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誰もが苦しみながら誰も言わないこと

「志村建世のブログ」から転載。
連続性のある内容なので二回分の記事をまとめて転載する。
高齢者にどの程度の医療が必要なのか、終末期患者にどこまでの延命治療が必要なのか、という問題は現代社会の大問題の一つだと私は思うのだが、それについて多くの人は声を上げない。
人々が無関心だとは思わない。自分の家族が要介護者になれば、それまでの生活が一変し、大きく窮乏化するのは目に見えているし、実際にそういう経験を今している人は膨大に存在するはずだ。だが、「高齢者への延命治療は不要だ」という声はほとんど聞かない。
医療関係者の側から聞かないのは当然だ。彼らにはそれが稼ぎの種なのだから。
家族の側から聞かないのも当然だ。「お前は自分の家族が死ぬことを望んでいるのか」「家族の命よりも金が大事なのか」という世間の非難が来るのは目に見えているからだ。
したがって、この問題は、医療関係者でもなく、患者家族でもない第三者が論じるしかない。すると、「当事者でもなく、専門知識も無い人間に何が分かる」となる。
ジレンマならぬトリレンマの中にこの問題はあり、だからこそいつまでも解決の道が見えず、無数の人々を不幸に陥れているのである。


(以下引用)


2010.9.28
患者からの意思表明の試み
[ 医療・健康 ]

 手術への準備が進んでいて、病院側からさまざまな説明を受け、同意書に署名することが多くなりました。定着してきているインフォームド・コンセント(正しい情報を得た上での同意)の実践でしょう。今日は麻酔についてでしたが、直前には手術そのものについての詳細な説明がある筈です。起こり得る危険についても患者側に知らせておいて、最善は尽くすが場合によっては結果が良くなくてもトラブルにならないように、病院側を守る効果も含まれているでしょう。
 かつては医師は患者の生命を守る聖職者と思われていましたから、医師が失敗しても、患者が医師を訴えるなどということは考えられませんでした。町の名医として尊敬されていた私の叔父も、「医者は失敗して何人も殺しながら一人前になるものだ」と語っていました。しかし今は契約社会であり、医療の選択肢は増えています。医師も失敗は許されません。患者が医師と対等になれるのは、基本的に良いことです。
 でも、事前の同意は、医療側から求められるものが圧倒的に多くて、患者側からの説明や意思表明は、あまり問題にされていないように感じます。特に「自分はどんな人間で、どのように扱われたいか」という人生観・死生観といった精神的な部分については、患者側から事前に積極的な意思表明があることは、医療側にも有益ではないでしょうか。全身麻酔の状態で危機に陥っても、患者は意思の表明ができないのですから。
 そこで「医療についての意思表明書」の文案を考えてみました。
①私は基本認識として、人は口元まで食料を差し出されても摂取できなくなった時点で、自然死するものであると考えています。
②したがって、短時間の使用で顕著な生命力の回復が見込まれる場合を除き、経管栄養(胃ろうを含む)、人工呼吸器の装着など、延命の医療を希望しません。
③以上は終末医療を意識した考えですが、通常の医療においても準用されることを望みます。
④もし脳死状態に陥った場合は、有用な臓器等を提供することに異存ありません。
⑤上記は私の自由な意思によるものであり、これにより発生する事態についての責任は、すべて私にあります。
 年 月 日  署名(印)
 こんなものを用意して、説明の場で医療側の同意書と交換しておこうかと思っています。
Posted by 志村 建世 at 00:04:47 | コメント (15) | トラックバック (1) | リンク (0)


2010.9.27
「枯れるように死にたい」の著者からコメント
[ 医療・健康 ]

