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原発汚染水一斉放出

「ニュース2ちゃんねる」というサイトから転載。
まあ、本当のところはこれまでだって海に汚染水を流していたが、今後は堂々と流します、という話だろう。しかし、なぜ漁業関係者だけの同意を得ればそれが可能なのか? 海岸で泳ぐ可能性のある一般人、つまり日本人全員の同意を得なければおかしいのではないか。もっと言えば、これから生まれる日本人全体の同意が必要だし、さらに言えば、海水は海流として世界を循環するのだから、世界中の人の同意が必要である。
私以外の65億人が同意するなら、私は反対だが、それに従ってもいい。(笑)
漁業関係者なんて、自分が金さえ貰えれば同意するに決まっているだろう。そんないい加減な「同意」がまるで錦の御旗ででもあるかのように、これから「汚染水一斉放出」の逃げ口上に使われるのは目に見えている。



(以下引用)



【悲報】 東電 「もう限界なんで原発の汚染水を海に一斉放出します」


2013年01月26日


1:ボルネオヤマネコ(福岡県):2013/01/26(土) 18:46:01.22 ID:Z6GNu2130


東京電力 汚染水濃度下げ海に放出の考え

東京電力は、第一原発の中に溜まり続けている汚染水について、濃度を下げる処理をし、漁業関係者などの同意を得た上で海に放出する考えを明らかにした。

第一原発では、放射性物質で汚染された水が溜まり続けていて、東電は敷地内のタンクを増設して管理している。

東電は、きのう原子力規制委員会に対し、汚染の濃度を下げる処理をした上で海に放出する対策案を説明した。

東電は、漁業関係者などの了解が得られなければ海への放出はしないことを強調しているが、タンクの増設はいずれ限界に達する可能性があるだけでなく、敷地内に溜まり続ける汚染水の最終的な処分の方法は見通しが立っていない。
http://news24.jp/nnn/news8654748.html






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米国は「今は」日中戦争を望まない?

「2ちゃんねるDAYS PLUS」から転載。
どうやら風向きが少し変わってきた、というか、安倍総理が最初から現オバマ政権の意向を読み違えていたというか、ジャパンハンドラーズが実は米国現政権とは(少なくとも地位的・指示系統的には)まったく無関係な利益集団であるにもかかわらず、安倍政権は彼らに踊らされて一生懸命無駄な働きをしていたか、まあ、最後のあたりが一番可能性が高いのではないか。
つまり、軍産複合体というのは確かに存在するし、米政権はその意思を体して動くことも多いのだが、必ずしもそれだけでも無く、場合によっては別の事情を優先することもあるのだろう。当たり前と言えば当たり前ではある。しかし、日本の右翼的政治家は米国軍産複合体や、その日本支部のジャパンハンドラーズを絶対的な存在と思いこんでいるから、読み違いも起こるわけである。(しかし、「右翼政治家」とか「保守政治家」は、安倍や石破や前原や石原や橋下を形容する言葉としては不適切なので、いい形容が必要である。「属米政治家」「偽右翼」あたりがやはり適当だろうか。もっと適切な言葉がほしいところである。)
とりあえず、これもよく言われていることだが、米国で今何が起こっているかをワッチングしていけば、日本政治経済の今後の動きは読める可能性は高い、ということだ。
今回の記事タイトルは、もちろんワシントンポスト記事は米政府の意向を暗示している、という趣旨で書いている。マスコミが政府の世論誘導装置や洗脳装置であるのはどこの国でも同じことである。



(以下引用)



ニュース速報+



【NHK】「尖閣問題は棚上げすべき」…米有力紙ワシントン・ポスト社説★2


res:1 再チャレンジホテルφ ★2013/01/28(月) 00:21:27.60 ID:???0

米有力紙 尖閣問題は棚上げすべき
1月27日 9時43分

アメリカの有力紙、ワシントン・ポストは26日付けの社説で、沖縄県の尖閣諸島を巡る日本と中国の対立について取り上げ、
不測の事態から日中間の軍事衝突に発展する可能性に懸念を示したうえで、
「当面はこの問題を棚上げすべきだ」として、鎮静化に向けてアメリカも支援すべきだという考えを示しました。

ワシントン・ポストの社説は、尖閣諸島を巡る問題について
「日本と中国の間でこれまで棚上げされてきたものの、去年9月に日本政府が島を国有化したことで
中国側に激しい反発の口実を与え、中国による挑発行為がエスカレートしてきた」と指摘しました。

そして、不測の事態から日中間の軍事衝突に発展し、日本の同盟国であるアメリカが介入を余儀なくされ、
衝突に巻き込まれる可能性が以前より増していると懸念を示しました。

その一方で、社説は公明党の山口代表が25日、安倍政権の幹部としては初めて、
中国の習近平総書記と会談したことについて「事態の鎮静化の兆しだ」と歓迎しました。

そして、来月訪米する予定の安倍総理大臣に対し
「中国側の挑発に応じるのではなく、緊張緩和の道を探るべきだ」とするとともに、
「当面はこの問題を以前のように棚上げすべきだ」と訴え、鎮静化に向けてアメリカも支援すべきだという考えを示しました。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130127/t10015088931000.html






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勝利とは何だろうか

例の桜宮高校体罰自殺事件について「阿修羅」コメント欄で議論が行われているが、その中になかなか面白い意見もあるので、幾つか転載してみる。
コメント32の

【結論】“負ける事”を当然の前提として、高校の部活動のあり方を冷静に見直す時期に来てるんじゃね?

