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自分が「養分」であることを自覚しながら洗脳の快楽に溺れること

「シロクマの屑籠」記事の後半だが、筆者の熊代氏は精神科医である。その精神科医がこれほど容易に洗脳されるという、資本主義的洗脳の恐ろしさの事例として載せたwww しかも、その洗脳に当人は自覚的であり、喜んで洗脳されているのである。これは宗教の洗脳によく似ているのではないか。なお、この記事を「医療・健康」の項目に入れたのは、もちろん精神科の問題だからだ。

(以下引用)


実際、その直後のプレイヤー同士のレース、「レオ杯」では初めて他のプレイヤーをさんざんに打ち破った。お、おれの育てたウマ娘がAリーグで優勝したぞ! 脳汁が出た。手がぷるぷると震えた。これで勝つると思った。
 
ところが8月のお盆明けに再び環境が変わり、"人権"カードとしての「玉座」はわずか一か月半の寿命を終えて、「便座」と呼ばれるようになった。インターネットの都大路に流れる、玉座、便座、玉座、便座といった言葉に私の心は千々に乱れた。短い栄光の時間は終わった。今は心を入れ替えて、ウマ娘たちのために、それと重課金プレイヤーや利口なプレイヤーのために再び養分をやるという決意を新たにしている。
 
 

「かわいいから、推しだから養分をやる」というマインドと資本主義の摂理

 
こうして私は、かわいいウマ娘たちのために、それと自分のソーシャルゲーム音痴のために、ウマ娘プリティーダービーでもっぱら養分をやっている。こうした、レースに勝てない状況に自覚的に養分をやるというゲーム体験は初めてで、『FGO』の時も『アズールレーン』の時も意識していなかった。これは、ウマ娘プリティーダービーがレースを中心につくられているからだろう。でもってそれなり悔しい。
 
じゃあ、いったいなぜ私は、レース場をジュエルで敷き詰める養分の一匹をわざわざ続けているのだろう?
 
それは単純に、キャラクターの魅力のためだと思う。
ウマ娘のデザイン、特にゲーム版のデザインは私の好みのストライクゾーンを撃ち抜いている。ライブ映像などは、どれだけ眺めていても飽きない。3Dみがちょっと残っているので、苦手な人には苦手なデザインだろうけれども、私の場合、この適度に残った3Dみがかえって良くて、見た目だけでいえば、自分史上、いちばん好みだと思う。
 
そのウマ娘が走って、笑って、駆け抜けるのが見たくて今もウマ娘プリティーダービーにかじりついている。本来それは、ゲーム愛好家・アニメ愛好家のありかたとして好ましいものだったはずだ。
 

 
けれども上掲ツイートで言われているように、「好きなキャラクターを推す」という感情や活動は、とっくの昔に資本主義のロジックに組み込まれている。たとえばウマ娘プリティーダービーも、それを作ったサイゲームズにしてみれば成功した集金スキームってことになるのだろう。そのような集金スキームがなければ、あの綺麗なライブ映像も誕生しなかったのかもしれない。
 
いやしかし、一歩身を引いて考えると、私はその集金スキームが生んだ集金装置に群がった蛾の一匹でしかなく、正しく資本主義の養分をやっていると考えざるを得ない。
 
人生は短く、なすべきことは多い。
 
二十代の頃なら「これも人生の彩り」などと言ってしまえただろうが、中年のみぎり、こうしてディスプレイの向こう側のかしましさに囚われて本当に良かったのか、考え込まずにはいられなくなる。今のところ、このハマったぬかるみから抜け出す目途は立っていない。

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「発達障害」と精神病

「発達障害」とは、「生まれつき」のもので、「精神障害」として扱われるようだ。物事に集中しすぎても、集中力が欠如していても精神障害者らしいwww
下の記述では明言していないが、治療が必要としているから精神病扱いなのだろう。
なお、私の知人の精神科医は、「精神病は治らないよ」と言っていたwww


(以下「厚生省ホームページ」から転載)

発達障害

発達障害は、生まれつきみられる脳の働き方の違いにより、幼児のうちから行動面や情緒面に特徴がある状態です。そのため、養育者が育児の悩みを抱えたり、子どもが生きづらさを感じたりすることもあります。
発達障害があっても、本人や家族・周囲の人が特性に応じた日常生活や学校・職場での過ごし方を工夫することで、持っている力を活かしやすくなったり、日常生活の困難を軽減させたりすることができます。



