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「法の支配」原則と第二次安倍政権による法の無視

「混沌堂主人雑記」から引用記事の後半の読みやすく分かりやすい部分を転載する。ただ、記事前半との関連で分かりにくい部分も当然ある。もちろん、記事前半も面白いのだが、後半のほうが具体的で読みやすいというだけだ。特にここに引用した部分は、「安倍政権の何が日本社会を壊滅的状況にしたか」が分かりやすく書かれている。今でも安倍政権を支持する馬鹿は熟読するといい。

(以下引用)記事筆者は法曹(裁判官)経験の長い人のようだ。


『現代日本人の法意識』第8章でも述べたとおり、第二期安倍政権時代以降の自民党、また政治全般の問題の中核にあるのが、「人の支配の横行」と「手続的正義の原理の無視」である。安倍政権における「人の支配」は目に余るものだった。また、内閣法制局長官について最高裁判事任命という栄転のかたちで更迭し、後任については内部昇格の慣例を破って外務官僚(小松一郎氏。第一期安倍内閣時代に、外務省国際法局長として、集団的自衛権の行使をめぐる「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」の立案・実務にたずさわった人物)を採用する異例の強引な人事を行った上で、本来憲法改正によるべき集団的自衛権の行使認容を閣議で決定し、各種の関連立法を強行採決したのは、「手続的正義の原理の徹底的な無視」であった。
また、世論やメディアが、そのような政治の横暴を厳しく批判することなくずるずると許容してしまい、あまつさえ、先のような専横の政治について、「強いリーダーシップ」と賞賛する声さえ相当に強くあったという事実は、まことに残念ながら、日本人の法意識の未熟さを端的に示すものというほかないであろう。
人とムラとオキテの支配、無意味な規則、
空洞化する制度
それでは実際に日本社会を規定している原則は何かといえば、前記のとおり、「法の支配」よりも「人の支配」であり、部分社会である「ムラ、タコツボ」における暗黙の「オキテ」なのではないかと思われる。日本人は、現実には、多くの場合、「法」に従って行動しているのではなく、法の内側に引かれた見えない「オキテ」に従って行動している。
この点では、現代日本の社会は、江戸時代とそのまま接続しているともいえる。いや、『現代日本人の法意識』第2章でみたとおり、むしろ、江戸時代には、村社会すなわち「村落共同体」と「家」とが強固で安定した実体であったためにそれらの枠組みを超えられないという意味での限界はあったものの、その限界内における法意識は現在よりも高く、村の運営における手続的正義についての関心も高かったという側面さえあるかもしれない。
また、明治時代以降のシステムが、「村落共同体」や「家」の利用できる部分だけを、明治天皇制という擬似的な普遍の下に組織し収奪したために、川島が批判したようなその悪い側面だけが、生き延びてしまったのかもしれない。
戦後の「村落共同体」や「家」の解体も、たとえば、「家」は消滅しても「氏」を中心とする戸籍の体系はそのまま残されたように、過去を振り返り、受け継ぐ部分と断ち切る部分を仕分けした上で、受け継ぐべき部分は受け継ぎ、断ち切るべき部分はきちんと断ち切るという作業を十分にした上でのものではなかった。
その結果として、この高度資本主義社会にも、過去の亡霊は、「日本型管理社会の核」として生き残っている可能性がある。いわゆる国粋保守派の人々が、「夫婦同姓=事実上夫の姓を名乗らせる」制度にあれほど固執するのも、この「過去の亡霊」への執着と考えれば、よく理解できるのではないか。『現代日本人の法意識』で論じてきた事柄のすべてを解く鍵の一つは、この「意識化されないままに残存している江戸時代の負の部分」という問題かもしれない。
先の「オキテ」とも関連するが、日本社会の問題の一つとして、何の意味もない、本当に無意味な「規則」の多いことが挙げられる。その代表的なものである校則についてさえ、ようやく改善の動きが出始めたという段階なのだ。これは、学校だけのことではない。日本社会のどの部分をみても基本は同じなのである。
私は、裁判官として、事件を通じ、さまざまな組織や社会の有様を見た上で学界に移り、出版やジャーナリズムの世界もひととおり見てきた。したがって、日本人としては相対的に多数の部分社会をみてきた人間だと思うが、「どこまで意味があるのか不明な規則や規制でがんじがらめ」の感が強いのは、おそらく、それらのすべてに共通する事柄ではないかと考える。
特に、あらゆる部門の官僚たちは、そうした規則の精緻化作業ばかり行っている。独立性の高い職業の代表とみられている裁判官の実情にしてからが、無意味なオキテ・規則や自己規制で身動きのとれない有様なのである。
そして、作る意味がどこにあるのかはっきりしない規則や制度は、容易に空洞化する。日本企業のコンプライアンスが規則ずくめで時間を食う割には機能していないのも、社外取締役制度が存在する企業で実際には人の支配が横行しているのも、ただ「かたち」だけをまねて、それらを採用した「目的、動機」について、また、その「意味、機能」についての考察がお留守になっているからではないだろうか。

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日本人の幼稚化と道徳的劣化

「隠居爺の世迷言」記事の一部で、日本社会や日本人の精神的劣化を「中二病」という言葉で表現するのは間違いだと思うが、「幼稚化」というか、精神的に未熟なままで大人になり社会人になり老人になった者が大半だと思う。私などその最たるものだ。
で、大人になるとは「悪(ワル)」になることでもある、という視点が下の記事には欠けている。ワルというと言い過ぎだが、人情や道徳より合理性や利益を優先する生き方である。政治家は「中二病」ではまったくなく、現代社会に適応してきただけである。
そして、権力者やその周辺は昔からワルが大半だったが、社会が人情や道徳を重んじていたので、表向きはそれに従ってみせていたわけである。それが道徳の本当の意義だろう。ワルを世界から無くすのは(ワルであること自体ある種の合理性なのだから)不可能である以上、法律や道徳で社会秩序を維持するのは当たり前なのである。現代は、その道徳が子供の間ですら馬鹿にされてきたのではないか。大人が道徳を守らないのだから当然の成り行きである。
賢さという点では、今の青少年や子供は大人以上に賢いかもしれない。ただ、モラルの無い怪物になる可能性もある。

