別ブログに載せた記事だが、私の基本思想に関する記事なのでここにも載せておく。
私は体質的に道学者的なので、書くことが説教臭いが、書きたいことを書くのが私にとってのブログの意味なので、ご容赦願いたい。まあ、社会の底辺の人間が「負けることの哲学」を説教しても何の説得力も無いのだが。
なお、タイトルに書いた「経験」は昨日の「谷間の百合」ブログで引用されていた森有正独自の用語の「経験」(引用2参照)ではなく、普通の意味である。森有正流で言えば「体験」か。もっとも、「体験」のすべてが「経験」であるような生き方もあるのかもしれないが、そういう生き方も疲れそうである。「体験」の中に、時折自分自身を新たな存在に変える「経験」が混ざる。人生はそれでいいのではないだろうか。そして、「失敗」こそがそういう「経験」となりうる大きな機会だろう。まあ、失敗するのもチャレンジの結果なのだから、それを誇りにしていいのである。と、面倒なことからはいつも逃げてきた私は思うw 「逃げちゃいけない、逃げちゃいけない」と碇シンジ君のように頑張るのもいいが、頑張った挙句、キチガイになる者も多いのである。時には進み、時には退く。これが大事。
(以下転載)
素晴らしい結論である。ツィートした人は彼を揶揄しているのだろうが、実は24年間の人間的成長がここにはある。
逆に言えば、
負けることも大事。投げ出すことも大事。逃げ出すことも大事、ということだ。
負けることで得られる教訓がある。
投げ出すことで泥沼からの脱出がある。
逃げ出すことで新しい道が開ける。
ただし、投げ出すこと、逃げ出すことが習性になってはいけない、というだけだ。
fromdusktildawnさんがリツイート
(引用2)「谷間の百合」から引用
まったく、日本人は「反省」を知りません。
300万人以上の日本人が死んだ戦争を「経験」として想像できないのです。
天皇陛下がいつもいつも、戦争を忘れないようにと言われることの意味を国民は知ろうとさえしません。
いま、戦前がそっくり目の前に姿を現してきたのに、それに気付く人はそう多くありません。
先の見えない社会の閉塞感から、人は勇ましく意気盛んだった戦前の一時期の空気に酔いたいのかもしれません。
しかし、そこには戦中、戦後に流された膨大な日本人の涙や血の記憶はないのです。
「反省」は「経験」と言い換えてもいいかもしれません。
というのも、森有正が「経験」についてこう書いているからです。
経験というのは、――ある根本的な≪発見≫があって、それに伴って、ものを見る目そのものが変化し、また見たものの意味が全く新しくなり、全体のペルスペクティー(視座)が明晰になってくることなのだ、と思う。
日本人にとって、経験とは汽車の窓から通り過ぎていく景色のようなものです。
私は体質的に道学者的なので、書くことが説教臭いが、書きたいことを書くのが私にとってのブログの意味なので、ご容赦願いたい。まあ、社会の底辺の人間が「負けることの哲学」を説教しても何の説得力も無いのだが。
なお、タイトルに書いた「経験」は昨日の「谷間の百合」ブログで引用されていた森有正独自の用語の「経験」(引用2参照)ではなく、普通の意味である。森有正流で言えば「体験」か。もっとも、「体験」のすべてが「経験」であるような生き方もあるのかもしれないが、そういう生き方も疲れそうである。「体験」の中に、時折自分自身を新たな存在に変える「経験」が混ざる。人生はそれでいいのではないだろうか。そして、「失敗」こそがそういう「経験」となりうる大きな機会だろう。まあ、失敗するのもチャレンジの結果なのだから、それを誇りにしていいのである。と、面倒なことからはいつも逃げてきた私は思うw 「逃げちゃいけない、逃げちゃいけない」と碇シンジ君のように頑張るのもいいが、頑張った挙句、キチガイになる者も多いのである。時には進み、時には退く。これが大事。
(以下転載)
素晴らしい結論である。ツィートした人は彼を揶揄しているのだろうが、実は24年間の人間的成長がここにはある。
逆に言えば、
負けることも大事。投げ出すことも大事。逃げ出すことも大事、ということだ。
負けることで得られる教訓がある。
投げ出すことで泥沼からの脱出がある。
逃げ出すことで新しい道が開ける。
ただし、投げ出すこと、逃げ出すことが習性になってはいけない、というだけだ。
fromdusktildawnさんがリツイート
元大事マンブラザーズバンド立川俊之先生がこの24年間で導き出した「負けないこと」「投げ出さないこと」「逃げ出さないこと」「信じ抜くこと」の中で結局どれが一番大事か、への答え。 pic.twitter.com/QQMJ0knPCm
(引用2)「谷間の百合」から引用
まったく、日本人は「反省」を知りません。
300万人以上の日本人が死んだ戦争を「経験」として想像できないのです。
天皇陛下がいつもいつも、戦争を忘れないようにと言われることの意味を国民は知ろうとさえしません。
いま、戦前がそっくり目の前に姿を現してきたのに、それに気付く人はそう多くありません。
先の見えない社会の閉塞感から、人は勇ましく意気盛んだった戦前の一時期の空気に酔いたいのかもしれません。
しかし、そこには戦中、戦後に流された膨大な日本人の涙や血の記憶はないのです。
「反省」は「経験」と言い換えてもいいかもしれません。
というのも、森有正が「経験」についてこう書いているからです。
経験というのは、――ある根本的な≪発見≫があって、それに伴って、ものを見る目そのものが変化し、また見たものの意味が全く新しくなり、全体のペルスペクティー(視座)が明晰になってくることなのだ、と思う。
日本人にとって、経験とは汽車の窓から通り過ぎていく景色のようなものです。
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