「副島隆彦の学問道場」から、副島の一番弟子「アルルの男ヒロシ」の文章の一部を転載。
東京都が都民のデモ活動を邪魔するために公園の使用を禁止した、という話である。
デモ活動は法的に認められた政治的表現行為であり、都がその妨害をすることが許されていいはずはない。そもそも、都は憲法を守り、守らせる立場だろう。
この指示が出たのは石原慎太郎在任時だろうから、石原慎太郎の意思であることはまず疑いない。彼の反民衆的な立ち位置が如実に表れている。そして、彼を都知事に当選させたのも、誰が操作したにせよ、事実上はその民衆なのである。
もちろん、「民衆」の中にはデモなどうるさい、気に入らない、という人間も無数にいるだろう。いや、それが大多数かもしれない。それはつまり「民主主義など嫌いだ」と言うのに等しい。
ヴォルテールの言葉だと伝えられているが、「私はあなたの考えに反対だ。しかし、あなたがその意見を述べることは私の命に代えても守る」という言葉が民主主義の土台なのである。
民主主義が嫌い、ということは、「主権在民」の否定なのだ。つまり、自分が国王か誰かの奴隷であることを選ぶ、という選択なのである。
(以下引用)
そのように書いていたら、また別の形でこの表現の自由(憲法21条)に関する問題が浮上してきた。それは国民の大衆抗議活動に対する規制の問題という形をとって登場した。
昨今、反原発デモというものが盛んに首相官邸前や霞が関周辺で行われている。このデモの主張のすべては私は支持しないが、福島の原発事故によって吹き出した官僚機構に対する不信の現れであり、震災前の官僚機構の不作為が原因で起きなくてもいい原発のメルトダウン事故を起こしてしまった原因であるわけだから、どのような形であれ街頭行動で、国民が表現の自由の権利を行使することはもっともなことだと思う。デモクラシーにとって、表現の自由を守ることは致命的に重要であり、その主張の内容が他人にとっては違和感のあるものであっても、これは守られなければならない。
ところが、このデモに対する規制が今始まっているという。これが11月4日の朝日新聞が報じた以下の記事に書かれている日比谷公園の東京都による使用制限の問題である。
(記事の引用開始)
日比谷公園、都がデモ制限 市民「集会の自由に反する」
(2012年11月4日・朝日新聞朝刊)
【西本秀】東京都が、官庁街に隣接する日比谷公園をデモ行進に利用することに制限を加え始めた。反発する市民団体が、これまで通りの利用を認めるよう裁判に訴えている。
都が、対応を変えたのは今年8月から。従来、デモ隊は公園の一角に集まり、出発してきたが、都はこれを禁止し、集まる会場として園内の日比谷公会堂や大音楽堂を有料で借りるよう求めるようになった。
突然の変更に、市民団体側は「集会の自由を侵害する」と反発する。首相官邸前で抗議行動を続ける市民団体「首都圏反原発連合」(反原連)のメンバーは先月30日、都が公園内の一時使用を認めるよう、東京地裁に行政訴訟の一環である「仮の義務付け」を申し立てた。仮の義務付けは、時間が迫り、早急な判断が必要な時などに用いる、行政事件訴訟法の制度だ。
申立書などによると、反原連は今月11日、公園周辺で1万人規模のデモを計画しており、先月26日、公園を管轄する都東部公園緑地事務所に一時使用を申請したが許可されなかった。事前の交渉で公会堂などを借りることも考えたが、別の予約が入っていたという。
反原連が3月に数千人、7月に数万人のデモをした際は、現場にある都公園協会の窓口に届け出て、公園の一角から出発できた。これまで他団体も同じ手続きでデモをしており、申し立てた反原連の男性メンバー(39)は「公園はだれもが自由に無料で使える場所のはず。国会や官庁に近い日比谷公園で、デモを制限するのは集会や表現の自由に反する」と訴える。
一方、東京都側は地裁に出した意見書などで、使用を認めてきたのは、現場の公園協会の「誤った処理」だったと主張する。公会堂など施設以外では以前から集会を禁じており、8月から徹底した、とする。
現場の対応を都が見直したきっかけは、ツイッターなどで呼びかけた、7月の反原連のデモの人出に驚かされたからだという。朝日新聞の取材に、都東部公園緑地事務所は「参加人数も予測できず、一般の利用者への影響も大きい」とする。11日には園内で菊花展や農産物フェアなどがあり、「混乱を避ける必要もある」と説明する。
ただ、混乱を懸念して一時使用を一律に禁止した結果、9月に東京電力に向けて計画されていた100人規模のデモなども中止に追い込まれている。
東京地裁は2日、都側の主張を認めて反原連側の申し立てを却下した。地裁は、1万人規模の雑踏が生じ、「具体的危険性が見込まれる」とした。反原連側は即日抗告し、週明けにも東京高裁が判断を示す。
http://digital.asahi.com/articles/TKY201211030634.html?ref=comkiji_txt_end_s_kjid_TKY201211030634
(引用終わり)
この記事で重要なのは、反原連が企画しているような万単位のデモだけではなく、100人規模のデモも日比谷公園を利用しての開催が中止に追い込まれているという点である。日比谷公園にデモに参加する人が集まるのは、別に原発に関する抗議運動だけではなく、農協が主体になって行われるTPPに対する反対運動などの場合もある。100人規模のデモについての使用を制限したことで、他の趣旨の抗議運動に対する萎縮効果を狙ってもいることは明らかである。
