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易と迷信

「混沌堂主人雑記(旧題)」経由で訪問した先のツィートだが、安岡正篤が易をやっていたとは知らなかった。まあ、「易経」は四書五経のひとつだから、東洋学者なら当然読んではいるだろう。しかし、細木数子は易とは無関係だろう。よく覚えていないが、「天中殺」がどうこうとかいうことをしきりに言っていたような記憶がある。「天中殺」など、「易経」の中には出て来ない概念で、高島易断かその分派が日本で勝手に作ったものではないか。ついでに言えば、日本出来の易には道教的な迷信がかなり混じっている気がする。ある日にはある方角が縁起が悪いとか何とか、あれは易ではないだろう。(ただし、卦辞の中で方角に言及することはあるが、それは何を占ったかによるのであり、特定の日に関係するわけではない。)まあ、平安時代から日本に俗流道教の迷信が流入したのだと思う。例の「方違え」などである。
なお、この前、私は宗教否定論を書いたが、あれは舌足らずな言い方で、「人間には分からないことがこの世界には膨大にある」し、その中にはおそらく人類が永遠に知り得ないこともあるだろう。たとえば「宇宙の果て」や「死後の世界」などだ。そう考えると宗教を頭から否定するのも間違いであり、ただ、それが社会的に悪影響を及ぼす場合には「カルト」として取り締まればいいだけだ。その基準はとても簡単で、信者にカネや奉仕活動(無償労働)を要求する宗教はすべてカルトである。(もちろん、結婚式や葬式などでの労働の代価は当然の報酬だ。)
ちなみに、私は易は「思考の補助線」として有益だと考えている。自分の頭だけからでは出て来ない発想が、思考を展開するのに役に立つからである。つまり、宗教ではなく、思考の道具だ。

(以下引用)の予定だったが、コピー不可の仕様らしいので、前説だけにする。

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