は、まさしく我が意を得たり、という意見である。というのは、たとえばトーナメント大会の最後の勝者は基本的に一人(1チーム)であり、他の対戦相手は全部敗者なのである。つまり、スポーツでは、「1%の勝者対99%の敗者」という「1%対99%」というのが現実なのだ。(だから、オリンピックの銀メダリストがたまに「金メダルでなければ意味がない」という発言をしたりするわけである。)したがって、「負ける事を当然の前提として高校の部活動の在り方を冷静に見直す時期に来ている」というのは、現実を見据えた非常に理性的な意見であると思う。
勘違いしてはいけないが、「負けるために練習する」馬鹿はいない。しかし、勝つことが何よりも優先されるような部活の在り方というのは、それは人格形成や人格陶冶という教育の大目的に真っ向から反するものなのである。(そもそも、私は、一方の勝利は敗者に苦痛と屈辱を与える、というだけでも「競争」そのものに批判的なのだが)まして、勝利とは無縁の部活動からは何も得られない、ということでは、その部活動に何の意味があるだろうか。
いや、現実の多くの部活動に見られるように、学業に悪影響を与えるというだけでも、その部活は間違っている。部活とは、あくまで精神や健康(体力)を向上させ、そして、何よりもその部活の時間が幸福な時間であることが第一義なのである。勝利は、幸運にも恵まれて得られた偶然的な結果であり、それを喜ぶのはいいが、それだけを目的とするべきではない。学生の本分はあくまで学業と人格修養にある。
もちろん、ハードな練習の果てに素晴らしい結果を出し、その事で精神的に向上し、また一生の思い出にもなる、という形の部活もある。いや、たいていの部活はそれを目指しているだろう。しかし、その場合も、それはあくまで構成員の自発的な同意や指導者の適切な保護・指導に基づくものでなければならない。

だが、やや悲観的なことを言うが、「負けることは当然の前提」という考えは、「敗北主義」であり、「弱虫の思想」である、として、むしろ多くの生徒自身から否定されると思う。そんな考えでは強くなれるわけはない、向上や進歩があるわけはない、とされるだろう。

そしてまたいつのまにか勝利至上主義がはびこり、体罰やしごきが横行し、スポーツ障害が蔓延し、いじめなどがはびこる部活になっていくわけである。

いい加減に、こうした悪循環から学校教育の中の部活、特に運動部の部活を救い出す必要がある。(その当事者である部活生の大半が「放っておいてくれ」と言いそうなのが救われないところであるのだが。)

なお、私の記憶では、中学高校の運動部員はたいていが学業不良であり、素行的にも不良(これが「ヤンキー」と言えば、可愛げがあるように聞こえるのは、一種の言い換え詐欺である。若い頃の悪事や犯罪を「やんちゃ」と言うのも同様。性行為を「えっち」と言い換えることで、若年層の性行為へのハードルが下がったのも同様。すべてマスコミによって作られた社会潮流である。つまり、マスコミや電通はこうした「見えない教育」で日本社会を退廃させることに熱心であったわけだ。)が多かったようだ。これは、早熟で肉体的発達が他の生徒より上の生徒が運動中心の生活をし、学業や読書を疎かにした結果、精神性は劣等なままにとどまったというパターンがあったのではないだろうか。そうすると、部活さえ一生懸命していればそれでいい、という多くの家庭や教師の教育方針は、非常に危険なものだと言える。部活絶対主義によって劣悪な人間を作り出してしまうというのが現実だろう。

青少年や低年齢の子供を「競争」させる場合にも注意が必要である。
特に小学校時代など、早生まれか遅生まれかだけでも、身体能力には大きな差があるのだから、そうした不平等な条件のもとに「競争」を強要することは、害の方が大きいと言える。また、毎日運動をしているだけの連中が運動で勝つのは当たり前であり、そんな勝利に過大な評価をする必要はない。甲子園における「野球名門校」の勝利も同じことである。
なお、精神能力の面では、(習ったかどうかだけが問題で)1、2年の違いはあまり問題にならないようだ。たとえば中学一年生と三年生では体力や運動能力は圧倒的な差があるが、頭の中身は、「ヤンキー」の三年生よりも普通の一年生の方がはるかに上等である。

高校生への体罰に関しては、コメント37「殴り返したらどうですか」は非常に私のお気に入りの意見だ。
というのは、体罰というのは、「自分は殴り返されることは絶対に無い」という教師側優位の立場(上級生優位の立場からの先輩による体罰も多いが)からなされる卑怯な行為だからである。
相手が殴り返すと分かっていれば、体のでかい高校生を殴る勇気など無い指導者も多いだろう。だが、相手が身体的に自分より下だと見れば、相変わらず、そういう相手に対してだけ体罰をする、という人間の屑も指導者の中には結構いそうだから、(また、そういう指導者が必ずしも生徒に嫌われているとは限らない。たいていのガキが、いや、大人だって同じだが、人間を見る目なんて、いい加減なものである。)この案は残念ながらあまり有効ではなさそうだ。

「勝利」とは、他人と争い、「利」を自分が得る、というだけのことであり、そのための努力行為以外は、べつに他人が称賛するようなものではない。
君子は争わず、というのが本来の東洋的思想である。人と人が争い、相手を蹴落とし、傷つけあう「修羅道」を学校教育が礼賛し、競争を後押ししているというのが現代の社会だ。学校にも社会にもいじめや体罰が横行するのは何の不思議もない話である。





(以下引用)




