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少年マルス 8

第八章 山の製鉄小屋

「この山の北にも国があって、森と湖が多く、とてもきれいな所らしいですよ」
ジョンが言った。
「アルカードというんだ。美しい国らしいが、アスカルファンの者で、アルカードに行って戻ったものは少ない。いつか行ってみたいものだな」
オズモンドが馬車の中から言った。
マルスはグレイの腹を軽く蹴って、先の様子を見てくることにした。
ポラーノに入ってから三日になるが、ガレリアはまだ見えない。マルスの目的は、ガレリアよりも、さらにその北、山腹にある宗教都市グルネヴィアにあった。アスカルファンの国教、エレミエル正教の寺院、修道院がいくつも集まったグルネヴィアには、もしかしたら叔母のトリスターナがいるかもしれない。叔母のことは、オズモンドを通じて聞いただけだが、北の修道院にいることは確実なようだ。但し、グルネヴィア以外にも修道院はあと二つあり、そこでなければ、あと二つの町を訪ねてみなければならない。
叔母に会えば、もしかしたら父の消息がわかるかもしれない。オズモンドも、ジルベールのことについてはほとんどわからず、ただ、若い頃に旅に出たまま行方不明になっていると聞いていただけである。
マルスが馬を進めていくと、街道は二つの道に分かれた。右手の道の側には小さな川が流れ、その上流は山に続いていた。ガレリアのあるミュヨー山は連山であり、これは独立した山だから、左の道を行くべきだろう。だが、マルスは川岸の砂が一面黒くなっているのに気づいた。
近づいて、ナイフを砂に近づけてみると、細かな鉄粉がナイフにくっついてきた。磁鉄鉱の粒、つまり砂鉄である。川岸に多量の砂鉄が溜まっているということは、上流で鉄作りをしている可能性がある。
馬車に戻ってオズモンド等とともに、マルスは川の上流へ向かう道を登っていった。
山の麓に旅籠があったので、そこで一休みし、オズモンドたちはそこに残してマルスは一人で山に登っていった。
やがて道は尽きたが、獣道を通っていくと、見通しの利く谷間に、煙の立ち上っているのが見えた。その谷間を川が流れ、煙は川の側の小屋から立ち上っているらしい。
突然、前の茂みがガサガサと鳴り、巨大なものが姿を現した。
一瞬、熊かとマルスは身構えた。
現れたのは人間だった。だが、ほとんど巨人と言ってもよい身の丈で、マルスの二倍近い高さがある。黒人で、頭には毛がなく、でっぷりと太っているが鈍重な感じではない。
男はマルスを見て驚いたようだった。
「お前、何者だ。こんなところで何してる」
大男は、背中に背負っていた薪を下ろしながら、たどたどしい口調で言った。
「この辺に、鉄を作っているところはないか。鉄を買いに来たんだ」
「商人か。うちの主人が鉄を売る相手は決まっている。会っても無駄だ」
「会わなければ、いい話かどうか分かるまい。まず、会わせてくれ」
 大男は少し考えていたが、頷いて言った。
「よし、分かった。会わせるからついて来い」
大男がマルスを連れて行ったのは、やはり先ほど見た谷間の小屋だった。
崖に沿って幾つかの炉が並び、そのうち半分ほどから煙が立っている。
一つの炉の前で、炉に木炭を並べ入れている中年の男がここの主人だろう。髭も髪も炉の熱で短く焦げており、背中が曲がっているのは、クル病だろうか。
「ジョーイ、どこへ行きやがった。あの役立たずめ!」
マルスの来たのにも気づかず、男は怒鳴り声を上げた。
「ご主人様、お客です」
「客だと? こんなところに何の用だ」
男はマルスに顔を向けた。男の顔は右半分が醜く焼け爛れていた。右目は潰れているようだ。まるで、神話のバルカンのような男だ。
「鉄の細工をお願いしたいのだが」
「お門違いだ。うちは鉄作りであって、細工はせん。細工は町の鍛冶屋に頼むがいい」
「ならば、鉄を仕入れたいが、幾らくらいだろうか」
「うちは決まった問屋にしか品物は売らん。問屋から買いな」
マルスは、交渉をあきらめることにした。男の言うのはもっともである。顧客への義理もあるだろうから、よそ者が、いきなり製造現場に来て交渉するのは無理がある。
 マルスが小屋から離れて林の小道に入ると、林の中から現れた者がいた。
 まだ十四、五歳の赤毛の少年である。マルスよりはずいぶん幼く見えるが、顔つきは無邪気さと抜け目なさの混じったようなところがある。
「兄さん、鉄が欲しいんかい?」
「ああ」
「うちはやめといた方がいい。もう少し上に行くと、もう一つ製鉄場がある。そこは人を十人以上も使って鉄を作っている。うちはもうすぐ終わりさ」
マルスはあけすけな少年の言葉に、思わずその顔を注視した。

