私はむしろ、なぜクルド人がこれほど弾圧されてきたかが不思議である。それがひとつの国家によってではなく、複数の国家によってだ。それは、彼らが「自分が今居る国家への帰属を断固として拒否してきた」結果なのではないか。それを「クルド人気質」とするなら、今、日本にいるクルド人たちはその気質を捨てたのか、それとも温存しつつ隠しているのか。まあ、これ(気質論)は私の推測でしかない。当然、このような論は差別の温床になるが、それでは「クルド人の受難の歴史」には、どのような理由や根拠があるのだろうか。既存の情報は真実を教えてくれるだろうか。
(以下引用)後で、ウィキペディアを参照して載せるかもしれない。
本書では、国家と犯罪というテーマが二つの面で解剖されている。ひとつは「国家に対する犯罪」で、もうひとつは「国家による犯罪」だ。
そこで、本書では6章にわたって各地の内乱と弾圧、ゲリラと内戦、突破と虐殺、陰謀と陽謀などの錯綜した関係がとりあげられている。いずれも壮絶な現代史が内部から描かれているとともに、その矛盾と限界、希望と宿命とが掘り下げられている。そういう地域に行ったこともないぼくにとっては、まさに目をみはる現代史なのである。
たとえばクルド人の希望と宿命というものがある。
1925年と1930年にクルド人は武装蜂起したが、トルコ軍によって容赦なく鎮圧されて、アララット山麓が血で染まった。その後、1946年にイラン西部のクルド人の聖地マハバードで、かれらの手によってクルディスタン共和国という“幻の共和国”が樹立された。まさに希望の国だった。けれども、これはたった11カ月でイラン軍に倒壊され、指導者は公開処刑された。
クルド人への弾圧は続く。1988年、ハラブジャブ地方で毒ガスによる住民虐殺がおこった。死者5000人、負傷者10000人にのぼった。これはイタリア軍によるものだった。ごく最近ではサダム・フセインによるクルド地域の弾圧がある。クルド人の難民はこれで引き金をひかれたわけである。
このようなクルド人の希望を、各国の政府や軍部はひとしく「国家に対する犯罪」とみなしている。
しかし、これらは実は「国家による犯罪」でもあるのだというのが、船戸与一の判断であり、その証拠列挙の調査の心なのである。
(引用2)
クルディスタンと呼ばれる地域はトルコ、イラク、イラン、シリアの国境を越えて存在する[18]。トルコでは共和国の建国時からトルコ・クルド紛争が続いている[11]。トルコのクルド人は、トルコ政府によってクルド語の出版・放送の禁止、法廷や役所など公的な場所でのクルド語の使用禁止、クルド語の地名のトルコ語への変更、「山岳トルコ人」という名称などの抑圧を受けてきた歴史がある[注釈 10][12]。
1990年代以降、トルコ系クルド人がJR蕨駅を中心とした地域に定住し始め、その多くが、在留許可を持たない非正規滞在の状態で、地方自治体により実態の把握がなされないまま暮らしていた[33]。ある支援者[注釈 11]によれば、1980年代から日本に暮らしていたイラン国籍のクルド人を頼って90年代に渡日したトルコ系クルド人が[35]、東京に近く生活費が比較的安価な埼玉県川口市や蕨市に住むようになったとされる[注釈 12]。また90年代のトルコ南東部ではクルド人への弾圧が強まっており[注釈 13]、また日本がトルコともビザ免除協定を結んだため、この制度を利用して来日する例が多かった。[37][注釈 14]。