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勝利とは何だろうか

例の桜宮高校体罰自殺事件について「阿修羅」コメント欄で議論が行われているが、その中になかなか面白い意見もあるので、幾つか転載してみる。
コメント32の

【結論】“負ける事”を当然の前提として、高校の部活動のあり方を冷静に見直す時期に来てるんじゃね?

は、まさしく我が意を得たり、という意見である。というのは、たとえばトーナメント大会の最後の勝者は基本的に一人(1チーム)であり、他の対戦相手は全部敗者なのである。つまり、スポーツでは、「1%の勝者対99%の敗者」という「1%対99%」というのが現実なのだ。(だから、オリンピックの銀メダリストがたまに「金メダルでなければ意味がない」という発言をしたりするわけである。)したがって、「負ける事を当然の前提として高校の部活動の在り方を冷静に見直す時期に来ている」というのは、現実を見据えた非常に理性的な意見であると思う。
勘違いしてはいけないが、「負けるために練習する」馬鹿はいない。しかし、勝つことが何よりも優先されるような部活の在り方というのは、それは人格形成や人格陶冶という教育の大目的に真っ向から反するものなのである。(そもそも、私は、一方の勝利は敗者に苦痛と屈辱を与える、というだけでも「競争」そのものに批判的なのだが)まして、勝利とは無縁の部活動からは何も得られない、ということでは、その部活動に何の意味があるだろうか。
いや、現実の多くの部活動に見られるように、学業に悪影響を与えるというだけでも、その部活は間違っている。部活とは、あくまで精神や健康(体力)を向上させ、そして、何よりもその部活の時間が幸福な時間であることが第一義なのである。勝利は、幸運にも恵まれて得られた偶然的な結果であり、それを喜ぶのはいいが、それだけを目的とするべきではない。学生の本分はあくまで学業と人格修養にある。
もちろん、ハードな練習の果てに素晴らしい結果を出し、その事で精神的に向上し、また一生の思い出にもなる、という形の部活もある。いや、たいていの部活はそれを目指しているだろう。しかし、その場合も、それはあくまで構成員の自発的な同意や指導者の適切な保護・指導に基づくものでなければならない。

だが、やや悲観的なことを言うが、「負けることは当然の前提」という考えは、「敗北主義」であり、「弱虫の思想」である、として、むしろ多くの生徒自身から否定されると思う。そんな考えでは強くなれるわけはない、向上や進歩があるわけはない、とされるだろう。

そしてまたいつのまにか勝利至上主義がはびこり、体罰やしごきが横行し、スポーツ障害が蔓延し、いじめなどがはびこる部活になっていくわけである。

いい加減に、こうした悪循環から学校教育の中の部活、特に運動部の部活を救い出す必要がある。(その当事者である部活生の大半が「放っておいてくれ」と言いそうなのが救われないところであるのだが。)

なお、私の記憶では、中学高校の運動部員はたいていが学業不良であり、素行的にも不良(これが「ヤンキー」と言えば、可愛げがあるように聞こえるのは、一種の言い換え詐欺である。若い頃の悪事や犯罪を「やんちゃ」と言うのも同様。性行為を「えっち」と言い換えることで、若年層の性行為へのハードルが下がったのも同様。すべてマスコミによって作られた社会潮流である。つまり、マスコミや電通はこうした「見えない教育」で日本社会を退廃させることに熱心であったわけだ。)が多かったようだ。これは、早熟で肉体的発達が他の生徒より上の生徒が運動中心の生活をし、学業や読書を疎かにした結果、精神性は劣等なままにとどまったというパターンがあったのではないだろうか。そうすると、部活さえ一生懸命していればそれでいい、という多くの家庭や教師の教育方針は、非常に危険なものだと言える。部活絶対主義によって劣悪な人間を作り出してしまうというのが現実だろう。

青少年や低年齢の子供を「競争」させる場合にも注意が必要である。
特に小学校時代など、早生まれか遅生まれかだけでも、身体能力には大きな差があるのだから、そうした不平等な条件のもとに「競争」を強要することは、害の方が大きいと言える。また、毎日運動をしているだけの連中が運動で勝つのは当たり前であり、そんな勝利に過大な評価をする必要はない。甲子園における「野球名門校」の勝利も同じことである。
なお、精神能力の面では、(習ったかどうかだけが問題で)1、2年の違いはあまり問題にならないようだ。たとえば中学一年生と三年生では体力や運動能力は圧倒的な差があるが、頭の中身は、「ヤンキー」の三年生よりも普通の一年生の方がはるかに上等である。

高校生への体罰に関しては、コメント37「殴り返したらどうですか」は非常に私のお気に入りの意見だ。
というのは、体罰というのは、「自分は殴り返されることは絶対に無い」という教師側優位の立場(上級生優位の立場からの先輩による体罰も多いが)からなされる卑怯な行為だからである。
相手が殴り返すと分かっていれば、体のでかい高校生を殴る勇気など無い指導者も多いだろう。だが、相手が身体的に自分より下だと見れば、相変わらず、そういう相手に対してだけ体罰をする、という人間の屑も指導者の中には結構いそうだから、(また、そういう指導者が必ずしも生徒に嫌われているとは限らない。たいていのガキが、いや、大人だって同じだが、人間を見る目なんて、いい加減なものである。)この案は残念ながらあまり有効ではなさそうだ。

