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我々は他人の不幸に平然と耐えきれるほどに勇敢だ

井口和基氏のブログから転載。タイトルはラ・ロシュフーコーの言葉だったかと思う。

根本的に原発というのは「原爆の核反応を容器内に閉じ込めて制御する」という非常に無謀な行為であり、しかもその核廃棄物を処理する手段は無い(人間が居住していないところを見つけて捨てるしかない)のだから、その存在自体があってはならないものだろう。それが50年以上も稼働してきた中で、周囲には様々な放射能被害があり、小さな事故も無数にあったのだが、それらのほとんどは隠蔽されてきたために原発に反対する声は大きなものとならなかった。それが日本にとって最大の不幸である。
今回の福島原発事故は「起こるべくして起こった」ものであり、「想定外」の出来事でも何でもない。
科学教を信じる信者は、おそらく今回の大惨事にも何一つ反省はしないだろう。「科学の進歩に犠牲はつきものだ」と、彼らは心の底で思っているのだ。言いかえれば「金のためなら多少の犠牲は仕方がない」ということだ。「自分が安楽な暮らしができるなら、原発立地地帯の人間が放射能被害に遭ったってかまうものか」ということだ。だが、今や死の灰は日本全土に降りかかっている。
まあ、「ただちに健康に害はない」と政府は言っているし、「長期的に見れば、我々はみな死んでいる」(ケインズ)のだから、のんびりと死んでいくか。

これからの子供たちには、ただ自分たちの無力を詫びるしかない。


強欲資本主義のモットーになりそうな言葉。

「自分が一杯の紅茶を飲むためなら世界が滅んだってかまうものか」
(ドストエフスキー『地下生活者の手記』より)



(以下引用)



問題なのは、原子炉を直に設計し、現場監督として、その製造過程からすべて指揮し、監督して来たその本人が、地震のない国アメリカで設計された、GEの原子炉構造







(スカートとは、この図の金色の部分)

は地震国の日本には適さないと言っていることである。特に、格納容器と圧力調整プールを繋ぐ「スカート」と呼ぶ部分の構造は実に華奢で、地震による垂直の突き上げ振動や横揺れ振動を受けたらすぐに破損するというのである。さらに、格納容器の内部の冷却用配管や緊急時の調整用の配管などは、上から吊るす形で溶接設置されているため、振動に弱く、すぐに破断すると言っているのである。

これまで、日本のGE製の原子炉は、電源があれば何とかなる。だから、電源を異なる予備電源を備えれば何も問題ないと考えられて来た。東電も日本政府も官僚も東大エリートもみなそういって来た。しかしながら、設計し作製した本人が地震には非常にもろい構造であると主張しているというわけである。

以上のすべてを考慮しても、日本は全原発を即刻稼働停止、そして逐次廃炉にしてゆくべきだろう。私はそう結論せざるを得ないと思う。このまま地震やその余震が続くのであれば、今度は、新潟や六ヶ所村、福井など他の場所の原子炉も福島化しないともかぎらないからである。


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