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「整えない」ことの大切さ

三日連続で「ユルネバ!」から転載。
かなり長文だし、意図的に「ととのえない」書き方なので、話の趣旨がつかみにくいかもしれないが、書かれた内容はすべて興味深い。
単に、現代社会を発狂した状態と見よ、というのではない。自分自身も発狂しているのではないかと疑え、というのが筆者の提言だろう。
前に書いた「心の蓋」がガチガチに固まった状態だと、その中の「本来の自分」が強固に抑圧され、発狂状態になる。ところが、表面上はまさに冷静すぎるほど冷静、近代合理主義的思考から一歩も離れてはいないので、狂人扱いはされない。そういうキチガイが、日本全体に充満しているわけである。そんなことを言う私自身やあなたもそのお仲間かもしれない、ということである。
まあ、こういう文章を受け入れられる人間は、発狂してはいない可能性が大だろう、と気休めにまとめておこう。
最後に一言。「ととのえる」ことへの疑いを持つことは大事なような気がする。ととのえるとは、「不要物を捨象する」ことであり、捨象された「不要物」が本当に不要物かどうか、分かったものではないからだ。老人は不要物か。病人や障害者は不要物か。子供や幼児は不要物か。植物の中でも、きれいなバラは価値があり、雑草は不要物とされるが、はたして両者に本質的な違いはあるか。こうした疑問は、常に心の片隅に置いておきたい。それはまた捨象を前提とする近代合理主義を疑う、ということでもある。


(以下引用)*前半略


・なんで今頃になって改めてワーワー言うてるのかと言うと、
「世界の認識が変わったから」。
 僕は3.11事故後も
「世界は正しくて、その中に『原子力ムラ』という狂った人々がいる」
だからそれを正せば問題は解決する、と思ってたんですわ。
 でも再稼働のプロセス見てこれは違うと。
「世界そのものが狂ってる」
んじゃないかこれ!
 と思って、本読み漁ろうとして、幸いにもかなり早めにぶち当たったのが安冨先生の「東大話法」。そこで「いや世界発狂してますよもう随分昔から」と。
 さらに安冨先生の凄いのはここから。
「だから以前の僕も発狂してましたし、あなたもきっと」
 ガーン。

・僕子供の頃から、いや、誰だってそうだと思うんですけど、「世界がおかしい」と思う時は、当然「自分は正しい」とセットですよね。
 訊くわけです周りに、「これおかしいよね」と。
 反応が返って来なかったり、「うふぁれわおgvな;えわおふぁdlヴぃうぇ4おえら」みたいに言われたり。
 えーっ? これおかしくないのー?
 何度かこんな経験を繰り返すと、人間は言わなくなるんですよね。「どうせ通じない」とか「めんどくさい」とか「傷つきたくない」とかまあいろいろ。
 なんでこうなんだろう……と思ってたんですがその理由がわかったんですつまり、「僕も発狂してたから」。
 狂った世界に対して違う狂い方の狂人がわーわー言うてる異常な図柄で、そりゃ誰も相手にしませんよ。僕だって(今も)誰かの叫びを無視してる。
 ああなるほどだから僕の言葉誰も聞いてくれなかったのか……
 そこがストーンと落ちましてねぇ。

・てことで、そこから脱するにはどないしたらええんか、と。
 昨日のシンポジウム動画で質問された方が秀逸な例を出しておられて、いまみんな
「旦那の浮気の写真を見せられた奥さん」
になってると。
 発狂するわけです。
 厳然たる事実を「こんなの嘘だ」と叫んでみたり、そんなの私には関係ないから現状を維持すると開き直ったり。
 関係を改善するなり精算するなりの「正しい」行動が取れる人は、実は少ないのです。
 ここで冷静に「正しい」行動を取る・取れるように普段からなっておく、にはどうしたらいいのか……というところ考えると、多少は指針になるかもしれない?

