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体育(スポーツ)と「競争」

まあ、いわゆる「稀によくある」事故だが、私が不思議でならないのは、何でこんな「危険な技」をたかがチアリーディング(この「リーディング」の意味がよく分からないのだが、応援を「主導する」意味だろうか)でやる必要があるのか、ということだ。運動会の組体操も同じことである。いったい、その危険性と見合うだけのメリットが何かあるのか。
先に「たかが」チアリーディングと書いたが、応援席の観客の大半はチアリーディングを「邪魔くせえ」と思っているか、女子のパンツ(見せパンだが)が見られて嬉しいかのどちらかだろう。だから「たかが」なのである。
こういう「危険行為」はほとんどの運動部の部活には付き物で、運動部だけでなく体育の授業ですら危険なのである。なぜ危険行為になることをやるかと言えば、それは体育が「勝利」を目指す「競技」中心だからだ。たとえ陸上競技でも、自分の限界を超えた動きに挑戦すれば事故につながるのは自明の話だ。だから、注意深く訓練する必要があるが、子供(小中高生)はその自己管理ができない。で、運動中の事故で一生を失うことが頻発するのである。まあ、要するに「やらないほうがマシ」であり、健全な身体を作るにはもっと安全な方法はいくらでもあるだろう。
私は、「体を育てる」意味の「体育」は成長期に絶対的に必要だと思っているが、それは現在の「競技中心の体育」とはまったく異なるものだ。まあ、運動場を自由に使って遊んだりジョギングしたりするだけでもいいのだが、普通は体育の授業と放課後の「部活」で運動場は占拠されているのである。

(以下引用)

高校チア部の練習中事故で和解 愛知、1億2800万円支払い


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共同通信


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笑顔と人格

さて、この4人の顔を見てどう感じるだろうか。不細工顔だが、笑顔が可愛いから善良な若者なのではないか、と思う人が大半だと思う。実際、善良なのかもしれない。しかし、善良でも性欲に駆られて犯罪行為をするというのは若者にはよくあることだ。
笑顔(愛嬌)というのは人間関係の良い武器になるもので、太宰治はその作品の中で、自分は子供のころに「お前は不器量だからせめて愛嬌を良くしなさい」と言われた、と書いている。まあ、本当か嘘かは分からないが、笑顔は相手の警戒心をゆるめる効果があるのは明白だろう。
ちなみに、プーチンの子供のころの写真には笑顔で写ったものがひとつも無いらしい。いかにもプーチンらしい気がする。意味もなく(あるいは戦略として)笑顔を作るということの偽善性が嫌だったのではないか。
 
 

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葛飾の梨

いつも只見をしているので、宣伝に協力するが、「在庫数3個」って何だよwww
売るより身内で食ったほうが送料が要らないぶんマシなのではないか。そもそも「3個」ではなく「3箱」だろうと思うのだが、どうなのか。
で、この記事を書く気になったのは、実は市川は私がダメ大学生だったころの居住地で、里見公園などは、お気に入りの散歩場所だった。里見公園の高台から眺める江戸川の流れや鉄橋を渡る電車は風情があった。そして空はいつも曇ったような鈍い青空で、それも悪くなかった。

梨咲くと 葛飾の野はとの曇り

の「との曇り」の意味は今でも分からないが、まあ、そんな印象だ。
なお、私自身は豊水はほとんど食べたことがない。幸水と区別もつかない。子供のころからお馴染みの「20世紀」が好きである。もはや21世紀だが、まだ名前は変わらないのだろうか。

注:「梨咲くと」の作者は水原秋櫻子らしい。「范乎」という言葉は初めて聞いた。俳句や短歌の関係者はやたらと難しい言葉を知っていることを自慢したがる。茫茫乎という言葉は聞いたことがある。

晩春市川千葉間の電車の車窓から気をつけて見ると、真白に咲いた多くの梨棚を見出すにちがいない。 そうしてその花の咲く頃は、空が范乎と曇り、(との曇りは棚曇りと同じで、空がおおらかに曇ること)そのため梨の花の美しさが一層引き立つのである。