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少年マルス 7

第七章 北への旅

 ケインの店は様々な道具や雑貨を扱っていたが、中には弓や槍や剣もあった。ほとんどは安物だが、それでも買う客はいる。
マルスはケインの店に、自分の作った弓を置くことにした。
いつも気に入ったものができるわけではないが、材料はほとんど只だし、平均して二日で三丁の弓と十本の矢を作り、弓は二十リムから五十リム、矢は二リムで、よく売れた。大きなパン一個が五十エキュ、つまり半リムくらいだから、矢一本で一日の食費くらいは簡単に稼げるわけである。
マルスの作った弓と矢は評判が良く、他の町に持っていくと、数倍の値段で売れたようである。
マルスは毎朝、近くの山に材料を探しに行き、良い木の枝や細竹を何本も束にしてかついでくる。午後はずっと、その材料で弓と矢を作るのである。
問題は、矢の矢尻の材料とする鉄が高価なことである。
マルスは、北の町に行ってみようと考えた。北の方には、鉄の取れる山があるらしい。そこは温泉も出て、修道院もある。もしかしたら、自分の叔母のいる修道院もあるかもしれない。その叔母から、父の消息も聞きたかった。
マルスがその事をオズモンドに話すと、オズモンドは、自分も行く、と言い出した。
「僕はほとんどバルミアから出たことがないんだ。一度旅をしてみたいと思っていた」
側で話を聞いていたマチルダが、「私も連れて行って」と言ったが、オズモンドは邪険に、「女なんか連れて行けるか。足手まといだ」とにべもなく言った。
その場はそれで収まったが、出発の朝、マルスがオズモンドを迎えに行くと、オズモンドの側には旅支度をしたマチルダが、澄ました顔で立っていた。
「おい、これはどういうことだ?」
マルスが小声で聞くと、オズモンドは忌々しそうに、
「聞かないでくれ。どうしてもあいつを連れていかにゃあならんのだ」
と言った。
どうやら、何かで妹に脅迫されたものらしい。
オズモンドとマチルダは、ジョンというレント生まれの中年の召使が御者をする馬車に乗り、マルスは、ここ一ヶ月ですっかり丈夫になったグレイに乗って行くことにした。
「行く先は、ガレリアですな」
ジョンはのんびりとした長い顔に似合ったのんびりとした声で言った。
「ガレリアはいいところだ。バルミアもいいが、私なら、老後はガレリアで過ごしたい」
「あなたの隠居場所を探しにいくんじゃないわよ」
マチルダにやりこめられたが、ジョンは「へいへい」と軽く受け流している。

マルスはジーナの事を考えていた。
ジーナもこの旅に付いていきたがったのだが、ケインが許さなかったのである。
ケインはマルスを非常に気に入っていて、実の息子のように思っていたが、結婚前の男女が二人で旅をするのは良くない、と考えたのだった。
馬車の中で相変わらず喧嘩をしているオズモンドとマチルダを見ながら、マルスは少し寂しさを感じていた。それは、山にいた頃は、たとえ一人きりで山小屋に一月閉じ込められても決して感じなかった感情だったが。
「どうですか、マルスさん。兄弟ってのはいいもんですな。あんなに喧嘩ばかりしていても、オズモンド様はマチルダ様が可愛くてたまらんのですよ。マチルダ様もオズモンド様が本当は大好きだし」
ジョンが、御者台から身を乗り出して、中の二人に聞こえないようにささやいた。
マルスが「そうだな」と答える前に、馬車の中から
「ジョン、何か言った? お前、マルスなんかに余計な事を言ったら承知しないわよ」
とマチルダが言った。
ジョンは肩をすくめて、言った。
「何も言いませんよ。明日の天気はどうかな、と話しただけで」
「そんな話を何でひそひそ話すのよ。だいたいジョンは生意気よ。お兄様が甘やかすもんだから。この前もメラニーがお尻を触られたと騒いでいたわ」
「それは誤解です。何気なく手を出したところに、あの子のお尻がたまたまあっただけで。いわゆる偶然のいたずらという奴ですな」
「そんなに女のお尻が触りたければ、さっさと結婚なさい」
「と言われても、私は独身主義ですからなあ」
「まあ、あんたと結婚してくれる相手を探すのは干草の山に落ちたピンを探すより難しいだろうけどね」
「お嬢様の口達者にはかないませんな。お嬢様と結婚なさるお方も大変だ。ねえ、マルスさん」
「いるとすれば、そいつは殉教者より偉いな」
「なんですって? 少なくともあんたとだけは、この世が終わりになって、世界にあんたと私しかいなくなっても、ぜえったいに結婚しませんからね」
マチルダの喚き声から逃れるため、マルスはグレイの腹を軽く蹴った。

