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新しいものと古いもの


「dot」というサイトから転載。
中国人が、日本人が書いた中国史を読んで面白いと思うのは当然で、それは中国史そのものが面白いからだ。では、なぜそれまでは「面白い中国史」が中国内に無かったか、と言えば、おそらく毛沢東の「文化大革命」以来の「過去の文化との断絶」が、今に至るまで続いていたからだろう。
これは中国だけの話ではない。この日本でも、太平洋戦争の敗戦によって「過去の文化との断絶」が起こり、戦後の教育と欧米支配の文化の中で育った人間はもはや精神の中身がそれ以前の日本人とは違っているのだ。
問題は、「失われた文化の中の貴重な財産」をいかにして再発見し、取り戻していくかだろう。新しいもののすべてが良いわけでもないし、古いもののすべてが悪いわけでもない。それどころか、弊履のごとく捨てられようとしている古いものの中にこそ本当に貴重なものが膨大にある、というのが私が自分のブログの中で何度も言っていることだ。そういう意味では私は「保守主義者」でもある。
で、「新しいもの」は常に「商売」とセットになっており、金になるから誰でも飛びつく。古いものはほとんどタダでその辺に転がっているから誰も目にも留めず、やがて消えていく。(あるいはひそかに発掘され、形を変えて「新しいもの」として再生され、その時には著作権や所有権が発生し、庶民全体の財産ではなくなる。)民俗学者などがそれに僅かに抵抗するだけである。
資本主義とは金がすべてという社会だから、その雄であるアメリカ文化が金と直結する新しいものだけに価値を置き、老人まで無理に若作りするキチガイ文化であるのは当然である。その属国、文化的植民地である日本の文化も然り。



(以下引用)




「日本人が書いた中国史」が現地で大人気 その理由は


(更新 2014/6/25 07:00)

 




講談社の100週年記念事業として出版された『中国の歴史』。「第三者」の視点が評価され、日本以上の反響を中国で起こしている(写真:講談社提供)

講談社の100週年記念事業として出版された『中国の歴史』。「第三者」の視点が評価され、日本以上の反響を中国で起こしている(写真:講談社提供)




「歴史」が日中のいさかいの原因になって久しい。両国関係の冷え込みも続く。ところが、日本人が書いた中国史の翻訳本が、なぜか中国で売れ行き好調だ。

 10年ほど前に日本で刊行された『中国の歴史』(講談社)という骨太のシリーズ。中国で翻訳出版されたところ、執筆者や出版社がびっくりするほどの売れ行きを見せている。

 同シリーズは全12巻。筆者は原則、時代ごとに専門家1人が1巻を担当。例えば8巻は『疾駆する草原の征服者―遼 西夏金 元』といったように従来の通史にない魅力的なタイトルをつけた。ただ、日本では1冊3千円近い価格ということもあり、実売は各巻平均で1.5万部程度だった。

 一方、中国版の出版元によれば、1冊50 人民元(約820円)弱という、中国ではかなり高めの価格設定にもかかわらず、今年1月の刊行から何度も増刷を重ね、現時点で6万5千セットに達し、年内に10万セットまで届きそうな勢いだという。

 自らの歴史に高いプライドを持つ中国で、外国人が書いた中国史に人気が集まるのは極めて珍しい。上海の日刊紙「東方早報」は「最近の図書市場で最もホットな出来事は、日本学者が書いた『中国の歴史』だ。国内の読者は、なぜ国内の一流の学者がこうした本を書かないのか考えてしまうに違いない」と、この現象を取り上げた。

 シリーズ編集委員を務めた学習院大学の鶴間和幸教授は「日本人の書いた中国史が、中国人にも共有され、とてもうれしい」とし、「中華思想的な『中華対夷狄』という対立軸でなく、多元文化の集合した中国という視点で執筆したことが、従来の中国人が書く通史とは異なっていたのではないか」と語る。

AERA 2014年6月30日号より抜粋


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南米の異常気象と「地軸の傾きの変化」

「in deep」から転載。
私の意見は、これらの異常気象の原因は、太陽に対する地球の地軸の傾きが変わった(変わりつつある)ことによる、というものだ。地軸が傾けば、地球各地の日照量の分布も変わり、上昇気流が起こる位置も変動し、大気の大きな流れも変わるのが当然であり、気象変化も当然だろう。要するに、地殻変動が大地震を起こすのにも似たことが大気に起こっている、ということである。エルニーニョがどうだとかこうだとかいうのは些末な問題にすぎない。
これは大変な事態であり、それに対して全地球的な取り組みをすべきなのである。地球温暖化など、これに比べれば(地球温暖化が事実であると仮定しても)些末も些末、まったく問題にもなりはしない。
そもそも、地球が温暖化して誰が害を蒙るのか。人類の居住範囲が増え、生活環境も良化し、いいことばかりである。いったい、冬と春夏秋とどちらが住みやすいか、考えるまでもないことだろう。人類が寒さとの戦いにどれだけのエネルギーを費やし、どれほどの消耗をしてきたかを考えれば、地球温暖化論など愚劣すぎて考慮にも値しない。(地球温暖化で極地の氷が溶けて、一部では寒冷化や異常気象が起こる、などという怪しげな論も私には馬鹿馬鹿しい。)
要するに、「思いもかけない異常気象が起こる」ことがこれからは「当たり前に」起こる、ということが分かっていれば、対策はできる、ということである。そして、対策をしなければならない、ということだ。「これまではほとんど起こっていなかった」ことが、気象に関しては今後は起こりうる、という想定の下で生きて行くべきだろう。現在は主に赤道周辺で異常気象が頻発しているだけだが、温帯地方も無関係というわけにはいかない。いや、規模的には小さくても、この日本でも幾つかの異常気象が近年起こっていたはずである。
まあ、地球温暖化詐欺は「二酸化炭素排出悪玉論」で原発推進とセットだから全世界的に行われてきたわけだが、「地軸傾き異常気象原因論」では金儲けにつながらないから、おそらくこの論は日の目を見ることはないだろう。


(以下引用)