「発達障害」とは

生まれつきの特性です

発達障害には、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症(ADHD)、学習症(学習障害)、チック症、吃音などが含まれます。
これらは、生まれつき脳の働き方に違いがあるという点が共通しています。同じ障害名でも特性の現れ方が違ったり、いくつかの発達障害を併せ持ったりすることもあります。

自閉スペクトラム症とは

コミュニケーションの場面で、言葉や視線、表情、身振りなどを用いて相互的にやりとりをしたり、自分の気持ちを伝えたり、相手の気持ちを読み取ったりすることが苦手です。また、特定のことに強い関心をもっていたり、こだわりが強かったりします。また、感覚の過敏さを持ち合わせている場合もあります。

注意欠如・多動症(ADHD)とは

発達年齢に比べて、落ち着きがない、待てない(多動性-衝動性)、注意が持続しにくい、作業にミスが多い(不注意)といった特性があります。多動性−衝動性と不注意の両方が認められる場合も、いずれか一方が認められる場合もあります。

学習障害(LD)とは

全般的な知的発達には問題がないのに、読む、書く、計算するなど特定の学習のみに困難が認められる状態をいいます。

チック症とは

チックは、思わず起こってしまう素早い身体の動きや発声です。まばたきや咳払いなどの運動チックや音声チックが一時的に現れることは多くの子どもにあることで、そっと経過をみておいてよいものです。しかし、体質的にさまざまな運動チック、音声チックが1年以上にわたり強く持続し、日常生活に支障を来すほどになることもあり、その場合にはトゥレット症とよばれます。

吃音とは

滑らかに話すことができないという状態をいいます。音をくりかえしたり、音が伸びたり、なかなか話し出せないといった、さまざまな症状があります。


 

発達障害のサイン・症状

自閉スペクトラム症

目を合わせない、指さしをしない、微笑みかえさない、あとおいがみられない、ほかの子どもに関心をしめさない、言葉の発達が遅い、こだわりが強いといった様子がみられます。保育所や幼稚園に入り、一人遊びが多く集団活動が苦手なことや、かんしゃくを起こすことが多いことで気づかれることもあります。
言葉を話し始めた時期は遅くなくても、自分の興味のあることばかりを話し、相互的に言葉をやりとりすることが難しい場合もあります。また、電車、ミニカーやビデオなど、自分の興味のあることには、毎日何時間でも熱中することがあります。初めてのことや決まっていたことが変更されることは苦手で、環境になじむのに時間がかかったり、偏食が強かったりすることもあります。
思春期や青年期になると、微妙な対人スキルを求められることも増えますし、学習課題においても多様な能力を総合的に求められる機会が増えます。就職してから仕事が臨機応変にこなせないことや対人関係などに悩み、家庭生活や子育ての悩みを抱え、病院を訪れる人もいます。不安やうつなどの精神的不調を伴うこともあります。また。成人期になってから日常生活、家庭、職場などで困難を抱え、精神的な不調を伴い支援を必要とすることもあります。

注意欠如・多動性障害(ADHD)

子どもの多動性-衝動性は、落ち着きがない、座っていても手足をもじもじする、席を離れる、おとなしく遊ぶことが難しい、しゃべりすぎる、順番を待つのが難しい、他人の会話やゲームに割り込む、などで認められます。不注意の症状は、学校の勉強でミスが多い、課題や遊びなどに集中し続けることができない、話しかけられていても聞いていないように見える、やるべきことを最後までやりとげない、課題や作業の段取りが苦手、整理整頓が苦手、宿題のように集中力が必要なことを避ける、忘れ物や紛失が多い、気が散りやすい、などがあります。
大人になると、計画的に物事を進められない、そわそわとして落ち着かない、他のことを考えてしまう、感情のコントロールが難しいなど、症状の現れ方が偏しますが、一般に、落ち着きのなさなどの多動性-衝動性は軽減することが多いとされています。また、不安や気分の落ち込みや気分の波などの精神的な不調を伴うこともあります。

学習障害(LD)

全般的な知的発達には問題がないのに、読む、書く、計算するなど特定の事柄のみが難しい状態を指し、それぞれ学業成績や日常生活に困難が生じます。


 

