「極東ブログ」というブログの記事の一部を転載する。
「泉の波立ち」経由で知ったばかりのブログなので、筆者の政治的思想やスタンスはまだよく分からないが、ところどころに面白い記事がある。知識は豊富で頭もいい筆者だとは思う。
で、下の記事はケビン・メアの「決断できない日本」という本の書評だが、ケビン・メアという名前は沖縄の人間からは唾棄されている名前なので、これは普通なら私は絶対に読まない本である。しかし、ここに書かれた内容からすれば、読むに値する部分も十分にあるようだ。ケビン・メア更迭のいきさつについても、本人に同情すべき点もありそうだが、ここでは福島原発事故の際の東電と官邸の対応(それがまさしく「決断できない日本」を象徴しているわけだが)についての一節を引用しよう。
今朝の毎日新聞朝刊で、東電側の事故調査委員会報告の要旨が出ていたが、官邸側に一方的に責任をなすりつけ、東電の自己弁護に終始した内容のようだ。東電という組織は、幹部クラスは全員死刑にするしかないのではないかと思う。
まあ、彼らの自己保身の汚い根性が、原発事故を取り返しのつかないレベルまで拡大し、ほとんど国家破産寸前まで追い込んだのは確かである。実際、本気で原発事故に対応するなら膨大な金が必要になり、財務省が福祉費用削減と増税にやっきになっている原因の一つはそれだろう。
だが、いくら「決断できない日本」だからと言って、「決断できる男」橋下に牛耳られた日本など、それこそ最悪の世界になると私は予言しておく。
(以下引用)
本書で期待していたもう一点の「福島第1原発事故直後、東京在住の米国人約9万人や在日米軍を避難させる最悪のシナリオ」についてだが、この話の真相はメア氏の述べるところが正しいように思われる。理由は、このこのシナリオの存在はすでにNHK報道でもなされていることなので信憑性が高いこと、また、今回の事態でコーディネータとして米側タスクフォースに参加していたメア氏の日本観(「二人の息子と娘一人」の「二つの祖国」)から氏が十分に反論しただろうことも、本書の全体の主張から調和的であることからだ。
私の驚きは、むしろ次の点だった。
だが、タスクフォース発足早々、最初の不気味な情報が飛び込んできました。それはワシントン時間の三月十一日深夜(日本時間十二日午後)のことで、「東京電力から『在日米軍のヘリは真水を大量に運べないか』という問い合わせが駐日米国大使館にあった」との情報が寄せられたのでした。
この時点では福島第一原発の現状に関する確たる情報は入っていませんでした。後に判明しるように、既に炉心溶融(メルトダウン)を起こしていた原子炉一号機格納容器の開放(ベント)をめぐって状況が錯綜していた時期に、東電は真水の大量搬送の可能性を探っていたことになります。
この情報は、東電が原子炉冷却のための海水注入を躊躇していることをも示していました。海水注入は原子炉を傷め、最終的に廃炉を余儀なくします。福島第一原発事故の稚拙な初動対応は今後、多角的に検証されるでしょうが、事故発生直後、東電は廃炉を想定せず、あくまで原子炉を温存しようと考え、一刻一秒を争う待ったなしの局面で、真水を求めて右往左往し、貴重な時間を費やしていた疑いは否定できないのではないでしょうか。
そして案の定、真水をめぐる情報が流れた数時間後、一号機は轟音とともに水素爆発を起こし、建屋の上部は骨組みだけの無残な姿に変わり果てていました。
メア氏は東電の右往左往を問題視しているが、この事態で重要なのは、この東電から駐日米国大使館に入った情報がどうやら菅政権側には入っていなかったように見えることだ。「だから、福島の事故でも、官邸や経産省にもたいした情報は入っていなかったのだろうと私は睨んでいました」とメア氏も推測している。
これは笑い話ではありません。未曾有の危機に際して情報を吸い上げる国家のパイプが目詰まりを起こしているという由々しい事態が日本を襲っていたのです。
私のあの時点で日本政府は消えていたのだろうと考えている。
関連した情報についても、当時このブログで想定した内容がほぼ裏付けられるように同書で描かれていることにも既視感があった。余談だが、次の箇所は、このブログを氏か氏の関係者が閲覧したのではないかとも興味深く思った(参照)。れいのヘリコプターによる撒水について。
その後、「二階から目薬」といううまい言い回しが日本語にあることを知りましたが、海水投下作戦はその効果のほどはともかく、何かをやっているということを誇示せんがための、政治主導の象徴的な作戦だったと思います。
さて、本書の評価だが、このブログとの関連もあり、当初の興味の部分から述べてきたが、通して一冊の著作としてみると、これらの論点はさほど重要ではない。むしろ、表題にある「決断できない日本」という根幹の問題について、わかりやすく総合的に解説されている点のほうに価値がある。日本という国がどういう状況に置かれているのかという問いに対して、高校生でもわかる答えの一例がここに書かれていると言ってもよいだろう。ただし、私と同じ意見ではないのは当然のことだが。