バルミアを出て、十日後、前方にまだ白く雪をかぶったガブール山脈が見えてきた。
目的地のガレリアは、あの山の麓である。

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少年マルス 6

第六章 マチルダ

「何だって? 君はオルランド家の者なのか。じゃあ、貴族じゃないか。オルランド家の先先代はこの国の宰相も勤めた名門中の名門だ」
「だが、僕の身を明かす証拠は何も無い。父の形見のペンダントがあったんだが、旅の途中で盗賊に盗まれてしまったんだ」
「そうか。それはまずいな。だが、まあ、そのうち君の身を明かす機会もあるだろう。下手に名乗り出ると、危ない気がする。今の当主は、あまり評判の良くない男だからな」
「アンリか?」
「そうだ。ジルベールが行方不明なのをいいことに、オルランド家の当主の座を自分のものとし、妹はどこかの修道院に押し込めてしまったという話だ」
「妹、というと僕の叔母か。そんな人がいたとは知らなかった」
「非常に美しい人だったらしいがな」
マルスは考え込んだ。自分に叔母がいたなら、会ってみたい気もする。
食堂の戸口で足音がした。
マルスが振り向くと、誰かが足早に入ってくるところだった。
すらりとした体つきの、びっくりするほどきれいな少女である。
年は十五、六くらいだろうか。ジーナよりは三つ四つ下に見える。実に華やかな感じで、きれいなことはきれいだが、つんと顎をしゃくりあげたような、高慢そうな少女だ。
「お兄様、わたしのボンボンを勝手に食べたでしょう」
「知らんよ。お前の仲良しのメラニーが食ったんじゃないか」
「メラニーはそんな意地汚いことはしません」
「俺ならやるってのか」
「そうです。お兄さんは食いしん坊だから」
「お前ほどじゃないよ」
客の目の前での突然の兄弟喧嘩に、マルスは戸惑ったが、そんな事にはお構いなしに二人はひとしきり言い合った後、息を切らして言いやめた。
「お兄様、この方は?」
「マルスだ。僕の友達だ」
「だって、この方平民でしょう?」
「貴族だよ。オルランド家の人だ」
「嘘よ。貴族がどうしてこんな身なりをしているの」
マルスは思わず、口を開いた。
「身なりで決まるんなら、あんたも平民の身なりをしたら平民になるってことだな」
「まあ、失礼な。貴族はどんな身なりをしても貴族です。持って生まれた気品というものがあります」
「それなら、僕の知り合いの商人の娘はあんた以上に貴族らしい貴族だな」
「んまあ、何て事を。お兄様、こんな得体の知れない者にこんな事を言わせていいのですか?」
「いいとも。僕の言いたい事を見事に言ってくれたよ」
オズモンドの妹はぷんと膨れっ面をして部屋を出て行った。
「ああ、静かになった。まったくうるさい奴だ」
「君の妹かい?」
「ああ、マチルダというんだ。気を悪くさせたら謝る。口は悪いが、あれで気のいいところもあるんだ。親父が甘やかしたもんだから、高慢で、我侭に育ってね。……ところで、さっき言ってた商人の娘ってのは、君が昨日一緒にいた娘さんかい?」
「ああ、ジーナと言うんだが、旅の途中で知り合ってね」
マルスはケイン一家を盗賊から救った話をしようかと思ったが、自慢話みたいになるので、それは言わなかった。
「そうか、べつに君の恋人というわけじゃあないんだな」
オズモンドは安心したように言った。
「ところで、王室付きの占い師のカルーソーってのは知ってるかい?」
マルスは思いついて、そう尋ねてみた。
「知ってるよ。占い師というよりは学者だな。魔法も多少は使えるらしいが」
「その人と会うことはできないかな?」
「王様以外にはあまり人と会わないようだが……」
「もし、その人に会えたなら、ロレンゾという魔法使いを知っているかと聞いてくれないか」
「分かった。機会があったら聞いてみよう」
食事も終わったので、マルスはオズモンドの屋敷を辞去することにした。
「いつでも好きな時に訪ねてきたまえ。召使たちにはそう言っておくから、僕が不在でも上がればいい。食事でも何でも召使に命じればいいから」
オズモンドはにこやかにそう言ってマルスを送り出した。

