忍者ブログ

他国ヘイト言説をやめよう

今回は特に引用はしないが、今朝のあるブログを読んで非常にがっかりしている。原発問題などでは政府に猛烈な抗議をし、ネット弾圧らしきものとも戦った立派なブログなのだが、問題が中国のことになると、そこが共産党独裁政権である、というだけでほとんど全否定的論調になっているのである。
いったい、この世界に本物の言論の自由があり、民主主義が機能している国や政権があるとでもいうのか。また与党の独裁でない国があるというのか。むしろ、プーチンのロシアのように、独裁に近い政権だからこそNWOやグローバリズムの侵略と戦えている、というのが実情ではないか。

こうした中国共産党否定言説は中国否定言説との区別なく世間に流通し、世間の中国印象を悪化させる役にしか立たない。
つまり、欧米によるアジア分断戦略のお先棒を担ぐ行為なのである。

実のところ、私が愛読し、しばしば引用するブログの大半は、そうした中国嫌悪言説、中国共産党嫌悪言説をするブログが非常に多い。他の点では理性的で尊敬できるブログ主が、この点になるとまるで欧米やユダ金やジャパンハンドラーズから金でも貰っているかのように、他国ヘイト言説をするのである。
そうでないのは飯山一郎老人などほんの少数にすぎない。
何度も言うが、彼らは自分自身、中国共産党や日本共産党から、ほんのわずかでも害を受けたことはあるのか。なぜ自分が直接の関係もない政党や政権をそれほど口を極めて罵倒する必要があるのか。私にはまったく信じ難い態度である。他国民が「独裁政権」下にあるのがそんなに頭に来るというのは、私には理解できない。

念のために言うが、私は議会制度に基づく漸進的社会主義を推進すべきであるという意見の持ち主だが、「共産主義」は、現実には実現不可能なファンタジーだと見ている。つまり、共産主義を否定する者である。しかし、政治制度については、それこそその国民の問題であり、他国の人間がそれを云々する資格は無いし、そういう言説は他国ヘイトの心情を喚起する有害なものだと思う。

また、共産主義はファンタジーであるにしても、国民全員の平等を理想とする理想主義であり、格差社会や身分固定社会において、その対立軸の一方の旗としては有効であったし、今でも有効だと考えている。


なお、蛇足で言えば、

社会主義とは生産手段を国有化することで国民全体の平等を目指す思想、
共産主義とは私有財産まで否定することで国民の完全な平等を目指す思想

である。


つまり、本当の意味での共産主義国家など歴史上存在したことはないのである。





















拍手

PR

鳩山は偉い! 鳩山は凄い!

「晴耕雨読」より転載。ツィッター部分の途中から別話題になるので、そのあたりは省略する。
やはり鳩山由紀夫は偉い。
真の愛国者であり、日本にとっての利益を第一に考えて行動している。そのためには、自分が逆に「売国奴」の罵言を浴びるのも最初から覚悟している。まるで山本周五郎の『樅の木は残った』の原田甲斐である。世の中に、こうした無私の行動、勇気ある行動ができる人間がいることが、私には奇跡のようにすら思える。

何よりも大事なのは、アジアが手を取り合って発展することである。
それをさせたくないのが欧米(特にユダ金)である。
このことを根底に考えれば、すべての錯綜した意見や主張は簡単に一刀両断できる。
何も迷うことはないのである。

しかし、鳩山は凄い。良い意味での「宇宙人」である。我々地球人のレベルをはるかに超えた精神性を持っている。一人だけ先にアセンションしてしまっているようだ。

日本政府の「領土問題は存在しない」は、まるっきりダチョウが砂の中に頭を突っ込んでいる姿である。目を閉じさえすればものは存在しなくなるとでもいうのか。
あるいは差別問題での「用語規制」にも似ている。言葉を消せば現実問題が解決するとでもいうのか。
もっとも、こうした「問題そのものが存在しない」というのは、自分の国(政府)にとって都合の悪い問題が起こった時の政府の決まり文句にすぎないのだが。
しかし、自分たちが事を荒立てておいて、「係争地問題は存在しない」は矛盾そのものである。
問題の存在を認めないで、問題を論じることは不可能だ。
つまり、永遠に日中両国間の争いは残る。
まずは問題の存在を認めた上で、「棚上げにする」というのなら、これは立派な解答なのである。

自民党の政治家たちが早速鳩山の日中友好回復活動の悪口を言っているようだが、日中戦争を起こすことが自民党の使命だとでもいうのだろうか。






(以下引用)



2013/1/18


「尖閣諸島 係争地であることはいうまでもない。だから先人達が係争しないように棚上げしてきた:宋 文洲氏」  憲法・軍備・安全保障

https://twitter.com/sohbunshu

ああ、また売国奴と呼ばれる。

尖閣諸島「係争地認定を」=鳩山元首相。http://t.co/ZIZPZ0lf

係争地であることは、いうまでもない。

だから先人達が係争しないように棚上げしてきた。

石原達右翼が係争地を係争にしただけ。


係争地ではないなら、なぜアメリカの新聞に領有権を宣伝する必要がある。

外交上が「固有領土」というのが分かる。

しかし、係争地ではないならば、中国公船を監視するのではなく、即時に駆逐をすべきだ。

米国は日本領土を守る義務がある。

寝た虎を起こすな。

もっと重要なことが山ほどある。

そんな暇がないはず。

(中略)

日本経済が本当に元気を戻り戻すには、中国との関係を早く、「普通」のレベルに戻すことだ。

日中友好じゃなくてもいいから、せめてこのような不健全な状態から脱出することだ。

----------------------
http://t.co/ZIZPZ0lf

尖閣諸島「係争地認定を」=鳩山元首相が中国側に主張

時事通信 1月16日(水)22時6分配信

 【北京時事】中国を訪問した鳩山由紀夫元首相は16日、北京で賈慶林全国政治協商会議(政協)主席や楊潔※(※=タケカンムリに褫のつくり)外相らとそれぞれ会談し、沖縄県・尖閣諸島をめぐる問題などで意見交換した。取材に応じた鳩山氏は尖閣諸島が「係争地であると互いに認めることが大事だ」との考えを中国側に伝えたことを明らかにした。
 日本政府は領土問題は存在しないとの立場で、鳩山氏の発言には批判が出そうだ。鳩山氏は田中角栄、周恩来両首相が1972年の国交正常化に当たり、尖閣問題を「棚上げ」したとして、こうした「認識」に戻ることが必要だとの考えも述べた。賈氏らは鳩山氏に同意したという。 












(追記) 下記引用記事は「読売新聞」記事だから当然鳩山批判記事になっているのだが、その中からでも鳩山由紀夫の一連の活動が中国の国民感情を大きく和らげたことが読み取れる。つまり彼は素晴らしい成果を上げたのである。
しかし、報道記事の中に記者の意見まで入れるという現在のマスコミ記事は、報道の本質から逸脱しているはずだのに、なぜ誰もそれを批判しないのだろう。まあ、マスコミ自身がマスコミを批判するはずがないのは当然だろうが、せめてネットの中で、その事に大きく声を上げていくべきだろう。




(以下引用)



「30万人」にうなずいた…中国紙、鳩山氏絶賛



読売新聞
2013年01月18日21時13分



 【北京=五十嵐文】18日付の中国主要各紙は、鳩山元首相が南京大虐殺記念館で手を合わせる写真を1面に掲載した。

 日中関係が冷え込む中、中国メディアが日本の政界関係者の言動を好意的に報じるのは異例。安倍政権の対中政策に批判的な鳩山氏を持ち上げ、日本の世論を分断したい考えがあると見られる。

 18日付京華時報は鳩山氏の写真と共に、鳩山氏が歴史問題で「おわび」を表明し、沖縄県・尖閣諸島は「係争地」だとの認識を示したことを「理性的」だと絶賛。新京報も同日付で、「日本国内にも強硬一辺倒ではなく、友好的で歴史を直視する声もある」との専門家の談話を掲載した。

 鳩山氏の今回の訪中が、中国側の宣伝に利用された側面は否めない。鳩山氏は大虐殺記念館を訪れた際、諸説ある南京事件の犠牲者を「30万人」と特定している記念碑での献花は見送っていたが、国営新華社通信は18日、「30万人」との記念館側の説明に鳩山氏が「うなずいた」と報じた。









(追記2)「櫻井ジャーナル」に関連記事があったので、これも転載しておく。日本政府の現在の姿勢がいかに危険なものであるか、これを読めば分かるし、その危険を未然に防ごうという鳩山由紀夫の身を挺した行動がいかに素晴らしいものであるかも分かるだろう。




(以下引用)



