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悟ること

私の解釈では、「涅槃」とは「あの世」ではなく、現世において「悟りを得た状態」のことである。
「般若心経」の次の一節がそれだ。

(菩提薩埵 依般若波羅蜜多故) 心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃


この「心にわだかまり(罣礙)がない」。だから「恐怖もない」。「すべての転倒や夢想を遠離して」「涅槃に至る」というのが要するに「普通の人間が」「悟りを得る」ということである。

その意味では「禅宗」が一番、仏教の本旨に近いと言える。禅宗とは心のわだかまりを捨て去る修行のことだからだ。いわゆる禅問答は、「合理的思考」という、人間の一種の宿痾を切断する手段である。座禅など、実質的にはほとんど無意味だろう。行住坐臥、すべてが悟りに至る道であり機縁である。いや、機縁が熟していればほんの一瞬で悟りに至るだろう。たとえば、最初に書いた「心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃」だけでも十分だ。

では悟りとは何か。

「柳は緑、花は紅」をそのまま認知することである。我々が生きていくうちに精神に絡まった網を切り捨てることである。

仏教を煎じ詰めればそれだけのことだ。だから宗教ではなく哲学だと言うのである。

念のために言えば、悟りを得ても賢くもならないし有能にもならない。弱点や欠点はもとのままだ。たいていは田夫野人のままである。だが、たいていは機嫌のいい人間になる。当たり前である。心にわだかまりがないのだから機嫌がいいに決まっている。仏教と無縁でもそういう「生来、悟っている」人間は多いだろう。世界を、つまりほとんどの物事を肯定し受け入れるから、攻撃性や暴力性とは無縁で邪気が少ない。たとえば「白痴」のムイシュキンや「カラマーゾフの兄弟」のアリョーシャのようなものだ。



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