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少年マルス 36

第三十六章 グリセリード軍の侵攻

海賊たちを撃退した後、マルスたちは、アスカルファンに上陸した。
ここはアスカルファンの西端のゲール郡である。ピエールの生まれ育ったところだが、彼はここにはいやな思い出しかないらしい。
「船に乗せて貰った礼に、お前らが知りたがっている戦争の様子を、この辺で聞いてくるよ」
ピエールはそう言って、ジャンと共に船を下りていった。
翌日の昼頃、ピエールとジャンは、前後して帰ってきた。
「戦場は、ポラーノ郡だ。諸侯たちは一応皆、国王軍側についているため、国王軍側が優勢なようだ。もっとも、アルプのジルベルト公爵や、ゲールのアドルフ大公は、戦場の近くでお茶を濁しているだけのようだ。形勢が変わったら、反乱軍に寝返るつもりだろう」
ピエールに続けて、ジャンも報告する。
「ポラーノのカルロスは、盛んに他の諸侯に密使を送って、反乱が成功した暁の報酬を約束しているようだ。やはり、それで心が動いているのは、ジルベルト公爵や、アドルフ大公のようだがね」
「グリセリード軍が侵入したという話は?」
オズモンドの問いにピエールが答えた。
「まだのようだ。しかし、山脈の向こうのことは分からん。あるいは、すでに山を越えているかもしれん」
 ピエールらが別れを告げて去った後、マルスたちはアンドレらと合流するため、アスカルファンの南西の小島、エレギアに向かった。エレギアから東に行けば、バルミアに行けるし、北に行けば、マサリア郡、あるいはアルカードに向かうことになる。
 約束の日、西の海上を眺めていたマルスは、水平線上に船が現れるのを見た。
船は次々に増え、やがて海上を五十隻の大船が埋め尽くした。
先頭の船の船首にアンドレの姿を認めて、マルスは大きく手を振った。
「凄い数の船だな。兵士は何人だ?」
船から下りてきたアンドレと握手しながら、マルスは聞いた。
「兵士が四千人に、馬が五百頭だ。細かく言うと、騎士が二百五十名、弓兵が五百名、歩兵が三千名で、残りが鎧職人や騎士の従者、船の水夫たちだ」
「それだけいれば、大きな戦力になりそうだな。だが、今のところ、国王軍が優勢なようだから、助けは必要ないかもしれん」
「いや、きっとグリセリード軍はやってくる。その時がレント軍の出番だ」
アンドレがそう言った時、北のアスカルファンの方から海上に一隻の小船が現れ、こちらに向かってくるのにマルスは気づいた。
「あの船は何だろう」
アンドレが言う間に、マルスはその船に乗っているのがピエールであることを見て取っていた。
浜辺に着いた小船から飛び降りて、ピエールはマルスとアンドレの方に駆けて来た。
「グリセリードが攻めてきた。二日前に山を越えていたらしい。昨日戦闘があって、国王軍が敗北したようだ。さっき俺の知り合いの早耳のラドクリフから聞いて、急いでここに来たんだ」 
息をはずませて言うピエールにマルスは手厚く礼を言った。
「なあに、昨日のままの話だと、俺は嘘を言ったことになる。俺は敵には悪どい事でも何でもするが、味方には信義は守るんだ」
マルスはオズモンドを交えて、アンドレと作戦を決めた。その作戦は、アンドレが兵の大半を率いてバルミア方面から国王軍の救援に向かい、マルスは北を回って上陸し、騎兵隊を率いてグリセリード軍の背後をつく、というものである。
アンドレは、アスカルファンの地図を広げて、じっと考え、やがて
「戦場はここになる」
と指差した。そこは、バルミア近郊の、イルミナスの野であった。
「会戦は、グリセリード軍の進軍速度から見て、五日後だ。マルスの軍は、我々の軍より、半日か一日遅くなる。マルスが間に合うよう、我々は戦闘をできるだけ長引かせるつもりだが、できるだけ早く到着してくれ。さもなければ、バルミアが戦場になるだろう」
オズモンドとマルスは顔を見合わせた。
バルミアの市民たちをグリセリード軍に蹂躙させてはならない。マルスの脳裏に、ジーナの顔が浮かんだ。
先ほどのピエールの話では、アスカルファンに侵入したグリセリード軍は、およそ一万人だという。さすがに物凄い数である。おそらく、その中には、グリセリードの属国から徴用された兵士たちも多いのだろう。これまでのアスカルファンの戦争では、多くても数千人単位での戦闘しかなかったのである。ポラーノの反乱軍も二千人で、それと戦った国王軍は、諸侯の参加した人数を入れても四千人だったようだから、数の上ではグリセリード軍に圧倒されている。レントの援軍を入れても、まだ数では負けているのである。
これもピエールの報告の一つだが、アルカードから山脈を越えてアスカルファンに侵入してきたグリセリード軍は、ほとんど馬を持っていない。だが、そのグリセリード軍が、国王軍を圧倒したのは、奇妙な武器を持っているためらしい。それは、弓の一種だが、恐ろしく強力な弾性を持った弓であり、人間の力では弦をひくことさえできない。簡単な機械で弦を引いて、それを留め金に掛け、引き金を引いて発射するという、機械のような弓である。石弓(弩)というものらしい。
機械で弦を引いてセットするのに時間がかかるのが、この石弓の欠点だが、弓兵の人数が多いグリセリード軍ではそれも問題にならず、国王軍は、常識を外れた距離から飛んでくる矢の雨の前に、為す術も無く敗れ去ったということである。

