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「巽、兌、渙、節」の占断

57:巽(巽為風)【○○× ○○×】「入る、謙遜」*「巽」は「そん」と読む。

巽(の卦)は少し通る。積極的に何かを企ててよい。信頼できる人に相談するとよい。

*私は「行く所あるに利あり(よろし)」を「積極的に何かを企ててよい」と解釈したが、文字どおり、どこかに行くと利がある、と解してももちろんいい。「巽」は上卦も風、下卦も風であり、風はどこへでも行き、どこへでも入り込む。そのように気軽に行動して良い時なのではないか。ただ、風は根無し草的な存在なので、重厚な企てにはこの卦は向かない。「大人」に従うか、その意見を聞くのがよい。

58:兌(兌為沢)【×○○ ×○○】「悦ぶ、悦ばす」*「兌」は「だ」と読む。

兌(の卦)は通る。貞固であると利がある。

*兌(沢)は喜びの象であるから、悪い卦ではないのはもちろんだが、その喜びは幼い少女が喜ぶようなものだと思っていい。つまり、幼稚さや浮薄さを免れない喜びである。だから、「貞固であるのがよい」と忠告しているのだろう。象伝では「連なる沢があるのは兌(の卦)である。君子以て朋友講習す」とある。まあ、易経は倫理性を重んじるわけだ。占いとしては「(願望は)通る」だけで十分だろう。それで喜びがあれば、いいに決まっている。

59:渙(風水渙)【○○× ×○×】「離散、離散(したもの)を合わす」*「渙」は「かん」と読む。

渙(の卦)は通る。大きな企てに利がある。貞固であると利がある。

*渙は、上卦が風(巽)、下卦が水(坎)で、まさに水が風に吹き散る感じである。「渙」という漢字もまさにそのイメージで、私の好きな漢字だ。卦辞の中に「王有廟に仮(いた)る」という、解釈の難しい言葉があるが、無理に解釈しない。廟は祖霊を祭った建築で、まあ、墓の一種とも言えるか。埋葬用の墓ではなく、儀式専用の斎場と言うべきか。それがなぜこの卦の託宣として出てくるのか。彖伝でも象伝でも「王有廟に仮る」の言葉は繰り返されている。まあ、祖霊を重視するのは儒教の伝統だが、現代人にはピンと来ないだろうから、無視する。

60:節(水沢節)【×○× ×○○】「止まる、節約」

節(の卦)は通る。だが、節度にこだわって、頑固すぎてはいけない。

*「苦節貞にすべからず」という卦辞が珍しい。易経ではほとんど「貞」を推奨しているのだが、「節」という、まさに「貞節」そのものと関係する卦では、その「貞」は、この場合はよくない、と言っているわけで、まあ、節度というのは、行き過ぎると人々をうんざりさせるものだ。よく批判される校則の類である。学校側はそれを節度だと思っているが、生徒たちはそれを、自分たちの「拘束具(校則だけにww)」だと感じるわけである。彖伝で「苦節貞にすべからざるは、その道(節の道が)窮まればなり」というのはそういうことだろう。一般論として、同じく彖伝に「節するに制度をもってすれば、財を傷(やぶ)らず、民を損なわず」とある。まあ、健康保険制度のようなもので、民が自由に使っていたカネの一部を召し上げて、保険制度を作れば、民は財産(収入)の無駄遣いをせず、自分自身(の健康や生命)を損なわない。







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「漸、帰妹、豊、旅」の占断

53:漸(風山漸)【○○× ○××】「すすむ」

漸(の卦)は女性が嫁ぐのに吉である。貞固であると利がある。

*「漸」は数学の「漸近線」で分かるように、「物事が次第に進んでいく」意味である。卦辞は恋愛や結婚以外には縁の無さそうな内容で、「貞に利あり」が、貞潔であれば利益がある、という意味なら、結婚生活で貞潔であるのがお互いにいいのは当然だし、「利がある」だと打算で貞潔を守るようで感じが良くない。性的な貞潔さだけでなく、浮薄な妄想や一時の感情で行動するな、という忠告だと解するのがいいかと思う。「利」を「利(よろ)し」と読む読み方は、わざわざ「利」という字を使った意味がないので私は採用しない。彖伝には「進むに正を以てす。以て邦を正すべきなり」とあり、必ずしも結婚のことだけではなく、「貞固に正しい方針を守り、ゆっくり進むのはすべてにおいて妥当な道だ」という趣旨の卦だろう。象伝には「君子以て賢徳に居り、俗を正す」とある。

