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易経 6 易占一覧 1「乾為天」

易占一覧

 以下に書く説明の中で、最初の「乾為天」は、易に頻出する言葉の解釈の仕方なども含めて書くので、長い文章だが、その後は簡単になるので、我慢してここは読んでほしい。そうすれば、それ以外の卦の、解釈の理由などもある程度はわかるはずである。

1.乾為天(上:乾 下:乾) または(上:天 下:天)
【全体運】純陽の卦。「元享利貞」という卦の辞は、一般には「元」を「大いに」と読み、「大いに通り、正しさに利がある」と解釈される。しかし、やはり「元」を基本の意味通り、「始め・根元」の意味でとらえるなら、「元は通る。貞に利あり」と読み、

「始めの部分と根本に注意せよ。そうすれば物事はうまく通る。貞固さに利がある。」という解釈になる。

この乾為天の卦は、すべての卦の基本でもあるので、占いというよりは、占う人間への一般的教訓なのだと思われる。(占いとしての卦は各爻にある。)つまり、「元享利貞」とは、「元、享。利、貞。」というように分けて読むわけだ。
乾、つまり天を世界の始まり・根元とするのは易の中心思想であるから「元」を「始め・根元」の意味に解するのは、無理の無い解釈だろう。これまでの解釈は、「元」をただ「享」の修飾語としてとらえ、「大いに」の意味にしていたのだが、これは「乾」と「元」との関係を見落とす、浅い解釈だったのではないだろうか。こんな事を言うと、お前はあの大学者の朱子や程伊川より自分の方が正しいというのか、と言われそうだが、いかに大学者でも常に正しいとは限らない。我々は自分が合理的だと思う考えに従えばいいのである。ただし、「元」を「始原」の意味とするのは「乾為天」の場合だけで、後の卦ではこれまでの解釈通り、「大いに」と読むことにする。ただし、その場合も常に「根元に注意せよ」という原則が暗黙にあると考えればよい。
「亨」は「通る」、つまり願いが通るということ。
「利」は「利益」であり、「利貞」は「貞に利あり」と読む。あるいは「利は貞にあり」でも良い。
「貞」とは、「貞固」つまり、固く守ることであり、「正しいこと」の意味もあるにはあるが、それよりも、今のやり方や考え方を固く守るという節操、悪く言えば頑固さである。この「貞」については他の卦に「貞に利あらず」のような託宣も出てくるのだから、明らかに「正しさ」ではなく「現在の方針にこだわること」=「貞固」の意味であるはずだが、これまでの解釈はほとんど「正しさ」としていた。「易」という書物が道義を何よりも重んじていることを考えれば、「正しさに利あらず」という解釈はありえないはずだ。学者というものが、いかに過去の解釈に洗脳されていたかを、このことは示している。
物事の始まりと根本に注意するというのは人間社会を生きる上で、もっとも大事な知恵であり、それを易の最初に置いたのもうなずける話である。この知恵を体得するだけでも、生きる上で大いに役立つはずだ。

各爻の意味は次の通り。*の注釈も参考にすると良い。この乾為天の爻卦は、地位についての教訓として読める。上卦と下卦に分けるなら上卦は支配的立場、下卦は臣下の立場と言える。そして、上卦の真ん中の5爻が君主の座であり、その上の6爻は引退した君主や院の座である。4爻は君主の側近の座。下卦の真ん中は、臣下の中心的存在で、言わば現場を実質的に引っ張る存在であり、その上の3爻は現場の名目的リーダーや責任者の立場である。一番下の初爻は、まったくの平社員的存在と見ればよい。各爻がそうした地位を表すことを知っていれば、占って得た爻卦と自分の現在の地位とをくらべて判断することもできる。もちろん、地位などとは無縁の立場の人は、爻の表す地位については考慮しなくてもよい。