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少年マルス 35

第三十五章 海戦

「あんたたち、あの『肝食いインゲモル』を撃退したんだって?」
マルスたちの船に同乗している兵士の一人が、ジョンに聞いた。
「ああ、あのマルス様の弓で、一人でやっつけたんだ」
「そいつはいささか眉唾だな。なにしろ、あの『肝食い』に襲われて逃げ延びた船はほとんどないんだから。実のところ、レントがこれまでアスカルファンとの戦をためらっていた理由の一つがそれさ。途中で『肝食い』の船に襲われたら、かなわないからな」
「レントの軍はそんなに弱いのか」
「弱くはないが、船の操作は連中の方が上だ。風がどこから吹こうが、連中は船を自由自在に操る。で、こっちが負けるということになる」
「しかし、たった一隻の船に……」
側で聞いていたオーエンが思わず言った。
この若者は機敏で逞しい体をしているが、内気で、ジョンやマルス以外の者と話す事はほとんどない。だが、同じ庶民どうしだと、わりと気楽に口がきけるのである。騎士になった今でも、トリスターナやマチルダの前では真っ赤になって一言もしゃべれないのだが。
「一隻だって? インゲモルの一味は十隻くらい船があるぞ」
兵士が驚いたように言った。
「そうか。じゃあ、この前は、たまたま一隻でいたところに出くわしたんだ。幸運だったんだな」
「そうさ。二隻一度にかかられたら、マルスとやらの弓がいかに達者でも、かなわないだろうよ」
「おいおい、お前さん、インゲモルの身内かい。やけにそいつの肩を持つじゃないか」
ジョンがあきれて言った。
 船は幸い好天に恵まれて、順調に進んでいた。
 レントとアスカルファンの間は、順風なら二日で渡れる程度の距離でしかない。
 だが、アスカルファンの地が視界に入ったその時、北の方の水平線上に、一隻の船が現れ、その船はこちらに向かってぐんぐん進んできた。やがて、その船は、見る見るうちに、数を増し、五隻に増えた。
「インゲモルだ!」
見張り台の水夫が叫んだ。
 トリスターナとマチルダは怯えた顔で、手を握り合った。『肝食いインゲモル』の事は、既に話を聞いていて、彼女たちは彼を悪魔のように恐れていたのである。
 前回は運良く撃退できたが、一度に五隻も現れたのでは、どうなることだろうと、誰もが不安に思った中で、マルスだけは平然と海戦の準備をしていた。
「あなたたちも、火矢を作る手伝いをしてください。それから、万一、こちらの船に火がついたら消火をお願いします」
それから、マルスは同乗している兵士の主だった者を呼んで、戦闘の指示をした。
この船の指揮権は、マルスとオズモンドに与えられていたのである。しかし、オズモンドは指揮権をマルスに譲っていた。もともとその方面の自信は無かったからだ。
やがて、インゲモルらの船は、マルスの矢の射程内に入った。
マルスは近づいてくる船に、次々と矢を放った。その矢の距離と正確さは他の兵士たちを驚嘆させ、勇気付けたが、インゲモルらの船は、火があちこちに燃え移っても構わずにこちらに向かって進んでくる。消火活動は後回しにして、まず、こちらの船に乗り移ってしまおうという腹である。
マルスは、火矢を射るのをやめて、敵の船上にいる海賊たちを射始めた。
海賊たちは次々とマルスの矢に倒れていく。しかし、ついに敵の矢もこちらの船に届くようになってきた。
船の船長は、何とかして敵船との距離を保とうとするが、敵の船の方が船足が速く、とうとうマルスらのいる甲板に、敵の矢が突き刺さり始めた。
マルスは、遠距離用の長矢で、そのまま船首にいるインゲモルを注意深く狙った。
インゲモルは飛んでくる矢に備えて、鉄板を張った盾で身を隠している。
マルスは、矢を放った。
矢は一条の光のように飛んでゆき、インゲモルの盾を貫いてその体をふっ飛ばし、帆柱に射止めた。その体は、二、三度痙攣した後、柱に刺さったまま、ぶらりと垂れ下がった。
敵と味方の両方から、恐怖と感嘆の声が上がった。
「インゲモルが死んだぞ」
その声は他の海賊船に次々と伝わった。
マルスはもう一つの海賊船の舳先に立つ、船の頭目らしい男にも矢を放った。この男もインゲモル同様に、体を射ぬかれて、甲板の壁に縫い付けられた。
海賊たちはマルスたちの船を襲う気力を失ったらしく、追跡をあきらめ、去っていった。

