第十章 不穏な情勢
「お前の得物は何だ? 剣か槍か棒か。何でも相手になってやるぞ」
ピエールはうそぶいた。
「殺し合いをするほどの事じゃない。素手でいこう」
「素手か。いいだろう」
二人は互いの隙を窺っていたが、ふとしたきっかけで、ピエールが飛び込んでパンチを繰り出した。マルスはピエールのパンチを上手くかわして、逆にその胃袋にパンチを叩き込んだ。ピエールはうめき声を上げたが、こらえて左フックを放った。その左フックはマルスのこめかみをかすり、一瞬ふらっとさせた。なかなかのパンチの持ち主らしい。
何度かのパンチの応酬の後、マルスはピエールが出したストレートパンチの腕を捉え、引っ張るように肩に担ぎ上げ、柔道の肩車のように地面に叩きつけた。ピエールはうっと声を上げて悶絶した。
マルスはピエールの側に立って相手を見下ろした。
「どうだ、まだやるか」
「参った。降参だ。弓は返すよ。ペンダントは売っちまった」
ピエールはぼうっとなった頭を振って意識をはっきりさせながら言った。
「よし。じゃあ仲直りに一杯やろう。あんたには一度食事をおごられている。今度は僕がおごろう」
「そいつは有難い。お前、なかなかいい奴だな。気に入ったぜ」
食堂に戻ったマルスは自分たちの席にピエールとジャンを合流させた。以前に弓を盗まれてはいるが、マルスにはこの二人が悪人には思えなかったのである。素朴な田舎者ではあるが、マルスは人を見分ける力があった。カザフの村でも、山の猟師仲間でも、マルスが直感的にこいつは信じられないと思った人間は、たいていその後で何か悪事をしでかしていた。逆に周囲から変人扱いされている人間でも、マルスが認めた相手は、大体隠された美点の持ち主だった。
「この二人は泥棒のピエールとジャンだ」
マルスは仲間たちに二人をそう紹介した。
「おいおい、ひでえ紹介の仕方だな。こちらの美人は?」
ピエールは早速マチルダに目を付けたらしい。
「僕の妹のマチルダだ。僕はオズモンド。こっちは召使のジョン」
「召使も一緒に食事するとは、中々話せるな。俺は自分は貴族だと威張りくさっている奴が大嫌いでね」
「じゃあ、マチルダとは気が合いそうもないな」
オズモンドは澄まして言った。
「あら、私がいつ威張ったというのよ」
マチルダはそう言い返した。
「まあ、兄弟喧嘩はやめだ」
マルスが押しとどめ、これまでの四人にピエールとジャンを加えた六人は一緒に夕食を取った。
「ところで、お前さんたちはこれからどこに行くんだい?」
ピエールがマルスに聞いた。
「ガレリアだ」
「ほう、そいつは気を付けた方がいい。ガレリアはこの頃、なにやら不穏な気配がある」
「と言うと?」
マルスが聞き返すと、ピエールはあたりを窺うように声を潜めて言った。
「兵を集めて、戦争の準備を進めているようだ」
「国王への反乱か?」
「多分な」
「だが、領主カルロスのモンタナ家は国王の一族だぞ」
「一族とは言っても傍系だ。王位継承者は何人も国王家の中にいる」
「ポラーノ郡は富裕な所で、何の不足もないはずだが」
オズモンドが不審そうな顔で首をひねった。
「ああいう連中の欲望は限りがないものさ」
ピエールは、あっさり言った。
「国王が誰になろうと構わんが、戦は困るな」
マルスは呟いた。
「おいおい、国民は皆、国王の恩を受けているだろうが」
オズモンドはマルスをたしなめた。すると、ピエールがすぐに言った。
「いや、王や貴族が平民に恩を受けこそすれ、平民は王や貴族から恩は受けていない。王や貴族がいない方がこの世はずっと住み易いはずだ。俺の生まれたのは西のゲール郡だが、そこの領主は面白半分で住民を苛めて喜ぶような奴だった。俺の親父は、盗んでもいない馬泥棒の罪を着せられ、何日も晒し者にされて、殺されたんだ。その領主夫人ときたら、もっと残酷な奴で、百姓娘の顔がきれいなのが気に入らないと、その娘の鼻を削ぎ落とさせたんだぜ。こんな奴らに俺達が何の恩義を受けていると言うんだ?」
苦々しげに言うピエールの言葉に、オズモンドは言葉を失った。
「……だが、そんなひどい領主はほんの一部だろうし、とにかく誰かが国は治めないといけないんだから、その領主がいい人間か悪い人間かの違いだけが問題なんじゃないか?」
口ごもりながら、オズモンドはやっとのことで言った。
「お前の得物は何だ? 剣か槍か棒か。何でも相手になってやるぞ」
