下の記事と直接の関係は無いが、さきほど、ふと「そう言えば手塚治虫の死因は何だったのだろう」という疑問が湧いてきて、それを私が知らないこと自体がおかしい気がした。私がもっとも敬愛するのが手塚治虫だったからだ。もしかしたら、今に至るまで死因が秘匿されているのではないか。あるいは、「過労による死亡」で、彼を酷使したマスコミ的には公表できなかったのか。昔から天才は早死にすることが多いが、それは過労から「不健康(体の不調)が通常営業」となるからではないだろうか。とすれば、下の記事につながる話である。
(以下引用)
" 日和見(ひよりみ)感染 " という言葉を聞かれたことがあるのではないかと思う。事典で意味を調べてみると「通常は病原性を発揮しない細菌、真菌、ウイルス、原虫といった微生物が、免疫力の低下した宿主に感染し発症すること。・・・抵抗力の弱まった宿主、あるいは乳幼児、老齢者に感染してさまざまな症状をもたらす。」(ブリタニカ国際大百科事典小項目事典)と書いてある。
これがとっても大切な考え方で、これを本当に理解できれば、今回のコロナ騒動など、あるいはワクチン接種の問題などは立ち所に消える。それどころか、日々健康な生活を送るためにも大変に有用な考え方になる。
しかし、特に2020年に新型コロナ騒動が持ち上がって以降というもの、アメリカも、WHOも、日本政府も、日本の医者たちも、マスメディアも、一斉に真っ赤な嘘をついて人々を騙すようになった。その破廉恥ぶりは、真実を理解している者にとっては空いた口が塞がらないものだ。
そして、日本人ときたら、世界の中でもその嘘を見抜く力に特に乏しい民族であるようだ。これはもう如何ともしがたい。「あなたたちはなぜそんなに馬鹿なのか」と問うたところで、お馬鹿な人たちがその問いを理解することはなく、適切な答が返ってくることもない。
まあ、そうはいってもねえ、こうして無駄な抵抗をしてまでも本当のことを書き続けるのは、意味がないと決まったものでもないと思っているせいだろう。時間はかかるかもしれないが、そのうちには本当ことを理解できる人が多くを占める日本になるかもしれない。
さて、どこから説明したらいいだろうか。新型コロナでも、インフルエンザでも、あるいは、結核でも、赤痢でも、コレラでも、食中毒でも、その他どんな感染症でもいいのだけれども、流行していると騒がれる時でさえ、大体においては発病しない人の方が多い。あるいは発病したとしても、軽く体調不良を感じる程度で終わる人の方が多い。
私ごとで恐縮だけれども、ワクチンは子供の頃に打ったBCG接種が最後であり、もう何十年もあらゆる種類のワクチンを打ったことがない。もちろんマスクはせず、アルコール消毒もしない。そんな私が、こんな田舎から東京に出向いて、駅地下の雑踏の中を歩き回ったり、混んだ電車に乗ったりしたけれど、だからといって医者に診てもらいたくなるような病気にはなっていない。これは一体どういうことだろうか。
私の周りのコロナウイルスやインフルエンザウイルスは、私を避けているのだろうか。ウイルスがいちいち人を見て、感染するかしないかを判断しているはずがないのは誰にでも分かることだ。ということは、私の中にもコロナウイルスやインフルエンザウイルスがいくらでも入ってきているけれど、私の場合は騒ぐほどの病気にならずに終わっていることになる。なぜだろう。私は人一倍頑健なのだろうか。
結核という病気をご存知のことと思う。上に挙げたBCGは結核用のワクチンになる。コロナ同様空気感染する病気であり、昔は死因第1位の重大な病気だった。コロナどころではない。おまけに、その当時は抗生物質が行き渡っておらず、満足な治療法がなかった。さらに、BCGというワクチンも、普及するようになったのは1951年以降のことになる。つまり、1950年以前の日本は、結核を防ぐことができず、発病しても治療法がないというお寒い状況だった。
では、昔の人は次々と結核に感染して、次々と命を落としていったのだろうか。結核による死亡率が一番高かったのは1918年(大正7年)で人口10万人当たり257.1人だったという。(「人口動態統計からみた結核の100年(結核 分析 日本):人口動態統計からみた20世紀の結核対策:(東京都健康安全研究センター)」
ちなみに、現在のがんによる死亡率は、2022年で人口10万人当たり316.1人であり、かつての結核は大変な感染症であったけれども、がんまではひどくないと把握しておけばいいだろう。(現在の結核による死亡率は1.4人と激減した。)
ここで興味深いことが一つある。1918年に死亡率がピークとなって以降、結核の死亡率は低くなりはじめ、1932年には179.4人まで下がったが、その後再び増加に転じ、1943年には235.3人にまで増えた。それ以降は減少の一途をたどり、1950年には146.4人、1955年には52.3人になっている。
