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「天皇の書」展 (書で分かる皇統の断絶)

私は今年の春から京都という観光地の郊外の町(一応京都市内だが)に住んでいるのだが、財政的問題で、京都の寺社の見物はほとんどやっていない。神社は拝観料は取らないのでまだましだが、寺は普通、500円の入場料を取る。まあ、境内の庭や建物の維持費も必要だろうから、500円が相場だというのはむしろ良心的だが、それでも貧乏人には痛い出費なのだ。拝観料の回数券割引でもほしいところだ。
移動にバスの一日乗車券を使えば、それも500円、後は市内だと昼飯代にどうしても800円以上かかるから、1日の観光費用はおよそ2000円になる。見る場所が一つとした場合である。
というわけで、私は京都の名所旧跡をまだほとんど見ていないのだが、昨日はどういう悪魔の囁きが聞こえたのか、秋の好天のせいか、博物館か美術館に行ってみようと考えた。どちらでもよかったのだが、京都国立近代美術館と京都国立博物館は近い場所にあるので適当にその場で決めることにした。
市バスを三十三間堂前で降りると、すぐに国立博物館があったので、そこに決めた。ちょうど「天皇の書」という、少し興味のあった展示をやっているのも、ここに決めた理由の一つだ。
料金1200円と高いのには驚いたが、ここまで来たら仕方がない。泣く泣く支払って中に入る。
私は書の見方など分からないが、好きな書と嫌いな書はある。概して端正な書が好きなので、良寛の枯れ芦のような書など、何がいいのかさっぱり分からない。まあ、きちんとした書にしか興味が無いなら、活字でも眺めていろ、と言われそうだが。
でまあ、歴代天皇の書が膨大に展示されているのを延々と眺めて、最後には頭がくらくらしてきたのだが、どの書もどの書もあまりに見事なのである。いや、私は書は分からないのだが、下手な書と達筆な書の区別くらいはつく。特に伏見天皇が小野道風の書を臨書をしたものなど、人間技とは思えなかった。書道の本で、明治時代の有名書家が古典の有名作品を臨書したものを見たことがあるが、レベルが全然違う。まあ、その書家たちの後継者たちは、伏見天皇のものは「形臨」で、明治の有名書家のは「意臨」だ、などと言うかもしれないが、それは言い訳、口実にしかならないだろう。
すべての技術の基本は模倣である、と言えると思うが、この天皇たちがこれほどの書技を身につけるために臨書に払った努力と時間は、どれほどのものだったのだろうか。

さて、最後に、本題の話をする。
実は、歴代天皇の書の中で、もの凄く下手なものが一つだけあったのだ。いや、私よりはマシですよ。でも、他の天皇の書の中に入ると、明らかに異質な下手さなのだ。
それは誰でしょう。
正確に言えば、この人に続く二人もあまり上手くない。プロスポーツの世界に小学生が入っている、という雰囲気である。
さて、先の問題の答え。
それは、「明治天皇」でした。続く大正天皇、昭和天皇も、それ以前の天皇のレベルとは明らかに違っている。つまり、明治天皇の時に、それ以前との断絶があったのだ。
ここから、私は、巷間に言われる「明治天皇すり替え説」が真実であることを確信した。
書は誤魔化せない。明治天皇の書は、あれは天皇たる教育を受けた人の書ではない。
明治天皇をすり替えた連中も、そこまでの教養がなかったから、明治天皇の書まで偽造する必要を認めず、「すり替え天皇」の書がそのまま後世に残ったのだろう。
明治天皇の和歌の腕前は認めるが、おそらくこれは天皇側近の学者による代作だろう。
というわけで、思わぬところで、明治維新の闇に光の当たった博物館見学であった。



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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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