治療や支援について

自閉スペクトラム症

幼児期には、個別や小さな集団での療育を受けることによって、対人スキルの発達を促し、適応力を伸ばすことが期待されます。視覚的な手がかりを使ったり、先の見通しを持ちやすく提示したりすることで、子どもは安心して過ごしやすくなり、情緒的にも安定してきます。そのなかで基本的な日常生活のスキルや言葉や言葉以外の手段を通したコミュニケーションのスキルを獲得していきます。
自閉スペクトラム症の子育てには様々な工夫が必要ですが、支援者や医療関係者などの専門家とともに、子どもの歩みを養育者とともに見守り、考えていきます。 自閉スペクトラム症を治癒する薬はありません。睡眠や行動の問題が著しい場合や、てんかんや精神的な不調に対して、薬物療法を併用する場合もあります。精神的な不調が現れるまえにストレス要因や生活上の変化がなかったかなどを確認し、環境調整を試みることも大切です。
幼児期から成人期を通して、身近にいる親や配偶者が本人の特性を理解していることがとても重要です。また、学校の先生や職場の同僚などの理解も大切です。人は誰しもひとりで生きていません。自閉スペクトラム症の当事者にとっても支えの輪があることが大切なのです。
成人を対象とした対人技能訓練やデイケアなどのリハビリテーションを行っている施設もあります。また、都道府県や政令指定都市ごとに発達障害者支援センターが設置されており、自閉スペクトラム症の当事者を対象にしたグループ活動を提供したり、生活自立・就労等の相談に応じたりしています。

注意欠如・多動症(ADHD)

幼児期・学童期には環境を整えて集中して課題に集中しやすいようにする、褒め方を工夫するなどの方法で、増やしたい行動を増やすのが基本です。勉強などに集中しないといけないときには本人の好きな遊び道具を片づけ、テレビを消す。集中しないといけない時間は短めに、一度にこなさなければいけない量は少なめに設定し、休憩をとるタイミングをあらかじめ決めておく、やらないといけないことはToDoリストに書いたり、簡潔にわかりやすい言葉で伝えたりすることも大切です。しかし、ADHDの子どもたちは、行動を切り替えるのが苦手であったり、意に反すことにかんしゃくを起こしたりすることも多いので、養育者も、「ダメでしょ」「どうして・・・なの」などと否定的な言葉で感情的に反応してしまいがちです。ADHDについて知り、増やしたい行動や減らしたい行動を整理し、うまく褒めながらよりよい行動を導いていくためには、養育者のスキルを伸ばすことや同じように頑張っている親同士のつながりや心の支えが大切です。養育者が小集団でADHDへの理解を深め、対応するスキルを身につけるためのペアレント・トレーニングも実施されています。環境調整や行動からの取り組みを行っても日常生活における困難が持続する場合には薬物療法を併用します。薬物療法は症状を緩和するもので根治的な手段ではありませんので、効果と副作用のバランスに注意しながら選択します。成人になってからも、作業にミスが多かったり、行動を計画的に順序だてて行うことが苦手、いつも心が落ち着かない、感情のコントロールが苦手などの症状があることもあります。子どもと同様に、環境調整、行動療法や薬物療法が実施されます。精神的不調を伴っている場合には、その治療も併せて実施されます。

学習症(学習障害)(LD)

学習症の子どもに対しては、教育的な支援が重要になります。読むことが困難な場合は大きな文字で書かれた文章を指でなぞりながら読んだり、文章を分かち書きにしたり文節に分けることも有用です。音声教材(電子教科書)を利用することも可能です。書くことが困難な場合は大きなマス目のノートを使ったり、ICT機器を活用したりすることも可能です。計算が困難な場合は絵を使って視覚化するなどのそれぞれに応じた工夫が必要です。学習症は、気づかれにくい障害でもあります。子どもにある困難さを正確に把握し、決して子どもの怠慢さのせいにしないで、適切な支援の方法について情報を共有することが大事です。

チック症

まばたきをする、顔をしかめる(運動チック)や咳払いや舌打ち(音声チック)などのチックが一時的にあらわれることは多くの子どもにみられることです。そのため、特に指摘をせず、経過をみます。しかし、多彩な運動チックと音声チックが1年以上にわたり強く持続し、日常生活に支障を来すほどになることもあります(トゥレット症)。飛び上がる、自分の体や足を叩く、しゃがむ、おなかに力をいれる、単語をいうなどの複雑な動きや発声を伴こともあります。症状は典型的には10-15歳ぐらいに一番強くなりますが、成人になっても強い症状を継続することもあります。トゥレット症は、体質的なチックで、その症状を制御することはごく短時間しかできません。そのことをまず周囲の人が理解することが大切です。チックが現れそうな衝動が起こったときにチックと拮抗するような動きをする(ハビットリバーサル)や薬物療法が実施されます。トゥレット症に有効性が認められた薬は日本にはありませんが、統合失調症の薬などが有効であることが知られています。