「泉の波立ち」経由で知ったばかりのブログなので、筆者の政治的思想やスタンスはまだよく分からないが、ところどころに面白い記事がある。知識は豊富で頭もいい筆者だとは思う。
で、下の記事はケビン・メアの「決断できない日本」という本の書評だが、ケビン・メアという名前は沖縄の人間からは唾棄されている名前なので、これは普通なら私は絶対に読まない本である。しかし、ここに書かれた内容からすれば、読むに値する部分も十分にあるようだ。ケビン・メア更迭のいきさつについても、本人に同情すべき点もありそうだが、ここでは福島原発事故の際の東電と官邸の対応(それがまさしく「決断できない日本」を象徴しているわけだが)についての一節を引用しよう。
今朝の毎日新聞朝刊で、東電側の事故調査委員会報告の要旨が出ていたが、官邸側に一方的に責任をなすりつけ、東電の自己弁護に終始した内容のようだ。東電という組織は、幹部クラスは全員死刑にするしかないのではないかと思う。
まあ、彼らの自己保身の汚い根性が、原発事故を取り返しのつかないレベルまで拡大し、ほとんど国家破産寸前まで追い込んだのは確かである。実際、本気で原発事故に対応するなら膨大な金が必要になり、財務省が福祉費用削減と増税にやっきになっている原因の一つはそれだろう。
だが、いくら「決断できない日本」だからと言って、「決断できる男」橋下に牛耳られた日本など、それこそ最悪の世界になると私は予言しておく。
(以下引用)
本書で期待していたもう一点の「福島第1原発事故直後、東京在住の米国人約9万人や在日米軍を避難させる最悪のシナリオ」についてだが、この話の真相はメア氏の述べるところが正しいように思われる。理由は、このこのシナリオの存在はすでにNHK報道でもなされていることなので信憑性が高いこと、また、今回の事態でコーディネータとして米側タスクフォースに参加していたメア氏の日本観(「二人の息子と娘一人」の「二つの祖国」)から氏が十分に反論しただろうことも、本書の全体の主張から調和的であることからだ。
私の驚きは、むしろ次の点だった。
だが、タスクフォース発足早々、最初の不気味な情報が飛び込んできました。それはワシントン時間の三月十一日深夜(日本時間十二日午後)のことで、「東京電力から『在日米軍のヘリは真水を大量に運べないか』という問い合わせが駐日米国大使館にあった」との情報が寄せられたのでした。
この時点では福島第一原発の現状に関する確たる情報は入っていませんでした。後に判明しるように、既に炉心溶融(メルトダウン)を起こしていた原子炉一号機格納容器の開放(ベント)をめぐって状況が錯綜していた時期に、東電は真水の大量搬送の可能性を探っていたことになります。
この情報は、東電が原子炉冷却のための海水注入を躊躇していることをも示していました。海水注入は原子炉を傷め、最終的に廃炉を余儀なくします。福島第一原発事故の稚拙な初動対応は今後、多角的に検証されるでしょうが、事故発生直後、東電は廃炉を想定せず、あくまで原子炉を温存しようと考え、一刻一秒を争う待ったなしの局面で、真水を求めて右往左往し、貴重な時間を費やしていた疑いは否定できないのではないでしょうか。
そして案の定、真水をめぐる情報が流れた数時間後、一号機は轟音とともに水素爆発を起こし、建屋の上部は骨組みだけの無残な姿に変わり果てていました。
メア氏は東電の右往左往を問題視しているが、この事態で重要なのは、この東電から駐日米国大使館に入った情報がどうやら菅政権側には入っていなかったように見えることだ。「だから、福島の事故でも、官邸や経産省にもたいした情報は入っていなかったのだろうと私は睨んでいました」とメア氏も推測している。
これは笑い話ではありません。未曾有の危機に際して情報を吸い上げる国家のパイプが目詰まりを起こしているという由々しい事態が日本を襲っていたのです。
私のあの時点で日本政府は消えていたのだろうと考えている。
関連した情報についても、当時このブログで想定した内容がほぼ裏付けられるように同書で描かれていることにも既視感があった。余談だが、次の箇所は、このブログを氏か氏の関係者が閲覧したのではないかとも興味深く思った(参照)。れいのヘリコプターによる撒水について。
その後、「二階から目薬」といううまい言い回しが日本語にあることを知りましたが、海水投下作戦はその効果のほどはともかく、何かをやっているということを誇示せんがための、政治主導の象徴的な作戦だったと思います。
さて、本書の評価だが、このブログとの関連もあり、当初の興味の部分から述べてきたが、通して一冊の著作としてみると、これらの論点はさほど重要ではない。むしろ、表題にある「決断できない日本」という根幹の問題について、わかりやすく総合的に解説されている点のほうに価値がある。日本という国がどういう状況に置かれているのかという問いに対して、高校生でもわかる答えの一例がここに書かれていると言ってもよいだろう。ただし、私と同じ意見ではないのは当然のことだが。
PR