「世に倦む日々」から転載。(冒頭部省略)
素晴らしい記事である。今の日本を覆う狂気じみた「後藤健二」教の邪気を払う清涼剤だ。
(以下引用)
けれども、安倍晋三に対する批判の自粛などよりもはるかに巨大で圧倒的な同調圧力が、事件発生後のこの国を覆っていて、それに誰も抗えなくなっている現実をわれわれは見落としていないか。それは、後藤健二に対する批判と考察の禁忌であり、昨年10月末の後藤健二の不審な行動経過に対する検証の自粛だ。私は、事件直後の早い段階から、このような思想状況になることを危惧し、後藤健二に対する英雄視や神聖化の動きに警戒警報を発してきた。果たせるかな、マスコミによる後藤健二への美化と礼賛の怒濤は収まりを見せず、連日連夜、これでもかと洪水のように押し出され、同じ映像とコメントがニュース番組を埋め、後藤健二は神格化されて行った。「後藤さんは常に子どもに寄り添った」「弱者の味方だった」「戦争で傷ついた子どもを支援した」、このフレーズが幾度も幾度もテレビから流され、同じ映像が使われ、事件についてのテレビ報道は、真相を解明したり追跡したりするものではなく、後藤健二を絶賛するもの一色に染まった。特に、殺害された2/1以降は際立っていて、今や後藤健二に対しては尊敬と共感の言葉以外は言えない環境になっている。疑問を差し挟む余地のない、絶対的な無謬の英雄として仰ぐしかない空気が醸成され、それが固まってしまった。
後藤健二を崇拝する同調圧力は、マスコミ以上にネットが強烈で、それも左翼方面ほど熱狂的に昂奮していて、まるで、後藤健二の悪口を言う者を見つけて制裁する自警団が組織されているかの如くだ。イスラム国のラッカと同じ恐怖の言論統制。この空気が国民全体でセメント化されると、最早、どれだけ10月末からの後藤健二の不審な行動を検証する情報が出てきても、誰もそれを信用しなくなり、頭から論外なデマだと決めつけて切り捨ててしまう状況になる。偉大な神である後藤健二を相対化したり、そのシンボルに傷がつくような情報は、たとえそれが信憑性のあるものでも、主観的に無価値と即断されるようになり、見向きされなくなってしまうのだ。今、日本国民は後藤健二を自己と同一化する心理状態になっていて、無条件に肯定して帰依することが当然な態度になっている。本来、10/22-29のたった一週間で湯川遥菜を連れ戻す計画はおかしいし、10/25-27のイスラム国潜入で、湯川遥菜と接触して安否確認した上でラッカを取材撮影して帰還するなどあり得ない。個人の力で、単独のスクラッチで、2泊3日の短期工程でそこまでの成果を上げることは不可能だ。資金を出し、イスラム国とコンタクトして日程を調整し、プロジェクトを企画差配した者がいて、後藤健二はミッションとして役割を演じている。
つまり、政府(外務省とNHK)による派遣工作員説だ。だが、そうした合理的な推理と試論は、この国の国教となった後藤健二真理教の前では、全く無意味なデマとして排斥され、神である後藤健二への冒涜や暴言とされて非難され、仮説としてさえも言論の居場所を失う事態になってしまった。まるで、イスラム教徒がモスクで集団礼拝するように、全員が同じ方向を向き、全員が揃って信仰の拝跪を繰り返している。毎夜毎夜、NHKの7時と9時のニュースで、10時からの報ステで、その教義が刷り込まれ、国民的確信と信仰が固められている。私にはこの現象がファシズムに見え、例の北朝鮮拉致報道とそこから醸成された社会観念と同じ異常な病理に見える。後藤健二は、これまで特に有名な「ジャーナリスト」だったわけではなかった。マスコミには何度か登場していたようだが、その顔と名前と活躍を知っていた者は少ない。後藤健二の過去の取材映像が、拘束後に溢れるほどテレビで反復放映されるが、それを見ても、基本的に平板凡庸で、特に評価をつけるものではなく、印象に残る報道営為ではないのだ。だから、私も過去の報ステで後藤健二の(シリアやイラクの)レポートを見ていたに違いないが、何も記憶に残ってないのであり、顔と名前を覚えてないのである。正直、スキルが高い「ジャーナリスト」とは思えない。