2013.01.18


尖閣諸島を係争地だと表現した鳩山元首相を小野寺防衛相は「国賊」だと罵ったが、係争地でないなら中国の航空機が日本の設定した防空識別圏に入れば警告射撃もありえる


カテゴリ:カテゴリ未分類

 鳩山由紀夫元首相を小野寺五典防衛相は「国賊」だとBSフジの番組で発言したのだという。尖閣諸島は日本と中国との間の係争地だと中国で語ったからだというが、係争地だと認めないということは、この件に関して中国とは問答無用、「中国政府を相手にせず」ということである。

 日本政府は1895年1月に尖閣諸島を日本の領土にすることを閣議決定、この決定を金科玉条のように主張しているのが小野寺防衛相のような人びと。日清戦争の最中の決定であり、しかもこの決定を日本政府は少なくとも正式には公表していないのだが、そういうことは意に介していない。そして翌年の3月に日本が戦争で勝利、中国/清側は文句を言えない状況になった。その後、中国では他国の侵略を受け、内戦もあって国土は荒廃する。

 中国を侵略していた国の代表格が日本だが、その日本は1945年にポツダム宣言を受け入れ、連合国に無条件降伏する。第2次世界大戦で敗北したわけだ。日本の戦後はポツダム宣言を受け入れるところから始まった。

 そのポツダム宣言の第8条には次のように書かれている。

 「『カイロ』宣言ノ条項ハ履行セラルヘク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルヘシ」

 本州、北海道、九州、四国は日本領として認められているが、それ以外は連合国側が決めるとしている。1946年1月に出された「連合軍最高司令部訓令」によると、日本の領土とは4主要島のほか「対馬諸島、北緯30度以北の琉球諸島等を含む約1000の島」で、竹島、千島列島、歯舞群島、色丹島などは除かれている。(孫崎享著『日本の国境問題』)

 そしてカイロ宣言も日本は受け入れなければならない。カイロ宣言には次のようなことが書かれている。

 「第一次世界戦争ノ開始以後ニ於テ日本国カ奪取シ又ハ占領シタル太平洋ニ於ケル一切ノ島嶼ヲ剥奪スルコト」、また「満洲、台湾及澎湖島ノ如キ日本国カ清国人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民国ニ返還スルコト」、そして「暴力及貧慾ニ依リ日本国ノ略取シタル他ノ一切ノ地域ヨリ駆逐セラルヘシ」。

 日本が中国人から奪った一切の地域を中国へ返還しろとされているのだが、尖閣諸島は日清戦争のドサクサ紛れに領土だと閣議決定、しかも外部に対しては宣言していない。歴史的な背景を云々かんぬんする以前に、ポツダム宣言/カイロ宣言で日本側の主張は揺らいでいる。少なくとも日本側は中国に対し、「問答無用」と言うわけにはいかない。

 しかし、日本政府は尖閣諸島を係争地でないと主張している。尖閣諸島を自国の領土だと主張する中国の航空機が日本の主張する「防空識別圏」に入ればどうなるのかは明らかだ。その明らかなことを小野寺大臣は1月15日の記者会見で語っている。

記者:「つまり、中国の飛行機が日本のいわゆる領空に入ってきた場合、この警告射撃ということは、ありうるということでしょうか。」

大臣:「どこの国も、それぞれ自国の領空に他国の航空機が入って来て、さまざまな警告をした中でも退去しない、領空侵犯を行った場合、これはそれぞれの国がそれぞれの対応を取っておりますし、我が国としても、国際的な基準に合わせて間違いのない対応を備えていると思っています。」

 尖閣諸島を特別扱いしないことを確認している。当然、状況によっては警告射撃の可能性はあるということ。菅義偉官房長官も16日の記者会見で、国際的な基準に基づいて、尖閣諸島に限らず、一般的に領空侵犯機に対しては、従前通りの厳正な対領空侵犯措置を実施する、と述べている。

 尖閣諸島が係争地でないと主張する以上、警告射撃の可能性があるというのは必然的な結論。係争地でないとする主張が軍事衝突、戦争の勃発を引き起こしかねないことを再確認させる記者会見だった。














拍手

嫌な現実に目を閉じさえすれば生きるのは容易、か?

私の母が何かの機会に言った言葉で、今でも覚えているのが二つある。
それは「見ぬもの清し」と「我がサミ(かさぶた)や、かぎ(美しい)サミ」という言葉で、後者は沖縄か宮古島のことわざかと思う。どちらも実に皮肉な言葉で、ラ・ロシュフコーばりの冷徹・冷厳な人間観が底にある。
前者は「喉元過ぎれば熱さ忘れる」に少し似ているが、それよりも、「心ここに在らざれば、見れども見ず、聞けども聞かず」(一般には「見れども見えず、聞けども聞こえず」として知られている。)の方に近いか。しかし、それよりも短くて、鋭い箴言である。この言葉は二つの解釈ができる。一つは、我々は自分の目の前のものに何の根拠もなく信頼を置くが、それが信頼に値するとは限らない、ということ。もう一つは、我々は自分が見たくないものは存在しないものとして自分自身を騙しながら生きることが多い、ということだ。
後者(「我がサミや……」)は、言うまでもなく、人間の自己愛をからかった言葉である。「我がものと思えば軽し 笠の雪」という俗な俳句にどこか似ている。自分に関するものは何でもよく見え、他人のものには嫉妬し、見下したがる、というのが通常の人間性である。
こういう言葉を言う私の母親であるから、リアリストではあったのだが、弱者への同情心は非常に強かった。私の反権威主義や、常に自分を弱い者、劣った者の側に置いて考える性向は、あるいは母親からの遺伝かもしれない。父親の方はというと、西郷隆盛の大ファンで、「敬天愛人」の額を家の鴨居に懸けるような夢想的博愛主義者であった。
子供の頃は、そういう両親の良さを知らなかったし、どちらもとっくに死んでいるのだが、まあ自分の中にその両親の血が流れていることは、嬉しいことである。

さて、何だか個人的回想になってしまったが、これは下記記事の前置きなのである。
要するに、最初に書いた「見ぬもの清し」が、下記記事の除染活動を一言で言ったものだ。
つまり、除染など最初から不可能だし、除染した土を捨てる場所もあるはずがない。
であるから、とにかく「やったふり」をしていればいい、というのが政府の福島原発放射能汚染対策であったというのが事実なのである。
良く使われる比喩で言えば、「敵から隠れたつもりで頭を砂の中に突っ込んでいる駝鳥」というのが現在の日本政府と日本国民の姿であるわけだ。
で、ほとんどの日本国民は「放射能汚染など存在しない」、というふりをして、見たくないものから目をそむけつつ、個人の日常という砂の中に頭を突っ込んで生きている、というわけである。





Living is easy with eyes close……(ビートルズ「ストロベリーフィールズ・フォーエバー」)







(以下「阿修羅」から引用)



除染で汚染物不法投棄 ゼネコンの底知れぬ悪意と腐敗 (とある原発の溶融貫通(メルトスルー)) 
http://www.asyura2.com/12/genpatu29/msg/656.html
投稿者 赤かぶ 日時 2013 年 1 月 10 日 14:54:00: igsppGRN/E9PQ

http://blog.livedoor.jp/home_make-toaru/archives/6856502.html
2013年01月10日09:59 とある原発の溶融貫通(メルトスルー)

■捨て場所がないので川に
福島県内などで行われている除染作業で、汚染された土や枝葉、水などを日常的に、川などに不法投棄していた。除染作業を受注した元請けのゼネコンは「指示はしていない」と否定するが、現場作業員からは「不法投棄は日常的」とする声も聞こえる。

■汚染土、汚染水、枝葉も
福島第一原発事故により飛び散った放射性物質を除去するいわゆる「除染」は、大手ゼネコンが受注。その後、2次、3次の下請けに回す形で作業が行われている。
作業については、環境省が細かいガイドラインを定めている。建物を洗浄する際には、下にブルーシートを敷いて水を受け、たまった水はポンプでくみ取り、浄化装置で処理する。
枝葉はフレキシブルコンテナバッグと呼ばれる専門の袋に入れ、仮置き場で管理する。
はぎとった汚染土壌は、やはりバッグに入れて、市町村などの提供する仮置き場に置くことになっている。
ただ、現場ではこういったガイドラインは全く守られていない。毎日新聞の取材によると、そもそも仮置き場が不足しているため、日常茶飯事になっているという。
■大手ゼネコンは指示を否定
今回、汚染土壌を不法投棄したとされるのは、田村市、楢葉町、飯舘村で行われた除染作業。担当するのはそれぞれ、田村市が鹿島JV、楢葉町が前田建設工業、飯舘村は大日本土木。
それぞれの大手ゼネコンは、「不法投棄するよう指示していない」と回答しているが、常識的に考えれば、仮置き場が足りないことは知っていたはずだ。
どう対処するのか、指示、監督する責任を負うべきであり、下請けのせいにして逃げるのであれば、国と現場の間に入って「ピンハネ」している企業として、最低限の仕事すらする気はない、ということになる。
■除染はゼネコンのため
そもそも除染活動は意味がない。除染しても、時間経過とともに線量が戻ることは、各地で報告されている。セシウムなどの放射性物質は、風や雨にのり、常に移動しているためだ。
昨年10月、みんなの党の柿沢議員がウクライナを視察した際、当時の非常事態省副大臣、ボリス・プリステル氏が、チェルノブイリ事故の影響を説明。
同国では、事故直後から4年間にわたり、巨額の費用と軍隊を投入して、除染活動を行ったが、全く効果はみられなかった、と語り、日本は同じ間違いを犯すべきではない、とアドバイスしている。
除染はもっぱら、ゼネコンに血税を吸い上げられるだけで、何の効果も生まないことは明らかだ。さらに除染モデル事業を実質的に仕切ったのは、今回も問題となっている鹿島JVの他、大林組、大成建設の3社だ。
3社は原発建設受注でも、トップ3を占める。国内57基の原子炉建屋の受注実績は、鹿島24基、大林組11基、大成建設10基となる。
原発を作り、事故が起きれば、無意味な除染を受注。さらに手抜きまで行って利益を増大させる。原発ムラに連なるこういった企業にいかに対応するか、安倍新政権の手腕に注目したい。









