事にあるようなマスコミによる「つまらない言葉咎め」には私も少々うんざりしてはいる。実際、小田嶋氏が言うように、こうした「頻繁に誤用される言葉」は、「言葉自体の出来が悪い」と言うべきであり、「誤用されて当然」と見るべきだろう。やがてこうした言葉は自然淘汰されるか、「誤用」が「正用」になっていくはずである。
だが、そうした流れにそのまま竿差していいのだろうか。
「流れに竿差す」は「流れに反抗する」ではなく、「時流に乗る・時流に従う」意味だが、舟に乗って「竿を差す」動作など見たこともない現代人は誤用しても仕方がない。そういう言葉は無数にあるのだが、しかし『草枕』冒頭で「智に働けば角が立つ。流れに竿差せば流される。」と使われている以上は、これは失われては困る言葉の一つである。
つまり、言葉は現代生活に必要なものだけあればいい、というものではないわけだ。
古典や古典的作品を読むためのボキャブラリーも必要であり、ふだんは使わなくても、そうした言葉を豊富に持っているほど、精神生活も豊かになるのではないだろうか。
その証拠に、下記記事のブログタイトルである「ア・ピース・オブ・警句」にも「a piece of cake(楽な仕事、朝飯前)」という英語の慣用句の知識が使われている。そうした知識のない人間には「ピース? 平和の意味じゃね?」くらいに理解されるかもしれないのである。




(以下引用)




噴飯中の皆様に告ぐ


小田嶋 隆






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2013年9月27日(金)

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 9月の24日、文化庁が2012年度の国語に関する世論調査の結果を公表すると、早速、民放各局の情報番組が、いくつかのネタを引用して、5分ほどの小コーナーを作っていた。ちなみに、記事はこちら。文化庁の調査結果はこちらだ。

 毎度のことだ。

「日本語の乱れ」
「カタカナ語の氾濫」
「敬語の誤用」
「慣用句についての思い違い」
「世代間のギャップ」

 こういうお話は、視聴者にアピールしやすい、と、少なくとも制作現場はそう考えている。

「最近の若いヒトは言葉を知らないから」
「噴飯ものの意味も知らないなんて噴飯ものですよね」

 おそらく、テレビ視聴者の多くは、自分より無知な人間が国民の多数派を占めているというふうに思い込んでいる。

 ん?
 ということは、平均的なテレビ視聴者は平均的な日本人より賢いのだろうか?
 真相はわからない。調べようもない。
 ただ、無知な人々の多くは、自分より無知な人間が多くないという事実を知らないのだと思う。

 自分自身の話をすれば、私は、必ずしも語彙の豊富な書き手ではない。
 漢字の読み書きもどちらかと言えば苦手だ。
 テレビでやってる「漢字博士バトル」みたいな企画に担ぎ出されたら、かなり盛大に恥をかくことになるはずだ。
 事実、用字用語や慣用句の使い方について、校閲からゲラ経由で誤りを指摘された経験は、それこそ数えきれない

 なので、ひとこと、例にあげられた慣用句について、それを誤用する人たちを擁護する文章を書いておきたい。

 「国語に関する世論調査」の中で、とりあげられている慣用句は、いずれも「字面から自然に類推される意味内容と、辞書の上で正しいとされている用法の間に、著しく齟齬のある言い回し」なのだと思う。
 ということはつまり、例に挙げられた慣用句は、どれもこれも「出来の悪い言葉」なのであって、誤解を恐れずに言うなら、そんなものは、誤用されて当然なのである。

 無論、誤用する人々の側に責任がないわけではない。
 しかし、全国民のうちの半数以上が、正しい用法よりも誤った使い方のほうを採用しているのであるとすれば、問題は、人々の側よりも、言葉の側にあると考えなければならない。とすれば、人々の誤用の主たる原因は、その慣用句が、「誤解を招く表現」である点に帰せられるべきなのだ。



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私のカエル男度

「播州武侯祠遍照院」さんのブログに引用されていた「カエル男・タガメ女度チェックテスト」が面白そうなので、私もやってみた。なお、私は自他共に認める恐妻家である。たぶん、典型的カエル男だろう。リストの後に、私自身について当てはまる場合は○、当てはまらない場合は×を書いておいた。




☆カエル男度チェックシート

1.パートナーや家庭を大事にしている(○:もっとも、これは自己評価で配偶者や家族はそう思っていない可能性もある。)

2.よく周囲から「愛妻家ですね」と冷やかされたり、「恐妻家」と呆れられたりする(○)

3.気がつくと、「うちの女房が」「家内に聞かないと」という言葉がでている(○:うちの女房は、世間的な事では私の何倍も有能なので、かなり女房に頼っている。)