・で、安冨先生の受け売りになるんですけど、様々な御本に書かれたことからJobs師匠風に3つ抜き出すと、

1 ハラスメントをしない・させない。
2 魂のしあわせを求める。
3 開かれた学習回路を作動させる。

こんな感じ。

・相手に自分の意図を押し付けようとする言動をもーのすごく取りがちですよねわれわれはね。
 これまず自分が止めて、やられたら「そういう言い方止めてください」、それでも通じなければ避ける、逃げる。
 シンポでも「リアルブロック」という楽しい単語がありましたが、それ。
 魂をできるだけ素のままにしておく・しておいてもらうために、そういう武器みたいなものをおたがいにガンガン当てててはダメなわけです。剣握って和平交渉はできまへん。

・つぎに、「しあわせ」でなくて「しあわせだという証拠」を求めがち。
 そうなのよ最初は「しあわせ」だったはずなのに、いつのまにか「しあわせの証拠」を集めてるのよね。
 もーなんか集め系のゲームとかそうじゃないですか、最初はちょっとずつ埋まっていくのがすごく嬉しかったけど、最後の方作業でしょう。コンプ時には感動よりもホッとする。
 それはあかんやんかw
 ソベクの皮しんどなって挫折しましたわ……
「この人と居るとしあわせ」
を感じるのが本来なのに、
「この人と居るとしあわせに違いない」
を感じちゃうんですよね人間はね。
 ジュンク堂トークショーでこの例として出てきたのが例の西山審議官さんで、会場爆笑だったんですけど個人攻撃になりかねないので詳細は書きません(笑)

 関西のこの手の笑いは今怒られますからねぇ。昔は緩かったんですよ、
「機長!止めてください!」
「逆噴射ー」
とか舞台で平気でやってましたからねぇ。
 もちろんご遺族やケガされた方ご本人には大変不愉快なことだと思うんですけど、なにもその方々を揶揄したり馬鹿にしてるわけじゃないですし、事件事故の本質、そこにある矛盾や欺瞞を嗤って暴きだしてるわけだから、むしろ被害を受けた方に味方してる、と思うんです。
 風化させない手段として笑いは貴重ですよ。
「機長といえば逆噴射」というギャグ公式が社会に共有されてたら、誰でもが機長の精神の健康に気を配るじゃないですか。

 あの人も可哀想に次官レースでトップ走るようなエース格だったらしいのに、あんなことに駆り出されて結果もう官僚人生全部おじゃんですよ。彼も原発の犠牲者です。

 ともあれなにがしあわせかは魂が知っている、というか魂しか知らないので、できるだけ安寧な、平穏を保たれた健全な魂が感じる「しあわせ」を、求める。

・「学習」というのはサイバネティックスでは「やり方そのものを変えていくこと」だそうです。
「フィードバック」ってのはパンを焼いて「もうちょっと甘い方がいい」と言われたら砂糖を入れ、甘すぎると言われたら減らす。
 対して「学習」は「もっと甘く」と言われてでもこれ以上はパンだと無理だと思ったら、ケーキを作る、てな感じ。
 コミュニケーションでも仕事でも勉強でもこの「学習」がなにより大事ですなぁ。
 これは、その具体的な方策を見つけることは確かにトライ&エラーが必要なので時間と手間が掛かることなのですが、方法論としては常に「学習する」という意識付けさえあればいい、
 と孔子様はおっしゃってる。
「知」と「不知」を分けることが「知」、だと。
 自分のシステムを常に固定せず、いつでもシステムごとアップデートできるようにしとかなあきません。

・ただ「この3つを守る!」とか言ってても人間なかなか守れないので、なんかこう自分なりの「つっかえ棒」、魂を開いておく補助具、があるといいな、と思うんです。
 ぼくの場合なにかなー、と考えましたら、それはやっぱり、こうしてぐじゅぐじゅ何か書いてること、なので、せめてこれぐらいは魂フルオープンで書こう、と思って。
 ほんで昨日からこんな形の、「ととのえない」的なやり方しちょります。これでも手癖でコチョコチョ整えちゃうんですけどねい。素直であること、生のままであること、ってむずかしいんですよホントに。

・結局くるーっと一周回って最初にweb日記書いてた頃みたいな書き方になってます。ふしぎなもんです。というか不思議でもないか、素直にすればそう、それを「こうせねば」で自分で歪めて狂ってただけで。

・だから富野監督にカチーンと来たのは、あの人キチガイでしょう(笑)「紅白のタンクローリーとかが伝説巨神になってバサー惑星斬る」とか紛れもなくキチガイマンガですやん。
 人間を爆弾にしたりさぁ!
 そんなものをですね、さんざんピュアな我々に見せといてキチガイに育てといて、いきなり「こういう普通のがいいんだ!」みたいな話されたら「おィい?!」でしょ?