54:帰妹(雷沢帰妹)【××○ ×○○】「結婚」

帰妹(の卦)は、このまま進むと凶。利であるところが無い。

*「帰」の漢字には「嫁ぐ」意味があるらしい。妹(未熟な女性)が、誤った結婚をしようとしている象か。「沢」の卦は若い女性を意味する。結婚に限らず、軽挙妄動して動くことを戒めた卦であるようだ。

55:豊(雷火豊)【××○ ○×○】「盛大の時」

豊(の卦)は通る。心配は要らない。

*雷(エネルギーを示す卦)の下に離(太陽の卦)が輝く、あるいは稲妻を火の一種と見れば、雷と電(稲妻)が同時に起こる象で、まさに活発そのもので、盛大の極みである。だが、栄えるものは必ず衰えるのが自然の理であるので、日中はいいが、これから夕暮れになり、夜に向かうことを考えておくのがよい。彖伝に「日は中天すれば傾き、月は満つれば欠けていく。天下の盈虚は時と共に変わる。人間ならなおさらだ」とある。「盈」は「満」と同じ。象伝には「為政者は、(強大な力のあるこのチャンスに)訴訟をさばき、刑罰を行うといい。」とある。組織論的に言えば、事業が上手く行っている時にこそ組織内の根本的欠陥を直すべきだ、ということか。


56:旅(火山旅)【○×○ ○××】「旅に出る時」

旅(の卦)は、小さな願望は通る。常識的な「旅の備え」をすれば吉である。

*旅というのは象徴的な言葉だから、必ずしも旅行の話だけに限定しなくていい。「旅貞吉」という三字は、(旅のような)「非常の時」にこそ、平常心を維持するのが良い、ということだろう。この卦の象は、山の上に火があるのを山焼きと見て、その火が一刻も止まらない有様を旅に見立てたものらしい。山自体は停止の卦であり、火は常に「付いては離れる」ものだから、動かないものと動くものが共存するわけである。基本は停止だから、物事は動いても、大きな動きにはならない。だから、願望は小さなものだけ通るということだろう。まあ、旅に出るのも、一時の慰安であり、大きな願望の話ではない。そして、旅には不測の事態がつきものだから、「旅の備え」をしての旅と、無計画な旅では、苦労も違うことになる。日常の問題に関してこの卦が出たら、「明らかに慎んで」つまり、離(明察)と艮(停止・慎重)の二つの姿勢を持つべきだ、というのが象伝から推測できる。




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「革、鼎、震、艮」の占断

49:革(沢火革)【×○○ ○×○】「変革、革命」

革(の卦)は、誠(公明正大な意図)からの改革や革命であれば、大いに通り、貞固な状態となり、利がある。不祥事があってもその後悔もいずれ無くなる。

*「元亨利貞」の「元」をここでは「大いに」と読んだが、「基本的に」と解釈してもいい。つまり、改革や革命の意図が100%達成されなくても、基本的には達成される、ということだ。卦辞の中に「己日」という意味不明の言葉があるが、無駄な解釈はしない。先達諸氏も無理やりな解釈をしているだけである。昔は「己、巳、已」の3字に区別は無かったという説に従うなら「己日乃孚」は、「已日乃孚」の誤記というか、解釈ミスで、「(改革・革命の)已(や)みぬる日、孚(まこと)あらば」と読むのがいいのではないか。まあ、前言に相違して無駄な解釈をしてしまった。