15. 日高見連邦共和国 2013年1月24日 14:30:06 : ZtjAE5Qu8buIw : C7Wqvb1wZA

スポーツじゃないけれど、盛岡にある『岩手高校将棋部』は、名だたる全国の猛者(進学校)を相手に連覇中です。
(決勝の相手が灘高だったりとか)
日体大、といえば、09年に菊池雄星を擁して甲子園を席捲した花巻東高校の“小さなトプバッター”
佐藤くんが進学し、悲しい事に自ら命を絶った舞台となった学校です。色々な噂が立ちました。
学校教育における部活の強化には様々な形があり、賛否両論も有るでしょう。
強ければ正義ですか?勝つ事が正解ですか?
それを一人ひとりが噛み締め、考え直すきっかけとせねばなりません。



32. 日高見連邦共和国 2013年1月24日 16:18:53 : ZtjAE5Qu8buIw : C7Wqvb1wZA

>>29
>問題の教諭に対し、体罰という方法論を否定の上「スポーツ科学的」な指導を心がけるべきだったのではないかと提言した。
問題ないまっとうな意見だと思うよ。
>日高見>>15では(試合での勝利という)成果を求めること自体問題があるように言っている。
“勝つ事”を目的として切磋琢磨する事と、“勝つ事だけ”を目的化させる事は、全くの“別問題”でしょ?
私はそれを、
>強ければ正義ですか?勝つ事が正解ですか?
それを一人ひとりが噛み締め、考え直すきっかけとせねばなりません。
(セルフコメント引用終わり)
と、問題提起(自戒を含めて)してるだけ。
このコメントで、貴殿に何か喧嘩を売ったり、貴殿の主張を否定をしてるかい?
勝つ事を目的としても、最後の勝者は“一人”だ。
ゆえに“負けること”を当然の帰結とした考え方を提示している。
これは『スポーツ全般“激弱”』の岩手県人としては“当たり前”の感覚だ。
それにそういう“最後の勝者が一人”のスポーツと“農業”を引き合いに出すのは、
唐突過ぎるし、比較すべきものでもない、というのが当然の感覚だ。
挙句に、
>それが嫌なら「分配均一主義を要とする」共産主義国家への移住をお勧めする。
などと言われれば“カッチ~ン”と来ない方がおかしいと思わないかね?
おっと、話しがソレた。
繰り返すが、
①勝利を目的とする ・・・ 正しい。
②勝利のみを至上の目的化する ・・・ 間違い。
③強い事が正義か? ・・・ 間違い。
④勝つ事が正しいか? ・・・ 間違い。
【結論】“負ける事”を当然の前提として、高校の部活動のあり方を冷静に見直す時期に来てるんじゃね?
以上。


37. 2013年1月24日 17:47:16 : xWfLYkjvnA
殴り返したらどうですか?
ケンカと言う事になる。
体罰と言う言い訳はできなくなるし、一方的な暴行ということもなくなる。
大事になったら両者の言い分を聞いて判断することになる。
体力的には高校生の方が上だからな。
取っ組み合いの後でお互い疲れ切ったところで話をするしかないんでしょう。
普通じゃできないと思うけれども、殴られて、殴られて、堪えて、堪えて、そして怒りを爆発させるんだよ。
先に手を出したのが先生だか、退学になる事はない。
部活は出来なくなるかもしれないが、いやなら転校すればいい。
こっちの方が、生徒が先生を、学校を、教育的指導することができる。



40. 2013年1月24日 18:51:04 : DpLdRyGjxM
「売りよし、買いよし、世間よし」
この言葉って、近江商人の精神とか言われているが、
竹中らに象徴される自己中の新自由主義者に浴びせたい言葉だね。
強欲拝金主義者というものは、社会を腐敗させる元凶だ。
競争に勝って、自分だけいい思いをしようと云うことばかり考えている、ほんとうに自己中で強欲なやつらだ。
こんなやつらを撲滅しない限り、健全な社会は訪れない。
人間の基本は、支えあい、助け合い、みんなで力を合わせてより良い健全な社会をつくっていくことだ。
競争は、ゲームの世界だけで十分じゃないの!?



46. 2013年1月24日 23:23:04 : FfzzRIbxkp
小学生の頃、ヒステリーな教師がいて、いつも怒鳴り声が同じ階の他の教室まで響いてた。女の先生。そこのクラスの生徒は、顔から足まであざだらけだった。
怒鳴り声を聞いて、私のクラスでは担任に抗議したよ。
「僕たちの友達がたいして悪いことしてないのに、どうしてあんなに怒られるのさ!先生、やめさせてよ。ひどいよ!」って。担任は、怒鳴っている先生には考えがあってやっているのだから。と生徒をなだめたけど、
クラスの男子は、
「だったら、先生も俺たちのこともっと殴れよ。同じように叱れよ。先生は俺たちにそんなことしないじゃないか!」って食ってかかった。
その後からかな。暴力教師のクラスでは保護者会が頻繁に行われてた。
でもね、ぜんぜん治らなかったよ。その教師の暴力。
今から思えば、あの先生は、何かの病気だったと思う。
注意しても直せないなら、病気かもしれないのだから早めに治療をすすめたほうがいいし、現場の仕事は荷が重いだろうね。
生徒を犠牲にするなんてことは、あってはいけないしね。






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「崖っぷち社長」の思考的姿勢を見習えばみんな大丈夫

私が愛読するブログの中でも、総合的な知性の高さという点では私は「崖っぷち社長」を最上位の一人と考えている。彼が書いた文章内容で私が疑問を持った経験はおそらく一度も無い。
物事に対する判断が、偏見や先入観に眩まされていない、という点において、彼は他の多くのブログ主より上位にある、と私は思っている。
より適切な言い方をすれば、世界や社会に対するパースペクティブ(遠近感・遠近法)が、誰よりも正確だ、と思っている。他の人は、たとえば民族問題(対中国、対ロシア、対韓国etc)などが混じると、とたんにパースペクティブがおかしくなる。私にしても、白人種(本当は、ユダ金など、その中の一部を対象としているのだが)嫌悪の言説が多いとは思う。基本的には誰もが狂った遠近法で自分の世界像を描いているのである。だから、常にそれを意識し、修正する必要がある。その、正しい遠近感を持った人物の見本が崖っぷち社長であるわけだ。

