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学校に行くのが死ぬほど嫌(いや)という生徒たち

「ライブドアニュース」の記事の一節である。
鎌倉市図書館のツィートが転載できなかったが、学校に、死ぬほど行きたくない子は図書館においで、というような内容である。これはいい呼びかけである。
実際、学校で習える程度のことは自学自習できるし、図書館には学校などよりはるかに膨大な「本物の知識」が詰まっている。図書館を「私の高校」とすればいいのである。
ところで、いじめとか、「学校が死ぬほど嫌(いや)」という問題について考えてみたいと思うのだが、今日は、その前提として、仮説だけ少し。

1)いじめをする子というのは、本人自身、周囲の状況から過大なストレスを感じており、その発散の手段がいじめである、ということ。
2)いじめ問題の最大のポイントは、「逃げ場」が無いと子供には感じられていることではないか、ということ。(上記の図書館は、その逃げ場として有効だろう。ただ、周囲の大人がそれを理解し、賛同してくれる必要がある。これは社会的運動に発展する可能性もあるのではないか。)
3)友人関係とは、子供社会における「日常の政治」でもあり、政治的交渉や立ち回りの苦手な子がいじめ被害者になる、ということ。つまり、弱者だから、ではなく、強者であっても、集団化したいじめに対抗するのは困難だ、ということ。いじめ被害者への「強くなれ」という言葉は、概括的すぎる嫌いがあり、また、個人的努力を過信しすぎた言葉ではないか。もっと、集団システムとしての抑止政策が必要。つまり、「学校そのもの」を根本から変えることが、いじめ問題解決だけでなく、子供の幸福のために必要ではないか。

この3)に関して、少し前に書いた「夢の高校」を現実的に考察してみたい、と考えている。

つまり、「夢の高校」は学校から逃げる必要性を無くすという根本的解決策、「アジール(避難場所)としての市民図書館」は、現段階での緊急避難的な解決策、ということである。


(以下引用)


番組では鎌倉市図書館のTwitterアカウントがイジメに悩んでいる子どもたちに向けたツイートを紹介し、新学期が始まるにあたってのイジメや自殺問題について取り上げた。

その中で内閣府の調査として、1972年~2013年までの18歳以下の自殺者が、年間でもっとも多い日付が9月1日であることを紹介した。



VTR後に松本人志は、自身がイジメを受けていたわけでも、友達がいなかったわけでもないとしたうえで「8月の終わりからブルーになる」と、学生時代を振り返りながら一定の理解を示していた。

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それだけで人生は生きるに値します。

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