50:鼎(火風鼎)【○×○ ○○×】「かなえ、賢者を養う」*「鼎」の字は「てい」と読む。

鼎(の卦は)基本的に通る。

*まったく素っ気ない卦辞だが、占う者が占う意図というか、知りたいことは、自分の願望が通るか通らないかだけだから、これでいいわけだ。もちろん「元亨」を「元(おお)いに亨(とお)る」と読んでもいい。そのほうが気分はいいだろうwww 「鼎」は言うまでもなく、「かなえ」である。「鼎の軽重を問う」の鼎だ。煮炊きする道具らしいが、神事に用いたようだ。上卦が火で、下卦が風(木)なので、火の中に薪を入れて煮炊きすることから、煮炊きに使う鼎が卦の象徴になったわけである。また、上卦が離で文明を表し、下卦が巽で、賢者に従順に従う意味にもなる。巽は「尊」と同音である。つまり、文明なる者(賢者)を尊重するさまだ。仲間のうちの賢い者を尊重し、従うとよい、という趣旨とも取れる。

51:震(震為雷)【××○ ××○】「地震、雷、戒懼の時」

震(の卦)は通る。雷が鳴った時のように最初は驚くが、後ではそれが笑い話になる。つまり、大山鳴動して鼠一匹にすぎない。ただし、恐れて身を慎むことは大事であり、勇敢ぶって軽率にふるまうべきではない。

*上卦も雷、下卦も雷である。雷は、音が物凄いのに比して、実際の被害は少ないが、被害が無いわけではない。雷に打たれないのは幸運な偶然でしかないのである。そのように、強大な存在に対して恐れ慎むのは社会生活の基本だろう。必要も無いのにヤクザや警官に喧嘩を売るのは馬鹿である。何しろ、相手はドスやピストルを持っている。

52:艮(艮為山)【○×× ○××】「止まる」*「艮」の字は「ごん」と読む。

艮(の卦)は止まる意味で、艱難を前にとどまるのだから咎はない。つまり、その先に険阻な山(艱難)があり、今は止まるべき時である。

*山また山の険難続きだが、登山家はわざわざその山に登るのだから、好運不運は考え方次第である。一般人なら、何も苦労して険難な山に登る必要はない。高い地位に上るのも同じようなものである。その苦労を知らない人が、その権力や豪華な服や美女の恋人を見て羨望する。あれは、高い山に登った、その苦労の代償なのである。もっとも、ヘリコプターで山頂に上る二世三世もいるwww 彖伝に言う、「艮は止なり。時止まれば止まり、時行けば行く。動静その時を失わざれば、その道光明なり」と。







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「萃、升、困、井」の占断

45:萃(沢地萃)【×○○ ×××】「集まる」*「萃」は「すい」と読む。

萃(の卦)は通る。貞固であると利がある。問題事は信頼できる人に相談するといい。大事を決行するのもいい。

*卦辞に意味不明の言葉がいくつかあるが、何やら偉い人が何かを祭って犠牲を捧げる、みたいな話で、庶民には無関係だろう。「萃」は集まる意味で、大地の上の沢は、水が集まって沢になるわけだから、上卦沢、下卦地で沢地萃となる。物や人が集まると、当然そこには利が生まれる。と同時に、不測の事態や揉め事も起こりやすくなる。そこで象伝には「君子以除戎器 戒不虞」とある。「虞」は「虞犯」の虞で、「恐れ」、つまり、「可能性」の意味だ。「虞犯少年」は犯罪の恐れのある少年の意味。「不虞」は、「恐れを持たないこと」「事故や事件の可能性を考えない迂闊さ」の意味。「戎器」は武器だが、「除する」は「除く」ではなく、「掃除する」意味のようだ。つまり、武器の手入れ(もちろん、比喩だ)をして突発事態に備えよ、ということらしい。

46:升(地風升)【××× ○○×】「上昇」*「升」は「しょう」と読む。

升(の卦)は基本的には通る。(地位などの上昇の結果)偉い人に会う可能性があるが、心配は不要。南に行けば吉。(「南征」を本田氏は「前進する」「上昇する」意味だとしている。)

*「升」の字は人名で「のぼる」と読むから、これが「上る」意味なのはすぐに想像できる。正岡子規の本名が「升」である。この卦は「志は行われ、慶(よろこ)びがある」という大吉の卦である。象伝が面白い。「地中生木升 君子以順徳 積小以高大」、つまり、地中に木が生えて高く上っていく(成長していく)ように、君子は従順の徳により、小を積んで高大となる」。本田氏は「徳を順(つつし)み」と読んでいるが、変な読み方だと思う。徳は慎むものではない。慎むようなものは徳ではない。「徳に順(したが)い」ならまだいいが、やはり「順徳」で一語とすべきだろう。なお、巽(風)の卦は木の象徴でもあるので、地の下に風があるのではなく、地の下に木があるという解釈になる。


