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「地雷復」=日本の復活。安部の死で、日本は健全化の道を進むだろう(補足あり)

久々に易を立ててみた。占ったのは「安倍がいなくなった後の日本(はどうなるか)」である。
出た卦は「地雷復5爻」で、艱難に満ちた時期(安倍時代)の後の卦としては最高である。

本卦は「復は亨(とお)る。出入疾無し。朋(とも)来るに咎なし。反復のその道、七日にして来復す。往くところあるに利(よろ)し」で、5爻は「敦復、悔いなし」である。「敦」は「厚い、手厚い」の意味。つまり、日本社会の回復は厚いものになる、ということだろう。
本卦の解釈だが、「亨(とお)る」は、日本国民の願望(日本の健全化)が通る、実現するということである。「出入疾なし」は、「日本」を主体として判断すれば、「外国との関係は上手くいく」、となるか。つまり、日中戦争の可能性は、安倍の死によって遠のいた、と私は占断する。高市やヒゲ佐藤あたりがいくら騒いでも、安倍の正体が全国民にバレた今では何の力も無いだろう。岸田も馬鹿でなければ、この状況で改憲に突進することはしないと私は見る。「台湾有事」とか「軍備増強」とかの馬鹿言説は力を失うだろう。「反復のその道、七日にして来復す」は、「日本の回復」はゆっくりと進む、ということだろうか。いきなり、野党が政権を取るというような、過去の民主党の奇跡のようなことは起こらないだろう。つまり、「自民党の内部浄化」が進む、と私は見る。その結果、(自民党内の屑議員が淘汰されて頭数的には)与野党の差が縮まり、権力者(与党)が謙虚に行動するようになるのではないか。公明党も、統一教会と同一視されないように、安倍路線(改憲路線)から距離を置くだろう。「往くところあるに利(よろ)し」は、日本を良い方向に変えていくいい機会だ、ということだろう。


(混沌堂主人が私のこの文章を引用して補足してくれたので、その一部を転載する。)
先に私・酔生夢人の解説を加えれば、私は「日本」という国の今後について占い、下の占断は個人についての占いという違いはあるが、日本を擬人化したら下の説明となるわけだ。ついでに言えば、「地雷復」は、初爻が陽である以外、その上の爻はすべて陰であるという卦である。つまり、「闇の中に最初の陽の光が見えてきた」状態であり、全体的には「雷」というエネルギーはまだ「地」の中にある状態でもある。だから世界(日本全体)が明るくなるのは時間がかかるわけである。で、下の解説は個人を占ったものだから、昔の人の占断らしく「徳」を重視した解説になっているが、それは実は国家でも同じであり、国家(政府・社会)が徳(道徳性・善性)を失ったら、すべてが闇の世界になるのである。それが、「新自由主義」世界だ、というのは私の考えである。「カネのためなら親でも子でも殺す」社会である。竹中平蔵のような人間が権力者の陰から国を支配する社会だ。原動力に「カネと盲信の違い」はあるが、性格的には統一教会と新自由主義集団は同じである。山上氏の家庭崩壊は、まさにその「闇の世」の代表的事例であり、そして山上氏の「その一発」が、闇の中の最初の曙光なのである。

(占例)某局の局長がやって来て、運氣を占ってほしいと請うたので、占筮したところ、復の五爻を得た。
易斷は次のような判断であった。
復は雷が地中にある象(かたち)、動き始める前の静けさの段階である。それゆえ、この卦を復と名付ける。
これを人間に当て嵌めれば、世知辛い社会の情欲に染まった人が、ひとたび悟るところがあって、本来具えている善き性質に復るということである。
今、占筮して五爻を得たので、自ら德を修めることを行なうべきである。多くの人が、そのようなあり方を支持するので、人として德を修める大義を保持すべき時である。
いやしくも人の上に立つ者が、志を清廉にして、公正に進む行く時は、多くの人がその姿を見て、自らのあり方を反省するのである。これを「敦(あつ)く復(かえ)る。悔いなし」と言う。
この爻を得た時は、自ら至誠の心を大いに発揮して、善き行いを実行するべきである。

