その前に、私自身の「笑いの機序」についての所説を書いておく。
笑いとは、「驚き」と「安心」(場合により、それに続けて「自己反省」と「自己防御意識」)の連続が身体症状(表情や笑い声)となったものである。ベルグソンが言っているらしい「緊張と緩和」もそれに近いが「驚きと安心」の方が現実に近いと思う。驚きが現実の危機となると、それは「恐怖」になり、驚きが安全な種類のものだと分かると安心して笑いとなるわけだ。たとえば、道で転んだ人間を見ると我々は驚く。だが、その相手が安全だと分かるとその「転んで威厳を無くした相手」への「笑い」が生まれる。ところが、転んだ相手が動かないとなると、笑いどころではなくなるのである。
で、中沢新一の文章(紙谷氏による要約を含む)を再引用してみる。元の文章では二か所になっていたのを連続させて把握を容易にしておく。
(以下引用)
レーニンは、ゴーリキーの仲介で、政敵と無理矢理ひきあわされ仲直りを強要されるという不本意な旅につきあわされる。
そのとき、唯一レーニンが「笑い」をみせる瞬間があった。
海釣りをしていたレーニンが手釣りをすすめられ、魚がかかった瞬間、「ドリン・ドリン」という引きがきたらすぐに引き上げろ、と指示されるのだ。最初のあたりがきて、レーニンは勢いよく釣り糸をひきあげ、熱狂的に叫ぶ。
「ああ、ドリン・ドリン! これだ、これだ」
これはトロツキーのレーニン伝に出てくる一節である。
中沢はこう記す。
「レーニンという強力な思考機械は、たしかに思考の外にあるもののごく近くで、しばしばそれに直接的に触れながら、作動していたのだ。それは、物質の未知の領域に挿入された、科学的な実験装置のように、人間の言語や思考のなかにまだ組み入れられていない領域に、直接触れている」
これぞ唯物論である。
レーニンは物質を存在論的に規定せず「意識から独立した客観的実在」というふうにだけ規定する。中沢はそれを「画期的」と表現する。
レーニンは、ぼくらの意識の外に、未知の、無限で、底のない、そしてとてつもなく豊かな、きわめつくすことのできぬ「物質」が広がっていたことを知っていた。それがまったく別種のものとしてぼくらの思考に侵入してくる瞬間、「笑い」をひきおこすのだ、と中沢はいう。
しかし、レーニンはそれをカントのようにたんに「知りえぬもの」とは名付けない。
「それはカントの『物自体』のように、のっぺらぼうの抽象になってしまうからだ。……これにたいして、レーニン的唯物論は、その『物自体』、その『知りえぬもの』の内部にわけいって、思考がその外にあるものに接触していく『実践』の運動の重要性を主張したのだ」(中沢)
「実践する人間の意識は、自分の外にむかって踏み出していく。なじみのない不気味な異和の感覚が、意識の尖端に接触し、そこをあらっていく。意識は意識ならざるものに触れながら、自分の形態を、たえず変化させていく。この実践は無限につづく。しかし、実践の波頭では、意識は客観に変容し、客観の中から、新しい意識の形態が、たえまなく発生している。そのとき、レーニンのあの笑いがよみがえってくるのだ。ドリン・ドリン!……だから、レーニンの唯物論は、笑いとしての哲学なのだ。彼がマッハ主義を攻撃するのは、それが笑わないからだ。観念論は、子供の頭をなでることができない。それは、犬の腹をなでるとき、意識のなかに、絶対的自然が優しい侵入をはたしていることが、わからない。そのとき、レーニンの手のひらに触れているものを、経験の要素だと言うならば、彼のからだにあの笑いの波は、おこらない。ニーチェの言う『神的な笑い』を知ることができない。意識の外にある客観的実在だけが、人間を心の底から、笑わせることができる」(中沢)
(引用終わり)
最初の部分には(いや、中沢の文章の引用全体に)どこにも「レーニンの笑い」そのものの描写が無いのである。紙谷氏が省略したのか、中沢の本にその記述が無かったのかは不明である。だが、「ああ、ドリン、ドリン! これだ、これだ」がなぜ「レーニンの笑い」となるのかを書かないと、紙谷氏の文章全体が破綻するのではないか。
次の文章が中沢氏による「レーニンによる『笑い』の定義」かと思われるが、それが行き過ぎた解釈であるのは明白だろう。もし彼が言う通りなら、新しい事物に出会った人間は四六時中笑いっぱなしとなるのではないか? そんな人間(もしいたら多幸症というキチガイだろうが)などどこで誰が見たことがあるだろうか。
(以下引用)
レーニンは、ぼくらの意識の外に、未知の、無限で、底のない、そしてとてつもなく豊かな、きわめつくすことのできぬ「物質」が広がっていたことを知っていた。それがまったく別種のものとしてぼくらの思考に侵入してくる瞬間、「笑い」をひきおこすのだ、と中沢はいう。