ピエールはうそぶいた。
「殺し合いをするほどの事じゃない。素手でいこう」
「素手か。いいだろう」
二人は互いの隙を窺っていたが、ふとしたきっかけで、ピエールが飛び込んでパンチを繰り出した。マルスはピエールのパンチを上手くかわして、逆にその胃袋にパンチを叩き込んだ。ピエールはうめき声を上げたが、こらえて左フックを放った。その左フックはマルスのこめかみをかすり、一瞬ふらっとさせた。なかなかのパンチの持ち主らしい。
何度かのパンチの応酬の後、マルスはピエールが出したストレートパンチの腕を捉え、引っ張るように肩に担ぎ上げ、柔道の肩車のように地面に叩きつけた。ピエールはうっと声を上げて悶絶した。
マルスはピエールの側に立って相手を見下ろした。
「どうだ、まだやるか」
「参った。降参だ。弓は返すよ。ペンダントは売っちまった」
ピエールはぼうっとなった頭を振って意識をはっきりさせながら言った。
「よし。じゃあ仲直りに一杯やろう。あんたには一度食事をおごられている。今度は僕がおごろう」
「そいつは有難い。お前、なかなかいい奴だな。気に入ったぜ」
食堂に戻ったマルスは自分たちの席にピエールとジャンを合流させた。以前に弓を盗まれてはいるが、マルスにはこの二人が悪人には思えなかったのである。素朴な田舎者ではあるが、マルスは人を見分ける力があった。カザフの村でも、山の猟師仲間でも、マルスが直感的にこいつは信じられないと思った人間は、たいていその後で何か悪事をしでかしていた。逆に周囲から変人扱いされている人間でも、マルスが認めた相手は、大体隠された美点の持ち主だった。
「この二人は泥棒のピエールとジャンだ」
マルスは仲間たちに二人をそう紹介した。
「おいおい、ひでえ紹介の仕方だな。こちらの美人は?」
ピエールは早速マチルダに目を付けたらしい。
「僕の妹のマチルダだ。僕はオズモンド。こっちは召使のジョン」
「召使も一緒に食事するとは、中々話せるな。俺は自分は貴族だと威張りくさっている奴が大嫌いでね」
「じゃあ、マチルダとは気が合いそうもないな」
オズモンドは澄まして言った。
「あら、私がいつ威張ったというのよ」
マチルダはそう言い返した。
「まあ、兄弟喧嘩はやめだ」
マルスが押しとどめ、これまでの四人にピエールとジャンを加えた六人は一緒に夕食を取った。
「ところで、お前さんたちはこれからどこに行くんだい?」
ピエールがマルスに聞いた。
「ガレリアだ」
「ほう、そいつは気を付けた方がいい。ガレリアはこの頃、なにやら不穏な気配がある」
「と言うと?」
マルスが聞き返すと、ピエールはあたりを窺うように声を潜めて言った。
「兵を集めて、戦争の準備を進めているようだ」
「国王への反乱か?」
「多分な」
「だが、領主カルロスのモンタナ家は国王の一族だぞ」
「一族とは言っても傍系だ。王位継承者は何人も国王家の中にいる」
「ポラーノ郡は富裕な所で、何の不足もないはずだが」
オズモンドが不審そうな顔で首をひねった。
「ああいう連中の欲望は限りがないものさ」
ピエールは、あっさり言った。
「国王が誰になろうと構わんが、戦は困るな」
マルスは呟いた。
「おいおい、国民は皆、国王の恩を受けているだろうが」
オズモンドはマルスをたしなめた。すると、ピエールがすぐに言った。
「いや、王や貴族が平民に恩を受けこそすれ、平民は王や貴族から恩は受けていない。王や貴族がいない方がこの世はずっと住み易いはずだ。俺の生まれたのは西のゲール郡だが、そこの領主は面白半分で住民を苛めて喜ぶような奴だった。俺の親父は、盗んでもいない馬泥棒の罪を着せられ、何日も晒し者にされて、殺されたんだ。その領主夫人ときたら、もっと残酷な奴で、百姓娘の顔がきれいなのが気に入らないと、その娘の鼻を削ぎ落とさせたんだぜ。こんな奴らに俺達が何の恩義を受けていると言うんだ?」
苦々しげに言うピエールの言葉に、オズモンドは言葉を失った。
「……だが、そんなひどい領主はほんの一部だろうし、とにかく誰かが国は治めないといけないんだから、その領主がいい人間か悪い人間かの違いだけが問題なんじゃないか?」
口ごもりながら、オズモンドはやっとのことで言った。
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