ケインの家に戻ると、ジーナが心配そうに出迎えた。貴族は気紛れだから、昨日はああ言ったものの、マルスが門前払いを食うのではないかと考えていたのである。
ケインの家の夕食は、オズモンドの家の食事に比べると話にならないくらい質素なものだったが、心がこもっていて、この方がマルスには美味く感じられた。

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少年マルス 5

第五章 オズモンド 

「いざと言う時に弓が折れては命に関わる。もっといい弓を売るんだな」
マルスは言い置いて、その場を離れた。
「おい、ちょっと待ってくれ」
後からマルスを追いかけてきたのは、先ほど弓を買おうとした若者である。
「さっきは有難う。おかげで、インチキな弓を買わずに済んだ」
マルスは足を止めた。
「あの商人には悪い事をした。向こうも商売なんだから、あんな物を売るのも仕方が無い。買う方が、気をつけるべきだ」
「ううむ。確かに、こっちに見る目が無かったのは問題だが、僕はあまり武術はやったことがないんだ。ところで、僕の名はオズモンド。君は?」
「マルスだ」
「そうか。マルス、友達になろうじゃないか。どうやら、君は弓にかけてはなかなかの腕の持ち主のようだ。僕は、いずれ王室付きの武官になるはずだが、武術にはまったく自信がない。どうか僕に弓を教えてくれ」
マルスは若者の率直な話し振りが気に入った。
「いいとも。だが、僕は平民だ。君は貴族だろう?」
「大丈夫だ。僕の家では、僕がイエスといったら、何でもそれで通るんだ。僕の家は、セントリーナのローラン家だ。明日にでも訪ねてきたまえ」
「分かった。訪ねよう」
マルスは、オズモンドがマルスに話し掛けながらも、絶えずジーナを意識していることに気づいていた。
オズモンドが去った後で、マルスはジーナにその事を言った。
「彼はジーナが好きなようだよ」
「嘘よ。だって、あの人、一度も私の方を見なかったわ」
「だからおかしいのさ。ジーナみたいなきれいな子がそばにいるのに一度も見ないなんて不自然だよ」
「私はきれいじゃないわ。この町には私なんかより何倍もきれいなひとはたくさんいるわよ。そのうちマルスにもわかるわ」
ジーナは笑ってうち消したが、マルスには、ジーナほどきれいな子はいないだろうと思われた。

