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抽象と捨象

「山科恭介のブログ」から転載。


「有」 は、消されていった 「無」 を立脚点としている。


なんて、いい言葉だねえ。
抽象と捨象は二つで一つなのであり、捨象されたものが存在しないかのように抽象のみに重きを置き過ぎた結果が、現代の、人間を人間とも思わないこの非人間的状況なのかもしれない。人間をただの労働力としか見ず、人の命も統計的数字としか見ない人間が抽象的操作に優れた「頭のいい人間」として社会の上部にいることが、この世界を索漠たるものにしているのではないだろうか。
さて、捨象されるものとは「不要なもの」に決まっているが、それは操作を行う人間の主観でしか判断されない。社会的弱者や貧乏人、有色人種などはロスチャイルドやロックフェラー、ビル・ゲイツなどのような人間から見れば捨象すべきものであり、世界人口のうち9割5分までが不要な存在なのだろう。
もちろん、山科恭介氏は、もっと人間存在の本質的なものについて述べているのだが、その議論から「捨象」された部分を私が補ったつもりである。
なお、抽象とは「象(形あるもの、つまり現実的存在)」からその本質部分(らしきもの)を「抽き出す」ことであり、その残りは捨象される、つまり捨てられる、ということだ。

我々は常に、「有は無に支えられている」あるいは「見えるものは見えないものに支えられている」ことを心に銘記しておくべきだろう。



(以下引用)




この世は、自分自身が取るべき責任の100%を超えて、他の責任をも幾分か取らされてしまう。
その 「淡く理不尽なる責任」 の分だけが、<搾取>なのだ。
これが搾取ということの本当の意味なのだが、社会学者も経済学者も、あるいは政治を語り世の中の何たるかを偉そうに語っている者のすべては、そんなことすら解っていない。
実際に苦痛と苦悩をこの身で味わい、その本源を見た人間でなければ、こんな簡単で単純なことすら解らないのが人間だ。

有力な進化論のひとつに、オランダの植物学者ユーゴー・ド・フリースが提唱した突然変異説というのがあって、これは、通常は種の衰退へと繋がるDNAの変異が、時として生存に有利に働く場合、進化の要因と成り得るとするものである。
突然変異という言葉自体、彼が命名したとされているのだが、ダーウィンの自然淘汰説に反し、初期メンデル遺伝学者達は、変異の不連続性の観点から劇的な質的突然変異が進化の主要な原動力であると見なしていた。

その突然変異に至る弁証法的展開として、
多くの苦悩を伴った人間精神が歴史の中に埋没していく。
その捨象された数々の精神にこそ、事の本質が存在している。
「有」 は、消されていった 「無」 を立脚点としている。

人々が苦しんだその苦悩の集合体が、<存在>の意味である。
多くの無能なる人間が、<進化>ということに寄せる想いとは、全く逆だ。

それに気づかなければ、我々人類に課せられた 「不幸」 はいつまでも続くだろう。



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