(1月17日追記)「晴耕雨読」に同じ話題についての記事が出ていたので転載しておく。私も相田みつをは嫌いなのだが、その理由は、「何でも肯定的に見ることは、現状への批判心を眠らせ、世の悪を温存する結果になる」からである。「悪があったっていいさ。人間だもの」というわけである。これが世の権力者や支配層にとってどんなに都合のよい大衆心理であるか、気づかない人が(相田みつをファンはもちろんだが)案外多いのである。ついでに言えば、相田みつをのあの「下手ウマ字体」も「狙って作った素朴さ」という厭味と臭みがあって私は嫌いである。



(以下引用)


2013/1/16


「室井佑月氏 「手抜き除染」問題は「にんげんだもの」に似ている〈週刊朝日〉」  世界経済のゆくえ

室井佑月氏 「手抜き除染」問題は「にんげんだもの」に似ている〈週刊朝日〉 投稿者 赤かぶ 日時 2013 年 1 月 15 日 から転載します。

週刊朝日 2013年1月25日号

 作家の室井佑月氏は新年から「手抜き除染」の記事を読んで、「なぜか『相田みつを』さんの『にんげんだもの』という言葉を思い出している」という。

*  *  *

 1月4日、朝日新聞朝刊のトップ記事は、「東京電力福島第一原発周辺の除染作業で、取り除いた土や枝葉、洗浄に使った水の一部を現場周辺の川などに捨てる『手抜き除染』が横行していることが、朝日新聞の取材でわかった」というものだった。

人気blogランキング <-- クリックしていただくと、より多くの方に読んでいただけます。応援よろしくお願いします。


 作業員いわく、「計測地点周辺だけきれいにすればいいと指示された」だって。

 ってことは、汚染物質のたかが移動に、この国は6500億円もの金をつぎ込むのね。だったら、その金を地元の人々に直接渡したほうが良いんではないかとあたしは思う。

 どうせ国は国民に本当のことを教えてくれないし、どうせ国民の一人一人の命や健康なんてつまんないことだと考えているんだろうし(今回、計測地点だけきれいにしろって指示されていたってことからしてもわかるじゃん)、だったらできる限りの金を渡してくれて「自分で考えろ」っていってくれたほうが親切というものだ。

 相田みつをさんの「にんげんだもの」。どういう内容の詩だったか気になって、きちんと調べてみた。

――つまづいたっていいじゃないか にんげんだもの くるしいことだってあるさ 人間だもの まようときだってあるさ 凡夫だもの あやまちだってあるよ おれだもの――

 なんかやっぱり、あたしはこのニュースにピッタリの詩だと思う。絶対に安全だっていってた原発で事故が起こった、にんげんだもの。事故の収束上手くいかない、人間だもの。放射能の被害が出たらどうしよう、凡夫だもの(超人じゃないって意味)。

 ただ、相田さんは、そんな弱くておろかな人間だけど、反省して前を向いて行こうと、詩の中で訴えかけている。この国の一部の指導者の心根とは、真逆。

「あやまちだってあるよ おれだもの」の次は「まあ、いいか。被害を受けるのおれじゃないもの。おれだけ良ければそれでいっか」。そんなもんなんだろ?


コメント


01. 2013年1月15日 19:09:40 : GCziX3ujBY
にんげんだものというより、無責任・いいかげん・どうでもいいが団子になった結果でしょ。

02. 2013年1月15日 19:15:53 : 90iotVfajo
効果のない”除染”なるものに使う金はこの日本にふんだんにあるということだ。

しかし生活者に回る金はないらしい。


03. 2013年1月15日 19:26:11 : Pj82T22SRI

>汚染物質のたかが移動に、この国は6500億円もの金をつぎ込む

除染とは、そもそも、「汚染物質のたかが移動」

どうせ時間が経てば自然放射線以下になるような無意味なことに人やモノを回すのは止め

必要不可欠なインフラ整備や、それに関連した失業訓練などを最優先に行う方が、余計なインフレも抑えられるので遥かによい


04. 2013年1月15日 19:26:22 : 0obSollhXY
いや。おれは最近、歳のせいで目がわるいものだから、「にんげんだもの」を「けだものだもの」と読み違えた。われながらはっとして、よくみると「にんげんだもの」だった。ほっとした。

――つまづいたっていいじゃないか けだものだもの くるしいことだってあるさ けだものだもの まようときだってあるさ けだものだもの あやまちだってあるよ おれはけだものだもの――

相田みつおって三流のパスカルみたいな短文を書くひとだけど、あれだね、銀行の支店長室なんかに飾ってるのをよくみるね。
けだものだもの。か。(ぷっ)



05. 2013年1月15日 19:40:25 : GCziX3ujBY
>>04

相田みつおを感性が好きな人と嫌いな人がいる。
私は嫌いで、皮膚の表面がムズムズする。気色が悪い。
支店長室とか、零細・中小企業の社長室とかによく飾ってありそうな相田みつを。
高速道路の土産物屋とか、道の駅で色紙を売ってそうな相田みつを。

この感性に感動しちゃう人って、俗っぽいのが好きな人だと思うよね。
昔、「一杯のかけそば」に感動して国会で紹介しちゃった議員がいたが
(たしか公明党のガハガハ・ゲハゲハしたオヤジ議員)、
そういう単純な粗い感性。


06. 2013年1月15日 19:41:31 : GCziX3ujBY
>>05 訂正

× 相田みつおを感性が好きな人と嫌いな人がいる。

○ 相田みつおの感性が好きな人と嫌いな人がいる。


07. 2013年1月15日 19:43:02 : w18f1GkoJs
「自己中」だものって言った方がいいかも。「俺は俺のために偉くなったのであって、国民なんか、ホントはどうでもいいんだよ」っていうような奴が多いようだ。

08. 2013年1月15日 20:57:06 : I0wUTwXRRk
問題は原発の安全性を力説する者が結局作業は下請け任せで直接作業には関わってないという事だ。
つまり彼らの安全性は天気予報レベルであるという事だ。
こんな体制で原発再稼動、無論原発増設などもっての他だ。
政府と東電は未だに原発の安全性に責任を取ってない!下請けに聞いてくれ状態なんだ。
事故が起きても隠蔽しかしないのにどう安全だと信じれるのか?ふざけないでくれ。
東電社長の、あの謝罪は何だったんだ?政府は事故後に一体何のどんな対応をした?
結局、何にもやってないじゃないか!経産省も東電も少しは真面目にやってくれよ!
被災地の農家を、作業員を、何だと思ってるんだ!これじゃ中国、北朝鮮云々を言えないだろ?同レベルですやん。

09. 2013年1月15日 21:53:45 : 0obSollhXY
高校の体罰問題もそうだ。
ハシシタあたりが体罰禁止なんていってるが、今回の高校生の自殺は体罰が問題なんじゃない。
体罰から逃れるにも逃れようが無いという日本の閉塞した社会のあり方が問題なのに、なぜかそれを問題にせず、体罰自体が原因のようにマスゴミがはやしたてる。
そうじゃないのだ。
体罰はたしかに悪いが、それよりも体罰をさけるような方向に進むにも世間の狭さゆえにどこにも逃げ場がなかったことが問題なのだ。
その意味では両親も、仲間も体罰以上の「悪」なんだ。
クラブ活動をやめる事ができないような空気。学校に訴えることもできないような空気。どこにもだれにも相談できない空気。このような現代日本の閉塞した空気が問題であるのにだれもそれに言及しないで、
むしろそれを隠蔽するために教師にすべての責任をおいかぶせる。
体罰なんかむかしからいくらでもあった。
自殺するまでに至るには体罰以上にそこから逃れることのできない世間全般のがんじがらめの空気にこそ問題があるのだ。