崖っぷち社長はいつも、自分は自分の我欲から行動しているだけだ、と言うが、これは韜晦というものであり、我欲だけの人間が、あのような体制批判の鋭い発言をいつもするはずはない。
この世界は結局はエゴ(既得権)のぶつかりあいだ、という彼のお得意の言葉も、私の「すべての人は平等に、生きる権利と幸福になる権利がある」というのを偽悪的に言っただけのことだと私は考えている。つまり、上にいる人間は「きれいな言葉」を利用して、下に犠牲を強いることで、自分たちの既得権を守り、拡大するから、それに騙されるな。自分の権利は堂々と主張しろ、というのが社長の言葉の意味だ、と私は考えている。

で、書くことが無い時には崖っぷち社長の言葉や文章を引用していれば、それで世界に「真の理性」の見本を紹介できるわけだから、私としては楽に社会貢献ができるわけである。(笑)



(以下「崖っぷち社長」ツィッターから転載)



で、もうひとつの話題である、いわゆるアベノミクスの件だが、マスコミさんたちはいまだにインフレについて「物価上昇率」という一側面ばかりを必死に強調してやがるね。いいかげんしつこいかもしれんが、インフレは物価が上昇するんじゃなくて、通貨価値が下落するもんなんだって。
01-23 07:11


マスコミにしろ教育にしろ、カネに関して、通貨価値ってものに目を向けずに隠そうとしている意志をものすごく感じるのだよ。カネなんて、実はそのくらいいいかげんなものだってことを、どうしても国民に知られたくないのだろうな。
01-23 07:14

カネに対する信奉が崩れると、ついでに財政再建論、ムダを削れ論など、カネの絶対化による国民奴隷化政策に多くの人間が疑問を抱くようになるんでね。そのへんに気づいている人どれだけいるだろうか。正直、まともだと思ってたエコノミストのなかにも、単にインフレ悪玉論に走ってる人いるからねえ。
01-23 07:22

あくまでも私見だけどさ、前から書いているように、安倍政権の経済運営については、金融面で見れば賛成できる部分も多いんだよ。財政面というか、カネの使い方についてはいろいろ弊害ありそうだし、結局、増税やTPPで全部チャラになること考えりゃ支持できるものではないんだけどね。
01-23 07:25

これまた、前からずっと書いてきたことだが、景気を刺激したいなら、一番意識しなきゃならんのは可処分所得を上げることだ。簡単にいえば、幅広いバラマキによるインフレ化ってことになる。カネの量が増えて価値が下がるのだから、それをみんなにバラまきゃ済む話なのだ。
01-23 07:36

で、自民党が前から言ってた話として、バラマキではなく、仕事や雇用を作り出してどうこうって話につながる。要は働かないヤツにカネはやらんと言いつつ、実は企業にだけカネをくれてやるという「偏向バラマキ」なわけだが、なぜかこんなマゾな理論が正しいと頷いてしまう人が多いんだよな。
01-23 07:39

さっきも書いたけど、インフレってのは、カネの量が増えて、なおかつ、通貨の価値が下がること。それを金融政策として、国民全員に影響がある形で実行するというのだから、当然、その分は国民みんなに公平に分配・補填されて当然だと思うのだが、なんでそういう考え方にならんのだろうね。
01-23 07:44

金融・財政政策にしろ、そのほかの政策でもなんでも同じなんだが、もちろん、我々の利権や既得権を奪い取りに来ている連中は「我々から見れば」ろくでもないヤツらってことになるだろさ。でもさ、そんな連中の仕掛けに騙されて、自分の首を締めてる我々の固定観念のほうがよほど恐ろしいと思うのよな。
01-23 07:50

おいら、思い切りマイノリティーだもんで、政治経済や国際情勢なんかで周囲とまったく話が合わないことが多いのよね。まあ、人それぞれなんでべつに構わんのだけど、そういう話をしてると、世の中はマゾな人が多いんだなあって、いつも思う。その割には愚痴が多いよなあ、とも。
01-23 08:14

この世の中、我慢を強いるようなことをさも当たり前のように要求される場面はいっぱいあるわけだけど、それがいったい誰の利益につながってるのかって考えてみると、結局、世の中の常識みたいなものを利用して、どっかの誰かさんの利益のために都合よく利用されてることばかりと気づくはずなんだが。
01-23 08:23

もっとも、自分の生活とか立場とか、いろいろ守らなきゃならないものがあって、仕方なくってことはあるけどな。まあ、そうだとしても、黙って従ってるフリしつつ爪を研ぐくらいのことはしたほうがいいんじゃねえの…ってのは余計なお世話だな。
01-23 08:25



(引用2)「陽光堂主人の読書日記」記事の一部である。上記記事の補強として転載する。



 デフレ経済を脱却して景気回復するためには、国民経済の中心を占める内需が拡大する必要がありますが、給料が増えなければ消費は落ち込んだままです。こんなことは子供でも解りますが、政府は公務員の俸給をカットし、生活保護費も10%削減してして最低賃金を引き下げようとしています。

 国民の懐を寂しくしておきながらデフレ脱却を訴えるのですから、訳が判りません。幾ら何でも官僚や政治家はそこまで愚かではないでしょうから、わざとやっているとしか思えません。

