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「象徴」としてのナポレオン

昨日も書いた中野剛志の「国力について」は、書かれたことに異論を持つこともあるが、私の気づかなかったことを気づかせる「啓発的」な記述も多い。
たとえば、次の一文などは、誰も指摘しなかったことではないだろうか。

例えば、フランス革命は、民主主義と同時に、フランスのナショナリズムを産み落とした。(同書118頁)

実は、これ(民主主義ナショナリズム)がナポレオンの「勝利の秘密」だった、というのが私の推定だ。
フランスが敵対した国々の軍隊は基本的に「傭兵」と同じ性質(兵士の個人的利益のために戦う軍隊)だったのに対し、フランス軍は「国民軍」であり、国家の利益のため、つまり「自分たち全体」のために戦ったのである。当然、前者は自分の命を守ることが最優先(戦闘後に生き残れば褒賞が得られる。つまり、戦闘では逃げ回るのが賢明)であり、後者は戦闘での自軍の勝利が最優先になる。どちらが強いかは自明だろう。
そして、兵士たちは、自分たちがなぜ勝てるのかの理由を知らないから、それは「戦闘を指揮していたナポレオンが優秀だからだろう」ということになる。また兵士自身がそう信じることで軍隊はさらに力を得るのである。「俺たちはナポレオンが指揮しているから負けるはずがない」となるわけだ。
これが、前回書いた「象徴の力」である。ナポレオンは誕生したばかりの「国民国家」の象徴だったのである。だから彼はどんどん出世してしまいには皇帝にまでなったわけだ。そして自分の力を過信したナポレオンは無意味なロシア遠征(「自国防衛の戦争」ではないから兵士たちには特に無意味であった。)を行い、その敗北で象徴としての力を失ったのである。

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国民と国家と国民統合の「象徴」

「ナショナリスト」には「国民主義」と「国家主義」のふたつの意味があると前に書いたが、その両者は重なっている、という、当たり前といえば当たり前の論説を、これも新古書店で買って流し読みしている中野剛志の「国力とは何か」の中で述べている。やや怪しげな(つまり、納得しがたい)論説部分もある。これも当たり前だ。すべて自分と同じ考えなら他人の書いた本を読む意義はない。


引用部分は、「天皇」という存在の意味(あるいは「民主主義の根本的曖昧さ」)についての、あまりほかの人が言わない説明で、私はほぼ同感だが、反天皇主義者が頭の毛を逆立てそうな内容かもしれない。

(以下引用) 

民主国家では、国民主権といって、国民があらゆる政治的意志決定を行うとされる。しかし、国家そのものまでも、民主的に創設できるわけではない。それはなぜか。主権者である国民の範囲を、国民が民主的に決定することができないからなのである。
国民主権が成立するためには、あらかじめ、誰が主権者の国民であるかが決まっていなければならない。しかし、誰が国民であるかを国民が民主的に決めることは、論理的に不可能である。誰が国民であるのかを決めるのは、国家の境界線である。つまり、「はじめに国家ありき」なのである。
国民の範囲は、民主的に決めることができないのであるなら、それは非民主的な手続きによって決められなければならない。非民主的な決定方法の一つは、暴力によるものである。(中略)国民の境界線が民主的に引くことができず、暴力的に決めるのが望ましくないのであれば、権威主義的に、すなわち人々に有無を言わせず決めるしかない。だから国家には「権威」が必要になる。
権威は「象徴」という目に見えるような形で表現される。国家は「象徴」が人々の心理に及ぼす力を利用して、人々に国家の権威をイメージさせ、受け入れさせるのである。こうして国家は象徴の力を利用して、人々を統合するのである。国家が国旗や国歌といった象徴をもち、象徴的な儀式を国事行為として執り行うのは、そのためである。
日本国憲法にも、第一条において、天皇は国民統合の「象徴」であると書いてある。それは、天皇が実体のない単なるお飾りだということではない。国民を統合する力の源泉が「象徴」であり、それが日本の場合は天皇であるということである。
もっとわかりやすい例を挙げよう。戦争において勝利した国は、しばしば敗戦国の建国者の銅像を引き倒したり、国旗を焼き払ったり、国家宗教の神殿を破壊したりする。それは、その国を徹底的に滅ぼすために、その国をまとめる力をもつ「象徴」を破壊する必要があるからなのである。