 今月12日から14日まで、3日間にわたって当ブログで紹介しました「枯れるように死にたい」の著者、田中奈保美さんから、ご丁寧な長文のコメントをいただきました。記事に対するコメントにとどまらず、これとして独立したメッセージでもあると思いましたので、オモテの記事として、以下に掲載させていただきます。
 このたびは志村様のブログに拙著を取り上げてくださり、過分なご高評を頂戴しましたこと、本当にありがたく、心より感謝申し上げます。われわれ夫婦は志村さんのおっしゃる通り『自然な死に方』を復活させたいと願う者です。ところが、多くの人たちが『自然な死』とはどういうものかすっかりわからなくなっているという現実がありました。とりわけ、医療従事者でさえよくわかっていないらしいと知ったときは、とんでもない事態が起きていると思ったものです。
 いったいどうしてこんなことになってしまったのか。私の素朴な疑問でした。そして、夫の仕事場(老人福祉施設)での出来事を聞けば聞くほど、疑問が次々と湧いてきました。人が高齢となって、老衰で死ぬとはどうなっていくことなのか。なぜ、今『自然な死に方』ができなくなってしまったのか……。そうした疑問についてひとつひとつ考え、夫の協力を得ながらその謎解きをするプロセスを記録した結果が、今回の本になったのだと思っています。
 こうした疑問を解くにあたって、私はこの上なく好条件の元にいました。一番身近な夫が経験豊かな医者だったこと。老人福祉施設の現場にいたこと。しかも、夫は子どもの頃から動植物など自然界のことについて関心が強く、人間も自然界の一員であるという揺るぎない基本的な視点があります。そのため、医療技術への過信がなかった点が幸いでした。
 拙著では『自然な死』が大きなテーマとなっていますが、テーマはもうひとつあります。『人が生きているとは』という問いかけでした。取材しながらずっと考え続けてきたことです。それは胃ろうを置かれ、寝たきりで、生きている実感もないまま医療の力で強制的に生かされ続けている高齢者を見て、改めて浮かび上がった問いかけです。
 医療技術は長足の進歩を遂げています。私たちはよりよく生きる上でその恩恵にあずからなければなりません。医療の役割とはそういうものなはずです。ところが、高齢者の終末期においては、医療が無惨な結果を作りだしているという事実。それが見過ごされている現実がありました。この高齢者の姿が無惨かどうかの判断は、いったいだれがしなければならないのでしょうか。医師なのでしょうか。家族なのでしょうか。また、その判断の基準となるのはなんなのでしょうか。
 そのとき、私たちにつきつけられているのは「人が生きるとは」という根源的な問いかけではないかと思いました。そして、現場ではそうした高齢者の無残な状況に対して、あまり疑問を持たれず受け入れられている、というのが不思議でした。そこにかかわっている医療従事者や介護士の方たちは見て見ぬふりなのか、思考停止状態なのか、当然のことと考えているのか・・・全国には胃ろうを造設されて、寝たきりのお年寄りが20万人とか30万人いるとか言われています。
 まさに、志村さんのご指摘にある、「誰の喜びにもならない医療資源と労力奉仕の浪費は、大きな社会的損失でもあります」ということです。対策は急がなければなりません。みじめな高齢者のためにも、社会的な損失のためにも。ただ、胃ろうを置かれて寝たきりで、ほとんど意識がない高齢者の状態を、ただ否定するものでないことはいうまでもありません。そのことも訴えたく、友人のヨウコさんの体験をご紹介しました。
 ヨウコさんは植物状態になった母親を胃ろうで3年余り延命し、その間、献身的な介護を続けました。現代医療の技術がなければありえない母娘の濃密な歳月を、医療の力を借りて持ったわけです。ヨウコさんにとっては価値ある時間でした。母親はヨウコさんの母親として最後まで大事にされ続け、人間としての尊厳は最期の瞬間まで守られていたと思います。ヨウコさんの体験を伺って、人間はつくづく人との関係性の中で生かされるものだと改めて教えられました。そのことも忘れてはならない大事な視点だということも。
 胃ろうの問題はその後の夫婦の会話にものぼっているのですが、まだまだ書かなければならないことがいっぱいあります。あと2冊くらいは・・・と思っているところです。このたびの拙著については、ありがたいことに一般の読者の方々からは思った以上の良好な反応がありましたが、医師たちからの反応はとても鈍く、ちょっとがっかりしています。
 ただ、今回の本の目的はひとりでも多くの人が、高齢者の死、及び自分自身の死について関心を持ち、考えるきっかけをつくる一助になれれば、ということです。なので、今私がなすべきは自ら拙著の広報活動に励むことと肝に命じています。そうした中での志村様のブログは本当にうれしく、私にとって仕事が報われる思いがいたしましたし、また今後の仕事への大きな励ましにもなります。今一度、本当にありがとうございました。
 2010年9月26日 田中奈保美
Posted by 志村 建世 at 01:15:57 | コメント (1) | トラックバック (2) | リンク (0)

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