後藤健二の取材レポートを見て気づくのは、と言うより違和感を覚える特徴は、撮影している構図に、やたら自分(後藤健二)の顔を大きく入れて映していることだ。トルコの国境の町からシリア側(イスラム国側)を撮って説明する映像 - 報ステで放送されたもの - があるが、「向こうがイスラム国の支配地域です」という案内をするとき、カメラは一瞬だけ国境方面の風景を捉え、その後はずっと後藤健二の顔にフォーカスしている。「イスラム国の支配地域です」の音声とセットされている映像は、後藤健二の大きなアップの顔なのだ。自分の顔ばかり撮って映像にしている。車の後部座席から戦場になったシリアの町を紹介するレポートもある。「この町では」、と後藤健二は説明するのだが、撮影している動画は後藤健二のアップの顔ばかりで、車の外のシリアの町は映像として全く登場しない。自分ばかりを撮って映像にし、それをマスコミ(テレビ局)の報道素材に提供している。今、後藤健二が死んだ後だから、後藤健二を追悼して共感を煽るためにマスコミが使う映像としては、後藤健二が主人公として制作されているこれらの取材映像は都合がいい。しかし、本来、紛争地の報道でわれわれが見たいのは、現場を撮影したドキュメント映像であり、フリージャーナリストの姿ではないのだ。実は、この手法は後藤健二だけのものではない。
これも報ステで見たが、別の若いフリージャーナリストがシリア北部の戦場の町を取材したレポートでもそうだった。古館伊知郎と繋がった生中継で、町や人々の様子をカメラで捕捉しようとせず、ずっと自分の顔のアップを固定したまま動かそうとしない。町の絵を撮らず、しつこく自分の顔を撮る。何をやっているのか、視聴者としておおよその察しはつく。自分を売り込んでいるのだ。大手のテレビで顔を放送させ、少しでも有名になろうとしているのだ。売名と宣伝なのであり、戦争の現場は出汁なのだ。最近のフリージャーナリストなる者の、中東紛争地の取材というのは、一事が万事この調子で、それが慣例で常態になっていて、われわれは特に驚かなくなり、不自然や不都合を感じなくなった。だが、私は古い感性を維持していて、昔ながらのジャーナリズムの概念に拘りがあるため、こうしたフリージャーナリストの所作が耐えられないし、そのレベルの低さと志操の低さに呆れる。紛争地を取材する「ジャーナリスト」なりフリージャーナリストの表象と通念が、この国ですっかり変わってしまったのは、イラク戦争の頃だっただろうか。嘗てのそれは、本多勝一であり、岡村昭彦であり石川文洋だった。彼らの思想と行動の類型が戦場ジャーナリストだった。だが、それがいつの間にか、渡部陽一や山路徹の範疇に変わっている。お笑い芸人のテレビタレントに。
「フリージャーナリスト」や「戦場ジャーナリスト」の表象と通念がこの国で変わったから、今では、われわれはその営みに岡村昭彦や石川文洋のクォリティとレベルを求めようとせず、現地で自分の顔ばかり撮って売名と宣伝に勤しむフリージャーナリストに卑しさや怪しさを感じない。私の後藤健二に対する猜疑と隔意は、こうして、そもそも、この国の「ジャーナリスト」の言葉や現実に対する不信と拒絶から生じている。そのことをまず前提として申し上げ、そして次のことを言いたい。当Blogの読者の多くは、森住卓の業績と人柄についてよくご存知の方が多いだろう。森住卓。この名前が、後藤健二を考察する上でのキーワードだと私は直観する。森住卓。私の中では、岡村昭彦や石川文洋や福島菊次郎に連なる範疇の一人であり、理念的なジャーナリストの存在だ。森住卓、この名前を聞いてピンと来る者はいないだろうか。後藤健二は森住卓の模倣ではないのか。湾岸戦争のときに米軍がイラクで使用した劣化ウラン弾、それによって白血病になった多くの子どもたちがいて、森住卓が現地を取材して秀逸な報道作品に仕上げた。「イラク・湾岸戦争の子どもたち」。その写真の感動を忘れた者はいないはずだ。後藤健二の仕事の履歴を見ると、ほとんどがイラク戦争より後のもので、JICAと日本ユニセフのコネクションのものだということが窺える。二人目の(現在の)妻と関係する。