     中野剛志「国力とは何か」(副題「経済ナショナリズムの理論と政策」)より

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お米がなければ小麦を食べればいいじゃない

未だに、去年から今年のコメ価格の異常高騰の「犯人」は不明だが、その推理の手がかりは江戸時代のコメの先物取引にあるかと思う。つまり、流通予測される数量のコメの大半を誰かが買い占めたということだ。それくらいのカネを持つ超富豪はDSはもちろん、日本の中にもいるだろう。あるいは、政府そのものが犯人だという可能性もある。
だが、この「犯行」は、大損に終わる可能性がある。それは、少し前のトマトやレタスの異常高値を見ればよい。それらが異常な高値になった結果、その高値で買った人はおそらく少数で、大多数はトマトやレタスを食べなくなったはずである。そして今、レタスが1個100円という安値でも、さほど買う人はなく、レタスは棚の上でしおれ、廃棄されている。トマトも同様だ。
つまり、食料品(特に生鮮品)を投機対象にするリスクは大きいということである。消費者はもちろん、投機者も誰も得しない。これから市場に出てくるコメは、最初から古米か古古米である可能性が高いと思う。

(以下引用)

前回の続きになります。


 


 


 


 


徳川吉宗は、幕藩体制の中核に位置する「」の価格安定のため、大坂に存在した「ある重要な市場」を公認することになりましたが、この市場とは何か


 


 


 


ということでした


 


 


 


 


 


答えは、大坂堂島米市場です。


 


 


 


 


1730(享保15)年、江戸幕府は堂島米市場における「空米取引(からまいとりひき)」を公認します。


 


 


 


空米取引」とは、米相場(相場とは、市場で取引される品物の値段のこと)を利用した先物取引(さきものとりひき)のことです。


 


 


 


先物取引とは、「現時点では存在しない商品(近い未来に存在する商品)」を売ったり、買ったりする商取引のことです。


 


 


 


米における先物取引では、現物の米を取引するのではなく、米相場の変動の結果生ずる取引代金の差額のみが決済されます。


 


 


 


現物の米の売り買いを伴わない帳簿の上だけの取引であるので、空米取引帳合米取引(ちょうあいまいとりひき)とも言う】と呼ばれたのです。


 


 


 


難関大学受験の際には、知っておいてよい用語になります。


 


 


 


 


空米取引は、純然たる投機目的(将来の価格の変動を予想して、現在の価格との差額を利得する目的で行われる売買)としても利用されたのですが、堂島米市場での現物取引である正米取引(しょうまいとりひき)に対する一種の保険としても盛んに利用されていました。


 


 


 


 


 


例えば、


 


 


 


 


 


米を売る側が、「米10㎏を5,000円で売る」という約束のもとに、購入者と売買契約を結んだとします。


 


 


 


 


しかし米の大豊作によって、米の実際の取引価格が「米10㎏で1,000円」となってしまったとしても、「米10㎏を5,000円」で売るという契約が結ばれていますので、米を売る側は収入を確保することができます。


 


 


 


 


また米を購入する側にとって、「米10㎏を5,000円で買う」という契約をしておいた場合、もしも大凶作で「米10㎏が20,000円」と高騰してしまった際でも、「米10㎏を5,000円」で購入することができるわけですから、米を高値で購入するというリスクを回避することが可能となります。


 


 


 


 


このように、米価変動に伴う現物取引での損失を回避することができたので、空米取引は信用の高い取引として、実に利用価値の高いものとなりました。


 


 


 


 


 


当時の社会は米経済でしたので、米の取引における安心・安全を提供してくれる堂島米市場の利用価値は上昇し、米の取引が盛んに行われるようになりました。


 


 


 


 


こうして米の需要が高まり、米価が高値をつけるようになっていくのです。


 


 


 


 


幕府が空米取引を公認した最大の理由は、まさにこの点にありました。


 


 


 


 


つまり、幕府が空米取引を公認したことにより、米取引の需要が増大し、米価が高値になるという方法を考案したのです。


 


 


 


 


 


米価上昇に関する方策として、幕府は様々な方法を考案しています。


 


 


 


 


高埜利彦『日本の歴史元禄・享保の時代』集英社 1992年」


 


 


 


 


を参考にすると、次のように記述されています。


 


 


 


 


1730(享保15)年、幕府は年貢米60万石を籾(もみ)のまま貯蔵して、60万石を米市場から購入し、さらに諸大名や大坂の商人にも同様の方法を勧めて米の需要を高めさせた。」