こちらの被害はほとんど無く、わずかに甲板で転んだり物にぶつかったりして怪我した慌て物が何人かいただけである。
「この方は、弓の神様だ。軍神だ」
兵士の一人がマルスを称えて叫んだ。
その声はすぐに他の兵士たちの歓呼の声となり、船上に、海の上に響き渡った。
「マルス万歳!」
「軍神マルス様万歳!」

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少年マルス 34

第三十四章 スオミラの陥落

レントに来てから二週間ほどが経ったが、マルスの父親の行方はまったくつかめなかった。アルカードのような田舎だと、外来者は滅多にいないから一昔前に来た旅人の事もよく覚えているが、レントのように開けた国では、人の移動も多く、覚えていられないのだろう。
マルスはとうとう、レントでの父の捜索を諦めて、ひとまずアスカルファンに戻ることに決めた。バルミアのジーナの家族が、戦乱でどうなっているのかも気がかりだったからである。
だが、マルスたちが帰国の決意を王に告げる前に、思いがけない知らせが宮廷に届いた。
グリセリードの軍勢がアルカードに侵入し、アルカードのすべての町が、グリセリードの支配下に置かれたということである。
スオミラから辛うじて脱出してレントに逃げ延びてきた数人の者から報告を受けて、アンドレはさすがに悲痛な顔になった。
「父上は」
「ご無事です。だが、監禁されております。アンドレ様には、今すぐは町には戻るな、機会を見て、スオミラの救出を謀り、無理なようなら、そのまま外国で生きていけと告げるようにおっしゃってました」
「そうか……」
横からマルスが聞いた。
「ギーガーはどうなった」
「ギーガー殿は……戦死なさいました。敵が現れた時に、この前のように町の門を閉じて篭城したのですが、ギーガー殿の部下が町を裏切って敵に内応し、門を開けたのです。入ってきた敵と戦って、数人の者が殺されました。その中にギーガー殿も……」
 マルスはギーガーの、乱暴で粗野だが、人のいい顔を思い浮かべた。
「その、裏切った部下というのは、この前の野盗の捕虜か」
「そうです。よく言う事を聞くので、ギーガー殿が信じたのが誤りでした」
 マルスは、スオミラのある参事の老人の言った、(狼はどう飼いならしても犬にはならぬ)という言葉を思い出した。
 マルスたちが、アルカードに戻る事を告げると、王は思いがけない事を言った。
「アンドレはここに残るがよい。私の軍事顧問にしよう」
アンドレはほんの一秒考え、首を横に振った。
「私はアスカルファンに向かい、彼らと共に、グリセリードと戦います。もはやグリセリードがアスカルファンに向かうことは確実ですから」
「お前が行ったところで、一兵卒としてしか扱われないぞ。それに、私がお前を軍事顧問にするのは、グリセリードと戦うためだ」
 マルスたちの顔はぱっと輝いた。
「だが、準備が要る。グリセリードが山を越えてアスカルファンに着くのに、マルスやオズモンドの話からすると、一週間はかかるだろう。しかもそのほとんどは軍馬も無しだ。いかに強大なグリセリードの軍でも、歩兵ばかりでは、進軍速度は遅い。幸い、レントは船をたくさん持っておる。二日のうちには軍勢を集め、食糧を準備してアスカルファンに向かわせよう。オズモンドたちは先に行って、戦況を確かめ、アンドレに報告するがよい。それによって、こちらの出方を決めよう」
「はっ、有難いお言葉です。これでアスカルファンは救われましょう」
オズモンドが感激して頭を下げ、礼を言った。
 王の言葉に従って、アンドレはレントに残り、マルスたちだけ先にアスカルファンに向かうことになった。
「我々は二日遅れで君たちを追う事になる。その二日の間に戦況を調べておいてくれ。アスカルファンの諸侯の動向もな」
アンドレの言葉に、オズモンドは、分かった、とうなずいた。
 レント軍とは六日後にアスカルファン西南にあるエレギアという小島で合流する事を決め、マルスたちはすぐに船に乗って出発した。
 王妃ロミーナはマルスたちとの別れを惜しんで、国王に頼んで、全員に、見事な武具一揃いずつを贈らせた。武具さえあれば庶民でも騎士にはなれる時代であり、これでマルスもジョンもオーエンも騎士になったわけである。ついでに騎士の任命式も行い、マルスたちはレント宮廷の騎士ということになった。
 
