「横板に雨だれ」というブログから転載。
最近知ったブログだが、筆者は非常に知的で教養の深い人であるように思われる。私は、ブログ筆者のプロフィールなどほとんど読まず、その人の書いた文章だけでその人を判断するので、どういう背景を持った人かは分からないが、中野重治ファンであるようだ。
私は中野重治のような生真面目な左翼系作家(と思われる作家)は苦手な方であるが、彼らのような、庶民の幸福を心から願っていた真摯な人々を日本という国家が圧殺してきた結果が今の日本なのだろう、と思っている。
圧殺してきた、というのは小林多喜二のような本当の惨殺をも含めてはいるが、そのだいたいは「黙殺」および、「経済的圧迫」、「社会的に低い地位に置き続ける」などの手段である。文学者の場合は、人道的内容だから文学的に優れているとも限らないのだが、左翼系作家は概して社会的評価も得られず、経済的にも恵まれていなかった人が多いように思う。
しかし、それはある意味では当然で、社会改革などのテーマは小説などの文学ではなく論文やエッセイで扱うべきものだろう。そういう小説が読んで面白いはずはなく、世間で受けるはずはない。世間に受ける小説でなければ、この資本主義社会で経済的に恵まれるはずはない。まあ、彼らは一種の聖人である。
さて、下記記事は「れっきとした政治的犯罪行為がまったく罰されることがない」という世界の現状を批判した記事である。
私などもこのことについては遠く湾岸戦争の頃から何度も書いている。「9.11」のような明らかな自作自演劇をきっかけとした「テロとの戦い」がいかに欺瞞であり、欧米国家こそが殺人者である、ということも何度も書いてきた。
その過程で「欧米の犯罪」について、藤永茂博士という強力な論証者を知ったのは、私にとっては大きな出来事であった。その藤永茂博士の名は下記記事にも出てくる。
つまり、このネット世界では、同じような魂を持っている人間同士はどこかで邂逅するということだろう。
べつにそういう人々と個人的な知り合いにはならなくとも、そういう人々の書いた文章を読むだけで、「自分の考えは自分だけの思い込みではない」という自信を与えてくれるものである。
ネットはそういう精神的なつながりを通して、やがて世界そのものを変える可能性があると私は思っている。だからこそ、今の世界から利益を得ている人々はネットを恐れ、規制するのに躍起になっているのである。
*ほとんど無意識だったが、今日書いた「徽宗皇帝のブログ」の内容と、昨日書いておいた、この「酔生夢人」のテーマが一致した。まったく意図はしていなかったのだが、9.11関連記事がネット上に多かったために偶然そうなったのだ。
*「酔生夢人」の方では国際政治はあまり扱わないのが基本方針だが、今回の文章は「文学談義」と「ネット規制」というドメスティックな話題も含んでいるのでこちらに掲載した。
(以下引用)
ブッシュとブレアを国際刑事裁判所で裁くべきというツツ元大司教の主張
2003年、米英によるイラク侵攻が始まったときからブッシュとブレアを国際刑事裁判所で裁こうという呼びかけは一部に聞かれたが、米国が国際刑事裁判所規程を批准していないという事情のせいだろう、そういう声はいつしか立ち消えになっていたと思うが、先日、思いがけなく下記のニュースに接した。
「 ツツ元大主教 英元首相との同席拒否
南アフリカのノーベル平和賞受賞者のツツ元大主教は、アメリカのブッシュ前大統領やイギリスのブレア元首相がイラク戦争を引き起こしたことで、現在の中東の混乱の原因をつくったと批判し、ブレア元首相と共に出席する予定だった国際会議を欠席しました。