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日本社会の「山」が崩れ、地を厚くする

安部元総理暗殺後の、つまり安倍のいない日本の総合的な運勢について易に聞いてみる。

「山地剥」2爻である。つまり、これまでの日本の上位にいた存在がどんどん剥落して「地を厚くする」つまり、民衆に富が戻る、と私は判断する。

本卦は「往くところあるに利(よろ)しからず」つまり、険悪な国際関係に手を出さず、鎖国的になって、国内政治に努め、国民の生活を安定させ福利に努めるのが吉だ、ということだろう。

六二(2爻)は、「牀(しょう・床・ベッド)を剥ぐに弁をもってす。蔑貞凶」
牀は上級国民が安楽に寝ていたベッド(法律、社会的習慣、暴力装置など)だろう。つまり、上を剥いで、下を厚くするのに「弁」つまり「論議」によって行う、ということだろう。「蔑貞凶」とは、ふたつの解釈ができる。ひとつは、「上級国民が頑な(貞)に下級国民を蔑視していると凶である」、ということ。当然、その反発で我が身を滅亡させるだろう。もうひとつの解釈は、貞、つまり「保守的思想」の軽蔑は凶だ、ということか。新自由主義と並行する「個人主義」「利己主義」がだんだんと消え、家庭や家族の意義が見直されるのではないか。右寄り政党の政治的なモットーとして利用される空疎な名称の家族や家庭ではなく、真の個人の人生における家族という存在への回帰がありそうだ。(「スパイ×ファミリー」の大ヒットはその予兆か。)貧しくても愛と信頼のある家庭というものが、これまでの「カネや物による幸福」に代わって幸福の基盤になるのだろう。つまり、日本人は精神的に進歩する、と楽観的に見ておこう。

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再掲載「ウクライナ戦争の今後を易に問う」

ずっと前に書いた「ウクライナ戦争の今後を易に問う」(3月2日掲載)という記事だが、再読するとなかなか面白いので再掲載する。八割がた当たっているのではないか? 私は頑固な平和主義者だが、「この戦争は正しい戦争である」という意見は変わらない。ウクライナの人にとっても正しい戦争なのである。つまり、キエフ政権(ネオナチ政権)の暴政・悪政から国民を解放するための戦争なのだから。

(以下自己引用)

ウクライナ戦争の今後を易に問う

ウクライナ戦争は、下手をしたら全世界に影響を及ぼす可能性も高いので、易に問うてみた。すると、驚いたことに、易の卦の中で唯一「戦争の卦」である「地水師」が出たのである。
問いは「世界にとってのウクライナ戦争の今後」である。
本卦は、「師は貞(ただ)し。丈人に吉。咎なし」である。
つまり、「この戦争は正しい戦争であり、冷静な判断力のある者(丈人、長老)には吉で、咎はない」ということだ。
ただし三爻は、「師あるいは屍を載す、凶」である。つまり、この戦争では死者が出る、ということで、当たり前と言えば当たり前だが、「世界にとってのウクライナ戦争」を問うたのだから、この戦争は世界に拡大する、ということになるのではないだろうか。
救いは、伏卦が「天火同人」で、和睦の卦、三爻の変爻が「地風升」で、世界はこの後繁栄に向かう、と判断できることである。(升は「昇」と同じで上昇を表す。)
つまり、この戦争が「第三次世界大戦」となっても、それによってDSのグレートリセットが頓挫し、全世界が「人口削減」と「奴隷化」から救われるのではないか、と私は判断する。ある意味、「世界を救う戦争」である可能性がある、ということだ。少なくとも、これで新コロ詐欺はほとんど中止されているという現実がある。欧州のワクチンパスポート停止は、ウクライナ情勢を読んでのものだった、ということだ。日本は蚊帳の外だから、まだワクチン接種推進などやっているがwww

ついでに、「日本にとってのウクライナ戦争」を占ってみたら、「天地否5爻」であった。「否」は八方塞がり的な悪卦だが、5爻は、「否を休(や)む」で、その状態もまもなく終わる、ということである。伏卦は「地天泰」、5爻の変爻は「火地晋」で、どちらも良卦。まあ、安部菅時代の、いや、小泉以降の日本社会の悪化もまもなく終わる、と解釈しておく。ただし、ウクライナ戦争に関しては日本はアメリカの手下となるわけだから、当然被害も受けることになる、ということである。下手をしたら自衛隊の海外派兵もあるだろうし、経済的にも大出費を強制されるだろう。すると、増税や、年金支給の減額などがありそうだ。
とりあえず、参議院選で自公維勢力をできるだけ減らし、改憲をストップするのが大事だろう。