翌日、マルスは町の中心地、セントリーナに、オズモンドを訪ねた。
セントリーナは、王宮に至るなだらかな斜面に貴族たちの邸宅が立ち並んだ一帯である。
オズモンドのローラン家は、その中でも特に広大な邸宅で、塀に囲まれた敷地の、森に見まがうような林を抜けると、広く明るい庭があり、庭には一面に芝草が生え、庭の中央には池がある。池の周りは神々や怪獣の石像で囲まれ、池には中央の石像の口から水が絶えず流れ出ている。
「オズモンドに、マルスが会いに来たと伝えてくれ」
長い顔に長い鼻をした召使に告げると、召使の男は、オズモンドから聞いていたのか、すぐにオズモンドに取り次いでくれた。
「やあ、マルスか。よく来てくれた」
二階から急ぎ足に下りてきたオズモンドは、笑顔でマルスを迎えた。
マルスはオズモンドに、手にしていた弓を渡した。
「これをあんたにやろう。この弓なら、どんなに強く引いても折れることはない。これが矢だ。今はこれだけしかやれないが、そのうちもっと作ってやる」
弓と矢は、昨日ケインの家に帰ってから、近くの林で取ってきた木材で作ったものだ。
二人は庭に出た。
マルスはオズモンドに手本を見せた。マルス自身は誰に教わったわけでもなく、父親のやり方をみようみまねで覚えたものだが。
マルスは無造作に、二十歩ほど先の木の幹を射た。
ヒュッと矢は飛んで、木の幹の中心に刺さった。
オズモンドの目には、一条の光の筋が走ったように見えた。
近づいて刺さった矢を確かめると、三尺ほどの矢の五分の一近くが、木にめり込んでいた。オズモンドの力ではその矢を抜くことはどうしても出来なかった。
マルスがオズモンドに代わって、矢を引き抜いた。
「失敗した。矢尻が木の中に埋まって抜けてしまった。後で別の矢尻をつけよう」
オズモンドは感嘆の目でマルスを見た。
「君の弓は神業だ。どうしたら、そんなになれるんだ?」
「長くやっていたら誰でもそうなるさ」
弓の練習の後、オズモンドはマルスを昼食に招待した。
ちょうど腹もすいていたので、マルスはその招待を受けることにした。

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少年マルス 4

第四章 首都バルミア

「私の名はケイン、これは妻のマリアと娘のジーナです。私たちはバルミアで雑貨商を営んでおりますが、時々巡礼も兼ねて地方へ行商に参ります。今回は北の聖地グルネヴィアにお参りした帰り道で、あのような乱暴者たちに出会って危ういところをあなた様に救われた次第です」
道々、男はそのように自己紹介した。家族は荷物を驢馬に積んでおり、自分たちは徒歩で旅していたらしい。その驢馬は道から少し離れたところで草を食べているのが見つかった。命が助かっただけでなく、荷物も無事だと知って、ケインは大喜びだった。
マルスはグレイを供にこの家族と旅を続けた。
「バルミアまでは、あとどのくらいですか?」
「そうですな。この調子ですと、あと三日ですかな。なんとか、聖フランシスコの祭りには間に合いそうです。なにしろ、商人には稼ぎ時ですから、祭りの三日前くらいには帰りたいものです。ところで、あなたはどのような御用でバルミアに行かれるのですか? さしつかえなければお聞かせねがえますか」
マルスは彼らに、父ジルベールの事を語った。
「何と! あなたはオルランド家の若君ですか。いや、おっしゃられれば気品が並みではない」
「しかし、私の身を明かすものは無いのです。たった一つ持っていたペンダントは、この旅の途中で、二人組みの悪者に盗まれまして」
「二人組みの悪者?」
「はい、ピエールとジャンと名乗ってましたが」
「ほう、そのピエールは年の頃は二十七、八、ジャンはまだ十九くらいの若者ですか?」
マルスは商人があの二人を知っているのに驚いた。
「その通りです。御存知ですか?」
「有名な盗賊です。いつも二人だけとは限りませんが、この二人で組むことが多いようです。普通は金持ちしか狙わず、滅多に人を殺めないので妙に人気があるのですが、お話を聞けば、ただのこそ泥ですな。まあ、もともと商人にとっては収税人と盗賊は、不倶戴天の敵ですがね」