というわけで、ここから本題です。

今、南米が何だかものすごいことになっていて、それを少し前からご紹介しようと思っていました。




エクアドルとコロンビアに現れた「氷の世界」

とりあえず、今回ご紹介する場所と出来事を地図で示しておきたいと思います。

south-america-03b.gif
Google Map



コロンビア・ボゴタ

南米コロンビアの首都ボゴタの「雹(ひょう)での壊滅的な被害」に関しては、

コロンビアの首都ボゴタを信じがたい雹(ひょう)嵐が襲い、洪水と建物被害で緊急事態発令
 2015年03月26日

という記事でもご紹介しましたが、その後、ネットに新たな写真が次々に投稿され、ボゴタの状態がすさまじいものだったことがわかります。冒頭の写真や下の写真も、その時の様子の一部です。

bogota-hail-2.jpg
Feet of Hail on the Equator in Colombia and Ecuador

コロンビアでの報道では「 60センチの雹が積もった」とありましたが、写真を見ると、場所によっては、それを越えている感じがします。



エクアドル・キト

この「とんでもない雹」は、2月の中旬に、コロンビアのお隣のエクアドルの首都キトでも降っていました。

quito-1.gif

▲ 2015年2月16日のエクアドル・タイムズより。


上の報道写真の後ろのほうにいる若者らしき人たちの格好を見ていただきたいんですが、半袖とか半ズボンとかで、その時の大体の気温が察せられます。

quito-02.jpg


雹はどちらかといえば、夏に近い季節に降りやすいものですので、上のような格好も不思議ではないのかもしれないですが、この降り方は壮絶すぎ。

そして、さらに南に行き、チリの「世界で最も雨の降らない地域」で起きたこと。



チリ・アタカマ砂漠

このチリのアタカマ砂漠というのは、

アタカマ砂漠 - Wikipedia

アンデス山脈と海岸の山地によって湿った空気が遮断されているため世界でも最も乾燥した砂漠であり、40年間まったく雨が降らなかった地域もある。

という場所です。

3月25日、そのアタカマ砂漠が「信じられない豪雨」と「大洪水」に見舞われるという、有史時代で起きたことがないのではないか、というようなことが現実に起きています。


流されそうになっている少年を助けようとする男性
a-floods-01.jpg

▲ 2015年3月27日の英国 BBC ニュース Peru & Chile devastated by flood torrents より。


洪水で破壊された町
atacama-floods-01.jpg

▲ 2015年3月26日のユーロ・ニュースより。


この洪水は雨によって起きたものですが、

7年間分の雨量に相当する雨が 12時間で降り落ちた

のだそうです。

多分、このあたりの人々は水不足を考えることはあっても、「洪水対策」などは考えたこともなかったはずで、多くの家、橋、道路などが破壊され、3月25日の時点で、7名の方が亡くなっています。

そして、ブラジルでは中央部のパラー州イタイトゥバという町で、豪雨による洪水で道路に巨大なシンクホールが突如開き、そこにバスが転落する瞬間が映像に収められています。

bus-brazil-01.jpg

euronews

この事故は、事前に運転手が異変に気づき、乗客を全員バスから降ろしましたので、全員無事でした。しかし、バスはそのまま川へ流されていきました。

下がユーロ・ニュースの映像です。




これらのあまりにも激しい気象そのものも壮絶なのですが、しかし、「何かおかしい」と思うのは、例えば、そもそも、チリとブラジルで現在問題となっているのは、「圧倒的な水不足」なのです。

ブラジルの一部では、そろそろ深刻な事態となる日が迫っています。

brazil-water-shortage.gif

▲ 2015年03月17日の記事「ブラジルで続く深刻な干ばつにより、首都サンパウロで6月にはすべての水が枯渇する可能性を政府が発表」より。


上の記事で、米国 RYOT の報道を翻訳しています。

抜粋しますと、


米国カリフォルニアの干ばつのひどさは、 NASA の科学者たちが「あと1年しか水はもたない」と推定しているほどだが、ブラジルのサンパウロはもっとひどい。

サンパウロ州では、過去 80年で最悪の干ばつが発生している。

今の状況が続いた場合、サンパウロでは、6月頃に水がなくなるだろうと予測されている。そして、今から2年半はその状況が続くという。これは、ブラジル政府が独自に計算した推定値だ。

AP 通信は、「サンパウロ周辺の 2000万人へ水を供給する貯水池は、今年2月に驚くべき水量の低下を示し、現在は 8.9%しか貯水されていない」と報じた。

政府は、雨不足が継続した場合、事態はさらに深刻になる可能性があるという。

とありまして、極端な水不足、つまり「雨が降らないこと」が、まずは大きな問題のはずなのに、各地で先ほどのような信じられない規模の豪雨と大洪水が発生しているということに、「何かおかしい」と感じてた次第です。

まあ、「おかしい」も何も実際に起きてしまっているわけですから、その現実を認識するしかないのでしょうけれど。

そして、雹。

この雹というのは、以前から、とても「象徴的」な気象現象のような気もします。
何の象徴というような具体的な意味ではなく、「荒れること」に対しての代名詞としての感じ程度の意味です。




ますます過激になる雹

昨年の6月にゲリラ豪雨が雹となって、東京の三鷹市などに大量の雹が降ったこことが話題となったことがありましたが、今の南米の雹は、その積もった量が比較にならないです。

雹は、昨年くらいから「量が異常」なものとか「大きさそのものがすごい」という系の報道が多く見かけます。


2014年3月14日 エリトリアの首都アスマラ
eritrea-bighail2.jpg

▲ 2014年03月18日の記事「直径1メートル以上のヒョウ(というより氷爆弾)が雨あられと降り注いだエリトリアの光景…」より。



2014年7月2日 スペインのアルマサン


▲ 2014年07月04日の記事「アーサー王の名を持つハリケーンの襲来と共に始まった 2014年のアメリカ独立記念日…」より。



2014年7月14日 ロシアのウラル地方
ural-hail-top2.gif

▲ 2014年07月16日の記事「気温40度の中に降った爆撃のような雹。そして、「世界の終わり」という地名がつくシベリアに突然開いた巨大な穴」より。


ところで、今回の記事の主要な舞台であります「南米」という場所は、何年か前から「地殻変動」の方で何度も記事に登場した場所でもあります。




地殻変動も劇的だった中南米

2011年1月の「原因不明の地割れと地滑りで破壊され「7日間で地図から消えた」コロンビアの町」という記事以来、南米から中南米では、下のような出来事が連続して起きました。

south-america5.gif

▲ 2011年07月22日の記事「中南米の「地殻変動ライン」: メキシコの地割れとグアテマラのシンクホールの位置」より。


2011年1月に「地殻変動で町が消滅してしまった」コロンビアのグラマロテという町の写真の中には、

「欠けた五芒星」が廃墟に浮かんでいる。

などというものがあったりしました。

下の写真がそれです。
建物と建物の間に浮かんでいます。

g-1-8d5bc.jpg

過去記事より。

これは、時期的にクリスマスの後くらいですので、おそらくは、クリスマスの装飾用イルミネーションが壊れたまま電線にひっかかった状態となり、このような光景が出現したと思われますが、それにしても象徴的な光景でした。