 


 


 


つまり、市中に出回る米の量を減少させることによって、米の価値(需要)を高め、米価の上昇を図ったのです。


 


 


 


 


さらには、「酒造を積極的に奨励する」という政策も実施しています。


 


 


 


酒(日本酒)造には、大量の米が必要とされます。


 


 


 


 


米の需要を高めることによって、米価の引き上げを意図したわけです。


 


 


 


 


 


米価が下落してしまえば、せっかく増徴した年貢米も低い価格で換金されてしまうことになり、増収は見込めなくなってしまいます


 


 


 


 


これは幕府だけではなく、武士階級にある者にとって同様に頭の痛い大問題だったわけです


 


 


 


 


そこで幕府は、米の流通機構の整備・介入を積極的に行うことで、米価の高値維持を図ったのです。


 


 


 


 


諸色(米以外の商品)に対する需要の増大が、諸色の価値を高め、価格の高騰につながりました。


 


 


 


この経済状況を憂慮した幕府によって、米の価値を高める政策がとられました。


 


 


 


 


 


幕藩体制と呼ばれた江戸時代のシステムは、石高制に基づいた支配体制でした。


 


 


 


石高とは、「土地評価を米の生産高で示す」というものです。


 


 


 


農民は石高によって租税を負担し、幕府や諸藩の領地や俸禄の規模なども全て、この石高で示されたのです。


 


 


 


つまり、石高制は江戸時代維持における根幹であり、米経済を継続していくためには、米価の低下は何としても避けなければならない事態でした。


 


 


 


 


米価低下によって、石高制が否定されてしまう事態が発生した場合、江戸幕府の存続は極めて難しくなってしまうからでした。


 


 


 


 


だからこそ❢ 米将軍と称された徳川吉宗は、常に米価に気を配っていたのです。


 


 


 


 


江戸幕府の支配体制の根幹を崩壊させまいとする焦燥感であり、危機感が背景にあったのでしょう。


 


 


 


 


米価の安定は、武家政権としての江戸幕府の支配の安定に直結していたのでした。


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クルド人の受難(闘争)の歴史の「理由」は何か

松岡正剛の「千夜千冊」記事の一節で、クルド人問題についてのひとつの断面的知識(主観的見方かもしれない)を与える意義はありそうである。
私はむしろ、なぜクルド人がこれほど弾圧されてきたかが不思議である。それがひとつの国家によってではなく、複数の国家によってだ。それは、彼らが「自分が今居る国家への帰属を断固として拒否してきた」結果なのではないか。それを「クルド人気質」とするなら、今、日本にいるクルド人たちはその気質を捨てたのか、それとも温存しつつ隠しているのか。まあ、これ(気質論)は私の推測でしかない。当然、このような論は差別の温床になるが、それでは「クルド人の受難の歴史」には、どのような理由や根拠があるのだろうか。既存の情報は真実を教えてくれるだろうか。

(以下引用)後で、ウィキペディアを参照して載せるかもしれない。

 本書では、国家と犯罪というテーマが二つの面で解剖されている。ひとつは「国家に対する犯罪」で、もうひとつは「国家による犯罪」だ。
 そこで、本書では6章にわたって各地の内乱と弾圧、ゲリラと内戦、突破と虐殺、陰謀と陽謀などの錯綜した関係がとりあげられている。いずれも壮絶な現代史が内部から描かれているとともに、その矛盾と限界、希望と宿命とが掘り下げられている。そういう地域に行ったこともないぼくにとっては、まさに目をみはる現代史なのである。
 たとえばクルド人の希望と宿命というものがある。
 1925年と1930年にクルド人は武装蜂起したが、トルコ軍によって容赦なく鎮圧されて、アララット山麓が血で染まった。その後、1946年にイラン西部のクルド人の聖地マハバードで、かれらの手によってクルディスタン共和国という“幻の共和国”が樹立された。まさに希望の国だった。けれども、これはたった11カ月でイラン軍に倒壊され、指導者は公開処刑された。
 クルド人への弾圧は続く。1988年、ハラブジャブ地方で毒ガスによる住民虐殺がおこった。死者5000人、負傷者10000人にのぼった。これはイタリア軍によるものだった。ごく最近ではサダム・フセインによるクルド地域の弾圧がある。クルド人の難民はこれで引き金をひかれたわけである。
 このようなクルド人の希望を、各国の政府や軍部はひとしく「国家に対する犯罪」とみなしている。
 しかし、これらは実は「国家による犯罪」でもあるのだというのが、船戸与一の判断であり、その証拠列挙の調査の心なのである。

