私はノスタルジックなものが好きなので、明治、大正、昭和初期の文化を好ましく思っている。日本の文学、詩歌などもこの頃までのものが好きだ。
現代の文化ではマンガとアニメ以外にはほとんど興味は無い。特にJポップなど、まったく聞く気も起らないから、当然、紅白歌合戦など、ここ20年ほど見ていない。例外は、植木等が出た(最晩年のころだ)回のみで、小林信彦のエッセイによると、植木等をそれまでまったく見たことの無かった、氏の子供が、植木等にもの凄いオーラを感じたようだ。(「輝いて見える」と言ったのだったか。)実際、私にもそう見えた。見たいと思ったが見なかったのが、昨年の丸山明宏(美輪明宏)である。彼の「ヨイトマケの歌」は、日本歌謡史に残る名作で、彼が芸能界には珍しく歯に衣着せぬ発言をする根底には、この「ヨイトマケの歌」的な精神が確固としてあるのだろう。昨年のそのステージも素晴らしいものだったようだ。(昨年だったか、一昨年だったか、紅白自体に興味が無いので不確かだが。いや、今の時点では昨夜の紅白が既に昨年であった。)
さて、下に引用したのは、私の父親より少し上の世代の人の書いた懐古的な記録で、ネット上にあったその記録を保存してあった中から、正月向きの話題を選んで掲載した。これ自体、かなり古い記事なので、今ではそのサイトもあるかどうか不明である。サイトの名前も失念した。まさに往時茫茫である。
私自身は昭和中期に子供時代を送ったが、その頃も正月の子供の遊びのメインは凧揚げと独楽回しだった。後は、子供雑誌の付録に道中すごろくなどもあった気がする。道中すごろくは兄弟で自作して遊んだような記憶もうっすらある。沖縄では百人一首などの優雅な遊びをする家庭は少なかったと思う。トランプ遊びの方が一般的だったか。
今の子供の正月の遊びはたぶんテレビゲームだと思うが、凧揚げや独楽回しのように手先の技術を要する遊びや、トランプ遊びのように他人を相手に頭を使う遊びを子供の頃にやらないで育つと、何かが欠落してしまいそうな気がするのだが、それは取り越し苦労だろうか。テレビゲームでの思考とは要するに「合理的選択」の連続にしかすぎないのであり、そういう思考だけで育った人間は、人間社会を「経済的合理性」だけで判断する人間になりそうな気がするのである。
(以下引用)
大正の遊び
正月の遊び
男の子の正月の遊びと言えば、家の中ではいろはかるた、双六、皆でやる福笑いなど
で、姉の友達が華やいだ服装で集まる、正月ならではの百人一首を見ているのも結構面
白かった。
子供たちも入れてくれる、百人一首の坊主めくりで皆で楽しんだものである。
家族合わせというゲームのことを、耳にするが、この体験はない。
「陸軍元帥大山巌の奥さんを頂きたい」と相手に呼びかけて、その相手が持っていれば渡
さなければならない。
「おわいにくでした」と断られてがっかりしたり、それでもなお持っていて断っているのでは
ないかと疑ったりする。一度外れると、同じ職業をのカードを集めかけている人に番が廻
ったとき、根こそぎ持っていかれる。
数多くの職業者の主人、妻、男子、女子、それに召使か何か、五枚組位の家族札わ集め
ると一点獲得となる。
というゲームだそうだが、その体験はない。
外ではメンコと凧揚げが一番の楽しみだった。
いくらでも空き地があり、凧揚げするのに場所探しの苦労はなかった。
高年の男の子は喧嘩凧で、相手の凧を引きずり落として、得意がっていた。
今年からクリスマスは禁止なのだ。
国会で青島幸男が決めたのだ。
これでいいのだ。
僧侶だけど別にクリスマスをにがにがしく思ったりしてません。でも、ナザレのイエスが出てきたせいて、世界は戦争でいっぱいになった気がしないでもない。釈迦の方が平和だな・・・
「リア充爆発しろ」デモだけど、楽しそうにやってたならまぁいいか。ユーモアのある行動ができるなら、彼らも「リア充」じゃないの?
キリスト教を知らない人でも戦前の中村天風などがキリスト教的発想を産業界に広めたのでキリスト教的な価値観を持ってる人は経営者などに多いよ。
革命的というと私は平井和正の超革命的中学生集団、略して「超革中」を思い出します。革命的という言葉がかっこよかったんですね。
その後、熱く物事を語る奴は避けられる風調:いわゆるしらけ世代(ブーイングならぬシーイングされた)以降は革命的なんて言葉をいう奴はいなくなった印象です。
今回の革命的非モテ同盟(通称:革非同)は一周回って革命的という言葉を面白がれる時代になったんでしょう。「革○○」なんて間違っても使わない世代にとってはある意味時代は変わったんだなと思いました。
>キリスト教的発想を産業界に広めたのでキリスト教的な価値観を持ってる人は経営者などに多いよ。
顔曲がりのタロちゃんはキリ死痰でしたかしら?
>でも、ナザレのイエスが出てきたせいて、世界は戦争でいっぱいになった気がしないでもない。釈迦の方が平和だな・・
そういうことを言うから平和でなくなるのかなw
おいらの友人のお坊さんのお寺では Xmasやってますw
その方が平和かもww
>そういうことを言うから平和でなくなるのかなw
言わなくても平和じゃないよねwww現実問題www過去2000年wwwつか進行形だしwww
オイラの友人の坊主は肉食ってスナックに行きますwww
よくあるのが、経営哲学を語ると、そこに神様が出てくるのw
『一体、恋人のいる人や小さな子供のいる家族以外の誰が
心底クリスマスを楽しめるでしょう。
約二組に一組の結婚が離婚に終わる、急速に家族崩壊が進む
イギリス。
両親が離婚した子供はたいていクリスマスを
「今年は母親と、来年は父親と」といった具合に
一年交代で過ごすようですが、
それは自分たちの家族がばらばらになってしまったことを
改めて思い出させる悲しいオケージョンでしかありません。また、
親の方も一年おきにやってくる子供のいないクリスマス
には涙また涙とか。
シングルマザー、恋人のいない人、伴侶をなくした人、
病院や施設にいる人、クリスマスにも働かなければならない人…
実はこういう人たちの方が圧倒的に多いのが世の中というもの。
かくしてクリスマスの前後には鬱状態になる人が多く、
サマリタンズなどのカウンセリング機関は
クリスマス・ヘルプラインを特設し、ラジオは
「クリスマスに独りぼっちはあなただけじゃないと
呼びかけるのです』
著者はこの後も、英国人はいかにクリスマス嫌いであるか、
様々な例を挙げておられますw
高月園子「ロンドンはやめられない」(新潮文庫)