見ようによっては「欠けた五芒星が空から落ちてきた」ようにも見えたからです。

この五芒星というのは、五芒星 - Wikipedia によりますと、


Pentagram2.gif

図において、青の線分と赤の線分の長さの比、同じく緑と青の比、紫と緑の比は一定の値を取る。これは黄金比と等しい。

古くから黄金比で構成されている図形は美しいとされており、単純ながらも黄金比を数多く含む五芒星は美しい図形の代表格とされた。

ということで、五芒星というのは、「この世で最も美しいもののひとつ」ともいえるもののようなのですね。

そういうものが、町が消滅するという激烈な自然災害の現場に「欠けて浮かび上がる」という象徴性はいろいろと考えさせてくれたものでした。

いずれにしても、今の南米は(北アメリカもですが)非常に極端な気象に見舞われていると言っていいと思うのですが、では、こういうことが世界全体に波及していく過渡期にあるのかどうなのか。

たとえばですが、東京や大阪のような大都市に、ボゴタに降ったような、とんでもない雹の嵐が起これば、都市の機能は著しく損なわれると思われます。電気化や無線化などで高機能化した都市ほど、自然災害の影響は甚大になりやすいはずですので。

しかしまあ、そういうような可能性というのはあるのかどうかというようなことは、実は誰にもわからないのですよね。

最近の報道で、

「今年、ふたつのエル・ニーニョが発生するという経験をすることになるかもしれない」

というものがありました。

double-elnino.gif

▲ 2015年3月22日の PRI より。

こちらに関しては、まだ予測として曖昧な感じですので、今回はご紹介いたしませんが、仮に、そういうことが起きたとすると、

・異常に暑い地域
・異常に低い気温の地域
・異常に雨の多い地域
・雨がまったく降らない地域
・雹
・台風やハリケーン


などが、「同時に」いろいろな地域で、無秩序的に展開する可能性もあります。

それに加えて、今後は太陽活動が段階的に弱くなっていく時期ですが、太陽活動が弱まると宇宙線量が増え、雲の量が多くなるため、これも気温や気象に影響を与える要因になると思われます。

今の日本は比較的穏やかな天候が続いている地域が多く、私の住むブエノスアイレスでも(そうなのかよ)いや、所沢でも穏やかな日々が続いています。

まさに「絵に描いたような春」なんですが、こんなままの穏やかな日々がこれからも続いていくのかなあ、ということに関しては、どうも疑わしい部分もあります。

どうなりますかね。

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ロックの本質としての暴力性と攻撃性

「in deep」から抜粋転載。
私も前々から、ロックの特徴は暴力性と攻撃性だと思っていたので、「緊張」と「攻撃」を軸とした音楽だ、という筆者の言葉には同感する。オジー・オズボーンの言う、「暴力ではなく攻撃性だ」というのは詭弁に近い。耳に聞こえる音の感覚として暴力性と攻撃性の区別など無い。
しかしまた、彼の言う「攻撃性こそ成功の鍵さ」という言葉には納得するしかない。どんなに穏やかな人間に見えても、社会的に成功する人間にはどこかに攻撃性があるように思う。ただ、その攻撃性が何に向かうか、ということによって、成功の質、成功の仕方が違ってくるということではないか。自己の内なる他者と戦うこともまた攻撃性だとするならば、「克己心」は攻撃性であると同時に、ほとんどあらゆる成功への鍵だとも言えそうだ。
ただ、「外部の敵」への攻撃性は、当人を成功に導く確率は高いが、他者を不幸に陥れるものである。だから私はいつも競争主義を否定し、「勝つってそんなにいいことか」と言うのである。
で、最初の話に戻ると、ロックの特徴は暴力性と攻撃性にある、というのが私の考えであり、たとえその歌詞の中で平和や共感や同情や愛を歌っていても、その曲調そのものが歌詞の内容を裏切っていて、聞く人の中の暴力性や攻撃性を助長している、と思っている。まあ、あっさり言えば悪魔の音楽である。で、曲調としても暴力的でも攻撃的でもないロックがあれば、それは実はロックではないのである。
私は、世界の非人間化(残虐化)の一つの原因にロック音楽の蔓延があると本気で思っている。




(以下引用)


「 432Hz と 440Hz の比較」を体感してみました

というわけで、理屈ではいろいろと言われているものですが、実際にその音を聴き比べててみてどうなのか。

440Hz と 432Hz は、音の差だけでいえば、わずかです。

432Hz の方がやや低いですが、完全に別々に聞かされた場合、音に詳しい方以外は、どちらがどちらだか聴いてもわからない程度の差だと思います。

それについて、ギターの調律のAを 440Hz と 432Hz にして、比較している動画がありますが、これを見た(聴いた)時には本当にやや驚きました。体感でわかるのです。

オリジナルは、

440 hz vs. 432 hz - my guitar experiment

という動画ですが、一部だけでもぜひ聴き比べていただきたいですので、数十秒抜粋してみました。

本当に一瞬で気づくほどの差を多分、体感できると思います。

440Hz と 432Hz の差(アコースティックギター)


どうでしょうか。

体感の違いを感じられたでしょうか。

もちろん、人によって違うと思いますけれど、私の場合は、

432 Hz の音が鳴った途端、体の緊張が解かれる感覚になる

440 Hz では、一瞬小さなリキみのような緊張が走る

というのを一瞬で感じました。

何度聴いても、そのようになります。

いろいろと先に知識などを持って聴いているせいで、「構えて聴いているからかな」とも思いましたが、何度聴いても、そのようになりますので、体感への影響は多少なりともあると確信を持てます。