(以下引用)一部を省略すると今回は記事筆者に対して不公正になるので全体を載せる。


 最近は"中二病"という言葉もあまり聞かなくなったような気がします。中二病の人が減ったせいでしょうか。だとすると減った理由は何でしょうか。大人が増えたためでしょうか。それとも子供が増えたためでしょうか。

 中二病がどのような意味であるかはご存知のことと思いますが、念のため調べてみましょう。おや、国語辞書に載っていますから、もう立派な日本語ですね。ただし、説明はちょっと長いです。

「思春期に特徴的な、過剰な自意識やそれに基づくふるまいを揶揄 (やゆ) する俗語。具体的には、不自然に大人びた言動や、自分が特別な存在であるという根拠のない思い込み、またはコンプレックスなどをさす。名称は、その年代の子供が抱きがちな心理状態であることから、一過性の病気に見立てたもの。」(デジタル大辞泉)

 あれ? 何だか分かったような分からないような説明ですね。案外皆さん分かっていないのかな。私自身も中2病を経験していますので、それを書いてみましょう。

 まず中2病とは第1に、「男の子が思春期に経験する混乱した心理状態」を背景にして生じています。女の子には基本的に中2病はないでしょう。

 "混乱した心理状態"とはどのようなものかというと、それまで子供の位置にあって、名実ともに子供だった自分が大人に近づき、場合によっては大人を追い越す場面も生じることによってもたらされます。

 思春期に達していない男の子はとっても素直で、本当に自分のことを子供だと信じています。何をやっても大人には太刀打ちできないと思っていて、実際問題としても、10歳くらいまでの男の子はそうなんです。体力的にも、知的能力的にも。ですから、大人に対しては、飼い犬のように従順な状態になります。

 バイデンに対する岸田元総理がそうでしたね。従順な飼い犬でした。ご主人様であるバイデンになでられて嬉しくてたまらず、たくさん尻尾を振りました。千切れるのではないかと心配になるくらい力を込めて、振って振って振りまくりました。ということは、岸田元総理の精神年齢は10歳程度であるのかもしれません。

 そんな男の子も少しずつ成長して、14歳くらいになると部分的には大人に追いつく、ものによっては大人を追い越すことも生じてきます。身体能力は誰にでもすぐ分かります。力が強くなってくる、早く走れるようになってくる、耐久力も上がるなどです。

 それに加えて、知的能力も進歩します。一番はっきり分かるのが、理屈を理解できるようになることです。つまり論理的な矛盾に気がつくようになります。例えば、平和が大切だと言う人が、なぜ武器を購入するのかといった疑問が湧いてくるようになります。

 人間社会は、作為的にも不作為的にも矛盾で満ち溢れていますから、賢い子どもであればあるほど、「一体世の中どうなっているのか」「大人は嘘つきだ」などと思い悩むことになります。そのような面では大人を非難したり馬鹿にするようなことにもなります。

 その一方で、大人と比べて圧倒的に知識の量が少なく、経験も乏しいために、常識を知らず、自分の思考や行動の偏りに気が付かないことも生じます。大人から見ると吹き出してしまうような珍妙なことを言ったりやったりすることもあります。

 思春期の男の子は自分自身でも大変なんですよ。自分の位置がつかめていませんから、嵐の海を小舟で揺られて、どこに行くのか分からないような不安を抱えています。それが怒りや衝動に結びつくこともあります。

 おまけに、第2次性徴とも重なりますから、それまでとは女の子の見え方が変わってきて、性欲も感じるなどという、自分でも理解不能の現象に悩まされます。まあ、仕方ないですよね、体の方が自分の意思とは無関係に変わってしまうのですから。

 そして、そんな大変な時期にある自分のことを周囲は"中二病"などとからかったり、叱ったりするわけですから、本人にとっては災難です。

 あ、中二病の説明がずいぶん長くなってしまいましたが、ご理解いただけましたでしょうか。男の人には思い当たることがあると思いますが、女の人には理解が難しいことでしょう。

 まあ、それはそれとして、今回の記事では、あの石破茂(総理大臣)が中二病であると書いてみたいと思います。なぜそんなことを書く気になったかといえば、石破茂が国会(昨年12月5日の衆議院予算員会)で「当選したからといって公約をそのとおりに実行するとはならない」と答弁したからです。これは、自ら自分が嘘つきであることを認め、嘘をついてもいいと開き直って発言したことになります。
(「【詳報】「総裁選の政策通りやることない」 首相答弁にどよめき」2024.12.5 朝日新聞)
【要拡散】全日本国民が見るべき:Xポスト)

 まずは、その石破茂の答弁を逐一書き出してみましょう。
 「当選をさせていただきました、じゃあそこにおいて掲げました政策が、"私が当選したのだからこのとおりにやる"ということにはなりません。(えー?)いや、なりません。それは、エー?と言う方が問題で、失礼、私はそう思う。」

 「じゃあそこで当選をしたら自分が掲げたこと、すべて我が党は総理が掲げた公約を実現させる、これでやるというようなことを私どもの党がやったことはありません。私は何度も総裁選挙というものは自分が出る出ないは別として、経験をいたしてまいりました。私は当選したのだから私が選挙中に言ったことを全部実現するぞということは、それは私は一度も存じません。」

 皆さん、これが中二病です。もう典型的な中二病ですね。石破茂がこの答弁で何を言ったかを整理してみましょう。

1 選挙中の公約を実現させる必要はない。
2 過去の経験においても、自民党が総理大臣の公約を全て実現させたことはない。

 まあ、こんなところでしょう。石破茂の言おうとしたことをもっと端的に言ってしまうと、"公約を守る必要はない"ということになります。

 実に驚くべき発言なのですが、一番驚くべきことは、自分で自分が何を言ったかを理解していない石破総理の能力です。日本という国の総理大臣がこのレベルなのですから、涙が出てきてしまいます。何かの悪い冗談なのでしょうかねえ。