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「ウクライナ戦争が核戦争になる可能性」の易占

「ウクライナ戦争が核戦争になる可能性」を易占してみたら、「艮為山 5爻」が出た。
某サイトから「高島易断」によるこの卦の解釈を抜粋する。
まあ、「艮為山」は「動かない」意味の卦だから「核戦争に至ることはない」と見て良さそうだ。そして「悔滅ぶ」だから、事態は良い方向に向かうのではないか。

(以下引用)赤字部分は夢人による強調。



52.艮為山


□卦辞(彖辞)
艮、其背不獲其身。行其庭不見其人。无咎。
○其(その)背(せ)に艮(とど)まり、其(その)身(み)を獲(え)ず。其(その)庭(にわ)に行き、其(その)人(ひと)を見ず。咎(とが)无(な)し。
 艮は上卦・下卦共に艮。艮の山と艮の山が対峙している。二つの山が対峙している姿である。お互いに見つめ合っているだけで、近付くことも遠ざかることもしない。
 艮の卦は上卦も下卦も一陽が二陰の上に止まっている。陽の性質は上ることにあり、陰の性質は下ることにある。一陽は上っていっても行き場所がないので二陰の上に止まる。
 これを人間社会に当て嵌めると、小人(民衆)の上に君子(優れた指導者)が止まって国を治めている形である。
 優れた指導者である君子は目先の出来事に右往左往しがちな小人(多くの民衆)と比べて、見識(揺るぎない信念や志)が高いので、他人の意見に左右されない。
 侫(ねい)人(じん)の誘惑に心を動かすことなく、毅然として揺るがない人格者である。艮の山のように揺るがない姿形で、心はどっしりと微動だにしない。君子たる者の泰然とした風貌を現している。
 以上のことから、この卦を艮為山と名付ける。艮の止まるという意義が発揮される時である。
 艮為山の各爻はいずれも応じる関係にない。人間社会に当て嵌めると、人々が交流しても、目と目を合わせないような関係である。誰かの家に招かれても、その家の主人とは顔も合わせないような関係の時である。
 上卦の山と下卦の山が対峙して、お互い睨み合っているが、近付くことも遠ざかることもできない時。表面的には親しんでも内心から親しんではならない時である。
 それゆえ、艮の時に中るための心構えは、髪の毛一本ほどの僅かな希望も見出してはならない。例え、何か希望を感じることがあっても、相手がそれを受け容れてくれない。
 人間が動くときでも背骨は動かない。背骨はいつも止まって動かない。身体は動くけれども、背骨は動かないのである。
 「背」と云う字が「北」と「月=肉」とできているのは、「背」と云う字に「内容・意味・意義」があるからである。
 人々が様々な希望を抱くのは、鼻や目や耳や口などの器官が感じる情欲から発することが多い。艮為山の時に中ってはそのような希望は叶わない。情欲を制御して、自分の思いや望みを棄て、己を虚しくすることで達観することを目指すしかない。
 すなわち、何事にも動じない心を養って、情欲などで心を動かされないように修行するのである。以上を「其(その)背(せ)に艮(とど)まり、其(その)身(み)を獲(え)ず」と言う。