ただ、この違いを体感して思ったんですが、

仮に現在の世界の基準調律音が 432Hz だった場合、ロック音楽は生まれなかったかもしれない。

という思いにも駆られます。

ロックにも様々ありますけれど、その基本は「緊張」と「攻撃」を軸にした音楽で、上で体感できるような「 432Hz =リラックス」的な基本音とその倍数音が主体だった場合、パンクやハードロックなどの音楽は生まれにくかったように思います。

実際、ロックの発展の歴史と「 440Hz の採用の歴史」は、わりとリンクしていることがわかります。

その歴史に関しては、基準周波数A=440Hz って何?というサイトによりますと、432Hz は、19世紀にヴェルディが提言して、イタリア政府が公式に採用したところから始まったようです。


基準周波数Aが 432Hz から 440Hz へと移行した歴史

1884年 432Hz イタリア政府によって制定
1925年 440Hz アメリカ政府と団体によって制定
1939年 440Hz ロンドン国際会議によって制定

432Hz を葬ったのはアメリカ政府だったようです。

そして、その後、1953年に ISO (国際標準化機構)によって、440Hz が国際基準値として決められ、ここにおいて、すべての国の基本調律は 440Hz となりました。

ロック音楽が本格化したのは、ロックンロールがポピュラーとなった 1950年代からです。
こちらもまたアメリカで始まりました。

もう少し正確に書けば、「ロック時代」という概念は、一般的な見解では、1954年に発売されたビル・ヘイリーという人の「ロック・アラウンド・ザ・クロック」がビルボードチャートで1位を記録した時から始まるとされていますので、1953年の 440Hz が国際基準値とされた直後から、ロック時代が始まったといえそうです。

ビル・ヘイリー / ロック・アラウンド・ザ・クロック( 1954年)



その後、世界全体として「ロック時代」に突入していきます。

まあ、私なんかもずっとロックを聴いていたわけですけど、ロックの種類もいろいろとありますが、基本的には確かに攻撃性の強い音楽ですので、若者も攻撃的になりやすくなる面は非常にあります。

ヘヴィメタル系の「悪魔的サイド」を売りにした中でのロックスターに、オジー・オズボーンという人がいますが、彼は昔、テレビで、


「音楽は暴力を助長しない。攻撃性を高めるものだ。そのふたつはまったく違う。良いことを教えよう。攻撃性こそ成功の鍵だ。それが、アメリカ流ってやつさ」

というようなことを言っていますが、440Hz 、ロック、攻撃性こそ成功の鍵、というのは、現代の「アメリカ的社会」を象徴することで、このアメリカ的社会が、日本も含めた多くの社会構造となっているという面はあるかと思います。

そりゃまあ、世の中も荒れますよ。

ロック音楽には、シュタイナーが警告していた「悪魔の世界」と近い性質を持つ要素が含まれていることは、若い時代からロックにどっぷりと浸かっていた私から見ると、それは否定できません。

それにしても、今回の記事を書いている途中で何度も「なるほどねえ」と頷いていました。

たかが基本調律と思っていましたけれど、今書きましたロックのことにしましても、いろいろなことの間の説明がつくのです。いろいろと世の中の仕組みは、いろいろとあるのですねえ。


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白く塗りたる墓

曽野綾子に与う。

彼女や麻生太郎のキリスト教がいかに偽りのものであるかは、下のイエスの幾つかの言葉から明瞭だろう。彼らの言動のすべてはイエス・キリストのこれらの言葉に背くものである。彼らこそが、パリサイ人(びと)、偽善者であり、偽りの信仰者、白く塗った墓である。表面はカネと地位と虚名で飾られてきれいだが、中には腐敗した死骸と蛆しか無いのだ
米国におけるキリスト教も、これらのイエス自身の言葉をまったく無視していることは言うまでもない。欧米のキリスト教は、イエス・キリストの教えとは無関係な、偽キリスト教なのである。