47:困(沢水困)【×○○ ×○×】「苦しむ」

困(の卦)は通る。問題が起こっても、大人(たいじん、度量や見識のある者)は、咎はない。だが、占う者(占断の該当者)の言葉は他人に信じられないだろう。

*易経の原文だと卦辞の途中に唐突に「貞」の字があるが、貞がどうなのか意味不明である。貞であれと言っているのか、貞であるとマズイと言っているのか。本田氏は例によって「貞(ただ)し」と読んでいて、この場合はその方がいいのかもしれない。つまり、「占いの該当者の考え自体は正しい」ということか。しかし、「困」の字は言うまでもなく困難や困苦を示す字だ。悪卦である。自分が大人(たいじん)かどうかは、自分では分からないだろう。彖伝では「口を尚(たっと)べば乃(すなわ)ち窮するなり」とある。自分の言葉が他人に信じられないというのは、確かに最悪の困難だろう。弁舌や言い訳ではどうにもならない窮地である。
象伝には、「占う者が君子なら、こういう場合は使命を遂げることを最優先する」とあり、それは非常に素晴らしい行動だが、小人(つまらない人間)には不可能であり、大人にしかできない。大人は、使命を果たすことで、その言葉もやっと信じられ、咎も受けない、ということかと思う。つまり、大義名分があっての行動のみ吉であり、私利私欲による行動は、必ず咎を受ける、そういう卦だと思われる。つまり、「困は亨(とお)る」とは、「大人として行動すれば」願望は通る、という、限定条件付きの占断だということだ。

48:井(水風井)【×○× ○○×】「井戸、賢人を養う」*「井」は「せい」と読む。

井(の卦)は、何かの事業をしても肝心な部分が抜け落ちていて、失うものも得るものもない結果になる。無駄骨折りという意味ではマイナスである。たとえば井戸に釣瓶を下すこと自体、その釣瓶が壁石に当たって壊れることもある。日常茶飯事もそういう危険は常にある。要するに、この卦は凶である。


*卦辞が分かりにくいので解釈が長くなった。本田氏の「賢人を養う」は、彖伝の「井は養って窮まらざるなり」を敷衍した解釈だろうが、特に「賢人を」養うという趣旨の言葉は無さそうである。井戸自体は庶民生活の根幹のような存在なので、賢人だけを養うものではない。
















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「損、益、夬、姤」の占断

41:損(山沢損)【○×× ×○○】「へらす」

損(の卦)は、誠実さがあれば基本的に吉で問題が起こっても咎はない。貞固な姿勢を持ちつつ、積極的に何かを実行すると利がある。

*卦辞の中に意味不明の部分があるが、無理に訳さない。彖伝では「損は下を減らし、上を増す」とあって、お上が増税するイメージである。もちろん、それは「誠の心」によって下を減らし、上を増すのであって、上が私腹を肥やす意味であってはならない。上卦は山で険難、下卦は沢で喜び、つまり上の者が全体の福利のために険難を覚悟で下を減らし、その結果は下の者にとっても喜びとなる象だとするのは屁理屈だろうか。象伝に「君子もって怒りを懲らし欲を塞ぐ」とあり、無知無道徳な者から何かを取り上げることで、その者を善に導くのも「下を減らす」である。

42:益(風雷益)【○○× ××○】「ふやす」

益(の卦)は積極的に出ることに利がある。大きな企てに利がある。

*彖伝では「益は上を減らし、下を増す」とある。当然、下の者(民衆など)は大いに喜ぶ。上卦の風は動きを表し、下卦の雷はエネルギーを表す。下の者が大いに喜び、活動するから大きな企てに利がある。会社が社員に厚く報いれば、社員は喜んで働くわけである。そういう会社なら大きな事業もできる。