□彖伝
彖曰、艮、止也。時止則止、時行則行、動静不失其時。其道光明。艮其止、止其所也。上下敵應、不相與也。是以不獲其身、行其庭不見其人。无咎也。
○彖に曰く、艮は止まる也。時止まれば則ち止まり、時行けば則ち行き、動静、其(その)時(とき)を失わず。其(その)道(みち)光(こう)明(みよう)なり。其(その)止(し)に艮(とど)まるは、其(その)所(ところ)に止まる也。上下敵(てき)應(おう)し、相(あい)與(くみ)せざる也。是を以て其(その)身(み)を獲ず、其(その)庭(にわ)に行き、其(その)人(ひと)を見ず。咎(とが)无(な)き也。
 卦辞・彖辞の「其(その)背(せ)に艮(とど)まり、其(その)身(み)を獲(え)ず」とは、必ずしも隠居や世を遁れて人里離れた田舎に隠れ住み、自らを修めるような生き方をしなさいと云うことではない。また、心を失った人のように、心身を回復するために仕事を休み、社会活動を停止して、家族に養ってもらうようなことを云うのでもない。
 天下のあらゆる罪悪や凶行は、自分を愛するあまり、私利私欲に囚われて、情欲を制御することができなくなるから起こるのである。
 子どもが父母に孝行を尽くさない。臣下が君主に忠実でない。奥さんが旦那さんに順わない。弟が兄に逆らう。友達同志が信じ合うことができないなど、基本的な人間関係が成立しなくなると、非道い場合には、お互いに騙(だま)し合うようになり、仕事や生活が乱れて、情欲のまま淫行を貪り、遂には残忍な行為に及び、あらゆる罪を犯しても恥じるところがない人間に堕落するのである。
 このように堕落していくのをくい止めるためには、その元凶である情欲を制御して、世の中の栄枯盛衰や喜怒哀楽をそのまま受け容れることができるように修養することが肝要である。
 人は皆、親の子として、また君主の臣下として、その役割を全うすることが大切である。道義を守り、忠孝を実現することが、人間として世に生まれた大義を全うすることである。
 艮の時は、上卦の山と下卦の山が対峙しているように、人と人とが向き合って相容れない時である。
 相手の価値観と自分の価値観がぶつかり合う時ゆえ、相手の言行が自分の価値観と合致しない場合であっても、自分の価値観で相手を評価してはならない。
 相手を咎めたり批判したりしても、相手は絶対にそれを受け容れない。自分が苦しむだけである。だから自分の価値観に囚われず、相手の価値観をそのまま受け止めて、どのような環境に置かれても、心が乱れないように修養すべきである。以上のことを「其(その)庭(にわ)に行き、其(その)人(ひと)を見ず」と言うのである。

□大象伝
象曰、兼山艮。君子以思不出其位。
○象に曰く、兼(けん)山(ざん)は艮なり。君子以て思ふこと其(その)位(くらい)を出でず。
 艮為山は内卦艮山の外に外卦艮山が在る。二つの山が相対しているのである。内外共に艮山の意義が充ちているので、止まりまた止まると云う時である。これを「兼(けん)山(ざん)」と言う。
 山には色々な形状があるけれども、どの山もどっしりとして微動だにせず、その場所に止まっている。
 君子(立派な人間)はこのような艮の形を見て、人には様々な価値観があり、色々な地位や立場に在ることを認識して、それぞれの地位や立場でそれぞれの分限を守ることに意を止める。
 「蟹は甲(こうら)に似せて穴を鑿(ほ)る」と云う諺(ことわざ)がある。人間は、その人の器量に応じて事に対処しなければならない。このことを「思ふこと其(その)位(くらい)を出でず」と言うのである。
 「其(その)位(くらい)」の「位」とは、爵位などを指すのではなく、その人が属している領域の分限を指している。少ししか量がないのに、多くの量があるように見せかけようとする人は、鳥が飛んでいるのを見て、自分も空を飛べるような妄想を抱き、また、魚が水の中で踊るように泳いでいる姿を見て、自分も魚のように泳げるような妄想を抱くものである。
 自分の地位や立場における分限を超えて、妄想を抱く人は、庶民なのに国政を司るような妄想を抱き、地位が低い立場に居るのに、地位が高い立場に居なければできない妄想を抱くものである。迷走すること甚だしいのである。
 権力者の力を借りて己の野望を計り、逆賊の一員にまで陥落する人は、事の始めにおいて、自分の地位や立場における分限を超えて物事を考えることから堕落が始まる。事の始めの段階で小さな勘違いから正していかないと、驕り高ぶり取り返しの付かない悪事を働いて罰せられる段階に至る。自分の器を知らないで、妄想を抱く人はよくよく戒めるべきである。

□爻辞(象辞)と象伝(小象伝)