(以下引用)新約聖書ルカ伝より。

・偽善者よ、まず己が目より梁木を取り除け。

・汝ら我を「主よ主よ」と呼びつつ何ぞ我が言うことを行わぬか。

・今や汝らパリサイ人は酒杯と盆の外を浄くす。されど汝らの内は貪欲と悪とにて満つるなり。

・災いなるかなパリサイ人よ、汝らは会堂の上座、市場にての敬礼を喜ぶ。災いなるかな汝らは隠れたる墓のごとし。その上を歩む人、これを知らぬなり。

・汝ら教法師も災いなるかな、汝らは担い難き荷を人に負わせて、自らは指一つだにその荷に触れぬなり。


・凡そ己を高うする者は卑うせられ、己を卑うする者は高うせらるるなり。

・饗宴を設くるときは、むしろ貧しき者、不具、跛者、盲人を招け。彼らは報ゆること能わぬゆえに、汝ら幸福なるべし。正しき者の復活の日に報いらるるなり。

・汝ら神と金とに兼ね仕ゆること能わず。

・人の中に尊ばるる者は神の前に憎まるる者なり。

・汝の持てる物をことごとく売りて貧しき者に分かち与えよ。

・富める者の神の国に入るは如何に難いかな。富める者の神の国に入るよりは駱駝の針の穴を通るは却って易し。






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勉強して意味があるのは漢文が一番、古文が二番

「ネットゲリラ」から転載。
私の高校時代の沖縄では、受験生に、受験には受験そのものについての知識が必要だという知識すらなく、教師も受験知識をまったく教えなかったし、参考書のレベルや良否についても誰も教えてくれなかった。そんなふうだったから、沖縄の大学合格率は惨憺たるものだった。
同じころに本土では、出世するなら東大を目指せ、というのが当たり前だったはずだが、当時の沖縄で東大を目指す人間というのは奇人変人の類いであった。何のために東大に行くのか、その意味さえ大多数の受験生には分からなかったのだ。まして、キャリア公務員になるには東大出であることが必須条件であることなど、当時の沖縄では、誰も言わなかった。いや、あまりおおっぴらには本土でも言われてはおらず、いわば社会上層部内部の密教的知識だったのではないか。
まあ、それはともかく当時の高等学校教育は、授業で教師が意味不明のことをぺらぺら喋り、生徒はそれをまったく理解できず、自分で参考書などを読んでやっと少しだけ理解する、そういうものだった。(今でもそうかw)
漢文など、教科書はあっても、どう読めばいいのか、どうすれば読めるのかは学生の頃は分からず、多少読めるようになったのは、仕事で塾講師をして、その必要から勉強をしてからだ。もちろん、初歩的な漢文読解参考書などを使うことからスタートした。下の記事のコメントを読むと、今でも漢文を読めない生徒はたくさんいるようだ。
漢文の知識があると、夏目漱石や森鴎外が(深い意味で)読める。それだけで、人生の宝である。日本最高の知性の持ち主があなたの友人や師になってくれるのと同じなのだ。
私の人生で物理や化学や数学(算数は別)の知識を使ったことは一度も無いが、漢文の知識は日常的に、日本語の文章理解の上で役立っている。
古文も、日本語そのものの深い理解に役立つものである。


(以下引用)


せんずればひとをせいす

| コメント(7)

無駄のない、簡潔な文章を書こうと思ったら、漢文の素養は大事です。オンナの書く、ダラダラした文章は、アレはちゃんと漢文を勉強してないせいだと思うw 土佐物語の時代からだがw 最近では、中国本土でも繁体字を見直す動きが出ているらしい。若い人が、香港とか台湾とか日本に行くと、みんな繁体字を使っているわけです。簡体字なんて使うのは本土だけ。学のなかった毛沢東が、歴史を無視して、バカでも読み書き出来るようにと、簡体字を作った。それでも、ちゃんとした古典を勉強したり、あるいは習字をしたり、繁体字がまったく使われなくなったわけではない。

スレ主は日本の高校で使用されている古典・漢文の教科書を写真で紹介。唐詩や論語、儒家思想といった内容に「日本の作家はみな漢文を知っている。漢文を知らない作家はいない」と断言した。
「日本人って、こんなことまで勉強するの?」
「オレは大学4年だが、論文を書くのに漢文を読んでいるだけ。日本人はすごいな」
「かわいそうな日本人。こんな難しいこと勉強するんだ」
「日本人は中国語が読めるの?」
「私、これ読めない。意味もわからない」
「中国人として、なんだかとてもうれしい」

最近では、神保町が中国人だらけらしいw 日本にしか残されていない、貴重な中国の古書を、カネに糸目をつけずに買い漁っているそうでw まぁ、日本人は、中国人の上位互換ですからw



中国人、日本の教科書を見て驚愕 「何故だ?日本人はみんな漢文が読めるのか?日本人ってすごい!」、というわけで、例によって2ちゃんねるでは無責任なネットすずめたちがピーチク騒いでおります。ニュース速報板からです。
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自慢じゃないが
俺は読めないよ漢文
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読めるわけねーだろ(笑)
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そりゃ読めそうな人いっぱい殺しちゃったもんな文革なんかでな
いかにも国破れて山河しか残らなかった地域のやつらっぽい意見だわ
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レ点とか一とか二とかあれば読める
なければ厳しい
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雲子鰤鰤
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ヤフーチャットがあった頃に
中国人と片言の漢文でチャットしてたけど
くだらない内容だったら結構通じる
相手に「実は中国人じゃ無いのか?」って思われたぐらい
日本人は繁体と簡体両方使うからおもしろいって言ってたな
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国破れて山河あり、城春にして草木深し
くらいしかわからん
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国やぶれてサンガリア
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漢文なんて書き下せば古文と同じになってしまうからな。
そして高校教育をまともに受けていれば、白文も書き下せてしまうという。というか難関大学の試験は白文が出題されることが多いから必然的に受験生には必須の能力。
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英語と同じだから、お前らでも白文のままで読めるぞ
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漢文教育を工夫すれば、あとは発音と現代の言葉を教えれば中国語教育に使えそう。
むしろ日本の古文の教育が、古典文学の研究者養成以外何の役に立つか疑問に思う。
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俺たちが本当の漢民族なんじゃね?
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随分まえに電気もない中国奥地にしばらく仕事で居たが、
地元の食堂なんか漢字で適当に書くとほぼイメージ通りの物が出てきたな。
美味也とか書くと、通じたのか喜んでたよ。
兌換元で支払ってくれる客だったからか、サービスも良かった。
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漢字って道具としてかなり優秀なのに
捨ててしまった民族がいたよな
その後あの民族はどうなったんだっけ?
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いわんやおや
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三国志演義の槍の一振りで二、三百人吹っ飛んだとか書かれていて
ねーよwって爆笑した思い出
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あっちは簡体字だから読めねえのか
繁体字の台湾なら読めるんかな?
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日本人として一言
漢文も読めないのにお前ら本当に中国人なの?
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森鴎外とか漢詩書いてるしな。
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俺は漢文が読めず、国語の授業中グランド10週させられてた
ますますみんなについていけなくなったよ
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つかそもそもが支那本土の漢字も底辺馬鹿の識字率上げるために簡略化して
元々の漢字が読めない奴がほとんどで、最近元の漢字がクールだってんで
復権してきてる、ていうのを昨夜ニュースでやってたな
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漢文を日本語で読める という魔改造だけどな
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語順が英語に似てるから意外と簡単に読めるよね
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漢文は欧米に於けるラテン語だな
知識人の伝統的教養としか言いようが無い
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本場の中国こそ長く漢文の授業を取ってるかと思ってた
良い事書いてあるのにな...嗚呼文革
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西洋文明にとってのギリシャローマと、
日本にとっての古代中国文明は同じボジションって話だな
だから、西洋でのラテン語と同じボジションが、日本にとっての漢文なんだよな
ラテン語は欧米知識人の基礎的教養だが、それは日本での漢文も同じだった
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唐の文化は中国ではなく、日本に受け継がれている......だっけ?あれ冗談じゃないのかよ
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遠くから友達が来て楽しかった

てのだけ覚えてる。
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学生の頃は漢文は苦手だったけど漢字は結構覚えてたので良かったわ
旅行に行っても筆談で結構助かった
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白人が、漢字を覚えて中国語をマスターするのは容易じゃないが、日本人だったら半分以下の手間と時間で中国語がマスターできる。アメリカが恐れているのはそこです。中国市場を日本に取られると警戒しているw

