「ナショナリスト」には「国民主義」と「国家主義」のふたつの意味があると前に書いたが、その両者は重なっている、という、当たり前といえば当たり前の論説を、これも新古書店で買って流し読みしている中野剛志の「国力とは何か」の中で述べている。やや怪しげな(つまり、納得しがたい)論説部分もある。これも当たり前だ。すべて自分と同じ考えなら他人の書いた本を読む意義はない。
引用部分は、「天皇」という存在の意味(あるいは「民主主義の根本的曖昧さ」)についての、あまりほかの人が言わない説明で、私はほぼ同感だが、反天皇主義者が頭の毛を逆立てそうな内容かもしれない。
(以下引用)
民主国家では、国民主権といって、国民があらゆる政治的意志決定を行うとされる。しかし、国家そのものまでも、民主的に創設できるわけではない。それはなぜか。主権者である国民の範囲を、国民が民主的に決定することができないからなのである。
国民主権が成立するためには、あらかじめ、誰が主権者の国民であるかが決まっていなければならない。しかし、誰が国民であるかを国民が民主的に決めることは、論理的に不可能である。誰が国民であるのかを決めるのは、国家の境界線である。つまり、「はじめに国家ありき」なのである。
国民の範囲は、民主的に決めることができないのであるなら、それは非民主的な手続きによって決められなければならない。非民主的な決定方法の一つは、暴力によるものである。(中略)国民の境界線が民主的に引くことができず、暴力的に決めるのが望ましくないのであれば、権威主義的に、すなわち人々に有無を言わせず決めるしかない。だから国家には「権威」が必要になる。
権威は「象徴」という目に見えるような形で表現される。国家は「象徴」が人々の心理に及ぼす力を利用して、人々に国家の権威をイメージさせ、受け入れさせるのである。こうして国家は象徴の力を利用して、人々を統合するのである。国家が国旗や国歌といった象徴をもち、象徴的な儀式を国事行為として執り行うのは、そのためである。
日本国憲法にも、第一条において、天皇は国民統合の「象徴」であると書いてある。それは、天皇が実体のない単なるお飾りだということではない。国民を統合する力の源泉が「象徴」であり、それが日本の場合は天皇であるということである。
もっとわかりやすい例を挙げよう。戦争において勝利した国は、しばしば敗戦国の建国者の銅像を引き倒したり、国旗を焼き払ったり、国家宗教の神殿を破壊したりする。それは、その国を徹底的に滅ぼすために、その国をまとめる力をもつ「象徴」を破壊する必要があるからなのである。
中野剛志「国力とは何か」(副題「経済ナショナリズムの理論と政策」)より
引用部分は、「天皇」という存在の意味(あるいは「民主主義の根本的曖昧さ」)についての、あまりほかの人が言わない説明で、私はほぼ同感だが、反天皇主義者が頭の毛を逆立てそうな内容かもしれない。
(以下引用)
民主国家では、国民主権といって、国民があらゆる政治的意志決定を行うとされる。しかし、国家そのものまでも、民主的に創設できるわけではない。それはなぜか。主権者である国民の範囲を、国民が民主的に決定することができないからなのである。
国民主権が成立するためには、あらかじめ、誰が主権者の国民であるかが決まっていなければならない。しかし、誰が国民であるかを国民が民主的に決めることは、論理的に不可能である。誰が国民であるのかを決めるのは、国家の境界線である。つまり、「はじめに国家ありき」なのである。
国民の範囲は、民主的に決めることができないのであるなら、それは非民主的な手続きによって決められなければならない。非民主的な決定方法の一つは、暴力によるものである。(中略)国民の境界線が民主的に引くことができず、暴力的に決めるのが望ましくないのであれば、権威主義的に、すなわち人々に有無を言わせず決めるしかない。だから国家には「権威」が必要になる。
権威は「象徴」という目に見えるような形で表現される。国家は「象徴」が人々の心理に及ぼす力を利用して、人々に国家の権威をイメージさせ、受け入れさせるのである。こうして国家は象徴の力を利用して、人々を統合するのである。国家が国旗や国歌といった象徴をもち、象徴的な儀式を国事行為として執り行うのは、そのためである。
日本国憲法にも、第一条において、天皇は国民統合の「象徴」であると書いてある。それは、天皇が実体のない単なるお飾りだということではない。国民を統合する力の源泉が「象徴」であり、それが日本の場合は天皇であるということである。
もっとわかりやすい例を挙げよう。戦争において勝利した国は、しばしば敗戦国の建国者の銅像を引き倒したり、国旗を焼き払ったり、国家宗教の神殿を破壊したりする。それは、その国を徹底的に滅ぼすために、その国をまとめる力をもつ「象徴」を破壊する必要があるからなのである。
中野剛志「国力とは何か」(副題「経済ナショナリズムの理論と政策」)より
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