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「極楽往生」の馬鹿馬鹿しさ

下に引用するのは杉浦明平解説「歎異抄」の中の杉浦氏自身の言葉だが、私が「極楽」あるいは「極楽往生」に関して大昔から抱いている疑問でもある。

(以下引用)「往生要集」は源信(浄土宗の精神的開祖)の、「教行信証」は親鸞の著。赤字は夢人による強調。

しかもさきにふれた地獄の描写において、あれほどヴィヴィッドだった『往生要集』ですら、極楽の描写に至ると、何とうんざりするほどの退屈さに終始することか。もし成仏しても金ピカの光の中で何の変化も激動もなく、激情を燃やすチャンスもない極楽の蓮の花の上に何兆年も何京年もすわっていなければならぬとしたら、何で念仏を唱えて極楽往生しなければならぬのか、わからない。『教行信証』にも、地球上の時間とはかけ離れて長い年月をあらわす数字がいたるところに並べられていて、リアルな感覚ではついてゆけず、あほらしくなったことをおぼえている。

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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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