「おおかみこども」って普通の話なんですよ。不謹慎な例えしますけどあれ狼じゃなくて奇病難病の子だと思いねぇ。不規則に奇声を発し、たまに毛むくじゃらになる、みたいな。
 父親出てったんでひとりで頑張って育てるおかあさん、一人死んで一人症状落ち着いて施設で働けるようになった、よかったね、って「春の感動家族2時間スペシャル」みたいなののトリを15分Vで飾ってスタジオ戻ったら3人4人並んでる女性タレントさんが目頭抑えてて所さんあたりがしんみりまとめる、そんなお話でしょう。
「あたりまえ」の話なんですよ。
 もちろん、あたりまえの話をあたりまえにする、っていうのは実は凄く難しいことで、しかもそれを時間一杯退屈させずに見せる、それには中途半端ではない力量が必要です。そりゃ僕もやってるからわかる。
 し、そういうのをしたい、そしてした、そこは全く素晴らしいことです。勇気とハードワークに敬意を表します、これはホントウに。

 でもその、さんざんキチガイマンガ作ってた人が褒めるのは違うでしょう(笑)「ま、これもいいけど、やっぱりガンダムだね!」こうじゃないですか?
 これがいいなら、じゃ散々それ見せられて心も人生も歪み切った我々トミノボーイズ&ガールズは路頭に迷うじゃないですか。どうしてくれるんですか。社会状況的に仕方がなかった? 嘘おっしゃい、高畑監督は「ハイジ」作ってるじゃないですか。作れないんじゃない、作らなかっただけですよ。そんな、ことここにおよんでヘタレんといてくださいよ、シャアじゃないんだから!
 シャアか。

 とカーッとなって思わず。まあ、時代は変化しますし、間違いだと思ったら認めた方がいいし、堀内恒夫が松坂大輔見て「彼は素晴らしい!」言うてるようなもんだとも思うんですけどね……

・だし、「普通の話を普通にする」っていうのにもちょいと疑念があって、それは花役の声、宮崎あおいさんの存在です。
 あの方はさすがネイキッド名優、イメージが「強すぎる」んですよ、だから花さんは宮崎さんにしか見えない。で、どんなイメージかといえば「独立した」なにものにも依存しない人、でしょう? だからそういうのに憧れるアラサーアフラフォーイカズ後家がミラーレスカメラ抱えながらぶわーぶら下がってるんじゃないですか。男なんて雄としても社会的パートナーとしても金づるとしても必要ない、ませいぜい精子の2、3個も貰えば十分?みたいな。(もちろん現物はどうなのか存じ上げませんよ(笑)イメージで)
 だからもう全然花さんにピンと来ない。
 普通ちっちゃい子ども抱えた若い母というのは、老若男女の保護欲を掻き立てるものです、電車で席譲っちゃうでしょ? これは人類全てに「次の代守らにゃ」というインプットがあるんでしょう。しかも未亡人ですぜ? 人間も動物ですからフェロモン出るんですよ次の庇護者を求めるために。その独特の色気があってしかるべき。もう僕なんか直撃じゃないですか、40独身男に昨日言ったように「花さんオレだー!」と叫ばせて「普通」。
 もうそのへんの、ないとおかしい生物学的魅力が無くて、それ何に起因してるかっていえば宮崎さんなんですよ。
 声優だ役者だ、プロだ素人だって話の前に、ヒロインにこの人を使うのは、「ふつうのはなしをしよう」としたなら致命的と言っていいミスで、「いや、やっぱり映画なんだからそれなりの華もね」っていうんならこの人を使う前にやらなあかんことは山のようにある。