「勝利」とは、他人と争い、「利」を自分が得る、というだけのことであり、そのための努力行為以外は、べつに他人が称賛するようなものではない。
君子は争わず、というのが本来の東洋的思想である。人と人が争い、相手を蹴落とし、傷つけあう「修羅道」を学校教育が礼賛し、競争を後押ししているというのが現代の社会だ。学校にも社会にもいじめや体罰が横行するのは何の不思議もない話である。





(以下引用)




15. 日高見連邦共和国 2013年1月24日 14:30:06 : ZtjAE5Qu8buIw : C7Wqvb1wZA

スポーツじゃないけれど、盛岡にある『岩手高校将棋部』は、名だたる全国の猛者(進学校)を相手に連覇中です。
(決勝の相手が灘高だったりとか)
日体大、といえば、09年に菊池雄星を擁して甲子園を席捲した花巻東高校の“小さなトプバッター”
佐藤くんが進学し、悲しい事に自ら命を絶った舞台となった学校です。色々な噂が立ちました。
学校教育における部活の強化には様々な形があり、賛否両論も有るでしょう。
強ければ正義ですか?勝つ事が正解ですか?
それを一人ひとりが噛み締め、考え直すきっかけとせねばなりません。



32. 日高見連邦共和国 2013年1月24日 16:18:53 : ZtjAE5Qu8buIw : C7Wqvb1wZA

>>29
>問題の教諭に対し、体罰という方法論を否定の上「スポーツ科学的」な指導を心がけるべきだったのではないかと提言した。
問題ないまっとうな意見だと思うよ。
>日高見>>15では(試合での勝利という)成果を求めること自体問題があるように言っている。
“勝つ事”を目的として切磋琢磨する事と、“勝つ事だけ”を目的化させる事は、全くの“別問題”でしょ?
私はそれを、
>強ければ正義ですか?勝つ事が正解ですか?
それを一人ひとりが噛み締め、考え直すきっかけとせねばなりません。
(セルフコメント引用終わり)
と、問題提起(自戒を含めて)してるだけ。
このコメントで、貴殿に何か喧嘩を売ったり、貴殿の主張を否定をしてるかい?
勝つ事を目的としても、最後の勝者は“一人”だ。
ゆえに“負けること”を当然の帰結とした考え方を提示している。
これは『スポーツ全般“激弱”』の岩手県人としては“当たり前”の感覚だ。
それにそういう“最後の勝者が一人”のスポーツと“農業”を引き合いに出すのは、
唐突過ぎるし、比較すべきものでもない、というのが当然の感覚だ。
挙句に、
>それが嫌なら「分配均一主義を要とする」共産主義国家への移住をお勧めする。
などと言われれば“カッチ~ン”と来ない方がおかしいと思わないかね?
おっと、話しがソレた。
繰り返すが、
①勝利を目的とする ・・・ 正しい。
②勝利のみを至上の目的化する ・・・ 間違い。
③強い事が正義か? ・・・ 間違い。
④勝つ事が正しいか? ・・・ 間違い。
【結論】“負ける事”を当然の前提として、高校の部活動のあり方を冷静に見直す時期に来てるんじゃね?
以上。


37. 2013年1月24日 17:47:16 : xWfLYkjvnA
殴り返したらどうですか?
ケンカと言う事になる。
体罰と言う言い訳はできなくなるし、一方的な暴行ということもなくなる。
大事になったら両者の言い分を聞いて判断することになる。
体力的には高校生の方が上だからな。
取っ組み合いの後でお互い疲れ切ったところで話をするしかないんでしょう。
普通じゃできないと思うけれども、殴られて、殴られて、堪えて、堪えて、そして怒りを爆発させるんだよ。
先に手を出したのが先生だか、退学になる事はない。
部活は出来なくなるかもしれないが、いやなら転校すればいい。
こっちの方が、生徒が先生を、学校を、教育的指導することができる。



40. 2013年1月24日 18:51:04 : DpLdRyGjxM
「売りよし、買いよし、世間よし」
この言葉って、近江商人の精神とか言われているが、
竹中らに象徴される自己中の新自由主義者に浴びせたい言葉だね。
強欲拝金主義者というものは、社会を腐敗させる元凶だ。
競争に勝って、自分だけいい思いをしようと云うことばかり考えている、ほんとうに自己中で強欲なやつらだ。
こんなやつらを撲滅しない限り、健全な社会は訪れない。
人間の基本は、支えあい、助け合い、みんなで力を合わせてより良い健全な社会をつくっていくことだ。
競争は、ゲームの世界だけで十分じゃないの!?



46. 2013年1月24日 23:23:04 : FfzzRIbxkp
小学生の頃、ヒステリーな教師がいて、いつも怒鳴り声が同じ階の他の教室まで響いてた。女の先生。そこのクラスの生徒は、顔から足まであざだらけだった。
怒鳴り声を聞いて、私のクラスでは担任に抗議したよ。
「僕たちの友達がたいして悪いことしてないのに、どうしてあんなに怒られるのさ!先生、やめさせてよ。ひどいよ!」って。担任は、怒鳴っている先生には考えがあってやっているのだから。と生徒をなだめたけど、
クラスの男子は、
「だったら、先生も俺たちのこともっと殴れよ。同じように叱れよ。先生は俺たちにそんなことしないじゃないか!」って食ってかかった。
その後からかな。暴力教師のクラスでは保護者会が頻繁に行われてた。
でもね、ぜんぜん治らなかったよ。その教師の暴力。
今から思えば、あの先生は、何かの病気だったと思う。
注意しても直せないなら、病気かもしれないのだから早めに治療をすすめたほうがいいし、現場の仕事は荷が重いだろうね。
生徒を犠牲にするなんてことは、あってはいけないしね。






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