六五。艮其輔。言有序。悔亡。
象曰、艮其輔、以中正也。
○六五。其(その)輔(ほ)に艮(とど)まる。言(げん)序(じよ)有り。悔(くい)亡(ほろ)ぶ。
○象に曰く、其(その)輔(ほ)に艮(とど)まるとは、中正を以て也。
 「其(その)輔(ほ)」の「輔(ほ)」とは、口の回りの肉である。上卦艮は顎(あご)の形に似ているので、口の回りの肉とする。
 六五は陰爻陽位で中庸の徳を具えているので安定しており、物事を抑制する力がある。
 君子は言行を慎む。君主は言論が大事、臣下は行動が大事である。だから、君主が命令すれば臣下は命令に従って行動する。
 六五は君主の地位に在り天下国家を司っている。天下国家に命令を発するのが六五の役割。その言論は実に重大である。常に自分を戒め慎んでいるので「其(その)輔(ほ)に艮(とど)まる」と言うのである。
 「輔(ほ)=口の回りの肉」は、言葉を発するためにある。「輔(ほ)=口の回りの肉」を引き締めれば、妄りに言葉を発することはなく、適切な言葉を発することができるようになる。適切な言葉を発するようになければ、後悔することが少なくなる。「輔(ほ)=口の回りの肉」を引き締めれば、後悔することが少なくなる。
 若者はの経験が少ないので、年配の人に向かって徒(いたずら)に議論を挑む人が少なくない。このような若者を戒めているのである。世間知らずの頭でっかちが、無闇矢鱈に先輩に議論を挑んで論破したとしても、逆に世間から疎まれ嫌われるのがおちである。
 その口を無理矢理塞いで、言葉を制止するのではない。言葉を発する前によく慎んで考えてから発するべきなのである。よく慎んで考えてから言葉を発すれば失言することはない。それゆえ「言(げん)序(じよ)有り」と言う。よく時間をかけて考えてから言葉を発すると云う意味である。命令を出す場合には緩やかに出せばうまくいくことが多いが、急いで出すとうまくいかないことが多い。
 言葉を発する場合には、よく考えてから発すれば相手に受け容れられるが、何も考えずに発すると相手に受け容れられない。
 九三は下卦に居て動かない。六五の王さまにも仕えない。六二の忠臣と六四の大臣は陰爻で柔弱だから九三を動かすことができない。六五の王さまが後悔する組織的な要因である。
 このような組織的な要因がある中で、只管(ひたすら)柔順中正の徳(柔順な性質と中庸の徳で対応する正しい王さまの在り方)を守り、無闇矢鱈に言葉を発することを慎めば、頑固な九三も自然に王さまの人徳に帰服して、遂には王さまに仕えるようになる。
 それゆえ「悔亡ぶ」と言うのである。六五は陰爻陽位なので後悔する形だが、中庸の徳を具えているので、無闇矢鱈に言葉を発しない。それゆえ、後悔することがなくなる。
 象伝に「中正を以て也」とあるのは、六五の王さまは最後まで中正の徳を守ることを示しているのである。

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易に問う、「新型コロナ問題の今後」

「高島易断」が面白いので、少し前に自分で占った「新型コロナ問題の今後」で出た卦「地沢臨3爻」を調べてみた。「誰の立場で占うか」を決めずに漠然と易占したので、下の卦はDSの立場や運命を示したものなら世界の人々にとっては嬉しい未来である。

(以下引用)赤字や太字は夢人による強調。

六三
六三。甘臨。无攸利。既憂之无咎。
○六三。甘臨(かんりん)す。利(よろ)しき攸(ところ)なし。既(すで)に之(これ)を憂(うれ)うれば咎(とが)なし。
柔弱不正の六三は、才德乏しい佞人(ねいじん)。巧(たく)みに人を悦ばせる言葉や物腰柔らかな態度で下々に臨(のぞ)み、媚(こ)び諂(へつら)って人の上に立つ。こんな有様(ありさま)では、何をやっても失敗する。己の非を知り、憂(うれ)えて態度を改めれば、咎められることは免(まぬが)れる。
象曰、甘臨、位不當也。既憂之、咎不長也。
○甘臨(かんりん)すとは、位(くらい)当(あた)らざればなり。既(すで)に之(これ)を憂(うれ)うれば、咎(とが)、長からざるなり。
媚(こ)び諂(へつら)って人の上に立つ。邪心を抱いて下卦兌の最上に居るのである。憂えて態度を改めれば、咎められることは、漸次(ぜんじ)になくなっていく。
(占)知恵も力もないのに、小賢しいことを考えて、人を惑わそうとする。何事も為し遂げることはできない。世間を甘く見て失敗する。今、臨の時に中って君子に近付き、君子を見倣って、自分の非を悟り、志を改めれば咎を免れる。善き道を歩み始める入り口となる。
○相手(陽)が自分(陰)に近付き迫ってくる時である。
邪心を抱いて世の中に対処しようとして凶運や困難を招き寄せる時。早く自分の非を悟って改めなければならない。
心卑しき人物が、心貴い人物に成り代わって権力を振るう時
(占例)明治五年、ある友人がやって来て、ある商人の運氣を占ってほしいと頼まれたので、筮したところ、臨の三爻が出た。
易斷は次のような判断であった。
臨の卦は、地の下に沢がある象(かたち)。
人間に当て嵌めると、地は母、沢(兌)は少女に例えられる。母と少女が出逢う時は、母は少女を愛して臨み、少女は母に順って臨む。お互いに望んで臨むので臨と云う。臨とは希望することである。
今回ある商人の運氣を占って三爻が出た。六三は陰爻陽位なので才能や智恵が不足している。過ぎる位に居るので強気である。勢いに乗じて一時は幸運を得るが調子に乗って世間を甘く見て、私利私欲を貪る。
やがて氣運が衰えて、落ちぶれる。その時初めて夢から覚めたように、これまでの行動を恥ずかしく思う。
この商人は将来、以上のように落ちぶれてしまうリスクがある。それを踏まえて、よくよく注意すれば、大きな過ちは犯さない。
ところが、友人によると…
「その商人は、横浜の吉田新田に一坪の沼地を十銭で購入していた。
ある豪商が役所との取引の過程でその沼地を一坪一円で買い取った。商人が購入した沼地は十銭から一円へと十倍の値段に跳ね上がった。商人は調子に乗って、ドンチャン騒ぎをするようになった」と云う。
そこで、わたしは友人に、以上の易断を商人に伝えて、よくよく忠告すべきだと進言した。(その後、どうなったかは書いてない。)