三日後、一行はアスカルファンの首都、バルミアに着いた。
バルミアは人口約三万人の大都市であり、アスカルファンの南の海に面した海岸に開けた港町でもある。もっとも、この頃は造船技術は未発達なので、国と国との貿易はそれほど行われていない。大きな帆船でも最大乗員は二百人くらいである。従って、海から他の国が攻めてきたことはほとんど無い。
バルミアの北の小高くなった丘に王宮があり、その西にこの国の神を祭る神殿がある。家の多くは白い石造りだが、納屋は木造のものが多い。
さすがにこの国第一の都会とあって、町の賑わいは大変なものである。
大通りには小商人が露店を出し、青果や小間物、道具類を売っている。人通りが多く、狭い場所では肩がぶつかったとかいう理由で、あちこちで喧嘩も起こっている。中には、連れている馬や牛や羊が暴れ出し、大騒ぎになっている所もある。
マルスはケインの家に泊めて貰うことにした。
ケインの家は石造りの二階家で、一階の表は雑貨の店、裏に台所があり、裏庭には納屋と家畜小屋があり、鶏数羽と驢馬二頭が飼われていた。二階が居間や寝室である。
「狭いところですが、ここにご滞在の間は気兼ねなく使ってください」
マルスは与えられた部屋に荷物を下ろし、何日かぶりに身軽になった。
一眠りした後、台所で湯を求めて、布に浸して体を拭い、旅の汚れを落とすと、マルスはさっそく、バルミア見物にでかけた。
ジーナが案内役を買って出たので、二人は一緒に家を出た。
午後の日に照らされたバルミアの町並みは、来た時に比べると、何となく寂しげな感じがある。市場の雑踏も一段落ついた様子で、そろそろ荷物を片付け始めている者もいる。
マルスは、ある露店の前で足を止めた。
雑貨の店だが、その中には武具の類も幾つかある。
その中で、マルスの目を引いたのは、弓であった。
彼の目からは、ほとんど使用に耐えない貧弱な弓に十五リムもの値段が付けられていて、それに驚いたのだが、もっと驚いたのは、その弓を買おうとしている男がいたことだ。
まだ二十代前半の、身なりの良い、可愛らしい顔の男で、貴族の子弟らしい。
「弓が欲しいんだが、この弓はいいものかな」
商人はここぞとばかりに売りつけようとする。
「ええ、上物も上物、聖ロマーナ様が竜を退治した弓にも引けはとりませんぜ。もっとも、並みの腕では、なかなか扱えないんだが、あんたのような立派な武士なら大丈夫」
思わず、マルスは口を出してしまっていた。
「その弓は駄目だ。木がヤワだし、節もある。せいぜい二十歩くらいしか飛ばせないし、強く引いたら折れてしまう」
「何だと、俺の品物にケチをつける気か!」
商人は息巻いた。
マルスはその弓を手に取った。
「引いていいかね。引いて、折れなかったら謝る」
「おう、引いてみろ。ただし、折れなかったら只じゃあ済まねえぞ」
マルスは弓を手にとって引いた。
一杯に引き絞るまでもなく、半分引いたところで、弓は二つに折れた。
商人は呆然と折れた弓を見ていた。

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少年マルス 3

第三章 旅の商人

(俺は何て愚か者なんだ。見知らぬ他人の前でぐっすりと眠りこけるなんて。ギル父さんの形見の弓だけじゃなく、ジルベール父さんの形見のペンダントも無くしてしまったんでは、父さんに会えても、本当の息子だと証明することもできないじゃないか)
マルスは自分の頭を殴りつけたくなったが、いつまでもこうしてはいられないので、出発することにした。幸い、男たちが盗んだのは、弓とペンダントだけだったので、マルスは男たちの食べ残しのハムやパンやチーズを袋に目一杯詰め込んで、その家を出た。
家を出ようとした時、マルスの耳に、何かの鳴き声が聞こえた。
家の裏側の方だ。
マルスは家の裏側に回った。
そこには家畜小屋があり、そこに一頭の馬が繋がれていた。病気らしく、痩せこけた馬である。
マルスは飼い葉桶を見たが、桶には飼い葉は入ってなかった。病気ではなく、飢えているだけかも知れない。
マルスはその馬を連れて行くことにした。誰の馬かは知らないが、ここに置いていても飢え死にさせるだけだろう。
元気の無い馬の歩調に合わせて、マルスはぶらぶらと歩いていった。馬は途中で何度も立ち止まり、道端の草を食べたが、マルスはその度に馬が食べ終わるまで辛抱強く待った。
馬は特に手綱を付けなくても、逃げる様子は無かった。というより、逃げる気力も無かったのかもしれない。
マルスは、灰色のこのみすぼらしい馬にグレイと名づけた。
グレイは自分の新しい名を理解しているらしく、半日も旅するうちに、呼ばれるとゆっくりとマルスのところにやってくるようになった。