「おーい、その船、待ってくれ」
マルスたちが、いざ、船に乗り込もうとした時、船着場に現れたのは、ピエールとジャンであった。
「アスカルファンに行くなら、俺たちも乗せていってくれ」
マルスたちはピエールとジャンを船に乗せた。
「あんたたち、アスカルファンのために戦おうってのかい。物好きだな」
乗せて貰ったくせに、ピエールはそんな憎まれ口をきく。
「アスカルファンのためではない。アスカルファンの人々のためだ」
マルスが答えた。
「ロマニア王朝が治めようが、グリセリードとやらが治めようが、下の者には関係ないと思うがね」
「悪しき平和は良き戦争に勝ると言いますよ。わたしは、多少の不満はあっても、シャルル七世様の下で平和が続いていた事を評価しますね」
ジョンが言うと、ピエールが笑って言った。
「では、これからグリセリードの下で、永遠の平和が続くかもしれんよ。はっはっ」

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少年マルス 33

第三十三章 エスカミーリオ

マルスらは、晩餐会の後も王宮に泊まるよう勧められた。もちろん、マルスたちに異存はない。宿屋の湿っぽい、南京虫だらけのわら布団のベッドではなく、よく干されたふかふかのベッドで寝られるのはもっけの幸いである。
王はそれから三日続けて、アンドレとオズモンドに話を聞いていた。マルスは残念ながら、国家情勢にはうといので、あまり相手にされなかったのである。そのかわり、マチルダやトリスターナと共に、王妃ロミーナの話し相手をした。ロミーナには、政治の話よりも、マルスの語る野山の話が面白かったようである。
四日目の朝、オズモンドがマルスの寝室に現れた。
「王に来客があるらしい。それが、グリセリードからの使節だということだ」
「では、レントと同盟を結ぶ気か」
マルスでもそれくらいの予想はつく。
「多分な。アンドレが同席して話を聞くことになっている。僕は追っ払われた」
「なんでアンドレだけ同席がゆるされるんだ?」
「王はアンドレが気に入っているんだ。昨日も、このままここで仕えないかと聞いていた。
それに、アルカードはまだ国というほどの国でもないから話を聞かせてもかまわん、ということだろう」
「だが、アンドレはどうせ我々に話すだろう」
「奴がその気になればな。だが、奴は旅の仲間ではあるが、アスカルファン人ではない。もしかしたら、我々に話さんかもしれんよ」
 オズモンドはアンドレには厳しかった。あいつは、どこか情がない、というのである。マルスから見れば何でもないような事が、オズモンドにはひどく癇に障るらしいのである。
確かに、アンドレには、人間の感情に疎いところがあったが、けっして情がないわけではない。しかし、彼の合理的思考はオズモンドには肌に合わないようだった。
国王とグリセリードの使節の会見が終わった後、オズモンドとマルスはアンドレを捕まえて、会見の模様を聞いた。