22090502.jpg

地域ブランド認証、梨と言えば市川、市川と言えば梨。中でも人気の豊水です。豊水は果肉がやわらかく多汁です。甘味の中に適度な酸味があります。秀6個入り、約3kgです。
<市川の梨 豊水(日本一)秀6個入り(3㎏位)>税・送料込み 3500円
在庫数:3個

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秘密組織ポーズ

まあ、私は「イルミナティ」という組織の実在性は半信半疑で、ほとんど信じてはいないが確信的に否定してもいない。しかし、片目を隠すポーズは何かの組織に服従していることを示すポーズだろうとは思う。

(宋文洲ツィッターより)
右の目が見えないようにするのがウヨか。本物の右翼が泣くよ
画像



(以下引用)




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ベストアンサー

hwc********


2021/1/5 18:27






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Oh,the days dwindle down to a precious few .September, November……



Oh, it's a long, long while from May to December But the days grow short when you reach September When the autumn weather turns the leaves to flame One hasn't got time for the waiting game Oh, the days dwindle down to a precious few September, November And these few precious days I'll spend with you These precious days I'll spend with you

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偏屈者は性格か障害か

「内田樹の研究室」ブログでの永井陽右という青年との対談の一部だが、内田は女子大の教師をしているだけに、若い女性の内面を良く見抜いているようだ。で、この「共感強制」の空気というのは女性の間だけではないと思う。と言うか、それが「陽キャラ集団」の空気なのだろう。昔のように「変人でいる自由」がかなり失われた気がする。昔は偏屈者でも、「あの人はああいう性格だから」で許されたはずだ。それが、現代では「発達障害(コミュ障)」という病人(障害者)扱いだwww これは、現代の人間が明治時代くらいの小説や落語を読んだり聞いたりしなくなったためではないか。

(以下引用)

内田:共感を強制するせいで、むしろ個人が原子化していっているように見えます。前に大学で学生にレポートを書いてもらったら、二三人が「私、コミュ障なんです」と書いてきました。「コミュ障」というのは若い世代でよく使われる言葉みたいですけれど、要するに他の学生にあまり高度な共感を感じることができないということらしい。
学生たちって、すぐに「キャー! そうそう!」って、激しく頷いて、ジャンプしてハイタッチしたりしますよね。服がかわいいとか、どこかのケーキが美味しいとかいう程度のことで。過剰に共感しているふりをする。どうも、この自称「コミュ障」学生たちは、それができないことを自分の社会的能力の欠如だと思っているらしい。あんな高度な共感は自分にはできない。あの共感の輪に入っていけない。つまり、あのキャーとぴょんぴょんを「共感している状態」だと思っているわけです。でも、あの作為的な共感の輪の中にいる学生たちも、一人ひとりはかなり孤独なんじゃないかと思いますよ。ああいう演技をしていないと仲間として受け入れられないのだとしたら。
僕の友人が大学で「誰にも言えない私の秘密」というテーマで学生に匿名でアンケートを取ったところ、100人中15人くらいが、「今付き合っている友達が嫌いだ」と回答したそうです。なんだか、わかる気がします。小さな集団のなかで「演技的な共感」を強制されて、どんな話題でも「そうそう」と頷いて、100%の共感と理解を示さなければ仲間ではいられないとしたら、それは心理的にはきわめてストレスフルだと思う。
 そういうことは別に女子学生には限られない。おじさんたちだって、おばさんたちだってやっていることは同じじゃないかな。内心は軽蔑したり、嫌っていながら、表面的には過剰な共感を演じてみせないと、仲間でいられないという状況はかなり危険なことだと思います。それよりは、時々は「すいません、何言ってるかわかんないんですけど......」とか「もうちょっと具体的な例を挙げていただけますか?」とか言っても許されるという方がコミュニケーションとしては健全じゃないですか。別にすべてについて同意しなくてもいいじゃないですか。重要な点がだいたい一致するなら、それで十分に一緒に仕事はできるんだから。
理解も共感もできないけれど、この人は約束は守るし、決めたルールには従うというなら、一緒にチームを作れるし、結構大きな仕事だってできる。100%共感できないと何もできないというより、さっぱり共感できないけれど、一緒に安心して仕事ができるという方が僕はいいと思う。「こういうルールでやりましょう」というコントラクト(契約)を取り決めたら、それをきちんと守るという社会性の方が、べたついた共感よりも、集団で生きてゆく上ではずっと大切だと思います。共感や理解は他者と協動するための絶対条件じゃないありませんよ。
 結婚だってそうですよ。結婚が100%の共感と理解の上に築かれるべきだということになったら大変ですよ。一度ささいなゆき違いがあって、「あ、オレたち気持ちが通じていない」と思ったら、すぐに離婚しなければいけないんですから。そんなことできるはずがないじゃないですか! 僕は、夫婦間で取り決めた約束を守ることは配偶者に求めますが、妻に「全面的な共感」なんて求めてませんよ。僕みたいな変な男のことを「理解してくれ」なんて言ったら申し訳ないもの(笑)。