 と、思ったんです。
 ファンの方すいません。

・だからね、ミスキャストとか細かい話じゃなくて、この作品は根底にでっかいズレがあって、そのズレが気になる人にはもう細部がどんなに優れてても固まっちゃうし、気にならない人にはなんでもかんでも気にならない。
 真珠湾攻撃みたいなもんですよ、奇跡的大戦果がほとんど無傷で手に入ってバンザーイバンザーイそこら中で絶叫してるんだけど、ちょっと待って待って、エンタープライズ取り逃がしてるし第二次攻撃してないし戦略的になんの意味もないしそもそも……アメリカと戦争って、やっていいの!?

・……とまあ、ぐちゃぐちゃ言わしめる、言おうと思わしめる「力のある」作品であることは確かです。フォローではなく。
 もちろん富野監督も大尊敬してますよ、ぼく実物の前に出たらたぶん直立不動で緊張のあまり失禁して股間に世界地図作っちゃう。
 だからこういうのがいいなら、こういうの作ってください。

・で、ついでに発狂の話に戻る。
 ぱらぱらweb見てると「最初から最後まで号泣でした!」みたいなね、ご感想があるんですよ。
 あなた、発狂してますよ。
 その涙、あなたの魂の悲鳴です。
 先ほど申しましたようにこれ「普通の話」なんですよ。TVで観てホロッと来て「ああ僕もがんばらんとなぁ」ぐらいの。
 それにそんな泣き叫ぶっていうのは、普段、魂が幽閉されてるんです強固なフタの下に。だから、こういう話を観るという「ほんとうのじぶんを出していい」という環境に置かれると、劇的な、発作的な反応が出るんです。
 ちょっと考えたほうがいいですよ、生き方、仕事、学業、家族友人妻夫子ども、趣味、なんかで強烈な「シバリ」が掛かってる恐れがオオアリクイです。
 これの怖いところは本人意識してないことが多い……っていうか、意識できてたら普通逃げ出しますからね、さっきの「浮気された奥さん」の状態になってんです。ヤバイですよ。
「そんなのほっといてくれ!」
 ほら発狂した。
 ほっとけないんですよ社会に発狂してる人多いと原発が爆発するんです。

 何度でも言いますが、原発が問題やないんです。爆発して大惨事になったものを安全にする作業もせずに国のトップが平気でまた動かす、この完全発狂状態が問題なんです。

 個々人の発狂要因まで僕にはもちろんわかりませんが、いまここで「カチーン」と来てグラグラッとバディが揺るがされ血が沸騰したなら、それこそが発狂してる証拠です、虚心坦懐にご自分の日々を見なおしてくだされ。
 だいじだと思い込んでるものこそが、魂のフタであることが多いですよ。

 安冨先生はほんとにご自分の身を切るようにしてその真実を見出したわけです、その頃「自殺自殺……」と呟いてらしたとか。妻も子も居る論文で賞もらった東大の先生が。
 そんなとこに「しあわせ」なんか無かった。

 もちろん僕も狂ってて、いまでも結構意図して「自分が狂ってる」ことを前提に「狂わないように」してます、っていうお話さっきしましたよね。これたぶんキチガイマンガばっかり見せられたからで(冗談ですよ)一生治らないんです。だから一生付き合うしかない。
 せめてまだこのフタの軽い人や無い人を応援し、重い人に「フタ乗ってるで」と指摘して、というのが「あーおれ狂ってる/たわー」と気づいた人間の責任……とか義務とかいうと言葉大きすぎるんですけど、ま募金箱に1円と5円をぱらぱら入れる程度のことかな、と、最近、思ってるんです。
 ほんでこんなことを。

・まったくコロンブスの卵でした、「世界おかしい」これ結構ちょっと考えたり感じたりする人ならわかるわけです。でも「世界がおかしいってことはそこで育った自分もおかしい」とは気づかない。
 こんな論理的にあったりまえのことなのに。気づいてみれば「なんで気づかなかったんだ!?」と叫びたくなるほど簡単なことなのに。
 人間、自分が可愛い、自分は特別、なんですねぇ……




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