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坤為地六爻(上六)と明治六年の政変

高島易断を解説した某サイトから転載。
私は高島易断については半信半疑なのだが、この易例の解釈は見事である。もちろん、自己宣伝のための虚偽である可能性も無いではないだろうが、書かれたことが事実なら、神秘的ですらある。

(以下引用)

上六
上六、龍野于戰、其血玄黄。
○上六(じょうりく)、龍(りゅう)野(や)に戦(たたか)う。其(そ)の血(ち)玄黄(げんこう)なり。
坤の君子が勢い余って龍のように振る舞えば、乾の君子が黙っていない。「坤(陰)が乾(陽)の役割を果たすことはまかりならぬ」と、乾の龍と坤の龍が決闘する。(陽の)黒い血と(陰の)黄色い血を流して、共に傷付くしかない。
象曰、龍野于戰、其道窮也。
○龍(りゅう)野(や)に戦うは、其(そ)の道(みち)窮(きわ)まればなり。
乾の龍と坤の龍が決闘するのは、坤の道も、乾の道も、共に行き詰まったのである。
(占)私利私欲をどん欲に追求し、人に被害を与え、自分もまたブーメランのように被害を蒙る時。自らの心を省みて私利私欲を取り去って柔順な心を養うべし。
血氣盛んで、直ぐに人と争う時でもある。自分の本分を守って、他から攻撃されても、争いを避けて応じてはならない。以上のように謹慎すれば、被害を免れることができるかもしれない。
○小人が善からぬ事(不善)を企てる時。
○相手も自分も共に傷付く時。
(占例)明治六年政府の氣運を占筮したところ、坤の上爻を得た。
易斷は次のような判断であった。
坤の卦は全て陰爻で陽爻は一つもない。君子の德を全く具えていない時でもある。今の政府は、多くの聖人君子が登場し、俊傑の人物が地位を得て、政務に参加している。それなのに、この卦爻が出たのは、誠に不思議なことである。
公の地位にある人々が国家を憂い、篤い忠誠の心から大事業に臨んで、威厳を隠さない(つまり、慎みが足りない)ところに、その要因があるのだろうか。
「龍(りゅう)野(や)に戦(たたか)う。坤の君子が勢い余って龍のように振る舞えば、乾の君子が黙っていない。「坤(陰)が乾(陽)の役割を果たすことはまかりならぬ」と、乾の龍と坤の龍が決闘する」とは、今の大臣や参議は、みな豪傑の才能を持つ非凡で卓越した人々ゆえ、まるで龍のように立派だが、国家の大事を論争して、意見が衝突し、互いに血で血を争うような事態に陥っていることを云う。
自分が何かを欲しても、思うようにならないのが人生の常。
それゆえ、お互い譲り合うことが大切である。
英雄豪傑が集まって、国家の大事を議論する時は、自分の意見が通らないからといって、憤慨や激怒してはならない。
占筮して、この卦爻が出たのは、大臣や参議が国家を憂う気持ちが深く、自分の意見が通らないことを憤る余り国家の体制を内側から崩し、外国から嘲笑され、国家の大黒柱と称せられながら、大衆から見放されつつあることに気付いていないのである。実に嘆かわしいことである。
そこで、この占筮の結果を三條公に伝えた。
明治維新という偉業を成し遂げた後、大臣や参議が欧米各国を視察して、近代国家としての日本の体制を定めるため、岩倉右大臣以下、木戸、大久保、伊藤、山縣という要人が欧米へ出発した。
視察に出た要人も国内に残った要人も、国家のために辛苦して日本の近代化を実現しようとしている。そこで、視察団が帰国するまでは、新しいことは行なわず、また、視察団の独断で欧米政府と条約を結ばないことを誓った。
しかし、視察団が帰国しない間、日本海軍(雲揚艦)が朝鮮国の仁川港(じんせんこう)を測量中、朝鮮国から砲撃されたことで、政府の議論が活発となり、このような国辱的な事件に対抗するため、一戦を交える(征韓論)と決定した旨、視察団に電信したところ、大久保公が帰国して制止しようとした。
だが、西郷を始めとする要人はこれに従わず、議論は激高し、岩倉右大臣以下視察団の要人も帰国した。
征韓論の可否は国家を二分する大議論となり、征韓論支持派が敗北して政府を去ることになった。
その後、明治七年に佐賀の変、同九年に長州の乱が起こった。
同十年には鹿児島の役が勃発して、(明治維新を推進してきた大久保と西郷が対決するという)国家的な不祥事を招いた。
爻辞に曰く、「龍(りゅう)野(や)に戦(たたか)う。坤の君子が勢い余って龍のように振る舞えば、乾の君子が黙っていない。「坤(陰)が乾(陽)の役割を果たすことはまかりならぬ」と、乾の龍と坤の龍が決闘する」と。
あぁ、善くも悪くも、易の将来予測は的中するのだ…。

