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読めない文体

「夏目房之介の『で?』」というブログから転載。
「読めない文体がある」というのは私もまさしくその通りで、断片的に目にする村上春樹の文章だけで、もう彼の作品は私には読めないのである。「ライ麦畑でつかまえて」のホ-ルデン少年の精神を持った主人公に、1行ごとに比喩が散りばめられるフィッツジェラルドの文体、描かれるものは「この世界のあらゆるものは日々転落していく」というプルースト的喪失感、というのが、私の、村上春樹を読まずに推定している村上春樹的世界なのである。つまり基本的に「青春期の作家」だ。的外れだろうが何だろうが、我々はそういう予測に基づいて小説本を購入したりしなかったりするわけで、今の私には彼は縁遠い作家である。
文体とは、作品そのものの顔、象徴である。


(以下引用)


それほど寄り添った感じで読んでいた彼の小説に、次第に「何か違ってきたな」という感じを持ち始めた。多分、89年に出た『ダンス・ダンス・ダンス』が最初だったと思う。その違う感じは、92年の『ねじまき鳥クロニクル』で決定的な印象になった。それで僕は読むのをやめた。昔の小説を読み直そうとしたが、読めなかった。文体そのものを受け付けなくなっていた。

僕には、読めない文体、というものがある。フランス現代思想などの翻訳ものやその系列は、ほとんど読めないし、無理に読んでも意味がわからない。三島由紀夫も全然読めない。若い頃読めない文体で、その後読めるようになるものもあるが、逆のパターンはおそらく初めてだと思う。

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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
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