南アフリカのツツ元大主教は、かつて人種隔離政策=アパルトヘイトの撤廃に取り組み、1984年にノーベル平和賞を受賞した平和運動家です。 ツツ元大主教は、先月30日、ヨハネスブルクで世界の各界のリーダーを集めた会議に出席する予定でしたが、イギリスのブレア元首相との同席を拒否して欠席しました。 ツツ元大主教は、2日付けのイギリスの新聞「オブザーバー」に寄稿し、「イラクが大量破壊兵器を保有するといううそに基づいたイラクへの侵攻が、世界を不安定にし分裂させた」と指摘し、アメリカのブッシュ前大統領やイギリスのブレア元首相がイラク戦争を引き起こしたことで現在の中東の混乱の原因をつくり、結果としてシリアやイランを巡る緊張も招いたと批判しました。 これを受けて、ブレア元首相は声明を出し、ツツ元大主教の姿勢を「残念だ」としたうえで、イラク戦争に踏み切った経緯について、「道徳的にも政治的にも容易でない決断だった」と改めて釈明しました。」 (「NHK」9月2日 23時14分)
「 米英両元首脳の訴追求める=イラク開戦の罪で国際刑事裁へ −ツツ元大主教
1984年にノーベル平和賞を受賞した南アフリカのツツ元大主教は2日付の英紙オブザーバー(電子版)に寄稿し、2003年のイラク戦争開戦の責任を問い、ブレア元英首相とブッシュ前米大統領をオランダ・ハーグの国際刑事裁判所(ICC)に訴追するよう呼び掛けた。「イラクで失われた人命への責任を負う者は、ハーグで現在、責任を問われているアフリカやアジアの指導者らと同じ道を歩むべきだ」と訴えている。 ツツ元大主教は、ブレア、ブッシュ両氏が「大量破壊兵器が存在する」と世界を欺いて開始したイラク戦争が現在の中東不安定化の遠因だと主張。「シリアもイランも今の窮地に世界を追い込んだのはこの二人だ」と批判した。 」(「時事通信」2012/09/03)
「ツツ元大司教」については、藤永茂氏のブログ「私の闇の奥」の『 AK-47 as WMD 』( 2007/02/07 )という記事にも「 南アフリカの大司教デスモンド・トゥトゥ 」との名でその発言が記述されている。アフリカ大陸には1億以上もの小型銃火器が分布し、とりわけコンゴにはそれが溢れていて、その中で数的にダントツなのがAK-47という小銃だそうで、この小銃は「 砂や泥水にまみれても簡単な手入れで直ぐに使え、少年少女にも容易に取り扱えるのだそうです。その「長所」がアフリカの少年少女に大きな悲劇をもたらしています。アフリカでは30万以上の少年少女たちがいたいけな「兵士」に仕立てられて内戦に狩り出され、その結果、4百万人の子供たちが殺され、8百万人が不具者となり、千五百万人が家を失ったというユニセフの報告があります。 」、「 アフリカから何が持ち出され、何がアフリカに持ち込まれているか。このトータルなマクロな収支構造にこそ私たちの視線が凝集されなければなりません。アフリカに関する世界の列強諸国のソロバン勘定は、この200年間、構造的には何も変わってはいないのです。2006年10月のロンドンのタイムズ紙に、南アフリカの大司教デスモンド・トゥトゥ(ノーベル平和賞受賞者)は、アフィリカでの小型銃火器交易の現状を“the modern day slave trade which is out of control”と書いています。彼にすれば、200年ではなく、過去500年間同じことが続いていると言いたいのでしょう。 」