10. 2013年1月15日 22:02:55 : FMdMRKf5Fw
09〉さんに賛同します。
体罰・自殺問題に、まともな論評を初めて接しました。

11. 2013年1月15日 23:08:31 : RxJtylE7p6
10さん同様、09さんの意見に賛同。

12. 2013年1月15日 23:24:49 : RxJtylE7p6
それで、100万年殺人廃物の製造湯沸かし器ってのは、設計者の段階では、トラブルにはこうしてああしてと、その人の中では出来るだけ手を打った設計をする(した)つもりで出すんだそうだが、結局現場の作業には、あろうことか職人が入れずに、素人に近い現場作業員が、複雑怪奇な図面に対応できずに、とんでもない低レベルで作業するんだって、現場監督の方が経験談を語ってた。
移染作業でも、指示者と作業員が乖離してるし、そもそも建設の現場からしてそうだってんだから、あの殺人機械ってのはとことん性質の悪い厄介もんだ。

一つの暴力の権現にたいな存在だから、暴力団体よろしく巨額を動かしやがりますから、どうしても麻薬同様の中毒者が出現しちまう。いわゆる既得権益、利権って麻薬だ。移染にしても、原発ってやつにしても、その中毒症状から、この国の人間は解脱できない、したくないってんなら、残念ながら滅びが待つだけだ、我々は。

自分だけは得したい、他人を押しのけても、というのが大陸型の強欲だが、この国は、自分だけは損したくない、という強欲の国民性だ。だから、みな一斉に止める以外には世の中が変わりようがない。ほんの一部の人間は、自分が持っているものを失っても、子孫のため、他者のためならいいと考えるが、またそんな人々をあざ笑うから始末が悪い。せめて干渉しないでおればいいが、どっか己の内面で後ろめたいのは自覚があるせいだろう、揶揄し、罵詈雑言を浴びせずには落ち着いていられない(というのが工作員の適正というか、性分ということか)。

これだけゆがんだ国民が多数となれば、全ての人間は自滅以外の方向性しか持てない、これは真に悲劇だ。


13. 2013年1月15日 23:28:52 : MpRTrXYSR2
蕎麦屋のトイレではじめて相田みつおの色紙を見たとき、
「づ」にゴミがついていて「が」に見えた。

「つまがいたっていいじゃないか にんげんだもの…」
なかなか粋なことをいう人だなと思ったが、
その後、本物を知って気持悪くなった。

この蕎麦屋の主人はみつおのファンらしく、店内所狭しと彼の言葉が並んでいて、蕎麦を食いながら説教されている気分になるので、この店に行くのをやめた。
蕎麦は旨かったのに残念だ…。

相田みつおと金子みすずは反吐が出る。


14. 2013年1月16日 00:23:37 : 90iotVfajo
人間がけだものより倫理的に優れているということはない。

人間は人間同士殺しあう。それも組織的に大量に。ほかにそんなにばかなことをする種はない。

ナニに関しても普通の動物は普通発情期以外は発情しない。生殖に適した時だけ発情する。人間は男も女も年がら年中発情している。(これには人間の生長期間がやたらと長いということに適応したもの)

まるでけだもののようにという表現は大笑いである。


15. 2013年1月16日 05:06:06 : KZWsL1KpwQ
『流石は<平成の和泉式部・室井佑月様>、事態の本質をやんわりシャープに提示していますねぇ。』

<相田みつを氏>の色紙の言の端を比喩として持ち出すなんざぁ、お見事!としか言いようがない。
そもそも<相田みつを氏>は詩人でも書道家でも思想家でも無い、単なる<レタリング作家=書道の丸文字作家>でしかない…と私は思っている。
<相田みつを氏>の言の端は、言ってみれば、大昔の<武者小路実篤氏>の「仲良きことは美しき哉」「君は君 我は我なり されど仲良き」なーんて、訳のわかんない、体制温存・予定調和・ガス抜き文言と似たようなモノに過ぎないのである。

とは言え、<相田みつを氏>自身がそうした政治的な意図をもって活動していたかって問われれば、そうではないでしょう?と言わざるを得ない。
恐らく、<相田氏>は元来が‘僧侶=仏教家’であると思われるから、その道に沿って行動・表現したのであろう。が、それが<自己保身・既得権益族=広告媒体>の餌食になってしまったってことさ。

だから、<13~MpRTrXYSR2 様>が『相田みつをと金子みすずは反吐が出る。』と仰る根源は、芸術的創作者が“権力構造&広告媒体”に“身を売る”ことに対する「嫌悪感」にあるって私は思う。
創作者ご本人も版権継承者も、銭金の問題はさて置いて、よーく熟慮した方が今後の御身のためでっせ?


16. 2013年1月16日 07:26:35 : EYHTwT0u8w
私は震災直後の怒涛のような『ぽぽぽぽーん』もキライです。
でもうちの両親はほとんど民放を見ないので、震災後しばらくはずっとテレビをつけていたらしいのに『ぽぽぽぽーん』を知らないらしい。

事件後の周辺取材で犯人について、道で会ったら必ず挨拶してくれるいい人なのに、みたいな。
暴力教師は学校内外で挨拶しないのかな?殴られてもいいんだな?って許可とってる。ぽぽぽぽーん

一生かけたって使い切れないほど蓄財してもいいじゃないか、にんげんだもの。
そのためにどんな手使ってもいいじゃないか、にんげんだもの?












拍手

「体罰」問題の基礎考察 (1月16日追記)

私の一生の思想的課題は、「この世から悪を無くすことはできないか」という質問に答を出すことだが、おそらく世間の99.999……%の人は、それは不可能だ、と最初から決め込んでいると思う。だが、私はへそ曲がりだから、全世界の人がこの問題を考えていけば、いつかこの世から悪を消せ、「地上の天国」が実現する可能性はある、と能天気に考えている。(私の少年小説『天国の鍵』はそれを扱ったものなので、お暇ならどうぞ。)
もちろん、これは悪の定義をどうするか、どの程度までの悪なら認容するかという「放射能基準値」みたいな部分があり、福島原発以後は「放射能基準値」を引き上げれば放射能被害は「無い」ことになる、というずるい手もあるのだが、まあごく常識的な範囲で「悪は、理想的な法と理想的な行政と理想的な社会道徳によってこの世から消せる」という解答を何とかして出したいと思っているわけだ。

さて、「体罰」は「悪」だろうか。
もちろん悪だ、と言う人が多いとは思うが、「体罰は必要だ」という意見の持ち主もたくさんいる。いわば「必要悪」という考えだろうか。それとも、積極的に「体罰によって根性が鍛えられ、選手としてのその後の成功にも結びつくのだから、完全に善だ」という考えだろうか。案外、スポーツ関係者には後者の考えの人が多いような気がする。だからこそ、スポーツの世界は「体罰社会」のモデルみたいになっているわけだ。
まだ私自身、体罰の是非についての最終結論は出していないが、その考察のための材料として、二つほど引用をしておく。

桜宮高校の「体罰自殺事件」について、

「引用1」は「ライブドアニュース」の自由人という人の記事の一節。どちらかというと「体罰容認派」のようだが、今回の桜宮高校の場合は、体罰ではなく「いびり」だ、という意見である。こういうように分析的な意見には私などすぐに、なるほど、と感心する傾向があるのだが、「ちょっと待てよ」と考えてみると、体罰といびりは、現象は同じであり、この論法で体罰を容認したら、いびりをする側が「これはいびりではなく体罰だった」と主張したら、すべて無罪になるのではないか。(1月16日の追記参照。予感が当たったようだ。)
むしろこのような「言葉の付け替え」で悪を容認する手法こそが悪を存続させる一因ではないかと思うので、その点だけ留保すれば、言っている意見自体には私はほぼ賛成である。つまり、「物理的な力の行使」によってしか制御できない悪が社会には溢れている、ということだ。だからこそ警察という「暴力装置」が社会には必要なのだが、暴力とは制御されない力のことだから、「暴力装置」は言いすぎか。問題は、この「装置」が実際には使う側の恣意によって悪の擁護機関にもなっているという現実である。もともと警察や軍隊自体が「体罰社会」の縮図のような部分もあるし。
なお、この自由人氏の文章の中で「しごき」は事例が不適切である。「しごき」は運動能力向上の目的で度外れた訓練を課すことだから、「試合に遅刻した」ことを理由とするなら、それは「しごき」ではなく「体罰」だろう。しかし、「体罰」と「しごき」と「いびり」という区分けを提唱したのは、今後の議論に非常に有益である。
「引用2」は「BLOGOS」の猪野亨という人の記事の一節。体罰否定論者のようで、記事全体はよくある意見なので省略するが、最後のこの部分は「体罰」そのものよりも「体罰社会」が問題だ、という、問題の根本を見据えた意見なので転載した。





(引用1)