吃音

よくある誤解は、吃音が厳しい子育てや本人の精神的な弱さの結果であるというものです。就学前にみられる吃音は数年の間に軽減することが多いのですが、長期に持続する子どももいます。吃音は体質的な要素が強いことが知られています。からかいやいじめの対象となっていないか、また学校などの発表などの場面が本人の苦痛となっていないかを把握し、環境調整を行うことが大切です。吃音の治療として、言語聴覚療法や認知行動療法が実施されます。




 

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ただの風邪で病院に行く馬鹿

5類にすると検査費や治療費が「自己負担」になるのが嫌だ、というケチンボの声が大きいが、「風邪」くらいで病院に行くな。葛根湯でも飲んで寝ておけばいい。熱があって発汗がひどければポカリスエットを飲め。(つまり熱中症と同じ。発汗は、体内のミネラルも外に出すから、ただの水ではだめ)インフルエンザだと嘔吐などもあるから、周りにその始末の準備をしておけばいい。バケツ(洗面器)、大量のティッシュペーパー、タオル、雑巾、あるいは新聞紙でもいい。ただし、熱発は自己治癒機能(葛根湯も体温を上げる機能があるはずだ。つまり、それで免疫力を高めるのだろう。)だから、解熱剤は推奨しない。まあ、40度を超えるまではそのままでいいと思う。

(以下引用)

PCR検査の自己負担“6000円”に…新型コロナ「2類」から「5類」移行の是非 現場の医師の見解は【大阪発】

ライブドアニュースより
https://news.livedoor.com/article/detail/22721018/
<転載開始>


PCR検査の自己負担“6000円”に…新型コロナ「2類」から「5類」移行の是非 現場の医師の見解は【大阪発】

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新型コロナウイルスの感染症法上の位置付けについて、議論が続いている。
現在、新型コロナは厳しい感染対策が行われる「2類相当」に位置付けられている。
しかし、季節性インフルエンザと同じ「5類相当」に移行すべきだという意見がある。


発熱外来と往診診療を積極的に行っている葛西医院の小林正宜院長は、「段階的に“手厚い”5類への移行が現実的」とみている。
「手厚い5類」とはどういったものだろうか。2類相当と5類相当の違いと共に、詳しく話を聞いた。


 

【1】感染者数
2類相当:全数把握
5類相当:全数把握せず


小林医師の見解:
現状では「全数把握する」という作業が負担になっている。しかし重症化した患者がどこに、どれだけいるかの情報共有は必要なので、重症者・重症化リスクの高い陽性者数は把握すべき


【2】対応する医療機関
2類相当:一部
5類相当:全て


小林医師の見解:
2類相当から5類相当に変わったからといって、ウイルスの感染力が変わるわけではない。5類のインフルエンザよりは感染力が高いのが現状。第7波が落ち着くまでは、全ての医療機関に受け入れを要請するのは難しいと思う


【3】費用
2類相当:公費負担
5類相当:一部自己負担


小林医師の見解:
誰でも感染する可能性がある以上、しばらくは手厚いサポートがほしいところ。しかし、少しずつ自己負担していく方法に移行せざるを得ないのでは

大阪市立総合医療センターによると、コロナ診療が自己負担になった場合、発熱外来でのPCR検査が2万円(3割負担で6000円)、基礎疾患のない人が中等症で5日間入院した場合の費用は、22~27万円(3割負担で7~8万円)前後かかるとのことだ。


小林医師は、「うまくバランスをとりながら、無理のない形での切り替わりが現実的」と話す。


2類相当の位置付けで行われる「手厚い」患者への対応は残しながら、全数把握をやめることによって、行政にかかる重い負担をなくそうという「手厚い5類」への移行。
それが実現できないか、現場の医師から声が上がっている。
第7波の中で、これまでのコロナ対応の経験が試されている。


(関西テレビ「報道ランナー」2022年8月2日放送)


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感染者数の二重計上は何のため?