 現状のまま金融緩和をすれば、行き場を失ったお金は株と土地に向かいます。マネーゲームと土地投機使われるだけで、既に首都圏のマンションの家賃は値上がりし始めています。アベノミクスは金持ちと大企業を潤すだけで、一般庶民の生活は一層苦しくなることでしょう。

 円安が続けば生活必需品の値段も上がらざるを得ず、土地バブルが起きればサラリーマンの悲願である住宅取得も困難になります。このままでは、景気が停滞して物価が上昇するスタグフレーションに陥る公算が大です。










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アルジェリア人質テロ事件総括

「新ベンチャー革命」から転載。
有名ブログだから、既読の方も多いだろうが、今回の事件についてのブログ主の推定はかなり正解に近いように思うので、取りあえず、この引用で今回の事件についての記事は、(よほどの新情報が出てこない限り)終わりとする。

一言で結論を言えば、これはアルジェリア政府、およびその背後にいる欧米政府による自作自演テロ事件である、というのが当面の結論だ。

別記事で「カレイドスコープ」管理人氏が言っているように、周りに何も無い砂漠に、30人だか何十人だかの武装勢力が近付いてきたら、警備隊(海外のこういう石油・天然ガス施設は、ほとんど軍事施設並に警備されているようだ)がその接近を阻止するはずである。テレビ報道では、施設の前で銃撃戦があったとされているが、はたして事実かどうか。八百長的銃撃戦でお茶を濁して施設内に襲撃者を導き入れた可能性もある。
その他、下記記事にあるように腑に落ちないところはたくさんあり、これはアルジェリア政府(およびその背後の欧米政府)による「自作自演テロ事件」ではないか、という推測も、あながち荒唐無稽とは言えないように思う。何しろ、「9.11事件」という世紀の自作自演テロ事件があるのだから、この程度の規模の自作自演テロは簡単だろう。犯行実行犯は、騙して使い捨てにし、人質もろとも爆破すれば死人に口無しである。
それに巻き込まれた日本人たちは気の毒だが、資源国での資源採掘関連会社で働くことは、もともとそうしたリスクがある、ということだろう。政治的都合で無辜の民が簡単に殺されるというのがこの世界の現実でもある。時には、それが一時に数千人、数万人である場合もあるわけだ。
不気味なのは、下記記事にある、日本人が最初に選択的に殺された、という証言である。
これは改正自衛隊法への日本の国民世論を作るために上(指令犯、さらにその上)から「やれ」と命じられた行為ではないか、というのが取りあえずの私の(そしてベンチャー革命管理人氏の)考えだが、あるいは単に、今やアラブ諸国やアフリカ諸国で日本人が嫌われている、という可能性もある。その方が悲しいことだが、欧米のパシリである日本が、世界中で、どのような目で見られているか、もう一度考えてみる必要がありそうだ。



(以下引用)*(1.)(2.)の部分を省略したほか、読みやすくするため一部を整理した。



3.1.16アルジェリア・テロ事件への疑問点とは


 
今回の事件でいくつか疑問点が浮かびますが、その中でも特に、際立つ疑問点は以下の二つです。
(1)アルジェリア政府はアルカイダ・テロ攻撃を警戒しており、イナメナスの被害プラントも軍によって厳重警備されていた(戦車隊が配備されている)ようですが、なぜ、30人を超える武装テロ集団の侵入を易々と許したのでしょうか。
(2)救出者の証言にて、テロ犯は日本人を探しだして、即、射殺しているようですが、この行為は人質事件としては不可解です、なぜなら、日本人は絶好の人質、すなわち犯人にとって自分の身を守る盾だからです。

4.アルジェリア政府は事前に知っていたのではないか

 上記の疑問から、本ブログではアルジェリア政府はアルカイダのテロ計画を事前に知っていたのではないかと思います、つまり、これは未必の故意の事件だったのではないでしょうか。その証拠に、よく見てみると、アルジェリア政府にとって失ったものは何ひとつありません、すなわち、被害プラントで働く700人近いアルジェリア人は全員無事だったし、肝心のプラントは破壊されていません。
 そして、この事件にて、アルカイダの人質テロ作戦はアルジェリアに限って無効だとテロリストに示すことができたわけです。
 大きな被害を受けたのはこのプラントで働く非イスラム系外国人(日本人含む)のみです。
 要するに、天然ガスの宝庫を抱えるアルジェリア政府は、それを狙う強欲集団に対し、アルカイダを使う人質テロ作戦は効果がないことを証明してみせたということです、ただし、40人前後の外国人(日本人を含む)を犠牲にすることによって・・・。

5.皆殺しにされたテロ集団の連中はだまされたのではないか

 
今回、テロに加わった30数人のテロ実行犯は高額の報酬につられて群がったいかがわしい連中だったのではないでしょうか。
 彼らはこの事件の仕掛け人から、どのような名目で仕事を請け負ったのでしょうか、それは、何人かの外国人を拉致してマリに連れ込むことだったのではないでしょうか。プラント内で暮らす外国人は丸腰ですから、彼らから見れば、それは簡単な仕事にみえたはずです。そして、彼らはバスを使ってそれを実行したのですが、待ち構えていたアルジェリア特殊部隊のヘリで攻撃されたということです。バスに乗れず、逃げ遅れた連中は人質を取って立てこもったが、全員射殺されたのです。
 おそらく、実行犯は仕掛け人からこう聞かされていたのではないでしょうか、それは、プラント内で働くアルジェリア人の一部と水面下で話がついているからプラント内に侵入しても攻撃されることはないから大丈夫と・・・。