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「嗚呼、射精寸前」男悶絶。「口内発射可?」
「不可」女曰。「貴殿射精場所即我膣内」
 女舌技停止。萎縮物即硬直、聳立。先端、先走汁有。
「騎乗可?」女訊。男頷了解。
 女、硬直物添手、潤滑繁茂地帯誘導。
「嗚呼」女悶。「我膣内、巨大硬直物挿入完了」
 女下半身躍動開始。一、二、三・・・
「嗚呼」男短声。「謝罪」
 女呆然、運動停止。「貴殿既射精!?」
「汝舌技巧妙故。御免」
「最低!! 三擦半男!!」女絶叫。「亀頭鍛錬不足!!
 貴殿包茎手術経験者!?」
「何故汝知其事実??」
 男墓穴。
 以後、男、性交時避妊具二重着用
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簡体字なんて使ってるからダメなんだろ
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中国人すら読まないものを勉強させられていたのかよ
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ちなみに中国では、三千文字の漢字が読み書きできないと半文盲と規定
1500漢字を読み書きできても完全文盲扱い
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日本こそ東洋文化の担い手、中華だからな。
大陸の国は昔中華だった国
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↑かつての李氏朝鮮みたいなこと言うな
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お前ら史記とか三国志とか大好きなくせに何で漢文は憎むの?
授業で四面楚歌やった時興奮しなかったの?
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英語も
返り点や送り仮名つけて教えたらどうだ?
まあ文字以外は同じ様な事だし
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つーか、中国人こそ自国の古典の漢文をやらないのかよ
そっちの方が驚きだわ
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中国人のほとんどは漢詩が読めない
今の中国語表記は第二次大戦後に確立されたもので
漢詩と話言葉の表記は全く違うものなのだそうだ。
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考えてみれば幕末の下級武士ですら素読はおろか漢詩を自作してたんだから凄いよな
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漢文は好きで得意だった
古文は嫌いだった。英文と同じように難しかった
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日本の古典は漢文で書かれた古典を元に書かれているので、古文と漢文は不可分。
漢文をよく理解していた作家は永井荷風や永井より先に死んだ芥川龍之介、中島敦まで。
それ以降とは文章力と教養が雲泥の差。
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1000年前の土佐日記の原文も文字起こしすれば
まあ読めなくもない
意味の変遷や言い回しの変化以外
文法としての体躯は変わって居ない

石器、縄文と10万年以上かけて作られた
日本語、大和言葉が如何に完成され
継続性、拡張・冗長性のある言語かが解る。
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作家志望とか考古学者意外何の役にも立たない
経営とか経済学学んだ方が断然マシ
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中国語習ってたときに、先生に教科書みせたら驚愕してたわ。
リーバイ(李白)知ってるなんて凄い!と感動された。
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つかなんで日本で漢文なんて教えてんだ
おかしいだろ
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四書五経暗記出来てないと公務員になれないからな
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戦時ぐらいまでは漢文的な表現使いまくりんぐだったのにな
廃れすぎだろ
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漢文の授業は、中国語の授業と統合したらいいんじゃないかな。そうなれば、高校卒業する頃には、現代中国語が読み書きできるというのも、夢ではないだろう。ちなみにネトウヨは馬鹿なので漢文は読み書き出来ないが、昔の右翼は、自分で漢詩のひとつやふたつ、作って、吟じてましたw

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漢文は少なくとも数学の公式よりは実用になったよ
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李白の詩は酒飲んでる時読むと感動する
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先んずれば人を制すを、せんずればひとをせいすと読んでクラスが変な空気になるところまでが漢文の授業
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子曰。學而時習之。不亦説乎。有朋自遠方來。不亦樂乎。人不知而不慍。不亦君子乎。
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これの現代語訳

先師がいわれた。聖賢の道を学び、あらゆる機会に思索体験をつんで、それを自分の血肉とする。
なんと生き甲斐のある生活だろう。こうして道に精進しているうちには、求道の同志が自分のことを伝えきいて、はるばると訪ねて来てくれることもあるだろうが、そうなったら、なんと人生は楽しいことだろう。
だが、むろん、名聞が大事なのではない。ひたすらに道を求める人なら、かりに自分の存在が全然社会に認められなくとも、それは少しも不安の種になることではない。そして、それほどに心が道そのものに落ちついてこそ、真に君子の名に値するのではあるまいか

中国語短すぎワロタw
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中国人でも分けわかんねーものを高校で無理やり勉強させんなよ
役に立ったことねえぞ
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漢字が簡体字になって読めなくなってるのもあるんじゃね?
台湾人はスラスラ読めそうな気がするけどなぁ。

つか、杜甫とかあっちではやらんのか?
イギリス人だって、シェイクスピアやミルトン、ワーズワーズを読んでるだろうに......
自国の古典ぐらい読めよー
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古文や漢文が、得意科目だったが、案外簡単だったけどな
漢字の意味さえ把握していれば、あとは文法を英語的に解釈するだけ
日本語は動詞が最後にくるから、それを逆読みすれば何とか判読できる
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漢文は東アジアの知識層の共通素養であったし、
これからもそうであるのが良いと思う
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漢文の凄いところは、チョコチョコと記号書くだけで読めるようにしてしまうところだな
誰が考えたのあれ
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壮士ひとたび去かば、復たび還らず

とか、見ただけですごいイメージが湧く文章
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漁夫の辞とか最高に泣ける
年取る毎に感じ方が変わって泣けてくる
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昔香港行った時、具合悪くて薬局行ったら全然英語が通じなくて
筆談で漢文もどきの文書いたら何とか通じたのを思い出した
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中国人が論語の意味を日本に留学して初めて知るみたいな話はよく聞く
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このスレ「中国人がなんで自国の漢文読まれへんねん」と「昔の言葉なんか習ってどないすんねん」が共存してて笑える
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中学しか出てない無学な田中角栄ですら、中国を訪問した時には自作の漢詩を読んでいる。無学なので、韻も踏んでない稚拙なんだが、ちゃんと意味は通る物です。それが日本人の凄さです。

コメント(7)


>学のなかった毛沢東が、歴史を無視して、バカでも読み書き出来るようにと、


は・・・。
それで日本も歴史見直しなのか?