(引用2)


クルディスタンと呼ばれる地域はトルコ、イラク、イラン、シリアの国境を越えて存在する[18]。トルコでは共和国の建国時からトルコ・クルド紛争が続いている[11]。トルコのクルド人は、トルコ政府によってクルド語の出版・放送の禁止、法廷や役所など公的な場所でのクルド語の使用禁止、クルド語の地名のトルコ語への変更、「山岳トルコ人」という名称などの抑圧を受けてきた歴史がある[注釈 10][12]



1990年代以降、トルコ系クルド人がJR蕨駅を中心とした地域に定住し始め、その多くが、在留許可を持たない非正規滞在の状態で、地方自治体により実態の把握がなされないまま暮らしていた[33]。ある支援者[注釈 11]によれば、1980年代から日本に暮らしていたイラン国籍のクルド人クルド語版を頼って90年代に渡日したトルコ系クルド人が[35]、東京に近く生活費が比較的安価な埼玉県川口市蕨市に住むようになったとされる[注釈 12]。また90年代のトルコ南東部ではクルド人への弾圧が強まっており[注釈 13]、また日本がトルコともビザ免除協定を結んだため、この制度を利用して来日する例が多かった。[37][注釈 14]

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ヒトラーの「ユダヤ人迫害」の謎

ヒトラーはなぜユダヤ人を迫害したのか。ナチスを大きくするための「目の前の敵」を作るというのは分かるが、問題はその際、どういう「理由」を付けたのかだ。
ネットで調べても、それについて明確な記述をした記事はない。せいぜいが「アーリア人種の血を汚す『汚れた血』である」としたくらいだ。あるいは、第一次大戦での敗北はユダヤ人のせいだ、という記述も「我が闘争」にあったとかすかに記憶しているが、そこでも、それがなぜユダヤ人のせいだと言えるのかの説明は無かったと思う。
つまり、これほど曖昧な根拠でドイツ国民はユダヤ人迫害に熱狂したのである。
その迫害は市井の小さな金貸しには向けられても、大資本家には向かなかった。あるいは大金融業、つまり銀行には向かなかったのである。たとえば、ナチスが「代表的ユダヤ資本家・銀行家」のロスチャイルドを敵視しただろうか。そこにドイツ国民はまったく疑問を抱かなかったのだろうか。イギリス政府、あるいは英国自体も最初はナチスに友好的だったのだ。
そういう「なぜユダヤ人はヒトラーに迫害されたか」の資料すらなく、あるいは廃棄されているというのが、現在のユダ金DSの世界支配の基になっていないか。
アメリカでイスラエルのガザ虐殺を批判した人々が「反ユダヤ主義」だとして逮捕され大学や職を追われているのである。つまり、かつての「ユダヤ人迫害」の歴史が巧妙にシオニストやその背後のユダ金に利用されているわけだ。
私はヒトラー自体がユダ金DSの手ごまだったとすら考えている。つまり、ヒトラーの最後の突拍子もないソ連進撃こそがナチスの真の狙い、政治目標だったということだ。それは「共産主義」の撲滅という目的である。だからこそ、ナチスの子孫であるデア・ライエンなどがEUの統領的存在になっているのである。西側国家のウクライナ戦争の真の目的もソ連の後継者としてのロシアの撲滅だろう。
(マルクス自体がDSの手下だったという説もあり、そうすると、「共産主義」というのは、世界を戦争させ(スクラップし)金儲けをする(ビルトする)ための口実だ、となる。ベトナム戦争という、アメリカには無関係な国の争いに米国がしゃしゃり出て無様な姿をさらした理由も、それで明白になる。それを「ドミノ理論(共産国拡大を防ぐため)」とか事々しく言っても、馬鹿さは変わらない。その後共産国化した国はまったく存在しない。すべては「言葉、言葉、言葉!」である。)

(以下引用)

第一次世界大戦で敗戦国となったドイツは、街が荒廃し、経済も不安定な状態にあった。それに加えて、連合国とドイツはヴェルサイユ条約を締結。ドイツが支払うべき1320億マルクもの賠償金が決まり、その負債がドイツに重くのしかかったのだ。