「あの使節は実に頭がいい。話し方が気が利いているし、頭の回転がいい。並みの国王では、あの弁舌に簡単に丸め込まれるだろうな」
アンドレは会見の内容よりも、使節の方が気に入ったようで、そんな話をして、オズモンドをいらいらさせた。
「使節の事はどうでもいい。肝心の話の中味は何なんだ」
アンドレは、そんな事、分かりきってると言いたげに、オズモンドを見た。
「もちろん、レントに同盟を申し込んできたのさ」
「で、王は何と答えた」
「それには答えないで、アスカルファンの内乱は、グリセリードが糸を引いたものか、とずばりと聞いたよ」
「使節は何と?」
「違う、と即答した」
「アンドレはどう感じた。その答えは本当か、嘘か」
「さあな。使節は何の動揺もなく答えたが、そこが却って怪しいとも思われる。普通、ああいう質問には、無関係な者でも動揺するものだ。だが、本当のところは分からんさ」
「同盟の件についてはそれで終わりか」
「いや、三日のうちに返答すると言っていた。だが、おそらく断るだろう。前に言ったとおり、グリセリードがこの時期にレントとの同盟を申し込んできたのは、おそらくアスカルファン侵攻を予定してのことだ。そして、アスカルファンの次はレントに決まってるからな。要するに、アスカルファンを攻める間、レントをじっとさせておく事が狙いなのだ。王もそれは分かっている。しかし、断ると、グリセリードにはっきりと敵対することになるから、この判断は難しいことだろう」
「では、同盟を受け入れる可能性もあるんだな」
「まあな」
オズモンドは不愉快そうに、舌打ちをした。さすがに、故国の存亡を目の前にして、自分が手を拱いているのが忌々しいのである。
 
 使節が滞在していた三日の間に、マルスはその使節を目にする機会が二、三度あった。
年はまだ三十前くらいで、ほっそりと優雅な体つきをしているが、体にはバネがありそうな感じである。顔は顎が細い逆三角形の顔で、色浅黒く、ぴんと跳ねた口髭と、顎の先に僅かな顎鬚を生やしている。大国の使節のわりには、威張ったところはなく、挙措も礼儀正しい。だが、マルスの直感は、この男が油断のならない男である事を告げていた。虎や狼ではなく、狐の狡猾さを持った男であり、もしかしたら、その上に狼の残忍さを備えているかもしれない。
 使節の名はエスカミーリオと言った。
三日後、ジュリアス王は、グリセリードとの同盟をはっきりと断った。
「残念です。だが、レントがせめて我々に敵対しないという事を私は望みます。王のように優れたお方と戦場で見えるのは悲しいことですからな。もしも王がアスカルファンとの同盟でもお考えになっているのなら、失礼ながらそれは愚かだと申しておきましょう。小国との同盟で、むざむざと大国グリセリードを敵に回すことになるのですからな」
エスカミーリオはそう答えて、優雅に一礼して、レント宮廷から立ち去った。