 気がついたことを指摘してみましょう。まず、総理大臣は正しいことを言わなければならない役割を持っています。なにしろ日本で一番偉い人であり、それは石破茂が日本のリーダーであることを示しています。

 ある集団のリーダであるならば、その集団が大きくなればなるほど間違ったことを言ってはいけません。なぜなら、リーダーが間違ったことを言うと、リーダーに従っている人々もその影響を受けて間違い始めるからです。

 公約というのは個人レベルでいえば約束と同じですから、日本の石破リーダーは「約束を破ってもいい」とメンバーである日本国民に伝えたことになります。岸田元総理のように軽薄な人間は、「総理大臣は偉くて権力がある」としか理解できなかったようですが、それは間違いです。総理大臣はリーダーとして日本国民を統率する役割があります。

 もちろん、国民の方も総理大臣を見て「この人が自分たちを統率する人」であると受け止めています。そして、リーダーの言動に注目しているわけです。以前から、石破茂がしつけや作法を身に着けていないことでひんしゅくを買っていますが、それはリーダーとして恥ずべきことだからです。

 つまり、リーダーが最低限のしつけや作法を身に着けていないことは、日本の文化や歴史を軽んじてもいいと示していることになり、そのことは集団のまとまりを阻害することにつながるからです。リーダーの取るべき態度ではありません。それだけでも、国民はどうしていいか分からなくなり、不安が高まります。

 しつけや作法でもそのような問題があるのですが、それが道徳に触れることになってくると冗談では済まされなくなります。お分かりになりますよね?「嘘をついてもいい」などと総理大臣がいい始めたら、その国はもうおしまいでしょう。人と人との信頼関係を構築できなくなり、騙した者勝ちの世界になってしまいますが、なんと石破茂は総理大臣としてそれを是認したことになります。

 以上は、石破茂がいかに総理大臣として不適格者であるかを書いたことになりますが、私はこのことが石破茂だけの問題ではないかもしれないと心配しています。というのも、石破茂が総理大臣になるにあたってはライバルもいましたが、石破総理が誕生したということは、石破茂がいいと考えた人が一番多かったことになるからです。

 これが何を意味するかというと、ライバルたちは石破茂よりも劣っていたか、あるいは、投票した側の人間に見る目がなかったかになります。どちらにしたところで、日本には総理大臣適格者がいないか、それを見分けられる投票人がいないかになります。いい話ではありません。

 考えてみると、小泉進次郎とか、河野太郎とか、総理大臣には明らかに不適当な人物が総裁選に立候補しました。それを見るだけでも暗澹とした気持ちになってしまいます。本人たちも自覚に乏しければ、彼らを押す人たちも全く目が見えていません。日本人は一体何を考えているのでしょうか。立候補する者たちも、投票する者たちも、ふざけている余裕は今の日本にはないと思うのですけどねえ。ジャニーズの人気投票ではないのですから。

 そのように考えていくと、日本人全体が劣化しているのかもしれませんね。いや、実はそれだけにとどまりません。2020年にアメリカはバイデンという痴呆老人を大統領に選出しました。不正が行われたというもっぱらの評判ですが、仮にそうであるとしても、大掛かりな不正を実行に移せるだけの大応援団がいたことになります。また、いくら不正でも、大差をひっくり返すことは無理なようですから、痴呆老人に投票しようとする人が半数近くいたことになります。

 そのように考えるとアメリカ人も、バイデンはもちろんのこと、一般国民もかなりの部分劣化していることがうかがわれます。劣化しているのは何も日本人ばかりではないようです。

 こんなことを書くと、大抵の日本人は「ああ、良かった。アメリカ人も劣化しているのなら、日本人も安心して劣化できる」と考えがちですが、それではいけません。アメリカがそうであるならば、日本は少しでも自分たちの劣化を食い止めなければなりません。中国やロシアは劣化していないのですから、国の行く末に関わってきます。


 


 それにしても、現在の60歳代の政治家を見ていると、ほぼ全滅といっていいのかもしれません。誰かまともな人がいますか? 個人個人の問題ではなく、時代が劣化した日本人を作った可能性がありますね。今60歳代というと、昭和30年代の生まれです。

 昭和30年代生まれの人はどんな人生を送ってきたのでしょうか。おそらく、かなり生ぬるい人生を送ってきたのでしょう。昭和20年代生まれの私とどこが違うのでしょうか。おっと、書いているうちにかなり長くなりましたので、それはまた次回にでも題を改めて書きたいと思います。今日はここまでにさせていただきます。


 


 あ、書き忘れました。最近なぜ中二病と言わなくなってきたのでしょうか。それは日本人の多くが中二病になったからと考えていいように思います。みんなが中二病になったのであれば、中二病であるか否かを識別することは意味がなくなりますので、言葉も消えますよね。

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政党内で異論を言うことは否定されるべきことか

とあるブログを読んでいて、石破茂に対して「後ろから鉄砲を撃つ男」が彼の代名詞のようにマスコミで繰り返されてきたのは、誰のどういう状況での発言が元になっているのか、疑問に思って調べたが、はっきりとは分からない。つまり「後ろから鉄砲」は誰が言った言葉だろうか。

ある一時期、自民党への不満から石破茂が離党したことや、その後復党してからも安倍総理や麻生総理などに直言してきたことが問題視されているようだが、それこそ政権与党の人間の責任として、党の中枢が間違っていたらそれに直言するのはむしろ素晴らしいことなのではないか。それを「自民党を分裂させるものだ」としていたら、党内のあらゆる悪事やミスが隠蔽され、党の退廃と政治の退廃をもたらし、国家を衰退させるだろう。安倍総理の二期目がまさにそうだったではないか。どれほど厚顔な悪行の数々があのころ行われたか。

つまり、これ(石破への悪口の定型化)は、たとえば共産党を「アカ」と呼ぶ類の「レッテル貼り」でしかないのではないか、というのが私の感想である。党の中心人物や中心グループの行動や発言を批判もできないなら、それこそ日本共産党の「民主集中制(幹部選挙以降は幹部による党内独裁制になるシステム)」とどこが違うのか。