初爻:まだ機会が熟していない。雌伏せよ。
2爻:まだ様子見をする段階である。見識のある人間に相談するのがよい。
3爻:危い地位である。慎重にふるまえば危険は免れる。
4爻:躍進(昇進)の機会を得るが、まだ万全ではない。咎めを受けないようにせよ。
5爻:最高の地位につくことがあっても、謙虚に識者の智恵を借りよ。
6爻:上り詰めるとかえって後悔することがある。物事はほどほどにとどめよ。
* この「乾為天」の卦を得た場合の基本方針は、「能ある鷹は爪を隠す」で、控え目にするのが吉である。
* 「乾」つまり天は物事の始原であり、雲が行き、雨を降らせる。それによって地上の物の形も定まる。つまり、組織の中心となる人物や存在である。彼は行動すべき事柄の始め終わりを定め、組織を作る。天の変化によって組織の各部は形を適切に変え、全体の和を保つ。これが「利貞」の意味である。こうした人物が組織のリーダーとなるならば、世界は感動し、安らぐだろう。まだ下位にある人物がこの卦を得たら、将来は自分が組織の長になるくらいの気概を持ちながら、研鑚努力し自己を高め、機会を待つのが良い。
* 「元」は始まり、仁、至善なるもの。「享」は受容、流動、変化、通じること、あるいは生育、通達、礼、良きことが集まること。「利」は正しさを集めることによって自他の利益となること。「貞」は事の根幹、基本方針やモラルを堅く守ること。この「仁・義・礼」を基本方針とし、堅く守る人物を君子という。

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易経 5

5 序言の終わりに

 この文章の中では易経の引用をいろいろすることになるが、易経の中の漢字は当用漢字や常用漢字の中には無い字が多いので、今後、漢字については適当に変えることもあるのをよろしくご理解頂きたい。気になる所がある場合は、岩波文庫やその他の文庫の「易教」の中に、本来の卦の文言はあるので、それを自分で調べればいい。
 私の解釈自体、勝手なものではあるのだが、まあ、それでも一応は易教の本文に基づいてはいるのだから、テレビ番組の星占いなどよりはずっとましではあるはずだ。同じ星座に生まれた人間のすべてが同じ日に同じ運命になるということを信じている方がおかしいのだが、星占いという奴は結構人気がある。それは、自分の運命が星座と結びついているという壮大なロマンに人々が酔うからだろう。これを考え出した人は、天才的な商売人ではある。しかし、生まれた年月日だけで一生の運命が決まるというのはどうだろうか。まあ、確かに少女漫画の「24年組」のように、天才が揃って生まれる年はあるようだが、24年に生まれた凡人もまた無数にいたわけだから、あまり当てにはならない。

 易教の成り立ちなどについて知りたい人は本物の「易教」の解説などを読めばよい。私としては、はるかな昔に、八つの象徴の組み合わせで運命を占おうと誰かが考え、そしてその判断の中に人生の哲理を織り込んだ、それだけで十分だと思う。後は、それぞれの人が、易の言葉に共感するかどうかだけだ。「当たるも八卦、当たらぬも八卦」である。
 易の難点は、これがもともとはおそらく占う主体として君主を対象としていたらしいことで、占い好きの女の子が好む恋愛の話がほとんど無いことだ。何しろ、お堅い古代の占いだから、自由恋愛などは無縁である。しかし、縁談についての卦は多少はあるし、それに易はすべてが象徴なのだから、お望みなら、出た卦を恋愛についての託宣だとして解釈すればよいのである。
 繰り返すが、自分でできる占いとして、易はかなり面白いものなので、その面白さを多くの人に知ってもらおうという意図でこの文章は書いている。内容については、これも繰り返しになるが、素人の判断だから、学問的には大間違いも沢山あるだろう。しかし、日本語に訳された文章や、昔に解釈された文章の意味さえも不明な書物なのだから、それをある程度理解できるようにするという作業だけでも、なかなか大変ではあるのだ。まあ、それが面白いからやっているのではあるが。