4.住宅ローンを組んでいる(△:今は組んでいない。)

5.月の小遣いは一万~三万円と決まっている(△:会社の正社員時代はそうだった。)

6.職場にいるとなによりも落ち着くので、朝出勤をするときの気持ちは憂鬱というよりもウキウキしている(×:仕事をするより、家で酒でも飲みながら読書をするのが楽しいに決まっている。)

7.時には、家に帰りたくない夜があってわざと寄り道をして帰宅する(×:特にかつては家に帰るのが一日で一番楽しい時間であった。)

8.フェイスブックに奥さんや子どもたちの写真をひんぱんに公開している(×:ネット上に個人情報を公表する人間の気が知れない。まあ、どうせ大元締めにはすべて筒抜けだろうが)

9.学生時代よりも社会人になってからのほうがよくモテたと思う(○:でも、モテルだけで、それを生かすことは一度も無かった。私は既婚者の不倫というものが大嫌いなので。まあ、面倒臭かっただけかもしれないが。)

10.よく部下や後輩に仕事を押しつけてしまう(×:むしろ、簡単な作業でも自分で全部やるという、上に立てないタイプの人間であった。他人に仕事を命じるという「偉そうな」行為が大嫌いだったのだ。人を使えない人間は、組織向きではない。)

11.職場や周囲からは「コワモテ」だと思われている(△:外見に関してはそういう部分もあったようだ。)

12.部下の指導力には自信がある(×:人を使うのが嫌いなのだから指導力などあるはずはない。)

13.周囲からは面倒見がいい親分肌だと思われている(多分×)

14.酔っぱらうと居酒屋の店員やタクシーの運転手に威圧的なことを言ってしまう(×:これだけは絶対に無い。そういう人間は人間のクズだと思っている。)

15.大きな声では言えないが、けっこうセクハラっぽい言動をしてしまう(×:酔うとスケベエにはなるが、セクハラはしなかったと思う。というより、酔うといつも押し殺しているスケベエさが時々表に出たりした。しかし、同僚や下役の女性へのセクハラはしなかったと思う。)

16.渡辺淳一の小説が好きだ(×:大嫌いである。というより、読んだことすら無いが、彼の人間性が大嫌いである。私は儒教的人間だから、彼のような好色漢は大嫌いなのだ。)

17.じつは若い愛人がいて、仲間内ではよく"愛人自慢"(浮気自慢)をしてしまう(完全に×)

18.女性と交際をしているときは、白分が主導権を握っていると思う(多分×:というより、私は誰に対しても主導権を握るという発想そのものが無い。どのような上下関係も嫌いだから、主導権という考えとは無縁である。)

19.正直に告白すると、マンガの「島耕作」のような生き方に憧れている(完全に×:あのような男のどこに魅力があるのか、まったく分からない。「サラリーマン出世スゴロク」のスゴロクのコマにすぎない男ではないか。どこに魅力があってあんなに女にモテルのか分からないが、まあ、女にとっての男は、「出世する男」であれば誰でもいい、という部分もあるようだ。)

20.たまには「俺も辛いんだよ」などと甘えたことを周囲に言ってみたい(完全に×:無意識に周囲に甘えることはあるかもしれないが、このような腑抜けた発言だけはおそらくしない。したら、多分後悔して死にたくなるだろう。)


まあ、こんなところだ。
さて、採点表を見ると、


「あてはまった項目の数で、

0~4:カエル男度20%

5~10:カエル男度50%

11~15:カエル男度80%

16~20:カエル男度100%

だそうです。」


ということらしい。○の数は4個で、△が3個だから、私のカエル男度は20~50%くらいか。しかし、いきなり「20%」から「50%」に飛ぶかねえ。この採点表は、日本の男の大半をカエル男の範疇に入れようという悪質な数字操作ではないか。まるで官僚の作る統計数字みたいである。まあ、私の考えでは、タガメ女がカエル男の生き血をすすって生きている、という言挙げは専業主婦を貶める陰謀のような気がする。電通あたりとタイアップした企画である可能性もあるのではないか。
ちなみにタガメ女度チェックリストは次のようなものだ。

☆タガメ女度チェックシート

1.規則正しい生活を送っており、周囲からよく「ちゃんとしているね」と言われる

2.パートナーには「○時には帰る」という“カエルコール”を義務づけている

3.相手が失敗をすると、「ほら、だから言ったでしょ」と言う

4.いかに自分が日々の家事(仕事)を頑張っているかを周囲にアピールする

5.習い事に夢中になっている

6.休日は友人と会ったり、イベントが目白押しだったりで忙しい

7.マンションの階層にこだわりをもっている(戸建ての場合は家の立地)