「大摩邇」から転載。
つまり、最近の異常な感染者増は、こうした「二重計上」のためだったわけで、意図的なものだろう。もちろん、「ワクチンを打たせる」ためである。
これが東京だけならミスということもある(まあ、まずありえないミスだが)だろうが、大阪もやっていた、というところがポイントだ。人口が多いので、数が誤魔化しやすいわけである。

(以下引用)

千葉、大阪、埼玉、新潟に続き…高知県の新型コロナ感染者も東京都に計上

ライブドアニュースより
https://news.livedoor.com/article/detail/22724793/
<転載開始>



日テレNEWS

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東京都が確認した新型コロナウイルス感染者に、千葉県など4府県がオンラインで登録を受け付けた感染者が計上されていた問題で、新たに、高知県の感染者も含まれていたことがわかりました。


東京都が確認した新型コロナ感染者には、すでに千葉県、大阪府、埼玉県、新潟県がオンラインで登録を受け付けた感染者が含まれていたことが明らかになっています。


都が、全道府県について確認したところ、新たに高知県が受け付けた感染者も計上されていたとわかったということです。

7月15日から8月22日までの約1か月半の間に、他府県のオンライン登録分として都に計上されていた感染者は4万8441人にのぼるということです。


これは、登録情報の確認を行った都内の医療機関が法律に基づき、都内の保健所に届け出を行っていたことによるものですが、新潟県と高知県分については、それぞれの県の感染者数にも二重に計上されていたため、8月23日から都の感染者数から除くということです。


都の担当者は、この問題について「予見できたことなのに、事前調整や相談がなかったことは都として遺憾」とコメントしています。


大阪府の感染者に福岡県の3660人を計上 新型コロナ




大阪府庁=芝村侑美撮影

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 大阪府は23日、福岡県の感染者計3660人を13~23日に府の感染者として計上していたことを明らかにした。福岡県から陽性者登録センターの業務を受託した事業者が府内の保健所に発生届を提出したためで、福岡県の感染者として計上するか府県で協議するという。【石川将来】


(夢人追記)これも「大摩邇」から転載。イタリアのワクチンパスポート廃止とその前後の状況である。

枠パス解除されてからのイタリア

アルさんのサイトより
http://blog.livedoor.jp/artevita/archives/9927720.html
<転載開始>
今年の冬から春にかけての、未接種者への迫害は本当に常軌を
逸したものだったんです。
枠パス持たない50歳以上は罰金が来るとか、職を失うとか、
パス無いと食料と薬以外の生活必需品を買いに行けないとか、
挙句の果てには打たない老人が病院で治療を断られて手術を
受けられないとか。
もう、ありとあらゆる手段での人権侵害を目の当たりにしました。
で、それに屈して打ってしまった人も大勢いたのです。
規制を厳しくすればするほど、打てば打つほど陽性者は爆上がり
だったというのに。。
現在、この鬼畜の枠パスが解除されて3、4か月が経ちますが、
殆どの人がノーマスクで、ローマの街も観光客で溢れ、庶民は
海水浴にこぞり、映画だレストランだコンサートだイベントだ、
と密も気にせず、陽性になったところでただの風邪という雰囲気。
一体全体、冬場のあのアパルトヘイト人権侵害は何だったんだ?
ギャップが激しすぎて、あれは夢の中の出来事だったん
だろうか、くらい遠い思い出になってます。。
ただ、迫害に屈して打ってしまった人達が気の毒でなりません。
職を失いたくなくて打った知人は、3回目の直後に原因不明の
体調不良で一週間に7キロ痩せて動けなくなり入院し、いまだに
回復できず働けません。
また、良しと思って最初から打ってしまった知人や関係者が、
ことごとく体調を崩しているし、たったこの10日くらいで2人も
亡くなってます。






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新コロ詐欺の次は「ポリオ詐欺」か

「徽宗皇帝のブログ」に、「大摩邇」のヴァーノン・コールマン博士(医学博士らしい)の記事を載せたが、下に引用するのも「大摩邇」のヴァーノン・コールマン博士の別記事の一部である。
新コロ詐欺(新コロワクチン詐欺)の次に予定されていると思われる「ポリオ詐欺」(最初は「サル痘詐欺」の予定だったようだが、変更されたか? まあ、ほとんど同じではあるようだが)に関する部分だけ抜粋した。この部分は(専門分野だけに)話がまとまっていて、論理的で読みやすいと思う。

(以下引用)


英国保健安全保障局 (これらの保健機関のどれだけにお金を払っているのでしょうか?) は、英国の水道システムでウイルスの痕跡が検出された後、全国的な事件を宣言し、親は子供がポリオの予防接種を受けていることを確認する必要があると警告しました.