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易経 4

4 易の基本要素の意味

 前に書いた八つの基本要素の性質や意味を書いておこう。

① 天:尊位。上。指導的。男性的。乾いていること。明るいこと。剛直さ。父。西北の方角。(陰陽では、すべてが陽)
② 地:低い地位。下。従属的。女性的。湿っていること。暗いこと。柔らかさ。母。西南の方角。(陰陽では、すべてが陰)
③ 雷:意外な事件。驚愕。芽生え。生命活動。エネルギー。動き。長男。東の方角。(陰陽では、上から陰・陰・陽。これは陰の中に陽が生じたという芽生えの象である。)
④ 風:速度。拡散。ニュース。従順。出入り。長女。東南の方角。(陰陽では上から陽・陽・陰。これは陽が優勢な中に、陰が生じた象である。)
⑤ 山:停止。険難。少男。東北の方角。(陰陽では、上から陽・陰・陰。これは陰が力を伸ばして、陽が消えかかる象である。)
⑥ 沢:喜び。言説。慰安。少女。西の方角。(陰陽では、上から陰・陽・陽。これは陽が伸びて、陰が消えようとしている象。表面はしおらしいが内面は陽気な少女に似る。)
⑦ 火:飾り。背く。付く。文化・文明。外面的。中女。南の方角。(陰陽では、上から陽・陰・陽。これは内の陰を外の陽が包む象である。つまり、表面的な華やかさ。)
⑧ 水:艱難。難渋。陥る。中男。北の方角。(陰陽では、上から陰・陽・陰。これは外面は柔弱そのものだが、内に力を秘めている、油断のならない象である。)

 見てのとおり、「山」と「水」には悪い意味がある。他の要素との関係で個々の卦の意味は決まるが、概して「山」や「水」を含む卦にはあまり期待できない。これに理屈をつけるなら、次のようなものだ。ただし、これはあくまで我流の解釈である。

 「山」とは、「高さ」なのだが、天や風や雷ほどには高くはない。山より低い地位にあるのが「地」なのだが、地は自らを低いものとする謙譲の徳と、自分の上にあるものを支えようという援助の徳、どこまでも広がる大きさがあるのに対して、「山」は、本来は地の一部、つまり低位グループに属しながら、自らを高しとする「夜郎自大」的な高さなのである。だから、「山」の卦は良くないのである。そもそも山の高さには限界があるではないか。しかも、山に登ることには、常に落下と遭難の危険性があるのである。山とは、易教の思想からすれば、旅人にとっての障害(前に山があれば、そこで止まるので、山の主意は「停止」である。これは、山自身が動けないという意味もある。)であり、己を高しとする傲慢さであり、分不相応な高い地位なのである。
 現代人の感覚では、「水」は生命に不可欠のものだから、良いものと思うところだが、水の意味するのは「川、雲、氷」などいろいろあり、特に雲は「天を覆い隠す」という意味では邪悪な存在であり、旅人の前に流れる大河は、障害そのものである。もちろん、川で溺れるという不幸もある。また、水には低い位置に落ちていくという性質があり、これも小人の特質である。「低きに就く」わけだ。「天」の持つ、上昇しようという陽性の意志に対して、下降の傾向と、熱気を冷ますという性質があるのだから、「水」の卦は、あまり良くないのである。