これは何を示しているのだろうか。一つ確実に言えることは、少なくとも1950年くらいまではワクチンや特効薬が結核を減らしたのではないということだ。ワクチンも特効薬もなかったのだから。ちなみに、現在海外では結核ワクチン(BCG)の接種を停止している国も多い。理由は簡単で、ワクチンを打ったから結核を防げるという確証が得られないからだ。さらに、ワクチンを停止した国で結核が猛威を振るっているという話も聞かない。
一つヒントがあって、日本での結核が1932(昭和7年)年に底を打った後、1943年(昭和18年)にピークを迎えたことだ。これはおそらく、日本人の健康状態、栄養状態、衛生状態といったものが影響したのではないだろうか。結核の療養というと、田舎の空気の綺麗なところで、栄養のあるものを摂って安静にしているというイメージがあるが、実際にそれが効果を持っていた可能性はある。
一方、再ピークの1943年といえば、大東亜戦争真っ盛りのときで、栄養状態も、衛生状態も、ストレスも、おおよそ文化的な水準から外れた余裕のない頃だった。そういう環境が結核を増やしたと考えることには無理がない。
鋭い人はもうお分かりになったかと思うけれども、結核というかつてメジャーで死亡率の高かった感染症ですら、日和見感染だった可能性があることになる。つまり、ワクチンや薬がなくても、発病しない人は発病せず、死なない人は死なない。そして同じ条件下でも、発病する人は発病し、死ぬ人は死ぬ。
そのことを説明できるのは、それぞれの人の健康状態であると考えていいように思う。病原体が体内に入るか否かはさしたる問題ではなく、大切なことは、体内に入ってきた病原体(結核の場合は結核菌)に打ち勝つ健康状態をその人が持っているかどうかであり、それが発病、あるいは死の分かれ道になる。
新型コロナ騒動真っ盛りの時に、ワクチン未接種の私が、東京のど真ん中の雑踏をマスクなしで練り歩いても何事も起きないのもそれが理由であると考えていいだろう。私は体内にコロナウイルスが入ってきても、それで発病するほど不健康ではなかったということになる。
同じ私であっても、疲れがたまっていたり、栄養が偏っているときには、あるいはこの先さらに老化して健康状態が不安定になったときには、現在発病しないコロナで熱を出すかもしれない。
滑稽だったのは、あれだけ、まるで小姑であるかのように口うるさく感染対策の重要性を訴えていた医者のお膝元である病院において、新型コロナがしばしば集団発生したことだ。これが何を意味するかといえば、病院に入院しているような健康状態の悪い人たちには、どんなに神経質に防止対策を施したところで、発病を防ぐことが難しいことだ。コロナウイルスなどはどこにでも存在しているものであり、ウイルスを防ごうという発想がそもそも誤りである可能性が高い。
日和見感染の代表例は、帯状疱疹だ。帯状疱疹を引き起こすウイルスは人間の体内に常時存在しているヘルペスウイルスであると考えられている。人間はいつも帯状疱疹ウイルスを体内に持っている。その体内に持っているヘルペスウイルスが、体力の落ちたときに芽を出すのが帯状疱疹になる。感染防止対策など無意味であり、ワクチンも無意味だ。大切なのは、いかにして体の健康状態を保つかであり、それが1番の方法になる。
悪いことに、2021年から接種が続いてきた新型コロナ用ワクチンは、人の免疫状態を操作する毒劇物であり、体の免疫機能のバランスを壊す性質を持っている(免疫機能を弱体化させる)。だから、ワクチン接種が進むことで日本人の平均寿命が短くなってしまった。せっかく長年かけて育ててきた自分の免疫機能を、ワクチン一つでぶち壊しにしていると思えばよい。
あらゆる感染症に対して、大切なことは自分の健康状態をいかに良好な状態に保ち、維持していくかということであり、体調の良い人であればあるほど、どんな病気にもかかりにくい。反対に、体調の不良な人はコロナばかりではなくあらゆる病気にかかりやすい。
通常、現在の10代から60代くらいまでの人間は何もしなくても元気であることが多い。よって病気を跳ね返すし、死ぬことも少ない。乳幼児や高齢者は本来的に体が弱く、健康状態が不安定であるために病気にかかりやすく死にやすい。ポイントは、いかに日頃から体調を良好に維持しておくかであり、それが健康を保つ最大の秘訣になる。いうまでもなくワクチンや薬の力で体調が良くなることは、原則としてはない。もっとも、これは日本で大半を占める悪徳医師の一番嫌う考え方になる。ワクチンや薬がドル箱だからだ。
人間は必ず死ぬ。ただの一つも例外はない。色々さまざまな死に方がある中で、老齢になって体が弱り、体調を良好に維持できなくなったときに、何かしらの病気に取りつかれてあの世に行くのが一番平和な死に方になる。それを天寿という。