小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・ア・警句」から転載。
無駄なブログを日常的に書いている私自身を反省させられる言葉だが、まあ、ブログなんてものは「読まない自由」が誰にでもあるのだから、どんな放言、放談をしてもいいし、情報の中には拡散すべきものも無数にあるのだから、情報発信自体が悪いという話にもならないだろう。
ところで、我々はなぜ他人に教えるのが好きで、教わるのが嫌いなのか、というと、当然ながらそれは自己愛のためである。「教える人間は上、教わる人間は下」という位置づけを我々は無意識にしているから、他人の知らないことを教えたがる人間は多く、それにうんざりする人間も多いわけだ。
そう考えると、学校の生徒たちの我慢強さは敬服すべきものだ、となるが、教わることをべつに嫌がる必要もない、と思えばそれだけの話である。むしろ、教わることで、自分はランクが少し上がって良かった、得した、と思えばいいだけだ。
ただ、ネット時代では「ググれば終わり」「ウィキで調べれば終わり」である、ということで情報の価値が暴落しているので、やたらにトリビアルな情報を聞かされることが増えて、うんざり、ということだろう。これも、嫌ならすべてシャットアウトすればいいだけではあるが、小田嶋氏はそれができない立場だから一層うんざりしているのだと推測する。
私は小田嶋隆を最高に尊敬しているのだが、この「情報拡散嫌悪」については同調できない、とまとめておこう。
(以下引用)
このたった10年ほどの間に、わたくしどもの社会は、他人にものを教えるカタチでしかコミュニケーションを取ろうとしない人間の含有率を飛躍的に高めてきている。その変化に、私は、ちょっと呆然としている。
「公益法人への寄付金が税控除の対象になるって知ってた?」
誰もが、私にものを教えようとしている。
私は、
「だからそれがどうしたんだ?」
と言い返したくなる気持ちを我慢しながら暮らしている。だから、毎日、眠りに落ちる前に、一日の間に胸の中に溜め込んだ呪いの言葉を闇の中に吐き出さなければならない。
ツイッターのタイムラインに、フェイスブックのアカウントに、情報は、続々と届けられる。
「知ってる?」
「これ、豆知識なんだけどさ」
「拡散希望」
「お知らせ:来る11月24日。待望のイベントが……」
見知らぬ人々が、明らかな上から目線で、私に知識をもたらそうとしている。あるいは、彼らは、私のアカウントを通して、自分発の情報を広報しようとたくらんでいるのかもしれない。
おかげで、私は、ほかならぬ自分の言葉を疑いはじめている次第だ。
「こんな情報が必要なんだろうか」
無駄なブログを日常的に書いている私自身を反省させられる言葉だが、まあ、ブログなんてものは「読まない自由」が誰にでもあるのだから、どんな放言、放談をしてもいいし、情報の中には拡散すべきものも無数にあるのだから、情報発信自体が悪いという話にもならないだろう。
ところで、我々はなぜ他人に教えるのが好きで、教わるのが嫌いなのか、というと、当然ながらそれは自己愛のためである。「教える人間は上、教わる人間は下」という位置づけを我々は無意識にしているから、他人の知らないことを教えたがる人間は多く、それにうんざりする人間も多いわけだ。
そう考えると、学校の生徒たちの我慢強さは敬服すべきものだ、となるが、教わることをべつに嫌がる必要もない、と思えばそれだけの話である。むしろ、教わることで、自分はランクが少し上がって良かった、得した、と思えばいいだけだ。
ただ、ネット時代では「ググれば終わり」「ウィキで調べれば終わり」である、ということで情報の価値が暴落しているので、やたらにトリビアルな情報を聞かされることが増えて、うんざり、ということだろう。これも、嫌ならすべてシャットアウトすればいいだけではあるが、小田嶋氏はそれができない立場だから一層うんざりしているのだと推測する。
私は小田嶋隆を最高に尊敬しているのだが、この「情報拡散嫌悪」については同調できない、とまとめておこう。
(以下引用)
このたった10年ほどの間に、わたくしどもの社会は、他人にものを教えるカタチでしかコミュニケーションを取ろうとしない人間の含有率を飛躍的に高めてきている。その変化に、私は、ちょっと呆然としている。
「公益法人への寄付金が税控除の対象になるって知ってた?」
誰もが、私にものを教えようとしている。
私は、
「だからそれがどうしたんだ?」
と言い返したくなる気持ちを我慢しながら暮らしている。だから、毎日、眠りに落ちる前に、一日の間に胸の中に溜め込んだ呪いの言葉を闇の中に吐き出さなければならない。
ツイッターのタイムラインに、フェイスブックのアカウントに、情報は、続々と届けられる。
「知ってる?」
「これ、豆知識なんだけどさ」
「拡散希望」
「お知らせ:来る11月24日。待望のイベントが……」
見知らぬ人々が、明らかな上から目線で、私に知識をもたらそうとしている。あるいは、彼らは、私のアカウントを通して、自分発の情報を広報しようとたくらんでいるのかもしれない。
おかげで、私は、ほかならぬ自分の言葉を疑いはじめている次第だ。
「こんな情報が必要なんだろうか」
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