8.近所からどう見られるかにはかなり敏感だ

9.スマホではなくガラケー(ガラパゴス・ケータイの略。日本国内では便利だが世界標準ではない)でドコモユーザーだ

10.住宅ローンを組み、「郊外のベッドタウン」で暮らしている

11.結婚願望は強かった(強い)

12.まとまったお金は投資型の運用よりも郵貯や積立保険にまわす

13.アルバムが充実している

14.誕生目やクリスマスパーティなどのイベントを企画するのが好きだ

15.ディズニーランドが大好き

16.女子会では“意味のない会詰”を延々と続けられる

17.身近に独身のオタク男性などがいると不安になる

18.「主人は~」(カレは~、)というのが口癖だ

19.PTA活動(行事)では積極的に「役職」につき、懸命にこなす

20.働きながら子育てをする女性や独身女性とはあまり親しくしない


どうも悪意に満ちたチェックリストである。特に、9などは、「現代のデキル独身女(自立した女)はスマホをバリバリ使いこなすのよ。ガラケーを使っている時点で、あんたたちは時代遅れのダメ女」というアピールがいやらしくにじみ出ている。
専業主婦の大半はこれらの条件に少なくとも半分以上は当てはまるのではないか。で、専業主婦とは夫の生き血をすすって生きている存在だ、ということにして何が得られるのだろう。現代はもはや雇用不足の時代であり、女性の社会進出で女性も男性も幸福になるより、仕事の奪い合いでどちらも不幸になっているのではないか。そのとばっちりは子供にはねかえっており、家の中に母親がいる、という子供時代を送った人間の方が現代では少数派だろう。その結果は、子供時代の精神形成にゆがみをもたらした面が大きいのではないだろうか。
まあ、家に母親がいつもいることが子供にとって常に幸福かどうかは分からないが、少なくとも、子供が幼い間は、子供を育てるのは男よりも女性が向いているのは確かだ。今の社会は、そういう年齢の幼児まで施設に預けて共働きをしないと生きていけない家庭も多い。はたして、それは専業主婦が子供を世話し、家事のほとんどをする家庭より幸せなのだろうか。
何だか、時代遅れのフェミニスト学者が専業主婦攻撃を再び始めた、という印象もある。(言うまでも無く、ここで言うフェミニズムは女権拡張主義の体裁を取りながら、女性の労働力を産業界に利用しようとした動きのことだ。それを企図したのは例によってロックフェラーなどのユダヤ資本家だと言う。女性の社会進出で世界は家族中心社会から個人分離社会に変わっていったというのがその一つの結果である。)




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それは遺憾

私の最愛のサイトの一つであった「ボーガス・ニュース」が1年の休みからいつの間にか復活していたが、また休載し始めたようだ。なかなか完全復活とはいかないようだ。
4月5月の二か月ほどの間の記事をおいおい読んでいくつもりだが、とりあえず、ネーミングが秀逸な、下の記事でも紹介しておく。
世界遺産ならぬ「世界遺憾」だそうで、失言よりもその存在自体が遺憾な政治家や官僚や経団連を「世界遺憾」に指定して、精神病院に強制入院させた方がいい、と私は思う。そんなことを書いていると私自身、「……おや、誰か来たようだ。」となるか。(笑)


(以下引用)


2013
05/04 17:30
日本政治家の「失言」、世界遺憾に登録へ──富士山とダブル受賞 社会面




ザ・世界遺憾

富士山が世界文化遺産に登録される見通しであることが明らかになったばかりだが、同時に日本の政治家の「失言」も世界遺憾として登録されることが文化庁の発表でわかった。世界文化遺産の登録総数はすでにかなりの数にのぼっているが、世界遺憾に登録されるのは国際的にみてもきわめて異例。
国連教育科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関が1日までに勧告決議をしたもので、今年6月にも正式登録される見込み。日本の政治家の失言が世界遺憾に認められたポイントは、主に「引き際がわからない」「失言の上塗りになるような言動をする」「外遊先のようなアウェーでも失言する」という三点で、他国に類を見ないことが「誠に遺憾である」として認定されたもの。
今後、日本には世界遺憾の保有国として失言の保全などが義務づけられる。このため、文化庁では「神の国発言」で知られる森元総理を首班としたスペシャルタスクフォースを結成。政治家の失言を「生産」「記録」「再生産」の3ステップに分けて、いずれの段階でも活発な遺憾の意を表明できるよう環境構築していく方針だ。
最近の失言生産者・猪瀬都知事のコメント:
世界遺憾への登録はすばらしいことで、今回のことで誰が味方で誰が敵かわかった






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HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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