なお、「後ろから鉄砲」関係記事はふたつ読んだが、内容はほぼ同一だった。つまり、これは石破攻撃のテンプレート化しているわけだろう。では、どういう連中がその指揮をとってきたか、それまでは分からない。まあ、日本のマスコミを指揮できるのは、あの国のあの連中だろう。「何、石破の記事? さあ記者の皆さん、声を揃えて『後ろから鉄砲』、さん、はい!」であるwww 石破が第二の田中角栄になることを恐れているのではないか。それが買いかぶりか、鋭い眼力だったかは今に分かるだろう。
石破は顔に似合わず、キャンディーズファンだったという柔らかな魂の持主らしいから、迷いに迷いながらやっていくと思う。うまく、面従腹背ができるだけの能力と根性があるかどうか、見ものである。



(以下引用)


【自民党総裁選のバクダン】「後ろから鉄砲玉を撃つ男」石破茂に天敵・麻生太郎が放った「人間性がわかる」



 自民党総裁選に出馬している石破茂元幹事長は「後ろから鉄砲玉を撃つ男」の異名をとる。このため、国会議員の間で評判が悪い。党員党友票では1位の見込みだが、議員票は伸び悩んでいる。陣営は「国会議員は民意を受け止めるべきだ」とアピールするが…。


 石破氏は第一次安倍晋三政権下、2007年の参院選で自民党が大敗した際、安倍氏が続投を表明したことに反発した。党総務会で「選挙に負けたにもかかわらず、続投するのは理屈が通らない」と述べ、退陣を公然と求めたのだ。石破氏はNHKの取材に対し、こう語っている。


「安倍さんにとっては、最も言われたくないことだったと思うな。だからその時から、感情的には『こいつは許せない』っていうのが、ずっとあったと思うんだよね」


 石破氏は2009年7月にも、麻生太郎政権の農水相でありながら「麻生降ろし」の先頭に立った。石破氏だけでなく、石破氏に近かった後藤田正純氏(現・徳島県知事)や平将明氏らも、麻生氏に退陣を突き付けた。


 麻生氏は2018年8月に、山梨県鳴沢村にある日本財団・笹川陽平会長の別荘で、安倍氏や森喜朗元首相、小泉純一郎元首相らと会食した。その際、森氏が1993年に自民党が下野した時、幹事長として離党者が相次いだ苦労話をすると、「そういう苦しい時こそ、人間性がわかるんですよ」と語った。ちなみに、その時に離党したひとりが石破氏だった。


 石破陣営では今回、「天敵」である麻生氏にも決選投票での支援を求め、頭を下げる覚悟がある、と言っていた。ただ、小泉進次郎元環境相は麻生氏に面会したが、石破氏はいまだに麻生氏と会っていない。


 テレビ番組などで現職の総理総裁を批判することで自らの存在感を高めてきた石破氏だが、5回目の挑戦で総裁の座に最も近づいた今、「後ろから鉄砲玉を撃ってきた」過去と、どう決別しようとしているのか。仮に決選投票で勝ち抜き、総裁になったら、もはや前には誰もいなくなるのだ。


(田中紘二/政治ジャーナリスト)


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少数者差別への「ポリコレ」と部落差別と解同問題

「往きし世の面影」ブログ記事で、私は日本の部落差別問題には無知なので、下に書かれた内容の真偽の判断はできないが、宗純氏ほどの人物がまったくの嘘は書かないだろうと思うので、後学のため、記録として載せておく。
ちなみに、私が部落問題を知ったのは、住井すゑという人の「橋のない川」という作品が部落問題を扱った話のようだと何かで読んだのが最初だと思う。まあ、私は同作品を読んでいないので、それは単なる勘違いだったかもしれない。しかし、「橋のない川」という表現は明らかに、「ふたつの世界の分断」つまり差別を意味しているように思う。
なお、解同の乱暴な活動(だったらしい)については、初期の「ゴーマニズム」でその筆者が激しく批判していたが、この漫画家もかなりな偏見と独断の人らしいので、その言説を丸のみはできないかと思う。

(夢人追記)一応、調べてみた。上に書いた「橋のない川」関係のことは間違っていないようだ。


橋のない川』(はしのないかわ)は、住井すゑが著作した小説。1部から7部まで掲載・刊行され、第8部は表題のみを残し作者のすゑが死去している。明治時代後期の奈良県のある被差別部落(小森部落)が舞台となっている。


ほとんど全編を通じて部落差別の理不尽さ並びに陰湿さが書かれている。最終的には京都市・岡崎で行われた水平社宣言をもって締めとしている。



(以下引用)DSによる「中間層の破壊」という概念は面白い。つまり、AIがあれば中間層は不要で、むしろ邪魔になるということか。世界人口削減と本質は同じである。



正義に名を借りたリベラルの暴力装置ポリコレ


マイノリティ政治の本質


(セコイアの娘)2024-02-05 08:30:16


ポリコレの欺瞞とは何か。
マイノリティ政治の恐ろしさは、それが、今まで政治、経済、社会の核となってきた層(日本だと、ミドルクラスの日本人男性、アメリカだと同クラスの白人男性)への激しい攻撃による破壊だと思う。一部少数のエリート達が見つけた新たな力の源泉が、今まで社会のマージナルな存在であった、女性、外国人、LGBTQだったということだ。
なぜか。
それは、ズバリ中間層の破壊なのではないかと思う。
一部少数のエリートが、圧倒的多数の貧困層を支配する社会。中間層は邪魔だ。
アメリカで起こっていることは、まさにそれだ。
中間層が、上からと下からの挟み撃ちにあっている。
先ほども、サンデーモーニングを観たが、コメンテーターの劣化が観るに耐えない。若い女性コメンテーターが明らかにポリコレ要因で、何でもかんでも「女性蔑視だ」と叫んで終わる。
鳥の脳みそコメンテーターが、政治を矮小化。
ちなみに、私は女です。