森住卓の作品はヒットした。非情で冷酷な言い方になるが、戦場の子どもたちの健気な表情は売れるのだ。この退廃した日本で、その感動はビジネスになる。さて、森住卓の次にもう一人の「ジャーナリスト」の名前を挙げよう。山本美香だ。シリアで反政府軍に騙されて殺害された山本美香。彼女は正直なところがあり、こんな本音を漏らしていた。それは私の記憶にあり、ネットの検索で証拠を掘り出せるか自信がない。その本音とは、一つは、危険な「戦場ジャーナリスト」の仕事は、食べていくためにやっている稼業であり、これをするしか自分には生きる道がなく、収入を得る職業が他にないから、だからやっているのだという告白だった。崇高な正義感とか、平和のためにとか、戦争で苦しむ子どもを救うためとか、そういうのは本当は飾り文句で二の次なのだと、そう語っていた。もう一つ、真実を証言していた。私は女なので、子どもは安心して打ち解けてくれ、被写体になってくれると。カメラの前で表情を綻ばせてくれると。山本美香は、自身の仕事の偽善性に対して正直な態度を持った人間だった。後藤健二の真実を考えるとき、山本美香の告白は参考になる。日本のいわゆる「戦場ジャーナリスト」たちは、どうして戦場の子どもたちを追いかけて撮るのか。理由は二つだ。一つは、それが大きな需要と市場があるからであり、もう一つは、子どもを被写体にすれば戦場でも自分自身が安全だからである。
最前線で戦闘を追いかける戦場ジャーナリストには身の危険が及ぶ。銃弾が当たる心配がある。しかし、子どものいる場所では銃弾は飛ばない。子どもを撮るのは安全だからだ。自身に身の危険が及ばないからだ。それでいて、子どもの写真は喜ばれて売れるのだ。カネになるのだ。危険がなく商売になる。これほど効率のいい「戦場ジャーナリズム」は他にないのだ。そしてまた、子どもを撮る「ジャーナリスト」は、山本美香にせよ、後藤健二にせよ、マスコミと世論によって聖人のように崇められ、立派で偉大な人間だと称賛される。だが、森住卓と後藤健二には全く違う点がある。二人の異なるところは、森住卓の場合は、作品の中に自分を主人公としてデカデカと構図化しない点である。
素晴らしい記事である。今の日本を覆う狂気じみた「後藤健二」教の邪気を払う清涼剤だ。
(以下引用)
けれども、安倍晋三に対する批判の自粛などよりもはるかに巨大で圧倒的な同調圧力が、事件発生後のこの国を覆っていて、それに誰も抗えなくなっている現実をわれわれは見落としていないか。それは、後藤健二に対する批判と考察の禁忌であり、昨年10月末の後藤健二の不審な行動経過に対する検証の自粛だ。私は、事件直後の早い段階から、このような思想状況になることを危惧し、後藤健二に対する英雄視や神聖化の動きに警戒警報を発してきた。果たせるかな、マスコミによる後藤健二への美化と礼賛の怒濤は収まりを見せず、連日連夜、これでもかと洪水のように押し出され、同じ映像とコメントがニュース番組を埋め、後藤健二は神格化されて行った。「後藤さんは常に子どもに寄り添った」「弱者の味方だった」「戦争で傷ついた子どもを支援した」、このフレーズが幾度も幾度もテレビから流され、同じ映像が使われ、事件についてのテレビ報道は、真相を解明したり追跡したりするものではなく、後藤健二を絶賛するもの一色に染まった。特に、殺害された2/1以降は際立っていて、今や後藤健二に対しては尊敬と共感の言葉以外は言えない環境になっている。疑問を差し挟む余地のない、絶対的な無謬の英雄として仰ぐしかない空気が醸成され、それが固まってしまった。
後藤健二を崇拝する同調圧力は、マスコミ以上にネットが強烈で、それも左翼方面ほど熱狂的に昂奮していて、まるで、後藤健二の悪口を言う者を見つけて制裁する自警団が組織されているかの如くだ。イスラム国のラッカと同じ恐怖の言論統制。この空気が国民全体でセメント化されると、最早、どれだけ10月末からの後藤健二の不審な行動を検証する情報が出てきても、誰もそれを信用しなくなり、頭から論外なデマだと決めつけて切り捨ててしまう状況になる。偉大な神である後藤健二を相対化したり、そのシンボルに傷がつくような情報は、たとえそれが信憑性のあるものでも、主観的に無価値と即断されるようになり、見向きされなくなってしまうのだ。今、日本国民は後藤健二を自己と同一化する心理状態になっていて、無条件に肯定して帰依することが当然な態度になっている。本来、10/22-29のたった一週間で湯川遥菜を連れ戻す計画はおかしいし、10/25-27のイスラム国潜入で、湯川遥菜と接触して安否確認した上でラッカを取材撮影して帰還するなどあり得ない。個人の力で、単独のスクラッチで、2泊3日の短期工程でそこまでの成果を上げることは不可能だ。資金を出し、イスラム国とコンタクトして日程を調整し、プロジェクトを企画差配した者がいて、後藤健二はミッションとして役割を演じている。