これは、子供にポリオの予防接種を受けるように多くの親を説得するための単なる詐欺である可能性があるという疑いを避けることは困難です. (ほとんどの人と同じように、私はもはやクアンゴ、政府顧問、大臣、または政府部門から来るものは何も信用していません。)


しかし、1 つまたは 2 つのことは言及する価値があります。


まず、ポリオは 2003 年に英国で公式に根絶されました。では、なぜ当局は、19 年前に根絶された病気の予防接種を子供たちに続けているのでしょうか。(実際、最後の症例は 1984 年で、40 年近く前のことです。) ポリオ ワクチンに関する驚くべき真実を知りたい場合は、私のワクチンに関する本をご覧ください。 '。


第二に、英国HSAは、海外で経口ポリオワクチン(生きたウイルスを含む)を接種した人が英国に入り、感染を広げたと疑っています.


第三に、アフリカでのポリオの発生は、主にゲイツのポリオ予防接種プログラムの結果であることは、以前からよく知られていました。私はこれをほぼ2年前に明らかにしました。WHOでさえ、アフリカでワクチン由来のポリオの発生があったことを認めました。そこで使用されるワクチンには、弱毒化または弱体化されたウイルスが含まれています。この弱いウイルスはまだ生きており、病気を引き起こす可能性があります。(BBC などの主流メディアは、これについて議論することを許可しないのではないかと思います。そうすることは、真実の不快な領域に足を踏み入れることになるからです。以前に報告したように、私がプロパガンダ組織と見なしている BBC は、報道機関のふりをして、彼らのプログラムにワクチンの批判者が「たとえ彼らが正しいとしても」、それを許可することを拒否している.)


第 4 に、1980 年代初頭から警告してきたように、薬物の残留物やウイルスが下水システムから水に侵入する可能性があります。汚水(処理される場合とされない場合があります)は、河川に放流されます。実際には、下水を処理するかどうかは問題ではありません。浄化プログラムではこれらの小さな粒子を除去できないからです。そして、下水が投棄された川から新鮮な飲料水が供給されます。(これについて詳しくは、私の著書 Superbody を参照してください。) そして、ビル・ゲイツのポリオが英国に戻ってきたのは、そのためだと思います。それがここにあるので、それを取り除くのは非常に難しいかもしれません.


ところで、水について言えば、今後の水不足に注意する必要があります。その結果、水の配給制とスタンド パイプが導入されることになります。ところで、ドイツは燃料配給制の導入に遠く及ばない。そして、スリランカで何が起こっているのか心配しているなら、イタリアとギリシャを見てください。どちらも、破産からわずか数ドルしかありません. フランスでは、厄介な小柄なマクロンがエネルギー配給について語っています。彼は国民に、「総動員」が必要であり、公共の照明が役に立たない夜に消灯することから始めるだろうと語った.


これはすべて偶然でしたか?


いいえ。混乱を引き起こし、大規模なワクチン接種プログラムを奨励し、最終的には世界の人口を削減する計画の一部です。



そしてそれがポイントです。それはすべて意図的です。

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高齢者を必ず待つ「ボケ」という運命

「はてな匿名ダイアリー」記事だが、優れたドキュメンタリーであり、ある意味では、人生そのものを俯瞰したような文学性と哲学性を感じる。
ただし、「認知症」を「病気」だとする最近の傾向には私は反対である。「病気」なら治るはずだが、認知症は基本的に回復不可能だ。それなら「病気」ではない。認知症と言われているのは、高齢で自然死する人間を必ず待っている「ボケ」という「運命」だろう。もちろん、「認知症」という言葉が広まったのは、「ボケ」を「運命」であり「回復不可能だ」という事実から目を背けさせる慰安効果があるからだと思う。その「効果」を否定する気はないが、しかし事実から目を背けることは、悪い事態を悪いままで放置することである。
私が同感したコメントをふたつ、後に載せる。「人間廃棄物処理法」は残酷に聞こえるだろうが、家族のボケ老人介護があまりに困難で、犠牲が大きすぎるなら、こういう法律を作って「処理」することも必要だと思う。まあ、施設に入れて、死ぬまで養うのもいいが、それも「処理」のひとつとして問題ないと思う。そこに税金を使うのもいいだろう。安倍が海外に撒き散らした何百兆円のカネで、いや、その10分の1で即座に実行できた話である。言うまでもないが「人間廃棄物」というどぎつい言葉は、現実を直視させる効果があるが、法律名としてはそのままでは使えない言葉である。ふたつ目のコメントは、「ボケ」は当人にとっては不幸だとは限らない、ということである。5歳児の精神世界は不幸だけだろうか。

(以下引用)