43:夬(沢天夬)【×○○ ○○○】「おしきる、決断」*「夬」は「かい」と読む。

大事を実行すれば、当然危険もある。味方を固めてから実行すべきだが、強引なやり方は不利である。援軍(援助者)を探すのがよい。

*「夬」は「決戦」「決断」の決の意味に近い。決断の時だが、熟慮と根回しが必要だ、というアドバイスである。象伝に「君子もって禄を施して下に及ぼす。徳に居るは忌む」という言葉があって、この「居徳則忌」の解釈が難しい。「徳=得」というのは、「早起きは三文の徳」ということわざでおなじみだが、もちろん、道徳性の意味もあり、君子がなぜ「徳に居るは忌む」なのか。主語が「君子」の方ではなく、「禄を与えられた者」で、その禄に安住すると、君子(これは主君の意味)はそれを忌む、という意味か。

44:姤(天風姤)【○○○ ○○×】「遇う」*「姤」は「こう」と読む。

姤(の卦)は女が積極的すぎる。そういう女を娶ってはならない。

*まあ、いかにも封建時代の女性論で、結婚問題にしか使えないような卦だが、姤(遇う意味)自体は、天地の万物は遇うことによって発展する、という趣旨の言葉が彖伝にある。何か出会いがある、という卦と見ればいいのではないか。ただし、出会う相手の性質に問題がありそうだ。天の下を風が吹き廻る象なので、宣伝広報関係の仕事にはいい卦かもしれない。あるいは、女性が仕事で活躍できる象と見てもいいのではないか。現代の女性なら、積極的なほうが仕事に向いているだろう。女性にとっては、遊びとしてなら多くの男性に遭遇する(6つの爻は、1陰が5陽に遭っている)、いい卦とすら言える。まあ、その結果どうなるかは知らないwww







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「家人、睽、蹇、解」の占断

37:家人(風火家人)【○○× ○×○】「家庭の道徳」

家人(の卦)は女性が貞潔である(きちんとしている)と利がある。

*この卦辞では女性のことしか言われていないので、象伝で補うなら「君子は言葉は事実に基づき、行いは恒心に基づいて行う」ということで、男女を問わない。そして、彖伝では「父は父らしく、子は子らしく、兄は兄らしく、弟は弟らしく、夫は夫らしく、妻は妻らしくして初めて家は正しく治まり、家が正しく治まって天下は定まる」とある。まあ、封建道徳だが、個人が自分勝手な主張だけをするようになれば、家どころかどんな組織も存続できないだろうし、誰も責任を取らなくなるだろう。上には上の苦労があるわけだ。封建道徳というのは、馬鹿にはできないと思う。もちろん、行き過ぎればすべて大きな欠点となる。被支配層が批判精神を失えば心まで奴隷化する。


38:睽(火沢睽)【○×○ ×○○】「そむきあう時」*「睽」は「けい」と読む。

睽(の卦)は小事には吉である。

*簡単な卦辞だが、つまり、大きな事に手を出すな、ということで、前項の「家人」の秩序が崩れると、家の中が背きあう状態になるわけだ。当然、そういう状態では大事はできない。これは大きな組織も同じだろう。下の沢卦は子供が喜んでいるような状態、上の火卦は責任者が「表面を飾るだけ」というイメージか。ただ、彖伝では「天地は背きあっても、大きく見れば天地という構造の一部であり、男女は性質が背きあっていても、一緒になりたいという志は同じ、万物は区別があっても、同じ宇宙内の一部である」という趣旨の言葉があり、「背くこと」を全否定するべきではない、としている。象伝にも「君子は、君子という中身は同じでも、その見かけや言動は異なっている」(意訳)とある。大きく言うなら、革命的な「背き」があってこそ社会は大きく発展する、とも言える。弁証法的に見れば、「正」に対する「反」があって、その解決である「合」で進歩するわけである。


39:蹇(水山蹇)【×○× ○××】「足なえ、進みにくい時」*「蹇」は「けん」と読む。

蹇(の卦)は優れた人や年配者に相談すると利がある。貞固であるのがよい。

*蹇はいざり、足なえの意味で、上卦は水、下卦は山という、どちらも険難を表す卦である。雨の中で登山(山越え)するイメージか。卦辞の中に「西南に利あり、東北に利あらず」という意味不明の言葉があるが、古人の解釈も屁理屈ばかりという感じなので、無視するか自分で勝手に解釈すればいい。ストレートに、西南の方角に行けば、問題解決の手がかりが得られる、と解釈してもいいかと思う。