毎度思うことながら、現在の報道を観ていると、なにやら「体罰」という言葉だけが独り歩きしているように感じられる。今回の事件の場合、「体罰という言葉を使用するのはおかしい」という比較的冷静な意見も聞かれるものの、では何がおかしいのかということになると、「暴力だ」「虐待だ」と言う意見が多いようだ。
しかし、肉体への体罰を「暴力」だとし、それが生徒を自殺に追い込んだ原因であるから体罰を禁止しなければならないと言うのであれば、少しお門が違っている。
暴力には、暴力を伴わない「言葉の暴力」というものがある。もし、今回の事件が物理的な暴力を伴わずに「言葉の暴力」のみで自殺問題に発展していた場合は何と言うのだろうか?
この質問に対して「体罰だ」と言う人はおそらく誰もいないだろう。つまり、今回の問題は「体罰」ではなかったということになる。
では何と言うべきなのか?答えは「いびり」である。
既に多くの人が述べていることだが、そもそも論として、「体罰」というものは、何か悪いことをした生徒に対して罰を与える行為を意味するので、単に試合に負けたとか、能力が足りないといった理由で生徒に暴力を振るうことは「体罰」では有り得ない。なぜなら、生徒を殴ったり蹴ったりしても、その生徒の能力が向上するわけではないからだ。こういう因果関係を無視した暴力行為は特訓的な意味合いの「しごき」にも該当しない。
いじめを行ったという理由で、
「顔面を平手打ち(ビンタ)」・・・・体罰
試合に遅刻したという理由で、
「校庭を100周走らせる」・・・・しごき
能力が足りないという理由で、
「生徒を殴る・蹴る」・・・・肉体的いびり
「生徒を罵倒する」・・・・・精神的いびり
簡単にまとめると以上のようになると思うが、教師が生徒に対して、その行為を行うことによって、事態の改善に繋がることであれば、体罰やしごきを特に問題視する必要もない。鼻血が出るとか骨折するような体罰や、健康を害するとか死の危険が伴うようなしごきは問題だが、通常の体罰であれば、有っても構わない…と言うよりも、全く体罰が無い学校の方が危険だと言える。
例えば、生徒によるいじめ事件があれば、教師がいじめを行った生徒を平手打ち(ビンタ)することは仕方がない。それは必要悪というものである。
まずは言葉で注意すべきであることは言うまでもないが、言葉で言っても解らない人間には、暴力をもって教えるしかない。他人の痛みが解らない人間には、自らも痛みをもって解らせるしか方法がない。
正気を失った犯罪者を警官が暴力行為によって諌めるのと同様、他人を傷付けても心が痛まない異常者には正義の鉄槌が時には必要だ。学校には子供を叱るべき親がいないのだから、親に代わって教師が体罰を与える行為は事情によっては認めるべきだ。
まともな体罰までも禁止にすれば、元々、事勿れ主義で無法化している学校が更なる無法地帯と化し、野獣の如く野放し状態となったいじめっこは、ますます手が付けられなくなってしまい、いじめによる自殺問題は更にエスカレートすることになるはずだ。そんな地獄のような学校なら、存在自体が悪であり、もう必要無いということになってしまう。「体罰は絶対悪」と言っているような人は、学校の更なる地獄化を望んでいるとしか思えない。
家庭内でキッチリと子供の教育ができない不出来な親が「教師が生徒を殴ってはいけない」などと言う資格は無いし、教師がそんなクレーマーのような親の存在を許しておく必要もない。教師も生徒も言いたいことをハッキリと言える学校にすることこそが、今回のような問題を防ぐには最も重要なことである。
今回、自殺した生徒も、おそらくは多くのいじめ自殺者と同様、「逃げ場が無い」と思ったのだろうと思う。単に暴力が嫌だったのではなく、クラブのキャプテンという責任ある立場(または将来ある地位)にいながら、期待通りにいかない状況に不安を感じ、そこに教師からの体罰という名のいびりが重なり、自殺に追い込まれたのだろうと推察する。
実際はもっと複雑が事情が絡んでいるのかもしれないが、結局のところ、いじめ自殺問題同様、閉鎖された教育空間が齎した悲劇であることには違いはないだろう。


(引用2)


未だに根性論が蔓延っているスポーツ界。
学校現場で体罰禁止が一般的になる中で、まるで別世界です。
しかも、スポーツ界とは無縁の管理職や教員までもが黙って見ているだけという、いかにも日本的な風潮。
このような場合に、声を上げると必ず異端視されてしまうのですから、ただただ何事も起こらないように、あるいは問題が表面化しなよう、時だけが過ぎ去っていって欲しいと願う浅はかさ。
これは、もちろん体罰以外の組織内の違法行為についても言えることです。

今回の事件は体罰が問題なのはもちろんのこと、体罰という違法行為が蔓延していたのは何故か、体罰を擁護するような声が恥ずかしげもなく表明できるのは、どういうことなのかなど、検討すべきことは多々あります。

①体罰に限らず違法行為が蔓延し、しかも、それを指摘する声を、ことさら敵視し、かえってその声を押し潰そうとする社会のあり方そのものが問われているのではないか。

②体罰であろうと違法行為であろうと結果ばかりが求められはしていないか。そして、その結果さえ出せば、それに至った経緯などは不問に付されてしまってはいないか。

③そのような体罰という違法行為を擁護する声が大きくなりがちなのは、やはりその声にも同様に恫喝的な傾向があるのではないか。あるいは学校に限らず、職場、家庭などで暴力を容認する人たちが少なくないのではないか。








(1月16日追記) 「小田嶋隆ツィッター」から転載。私はもともとこの「ヤンキー先生」という奴は大嫌いだったんだが、その本性がここからも見えるようだ。だいたいが、この義家(元ヤンキーの元教師、現代議士)のように、自分の過去の悪事を「反省」してみせることで社会的に上昇できるという手段が社会的に許容されていることがおかしい。それなら、悪事は「したもの勝ち」ではないか。むしろ、過去の悪事が売名に利用されている。まあ、どの程度の「ヤンキー」だったかは知らないが。
バルザックの作品中の哲学的悪党ヴォートランの名言を借りれば、「美徳というものは切り売りできないんだぜ」、つまり、道徳的な意味では、一度なされた悪は取り返しはつかない、ということだ。法的な処罰とは別の話である。最初からそのつもりで生き、悪を遠ざけるのが世間一般のまともな人間というものだ。元ヤンキーであるだけで、すでに人間として終わっている、と見るのが当たり前の感覚だろう。
まあ、本人の人間としてのレベルの話はともかく、「体罰」と「暴力」を区別してみせることで結果的に体罰が温存されるという、この誤魔化しはよくよく注意する必要がある。
これもある種の「東大話法」「官僚話法」つまり、「詐欺的話法」として国民の間に周知徹底させることが必要だろう。




小田嶋 隆‏@tako_ashi

「体罰とは生徒へ懲戒として行われるものだが、今回は継続的に行われた暴力という認識を持つべきだ。物事を矮小(わいしょう)化して考えるべきではない」と言う義家文科政務官は、生徒を自殺に追いやった体罰を「体罰とは別の個人的な暴力」と定義することで、問題を矮小化している。




18時間小田嶋 隆‏@tako_ashi

文科省の政務官は「体罰は暴力」と言うべき立場であるはず。だが彼は「体罰と暴力の線引きをすべき」と言っている。つまり両者は別のものだと。なんだこいつ。→『義家政務官「体罰ではなく暴力だ」 自殺の事実解明指示』』 http://bit.ly/104083n




18時間小田嶋 隆‏@tako_ashi

この人が強調しているのは「体罰≠暴力」ということ。体罰と暴力を切り分けることで体罰を擁護しています。→『義家政務官「体罰ではなく暴力だ」 自殺の事実解明指示』 http://bit.ly/104083n







(1月17日追記) 「2ちゃんねる」から拾った記事だが、義家とは要するにこういう人物であるわけだ。
権力亡者のクズ人間だから、その自分の権力が無視されるとファビョる(発狂する、ヒステリーになる:もう死語か?)わけである。



(以下引用)


神奈川16区選出の自民党衆院議員で、
文部科学政務官の義家弘介氏が地元の神奈川県厚木市の成人式に出席した際、
比例復活した民主党議員より後に紹介されたため、
「民意を否定する話ではないか」などと同市に抗議していたことが16日、分かった。


義家氏の事務所によると、成人式は14日に開かれ、
国会議員は義家氏と民主党の後藤祐一氏の2人が出席。
司会者が後藤氏から紹介した。


義家氏の抗議を受け、厚木市は「担当課長が会場の司会者に指示を出さなかった。
二度とミスがないようにする」と回答したという。


選挙区内の伊勢原市などほかの自治体の成人式では義家氏が先に紹介されたという。
義家氏が成人式後に自身のフェイスブックで明らかにした。


義家氏の事務所は「与党議員で政務官に就いていることを重視してほしかった。
申し訳ないとの返事があったので、この問題は終わっている」と話した。


[2013年1月16日22時42分]
http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp0-20130116-1072880.html









