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言うことなし!

「ライブドアニュース」から転載。
石原慎太郎と橋下徹は、私が毛嫌いする政治家の双璧(いや、「璧」は宝玉のことだから、「双僻」と書くべきか。「僻」はゆがみ、偏りの意味。「古文」の「ひがひがし」と同様で、「邪悪」の意味にも使える)だが、この発言はある意味では正鵠を射ている。どこがかというと、この授賞(「受賞」のミスではないよ)は政治的意図だろう、という部分だ。
映画の方の「赤いコーリャン」はDVDで見たが、私には退屈な作品だった。どこかの映画祭で賞を取った作品だったと思うが、西欧好みの「遅れたアジア」をリアルに描いている点が評価されたのではないか。パール・バックの「大地」の昔から、西洋人は、東洋に対する自分たちの優越を満足させる作品をやたらに持ち上げるのである。それが人道の皮を被ったおためごかしであるから、「評価された側」は無邪気に嬉しがる。
で、その「赤いコーリャン」の原作者である莫言がノーベル文学賞を受けたわけだが、彼がすぐにかつてのノーベル平和賞受賞者への中国政府への扱いに言及していることからも、彼の政治姿勢は明らかだ。
まあ、べつに私には中国政府側を擁護する義理は無いが、物事はバランス良く見るべきだ、というだけのことである。
ついでに言えば、今回のノーベル平和賞が「EU」であるとは大笑いである。
今にも崩壊寸前のEUを持ち上げようという「政治的意図」が丸見えだ。
そもそも、国や疑似国家に「平和賞」を与えるとは何なのだ?(追記2参照)


(以下引用)




「政権を揶揄、政治的判断で採択」莫言氏受賞で石原知事




産経新聞
2012年10月12日18時52分



 「ノーベル文学賞には政治的な部分がある。世界中が今のシナの姿勢を苦々しく思っていて、ある種の判断で採択したのではないか」。東京都の石原慎太郎知事は12日の定例会見で、中国の作家、莫言氏がノーベル文学賞を受賞したことについて、こう指摘した。

 石原知事は「(莫言氏の作品は)よく読んだことはない」としながらも、「貧しい農民を描くことで、政権への揶揄というか、間接的な批判を書いている」と述べ、これが受賞理由ではないかとの見方を示した。

 また、受賞が有力視されていた村上春樹氏の作品については「無国籍、無人格、無個性というか、世界に蔓延している若者の風潮、本質的な共通項を捉えているから人気がある」と評した。 






(蛇足)

「莫」は「無」と同じであるので、「莫言」は「言うなかれ」「言無し」と訳できる名前だ。彼の政治姿勢、作家としての姿勢が、「表だっては言わないよ」ということか。



(追記)

莫言の作品を読んだこともないくせに、つまらない悪口記事(と言っても、主にノーベル賞への悪口だが)を書いたことに気が咎めるので、莫言を褒めた記事を追加引用しておく。これは「日刊リウイチ」という、多読者、かつ小説の目利きである人物のブログ記事である。この人が褒めているのだから、莫言はいい作家なんだろう。
なお、上気の(蛇足)に書いた「莫言」というペンネームに関する駄言を「毎日新聞」のミニコラム(天声人語みたいな奴)が書いていると後で発見した。爺さんというのは似たような事を言うもののようだ。少しがっかり。


(以下引用)


むしろこの2人が並んだ場合、莫言さんが獲るのがノーベル文学賞的な空気の中では当然で、中国という場所にあって決して反体制の旗手として祭りあげられてはいないけれど、だからといて権力べったりではなくそのマジックリアリズム的な手法の中に、体制も人民もおしなべて批判してみせる筆の冴えを見せている。もう随分と昔に読んだ「酒国 特捜検事丁鈎児の冒険」 なんて本当に凄まじかったよ右も左もメッタ切り。後にエロティックさで発禁になる本すら書いている人が単なる体制ベッタリの作家であるはずがない。名前が挙がった時にこれはとって当然だと思ったら案の定という流れを、多少なりとも本を読む人だったら感じていたし、実際にそのとおりに莫言さんの受賞を喜んでいるんだけれど、メディアは村上さんが獲って当然、莫言誰って感じの報道をずっとしていて、その間に格差めいたものを醸し出していた。

 結果は見てのとおりということで、慌てて差し替え莫言さんに関する原稿とか用意して載っけたんだろうけれど、それでもやっぱり残る村上春樹贔屓の空気。そんなにみんな村上さんが好きなのか? 「風の歌を聴け」から始まる三部作に「ダンス・ダンス・ダンス」とそれから「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」までは凄まじく素晴らしく虚無を描いて読む人を異世界へと引っ張り込んだ。安倍公房さんほどの難解さはなくそれでいて虚ろな空気の中に幻想を見せて楽しませてくれた。「1Q84」でもそのニュアンスはあるけれどもどこかやっぱりエンターテインメント、長い割に薄くなって虚無の空気が足りてない。そんな作家が獲るべき賞なのか否か。そうした議論がメディアにはほとんど乗らず、ただネームバリューだけでそうじゃなかと報じられる。そこには作品そのものに対する視点がない。

 対して莫言さんは今なお激しく戦っている。そしてこれからさらに激しい戦いに巻きこまれる。そんな作家が獲った賞をさて来年、村上春樹さんがとれるのか。もっと世界には相応しい作家がいるんじゃないのか。トマス・ピンチョンにティム・オブライエンにジョン・バースにジョン・アーヴィングにポール・オースターにリチャード・パワーズに他多数。今の世界の文学を語った上で村上春樹の位置を語る中からノーベル文学賞の行く先を問うような報道があって初めて、世界の文学に人の目も向くんだろうけれどそうした意識なんてまるでないのが今の新聞文化系報道。来年もだからやっぱり“候補”として挙げられているだろう村上春樹さんが獲る獲らないといった喧噪ばかりが紙面を埋め尽くし、対抗に誰がなってそれが世界の文学の上でどういった軌跡をたどってきた人なのかと問う記事は誰も書かずどこにも載らないんだろうなあ。どうでもいいやもう。


(追記2)「阿修羅」より。


◆チェコ大統領「EUのノーベル平和賞受賞は悲劇的誤り」
http://japanese.ruvr.ru/2012_10_14/91167341/

  13日チェコのバツラフ・クラウス大統領は、2012年度のノーベル平和賞にEUが選ばれたことについて「悲劇的な誤りだと思う」とコメントした。
 また大統領は、次のように述べている―

  「ノーベル賞は常に、特定の人物の具体的な活動に対し授与されてきた。組織体に対し、それもおまけに官僚組織体に対し授与するとは,この賞の価値を失わせるものだ。そうしたものをあえて誰かが受け取るのかどうか、私には分からない。」

  クラウス大統領は、公然とEU懐疑論を展開する政治家として知られており、国家を超えたEUの権限拡大からチェコの主権を守るべきだとの発言を定期的にしている。

 オスロでの平和賞受賞者発表の際、ノルウェー・ノーベル賞委員会のヤーグラン委員長は、授賞理由として、EUが平和及び紛争の平和的調整、民主主義と人権擁護を目指す戦いを成功裏に進めてきた業績を挙げている。






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