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植民地化された魂が日本を覆っている

ながたかずひさ氏の「ユルネバ!」ブログから転載。
長い記事だし、プロの物書きの文章を全文転載というわけにもいかないので、後半は省略するが、面白い内容なので、興味を持たれたら元記事を見られたい。
引用した文章は深尾葉子「魂の植民地とは何か」の書評だが、この書評だけで十分、という気持ちになるのが難点ではないか。評された本を読んでもこれ以上のものが得られるように思えないほど面白い。
サンタクロースのエピソードに近い経験、つまり大人の前で子供が「期待すべき子供像」を演じる、という経験はたいていの人が持っているだろう。作文などで「自分が書きたい内容」ではなく、教師に期待されている内容を書いて褒められる、とか、「子供らしさの溢れた稚拙な絵」をわざと描いて表彰されたりする、とか。これが筆者の言う「フタ」の起源である。
「パーソナリティ(個性)」の語源が「ペルソナ(仮面)」であることから分かるように、人間は社会に向けて仮面をかぶり、それが社会的なパーソナリティとなる。その個性は本来の自分そのままではないから、いつでも自分は嘘をついている、演技をしているという不安感や罪悪感がどこかにある。やがて、その仮面が顔に完全に張り付いてしまうと、「魂が植民地化された人間」となり、今度は他人(目下の者)に対しても「社会全体の常識」や「空気」に従う行動を要求するようになるわけである。
まあ、無駄な解説はこれくらいにしよう。
禅で言う「随所に主となる」境地は、この「魂の植民地化」の対極にあると言えるだろう。


(以下引用)


2012年10月10日
本「魂の脱植民地化とは何か」 深尾葉子



 まさに「渾身の」という言葉はこの本のためにある、血しぶき噴き出る魂の一冊です。
 

 現代の多くの人は、生の「魂」にフタをして生きています。その主原因あるいはキッカケはさまざまだと思いますが、結局それが「うまく」生きるには便利だから、でしょう。
 しかしそれを続けていると、いつしかそのフタの上に作り上げた仮の人格が、本当の魂を乗っ取ってしまいます。
「やりたいこと」ではなく、「やりたいはずのこと」をする。
「好きなこと」ではなく、「好きなはずのこと」をする。
 これが「魂の植民地化」。

 そうして歪められていった魂は、結果としてさまざまなSOSを周囲に噴き出しながら彷徨い、自死すらまだ運のいい方、悲劇的な場合には無差別殺人・カルト・背任果ては原発事故、社会にとてつもないダメージを与えてしまいます。
 そしてこれの最も怖い点は、本人がそれと意識せずに症状が進んでしまうこと。

 この魂を救うには、脱植民地化するには、というのがこの本の主題です。

 深尾先生は自らの脱植民地化の道筋をまさに・文字通り身と心を切り刻みながら詳説し、その姿に感化された大学院生達から別府晴海、遠藤誉といった功成り名を遂げた研究者までもが自らを振り返り魂を抉り出す、その過程を追うことで読者も自らのフタの中の魂を省みる……
 という、構成です。

 ので、僕も少しだけフタを開けて覗いてみました。

 3歳か4歳か、とりあえず小学校就学前だったと思います、ずっと覚えてるエピソードがあります。クリスマス・イブです。
 母・父・祖母が揃う夕食のちゃぶ台でサンタさんの話題になり、
「いい子にしてると来てくれるわよ」
「わー! サンタさんいつ来るのかなー!」
と、僕はキッチンのガラス戸に駆け寄り瞳を輝かせながら夜空を見上げ、大人達はそれを見て思わず微笑む……
 いい光景ですね。
 これ僕芝居したんですよ(笑)

 その瞬間の心の動きをまるごと記憶してるんです、
「あっ、ここは『わー楽しみー!』と『サンタを待ちわびるこども』のフリをすべきシーン!」
 そして実行した、絶大な効果を目の当たりにした、そして思った
「……これはやったらあかん……」

 嘘ついたわけです、
 そしてその嘘が信じられないぐらいウケ取ったわけです、
 だから、この手の嘘は、余程のことが無い限り、ついちゃいけない。

 つまりその瞬間僕は人間の「フタ」システムを肌で理解し、フタの上にできるだけものをおかない、ようにしよう、と思ったんです。

 ヤな子どもでしょう(笑)
 でもしょうがないですよ、そう思っちゃったんだからそれはどうしようもない。

 そういう目で見ると子どもというのは実に生々しいものでして、フタが無いか軽い子がやっぱり多くて、つまり野獣なわけですね。
 ところが小学校も高学年になるとだんだんフタの上に人格作ってそれでコミュニケーションを取ろうとする子どもが増えてきて、中学に入ると──でまた僕が行ったのが中高一貫進学校だったもんで地頭のいいこまっしゃくれた子どもばかりでですね──ま、だいたい、フタの上の人格でやりとりするようになる。

 フタ・システムを使わないと中学校ですら生きづらいのがこの現代日本、しかし遠きあの日に「こんな不誠実はない……」と封印したのがフタ、この矛盾を解決するために僕が考えだしたのがその名も
「トランスルーセント・テクノロジー(TM)」
今名付けた。
 要するに
「あ、僕フタありますんで。これ仮面ッスよ。中身何考えてるかわかりません。でも、仮面が言ったことでも(本心と違っても)意地と誇りにかけて(できるだけ)守りますよ」
 こう。
 フタはある。裏表もある。しかし裏と表の接続・連絡を密にしてあるので、表を信じてくださって大丈夫。
 こういうアピールです。
 僕が普段書いてるものとか読んでいただけると、そうでしょ?(笑)以来この歳までずっとその戦略を採用してます。あんまり人様では見かけない戦略ですけども。