拍手

体罰を容認する日本社会の狂気

「ライブドアニュース」に転載された秋原葉月の「BLOGOS」所載記事の一部である。特に注意したいのは、スポーツ部員や、そのOBによる体罰教師擁護や体罰容認論がなぜ存在するのか、という分析であり、これが自分のアイデンティティを守るための精神メカニズムから来ているという指摘は実に鋭いと思う。自らの過去を否定することは自分の存在価値を否定されることであり、それが耐え難いために、自らの過去の一部を形成していた体罰的指導までも容認するようになるわけだ。
そして、その体罰社会の根底にあるのが「絶対的上下関係」である。特に、スポーツ特待生などは、指導教師への反抗はほとんど自己の全存在を失う結果になるために、反抗は不可能である。指導教師への反抗によってチームから落伍した場合の家族からの非難、周囲の軽蔑を考えれば、精神的に不安定な年齢の青少年が自殺を選択することも当然ありうる。
当人が自殺を選んだことについて、「精神が弱すぎる」という批評をするのは、おそらく体罰容認派や体罰教師擁護派の人間だろう。また、「子供を支えてやれなかった家族に問題がある」という批評も同様の責任転嫁作戦である。こうした一見もっともらしい議論は、世間のB層にはなかなか有効なので、それが結果的にはこの体罰社会を延々と存続させているのである。
後で、元ジャイアンツの桑田による体罰全否定論を追加掲載する予定である。

もっとも、まだ「人間」になっていない幼児が危険な行為をした時に、お尻を叩いて教えるという程度の「体罰」は、これは絶対に必要であり、周囲に危害を与える青少年の不良行為には体罰どころか刑事罰が相当である。教師は、そうした不良行為が教室内で行われた場合には「体罰」よりも「教室からの退去」を命じるべきであり、それは即座にその生徒の親にも通告すべきである。そして、そうした行為が続くようなら退学にするのが当然であり、これによって「教室崩壊」は防止できる。それを社会的合意にすればいいのである。なお、「教室退去」については小田嶋隆の考えを参考にした。




(以下引用)






この事件に関するいくつかの報道を、末尾の[続きを読む]の中に記録しておきますので、よろしければ目をとおしてくださいませ。
顧問の教師は「気合を入れるため」に殴り、ほかの部員にも「発憤させるため」殴ったそうです。
悪いことしてないのに殴られるのが続いたら、心に傷を負って人格歪むのが普通です。
人倫に反する悪行をしたわけでもないのに、些細なことですぐに平手打ちが飛んでくるのが常態になってるって、ホントに70年前の日本軍を想起させます。
こんなのは断じて教育ではありません。「調教」といったほうがいいかも。

しかし、父兄や卒業生の中にも「厳しい指導で手が出るのは当たり前」と、軍隊式のしごき、根性主義を良いことだと肯定する風潮があるのですね。ある意味とても日本的だと思います。


高2自殺 厳しい意見の一方、擁護する声も
日本テレビ系(NNN) 1月10日(木)19時27分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20130110-00000049-nnn-soci

 先月、大阪市立桜宮高校バスケットボール部のキャプテンだった2年の男子生徒(17)が、顧問の男性教諭に体罰を受けた翌日に自殺した問題で、9日夜、保護者説明会が行われた。部活動での指導について、保護者から、疑問や要望など厳しい意見が次々と上がるなど、学校側の対応に不満の声が多くを占める中、擁護する声もあった。

 保護者「僕も卒業生。正直、僕らの頃はもっと厳しかった。先生だけの責任じゃなくて、親の責任だと思う。友達を作ることも大事ですし、そういう友達がいたら、手を差し伸べるように言ってやるのも親の役目。先生はこれからも大変だと思いますけど、頑張ってください。僕は応援します」

 学校側「謝罪するしかありません。今度こそしっかりとやっていきたいと思います」
「自分は理不尽な仕打ちに耐えた、もうこんな仕打ちはなくそう」ではなく「自分は理不尽な仕打ちに耐えた、だからおまえも耐えろ」というのは、日本の社会のありとあらゆる場面で見られる負の思考回路ですね。
それにしても、子どもを自死で失ったのに「親の責任」という言葉を出すのはちょっと酷くないでしょうか。
軍隊的しごき、暴力を肯定する人が被害者である遺族の親御さんを傷つけるような発言をするのは、軍事優先思考な人が沖縄で米兵に女性が暴行されても被害者の女性の方を責める傾向にあるのと共通しているな、と感じます。


「先生は間違っていない」“熱血”指導で全国大会常連校にした顧問 桜宮高2自殺http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130108-00000578-san-soci

桜宮高校の男子バスケットボール部顧問は、高校バスケ部の指導者として全国的に知られる存在で、16歳以下の男子日本代表チームのアシスタントコーチも務めていた。以前から体罰も含めた“熱血”指導で知られ、同部を全国大会の「常連校」に育てたという。
(略)
 顧問は平成6年4月から保健体育科教諭として勤務。学校での評判について、顧問を知る卒業生からは「先生がやってきたことは間違っていない」などと擁護する声も聞かれた。

 ある関係者は、顧問の指導方法について「いいチームをつくることで評価されているが、古いタイプ」と指摘。中高の運動部では「叱られ役」を意図的につくる場合があり、主将がその役になるケースが多いという。「強く叱ったとしてもフォローは絶対に必要。コーチもいたはずで主将がそこまで思い詰めていたことになぜ気付けなかったのか」と残念がった。
(引用ここまで)
全国大会の常連校にまで育て上げることこそ大事、そのためなら暴力だって許されるという教育を私は支持できません。(実際、体罰とチーム強化に因果関係があると思えませんし)
「叱られ役」を意図的につくる場合があり、主将がその役になる~こういう見せしめの生け贄を吊し上げるやりかたもチームが強くなるための必要悪だと納得してしまうようでは、残念ながら教育が失敗した事例だといえるでしょう。

生徒は部活を続けたかったら本当は全否定したい暴力の環境を受け入れざるを得ません。ですからそれをなんとか合理的に肯定しようとしてしまいます。
「先生がやってきたことは間違っていない」と教師を擁護する声が卒業生からあがるのは、そうやって自分が置かれていた環境を肯定しないと自分の三年間が否定されてしまいそうになるからだと思います。
で、その鬼のような先生がたまに優しかったりすると益々「ああ、ホントは良い先生なんだ」と先生を肯定する気持ちが強化されます。
これ、典型的なマインドコントロールですよね
そしてその肯定感をいだいたまま、何の疑問もなく暴力をふるう側に回る大人になる卒業生も出てくるでしょう。
こうして世代を超えて悪しき軍隊精神は伝統として継承されていきます。




中村 真美子@MAAMIK0


「先生は間違っていない」“熱血”指導で全国大会常連校にした顧問 桜宮高2自殺(産経新聞) - Y!ニュース headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130108-… 暴力で支配された者たちは支配されてきたことを間違っていると否定出来ないのです。自己否定に繋がるので認めたくないのです。

2013年1月10日 返信
リツイート
お気に入りに登録




ウサギ@nekotausagi


そう言わないと耐えた自分のアイデンティティが崩壊RT @KuroU_Usagi: そう言う卒業生と、現状の認識とのズレは何だろう?〓「先生は間違っていない」“熱血”指導で全国大会常連校にした顧問 桜宮高2自殺(産経新聞) - Y!ニュース headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130108-…

2013年1月9日 返信
リツイート
お気に入りに登録

学校は軍隊であってはなりません。自分の三年間を否定されるかも知れない苦痛と向かい合っても、間違っていると認める勇気を持つところから始めなくてはいけないと思います。
子供達個人個人の人格を尊重し民主的な教育をしなければならないはずのこの日本で、いまだに軍隊的スポ根的なしごきが横行する、そんな「悪しき伝統」はいりません。
以前、日本の企業は体育会出身の学生を好む傾向にあるけど、それは上からの命令に従順な傾向があるからだと書きました。
こんな悪しき伝統が生き延びているのも、日本の社会にニーズがあり、パワハラを許容する土壌があるからでしょう。
学校から体罰をなくすには私たち一人一人が、社会が古き悪しき価値観から脱皮する必要があると思います。
そして、もちろん先生一人一人も、子どもを独立した人格として尊重し、教育とは暴力と恐怖による支配ではないという民主的な価値観、教育観をしっかり学んで欲しいと思います。

ちなみに「このような悲劇を繰り返さないために、自分が学校から体罰を無くします!」とは絶対言わないんですよね、橋下市長は。
そりゃ、言わないでしょう、だって体罰の背景にあるものはまさしく「子どもは所詮、恐怖心でしかコントロールできない」「教育は20000%強制」という橋下氏の教育観なんですから。
軍隊しごき式経営のワタミ社長を教育アドバイザーに打診するようなパワハラ市長が条例でもって直接陣頭指揮をとれるようにしても、体罰問題の解決など絶対に無理なのです。