 その他の卦の特質も、少し説明しよう。
 「火」にはプラスとマイナスの両面がある。火は明るさであり、「文明」を意味する。文明あるいは文化とは人間が自らの生活を楽しむために作り出した様々な装飾だと言える。しかし、装飾も行き過ぎれば虚飾となり、真実を覆い隠すものとなる。また、火は物を焼き、破壊するという一面もある。そこで、離反の意味も出てくる。さらに、火は次から次へ飛び移り、燃え広がるから、「付く」意味もある。つまり、「離れる」「付く」の二つの面がある。
 「沢」は、単独の水とは異なり、「制御可能な水」である。渇いた旅人にとって、水のある沢は救いであり、慰安である。そこで、沢には「喜び」の意味がある。慰安を与えるものとして、「沢(兌)」には若い女性の意味がある。
 「風」もまた火に似て善悪両義的である。暑熱の時の救いとなるそよ風と、人間に災厄をもたらす大風の二面性が風にはある。風ほど絶えず方向を変え、どんなわずかな隙間からでも入り込むようなものはない。そこで、風は変化や出入の卦である。「風化」や「冷却」なども風の属性である。
 「雷」は人を驚かすわりには実害は少ない。大きな音をたてるところから、驚愕的な出来事の卦となる。また、人間から見れば不可知のエネルギーで、火の一種であるから、生命活動を意味する。(生命の特徴が「体温」という隠れた熱にあることを考えればよい。)
 「天」と「地」の象徴するものは、前のリストを見れば十分だろう。基本的に「天」は指導者、リーダー、君主の徳を持ち、「地」は臣下の徳を持つ。

*「天」は別名「乾」、「地」は別名「坤」と言い、ここから「乾坤一擲」という成語ができている。他の卦にもそれぞれ別称があり、「雷=辰」、「風=巽」、「山=艮」、「沢=兌」、「火=離」、「水=坎」である。これらの卦が上卦、下卦のいずれかにある組み合わせ方によって、たとえば「山地剥」とか「山水蒙」のような卦が作られるのである。

 これらの卦を形成する基本要素が「陽」と「陰」の二要素である。「陽」と「陰」の組み合わせで上記の「天・地・雷・風・山・沢・火・水」が出来るわけだ。「陽」は陽気であり、向日的で明るく、積極的なもの。「陰」は陰気で暗く落ち着いたものである。だからといって、陽気が常に良くて陰気が常に悪いわけでもない。休息の時である夜は、まさに陰の気が支配する時であり、この時に陽気なのは自然に背くことだろう。

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易経 3

3 易の構造

 易は「天・地・雷・風・山・沢・火・水」の八つの要素の組み合わせで現今の問題について占うものである。ところが、その判断がなかなか凡人の予想を裏切るもので、たとえば上卦が「天」で下卦が「地」なら、これは物事があるべき所にあるめでたい卦だと我々は思うところだ。しかし、この卦は「天地否」と言って、良くない卦なのである。なぜなら、天の性質は上昇していくこと、地の性質は下降していくことであるので、天が上にあって地が下にあれば、天と地がどんどん背き離れることになる。そういう不和や別離が「天地否」の意味なのである。もちろん、「天地否」の卦の言葉(卦辞と言うことにする)はそういう悪い内容ばかりではないし、また「天地否」という全体的な卦の中で、また細分化された卦(爻辞と言う)によって、吉凶はまた変わってくるので、即断はできない。

