最近は小言幸兵衛みたいな文句つけ記事が多いこのブログだが、せっかくのGWだから、少し爽やかな記事を引用しよう。
『千と千尋の神隠し』の主題歌として使われた「いつも何度でも」の歌詞が東日本大震災と福島原発事故で半壊状態になった日本の現在と未来を予見していたという印象を持っている人は多いだろう。有名な「ウクライナ美女が歌う『いつも何度でも』」をユーチューブなどで見た人も多いはずだ。
先日のアイススケートモスクワ大会でスミルノフ・川口ペアがエキジビションで踊った演技にこの「いつも何度でも」が使われ、感動を呼んだらしい。その感動を記したのが下記引用の1で、「いつも何度でも」の歌詞が引用その2である。この歌詞をじっくりと味わって、これからの日本に思いを馳せるのもいい休日の過ごし方ではないだろうか。
下記記事1は「ときどき休みます」というブログである。ほのぼのとしたブログで、私は好きだ。
(引用その1)
映画に行きたかったけれど、GW真っ只中の映画の日ではそうとう混雑するだろうなあと諦める。夕方から雨。夜にカミさんが、フィギュアスケートのエキシビション(上手に言えない)を見ていたので今夜も肩口から覗き込む。しばらく見ていると、アレクサンドル・スミルノフさんと川口悠子さんのペアがはじまるところで、場内に『千と千尋の神隠し』の主題歌「いつも何度でも」が流れて驚いた。ふたりのスケートは特別この楽曲のためにという振り付けでもないのだろうが、最初からぐっと惹きこまれて、もはやこの振り付け(滑り)以外には考えられないというくらいぴったり馴染んでいた。
あの日を境にあらためてこの曲、特に歌詞を聴くと、なにかを知っていてなにかを伝えるためにこの歌が作られたとしか思えない。またまたそんな大げさなこと言って、と思うならば、どうか歌詞を検索してみてください。実際の演技もいまならばYOU Tubeで見られます(たぶんすぐ削除されるでしょうが)。被災した人々がというより僕が、身震いするくらい感動して、もう途中からポロポロ泣いてしまった。さまざまな人がさまざまなことを言い、歌い、演じ、行動するのを見てきたなかで、僕としては今夜のこのロシアのスケートペアとジブリの歌の取り合わせにいちばんやられた。「歌の力」はこれだとはじめてわか
ったような気がした。
(引用その2)
「いつも何度でも」歌詞
呼んでいる 胸のどこか奥で
いつも心躍る 夢を見たい
かなしみは 数えきれないけれど
その向こうできっと あなたに会える
繰り返すあやまちの そのたび ひとは
ただ青い空の 青さを知る
果てしなく 道は続いて見えるけれど
この両手は 光を抱ける
さよならのときの 静かな胸
ゼロになるからだが 耳をすませる
生きている不思議 死んでいく不思議
花も風も街も みんなおなじ
ララランランラランラーーーランランララン
ララララランランララランラララランラララララ
ホホホホホホホホルンルンルンルフフフフフ
ルルルルルンルルルーンルルルー
呼んでいる 胸のどこか奥で
いつも何度でも 夢を描こう
かなしみの数を 言い尽くすより
同じくちびるで そっとうたおう
閉じていく思い出の そのなかにいつも
忘れたくない ささやきを聞く
こなごなに砕かれた 鏡の上にも
新しい景色が 映される
はじまりの朝の 静かな窓
ゼロになるからだ 充たされてゆけ
海の彼方には もう探さない
輝くものは いつもここに
わたしのなかに
見つけられたから
ララランランラランラーーーランランララン
ララララランランララランラララランラララララ
ホホホホホホホホルンルンルンルフフフフフ
ルルルルルンルルルーンルルルー
『千と千尋の神隠し』の主題歌として使われた「いつも何度でも」の歌詞が東日本大震災と福島原発事故で半壊状態になった日本の現在と未来を予見していたという印象を持っている人は多いだろう。有名な「ウクライナ美女が歌う『いつも何度でも』」をユーチューブなどで見た人も多いはずだ。
先日のアイススケートモスクワ大会でスミルノフ・川口ペアがエキジビションで踊った演技にこの「いつも何度でも」が使われ、感動を呼んだらしい。その感動を記したのが下記引用の1で、「いつも何度でも」の歌詞が引用その2である。この歌詞をじっくりと味わって、これからの日本に思いを馳せるのもいい休日の過ごし方ではないだろうか。
下記記事1は「ときどき休みます」というブログである。ほのぼのとしたブログで、私は好きだ。
(引用その1)
映画に行きたかったけれど、GW真っ只中の映画の日ではそうとう混雑するだろうなあと諦める。夕方から雨。夜にカミさんが、フィギュアスケートのエキシビション(上手に言えない)を見ていたので今夜も肩口から覗き込む。しばらく見ていると、アレクサンドル・スミルノフさんと川口悠子さんのペアがはじまるところで、場内に『千と千尋の神隠し』の主題歌「いつも何度でも」が流れて驚いた。ふたりのスケートは特別この楽曲のためにという振り付けでもないのだろうが、最初からぐっと惹きこまれて、もはやこの振り付け(滑り)以外には考えられないというくらいぴったり馴染んでいた。
あの日を境にあらためてこの曲、特に歌詞を聴くと、なにかを知っていてなにかを伝えるためにこの歌が作られたとしか思えない。またまたそんな大げさなこと言って、と思うならば、どうか歌詞を検索してみてください。実際の演技もいまならばYOU Tubeで見られます(たぶんすぐ削除されるでしょうが)。被災した人々がというより僕が、身震いするくらい感動して、もう途中からポロポロ泣いてしまった。さまざまな人がさまざまなことを言い、歌い、演じ、行動するのを見てきたなかで、僕としては今夜のこのロシアのスケートペアとジブリの歌の取り合わせにいちばんやられた。「歌の力」はこれだとはじめてわか
ったような気がした。
(引用その2)
「いつも何度でも」歌詞
呼んでいる 胸のどこか奥で
いつも心躍る 夢を見たい
かなしみは 数えきれないけれど
その向こうできっと あなたに会える
繰り返すあやまちの そのたび ひとは
ただ青い空の 青さを知る
果てしなく 道は続いて見えるけれど
この両手は 光を抱ける
さよならのときの 静かな胸
ゼロになるからだが 耳をすませる
生きている不思議 死んでいく不思議
花も風も街も みんなおなじ
ララランランラランラーーーランランララン
ララララランランララランラララランラララララ
ホホホホホホホホルンルンルンルフフフフフ
ルルルルルンルルルーンルルルー
呼んでいる 胸のどこか奥で
いつも何度でも 夢を描こう
かなしみの数を 言い尽くすより
同じくちびるで そっとうたおう
閉じていく思い出の そのなかにいつも
忘れたくない ささやきを聞く
こなごなに砕かれた 鏡の上にも
新しい景色が 映される
はじまりの朝の 静かな窓
ゼロになるからだ 充たされてゆけ
海の彼方には もう探さない
輝くものは いつもここに
わたしのなかに
見つけられたから
ララランランラランラーーーランランララン
ララララランランララランラララランラララララ
ホホホホホホホホルンルンルンルフフフフフ
ルルルルルンルルルーンルルルー
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