常識ある知識人ほど「正論」には反論できない


(宗純)2024-02-05 15:36:34


今のように、極悪戦争屋の欧米リベラルメディアの振りかざす無敵な暴力装置ポリコレの謎に対し、
世界的に珍しい絆社会(疑似共同体)の日本人では余計に理解不能。首をかしげざるを得ない摩訶不思議の世界なのです

今までアメリカでは無敵を誇ったリベラルメディア知識人の「ポリティカルコレクトネス」(ポリコレ)に一番近いのは、我が日本国で、一昔前の部落解放同盟(解同)による差別糾弾会なのです。ただし、半世紀近くも前には大問題だったのですが、今では大部分は潜伏状態なので多くの人々が忘れ果てている。
実は宮廷貴族の歴史が無い(関東武士団の支配した)東京など東日本では少ないが、
古くからの文化がある京都周辺の関西圏を中心にした西日本では、一般的な身分差別である士農工商の下の不可触賤民(古代律令制度の市民身分以下の奴婢とか流浪民)制度があり、これが明治維新後に少し遅れて平民になったので「新平民」といわれていたもの。
日本の戊辰戦争時にはアメリカではもっと悲惨で大規模な内戦「南北戦争」が行われていて、近代資本主義のはずが奴隷制度が残されていたのですから、驚くやら呆れるやら
今のポリコレの不思議とは、その原因となった恐ろしいアメリカ独自の人間牧場の不思議(アメリカは混血は認めずメーガン妃やマライヤ・キャリーのような白くても黒人と見做すアメリカ独自のワンドロップルール)の歴史的な不合理(奇妙なトリック)の存在抜きには語れない。資本主義と奴隷制度の共存というアメリカ資本主義の無茶苦茶ですが、今の悪魔の碾き臼新自由主義とも共通するものです。最新IT管理のアマゾンの派遣社員は間違いなく新奴隷制度ですよ。

欧米リベラルメディアや米民主党による「ポリティカルコレクトネス」(ポリコレ)ハンマーと同じ原理で、
高学歴の知的エリートの常識人ほど逆に「差別が悪い」「差別は絶対に許さない」との正論には簡単に屈服するしか道が無い。少し前の西日本の自治体では、人権団体を名乗る「解同」が無法の暴力の限りを尽くすとのトンデモナイ驚愕的現象が起きていたのですよ。詳しいことは「逝きし世の面影」ブログの部落解放同盟のカテゴリー記事に具体的に詳しく書いています。(「知っている者だけが知っている」内容なので、読んでも理解出来るかどうかは不明だが、・・・)
この時自民党社会党など、政府や自治体、警察など全てが解同の理不尽な暴力的糾弾会に屈服した。ところが唯一、日本共産党だけが抵抗したが、今の「ポリティカルコレクトネス」(ポリコレ)ハンマーではインチキ地球温暖化詐欺や、LGBTと同じで共産党を筆頭に、左翼知識人が疑うことなく先頭になって暴走しているのです。まさに悲劇と言うか、喜劇と言うか。ほんの少し前の歴史を完璧に忘れているのですから情けない。

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組織悪と自浄システム

仏教徒のようだが、仏教組織には属していないと思われる混沌堂主人氏だから、こうした記事を自分のブログに載せるという勇気ある行為ができるのだろう。
下の事件のような問題はあらゆる組織に生じる問題で、組織は自動的に腐敗する宿命がある、とすら言えそうだ。共産党も自民党も医療界も教育界も宗教界も例外ではない。それを私は「組織悪」と言っている。しかし、大きな運動は組織を作らないと力を持ちえないのである。つまり、これを「宿命」と片付けてはいけないのであり、いかにして組織悪を防止するかというシステムを組織自体が作らないといけない。つまり「自浄システム」の構築だ。
もっと大きな話にすると、社会システムは、そのシステムの中に自浄システムを含まないといけない、ということだ。
資本主義のエネルギー(欲望のエネルギー)は凄いが、それは強者総取り、弱者迫害という帰結を呼ぶ。それを防止するには社会主義的なシステム(具体的には社会福祉制度)を強固にし、守るしかないのである。
新自由主義がはびこる前の日本はその理想状態に近かった。つまり、「世界で唯一成功した社会主義国家」という揶揄は事実そのものだったのである。大企業経営者ですら、その給与は社員のせいぜい数倍、1000万程度だった。今は数十倍、1億を超える経営者や企業幹部がゴロゴロいるし、その反面、社員(被雇用者)は低賃金と物価高騰で苦しんでいる。
つまり、資本主義は社会主義と結婚するしかその悪を防止する方法はない。これが、私が自分のブログでずっと言い続けていることだ。

(以下引用)