2018-05-23

父は72歳の5歳児になった

父が認知症になったのは3年前のことだ。悪化したのが2年前の夏で、そこから2年で要介護認定を受けた。70歳台前半でこの状態というのは平均よりも早く、進行も速いらしい。


2018年になり、私は実家に戻ることになった。親と同居するのは10年ぶりになる。認知症になってからの父と暮らすのは初めてだ。帰省で2、3日いるのとはわけが違う。


母は介護家事仕事疲弊していた。介護士の人に母の外出中だけ父を見てもらっているが、彼らのいない朝や夜ほどやることは多い。私も仕事があるので、母のいない日中カバーすることはできない。ワンオペから脱しただけでも御の字と母は言うが、どこまで力になれているかは疑問だ。


父は家族に対しては何処までも優しく、一度も怒鳴ることも手をあげることもなく、料理日曜大工植物の世話が好きで、グルメワイン好きで、読書家で博識で、母が昔病気をした時は付きっきりで看病したり家事をこなす、こうやって並べるとちょっと信じられないくらい良き家庭人であり、知識人だった。それは今も変わらない。ただ本が読めなくなり、包丁が持てなくなり、服に頓着しなくなり、会話が成り立たなくなり、自分で服を着たり用を足したり風呂に入ったりできなくなった。前半は習慣から消え去り、後半は母が介助している。


認知症タンパク質が変質し、脳が萎縮していく病気だ。萎縮する箇所や速度は人それぞれで、予測することはできない。萎縮による記憶能力の衰退も、人格活動の変化も顕出するまで分からない。もちろん治療法もない。ただ、いくつかの傾向はあるらしい。父の場合は次の2つが表れた。ひとつめは一日に独自ルーティーンを作ること、ふたつめは何に対しても否定から入り、気難しくなったことだ。どちらも典型的認知症の症状だ。


父は毎日カフェに朝食を買いに行く。毎日同じものを頼むが、ストローをもらえなかったり店員の態度が気に食わないと不機嫌になり、店に迷惑をかけたこともあるそうだ。だが母が一緒に行くとそういうことはないという。


父は毎日、昼食を同じ店に食べに行く。時計の進みが正確に把握できないので、毎日開店前に行っては入店を断られ、やはり不機嫌になって帰ってくる。でもしばらくするとそれを忘れてまた足を向け、食べて帰ってくる。


父は毎日ケーブルテレビを見ている。大好きな洋ドラはおとなしく見ているが、CMに入ったり日本ドラマに切り替わると文句を言いはじめる。でもお手洗いに行っている間に録画しておいた洋ドラに変えておけば、けろりとそれを見ている。


父は白身の刺身を食べなくなった。鯛やかんぱちという魚が分からいからだ。風呂にひとりで入れなくなったのは身体を洗う順番が分からいから。文字は読めるが新しい知識は入らない。郵便受け手紙を取りに行くことは覚えているが、その後どうすれば分からいからその場で捨ててしまう。食後には皿を片付けてくれるが、洗うことを忘れているのでそのまま戸棚にしまおうとする。


ルーティーンはある日突然変わったり、じわじわ増えたり減ったりする。そのタイミングは本人にも家族にも、医者にも分からない。毎日の観察が大切だが、一日中目を離さずにいるのは難しい。


父は会話というものが分からなくなった。人の話を遮って喋り出す。それを諌めても、話題を変えようと質問しても自分の話をやめない。記憶に残っていることを喋るから話題はいつも同じだ。機嫌のいい時は相手の話を聞いたり、上手くやりとりが進むこともあるが、都合が悪くなるとおどけて誤魔化そうとする。何故かアイシタインの変顔の真似をするのだ。その無邪気な笑顔を見て、私は父が72歳の5歳児になったのだと思った。自我はあるが社会生活を営むには不十分で、言葉の力無自覚で、物事因果感情の律し方も分からず、大人監視と補助が必要な5歳児。それが私が今一緒に住んでいる、大好きな大好きな父だ。


実際の5歳児と違うのは、これから先、父が成長することはないということ。代わりに72年分の(穴抜けになった)記憶を抱えているが、その記憶も徐々に失われ、人格は変わり、最後には脳が不随意筋の動かし方を忘れて死ぬ認知症とはそういう病気だ。


父が私を覚えているうちに、また一緒に暮らせて良かったと思う。



  • 人間廃棄物処理法ほしい



  • お父さんは、今まで背負っていたり、演じていたりした様々な役割を一つ一つ下ろし とても個別性のある、一人の「人間」になっていっているのだと思う。     お父さんの姿は5歳児の...