 この戦略にはメリットとデメリットがあって、デメリットとしては
「フタの存在」
は隠されていることになっている、いや、存在してはいけないことになっている、ので、フタの存在を認めること自体、そういう戦略をとっているということ自体、が倫理的に悪である、という非難を浴びること、です。
 てめえらも持ってるくせによう(笑)
 非難を浴びせる人はまだフタの存在自体に対して(自分の中には、はともかく)意識はあるのでまだマシで、年齢上がってくると確実に分厚いフタ閉めてるくせにフタの存在を認めたがらない(別府先生は「化石化」とまでお呼びですが)人が増えるんです。
 そういう人に、僕は黙殺され続けました。
「フタの存在を明示する人間」というのは彼らにとって何者にもまして怖い存在なのです。
 いまでもそうですよ。

 反対に、だからメリットとしては、
「フタの無い・あるいは軽い人」
が周囲に集まってきてくれた、ということです。
 多様性花開くステキな仲間たち。
 いまも大変な財産です、つーか僕にはこれぐらいしか財産がない。
 しかしそういう人々はフタの重い人、つまり「常識的な一般人」を気取ってる人たちからすれば奇人・変人の類が多くて、ある時期友人が付けてくれた称号が
「ポケモンマスター」。

 このメリットとデメリットは常にせめぎ合ってまして、人生たまには気のいい仲間の群れから外れてオープンフィールドで勝負せねばならんこともあります。そんな時、大多数のフタ重い人々が物凄い無意識で僕の存在を消そう(たとえば5人の中から1人選ぶ、という時に「考慮することすらしない」という感じ)とするのですが、フタの軽い人、こういう人は大抵影響力が強いんです、魂が噴き出してる人たちなので、声も態度もでかい、が、救いの手を出してくれて、「こいつおもしろいやないか」と。

 二度のサラリーマン生活はなんとかかんとかそれで乗り切らせてもらいました。
 しかしどんどん生きづらくなる。
 日本の社会自体が21世紀に入ってから、どんどんその、フタを分厚くして、フタの上を強化して……という方向に向かっているんです、いや、世界中そうかもしれん。
 フタの上の架空人格どうしのコミュニケーションなぞすなわち欺瞞なので、副作用として当然ながら大きな矛盾があちこちに生じて、それがまた防衛本能としてフタを分厚くする。

 例えて言えば今飲酒運転で捕まったら、いやヘタしたらtwitterで「飲んだけどクルマで帰る~」って呟いただけで仕事クビになりますよね。おかしいと思いませんか、人はねたりモノ壊してなくても、人生壊されるんですよ。
 いやもちろんあきませんよ、やったらあきませんけど、法律って人間を幸せにしてそれを守るためにあるはずなのに、誰も不幸にしてない人間を不幸にする。
 そのくせ原発爆発させて何十万もの人々に不幸を与えた人々は1mmも罰せられず数億と噂される退職金貰ってニコやかに老後を暮らす。
 異常ですよね。

 魂のほんとうのところにいちいち迫っていちいち考えることを止め、フタの上の空虚な抽象議論ばかりをできもせんのに弄り回し弄んでるから、こんなおかしなことになるんです。

 それはともかく、てなことで自慢のトランスルーセント・テクノロジー(推すな)の効き目も大変悪くなるいっぽう。先行きも見えず、人生を4年ブチ込んで力いっぱい描いた脚本も市場から黙殺され(笑)

 ──余談ですが、「星の王子くん」はご覧のとおり「フタを弾き飛ばす」物語です。ヒロイン5人ともそうですし、王子もそうですね。
 この本読んでから考えたのですが、「ミラクルズ!」もずっとそうで、つまり僕は、フタの話ばかり描いています──

 このままでは静かに滅びるのを待つばかり、それが嫌なら、選択肢は二つ。

1.諦めてフタの上のボニョを鍛え上げ、華やかに嘘世界に嘘笑顔で復帰する。
2.やはりこのフタの上下を満たすような細道を精密に見つけ出し下枝切り払いながら進むしか無い。

 どっちもしんどいわー、もーいいや、滅びるかー、
 っていうのが、3.11の前でした。

 で。
 自分のフタが開く前に、原子炉建屋のフタが開いたんです。

 そっからもう出るわ出るわ魑魅魍魎、まさにパンドラの箱のように分厚いフタで魂を覆い隠した人間ではない人造人間共が毎日のようにテレビ新聞ネットに出ずっぱり、薄々感じてはいたもののまさか日本社会がこんなに「フタ人間」で覆われてるとは信じられず、発狂しそうになりました。
『MIB』がありますでしょう、『寄生獣』でもいいです、まさにアレ。もう洒落抜き誇張抜き冗談抜きでアレそのものです。
 メガネ掛けるとエイリアン。
 TV点けるとフタ人間。
 ギャーーーーーーッ!!

 しかしそんな中でも! 小出裕章さんはじめ、果敢にフタ人間に立ち向かう仮面ライダー達は少なからず居て、そして安冨先生の『東大話法』に出会ったわけです。

 いやあの人達は改造されちゃってるんだよ。魂と、外向きの人格との間のコミュニケーション回路が、切断されてしまっているんだよ。

 そうすなわち上記の選択肢がそもそも間違ってて、なぜ「トランスルーセント・テクノロジー」とか言いながらこんな簡単なことに気づかなかったのかまさに足元過ぎて見失う「盲点」。

3.フタふっ飛ばして好きなように生きる!

 これです。
 もちろんその道には仕事とか経済性とか具体的に課題はあるんですけど、それらは解決しようと思えば現代日本ならなんとでもなる部分で、最悪お金なくなったら僕実家住まいなのでママにお小遣い貰ってでも(笑)いやいや、それはアレすぎですが、まあ、なんとでもなるんです。


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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
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