NHKの記事には、ツツ氏がブッシュとブレアを国際司法裁判所に訴追する呼びかけを行なったとは出ていないが、「ロシアの声」にも「 デズモンド・ムピロ・ツツ元大主教は、 英国のブレア元首相と米国のブッシュ前大統領をイラク戦争に対する責任で法廷で裁くことを支持する意向を示唆した」とあるので、「 国際司法裁判所に訴追するよう呼び掛けた 」との時事通信の記事内容に誤りはないと思われる。実際、イラク侵攻の唯一の理由であったはずの「イラクの大量破壊兵器保有」が嘘であったにもかかわらず、攻撃の首謀者たちがその後公的に何の責任も負わず、問われず、平気で平穏な日常生活を送っていられるという法はない。イラクでは彼らの無法な決断によって何万、何十万もの人々がいわれもなく殺され、死んでいかなければならなかった 。現在イラクの街々は上下水道を始めとした各種インフラが破壊され尽くし、清潔な水を手に入れることのできる人は限られているという。その「失われた人命」や平和の破壊に対してブッシュやラムズフェルドやブレアらが実質的に具体的に罪を問われなかったことは、昨年来のリビアやシリア攻撃を見ていると感じずにいられないのだが、米英に一片の反省を促すどころか、「これで通る」という、味を占めさせる結果になっているように思える。リビア、シリアときて、その後にはイラン攻撃が米国の既定路線だという声も聞こえてくる。ツツ氏の「「大量破壊兵器が存在する」と世界を欺いて開始したイラク戦争が現在の中東不安定化の遠因」「シリアもイランも今の窮地に世界を追い込んだのはこの二人」であり、したがって「 ブレア元英首相とブッシュ前米大統領をオランダ・ハーグの国際刑事裁判所(ICC)に訴追する」べきとの今回の主張は時宜にも道理にも叶っているように思う。
米国が国際刑事裁判所規程を批准しなかった理由は、イラク攻撃に至る経緯とその結果を見れば一目瞭然だ。国連憲章などの国際法の規程は米国にとって軍事行動の基準にはならず、たまたまある法が自国の行動を正当化できる場合はその権威を利用するというに過ぎないのだ。イラク攻撃は一方的な言いがかりによる完全に不法、不公正な侵略行為で、その結果、イラクの普通の人々が無惨に殺戮され、国中の何もかもが取り返しのつかないほどに痛めつけられた。そもそも2003年当時、湾岸戦争以降の米国の経済制裁によって、イラクの乳幼児死亡者数は百万人を超え、軍事力はイラクよりはるかに小国であるカタールの十分の一にまで落ちていたという。マデレーン・オルブライトがテレビ出演で、イラク経済制裁ではこれまでに50万人の子どもが死んだと聞いている。それだけの犠牲を払う価値がある行為なのか、と問われて「思うに、それだけの価値はあるのです」と答えたのは、この間の2006年であった。こういう発言をするオルブライトという女性には子どもがいないのかと思ったら、3人の子持ちなのだという。こういう有り様では、英米のイラク攻撃が絶望的な憎悪による新たな多数のテロリストをつくり出し、テロ攻撃をそれ以前の十倍に増やしたという結果に不思議はないだろう。 もっともこのことは開戦前から多くの人が予測、懸命に警告を発していたことだったと記憶するが…。
昨年米欧の空軍はリビアで一万回近く出動し、国内のすべてのインフラを滅茶苦茶に破壊することでカダフィ政権を倒したが、その中核を担った米国と英国はそれぞれ現在自国民に対してリビア訪問を止めるように通達を出しているのだという。「リビヤのカダフィ政権が転覆させられて以来、リビヤは「民主国家」になるどころか、無秩序と暴力が蔓延する国になりつつある。このカダフィ政権転覆を主導した当のアメリカでさえ、国務省がアメリカ人の旅行者に、「リビヤには行くな」と警告を発するほどになっている。」(米国のこの警告はリビア駐在の米国大使および職員が殺害された9月11日の事件の大分前のものである。)、 「英国の外務省の公式な旅行アドバイスを見ても「余程の必要がない限り、リビアは危険だから行くな」と書いてあります。」。リビアをそういう危険きわまりない国にしたのは、一体どこの誰なのだろう?