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易経 2

2 易を立てる方法

 本格的な易占には筮竹と算木を使うが、簡単な易占いの方法として、コインを使う方法がある。コインの模様部分(10円玉なら平等院鳳凰堂か何かの宮殿の図。百円玉なら花模様の面。)を陽とし、「10(または100)」という数字の書かれた部分を陰とする。10円玉を5枚に100円玉を1枚の6枚を手の中で振って、一つずつ落としていく。その際に、自分が占う事柄についての託宣を願う旨の言葉を心の中で念じればいいだろう。そして、一つずつ落としたコインを下から上に並べていくのである。この並べた陰陽の一つ一つを爻と言い、下から初爻、二爻、三爻、四爻、五爻、六爻と呼ぶ。下から数えるのは、易は逆数であるという思想によるそうだが、そういう原理はどうでもいいだろう。その出た面が下から上に「表・表・表・裏・裏・裏」の順序ならば、上卦は全陰の「地」、下卦は全陽の「天」で、これは「地天泰」というめでたい卦になる。そして、たとえば100円玉が下から5枚目であれば、「地天泰の5爻」ということになる。つまり、全体的運勢(基本的運勢)は地天泰だが、その中でも特に5爻の部分が主卦ということになる。
 そうすると、場合によっては全体運(基本運)はいいが、主卦は悪いとかいうことも起こるわけである。そういう場合、どちらの卦を見ればいいのか。さる本によれば、主卦を重視すべきだとのことだ。私の考えでは、現在の問題には複合的な面があると考え、両者に矛盾があれば、頭を使ってそこに合理的な解釈を出せばいいと思う。言い換えれば、二つの卦のうち、当面の問題に合う卦で判断すればよい。両者の矛盾のために迷う場合は、教訓性の強い全体の卦より、占いらしさの強い爻卦を見れば良いだろう。
 同じくコインを使う方法で、三枚のコインを同時に投げて、その表裏の割合で爻を一つずつ出すという、やや手のこんだ方法もあるが、前の方法で十分だろう。どのような方法であれ、真剣な気持ちで念じて占えば、「天のお告げ」は与えられるはずだ。(と信じればいいのである。)
 ただし、同じ問題について最初の卦が気に入らないからというのでもう一度占うというのは良くないらしい。「初筮には告ぐ。再筮すれば汚る。汚るれば告げず」という言葉が易の卦の一つ、「蒙」の卦の言葉の中にある。

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易経 1

現代人のための「易教」簡単ガイド

1 はじめに~「易経」の人生知 

 我々が人生の途上で出会う問題について、頭のいい人間は問題を熟考することで見事な解決を見出すのだろうが、我々のように頭の悪い人間はどうすればいいのだろうか。

もっとも、頭がいいはずの官僚や政治家や大企業経営者があれほど失敗ばかりやっているところを見ると、頭の良し悪しは現実問題を解決する上で、それほど大きな条件にはならないのかもしれないが。(さらに邪推すれば、彼らの「失敗」は国民や顧客に損害を与えるという点では失敗だが、その陰で自分たちは利益を得ている「大成功」なのかもしれない。)
 ともあれ、凡人である我々は目の前の些細な問題でも自信を持って答えを出すことはできないことが多いものだ。そこで、こうした場合に我々が取る手段が「占い」である。星占い、四柱推命、タロット占い、etc。金を出して他人に占って貰うだけの余裕が無ければ、自分でトランプ占いなどをするという手もある。しかし、それよりも面白いのが、「易占い」である。

 「易経」という本自体は文庫本でも売っているから、千円もかからないで入手できる。ただし、問題は、易経の言葉は非常に謎めいているから、「専門家」でないと理解が難しいことだ。もっとも、その「専門家」が本当に理解できているかどうか、怪しいものだが。
 たとえば、最初にある「乾為天」はこのようなものだ。書き下し文も含めて書こう。

乾、元享利貞。(乾は元いに亨りて貞しきに利ろし。)
初九。潜龍。勿用。(初九。潜龍なり。用うるなかれ。)
九ニ。見龍在田。利見大人。(九ニ。見龍田に在り。大人を見るに利ろし。)
九三。君子終日乾乾、夕惕若。厲无咎。(九三。君子終日乾乾し、夕べには惕若たり。厲うけれども咎なし。)
九四。或躍在淵。无咎。(九四。或いは躍りて淵に在り。咎なし。)
九五。飛龍在天。利見大人。(九五。飛龍天に在り。大人を見るに利ろし。)
上九。亢龍有悔。(上九。亢龍悔い有り。)
用九。見羣龍无首。吉。(用九。羣龍首なきを見る。吉。)