つまり、政府(外務省とNHK)による派遣工作員説だ。だが、そうした合理的な推理と試論は、この国の国教となった後藤健二真理教の前では、全く無意味なデマとして排斥され、神である後藤健二への冒涜や暴言とされて非難され、仮説としてさえも言論の居場所を失う事態になってしまった。まるで、イスラム教徒がモスクで集団礼拝するように、全員が同じ方向を向き、全員が揃って信仰の拝跪を繰り返している。毎夜毎夜、NHKの7時と9時のニュースで、10時からの報ステで、その教義が刷り込まれ、国民的確信と信仰が固められている。私にはこの現象がファシズムに見え、例の北朝鮮拉致報道とそこから醸成された社会観念と同じ異常な病理に見える。後藤健二は、これまで特に有名な「ジャーナリスト」だったわけではなかった。マスコミには何度か登場していたようだが、その顔と名前と活躍を知っていた者は少ない。後藤健二の過去の取材映像が、拘束後に溢れるほどテレビで反復放映されるが、それを見ても、基本的に平板凡庸で、特に評価をつけるものではなく、印象に残る報道営為ではないのだ。だから、私も過去の報ステで後藤健二の(シリアやイラクの)レポートを見ていたに違いないが、何も記憶に残ってないのであり、顔と名前を覚えてないのである。正直、スキルが高い「ジャーナリスト」とは思えない。
後藤健二の取材レポートを見て気づくのは、と言うより違和感を覚える特徴は、撮影している構図に、やたら自分(後藤健二)の顔を大きく入れて映していることだ。トルコの国境の町からシリア側(イスラム国側)を撮って説明する映像 - 報ステで放送されたもの - があるが、「向こうがイスラム国の支配地域です」という案内をするとき、カメラは一瞬だけ国境方面の風景を捉え、その後はずっと後藤健二の顔にフォーカスしている。「イスラム国の支配地域です」の音声とセットされている映像は、後藤健二の大きなアップの顔なのだ。自分の顔ばかり撮って映像にしている。車の後部座席から戦場になったシリアの町を紹介するレポートもある。「この町では」、と後藤健二は説明するのだが、撮影している動画は後藤健二のアップの顔ばかりで、車の外のシリアの町は映像として全く登場しない。自分ばかりを撮って映像にし、それをマスコミ(テレビ局)の報道素材に提供している。今、後藤健二が死んだ後だから、後藤健二を追悼して共感を煽るためにマスコミが使う映像としては、後藤健二が主人公として制作されているこれらの取材映像は都合がいい。しかし、本来、紛争地の報道でわれわれが見たいのは、現場を撮影したドキュメント映像であり、フリージャーナリストの姿ではないのだ。実は、この手法は後藤健二だけのものではない。
これも報ステで見たが、別の若いフリージャーナリストがシリア北部の戦場の町を取材したレポートでもそうだった。古館伊知郎と繋がった生中継で、町や人々の様子をカメラで捕捉しようとせず、ずっと自分の顔のアップを固定したまま動かそうとしない。町の絵を撮らず、しつこく自分の顔を撮る。何をやっているのか、視聴者としておおよその察しはつく。自分を売り込んでいるのだ。大手のテレビで顔を放送させ、少しでも有名になろうとしているのだ。売名と宣伝なのであり、戦争の現場は出汁なのだ。最近のフリージャーナリストなる者の、中東紛争地の取材というのは、一事が万事この調子で、それが慣例で常態になっていて、われわれは特に驚かなくなり、不自然や不都合を感じなくなった。だが、私は古い感性を維持していて、昔ながらのジャーナリズムの概念に拘りがあるため、こうしたフリージャーナリストの所作が耐えられないし、そのレベルの低さと志操の低さに呆れる。紛争地を取材する「ジャーナリスト」なりフリージャーナリストの表象と通念が、この国ですっかり変わってしまったのは、イラク戦争の頃だっただろうか。嘗てのそれは、本多勝一であり、岡村昭彦であり石川文洋だった。彼らの思想と行動の類型が戦場ジャーナリストだった。だが、それがいつの間にか、渡部陽一や山路徹の範疇に変わっている。お笑い芸人のテレビタレントに。