これに追い打ちをかけたのが、1929年から始まった世界恐慌だ。失業者がさらに増え、人々の間では不満や不安が募っていったのだ。そのようななかで人々から支持を集めて誕生したのがナチスドイツであり、「この原因はユダヤ人だ」と、人々の憎しみをあおったのだ。

ヒトラーがなぜ、これほどまでにユダヤ人に憎しみを抱いていたのかは不明だが、若いころから反ユダヤ人思想に触れていたことがきっかけのひとつだったのではないかと指摘されている。




第一次世界大戦で敗戦国となったドイツは、街が荒廃し、経済も不安定な状態にあった。それに加えて、連合国とドイツはヴェルサイユ条約を締結。ドイツが支払うべき1320億マルクもの賠償金が決まり、その負債がドイツに重くのしかかったのだ。

これに追い打ちをかけたのが、1929年から始まった世界恐慌だ。失業者がさらに増え、人々の間では不満や不安が募っていったのだ。そのようななかで人々から支持を集めて誕生したのがナチスドイツであり、「この原因はユダヤ人だ」と、人々の憎しみをあおったのだ。

ヒトラーがなぜ、これほどまでにユダヤ人に憎しみを抱いていたのかは不明だが、若いころから反ユダヤ人思想に触れていたことがきっかけのひとつだったのではないかと指摘されている。

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アメリカのインフレ、日本のデフレの意味

経済の記事だが、同内容の記事を「徽宗皇帝のブログ」に載せたし、素人にも分かりやすい内容なのでこの「雑談ブログ」に載せる。まあ、茶飲み話をするつもりで読めばいい。
トランプ、もっとやれ、アメリカを破滅させろ!! www 

(何度も言うが、アメリカの破滅は日本の独立の最後のチャンスである。なお、日本のデフレとは「物価下落」であり、庶民には喜ぶべきことなのである。マスコミはデフレを悪としているが、それは「独占的大企業」に都合が悪いからだ。まともな資本主義なら企業間競争で物価は下落するか低値安定する。)

(以下増田俊男のブログから転載)



<時事直言>アメリカの製造業と労働者の為のトランプ関税の真相 


トランプの価値観は、「貿易赤字はアメリカにとって悪である」。
レーガン大統領が掲げた「脱工業主義」が功を奏して今日のアメリカの経済体質は過剰需要、過少供給のインフレ体質である。
正反対に日本や中国の経済体質はデフレ体質である。
アメリカの貿易赤字はアメリカの経済体質に起因しているのである。
アメリカは需要に対して供給過少だから国民が生活するには輸入に頼らざるを得ないのである。
トランプが貿易赤字を目の敵にし、その原因を貿易相手国の責任として関税を課すのは見当違いなのである。
アメリカは、トランプ関税による輸入減でモノとサービスの供給が減少すると、供給力に余裕のないアメリカはインフレになる。
トランプ関税で輸出減になり、モノとサービスの供給がだぶつくと需要に限界がある日本や中国はデフレになる。
供給に限界があるアメリカは輸入コストが高くても必要最低限度の輸入をせざるを得ないが、十分供給を増やすことが出来ないのでインフレが加速する。
インフレを防ぎ、十分な供給を増やす為には海外の生産拠点をアメリカに移す必要がある。
トランプ関税による輸出減で供給がだぶつく日本や中国は余剰供給を解消し、デフレを防ぐ為には内需拡大で需要を増やさなくてはならない。
日本や中国は自国の意志で内需拡大政策を採れるが、アメリカは自国の意志で海外の生産拠点をアメリカに移行させることは出来ない。
トランプ関税の狙いは海外生産拠点のアメリカへの移行を強制する為である。
計算上は海外の生産拠点がアメリカに移行された分だけ貿易赤字が減ることになるが、実際には「そうは問屋が卸さない」。
トランプの支持者である低所得者が必要としている3万ドル以下の大衆車は、トヨタのカローラを例外としてすべて輸入車である。
米国内のトヨタを除くいかなる自動車メーカーも又これからアメリカへ生産拠点が移るとされるメーカーもアメリカで製造すれば赤字が出ることが決まっているので3万ドル以下の自動車をアメリカでは製造することはない。
輸入車に高関税をかければ、関税前の3万ドル車は37,000ドルになり低所得者は買えなくなる。
カローラはアッと言う間に売り切れてアメリカに3万ドル以下の車が無くなる。
日本でもアメリカでも製造される自動車の75‐80%は約3万点の部品で出来ている。
日本でもアメリカでも自動車メーカーは部品のほとんどはいろんな国からの輸入に頼っている。
アメリカへの輸入車だけでなく輸入部品にも25%の関税をかけるのだから3万ドル以上の車のコストは上がり、米国車の競争力は落ち、消費者は必要な車が買えず泣く!
アメ車がアメリカで売れるには労働者の賃金を下げるしかなくなる。
トランプは関税で世界の首脳に頭を下げさせる為にアメリカの消費者と製造業を犠牲にしているのである。
「言うこととやることが正反対」、それがトランプである。