イラク攻撃の理由、攻撃に至る経緯、攻撃の実態、結果、等々を詳細に徹底的に掘り下げて米国の戦略の実態、その本質を明らかにすることは人類の今後の健全な生存のために不可欠なことではないかと思う。これは米国に理不尽な言いがかりを付けられて攻撃の対象とされる国と人々の救いとなるだけではないと思う。米国と同盟関係を持つ国の政府は米国の思惑に沿うことが何より優先、日本政府などは米国の機嫌を損ねることを怖れて自国民を犠牲の山羊として米国に差し出して恬として恥じないことは沖縄の現状を見れば分かる。その結果、政治家の責任感と良心の磨滅はもとより、思考力、判断力、交渉力、何をとっても時とともにいよいよ低下し、稚拙・低劣になっていく。韓国にも同じことがいえるように思える。ブッシュとブレアを国際刑事裁判所で裁くべきというツツ元大司教の提言がもし国際刑事裁判所の一世一代の英断によって受け容れられるようなことになれば、おそらく世界中のあちらこちらで希望が生まれでるように思う。
最近知ったブログだが、筆者は非常に知的で教養の深い人であるように思われる。私は、ブログ筆者のプロフィールなどほとんど読まず、その人の書いた文章だけでその人を判断するので、どういう背景を持った人かは分からないが、中野重治ファンであるようだ。
私は中野重治のような生真面目な左翼系作家(と思われる作家)は苦手な方であるが、彼らのような、庶民の幸福を心から願っていた真摯な人々を日本という国家が圧殺してきた結果が今の日本なのだろう、と思っている。
圧殺してきた、というのは小林多喜二のような本当の惨殺をも含めてはいるが、そのだいたいは「黙殺」および、「経済的圧迫」、「社会的に低い地位に置き続ける」などの手段である。文学者の場合は、人道的内容だから文学的に優れているとも限らないのだが、左翼系作家は概して社会的評価も得られず、経済的にも恵まれていなかった人が多いように思う。
しかし、それはある意味では当然で、社会改革などのテーマは小説などの文学ではなく論文やエッセイで扱うべきものだろう。そういう小説が読んで面白いはずはなく、世間で受けるはずはない。世間に受ける小説でなければ、この資本主義社会で経済的に恵まれるはずはない。まあ、彼らは一種の聖人である。
さて、下記記事は「れっきとした政治的犯罪行為がまったく罰されることがない」という世界の現状を批判した記事である。
私などもこのことについては遠く湾岸戦争の頃から何度も書いている。「9.11」のような明らかな自作自演劇をきっかけとした「テロとの戦い」がいかに欺瞞であり、欧米国家こそが殺人者である、ということも何度も書いてきた。
その過程で「欧米の犯罪」について、藤永茂博士という強力な論証者を知ったのは、私にとっては大きな出来事であった。その藤永茂博士の名は下記記事にも出てくる。
つまり、このネット世界では、同じような魂を持っている人間同士はどこかで邂逅するということだろう。
べつにそういう人々と個人的な知り合いにはならなくとも、そういう人々の書いた文章を読むだけで、「自分の考えは自分だけの思い込みではない」という自信を与えてくれるものである。
ネットはそういう精神的なつながりを通して、やがて世界そのものを変える可能性があると私は思っている。だからこそ、今の世界から利益を得ている人々はネットを恐れ、規制するのに躍起になっているのである。
*ほとんど無意識だったが、今日書いた「徽宗皇帝のブログ」の内容と、昨日書いておいた、この「酔生夢人」のテーマが一致した。まったく意図はしていなかったのだが、9.11関連記事がネット上に多かったために偶然そうなったのだ。
*「酔生夢人」の方では国際政治はあまり扱わないのが基本方針だが、今回の文章は「文学談義」と「ネット規制」というドメスティックな話題も含んでいるのでこちらに掲載した。
(以下引用)
ブッシュとブレアを国際刑事裁判所で裁くべきというツツ元大司教の主張
2003年、米英によるイラク侵攻が始まったときからブッシュとブレアを国際刑事裁判所で裁こうという呼びかけは一部に聞かれたが、米国が国際刑事裁判所規程を批准していないという事情のせいだろう、そういう声はいつしか立ち消えになっていたと思うが、先日、思いがけなく下記のニュースに接した。
「 ツツ元大主教 英元首相との同席拒否