高僧も集まればただの糞野郎。あるいは、吸血鬼とエリートは太陽光を当てる死にます。

2025 - 01/29 [Wed] - 13:05

弁護士JPニュース より

上記文抜粋
・・・・・・・・・・・
仏教界の性加害「告発」宗派内でタブー扱い、関係者ら“沈黙”のワケ 現役僧侶が指摘する「構造的問題」の内情
2024年は僧侶による性加害告発が連続した。1月、天台宗の僧侶から約14年間にわたり監禁・性暴力を受けたとして、50代の尼僧叡敦(えいちょう)さんが告発会見を行った。さらに10月には日蓮系の本門佛立宗の尼僧(40代)も、師匠である僧侶から性器を触られるなどの被害を受けたとして告発会見を開いた。
伝統仏教の信用を失墜させる異例の事態であるにもかかわらず、各仏教宗派、全日本仏教会などの仏教関係団体・関係者は本件にほぼ言及していない。XやYouTube等で精力的に「仏教の布教」を行っているアカウントも、不気味なほどこの事件に触れていない。
叡敦さんの会見後、筆者が「なぜ仏教関係者は言及しないのか」とSNS上に投稿したところ、僧侶たちから寄せられたのは「こちらにも言えない事情がある」といった反応だった。また、筆者自身も寺の出身であることを公表しているが、「これ以上この件をネットで言うな」「実家や父親がどうなってもいいのか」といった“忠告”もさまざまな僧侶から寄せられた。
彼らはなぜ、異例の事態を前に沈黙を貫いているのか。そこには、日本の仏教界が抱える構造的な問題がある。内部から見た事情について、天台宗の関係者が取材に応えてくれた。
僧侶たちが「発言できない」理由
「(叡敦さんの)告発当初、天台宗務庁など上の立場の人たちは、火消しに走りました。しかし世間の声が大きくなったことで対応せざるを得なくなり、宗派内での懲戒事犯の調査や審判が開始されました。もし事件が世間的に大きく注目されなければ、もみ消していたでしょう」(天台宗僧侶・小野さん(仮名・50代)、以下同)
実際に叡敦さんの会見後、この件についてニュースを拡散する僧侶はごくわずかだった。小野さんは、この件が宗派内でタブーとして扱われ、僧侶同士の会話でもまったく話題に上がらない背景には、宗派に対する「忖度」以上に「保身」があるのではと指摘する。
「各宗派には『規定』という法律のような規則があるのですが、上に逆らって事件に言及すれば『教えを乱した』『本来の布教活動と異なることをした』などと、宗規を理由に僧籍をはく奪されてしまうかもしれない。そうなれば、世襲で僧侶になった人にとっては、今まで自分が生きてきた世界からの追放になってしまいます」
さらに小野さんは、僧侶には自身の仕事や生活に関わるさまざまな「しがらみ」があり、それが自由に発言できない足かせになっていると説明する。
「まずは自分の師匠。世襲の場合、親が師匠になります。弟子が何かやらかすと、師匠の出世や評判に関わってくる。弟子本人が直接注意されることは少なく、師匠経由で忠告がいきます。世間が宗派をどう見ているかということよりも、師匠の顔色を伺う僧侶のほうが多いのです」
次に「お寺そのもの」もネックになっているという。
「お寺は住職個人の所有物ではなく、本山から管理を任されて預かっているものです。そのお寺を管理する僧侶が問題を起こせば、お寺を追い出されるか、最悪の場合、僧籍はく奪になります。そしてもっとも大きなしがらみが“親戚関係”です」
寺院の住職同士が親戚関係にあることは珍しくない。そのため、ある寺院(A寺)に問題が発生すると、その親戚関係にある別の寺院(B寺)にも「同じ一族だから信用できない」「〇〇系は問題が多い」といった否定的な見方が広がりやすい。師弟関係ほどの影響力はないものの、親族関係が寺院の評判に影響を与えるのだ。
「自分が何かすれば師匠の立場が危うくなる。親戚関係も責められる。最悪の場合、自分も住職を解任される。叡敦さんの事件に関して、積極的に取材を受けていた僧侶の方がいました。その方は在家(一般家庭)出身で、世襲の私たちほどしがらみはないはずですが、それでも上から相当言われたという噂を聞きました」
筆者のもとに寄せられた「黙っていろ」という忠告も、発言者側はあくまで本気で心配しているのだろう。しかし世間から見れば、それは「脅し」に映ってしまう。
宗教の世界は政治と同じ?
日本の仏教界が抱える構造的問題として小野さんが指摘するのは、世襲が問題視されている政治の世界と権力構造が酷似している点だ。
「宗教の世界でも“偉い”僧侶になれる人は、最初から決まっています。各宗派には『宗議会』という、国会のような仕組みが存在していますが、この宗議会の議員になるには、自分の寺を空けても問題ない人じゃないとダメなんです。つまり、他の僧侶を雇って寺の運営ができる大きなお寺の人たちだけです。小さなお寺の住職は最初から議員になれません」
小野さんは「結局、偉くなるのは一部の権力を持っている人たちだけ。今の仏教界は、まるで現代の貴族みたいなものです」とため息をつく。
「体質を変えようとする人がいても、“うるさいヤツ”と見なされて切り捨てられる。それを繰り返してきた結果、イエスマンばかりが集まって自浄作用がなくなっています」
告発に対し「迷惑だ」の声も…
世間に大きな波紋を広げた叡敦さんの告発も、僧侶たちの反応は驚くほど冷淡だったと小野さんは振り返る。
「そもそも問題だと思っていない僧侶が多いように感じました。もちろん問題視している人もいますが、ただの“男女のもつれ”だと考えている僧侶が多い。平気で『不倫関係だったのがこじれて、仕返しで告発したんだろう』と言う人もいます」
叡敦さんの告発後、彼女のもとには他宗の尼僧からも「宗教離れが進んでいる中で告発するのは迷惑」と批判が寄せられたという。被害者の人権よりも、組織や自身の立場を優先する姿勢が垣間見える。
「『現実でそんなことあるわけがない、嘘だろう』と考える僧侶もいます。信じていないから、問題だとも思っていない。世間が今回の件でお寺や僧侶をどう見ているのか、当事者意識があまりにも欠けています。
『こういうのは静かに待つしかないですね』と言う僧侶もいましたが、世間から見れば『あなたも当事者の一人ですよ』と。実際、檀家さんから叱られて初めて、事件を問題視するようになった人もいました」
天台宗以外の僧侶たちが口を閉ざす背景には、宗派間の「不干渉」の文化も影響している。取材に応じた浄土真宗本願寺派の僧侶・大川さん(仮名・40代)は、こう語る。
「仏教界には“よそのことには口を出せない”という不文律があります。告発が騒がれていた頃、浄土真宗では教えの内容を巡って内紛が起きていました(※『新しい領解文』問題)。自分の宗派の問題で精いっぱいで、他宗派のことはひとごとだと感じている僧侶が多かったと思います」
宗派間の「不干渉」の不文律は、日本の仏教が歩んできた歴史に由来する。宗派同士の争いごとを避けるためのものだが、結果としてそれが「無関心」につながっているのだろう。
審判会開催も“悲観的”な関係者
叡敦さんが加害者とされる住職と、被害を相談したが適切な対応をとならかった宗派の最高位にあたる「大僧正(だいそうじょう)」の2名に対し僧籍はく奪を求めた申し立てが天台宗に受理されてから約1年が経過した。
天台宗務庁は11月、住職らへの聞き取りの結果、「懲戒審理が相当」と判断し、重大な事案を扱う「審理局」に審理を請求したと発表。今月24日、第一次審判所第1回審判会が天台宗務庁にて行われた。
これに先立ち叡敦さんは代理人弁護士を通じて審理局に審判公開請求を提出したが、「非公開」の返事を受け取ったと、宗教専門紙『週刊仏教タイムス』が報じている。
実質的に、宗派内のトップである天台座主(てんだいざず)よりも権力を持っているとされる大僧正への懲戒が行われれば前代未聞となる。
しかし、小野さんは「宗派内の僧侶はみんな口をそろえて言っていますよ。『誰が大僧正を処分できるんだ?』って……」と悲観的だ。
「自己改革に望みが持てない状況なので、檀家さんたちにもっと怒ってほしいです。沈黙していたら、『それでいい』と思われてしまいます。もっと厳しい目で仏教界を見つめ、声をあげてほしいです」
「告発が出てもおかしくない」環境の見直しを
この件については「もし冤罪だったらと思うと怖くて声を上げられない関係者も多いのではないか」という意見も寄せられた。確かに、事件の真偽については、われわれが真実を判断してよいものでもない。しかし重要なのは、「告発が出てもおかしくない」閉鎖的かつ権力が一部に集中する体質が仏教界に存在するという事実であり、この点こそ真剣に議論されるべきだろう。
伝統宗教離れが続く中で、僧侶自身が組織の在り方について活発に意見を出し合える環境でなければ、根本的な改善は見込めない。
仏教に詳しくない一般の人々にとって、一連の性加害告発は「特定の宗派で起きたこと」ではなく、「お寺で起きたこと」として受け止められている。どの宗派にも共通する課題であるからこそ、宗派の垣根を越えて声を上げることが求められている。
仏教界の中で生きていかなければならない人間のひとりとして、自浄作用が働く環境になることを切に願う。