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「日本人」とは何か

私は古代日本に関する本や文献などあまり読んでいないので、これから書くことはすべてうろ覚えの知識を元にした妄想である。

1:古代の日本には最初、縄文人だけが住んでいた。しかし、朝鮮半島との往来は少しはあり、朝鮮半島の文化や物品が日本に伝えられた。ただし、その文化は、朝鮮半島自体が古代中国との距離が近く陸続きであったために生まれた、中国文化の模倣やアレンジである。
2:朝鮮半島では国家が日本より早く成立したが、幾つかの国に分裂し、争闘を繰り広げていた。その争闘に敗れた国の上級国民は難を逃れて日本にやってきた。それに伴って、古代朝鮮の文化や物品が日本にたくさん流入した。
3:日本に来た朝鮮人たちは「戦争の技術」に優れ、長年の戦争体験で闘争的性質を持っていたため、古代日本の縄文人たちとの闘争に勝ち続け、東征して奈良に大和朝廷を作った。その朝廷に帰服した土着豪族のナンバーワンが蘇我氏である。(これで仏教受容に起因する蘇我氏と物部氏の争いや、「大化の改新」の意味が分かるだろう。)
4:すなわち、日本の上級国民は基本的に「他所から来て日本を征服した」人々であり、当然、その血脈は現代でも続いている。ただし、その征服の事実は「記紀」で巧みに装飾されて隠され、日韓併合以後は下級国民まで朝鮮人への軽蔑の習慣がついたため、日本の上級国民が朝鮮人の子孫であることに一般人は気づいていなかったわけだ。もちろん、長い間に上級国民と平民(主に女性)の間の子供が生まれ、朝鮮の血はどんどん薄く広くなっていった。
5:こうした「古代朝鮮人」と、日韓併合以降に日本に来た朝鮮人は区別され、日本で長い歴史を持つ「古代朝鮮人の子孫」は既に自分たちを「日本人」と考えているので、新しく日本に来た朝鮮人に特に共感や同情心は持っていないと思う。それが「在日」という言葉や在日朝鮮人への差別が横行している所以だろう。つまり、「葉はあまた茂れど根はひとつ」であるわけだ。


*縄文人の時代にはほとんど戦争の形跡が無いらしい。狩猟漁労採集生活が基本の縄文人の世界では、同じ人間同士が争う意味や他者に嘘をつく理由が無かっただろう。その温和で正直な性質が、縄文人が弥生人(渡来人)との戦争に負け続けた原因だと思う。「古事記」の中の朝廷側の勝利はほとんどが「騙し打ち」なのである。これが「戦上手」なのであり、正直な集団が戦争に勝てるはずはない。で、日本人の基本的な性質である温和さも、根底には縄文人の血があると思う。
*仏教伝来当時の仏教は「呪術」であり、当時の縄文人の目からは、まさにカルトだっただろう。蘇我氏が仏教受け入れに反対したのを「愚か」だったとは言えないわけだ。土着民族代表としては、「国家仏教」によって朝廷の力が強まり、土着豪族の力が弱まるのを座視できなかったのだろう。



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HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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