南アフリカのノーベル平和賞受賞者のツツ元大主教は、アメリカのブッシュ前大統領やイギリスのブレア元首相がイラク戦争を引き起こしたことで、現在の中東の混乱の原因をつくったと批判し、ブレア元首相と共に出席する予定だった国際会議を欠席しました。
南アフリカのツツ元大主教は、かつて人種隔離政策=アパルトヘイトの撤廃に取り組み、1984年にノーベル平和賞を受賞した平和運動家です。 ツツ元大主教は、先月30日、ヨハネスブルクで世界の各界のリーダーを集めた会議に出席する予定でしたが、イギリスのブレア元首相との同席を拒否して欠席しました。 ツツ元大主教は、2日付けのイギリスの新聞「オブザーバー」に寄稿し、「イラクが大量破壊兵器を保有するといううそに基づいたイラクへの侵攻が、世界を不安定にし分裂させた」と指摘し、アメリカのブッシュ前大統領やイギリスのブレア元首相がイラク戦争を引き起こしたことで現在の中東の混乱の原因をつくり、結果としてシリアやイランを巡る緊張も招いたと批判しました。 これを受けて、ブレア元首相は声明を出し、ツツ元大主教の姿勢を「残念だ」としたうえで、イラク戦争に踏み切った経緯について、「道徳的にも政治的にも容易でない決断だった」と改めて釈明しました。」 (「NHK」9月2日 23時14分)
「 米英両元首脳の訴追求める=イラク開戦の罪で国際刑事裁へ −ツツ元大主教
1984年にノーベル平和賞を受賞した南アフリカのツツ元大主教は2日付の英紙オブザーバー(電子版)に寄稿し、2003年のイラク戦争開戦の責任を問い、ブレア元英首相とブッシュ前米大統領をオランダ・ハーグの国際刑事裁判所(ICC)に訴追するよう呼び掛けた。「イラクで失われた人命への責任を負う者は、ハーグで現在、責任を問われているアフリカやアジアの指導者らと同じ道を歩むべきだ」と訴えている。 ツツ元大主教は、ブレア、ブッシュ両氏が「大量破壊兵器が存在する」と世界を欺いて開始したイラク戦争が現在の中東不安定化の遠因だと主張。「シリアもイランも今の窮地に世界を追い込んだのはこの二人だ」と批判した。 」(「時事通信」2012/09/03)
「ツツ元大司教」については、藤永茂氏のブログ「私の闇の奥」の『 AK-47 as WMD 』( 2007/02/07 )という記事にも「 南アフリカの大司教デスモンド・トゥトゥ 」との名でその発言が記述されている。アフリカ大陸には1億以上もの小型銃火器が分布し、とりわけコンゴにはそれが溢れていて、その中で数的にダントツなのがAK-47という小銃だそうで、この小銃は「 砂や泥水にまみれても簡単な手入れで直ぐに使え、少年少女にも容易に取り扱えるのだそうです。その「長所」がアフリカの少年少女に大きな悲劇をもたらしています。アフリカでは30万以上の少年少女たちがいたいけな「兵士」に仕立てられて内戦に狩り出され、その結果、4百万人の子供たちが殺され、8百万人が不具者となり、千五百万人が家を失ったというユニセフの報告があります。 」、「 アフリカから何が持ち出され、何がアフリカに持ち込まれているか。このトータルなマクロな収支構造にこそ私たちの視線が凝集されなければなりません。アフリカに関する世界の列強諸国のソロバン勘定は、この200年間、構造的には何も変わってはいないのです。2006年10月のロンドンのタイムズ紙に、南アフリカの大司教デスモンド・トゥトゥ(ノーベル平和賞受賞者)は、アフィリカでの小型銃火器交易の現状を“the modern day slave trade which is out of control”と書いています。彼にすれば、200年ではなく、過去500年間同じことが続いていると言いたいのでしょう。 」
NHKの記事には、ツツ氏がブッシュとブレアを国際司法裁判所に訴追する呼びかけを行なったとは出ていないが、「ロシアの声」にも「 デズモンド・ムピロ・ツツ元大主教は、 英国のブレア元首相と米国のブッシュ前大統領をイラク戦争に対する責任で法廷で裁くことを支持する意向を示唆した」とあるので、「 国際司法裁判所に訴追するよう呼び掛けた 」との時事通信の記事内容に誤りはないと思われる。実際、イラク侵攻の唯一の理由であったはずの「イラクの大量破壊兵器保有」が嘘であったにもかかわらず、攻撃の首謀者たちがその後公的に何の責任も負わず、問われず、平気で平穏な日常生活を送っていられるという法はない。イラクでは彼らの無法な決断によって何万、何十万もの人々がいわれもなく殺され、死んでいかなければならなかった 。