「フリージャーナリスト」や「戦場ジャーナリスト」の表象と通念がこの国で変わったから、今では、われわれはその営みに岡村昭彦や石川文洋のクォリティとレベルを求めようとせず、現地で自分の顔ばかり撮って売名と宣伝に勤しむフリージャーナリストに卑しさや怪しさを感じない。私の後藤健二に対する猜疑と隔意は、こうして、そもそも、この国の「ジャーナリスト」の言葉や現実に対する不信と拒絶から生じている。そのことをまず前提として申し上げ、そして次のことを言いたい。当Blogの読者の多くは、森住卓の業績と人柄についてよくご存知の方が多いだろう。森住卓。この名前が、後藤健二を考察する上でのキーワードだと私は直観する。森住卓。私の中では、岡村昭彦や石川文洋や福島菊次郎に連なる範疇の一人であり、理念的なジャーナリストの存在だ。森住卓、この名前を聞いてピンと来る者はいないだろうか。後藤健二は森住卓の模倣ではないのか。湾岸戦争のときに米軍がイラクで使用した劣化ウラン弾、それによって白血病になった多くの子どもたちがいて、森住卓が現地を取材して秀逸な報道作品に仕上げた。「イラク・湾岸戦争の子どもたち」。その写真の感動を忘れた者はいないはずだ。後藤健二の仕事の履歴を見ると、ほとんどがイラク戦争より後のもので、JICAと日本ユニセフのコネクションのものだということが窺える。二人目の(現在の)妻と関係する。
森住卓の作品はヒットした。非情で冷酷な言い方になるが、戦場の子どもたちの健気な表情は売れるのだ。この退廃した日本で、その感動はビジネスになる。さて、森住卓の次にもう一人の「ジャーナリスト」の名前を挙げよう。山本美香だ。シリアで反政府軍に騙されて殺害された山本美香。彼女は正直なところがあり、こんな本音を漏らしていた。それは私の記憶にあり、ネットの検索で証拠を掘り出せるか自信がない。その本音とは、一つは、危険な「戦場ジャーナリスト」の仕事は、食べていくためにやっている稼業であり、これをするしか自分には生きる道がなく、収入を得る職業が他にないから、だからやっているのだという告白だった。崇高な正義感とか、平和のためにとか、戦争で苦しむ子どもを救うためとか、そういうのは本当は飾り文句で二の次なのだと、そう語っていた。もう一つ、真実を証言していた。私は女なので、子どもは安心して打ち解けてくれ、被写体になってくれると。カメラの前で表情を綻ばせてくれると。山本美香は、自身の仕事の偽善性に対して正直な態度を持った人間だった。後藤健二の真実を考えるとき、山本美香の告白は参考になる。日本のいわゆる「戦場ジャーナリスト」たちは、どうして戦場の子どもたちを追いかけて撮るのか。理由は二つだ。一つは、それが大きな需要と市場があるからであり、もう一つは、子どもを被写体にすれば戦場でも自分自身が安全だからである。
最前線で戦闘を追いかける戦場ジャーナリストには身の危険が及ぶ。銃弾が当たる心配がある。しかし、子どものいる場所では銃弾は飛ばない。子どもを撮るのは安全だからだ。自身に身の危険が及ばないからだ。それでいて、子どもの写真は喜ばれて売れるのだ。カネになるのだ。危険がなく商売になる。これほど効率のいい「戦場ジャーナリズム」は他にないのだ。そしてまた、子どもを撮る「ジャーナリスト」は、山本美香にせよ、後藤健二にせよ、マスコミと世論によって聖人のように崇められ、立派で偉大な人間だと称賛される。だが、森住卓と後藤健二には全く違う点がある。二人の異なるところは、森住卓の場合は、作品の中に自分を主人公としてデカデカと構図化しない点である。
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