 おわかりになっただろうか? 書き下し文(おそらく訳文や解説も)を読んでも意味がわからん、という人が世間の九割九分だろう。私だって、そのままでは分からない。
 そこで、私がお勧めするのは、我流で易経の解釈をするということである。
「下手の考え休むに似たり」で、どうせ当面の問題に対して、考えても答えが出ないのだから、易占いをして、出た卦に自分で判断を下そうという、一種の遊びだ。人生の重大事になるほど、判断は難しくなるもので、そういう場合に易に頼るのも、悪くはない。もしかしたら、〈宇宙の神秘的な力〉が、あなたの問題にいい答えを出してくれるかもしれないという期待も持てるし。この〈宇宙の神秘的な力〉を信じること自体が遊びである。森鷗外は日常茶飯事を遊びの態度で楽しむことをモットーとしていたらしいが、遊びの姿勢は人生を生きやすくする秘訣である。重大な問題ほど軽く決断しろ、という名言もあるくらいで、なぜかというと、重大な問題になればなるほど、人は無数の要素や可能性を考えて、決断不能になるからである。そういう場合は直感に従うのが一番いいし、その直感が生じないならば占いに頼るのも悪いことではない。どうせ判断不可能な状態なのだから、それで決断すれば、少なくとも先に進むことはできる。それが大事なところだ。

現代人の悪いところは、データさえ大量に集めれば、それで正しい決断ができると思い込んでいるところである。データを有効にするのは、実は直感的な判断力であり、易はそのヒントとして、大いに利用できるのである。
 易を用いることのいい所は、易経という書物は占いの書であると同時に、人生哲学の書でもあるという点だ。孔子も「五十にして、もって易を習えば、大過無かるべし」と言っているくらいで、易の言葉には優れた人生知が多々含まれている。それを読むだけでも、処世についての何かの指針は得られるのである。つまり、易の理念が判断や決断に常に伴うことで、その判断は太古の賢人をアドバイザーとしたような、安全性の高いものになるわけだ。
もちろん、たとえば孔子を企業アドバイザーとして雇うかどうかと言えば、二の足を踏む人も多いだろう。なにしろ、勝つことが使命である企業戦争に道義的判断をされてはたまったものではないのだから。しかし、一般人の人生にとって、太古の賢人の人生知は大いに役立つと言える。
 たとえば、易経の中で私の一番好きな言葉は「霜を踏みて堅氷至る。」という言葉である。これは、柔らかな霜が人に踏まれているうちに、堅い氷となるということで、些細な事の積み重ねが大きな結果につながっていくという趣旨だ。要するに、「塵も積もれば山となる。」のことだが、「塵」という汚い言葉を使った俚諺よりも、ずっときれいな表現ではないか。有名な「積善の家には余慶あり。」など、易経の中には名言も多いのである。
 
 易経の基本姿勢は「謙虚さを重んじる」ということであり、またその基本思想は、物事は変化するものだということである。だから、現在幸運な状態であっても、やがて来る衰運への備えが必要だし、現在不運であっても、やがて事態が好転するのだから、絶望することはないのである。「易」という文字自体が変化を意味する字であり、「易経」の英語タイトルは、「The Book of Change」である。また、謙虚さが処世上、どれほど大事かは、世の中に生きた時間が長くなるほど痛感することだ。
 では、どのような変化がこれから来るのか。これを教えるのが易経の文言である。すなわち、易経はやはり占いの書でもあるのだ。つまり、哲学的占いとでも言えばいいだろう。
 
 以下に書くのは、易についての説明と、現代風にアレンジした、易教の各卦についての私の解釈だ。私は漢学者でも何でもないから、私の解釈には何の権威もないが、これまでの易の解釈の本ではあまりにも意味不明の文が多いので、易占いを身近なものにするために、普通の人間でも理解できる文章にすることを心がけた。それでも、現代の人間には、大昔の学者には無い利点があり、それはたとえば、漢和辞典が簡単に利用できるということなどだ。また、学者であれば漢文読解の常識に縛られて意味不明の無理な読み方をしてしまうところも、素人なら、合理性を重視して大胆に解釈できるという利点もある。たとえば、易の卦の文章はほとんどの場合、2字ずつに分けて読むが、場合によってはそれに従わないほうが筋の通った文になることもある。もともと、漢文に句読点は無いのだから、文の区切りは読む側が判断すればいいのである。

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HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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