東京都が都民のデモ活動を邪魔するために公園の使用を禁止した、という話である。
デモ活動は法的に認められた政治的表現行為であり、都がその妨害をすることが許されていいはずはない。そもそも、都は憲法を守り、守らせる立場だろう。
この指示が出たのは石原慎太郎在任時だろうから、石原慎太郎の意思であることはまず疑いない。彼の反民衆的な立ち位置が如実に表れている。そして、彼を都知事に当選させたのも、誰が操作したにせよ、事実上はその民衆なのである。
もちろん、「民衆」の中にはデモなどうるさい、気に入らない、という人間も無数にいるだろう。いや、それが大多数かもしれない。それはつまり「民主主義など嫌いだ」と言うのに等しい。
ヴォルテールの言葉だと伝えられているが、「私はあなたの考えに反対だ。しかし、あなたがその意見を述べることは私の命に代えても守る」という言葉が民主主義の土台なのである。
民主主義が嫌い、ということは、「主権在民」の否定なのだ。つまり、自分が国王か誰かの奴隷であることを選ぶ、という選択なのである。
(以下引用)
そのように書いていたら、また別の形でこの表現の自由(憲法21条)に関する問題が浮上してきた。それは国民の大衆抗議活動に対する規制の問題という形をとって登場した。
昨今、反原発デモというものが盛んに首相官邸前や霞が関周辺で行われている。このデモの主張のすべては私は支持しないが、福島の原発事故によって吹き出した官僚機構に対する不信の現れであり、震災前の官僚機構の不作為が原因で起きなくてもいい原発のメルトダウン事故を起こしてしまった原因であるわけだから、どのような形であれ街頭行動で、国民が表現の自由の権利を行使することはもっともなことだと思う。デモクラシーにとって、表現の自由を守ることは致命的に重要であり、その主張の内容が他人にとっては違和感のあるものであっても、これは守られなければならない。
ところが、このデモに対する規制が今始まっているという。これが11月4日の朝日新聞が報じた以下の記事に書かれている日比谷公園の東京都による使用制限の問題である。
(記事の引用開始)
日比谷公園、都がデモ制限 市民「集会の自由に反する」
(2012年11月4日・朝日新聞朝刊)
【西本秀】東京都が、官庁街に隣接する日比谷公園をデモ行進に利用することに制限を加え始めた。反発する市民団体が、これまで通りの利用を認めるよう裁判に訴えている。
都が、対応を変えたのは今年8月から。従来、デモ隊は公園の一角に集まり、出発してきたが、都はこれを禁止し、集まる会場として園内の日比谷公会堂や大音楽堂を有料で借りるよう求めるようになった。
突然の変更に、市民団体側は「集会の自由を侵害する」と反発する。首相官邸前で抗議行動を続ける市民団体「首都圏反原発連合」(反原連)のメンバーは先月30日、都が公園内の一時使用を認めるよう、東京地裁に行政訴訟の一環である「仮の義務付け」を申し立てた。仮の義務付けは、時間が迫り、早急な判断が必要な時などに用いる、行政事件訴訟法の制度だ。
申立書などによると、反原連は今月11日、公園周辺で1万人規模のデモを計画しており、先月26日、公園を管轄する都東部公園緑地事務所に一時使用を申請したが許可されなかった。事前の交渉で公会堂などを借りることも考えたが、別の予約が入っていたという。
反原連が3月に数千人、7月に数万人のデモをした際は、現場にある都公園協会の窓口に届け出て、公園の一角から出発できた。これまで他団体も同じ手続きでデモをしており、申し立てた反原連の男性メンバー(39)は「公園はだれもが自由に無料で使える場所のはず。国会や官庁に近い日比谷公園で、デモを制限するのは集会や表現の自由に反する」と訴える。
一方、東京都側は地裁に出した意見書などで、使用を認めてきたのは、現場の公園協会の「誤った処理」だったと主張する。公会堂など施設以外では以前から集会を禁じており、8月から徹底した、とする。
現場の対応を都が見直したきっかけは、ツイッターなどで呼びかけた、7月の反原連のデモの人出に驚かされたからだという。朝日新聞の取材に、都東部公園緑地事務所は「参加人数も予測できず、一般の利用者への影響も大きい」とする。11日には園内で菊花展や農産物フェアなどがあり、「混乱を避ける必要もある」と説明する。
ただ、混乱を懸念して一時使用を一律に禁止した結果、9月に東京電力に向けて計画されていた100人規模のデモなども中止に追い込まれている。
東京地裁は2日、都側の主張を認めて反原連側の申し立てを却下した。地裁は、1万人規模の雑踏が生じ、「具体的危険性が見込まれる」とした。反原連側は即日抗告し、週明けにも東京高裁が判断を示す。
http://digital.asahi.com/articles/TKY201211030634.html?ref=comkiji_txt_end_s_kjid_TKY201211030634
(引用終わり)
この記事で重要なのは、反原連が企画しているような万単位のデモだけではなく、100人規模のデモも日比谷公園を利用しての開催が中止に追い込まれているという点である。日比谷公園にデモに参加する人が集まるのは、別に原発に関する抗議運動だけではなく、農協が主体になって行われるTPPに対する反対運動などの場合もある。100人規模のデモについての使用を制限したことで、他の趣旨の抗議運動に対する萎縮効果を狙ってもいることは明らかである。
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