6.なぜ、日本人は選択的に射殺されたのか
 

筆者がもっとも疑問を抱いたのは、上記のように、日本人を探し出して、あっさり射殺したテロ犯一味の行為です。これは、あらかじめ、日本人は射殺せよと命令されていた可能性があることを意味します。
 この点から、この事件にはマリに何人かの外国人人質を移送するミッションの他、日本人を射殺するウラ・ミッションがあったのではないかと疑われます。
 プロのテロ仕掛け人は、必ず、一石二鳥、一石三鳥を狙うのが常です。なぜ、このプラントがテロのターゲットに選ばれたのか、それは、日本人が多くいる工事中のプラントだったからではないでしょうか。
 この事件に米戦争屋ネオコンが関与しているとすれば、この事件をネタに法改正をやらせて、自衛隊を米戦争屋ネオコンの傭兵として、中東紛争地域にて便利に活用しようとする魂胆があるのではないかと感じます。
 そういえば最近、中東紛争地帯ゴラン高原に派遣されていた自衛隊が2012年1月15日に撤退完了していますが、上記のテロ事件はその翌日に起きています。
 今回のテロ事件は、自衛隊を中東紛争に巻き込み、米戦争屋ネオコンの傭兵化を狙う連中にとっては、非常に有意義な事件だったと言えます。
 われら国民は、彼らの仕掛ける大きなワナに嵌らないよう、くれぐれも、括目すべきです。





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家畜国家の末路

今日の記事は「徽宗皇帝のブログ」の補完記事のような内容になる。
どうも、事態が非常にキナ臭いので、のんびりと文芸・芸能などの文章を書いていられる心境ではない。(今、ワード変換で「新疆」と出てびっくりした。私が一度も使ったことのない言葉である。つまり、ワード変換はネット右翼御用達であることを最優先しているのだろうか? 個人的使用頻度は無視して、ネット世界で頻出する言葉を変換上位に載せているようである。これは蛇足ではなく、見えない危険性がそこにあると思うから書いているのである。「阿修羅」でもネット右翼や工作員の投稿記事が膨大に増えているのが懸念される。)

下記引用記事は、なぜアフリカでテロが拡大しているのかということを分析したものだ。「徽宗皇帝のブログ」では事態の「現象面」や「今後の推移」を中心に書いたのだが、これはより大きな「根本原因」を示している。
これを私流にさらに大きく、図式的に言えば、

「東(アジア)と西(欧米)との今後の政治経済的対立の舞台(象徴)が今のアフリカだ」

ということになる。
そして、この図式の中で、ロシアは東(=アジア同盟)であり、日本は西の下部国家(パシリ、財布、使い捨て国家)なのである。
で、私としては、日本が地理的に、また長いスパンでの歴史的には東の一員でありながら、明治以降の短い期間にしかすぎない欧米化(特に第二次大戦敗戦後の過去の文化的伝統からの断絶)によって欧米の一員になったかのような錯覚を持っているのは大きな誤りだ、という意見である。

日本が欧米の意にかなう政治的行動を取った時に、日本を称賛する欧米人は多い。だが、それはいわば「褒め殺し」なのである。(本来の「褒め殺し」の用法とは違うかもしれない。心の中でベロを出しながらのうわべだけの称賛、と言うほうが適切だろうが、適切な言葉が無いので、「褒め殺し」と言ったわけだ。)日本人が必死になって欧米にお仕えしているから、よく芸を仕込んだ犬を褒めるように褒めているだけなのだ。その末路は、安楽死させてもらえば幸い、というところだろう。




(以下「櫻井ジャーナル」から引用)




2013.01.21


中東/アフリカで戦乱が広がっている一因は利権を維持したい米英仏が支配システムを維持し、中露を排除しようとしているためだが、日本は中国との緊張を高めようと必死


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 中東やアフリカで戦乱が広がっている。この地域はかつてイギリスやフランスをはじめとする欧米の植民地。第2次世界大戦後はアメリカの影響力が拡大していたが、21世紀に入るとこうした「西側」の国々が保有していた利権が揺らぎ始めた。

 その大きな原因はBRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)やSCO(中国、ロシア、カザフスタン、キルギスタン、タジキスタン、ウズベキスタン)の台頭にある。BRICSはベネズエラなどのラテン・アメリカ諸国もつながり、SCOにはオブザーバー国としてインド、イラン、モンゴル、パキスタンが参加している。勿論、BRICSとSCOを結びつけているのは中国とロシアだ。

 現在、「西側」の国々は揺らぎ始めた利権を取り戻し、さらに拡大しようとしている。そのひとつの結果が「アラブの春」。マリやアルジェリアでアル・カイダ系武装集団が活発に動き始めた理由もその辺にあるだろう。好戦的な雰囲気を高めるためにメディアが果たした役割も忘れてはならない。

 ネオコン(アメリカの親イスラエル派)に支えられたジョージ・W・ブッシュが大統領に就任した2001年の9月11日に大きな出来事があった。ニューヨークの世界貿易センターにそびえていた超高層ビル2棟に航空機が突入、国防総省の本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されたのである。その後、アメリカは中東に軍事侵攻、国内ではファシズム化が急速に進む。

 9/11から10日後の時点でブッシュ・ジュニア政権はイラク攻撃を決定、6週間後にはイラク、イラン、シリア、リビア、レバノン、ソマリア、スーダンが攻撃予定国のリストに載っていたとクラーク大将は語っている。