おまけ




ひまわり(^o^)@meimi0814


「君が代条例」なんて作る位なら、「体罰禁止条例」を作る方がまっとうだろうが!!憲法にも学校教育法にも合致している。

2013年1月10日 返信
リツイート
お気に入りに登録



げに。







(引用2)




「体罰は自立妨げ成長の芽摘む」桑田真澄さん経験踏まえ

朝日新聞デジタル 1月11日(金)20時51分配信



体罰について語る桑田真澄さん=11日午後、東京都新宿区、越田省吾撮影


 【岡雄一郎】体罰問題について、元プロ野球投手の桑田真澄さん(44)が朝日新聞の取材に応じ、「体罰は不要」と訴えた。殴られた経験を踏まえ、「子どもの自立を妨げ、成長の芽を摘みかねない」と指摘した。








 私は中学まで毎日のように練習で殴られていました。小学3年で6年のチームに入り、中学では1年でエースだったので、上級生のやっかみもあったと思います。殴られるのが嫌で仕方なかったし、グラウンドに行きたくありませんでした。今でも思い出したくない記憶です。

 早大大学院にいた2009年、論文執筆のため、プロ野球選手と東京六大学の野球部員の計約550人にアンケートをしました。

 体罰について尋ねると、「指導者から受けた」は中学で45%、高校で46%。「先輩から受けた」は中学36%、高校51%でした。「意外に少ないな」と思いました。

 ところが、アンケートでは「体罰は必要」「ときとして必要」との回答が83%にのぼりました。「あの指導のおかげで成功した」との思いからかもしれません。でも、肯定派の人に聞きたいのです。指導者や先輩の暴力で、失明したり大けがをしたりして選手生命を失うかもしれない。それでもいいのか、と。

 私は、体罰は必要ないと考えています。「絶対に仕返しをされない」という上下関係の構図で起きるのが体罰です。監督が采配ミスをして選手に殴られますか? スポーツで最も恥ずべきひきょうな行為です。殴られるのが嫌で、あるいは指導者や先輩が嫌いになり、野球を辞めた仲間を何人も見ました。スポーツ界にとって大きな損失です。

 指導者が怠けている証拠でもあります。暴力で脅して子どもを思い通りに動かそうとするのは、最も安易な方法。昔はそれが正しいと思われていました。でも、例えば、野球で三振した子を殴って叱ると、次の打席はどうすると思いますか? 何とかしてバットにボールを当てようと、スイングが縮こまります。それでは、正しい打撃を覚えられません。「タイミングが合ってないよ。どうすればいいか、次の打席まで他の選手のプレーを見て勉強してごらん」。そんなきっかけを与えてやるのが、本当の指導です。

 今はコミュニケーションを大事にした新たな指導法が研究され、多くの本で紹介もされています。子どもが10人いれば、10通りの指導法があっていい。「この子にはどういう声かけをしたら、伸びるか」。時間はかかるかもしれないけど、そう考えた教え方が技術を伸ばせるんです。

 「練習中に水を飲むとバテる」と信じられていたので、私はPL学園時代、先輩たちに隠れて便器の水を飲み、渇きをしのいだことがあります。手洗い所の蛇口は針金で縛られていましたから。でも今、適度な水分補給は常識です。スポーツ医学も、道具も、戦術も進化し、指導者だけが立ち遅れていると感じます。

 体罰を受けた子は、「何をしたら殴られないで済むだろう」という後ろ向きな思考に陥ります。それでは子どもの自立心が育たず、指示されたことしかやらない。自分でプレーの判断ができず、よい選手にはなれません。そして、日常生活でも、スポーツで養うべき判断力や精神力を生かせないでしょう。
.
朝日新聞社








(追記) 以上を一言でまとめた名言を見つけたので、転載する。「笑点」なら「うまい、座布団一枚!」というところだ。これこそ伝統的スポーツ名門校の実態だろう。




殊能将之‏@m_shunou

殴られて指導された奴が殴って指導するんだよなあ






拍手

「ちきゅう」の動きにご注意

縄文人(なわふみひと)氏のブログ(日記)から転載。
「カルマの法則」とか「サタンのシナリオ」という言葉を除けば、井口博士あたりが常々言っていることと一致している内容である。つまり、「3.11」は人工地震であり、その設定(海底への原爆埋設)をしたのが大型掘削船「ちきゅう」である、ということだ。
これは誰かが既に言っていることかどうかは知らないが、福島原発事故は、その海底原爆の放射能が検出された時に「ちきゅう」への疑惑が起こらないように意図的に起こされた小事故が、東電が頑なに福島原発廃棄処分を承認しなかったために思いがけない規模の大事故になったのではないだろうか。つまり、「3.11」首謀者たちは、東電首脳がそこまで阿呆だとは予測もしていなかったということだ。
「3.11」が人工的に起こされた地震と津波であったとして、ではその目的は何か、というと、日本経済を弱体化し、買取価格を底値にした上で日本企業を外資が乗っ取る、というところだろうか。それに加えてTPPもあるという二段構えである。もちろん、TPPも日本(企業)乗っ取りのための法的整備が第一の目的だと私は考えている。農業や保険や医療といった個別分野の問題ではなく、日本の「法」を無力化し、日本の国家主権を奪うのが最大の目的だ、ということだ。
だから私はTPPは「3.11」以上の政治的大津波だと言っているのであるが、前回の衆院選でそれを争点にできなかったのが「日本未来の党」「社民党」「共産党」などの敗因だろう。もちろん、表マスコミの圧倒的な情報支配力(あるいは不正選挙)の前に敗れたわけだが、それらの政党そのものも、なぜもっとTPPの危険性を声を大にして訴えなかったのか。
まあ、それはともかく、「ちきゅう」が紀伊半島沖の海底を掘削しているということは、かなり臭う話だ。下記記事に言うようにマスコミが「大地震が近いうちにやってくる可能性が高い」、と昨年ずっと大騒ぎしていたのは、西日本直撃の人工大地震をこれから起こすための布石と思われる。たしか昨年前半にその手の記事がやたらに週刊誌や新聞を賑わせ、現在は一段落しているが、だからこそ、「D-day」(これは死語か?)は近いのかもしれない。そして、それが起こったら、「ほら、我々はちゃんと警告していたでしょう」と言うわけだ。
私は、「首都圏大地震」の話がマスコミを賑わしていた時は、これは関西遷都の布石だな、と思っていたが、遷都の話は立ち消えになっている。その後「南海トラフ」がどうのこうのという話が出てきて、これも全週刊誌的話題になった。つまり、意図的に操作された話題である。誰も意味の分からないような「南海トラフ」の話に、全週刊誌が一斉に飛びつくこと自体がおかしいではないか。そして、現在は大地震の話がマスコミから消えている。そして「ちきゅう」は伊勢半島沖をせっせと掘っている。
というわけで、関西の(あるいは東海地方もか)太平洋側に住む人々は、井口博士ではないが、「備えあれば憂いなし」の気持ちで、これから半年乃至1年くらいは日々用心しながら暮らすのがいいかと思われる。まあ、べつにびくびくしろというのではない。どうせ人間誰でも一度は死ぬし、一度しか死なない(笑)のだから、いつ死んでも悔いの無いように生きればいいだけだ。





(以下引用)



● 次の人工地震は東南海地震になる?  2013年1月7日(月)

  サタンのシナリオの一環として我が国を対象に実施された最近の事件といえば、やはり東日本大震災ということになると思います。この地震と津波および原発事故が人工的に実施されたものであることを、私は確信していますが、ほとんどの日本人は偶然起こった自然災害だと思っていることでしょう。「人工地震なんかであるはずがない!」と、ご自身のブログで断言している人までいるくらいです。しかし、「人工地震ではない」という理由はまったく述べられていません。要するに「そのように考えたくない」ということでしょう。
  人工地震ということにしますと、それを仕組んだ人間とその目的を特定しなくてはなりません。誰が(どのような勢力が)、何のために、日本に対して人工地震を仕組んだのかについての証明が必要となります。しかしながら、あのような大規模な災害を人工的に引き起こせる連中が、その証拠を残すようなことは考えられません。
  実際、アメリカの「9.11」などのように、どうみてもアルカイダの犯行とは思えないものでも、それをでっち上げ、マスコミを操作してアフガニスタンへの侵攻を正当化できる連中のやることです。日本の政府を黙らせ、東日本大震災は自然災害だというアナウンスをさせることなど朝飯前なのです。地震後すぐに日本を訪れたアメリカのクリントン前国務長官が、そのことを元首相の菅さんに釘を刺しに来たのだと、私は見ています。
  このことの説明も必要だと思いますが、皆さんが最も知りたいと思われるのは「では、次の人工地震は計画されているのか」ということではないでしょうか。このことについて私は「東南海地震がすでに準備に入っています」と答えざるを得ません。