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素人が業者や業界を批判することは悪か

農協の必要性は分かったし、農協が無くなったほうがいいという論は誰もしていないと思う。農協が介在しないと、農産物の流通は不可能だろうし、「これまでは」農協の仲介費用も適正だったと思う。
では、この1年弱の異常な農産物価格高騰の原因は何か。それを言わないと、キャベツが1玉200円くらいから1玉1000円近くになるという、キチガイじみた値上がりを消費者はただ我慢しろ、ということにならないか? 誰が「本当の中抜き」をしたというのか。
まあ、ネットでは「非専門家」が騒ぎすぎる、的外れな批判ばかりしているという非難があるのは分かるが、しかし、異常値上がり自体への批判はまっとうなものだろう。


(以下引用)


石垣将徳@農業FCを作ってるきゅうり農家@natumatazu

農協手数料の実情 はい、きゅうりではありますが、こちらが農協に出荷した際の伝票です。 農協手数料2,458円ですね。販売金額105,572円に対して2.3%です。 販売先手数料・農協手数料・出荷運賃・出荷経費合わせても20,181円19%です。 ちなみに直売所で販売してもらうと、手数料20%に、出荷に関する人件費・ガソリン代・梱包資材代が別途かかります。並べるのもこちら、売れ残って回収するのもこちらです。 265kg、2,650本のきゅうりを3本詰め(300g)にすると883袋、作るのに何時間かかるかわからんし、これを売り切れるほど直売所、スーパーは密集していません。それを毎日やっていたら、とてもきゅうりの管理に手が回りません。 では、19%の手数料で全部やってもらった方が良いと思いませんか?皆、それぞれの強みを活かすのが経済活動ではないのですか? 農協は手数料を自由に動かせません。私は私の事業のために、手数料を多く取っていいから、頑張って手伝ってよ。と、提案しましたが、手数料は厳密に定められているので、依怙贔屓は出来ないと突っぱねられました。 農業協同組合は闇の組織でも何でもありません。組合員の農家が集まり、助け合う組織です。 農家は農協の体質に、常に文句をぶつけて改善させようと努力しています。そのような実情を理解せずに解体だ、中抜きだとかいうのは、お門違いも甚だしいです。


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最終電車に見る現代日本の世相

「はてな匿名ダイアリー」という、ごみ溜めからの転載だが、ごみ溜めの中にもたまには有用な品が落ちている例である。社会勉強になる。
私が都会の電車を利用していたころ、まあ、何十年も前の話だが、そのころは、最終電車でもこれほどひどい状況ではなかった。今の日本社会がいかに荒んだ状況かがよくわかる。簡単に言えば、搾取による貧困の結果、下級国民の誰もが殺伐とした心境になっているのではないか。つまり、貧すれば鈍すである。もちろん、ほかにも理由はあるだろう。急進的フェミニズムの男性攻撃が男の女性嫌悪の風潮を生み出しているなどだ。

(以下引用)

anond:20250124234444

駅係員になって女叩きをやめた。

正確に言うと男なのに男が嫌いになった。


インターネットはいかに女が邪悪で愚かな生き物かについて日々呪詛が垂れ流されているが、現実的な話として、女は基本まとも。男はクソ。


入職したばかりの頃は車内にしばしば撒き散らされている小便の正体が分からなかった。赤ちゃんが漏らしているのかと思っていた。


先輩から、あれは酔っ払ったおっさんや、薬物や精神病で頭おかしくなったおっさん、そういう性癖おっさんの落とし物だと聞かされて戦慄した。


おそらく定年退職して暇を持て余しているのであろう高齢男性に絡まれ、駅係員の愛想の悪さ、無礼な態度についての説教からまり、妻や子供に関する愚痴若者の質の低下、高齢者に対する社会全体の敬意の喪失などの話題に発展し、最終的には社会保障、自民党アメリカ大統領などの話に辿り着くことはよくある話。


なぜ遅延や事故ダイヤが乱れて駅係員に当たり散らす?


それで事態解決するとでも?