 中東/北アフリカでは中国とアメリカは強力なライバル関係にあるが、経済面で強く結びついていることも事実。いわば、握手しながらナイフを突きつけ合っているような状態である。そうした中、日本は中国との軍事的な緊張を高めようとしている。


(後略)








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「イスラムテロ」という幻想の敵

「晴耕雨読」から転載。

マリ・アルジェリア問題については無知なので、その学習テキストとしては恰好の文章かと思う。途中まで筆者の立ち位置や視点がはっきりしない観があるが、全体的には理性的かつ不偏不党の立ち位置のようなので、ある程度信頼していいかと思う。

「ある程度」、というのは当然の話であり、私は「ビッグバン宇宙生成論」や「進化論」さえあまり信じていない人間だし、大好きなドストエフスキーだって、そのキリスト信仰はまったくの直覚的理解であり、合理性とは無縁だとして、眉に唾をつけている。(ドストエフスキーの信仰を信じないのではなく、ドストエフスキーへの渇仰は彼の信仰した対象をそのまま信じることには結びつかない、ということである。もっとも、キリストは大好きだし、彼がこの世にかつて存在したこと自体が一種の奇跡だとは思う。だが、世界創造神としてのエホバは、私は信じない。つまり、A→B→Cという信用連鎖・信頼連鎖は私の場合自動的には起こらないということだ。あるいはそれは私の根本的欠陥かもしれないのだが。)

引用した記事にしても、全面的に信じたら、それは信仰である。書いた方にもそれは迷惑だろう。
ということで、下記記事とはまったく無関係な前説になったが、それは毎度のことだ。
とりあえず、こうした記事や論説を読んで、少しづつでも情報を確かにしていけばそれでいいと思う。

特に注意しておきたいが、後半部の「イスラム教徒憎悪世論の醸成」は、『文明の衝突』が出版されたころからマスコミに浮上し、それが「9.11事件」で怒涛のように世界中に溢れたことから、これは冷戦終了後の新たな世界戦略として採用されたものだと分かるのである。
つまり、「テロ(架空のイスラムテロ)との戦い」によって先進国の軍産複合体を維持し、テロ撲滅名目の戦争によって消費を加速し、無駄な貧民を削減し、貧民のための福祉費用も削減し、国民の不満や疑問を「戦時体制」によって圧殺する、という方針が先進国間の合意になったということである。それはもちろん、政府を背後から操り、支配する世界金融界・産業界の意思であるわけだ。




(以下引用)




2013/1/21


「内藤正典・同志社大学大学院教授によるアルジェリア人質事件の背景解説」  憲法・軍備・安全保障

http://togetter.com/li/441998

日本では、90年代の常軌を逸したアルジェリアでの内戦について正確に知っている人はほとんどいないから、マスコミがアルジェリアについて論評するのを聞いていると、ひどく紋切型で「知らないんだろうな」という印象を受ける。

アルジェリアは「イスラム過激派のテロと戦ってきましたから武装勢力を許さない」という解説を耳にするが、そういう表現をすると、アルジェリアが親米だったかのように聞こえることだろう。

とんでもなくずれているが。




中東・イスラーム世界の出来事を断片的にみていると、こういう出鱈目な解説を流しやすい各国首脳の発言をみると、安倍首相のが最も平和的に見えるのは皮肉なことだ。

しかし、日本はなぜ救援機を飛ばさない?

解放された人たちや負傷された人たちを迎えるためにこれまで何度も中東で日本人が取り残される事件が起きたが、その度に日本政府は救援機を飛ばさなかった。

80年代のイラン・イラク戦争の時には、テヘランで取り残された邦人救出に日本の民間機は飛ばずトルコ航空が救出した。

国民国家なら邦人救出は国家の責務。

一連の事件、仏軍マリ侵攻からアルジェリア人質事件に関する米国、英国、仏国などの報道をみていると、次第にアルカイダがアフリカに猛威を振るいつつあるから、力で掃討するのは正当だという方向に収斂しつつある。

だが、これはアフガニスタンにアメリカとその同盟国が侵攻したときに怒涛のような勢いで流布された反イスラム宣伝とよく似ている。

当時も、アルカイダがテロを起こしタリバンは彼らをかくまっているから同様にテロリストであるという理屈でアフガニスタンは攻撃された。

アルジェリアの犯行グループをテロリストとするのは妥当としても、マリのイスラム勢力ごと叩き潰すことの正当性がどこにあるのか?

フランスは、マリへの軍事介入を正当化するために、介入後に起きた人質事件を引き合いに出している。

我々の介入は正当化されたとオランド大統領

アフガニスタンのときもそうだったが、マリについてもイスラム勢力の支配がいかに残虐かという記事がフランスのメディアのみならず日本のメディアにも並んでいる。

窃盗容疑で手首を切断されたマリ人、朝日朝刊。

事実なら報道するのはいい。

だが、住民の支持がないとイスラム勢力の統治が広まるはずはない。

人々がなぜイスラム勢力を支持したのかー欧米や日本のメディアは報じない。

イスラムを名乗る勢力を殲滅することは西欧的価値の優位を維持するために許されるというなら、世界は再び9.11の悲劇を繰り返すことになる

犠牲者の少ないことを祈るのみ。

日本人であろうと、なかろうと

2011年に始まった中東での民主化運動、チュニジアやエジプト、リビアで激しかったが、アルジェリアには波及しなかった。

2012年にはアルジェリアで総選挙があったが、1960年代からずっと与党の座にあるFLN(国家救済戦線)が勝利。

その時も、どうしてアルジェリアでは「アラブの春」が起きないのかと、ずいぶん議論になった。

結論的に言えば、

1.90年代の内戦があまりに凄惨な殺し合いであり、その鮮烈な記憶が残る人びとは体制変革が再び殺戮をもたらすと危惧した、

2.石油とガスの収入を公務員や中流層に還元したいわば一方で「飴」を与え、他方で、「恐怖の記憶」を操ることで、ブーテフリカの政権は、隣国での市民運動のうねりを抑え込むことに成功した。