バルミアまであとどのくらいなのか、マルスには分からなかったが、少なくともあと二、三日では着くだろうと思われた。街道を通る人の数が増えてきたことからそう考えたのである。とはいっても、半日に一人か二人、あるいは何人かで連れ立って旅する集団に出会うだけだが。そのほとんどは行商人かジプシーである。すれ違う人々は、馬を連れながら、馬に乗らず、荷物も自分で持って歩いているマルスを珍しげに見て、
「そんなに馬が可愛けりゃあ、いっそ、馬を背中におぶっちゃあどうだい」
などと、嘲笑の声をかけたりした。

街道は、ある森の中を通っていた。マルスは道から離れて、弓を作るのに都合のいい木を探した。硬くて折れにくく、弾力性のある木の枝が理想的である。
しばらく探すと、マルスの希望にぴったりの木が見つかった。マルスはその木の一番いい枝をナイフで切り取った。硬くて、切るのに難渋したが、これくらいでないと、いい弓はできない。まずは、無駄な小枝を払い落とし、一本の棒にする。
その時、誰かの悲鳴が聞こえた。女の声のようだが、助けを求めているらしい。
マルスは枝を手にしたまま、声のした方に走った。
街道に戻ると、そこが騒ぎの場所だった。五人の盗賊が、三人の旅人を脅しているところらしい。
盗賊たちはそれぞれ剣を手にして、それを旅人たちにつきつけている。旅人たちは家族らしい。中年の男と、その妻らしい中年の女、それに娘らしい若い女が、すっかり怯えて竦んでいた。
盗賊は、旅人たちの服まで奪うつもりらしく、服を脱げと言われたのに娘が従わないので、脅されている、といったところのようだ。
「おい、盗賊ども。俺が相手だ」
突然林の中から現れたマルスに盗賊たちは一瞬慌てたが、相手が一人と知って、大した事は無いと判断したようだった。
「若いの、いい度胸だが、俺達の邪魔をする奴は生かしちゃおけねえ」
髭面の盗賊たちは、剣を振り上げて、マルスに向かってきた。
マルスの手にしているのは、先ほど切り取った木の枝である。長さはおよそ四尺、長さだけなら盗賊たちの三尺の剣より有利である。
向かってきた盗賊の頭や肩に、マルスは手にした棒を叩きつけた。盗賊のうち二人は地面に倒れて気絶し、残る三人はさすがに慎重になった。
だが、いかに喧嘩慣れした盗賊とはいえ、狼や猪などの野生の獣を相手にしてきたマルスの目からは、のんびりした動作でしかない。殺到する三人の剣を余裕をもってかわしながら、その腕や頭を棒で打ち据える。盗賊たちはマルスの足元にうずくまり、あるいは横たわった。マルスは、彼らの体の側に近づいて生死を確かめた。
五人の盗賊のうち二人は既に死んでいたので、穴を掘って道のそばに埋め、残る三人は、息を吹き返した後で、両手の親指と小指をへし折って釈放した。残酷に思える処置だが、今後、武器を手にして悪事を働くことができないようにするためである。これは凶悪な人間への、マルスたちの仲間の裁き方であった。
「なんとお強い若者だろう。このお礼はなんと申してよいか」
マルスに助けられた旅人はしきりに頭を下げた。
「どうかお名前をお教えください」
娘に言われて、マルスは名を名乗った。
「バルミアまで行かれるのですか? それなら私たちもご一緒させてください。バルミアには私たちの家がありますから、そこでゆっくりとお礼を申し上げたいと思います」
懇切な申し出にマルスは断りきれず、この旅の家族と一緒にバルミアまで行くことにした。