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ウクライナ戦争の今後を易に問う

ウクライナ戦争は、下手をしたら全世界に影響を及ぼす可能性も高いので、易に問うてみた。すると、驚いたことに、易の卦の中で唯一「戦争の卦」である「地水師」が出たのである。
問いは「世界にとってのウクライナ戦争の今後」である。
本卦は、「師は貞(ただ)し。丈人に吉。咎なし」である。
つまり、「この戦争は正しい戦争であり、冷静な判断力のある者(丈人、長老)には吉で、咎はない」ということだ。
ただし三爻は、「師あるいは屍を載す、凶」である。つまり、この戦争では死者が出る、ということで、当たり前と言えば当たり前だが、「世界にとってのウクライナ戦争」を問うたのだから、この戦争は世界に拡大する、ということになるのではないだろうか。
救いは、伏卦が「天火同人」で、和睦の卦、三爻の変爻が「地風升」で、世界はこの後繁栄に向かう、と判断できることである。(升は「昇」と同じで上昇を表す。)
つまり、この戦争が「第三次世界大戦」となっても、それによってDSのグレートリセットが頓挫し、全世界が「人口削減」と「奴隷化」から救われるのではないか、と私は判断する。ある意味、「世界を救う戦争」である可能性がある、ということだ。少なくとも、これで新コロ詐欺はほとんど中止されているという現実がある。欧州のワクチンパスポート停止は、ウクライナ情勢を読んでのものだった、ということだ。日本は蚊帳の外だから、まだワクチン接種推進などやっているがwww

ついでに、「日本にとってのウクライナ戦争」を占ってみたら、「天地否5爻」であった。「否」は八方塞がり的な悪卦だが、5爻は、「否を休(や)む」で、その状態もまもなく終わる、ということである。伏卦は「地天泰」、5爻の変爻は「火地晋」で、どちらも良卦。まあ、安部菅時代の、いや、小泉以降の日本社会の悪化もまもなく終わる、と解釈しておく。ただし、ウクライナ戦争に関しては日本はアメリカの手下となるわけだから、当然被害も受けることになる、ということである。下手をしたら自衛隊の海外派兵もあるだろうし、経済的にも大出費を強制されるだろう。すると、増税や、年金支給の減額などがありそうだ。
とりあえず、参議院選で自公維勢力をできるだけ減らし、改憲をストップするのが大事だろう。

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プロフィール

HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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