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遺伝子絶対主義への異論

池谷裕二「単純な脳、複雑な『私』」という本の中に、非常に大事な発言があったので、転載しておく。

「遺伝子」はよく生命の設計図だって言われるけれど、でも僕から見れば、これは設計図じゃない。だって僕らの遺伝子ってたったの2万2000個しかないんだよ。そんな少数の情報では、人体は組み立てられない。いや、人体どころか、小さな家屋ですら建築できないよ。
あれは設計図じゃなくて、いわばシステムの「ルール」(の一部)じゃないかな。そのルールに基づいて、生物の材料たちがせっせと単調な作業を繰り返している。すると物質から生命体が生まれてくる。そういうことでしょ。だから、わずか2万個そこそこの遺伝子でこと足りる。(同書P353)


遺伝子が「設計図」ではなく「ルール(の一部)」つまり「骨子」でしかない、というのは重要な考えだと思う。
スポーツの試合を作るのはルールではない。生きた選手の創意と錯誤に満ちた活動である。選手はルールに従って行動し、時には違反して(ここが大事)試合を作る。意図的ではなくとも、ルールの制限を踏み外すのはスポーツには付き物であり(たとえば、テニスのサーブが決められた範囲内に入らないのは「サーブは決められた範囲に入れねばならない」というルールに反し、二度目にはペナルティを受ける。)、またルールには常にグレーゾーンがあるからこそ試合も変化に富むことになる。そしてまたルール違反が新しいスポーツを作ることもある。フットボールでボールを手に持って走った選手がいたことから、ラグビーが生まれたように。
遺伝子のルールにすべての「生命材料」が100%従うとは限らないところに、生命の新しい発展の可能性があるのではないか。これは種全体としてだけの話ではなく、個体の発生でも同様だろう。優れた両親から凡馬が生まれるのは競馬では当たり前すぎる現象だ。優秀な種馬や優秀な肌馬から良馬が出るというのは「確率」の問題でしかない。遺伝子絶対主義者は、人間は馬とは違って遺伝子は絶対だ、とでも言うのだろうか。
遺伝子を「設計図」ではなく「ルール」だと考えることは遺伝子絶対主義的な生物学や医学(すなわち優生思想)に大きな反省を促すものだろう。


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