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自ら屠殺場の家畜となる人間

いや、私のような隠者が、スーパーモデルになど関心は無いのだが、この記事は、世間の人間がいかに「自分の頭」を使っていないかという例にしたいだけである。
脂肪というのは、いわば臨時の必要に備えて体が蓄積する栄養分である。中年以降、体を動かすことが少なくなると、脂肪が無駄に増えていくのはご存じの通りだ。
で、脂肪というのは高い温度で融解するが、普通は、つまり常温では流動性の無い、準固体(「ゲル状」と言ったか)とでも言うような存在であるのは、料理などでラード(豚脂)やヘット(牛脂)を使った経験のある人はよく知っているだろう。で、それを「凍らす」というのはどういうことか、私には想像もつかないのだが、体内の脂肪が凍るとすれば、それが自然排出されないのは当然であり、体にメスを入れて切り出す作業になるのも当然だろう。で、切り出された跡が空洞になるのだから、自然な体型ではなくなるのも当然かと思う。まあ、人間が屠殺場の豚や牛になるような手術である。別の方法の脂肪除去の手術(脂肪吸引手術など)もあると思うが、脂肪を冷凍することで何かメリットがあるとは思えない。まあ、医者の作業が捗るというメリットがあるかもしれないが、それは患者のメリットではないだろう。医者の作業が楽という観点から見たら、相手が死体であるほうが楽である。(ただし、腐敗死体は別の話。)
そういう手術をすると言うか、自分で志願して手術される「勇気」は凄いな、と思うが、暴勇と言うべきだろう。このスーパーモデルの話は、神風特攻隊の乗員を自ら志願して、自分が死んだらそれを恨むような話である。つまり、「特攻」の意味を知らずに志願するようなものだ。(そういう特攻隊員はいなかったはずである。つまり、自ら志願した者は、自分が死ぬのは承知の上だ。)ただし、一種の医療詐欺の告発の契機になったという意味では意義が無いこともない。馬鹿であるのは確かだが。偶然だが名前どおり、一種の「反脂肪冷凍手術」のevangelist(宣教師)になったわけである。

(以下引用)



 
 







© よろず~ニュース

モデルのリンダ・エヴァンジェリスタ(57)がクールスカルプティングに関して起こした訴訟が合意に達した。脂肪を凍らせて排出する痩身術で体型が完全に変わってしまったと訴えていた。6年ぶりにフェンディのモデルとしてカメラの前にも復帰し、これからの人生への期待をインスタグラムに綴っている。


「クールスカルプティングに関する訴訟の決着がついて喜んでいる。友人や家族と一緒に自分の人生の新たな章を迎えることを楽しみにしているし、もうこの問題は水に流そうと思う。連絡をくれて応援してくれた皆には本当に感謝している」


1990年代に世界で最も著名なスーパーモデルの1人として活躍したリンダは、昨年9月に同施術によって酷いトラブルに見舞われたことを告白していた。「今日過去5年間にわたり苦しみ、自分の中に閉まっていた過ちを正すため私は大きな一歩を踏み出す。同僚が仕事で輝く中、なぜ私は活動していないのかを不思議に思っていたフォロワーの皆、ゼルティックのクールスカルプティングで、謳い文句とは正反対の結果となり私の体は残酷に変形してしまった」「私の脂肪細胞は増加している、減少じゃなくね。痛みを伴う、失敗した矯正手術を2回受けたにも関わらず永久に変形してしまった。メディアが伝える、『(本人と)認識できない』レベルまで」


そして起こることは稀なものの同施術の重大な副作用についてリンダは言及している、「逆説的過形成、もしくはPAHが私に起こった。その施術を受ける前に知らされていなかったリスクね。PAHは私の生計を壊しただけじゃなく、重度のうつ、強い悲しみ、どん底の自己嫌悪をもたらした。その過程で私は引きこもりになった。訴訟を通して、自分の恥を取り除き、この話を公にする」「こんな生活に疲労困憊。あたまを高くして堂々と家のドアから出たい。もう以前の自分のようには見えないけど」


低温脂肪分解のブランド名として知られるクールスカルプティングは体形矯正として知られており、ヘルスケア企業アラガンの子会社ゼルティックがライセンスを発行、装置を提供しており、アメリカの食品医薬品局から認可されている。


リンダは1990年代に銀座ジュエリー・マキのCMにも出演していた。


(BANG Media International/よろず~ニュース)







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