毛沢東は混乱した中華を暴力でもって統一させるようなカリスマ性はあったのだろうが、経済政策とか文化政策とか、そういった文治政治には全くアホだったんだと思う。



 汪兆銘の獄中詩


 石をくわえてひたすらに
 大海原をやりこめる
 一人で飛んでも疲れない
 鴎におくれをとるものか
 (略)
 堂々と北京で主義主張を通し
 従容として囚人の名に甘んじよう
 少年(自分のこと)の首を
 さっぱりと斬ってくれ
 たとえ肉体は灰と化しても
 我が志はこの世にとどまり
 燐の青い光は衰えることなく
 夜毎に紫禁城を照らすだろう


「美のコンキスタドール 一度死んだ男・汪兆銘の魅力」
(2004年02月号 選択より)


 その原文


 啣石成痴絕﹐滄波萬里愁。
 孤飛終不倦﹐羞逐海鷗浮。
 吒紫嫣紅色﹐從知渲染難。
 他時好花發﹐認取血痕斑。
 慷慨歌燕市﹐從容作楚囚。
 引刀成一快﹐不負少年頭。
 留得心魂在﹐殘軀付劫灰。
 青燐光不滅﹐夜夜照燕臺。
 
 ttp://big5.gmw.cn/g2b/blog.gmw.cn/blog-1517-414235.html



薄毛の人には気になる名前>毛沢山w



> 土佐物語
土佐日記じゃないかな。著者の紀貫之は当時の教養人としてもちろん漢文は自由自在だったが、かな文字で書きたくて、わざとそうしたという。
石川九楊によれば、日本語の根幹の半分くらいは中国語(というか漢文)だといっていたが。
漢文知ってると、いろいろいいことあると思います。



そののち毛のなかった飯田橋さんは、カスに絡まれて…



>毛沢東が、歴史を無視して、バカでも読み書き出来るようにと、簡体字を作った。
コレは、ちょっと乱暴な意見だと思うけど。
毛沢東は日本の明治維新やそれに繋がる江戸時代の日本人が作成した
儒教関連著作や歴史にも通じていたよ。
近代中国の歴代権力者で海外留学経験が無いのは毛沢東だけですけどねぇ


>日本人は、中国人の上位互換ですからw
っつーか、文化・文明の行き着く先
→まさに極東&武力闘争に敗れた流民の終着点てのが当て嵌まるような気がします。


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浮世の流れの水の泡

「逝きし世の面影」から転載。
私も、ずっと前に、別のブログがいきなり閉鎖されたことがあった。何の通告もなく、閉鎖理由もまったく分からないままで、それまで書いた記事がこの世界から消滅したのである。それにかけた時間はすべて無駄になったわけだ。まあ、サーバー(というのか? ブログの元締め会社だ)のところには記録は残っていて、何かの機会に「法的証拠」として使われたりするのかもしれないが、書いた本人の元には何一つ記録もない。いちいち、記事を保存してからネットにあげるような手間はかけていないからだ。
なお、そのブログは「最高の塔の歌」という名前であった。(言うまでもなく、ランボーの詩の題名から取ったもの。)詩歌の紹介、翻訳など文芸中心のブログであったから、政治的な意味で目を付けられるはずは無かったと思う。
いずれにしても、ネット上に記事を書くことは、いつでもこうした運命が降りかかることを覚悟しておくべきだろう。

流れに浮かぶうたかたはかつ消えかつ結びて久しくとどまりたるためしなし(方丈記)


[ 訂正:「流れに」ではなく「淀み(澱み)に」だったか。手元に蔵書がほとんど無いため、記憶だけで書いているからこういう間違いをする。]




(以下引用)




『2014年12月10日の憂鬱』

」が削除されてしまいました。同じ日にホワイトフードさんの「放射能とたたかうブログ 」も削除されています。

どうゆうことですか。
勝手に削除という事。?21 時間 どうゆうことですか。 勝手に削除という事。?

 
そうです。朝開いたらアカウントなども強制削除されていました。

21 時間前そうです。朝開いたらアカウントなども強制削除されていました。

 

酷い話ですね。私もアメーバにブログがありますが、更新停止します。はてなとかシーサーとか他で更新を続けようと思います。
 

履歴も残らない。 私も削除される可能性大。 次々削除がされるかもですね。
 

重要そうな内容は手直しして他のブログに転載して置いた方が良いかと思います。まさかの多重防護ブログ運営が必要となる時代となるとは。もともと法の趣旨は統治側の人の情報漏洩を防止するという事なので、ブロガーの言論を抑止するのは筋違い・・
 

削除されたのは今のところアメブロだけです。アメブロは特に気をつけたほうが良いと思います。
 

元々はネトウヨ系のブログも消されることはありましたよね。貴方のブログも消されたことあったんでしたっけ
 
やはりアメーバが真っ先でしたか。
あそこは昔からその手の評判が一番悪かったですから。 他のサブのブログの今後の動向も要注意ですね。

21 時間前やはりアメーバが真っ先でしたか。 あそこは昔からその手の評判が一番悪かったですから。 他のサブのブログの今後の動向も要注意ですね。

 

アメーバ側は削除理由は何と言ってきてるんですか?
 

現在問い合わせ中です。削除時は何も通告もありませんでした。ホワイトフードさんも同じです。
 

うわ! ホントだ!! 超参考にしてたのに!!!
 

FASCISM ブログだけでなく、政府に批判的な人間も消されそうで、怖い世の中になってきたが、だからこそ声をあげる必要がある。不当な言論弾圧を黙認してはならない。自民党は、liberalでもなく、democraticでもない。
 

数か所に分散保存しても、ことごとく削除される恐れがある。麻生政権末期に逆戻りか。オフライン保存が必要になる日も近い。
 

記事にて、拡散しました。 ⇒ いよいよ、何かが始まったみたいですね。 ヤマダさんのブログ削除、残念でなりません。 まだ、FC2の本命ブログがありますので、 あまり気を落とさないで下さい。


 


 


12月9日
「安倍首相と金正恩との比較,三世・・」をtweetしてから、今リツイート1の数字からピタリと止まっている。「怖い怖い」はリツイート2.これまでこういう数字はまずない。
 
『ニーメラー師の後悔』
 
ナチスが共産主義者を攻撃したとき、自分はすこし不安であったが、とにかく自分は共産 主義者でなかった。だからなにも行動にでなかった。次にナチスは社会主義者を攻撃 した。自分はさらに不安を感じたが、社会主義者でなかったから何も行動にでなかった。次にナチスがユダヤ人を・・・
真実を探すブログも放射能と戦うブログも、私が読まないエキセントリックなブログなので無関係ですが、・・
今回の突然の強制閉鎖に、少し不安になっている・・・



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逆上がりって、人生で何の役に立った?