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少年マルス 32

第三十二章 晩餐会

「賞金も賞品も要りませんが、王様にお願いがあります」
 マルスの言葉に、王は、ほほうという顔をした。
「何かな、言ってみろ」
「実は、私の父は十五、六年前にこの国に来ているのですが、私はその行方を探しているのです。それを、王様のお力で、何とか探して頂きたいのです」
「ふむ、父が行方知れずなのか。気の毒だな。だが、十五、六年前の事では難しいぞ」
「分かっております。せめて手掛かりでも欲しいのです」
「分かった。役人を使って、村々の物覚えの良い古老に問わせてみよう。十年以上前にアスカルファンの者を見かけた者がいないかだな。今よりも、アスカルファンと行き来のない頃であるから、珍しい旅の者を覚えている者がいるかもしれん」
 王は、マルスが辞退した賞金と賞品も無理に受け取らせた上、マルスの父の事を調べようと約束した。さらに、一行の中にアスカルファン宮廷の重臣のオズモンドと、アルカードから来たアンドレらがいるという事を知ると、非常に興味を持って、彼ら全員を宮中の晩餐会に招待した。
「まあ、大変。宮廷の晩餐会に着て行けるようなドレスなんて持ってないわ。どうしましょう」
マルスがその知らせを旅籠で待っていた仲間に伝えると、トリスターナとマチルダは大騒ぎした。
「オズモンド、古着でもいいから、貴婦人の着られるドレスを買ってきて」
マチルダはオズモンドに要求した。
「大丈夫ですよ。私に任せなさい」
アンドレがジョンに耳打ちし、ジョンは分かったと言って出て行った。
 程なく戻ってきたジョンは、大きな行李を抱えていた。
マチルダがそれを開くと、中から見事なドレスが二着出てきた。
「まあ、これはどうしたの?」
「王様に、事情をお話して借りてきたんです。王様はお笑いになって、快くお后のドレスを貸すようにお申し付けになりましたよ」
「では、これは王妃のドレスなの? 夢みたい」
二人でドレスを合わせながら、ああでもないこうでもないと夢中で話し合うマチルダとトリスターナを、他の男どもは半分あきれて眺めている。女のドレスへの情熱など、所詮男には理解できないのである。
しかし、着替えのため締め出された男達の前に盛装して現れた二人の美しさには、男達も感嘆せざるを得なかった。
「これは、危険ですな。貴女方のあまりの美しさに王妃が嫉妬して、死刑にしますよ」
ジョンが不気味な冗談を口にしたくらい、マチルダとトリスターナは美しかった。
晩餐会は王宮の大広間で行われた。
正面に国王と王妃が座り、その向かいの一段下がったテーブルに客であるマルスたち七人が座る。
御馳走は、さすがに豪勢であるが、味そのものはアスカルファンのものほど繊細ではない。鹿や子牛の肉を炙って塩か胡椒を振っただけの素朴なものである。
 食事の後で、リキュールを飲みながら、王はオズモンドやアンドレにアスカルファンやアルカードの事をあれこれと聞いた。なかなか好奇心旺盛な王様らしい。
「アスカルファンやアルカードは野蛮なところと聞いていたが、話を聞くと、だいぶ違うようだな。だが、そのアスカルファンでは、今、内乱が起こっているそうだぞ」
 国王の言葉に、マルスたちは顔を見合わせた。予想していたことではあるが、やはり、ショックである。
「で、戦況はどんなですか」
「始まって、およそ二月だが、反乱軍が一度は首都バルミア近くまで攻め寄せたのを、押し戻して、一進一退の状況らしい。ポラーノのカルロスとやらに味方する諸侯はほとんどいないようだが、かと言って国王軍に積極的に味方しているわけでもなさそうだ。戦況次第では、カルロス側に寝返る諸侯も出てくるのではないかな」
「これは、私の考えですが、この反乱の背後には、グリセリードがいるのではないでしょうか」
アンドレが国王を直視して言った。
王は、ほほう、と言う顔をしてアンドレを見た。
「考えられることではあるな」
「なら、レントはアスカルファン国王に味方なさったほうが良いでしょう」
「それはなぜだ」
「この反乱が成功したら、いや、成功しなくても、アスカルファンの国力が弱まれば、グリセリードはアスカルファンに侵攻します。そうすると、次はレントに向かうでしょう」
「わが国は、もともと、アスカルファンとは仲が良くないのだよ。それを助けろと?」
「隣り合う国が仲が悪いのは当然です。だが、隣人として、アスカルファンよりもグリセリードのほうが、はるかに恐ろしいはずです。グリセリードの貪欲さはよく御存知でしょう。アルカードのようにまとまりのない国がこれまで無事でいられたのは、隣がアスカルファンだったからです。グリセリードは大陸の東の国を次々に滅ぼして領土を伸ばしています。今度もし、アスカルファンを我が物としたら、北の世界のほとんどはグリセリードに統一されることになります。その時、レントが生き残れると思いますか」
「私はグリセリードなど恐れはせん。だが、お前の言うとおり、グリセリードが野望を持っているとすれば、考える必要はあるな」
この話はこれで打ち切りになったが、アンドレの言葉はレント国王に強い印象を与えたようであった。