現在イラクの街々は上下水道を始めとした各種インフラが破壊され尽くし、清潔な水を手に入れることのできる人は限られているという。その「失われた人命」や平和の破壊に対してブッシュやラムズフェルドやブレアらが実質的に具体的に罪を問われなかったことは、昨年来のリビアやシリア攻撃を見ていると感じずにいられないのだが、米英に一片の反省を促すどころか、「これで通る」という、味を占めさせる結果になっているように思える。リビア、シリアときて、その後にはイラン攻撃が米国の既定路線だという声も聞こえてくる。ツツ氏の「「大量破壊兵器が存在する」と世界を欺いて開始したイラク戦争が現在の中東不安定化の遠因」「シリアもイランも今の窮地に世界を追い込んだのはこの二人」であり、したがって「 ブレア元英首相とブッシュ前米大統領をオランダ・ハーグの国際刑事裁判所(ICC)に訴追する」べきとの今回の主張は時宜にも道理にも叶っているように思う。
米国が国際刑事裁判所規程を批准しなかった理由は、イラク攻撃に至る経緯とその結果を見れば一目瞭然だ。国連憲章などの国際法の規程は米国にとって軍事行動の基準にはならず、たまたまある法が自国の行動を正当化できる場合はその権威を利用するというに過ぎないのだ。イラク攻撃は一方的な言いがかりによる完全に不法、不公正な侵略行為で、その結果、イラクの普通の人々が無惨に殺戮され、国中の何もかもが取り返しのつかないほどに痛めつけられた。そもそも2003年当時、湾岸戦争以降の米国の経済制裁によって、イラクの乳幼児死亡者数は百万人を超え、軍事力はイラクよりはるかに小国であるカタールの十分の一にまで落ちていたという。マデレーン・オルブライトがテレビ出演で、イラク経済制裁ではこれまでに50万人の子どもが死んだと聞いている。それだけの犠牲を払う価値がある行為なのか、と問われて「思うに、それだけの価値はあるのです」と答えたのは、この間の2006年であった。こういう発言をするオルブライトという女性には子どもがいないのかと思ったら、3人の子持ちなのだという。こういう有り様では、英米のイラク攻撃が絶望的な憎悪による新たな多数のテロリストをつくり出し、テロ攻撃をそれ以前の十倍に増やしたという結果に不思議はないだろう。 もっともこのことは開戦前から多くの人が予測、懸命に警告を発していたことだったと記憶するが…。
昨年米欧の空軍はリビアで一万回近く出動し、国内のすべてのインフラを滅茶苦茶に破壊することでカダフィ政権を倒したが、その中核を担った米国と英国はそれぞれ現在自国民に対してリビア訪問を止めるように通達を出しているのだという。「リビヤのカダフィ政権が転覆させられて以来、リビヤは「民主国家」になるどころか、無秩序と暴力が蔓延する国になりつつある。このカダフィ政権転覆を主導した当のアメリカでさえ、国務省がアメリカ人の旅行者に、「リビヤには行くな」と警告を発するほどになっている。」(米国のこの警告はリビア駐在の米国大使および職員が殺害された9月11日の事件の大分前のものである。)、 「英国の外務省の公式な旅行アドバイスを見ても「余程の必要がない限り、リビアは危険だから行くな」と書いてあります。」。リビアをそういう危険きわまりない国にしたのは、一体どこの誰なのだろう?
イラク攻撃の理由、攻撃に至る経緯、攻撃の実態、結果、等々を詳細に徹底的に掘り下げて米国の戦略の実態、その本質を明らかにすることは人類の今後の健全な生存のために不可欠なことではないかと思う。これは米国に理不尽な言いがかりを付けられて攻撃の対象とされる国と人々の救いとなるだけではないと思う。米国と同盟関係を持つ国の政府は米国の思惑に沿うことが何より優先、日本政府などは米国の機嫌を損ねることを怖れて自国民を犠牲の山羊として米国に差し出して恬として恥じないことは沖縄の現状を見れば分かる。その結果、政治家の責任感と良心の磨滅はもとより、思考力、判断力、交渉力、何をとっても時とともにいよいよ低下し、稚拙・低劣になっていく。韓国にも同じことがいえるように思える。ブッシュとブレアを国際刑事裁判所で裁くべきというツツ元大司教の提言がもし国際刑事裁判所の一世一代の英断によって受け容れられるようなことになれば、おそらく世界中のあちらこちらで希望が生まれでるように思う。
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