  その第一の理由は、東日本大震災後におけるマスコミの地震や津波に関する報道姿勢です。政府や政府関係機関からのアナウンスを受けて報道されているのはわかりますが、最近では津波を伴った大地震や首都直下型地震の発生は避けられないといったトーンの報道が相次いでなされています。実際にそのような巨大地震が起こっても、だれもそれが人工地震だとは思わないように、周到に国民を洗脳しているとしか思えないような報道姿勢です。それを受けて、地方の行政や各企業では、BCPと銘打って震災後も事業を継続できるようにするための様々な対策が打たれています。
  日本の社会全体が、巨大地震と津波を想定しての準備を着々と進めているのです。私が力説してきたカルマの法則からすれば、まさに震災を生み出すエネルギーが異次元に急ピッチで蓄積されつつあると考えられます。そして、対策が完了し、人々の関心が地震や津波の襲来から離れてしまったころ、(それはもしかしたら、自民党の安倍政権のもとで始まったこの国の第二のバブル景気の中で、多くの人が再びお金の魔力に翻弄され始めたころ)、それに冷や水をかける形で、津波を伴う巨大地震の引き金が引かれるのかもしれません。
  私の言う「サタンのシナリオ」では、この国の崩壊にとどめを刺すという最後の手段が間違いなく準備されていると思うからです。その最後の手段となる物理的な処置が、首都直下型地震と東海地震、東南海地震、南海地震になるのではないかと見ています。
  そんな矢先、先の震災後長い間東京湾の付近で掘削作業を続けていた「ちきゅう」が、今度は南海トラフで掘削作業を始めているというニュースが新聞で報じられたのです。
  それも、日経新聞の「SUNDAY NIKKEI」という欄で、下の写真のようにイラスト入りでかなり目につく記事になっていました。

         

  地震の巣 南海トラフ掘る
  掘削船で地殻変動解明へ

  東海沖から日向灘にかけての「南海トラフ」は、地震の巣だ。内閣府は最大マグニチュード(M)9.1の地震が起き、32万人が亡くなる可能性があるとの想定を公表した。ここで地震が起きる仕組みを解明するため、海洋研究開発機構の大型掘削船「ちきゅう」が空前の作戦を進めている。暑いベールに包まれた巨大地震の正体を突き止め、防災に役立てられるのか。

  紀伊半島沖の熊野灘。海原に全長210㍍の船体が浮かぶ。船上には海面区から高さ121mにも達する掘削装置のやぐらがそびえ立つ。水深2500mの海底まを7500mまで掘削できる能力は世界最高だ。
  (中略)
  南海トラフでは2007年度から断続的に調査を続けている。海底の断層や周辺をドリルで貫き、穴の底から岩石を採取。堆積物や岩石の種類からはプレート境界面の滑りやすさや圧力がわかる。地震や津波の規模や発生期を特定したいと研究者らは意気込む。
  10月1日から、紀伊半島沖の熊野灘で掘削を始めた。調査は昨年1月以来。
  来年1月13日までに海底下3600mまで掘り下げる。来年度には海底下約5200mまで掘る計画だ。
  「ちきゅうは大学の研究室に匹敵する実験室を備える」(海洋気候の東垣地球深部探査センター長)。海底から引き上げた岩石は船上ですぐに写真を撮影。設備がより充実した陸上での解析に向けた準備に入る。帰港後に岩石の成分や土中の微生物を調べる。
  南海トラフでは直近の100年間でM8級の昭和東南海地震(1944年)と昭和南海地震(46年)が津波を伴って起き、それぞれ1000人以上が亡くなった。1707年には、東海、東南海、南海の3領域が連動し、西日本最大と言われる宝栄地震(M8.6)が起きた。M9級地震が起きる危険性もある。
  これだけのエネルギーを蓄える地震の巣への潜入が14年度以降の作戦だ。ちきゅうが開けた穴の底に地震計や傾斜計をおろし、巨大地震の兆候を観察する。うまくいけば地震や地殻変動をその場で見届けられる。
  (中略)
  調査の最終目的は防災だ。東センター長は「東日本大震災せを予測できず、悔しい思いでいっぱいだ。従来の地震学に加え、掘削調査の地学的な知見を防災に生かしたい」と力を込める。地震や津波を多方面から調べることで、救える命が増えるかもしれない。

  この記事の言っていることを要約しますと、いまマスコミ等でしきりに話題にされている東海・東南海・南海地震の発生に備えて、地震の巣である南海トラフを莫大な費用をかけて掘り進み、岩石を掘り出して微生物等の調査をすれば、多少は救える命が増えるかも知れない、ということです。そして、「ちきゅうは今日も海底を掘り続ける」と結んでいます。

  「ちきゅうの掘削エリアが東日本大震災の震源地とぴったり一致していた」という情報がネット上で広がっているため、その疑念を打ち消す目的で、最近では完全にある筋のコントロール下にあると思われる日経新聞が、提灯持ちの記事を書いたとしか思えない内容です。
  ちきゅうの持つ世界一の深海掘削技術を駆使して、海底の岩石を掘り出し、微生物の調査をしているというのです。さすがに、「これで地震の予知ができる」などというでっち上げの記事は書けませんので、「地震や津波を多方面から調べることで、救える命が増えるかもしれない」といった弱々しい表現で、ちきゅうの動きを正当化しようとしているのです。なんのニュースバリューもない記事と言わなければなりません。
  この「ちきゅう」のことに関しては「東日本大震災 ちきゅう」でネットを検索していただけば参考になる情報が得られますので、ぜひご覧になってください。
  要するに、海底に穴を開けて、そこに時限爆弾(原爆?)を埋め込み、それを同時に爆発させることで複合津波を引き起こそうとしていると考えられるのです。東日本大震災の津波が想像を超える高さまで達したのは、3つの地震が同時に起こり、日本列島に向かう津波がぶつかることでその勢力を高め合った結果だと見られているのです。ですから、津波は日本列島だけに押し寄せ、ハワイ諸島やアメリカ西海岸などには何の被害も及ぼさなかったのです。
  いまそのときと同じ形で、今度は日本の工業の中心とも言える太平洋ベルト地帯を津波によって壊滅させようという計画が、文字通り水面下で進められている、というのが私の見解です。






拍手

マグロの腹の中は真っ黒か

「ネットゲリラ」から転載。
これは明らかに政府による「景気回復」の小芝居演出のようだ。1億5千万の小芝居。(笑)
それで見ると官房機密費の額がどれほど巨大なものか、また政府の表支出に計上されない金がどれだけあるかも分かる。つまり、政府予算など虚構であり、実はまったくの丼勘定なのだろう。もちろん、これは「組織は上に行けば行くほど丼勘定になる」という「酔生夢人の定理」(w)によるものであり、下っ端役人はボールペン1本持ち出しただけでも汚職扱いされかねない、いや、事務用品などは自弁になっていると思う。
銀行なども同様で、窓口での金の出し入れは1円違っても残業してまで計算やり直しだが、肝心の資金貸し付けや上の方の給与などは、上層部の腹一つの丼勘定だというのが私の推定である。
世の中はだいたいそういうものである。


(以下引用)



官房機密費で15500万のマグロ購入疑惑

野次馬 (2013年1月 8日 10:14) | コメント(16)





安倍晋三にマグロ疑惑です。

 それにしても「すしざんまい」は良くやった。支那人のライバルに競り勝ったのは国威発揚の点でも「殊勲甲」だ。ひょっとして「国策」として官邸筋からの秘密指令があったのかと思っていたら、今朝の朝刊の「首相動静」を見て仰天した。
 <首相動静―1月6日>
 <「午後」1時30分、すしチェーン店「すしざんまい」を運営する「喜代村」の木村清社長。>
 おいおい(笑)。しかしこんなつながりに気付くのは私くらいかな。マグロ落札は社会部、首相動静は政治部だから、かかる面白い話を大きな記事にしない。
 う~ん、縁起ものだから一部を安倍晋三首相にお届けしなくては、ということだったにしても、よほどのルートがないとなかなかできることではない。この日、他に会っているのは麻生太郎副総理だけですぜ。まさか落札の裏に官房機密費があるとか(笑)。

勝谷誠彦メールで書かれているんだが、史上最高値で落札されたあのマグロが、安倍首相に献上されたらしい。官房機密費と書いてあるんだが、インフレ誘導のために、官房機密費を使ってわざわざ高値に釣り上げて落札したんじゃないか、ついでに、カネにあかせてマグロを買い漁る支那人にもひと泡吹かせられるし、という疑惑。税金使って、物価高騰のために猿芝居w アホな政権だw




拍手

カレンダー

06 2025/07 08
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

カテゴリー

最新CM

プロフィール

HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

ブログ内検索

アーカイブ

カウンター

アクセス解析