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少年マルス 31

第三十一章 弓術大会

 弓術大会の当日、マルスは大会の会場の野原に集まった出場者の中に、ピエールの姿を見つけて驚いた。
「あんたも出るのか」
マルスが言うと、ピエールは、にやりと笑って片目をつぶってみせた。
「俺は弓にかけてはなかなかのものなんだぜ」
やがて、予選が始まった。
言葉通り、ピエールの弓の腕はたいしたものであった。
的を注視することもなく、無造作に狙って次々に射る矢は、一本も的を外さず、ほとんどが黒点近くに突き刺さる。
「どうも動かない的ってのは苦手だ」
そううそぶいてピエールは、次の順番のマルスに番を譲った。
マルスも同じように次々に的を射ていく。
「ほほう、こいつは凄い」
見ていた見物人の間から感嘆の溜め息が洩れた。
マルスの矢は、すべてが黒点に刺さったのである。
結局、予選はマルスとピエールが十本皆中で通過した。二人に次ぐ成績は、やっと六本的中だから、この二人の腕は図抜けている。

「どうだい、マルスに賭けろと言ったのが分かっただろう」
オズモンドが、並んで見物していた旅籠の主人に自慢気に言った。
「確かに、素晴らしいですな。しかし、それでもエドモンド様に勝てるかどうか」
主人はやはり半信半疑である。
本戦が始まった。
旅籠の主人が名を挙げた強豪たちが次々に登場して来た。本戦は、試技が二回行われ、一回目の試技で二人が勝ち残り、その二人で最終決戦が行われる。一回目は近的で、二回目が遠的である。
予選通過者のピエールとマルスの一回目の試射が行われたところで、予選免除者たちの顔色が変わった。二人ともまたしても皆中だったのである。しかも、マルスはすべて黒点命中、ピエールは黒点に九本命中である。
「くそっ、矢羽がまずかった」
ピエールは弓を地面に叩きつけようとしたが、思いとどまって、マルスに握手を求めた。
「あんたは俺以上の弓の名人だ。ぜひ、優勝してくれ」
二人の後を受けて、有名強豪たちが、次々に試技を行うが、二人を超えねばならないという重圧に負けて、いい結果が出せない。
ヨーク公ジョンは六本、黒騎士リットンは七本、サマセットのギルバートに至っては五本しか的中しない。
国王宮廷の名誉を担って、エドモンドが登場した。
年は三十そこそこだろう。金髪で細面の気品のある顔だが、取り澄ました表情は、あまり人好きはしない。
エドモンドは見ている者の息がつまるくらい時間を掛けて的を狙った。
一本目、矢は見事に黒点に当たった。
「幸運だな。これで、後は同じように狙えばいい」
マルスの側にいるピエールが言った。
「しかし、何という遅さだ。これが戦場なら、こいつの弓は使い物にならん」
ピエールの言葉に、マルスは同感だったが、
「あれだけの時間に耐えられる精神力と集中力は凄い」
と弁護した。
 エドモンドは、水を打ったように静まり返った会場で、無念無想の面持ちで、相変わらず長い時間を掛けて矢を射ていった。矢はすべて黒点に刺さっていく。
 最後の一本。エドモンドは額に汗をにじませていた。
 大きく息をついて、構えた足場を一度外す。
(ああ、駄目だ)
マルスはエドモンドに同情した。一度リズムを崩すと、矢は当たるものではない。
 エドモンドの最後の矢は、的にすら当たらなかった。
会場は大きくどよめいた。大本命が敗れたのである。
 ピエールとマルスの間で争われた最終決勝は、十本対八本で、マルスが勝った。さすがに遠的では、すべて黒点命中とはいかなかったが、十インチもの大きさの的をマルスが外すはずはなかったのである。
 マルスとピエールは王の前に呼ばれて、お褒めの言葉を頂いた。
天幕にしつらえられた王座に座る国王は、ジョンの言った通り、非常に若い。オズモンドと同じくらいだろう。顔も、どことなくオズモンドに似ているが、彼よりは繊細で癇症らしい顔つきである。
「お前らは、この国の者ではないな」
「はっ」
王の言葉に、二人は緊張した。
「アスカルファンの者と見たが、なぜこの大会に出た」
ピエールが答えて言う。
「私は賞金が目当てで」
「そちは」
王の目をじっと見て、マルスは少しためらった。