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「寡頭制=民主主義」という錯覚

現代のほとんどの国が「偽装民主主義」であることは言うまでもないだろう。では、それはどういう政治体制下と言うと、「寡頭制」という名称がある。しかし、この言い方は、それが「非民主主義」であり「グループによる独裁」であることを人々の目から隠している。つまり、世間一般は「独裁制でなければ民主主義」という錯覚に落とし込まれているのである。

(以下引用)赤字は夢人による強調。


寡頭制(かとうせい、寡頭政治ὀλῐγ-αρχία)とは、を支配する権力が少数の人や政党、つまり寡頭に握られる政治体制のことを指す。


寡頭の権力はその「数」と緊密的に繋がり、寡頭の総数が多ければ多いほど、各寡頭の権力は小さくなる[1][2][3]団体独裁とも言い、権力者が2名の場合は二頭政治、3名の場合は三頭政治、4名の場合はテトラルキアとも言う。少数側の寡頭が支配層になるため、独裁制の一種とみなされる。対比語は民主制多頭制など、いわゆる多数側の国民が支配層となる制度。


ほとんどの場合には、寡頭は国家の表に顕われることが無く、政府の裏側で暗躍しながら君主制共和制議会制民主制などの皮をかぶって政治を行う[4]。寡頭の存在を支持する社会ダーウィン主義ポピュリズムなどの理論によれば「どんな制度でも最終的に寡頭制になってしまい、それは独裁制であろうとも民主制であろうとも関係ない。独裁制の場合には数人のみで国を支配し、民主制の場合には二大政党のみで国を支配する」と主張している[5]

語源

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権力を握っている少数の人々は、財産軍事力家系人脈・冷酷さ、あるいは政治的影響力の面で優越していることが多い。「oligarchy(寡頭制)」という言葉はもともとギリシア語で、「oligo(少数)」と「arkhos(支配)」から成る(オリガルヒの語源でもある)。


少数の力のある家系が政権を支配し、その子供たちが政権の後継者になるよう育てられ、訓練される、ということが寡頭制ではよく見られる。貴族制(語源的には「最上の者による支配」)とは異なり、こうした権力は公開的には行使されず、支配者は「影の権力」にとどまることを好み、経済的手段で支配を行う。アリストテレスはこの用語を、「豊かな者による支配」と同義語として使用したが、寡頭制は富裕な者の支配による必要はなく、単に特権を持った集団による支配であればよい(正確には、豊かな者による支配は、「金権政治 (plutocracy)」の用語が使用される)。

寡頭制の発生

[編集]

寡頭制による国家制度は、王政ローマ共和政ローマにおける元老院が有名である。


互いに戦う部族の族長たちが次第に連合を組むことで、社会は自然と寡頭制的になってゆく。またあらゆる政体の政府はその成長の過程で寡頭制に変化してゆくことがある。もっともありうる寡頭制への変化のメカニズムは、外部からのチェックを受けない経済的な力が次第に集積してゆくことによるものだろう。ポリュビオスほか多くのギリシアの思想家は、貴族制が堕落することで寡頭制になると考えていた。寡頭制は、少数支配する家系のうちの一家が他の家族に対して優越的な力をもつ結果、より古典的な権威主義的政体へと変化してゆくこともある。ヨーロッパ中世後期に成立した君主の多くはこのように成立した。


(中略)


なお、名目上は民主的共和制であっても、選挙制度や法制度、不正選挙等の要因により実質的には寡頭制の性格を帯びることもある。全国民に投票権がありながらも、特定の者への投票を事実上強制されるなど不正選挙が横行している国や、選挙制度が極端に歪んだ国などは、事実上の寡頭共和制といえる。

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