「ハフィントン・ポスト」から転載。
気持ちの悪い顔の写真だが、書いていることは面白い。
実際、体育の授業など、「出来る子」と「出来ない子」を際立たせる以外の意味は無かったような気がする。出来る子には優越感(他人を見下し、自分に思い上がる心)を生じさせ、出来ない子には劣等感(自己嫌悪、出来る子への嫉妬、他者の目への羞恥心)を生じさせる。
これが学力テストなら「オレは真面目にやっていないだけ」というフリも出来るが、体育の授業ではそういうウソはまず無理で、あからさまに出来る子と出来ない子が「仕分け」される。そういう残酷な場が体育の授業だった。
だからこそ、「小学校では足の速い子がモテ、中学校では面白い子がモテる」と言われるわけだ。中学校でも足の速い子はモテる可能性はあるが、それがクラブ活動での各種スポーツに特化していくだけの話だ。そして、頭の中身や個性の指標として「面白い」かどうかが加味されてくる。
まあ、人間の選別は一生を通じて行われるのがこの社会のならいだが、その中で常に「劣等者」であり続けることは辛いものだ。自分の劣った部分を、できるなら他人の目にはさらしたくないのが当然の気持ちだろう。それは「甘え」の一言で切り捨ててよいだけのものなのだろうか。
下記記事の女の子の「もうこれで鉄棒の練習をしなくてすむのね」という言葉は、練習が嫌、というだけの意味ではなく、そういう「人前でさらし者にされた」悲しみがあるのではないか。そもそも、なぜ逆上がりができる必要があるのだろうか?



(以下引用)



粕尾将一 Headshot

はじめて逆上がりが出来た女の子:成功後の一言が指導者を撃ち抜く

投稿日: 更新:

あるところに逆上がりの出来ない女の子が居ました。


授業で必死に練習しましたが、残念ながらできるようにはなりませんでした。落ち込む女の子を見た担任の先生は「放課後、一緒に練習しよう」と声をかけます。それからの放課後、先生とのマンツーマン練習が始まりました。


練習は毎日の放課後、担任の先生とマンツーマン。女の子は真面目に練習をして、先生も頑張ってアドバイスを掛けます。そんな練習も数週間が経ったある日、ついにその時が来ました。


ついに彼女は逆上がりを成功させました。初めての成功に女の子は大喜びです。先生も我が事のように一緒に喜びます。


次の瞬間、女の子は喜びながらこうつぶやきました。

「もうこれで、逆上がりの練習しなくて良いんだね!!」


2014-11-29-8421379853_419003fdf2.jpg



これは大学時代に教授から聞いた実話です。
この話はスポーツを初め、運動指導に携わる人全てに大きな疑問を投げかけていきます。スポーツを教えるとは何か、子どもが本当に求めているものは何なのかを改めて考えたいと思います。


■ 本当に子どもは技を習得したいのか?


スポーツ指導に携わる人は「上達」「習得」は素晴らしいと信じています。できなかった技ができるようになる、教える側にも教わる側にも達成感が生まれる瞬間です。


先に上げた女の子は逆上がりという技を習得し鉄棒の技術も上達しました。しかし最後に先生に投げかけたセリフは逆上がり・鉄棒との断絶宣言です。なぜ女の子の口からはこんなセリフが出たのでしょうか?


きっと、女の子の本心は「逆上がりが出来るか?」なんてどうでも良かったのだと思います。出来なくてもいいし、出来れば出来たで嬉しい。でも先生が必死に教えてくれるから練習しなきゃ。。。あぁ、あとどのぐらいこの練習は続くのかな。こんな心の声が聞こえてきそうです。


しかし先生はこの気持ちに気付くことが出来ませんでした。授業中に出来なかった事が悔しかったに違いない、それじゃ一肌脱いで逆上がりが出来るまで練習に付きあおう!と言った感じでしょうか。


女の子の思いとは裏腹に、出来なくて悔しがっている→達成できたら喜ぶに違いない、という方程式が見えてきます。


■ 技を教えるより大切だったこと


この先生の例は極端でしたが、似たようなケースが運動指導・スポーツ指導の現場でも見られると思います。


たとえば縄跳びでも「難しい跳べたら嬉しいに違いない!」という教える側の勝手な思い込みにより、子どもが望んでいないのに無理矢理に難易度の高い技を教えようとするコーチがいました。それは粕尾将一、縄のまっちゃんです。


新しい技や初めての動きを修得するためには、反復練習が必要です。しかし地味な練習を繰り返し、しかも失敗ばかりする練習のどこが楽しいでしょうか。子どもたちの集中力はみるみる削がれていき、その場にしゃがみ込む子も出てくる始末です。


失敗の原因は順番を間違えたこと。技を教えるより、まず初めに運動そのものの楽しさを伝えなければいけなかったのです。縄跳びって楽しいね!!この遊び楽しいね!!と思ってもらうことが最優先でした。


楽しさを自分自身で見いだした子どもに小手先の指導テクニックは必要ありません。放っておいても勝手に練習を続けます。こちらが技を提供すればスポンジのように吸収していきます。


まず「運動そのものに楽しさを感じられる」という素地を作ることが重要なのです。


■ まとめ


子どもに運動を教えるとき、大人は「逆上がり」「二重跳び」などのわかりやすい目標に目が行きがちです。確かに上達・習得は素晴らし経験でしょう。しかしこれらの目標は運動・スポーツの一側面に過ぎません。


技や理論だけでなく、運動の「楽しさ」や「やりがい」をシッカリと次世代に伝えていきたいですね。


(2014年11月22日「シルクドソレイユ 日本人アーティスト  縄のまっちゃんのブログ」より転載)




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酔生夢人
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趣味:
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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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