この無言の弾圧は、当初、シリアのアサド政権も同じことを考えていたはずである。

しかし、シリアの市民は、南部のダラアという町で起きた治安機関による子どもの殺害に憤りの声をあげ、それが燎原の火のごとく広がって、今日の惨状に至った。

アルジェリア政府にしてみれば、今回のオペレーションを国際世論が称賛してくれると期待していることだろう。

90年代の泥沼の内戦を制したこと自体、政権にとっては、「イスラム過激派テロ組織」の芽を早くも90年代初頭に摘み取った功績だった。

9/11が起きた2001年より前にアルジェリアはすべて知っていたのだと。

イスラム主義者の台頭はテロをよぶと。

しかし、論理的にも、事実の点からも、これは誤りである。

冷戦の崩壊で、ソ連のタガが外れたアルジェリアでも、複数政党制への移行を可能にする選挙をした。

90年代のはじめ、地方選挙に続いて総選挙を実施したら、イスラム主義者のFIS(イスラム救済戦線)が勝利した。

それをFLN(国家救済戦線)が軍の力を頼りに潰した。

フランスは暗黙のゴーサインを与えた。

国際社会は、この理不尽な弾圧を非難しなかった。

その結果が、悲惨な内戦となったのである。

イスラム主義者の側も、政治闘争では軍に勝てないから、地下に潜伏して激しい武装闘争を展開した。

市民を標的にする殺し合いが、軍部、過激化したイスラム武装勢力の双方によって続いた。

FLNの政権は、治安に絶対的な力をもつ軍にあやつられてきた。

その結果としてのアルジェリア政府と、その軍が、今回の人質事件の当事者なのである。

武装勢力に対して、どう対処するか、それは事件が起きたときから明白だった。

この種の事件について、私には、フランス政府が知らなかったとは思えない。

英国のキャメロン首相が「事前に情報がなかった」と不快感を示したことも、もちろん額面通りに受け取れない(英と仏はともに中東・アフリカを分割してきた植民地統治の主役である)が、英国が知らなくても、フランスは知っていなければいけないのである。

それでこそ、植民地支配を恬として恥じない大国の面目躍如である。

かつて、こういう明確な政治的意図をもって政権を攻撃する勢力は、「反政府ゲリラ」とよばれてきた。

いまや、だれもゲリラと呼ばず、「テロリスト」と呼ぶ。

違和感がある。

ある人物や集団が「テロリスト」と規定されたら最後、誰も、それに逆らうことはできないかのように殲滅される。

テロリストを殲滅するのは一向にかまわないが、問題は、彼らが本当にテロリストなのかどうか、である。

むろん、ガス田で人質となった人たちにとって、彼らがテロリストであったことに疑いの余地はない。

しかし、そのことと、テロリストを育てたのがアルジェリア政権と軍部の残虐な対応だったこととは無関係ではない。

90年代以来、政権と軍が、イスラムを掲げて世直しを計ったFISを、市民の支持によって選ばれたFIS(イスラム救済戦線)を、残酷に力で壊滅させなければ、マグレブのアル・カイダをはじめ、さまざまな名前が取りざたされる「テロ組織」は、アルジェリアでは活動できなかったのである。

イスラム主義というのは、イスラムに従って世直しをして、イスラムに基づく統治をしようとする政治運動である。

市民の多数がそれを望むなら、そうなるだけのことである。

何か、とてつもなく邪悪な政治思想であるかのように思われるのは、アメリカやフランスなどの欧米諸国にとって、都合の悪いからにすぎない。

国家としての米国や仏にとってだけではない。

すでに信仰を捨ててしまった世俗主義者にとっても、神と共に生きるムスリムは、はなはだ目障りな存在なのである。

それはそうだろう。

欧米では、「神」など居場所を失っている。

人間は、なんでも「理性」に従って行動するのがよいとされる。

他方、ムスリム(イスラム教徒)は、決して「神の下した規範」を乗り越えることはできない。

むろん、「戒律」を破るムスリムならいくらでもいる。

しかし、そのことを、どうとらえるかは信徒にゆだねられている。

そして、彼らは、やはりどこかで、「神の示した正しい道」へと回帰していく。

1980年代以降のイスラム復興の潮流というものは、西欧の真似をしてつくった国家の中で生きるイスラム教徒の「生きにくさ」を反映したものだったのである。

「信仰を捨てて欧米の民主主義国家のようになれば可愛がってやろうじゃないか」アメリカもフランスも、実に自分勝手に、ムスリムの諸国家に、そう言い続けてきた。

ムスリムの国でも、アメリカ風になったり、フランス風になった人は数多い。

だが、やっぱり、それは違うんじゃないか、と思う人が増えたその帰結を、今、私たちはエジプトやチュニジアでのイスラム政党の伸長のなかに見ている。

西欧風の国家をつくることにかけては先端を行ってきたトルコでさえ、いまや、「西欧思想に追いつかなければ進歩にならないんだ」という西欧追随をやめてしまった。

だが、こういう現象は、ムスリム諸国が自分で選択したとは限らない。

いいようにアメリカに利用され、いいようにフランスに支配され、いいようにEUにあしらわれたことによって、中東諸国の人々は、少しずつ、ムスリムとしての自覚を新たにしたのである。



(後略)










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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
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