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「利他主義」という愚論と「労働運動」

「東海アマ」ブログ記事の末尾を転載。
書かれている主旨には同意する部分もあるが、根本的な「戦略思想の欠如」を感じる。それはアマ氏の意見(思想)が世間的にほとんど賛同者を持たないことから分かるのではないか。
上で「戦略思想の欠如」と書いたが、それは本当は「利他主義の提唱」自体の間違いという面も大きい。何度も書いているが、「利他」は「主義」にはなり得ない、と私は考えている。それは人間、いや生物のもっとも基本の本能が「自己保存本能」だからだ。つまり、極言すれば「利己主義」になるのであり、「利他主義」は、生物的・動物的に無理だ、ということだ。まあ、「人間ならば、生物や動物的レベルを脱するべきだ」というのは正論だろうが、いざとなれば、誰でも、いやほとんどの人は他人を蹴落として我が身を救うのではないか。これは「カルネアデスの舟板」の比喩で知られる法理論でも正当とされていることだ。
ただし、ふつうの生活では「他者に危害を加える行為」は法律に反するが、「資本主義社会」では、経済活動を通じて他者に危害を加えることが実際的には容認されている。だから経済犯罪が膨大に生じ、竹中平蔵のような犯罪者が巨富を得るのである。
つまり、「資本主義」の悪への対抗手段は「利他主義の布教」ではなく、労働運動などの「まともな」方法によるべきであり、おそらく家庭の主婦だと思うが「労働運動の衰退」を嘆く「谷間の百合」さんなどのほうがこの点では思想的に上だと思う。

(以下引用)

 資本主義の本質は「弱肉強食」である。より大きな資本が小さな資本を「恐慌」という自己矛盾によって貪欲に飲み込み続け、これ以上太れないほど太った姿が「国家独占資本」という段階で、それは巨大資本と国家の融合体であるというものだった。
 そして、今度は国家レベルで、「世界戦争」という自己矛盾によって巨大化してゆく。

 ユダヤ人フリードマンが1980年代に提起した「新自由主義」では、大きな資本が国家のあらゆる権力と干渉を否定して、グローバルスタンダードという経済自由主義の下で、「市場原理」だけに基づいた世界新秩序が成立し、国家そのものは廃棄されてゆく……というわけだ。
 これも、国家独占資本の形態ではあるが、主人公は国家ではなく巨大資本である。

 世界は「金儲け競争」を原理とし、経済秩序は、弱肉強食の市場原理だけに委ねるというのが、新自由主義の行き着く先である。
 こうすると、どんな世界ができあがるかというと、まさに弱肉強食による凄まじい差別序列社会が成立する。
 世界は、超大金持ちと、貧乏人階級だけの二極化世界になる。

 まさに、世界はそうなっていて、世界経済の9割を、地球上に2000万人しかいないユダヤ人の金融資本が取得し、残りの99.9%の人々は、超特権階級ユダヤ人に奉仕するためのゴイム(家畜)にすぎない社会がやってくる。
 まさに、タルムードに描かれているユダヤ人支配社会が実現するのだ。

 冒頭に紹介した、YouTubeコンテンツは、ユダヤ金融資本の持っている意味について、残念ながら理解が及んでいない。
 しかし、世界が二極化することを指摘している。
 ゴイム階級の人々は、15分都市、スーパーシティという畜産施設に閉じ込められて、これからユダヤ人のための家畜としての人生を送るのである。

 この根元にある本当の理由が、人間に序列をつける身分差別、人間は平等の仲間だと理解できない序列主義の価値観にあると、私はこのブログで叫び続けてきた。
 ゴイム社会を拒絶し、利他主義による「人情仲間社会」を作り出すには何をしたらいいのか?
 それは、差別と序列の愚かな意味を理解することである。

(引用2「谷間の百合」から転載。)

「資本主義の健康とは『戦う労組』が大前提である」
「資本主義の健全性を担保するのが(労組の馴れ合いではない)正しい労働組合である」
当たり前のようで、わたしには胸の高鳴りを覚えるような言葉です。
わたしが毎日でも書きたいような言葉です。
労働組合と言えば、古い記憶から浮かび上がってくのが太田薫とか富塚三夫などの名前ですが、いったい、いつごろから労働組合と資本家は馴れ合っていくようになったのでしょう。
わたしはその経緯を知りません。
いつの間にか労働組合は有名無実の存在になっていました。
何度も書くことですが、最後の電鉄ストから30年近い歳月が流れました。
世界では、とくにフランスなどではストが頻発します。
政治への抗議もあれば、自分たちの生存と生活を守るためにかれらはすぐ行動に出ます。
なぜ、日本の労働者は、自分を守ろうとしないのでしょう。
なぜ、自分だけでなく仲間や家族を守ろうとしないのでしょう。
日本は、先進国の中にあって労働者が自ら奴隷になった唯一の国かもしれません。
最近、日本が北朝鮮化しているのを感じます。
国民の生活は無視で、軍事力を強化するために増税までするような国になりました。
先日書いた百姓一揆のことですが、一揆は今で言う労働組合運動でした。
百姓は団結して藩に要求を突き付けたのです。
藩がその要求を無視できなかったのは、幕府の詮議や制裁を恐れたことが大きいと思います。
いま、その幕府に相当するのが政府なのですが、政府と資本家が一つの営利団体のようになっているのが現状です。
ほんとうに、世も末とはこのことです。
「日本が穏やかにゆっくりと死につつある」原因がこれです。
社会が沈滞し死んだようになっている原因がこれです。
なぜ、最後のセーフティネットとも言うべきスト権を行使しないのですか。
何で資本家をつけ上がらせるのですか。
ストライキがあったころの空気を思い出してほしい。
(40歳以上の人しか思い出せないでしょうが。)
わたしの家は労働者の家庭ではありませんでしたが、労働組合のことになると熱を帯びてくるのは多分百姓の血だと思います。
それも水飲み百姓の。

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酔生夢人
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仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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