しろ混乱と混雑の解消のために駆り出されたはずの人員がお前の対応に割かれるから事態は余計に悪化する。


帰宅ラッシュ時間帯になると必ず車内のフリースペース(車椅子ベビーカーを優先するエリア)でおっさん同士の喧嘩が勃発する。


喧嘩きっかけは、睨まれた、肩が触れた、鞄が当たった、口が臭い独り言がうるさい、場所を取るな、イヤホン音漏れをやめろ、等。


最初喧嘩を吹っ掛ける方は単に苛立ちを発散する口実を探しているだけなので口調も荒くて喧嘩腰だし、吹っ掛けられる方もただでさえ喧嘩腰な人間に対してプライドの高い中高年男性が素直に聞き入れるわけがないので順当に喧嘩に発展する。


駅係員が介入することになるのは殴る蹴るなどの身体的な暴力に発展し、尚且つ周囲の乗客通報した場合のみ。それですら1日2回ぐらいのペースで発生するので、口喧嘩範疇に収まったケースや周囲が見て見ぬ振りをしたケースを考えると暗数は相当多いと思う。


酒が入っている時はタクシーで帰るというのを徹底するだけでもかなり喧嘩は減ると思う。


男同士で喧嘩するのはまだマシ。力が均衡しているからどちらかが一方的被害者になりにくい。


おっさん若い女性に絡むパターンが一番最悪。


絡む理由は、足を組むな、スマホを弄るな、声がうるさい、スカートが短い、腹が邪魔(妊婦に対して)等。


大したマナー違反でもない。そして周りの他の男が平気で行っている、これより酷いマナー違反無視。要するにマナー大義名分に女を叱って愉悦に浸りたいだけ。


勝手懲罰感情が芽生え、太ももに触る、殴る、容姿を罵るなどの犯罪行為に走ることもある。


性欲が原動力なのに本人の中では正義感ゆえの行動に完全にすり替わっているので、正義執行邪魔されたことに対する怒りで駅係員に食って掛かってくる。そして暴言暴力に発展して警察を呼ぶことになる。


妊婦に対して「堕ろしてこい!」と言い出した時は流石にこっちも冷静になれなかった。


乗客同士のトラブル警察沙汰に発展した際におっさんが言いがちな台詞


「その間の時給は払う!?時給換算したら俺の時間いくらだと思う!?


じゃあ若い男はまともなのかというとそんなことはない。


中学生新卒ぐらいの男が3人以上で群れるとロクなことがない。


大声で騒ぐ。駅構内の器物を破壊する。気が大きくなって車内で女性に絡み始める。他の乗客咎めると「なにマジになってるんすか?w陰キャ?w」


でも1人だとマシということはなく、優先席体操座りをしたり胡座を掻いたりして音楽を聴きお菓子を貪り食いながら自宅のようにくつろぐ奴も見かける。


ただ、こいつらは甘やかされて育って調子に乗っているだけのガキなので、制服を着ている我々が少し強く怒るだけて往々にして萎縮して反省する。泣きながら謝る奴もいる。そこはまだおっさんよりはマシ。


今後同じことを繰り返させないためにも躊躇なく非常ボタンを押してほしい。


人手不足機械化の時代、最低限の人員社会を回すため、あらゆる施設・あらゆるサービスが、セルフレジQRオーダーシステムの導入などに踏み切っている。


駅も例外ではなく、窓口を減らし、無人改札を増やし、ネット新幹線を予約させ、時代についていけない人間を振り払っていく方向に進化している。


高齢女性は割とすぐに適応できるが高齢男性は何度も尋ねてくる。自分で調べない。そして一向に理解しない。中には新たなシステムの導入自体に怒りを燃やす奴もいる。早く淘汰されてほしい。


暴言を吐いてきた奴に、駅係員としての節度と礼節を弁えた上で場を掻き回すことな相手制圧できる魔法言葉がある。


それは「今、⚪︎⚪︎と仰いましたか?」と復唱すること。


例えば「ぶっ殺すぞ!」と言われたら「今、ぶっ殺すぞと仰いましたか?」


大抵黙り込むかトーンダウンする。


彼らは行き場のないストレスの捌け口として駅係員に暴言を吐いているという自覚自体はあるので、それを突き付けると大人しくなる。


大きめの声で復唱するとなお効果がある。周りの目を気にして縮こまる。


新宿駅東口性風俗産業も絡んでくる魔境。


少し前に「松葉杖生活している20代女性です。新宿駅検証しました。ぶつかりおじさん問題はぶつかる女性が悪いです」という記事話題になっていたが、身体障害者の20代女がじっくりと周りを観察できるほど新宿駅は女にとって安全空間ではないのであれは嘘。


というか新宿駅若い女ぼんやりしてると即座に声を掛けられるから物理的に観察は不可能


路上で女に声をかけて性風俗斡旋する、いわゆるスカウトや、ネット上で弱者男性を騙してnoteを売り捌いている自称ナンパ師の虚言を真に受けてナンパに勤しんでいる弱者男性駅構内徘徊して女性に声を掛けて迷惑をかけている。


どうも「身体に触れない限りはセクハラではない」という認識が奴らにはある


クレームが相次いだため現在アナウンススカウトナンパをほぼ名指しで警告している。アナウンスを流すようになってから声かけによるクレームは減った。それでも撲滅できてはいない。


いわゆるぶつかりおじさん問題だが、Xやニュースで周知されるようになってから正当なぶつかりおじさんは減った。


最近増えているのは肘を大きく広げてすれ違う際に女性の胸を肘で殴る、背後から女性の靴や脛を蹴るなどのパターン


わざとかな?と思ったら遠慮なく周りに助けを求めて駅係員のところに連れてきてほしい。軽い説教しかできないが、何度も説教されれば大人しくなる。


電車を利用する全ての男に言いたい。


他人に絡むな、周りに気を遣え、周りと同じように振る舞え、ストレス他人で発散するな、身体を小さくしろ、嘘をつくな、風呂に入れ、ゴミゴミ箱に捨てろ、唾を吐くな、排泄はトイレでやれ


当たり前のことを当たり前にしろ


タクシーは圧倒的に女がゴミだった。マジで属性わず


から多分観測範囲問題


男でクソなのは40~の社畜くらい。爺さんでクソ野郎マジでほぼ当たらなかった。あと若いちゃんも、ブレイキンダウン出てそうな見た目でも凄く丁寧。

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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
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