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少年マルス 2

第二章 魔法使いロレンゾ

 やがてその影はマルスの前で人の姿になった。
 これまでマルスが見た事の無い、異様な身なりの男である。
 年のころは六十過ぎと見えたが、長い髭は白いものの、血色の良い顔に逞しい体をしていて、並みの若者には負けない体力がありそうに見えた。
全身をすっぽり包むフード付きのマントで身を覆っており、顔以外はほとんど見えないのだが、杖を持った腕の太さから、その腕力の強さは分かる。
男は鋭い目つきで、じろりとマルスを見た。
「猟師のギルの息子、いや、オルランド家のジルベールの息子、マルスじゃな。そうか、お前がこの国を救う者となるのか」
男の言葉はマルスには何の事かさっぱり分からなかった。
「それはどういう事です? あなたは何者ですか? どうして僕のことを知ってるんですか?」
「お前には大事な使命がある。いずれその使命をお前は知るだろう。オルランド家に行くまでもない。あそこはすでにジルベールの弟のアンリが継いでおる。ジルベールはまだ生きておるが、お前と出会うのはずっと先だ。お前が自分の使命を果たしたら、ジルベールにも会えるだろう。わしの名はロレンゾ、いずれわしともまた会うはずだ。王宮に行くがよい。王室付きの占い師、カルーソーにわしの名を出せば、カルーソーが面倒を見てくれるだろう。この護符をお前にやろう。魔物の力が及ばなくなる護符だ。さあ、行け。今はこれ以上話すことはない」
そういうなり、ロレンゾと名乗った男の姿はマルスの前からふっと消えた。
マルスは男から渡された護符を見た。小さな羊皮紙に、青いインクで奇妙な模様と字が書いてあるが、文字を習ったことのないマルスには、何と書いてあるのか分からない。
マルスはその護符をペンダントの裏に収めて首に掛けた。

マルスは魔法使いを見たのは初めてだったが、そういう者がいることは知っていた。カザフの村にもいたが、幼稚な手品や、当てにならない占いをやる男で、魔法使いとはそういうものだろうとマルスは思っていた。だが、先ほどの男はカザフの「魔法使い」とは違っていた。人間が空中を滑るように走ったり、姿を消すのは初めて見た。しかも、初めて会ったマルスの素性をぴたりと言い当てた。世の中には不思議な者がいるものだとマルスは少々怖くなったが、相手は自分の味方のようだったので、その点は心強かった。
歩いているうちに、日がだんだんと夕暮れに近づいてきた。
野宿を覚悟で歩いていると、小さな山の麓に一軒の荒れた様子の小家があり、窓から明かりが漏れていたので、マルスはそこに一夜の宿を乞うことにした。
戸を叩くと、「入れ」と言う声が中からする。
マルスは戸を開けて、中を覗き込んだ。
暖かく火の燃えた暖炉を前に、二人の男が酒盛りをしている様子である。テーブルの上には大きな肉の塊やパンやチーズがたっぷりとある。マルスは思わず、唾を飲み込んだ。
二人の男は都会風の身なりをしていた。まだ若い感じで、一人は二十代後半、もう一人は十代後半で、マルスより三つ四つ年上という感じだったが、背はマルスより低そうだ。もっとも、椅子に腰掛けているので、正味の所は分からない。年上の方は、マルスよりも僅かに背が高い感じで、椅子にだらしなくもたれかかって暢気な顔でグラスを傾けている。
「お前は旅の者か? まあ、ここに来て一緒に一杯やろう」
年上の方が、マルスに声を掛けた。
暖炉に近づくと、自分の体が凍えきっていたのが分かる。
マルスは勧められたワインを有難く飲んだ。甘いワインが腹に落ちると、体が中から温まっていく。
「お前さんまだ若いのに、たった一人で旅してるのかい。その棒がお前さんの武器なら、少々頼りないな」
年上の男は、マルスが傍に立てかけた槍の柄を見て言った。槍の穂先は布に巻いて、袋の中に入っているのだが、特にマルスは説明しなかった。
男はテーブルの上の食べ物も食べろと言ってくれたので、マルスは大きな鳥の腿肉の炙ったものを手に取った。
「ちょっと、その弓を見せてみな。こいつはなかなかの代物だな。町で売れば五十リムにはなる。お前さんの手作りかね?」
「父のです」
「ふむ、どうだい、俺のこの剣と取り替えないか。この剣は、飾りだけでも百リムはするぜ。俺は弓には目がなくてな」
「すみませんが、父の形見なので」
「そうか。じゃあ、仕方ないな。おっと、言い遅れたが、俺はピエール、こいつはジャンだ」
「マルスといいます。酒と食事をどうも有難うございました」
「いいってことよ。旅は道連れ、世は情けってこった」
ピエールは鷹揚に言って笑った。
マルスはワインのせいで眠気がさし、二人の男より先に寝ることにした。
眼が覚めた時、あたりはまだ暗かったが、周りに人の気配は無かった。はっとマルスは胸に手をやったが、そこにペンダントはなかった。そして、枕もとに置いて寝た父の形見の弓も無くなっていたのであった。

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HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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