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少年マルス 30

第三十章 エーデルシア

 エーデルシアは、美しい湖畔に聳える水城である。スオミラのような城砦都市ではなく、まず、エーデルシア城が作られて、その後にその周りに城下町が出来てきたものだ。
「きれいな城ねえ。サンドリヨンの御伽噺のお城みたい」
トリスターナが言った。
「アスカルファンの城は古代風の無骨なものが多いからな」
オズモンドが言う。
「こういう城は本では見たが、実物は初めてだ。しかし、中には入れないだろうな」
アンドレが例によって、誰にともなく言う。
「とりあえず、飯だ」
オズモンドの言葉で一同は町の旅籠に馬車を止めた。
旅籠で出来る最上のメニューと言っても知れたものだが、空腹には何でも美味い。兎のシチューや塩漬け鰊、塩漬けの豚肉といったもので一同は何杯もエールを飲んで、良い気分になった。
「お武家様たちは、お城の弓術大会に出なさるんで? それとも見物ですか」
旅籠の主人が、満腹して陶然とした気分のオズモンドに話し掛けた。
「そんなものがあるのか。いつだ?」
「明後日ですよ。その日は町人も見物が許されるというので、皆楽しみにしてまさあ」
「優勝候補にはどんな奴がいる?」
「そうですな。国王のお抱え騎士のエドモンドが一番の候補ですが、他にも腕自慢はたくさんいますよ。ヨーク公ジョン、黒騎士リットン、サマセットのギルバートなどがその中でも強豪でしょうな。もし賭けるなら、エドモンドに賭けるのがいいでしょう」
「カザフのマルスはどうだ」
「そんな人は聞いたことがありませんな」
「ここにいるこいつさ。弓にかけては天下に並ぶ者なし、という男だ」
オズモンドがマルスを指差す。
主人はマルスを品定めするように見て、首を振った。
「なかなかいい体をしてますが、どう見てもまだお若すぎますよ」
「ははは、マルスも見くびられたもんだな」
「弓の試技はどう行う」
アンドレが聞いた。どうにも実務的な男である。
「近射は五十歩、遠射は百歩で、的はどちらも十インチの的に一インチの黒点が入ったものです」
「一インチと言うと、一寸だな」
マルスは想像したが、まるで子供だましである。二百歩先の木の実を射落とすマルスが五十歩や百歩先の一インチの的を外すことはありえない。もっとも、風模様の天気で、その瞬間に突風でも吹けば別だが。
「その弓術大会に出るにはどうすればいい」
アンドレがさらに尋ねる。
「当日、お城で申し込めばいいんでさ。地方から来た者には午前中に予選があって、上位二名が本戦に出られます。有名強豪は予選が免除されますから、本戦は六名で争うことになるでしょうな」
「そうか。親父、いろいろ教えて貰った礼に、いい事を教えてやろう。こいつが予選を通ったら、……まあ、通るのは確実だが……こいつに賭けるんだ。大儲けできるぞ」
オズモンドが言ったが、主人は疑わしそうな目でマルスを見るだけである。

しばらく町を歩いてみると、なるほど国中から集まってきたらしい武芸者、腕自慢の男たちが町を闊歩している。そのほとんどは弓を手にし、あるいは背に担いでいるので、すぐに分かる。
町はお祭りめいた活気があり、辻辻では大道芸人の見世物まで行われている。熊使い、火吹き芸人、軽業師のとんぼ返り、パンチとジュディの人形芝居。鼻をたらした子供達が、ぽかんと口を開けてそれらの見世物に見入っている。
「まあ、楽しい事。ほら、あの人形、おかしいわ」
トリスターナとマチルダは大喜びである。
マルスは日覆いの下で店を開いている占い師の前に立った。
「失せもの、尋ね人、恋の悩み、何がお望みじゃな?」
「失せものだ。青い石の入ったペンダントを探している」
「ほほう、それは高価な物かな」
「それほどでもないが、僕の父の形見だ」
「それはそれは。なら、探してしんぜよう」
男は水晶球をしかつめらしく眺めた。
マルスは笑い出した。
「そんな物を見なくても、自分の心に聞けばいいじゃないか。ピエール」
占い師は高笑いして、付け髭を取った。愛嬌のある、若々しい顔が現れる。
「ばれていたか。だが、ペンダントは持ってないぞ」
「無理に返させようとは思わんが、あれはあんたが思う以上に貴重な物だ。持っているなら、しばらく預けておくから、人には渡さないでくれ」

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HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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