40:解(雷水解)【××○ ×○×】「困難が解ける」

解(の卦)は西南に利がある。行くところがあれば早く行くのが吉で、解決の手がかりが無ければ、帰ってきても吉である。

*蹇に続いて、方角にこだわった卦辞(西南うんぬん)があるが、「无所往 其来復吉」をどう解釈するかだ。本田済氏は「艱難が解けて何も行動の必要がないときには、それこそ本来の場所に帰ってきて安らぐがよい」としているが、「无所往」は行く所が無い、意味なのだから、存在しない場所から帰ってくるのは変である。「復」を「復(かえ)る」と読んでいるわけだが、解決の道を求めてどこかに行き、そこで解決の手がかりが得られなくても、帰ってきたら、解決の機運が生じており、それは「西南に行ったこと」の間接的結果だ、ということかと思う。まあ、「无所往」を「行くところが無い」ではなく、「行くところに何もない」意味だとする強引な解釈なので、あまり強弁はしない。岩波文庫版だと、占う者が既に西南の地(坤の方位、つまり平坦安全の地)にいるという解釈で、そこからどこかに行ってもいいし、行かなくてもいいという意味だ、とする。こちらが合理的か。





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「遯、大壮、晋、明夷」の占断

33:遯(天山遯)【○○○ ○××】「退避、隠遁」(「遯」は「とん」と読む。)

遯(の卦)は通る。貞固であれば小利がある。

*遯は「遁走」や「隠遁」の遁と同じで、忍術の「火遁、木遁、水遁」の術の「逃げる」意味だ。「通る」のは「退く」ことで願望や目的が通るという、なかなか奇異な卦である。彖伝に「遯は亨(とお)る。遯(しりぞ)いて亨(とお)るなり」とある。象伝「天の下に山あるは遯なり。君子もって小人を遠ざく。悪(にく)まずして厳なり」という分かりやすい言葉もある。小人が力を持っている情勢では闘争の場から我が身を遠ざけることで悪を避けるわけだ。

34:大壮(雷天大壮)【××○ ○○○】「大きなものの隆盛」

大壮(の卦)は貞固であることに利がある。

*見ての通り、陰の爻が下から伸長してくる陽の爻に駆逐されそうな印象だが、卦辞は素っ気ない。亨(とお)るとも何とも書いていない。彖伝「大なるもの壮(さか)んなり」象伝「君子もって礼にあらざれば履(ふ)まず」と、あまり要領を得ない。各爻辞もあまり景気の良くないものばかりで、これは「大なるものが盛んな時だからこそ、その権力の悪用に害されることに気をつけて我が身を処するが良い」という趣旨かと思う。つまり、「大なるもの」とは占う者自身ではなく、その情勢における権力者(組織内の権力者)だと私は解する。陽の爻の伸長とは、陰爻つまり柔弱なものの危機であるわけだ。

35:晋(火地晋)【○×○ ×××】「進む」

晋(の卦)は、進む意味で、偉い人の前に進み出て褒美を貰うようなことがあるだろう。

*卦の言葉が難解で、先達の解説も意味不明であるが、大地の上に太陽が輝いているような象であり、悪い卦ではなさそうだ。象伝「君子もって明徳を明らかにす」、つまり、正しい人間が正しく評価される意味の卦だろう。


36:明夷(地火明夷)【××× ○×○】「傷ついた太陽、韜晦すべき時」

艱難の中でも貞固に身を処することに利がある。

*「火地晋」の反対に、太陽が地の下に隠れた象で、「夷」は「傷痍軍人」の「痍」と同じで傷つく意味があるらしい。つまり、明徳が傷つくということだろう。彖伝には「以て大難を蒙る」という不吉な言葉がある。まあ、小人(陰爻の集団)が世を謳歌している時で、明哲保身の方針が吉か。「遯」と似たような情勢だろう。



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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
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