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軍神マルス第二部 16

第十六章 春から夏へ

 マルスの持ってきた書物を見ていたロレンゾは、やがて顔を上げて残念そうに言った。
「どうやら、これが賢者の書のようじゃ。だが、残念ながら、わしにはこれは読めん。大昔の言葉で書かれているのじゃ」
がっかりした四人の顔を見て、ヤクシーが不思議そうに聞いた。
「その本には何の意味があるの?」
ピエールが答えた。
「悪魔が世界を狙っているそうだ。この本には、悪魔から世界を救う秘法が書いてあるらしい」
 ヤクシーは、横からロレンゾの手にした本を覗き込んだ。
「これは古代パーリ語よ。昔、宮殿の学者がこの文字の研究をしていたわ」
四人は驚いてヤクシーを見た。
「その学者は、生きているのか?」
ロレンゾが聞くと、ヤクシーは首を捻った。
「さあね。ボワロンの軍隊に攻め滅ぼされて、国民の半分くらいは殺されたから、分からないわ」
「パーリはここからどのくらいだ?」
ピエールが聞いた。
「そうね、徒歩なら十五日ほど、駱駝なら五日くらいかな」
「よし、ならばパーリに行こう」
マルスの言葉で、一同は立ち上がった。

 その頃、レント宮廷のアンドレは、故郷の町スオミラがガイウスの軍勢によって攻め滅ぼされ、オーエンもイザークも死んだ事を知った。
 彼にその知らせをもたらした者は、滅亡したスオミラから辛うじて脱出した一人の男であったが、スオミラは千人もの軍勢に囲まれ、城内の食物も尽きかかって、飢餓に耐え切れず外に出て決戦を挑み、大軍勢の前に簡単に滅んだということであった。
 もはやアルカード全体がグリセリードの手中に落ちた事を知って、アンドレはグリセリードへの復讐を心に誓うのであった。
 アンドレはレント宮廷の者の中で、グリセリードに詳しく、グリセリード人に風貌が似ている者を数人選んでグリセリードに潜入させた。

 季節は初夏に向かっていた。
 グリセリードでは、大船団がほぼ完成し、アスカルファン攻撃に備えて、日々、軍勢の教練が行なわれていた。
 その中でも一際目を引くのは、鬼姫ヴァルミラの姿である。
 馬の操作にかけてはグリセリードでも並ぶ者がなく、馬上での戦いでも、ヴァルミラにかなう者は、マルシアスとデロスを除いてほとんどいなかった。
「あの強さの上に、あの美貌、まさに戦の女神だな」
そう言ったのは、教練を眺めていたエスカミーリオで、話し掛けられたのは、彼の副官のジャンゴである。
「ヴァルミラ様は、男より馬がお好きだとか。勿体無い事でございますな」
「なあに、あのようなじゃじゃ馬こそ、調教次第で、男の言うなりになるものよ。いかに武術の達人でも寝室の中では男の思い通りさ」
エスカミーリオは普段の優雅な物腰にも似合わぬ好色な言葉を吐いた。
 ジャンゴは代代エスカミーリオの家に仕えてきた家の者で、今は彼の手足となって働いており、ジャンゴにだけは彼は本音で話すのが常だった。
「しかし、ヴァルミラ様には心の恋人がいなさるとか」
ジャンゴが、無骨な顔に似合わぬ言葉を言った。
「何者だ?」
「マルシアス殿でございますよ。デロス家の小姓から聞いたところでは、ヴァルミラ様は、他の男と話す時と、マルシアス殿に話す時では、顔がまるで違うとか。マルシアス殿と話す時は、それこそとろけそうなお顔になるそうです。その男は、自分も一度でいいから、女にあんな顔をされてみたい、と言ってました」
「マルシアスもヴァルミラに惚れてるのか?」
「それが、よく分からないそうで。どちらかというと、自分の妹か娘のような気持ちで可愛がっているのではないかと、その男は言ってました」
「ふふん、愚か者め。目の前の餌にも気付かない朴念仁には、どうせ女は物にできぬさ」
面白くなさそうに言い捨てて、エスカミーリオは歩み去った。

 アスカルファンでは、この春から、すべての郡で年貢や税が前年より二割から三割上がり、国民の間で怨嗟の声が上がっていた。去年のグリセリードとの戦いで消耗した戦費を補うためであったが、それによって国民の生活はひどく切り詰められたものになっていた。
 その一方で、王宮や諸侯の宮殿での贅沢な暮らしは何も変わらず、貧しい農民より、宮廷の犬の方が腹一杯に肉を食っている有様だった。
 アンドレはアスカルファン国王に親書を送って、グリセリードのアスカルファンへの侵攻が再びある可能性を言ったが、それに対する返書は無かった。
「レント国王からならともかく、一介の廷臣ごときが国王に手紙を送る事すら無礼というものですよ。返事などいりません。グリセリードだって、前の敗戦で懲りてるでしょう」
宰相のカンタスの言葉に、優柔不断なシャルル国王が従ったためであった。

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軍神マルス第二部 15

第十五章 魔法の剣

 ザイードの宮殿を脱出したマルスたちは、ロレンゾの登った山に自分たちも向かうことにした。それはロレンゾの言った七日間の期限が今日で終わるからであり、もう一つには、マルスたちを追う追っ手を避けるためである。
 マルスたちが山に登り始めた時、町の方からこちらに向かってくる軍勢が見えた。
「こっちが町を出た事が分かったらしいな」
はるか彼方の砂埃を見ながら、ピエールが言った。
「あと二、三時間でこっちに来るな」
マルスも言った。
「弓は?」
ピエールの言葉に、マルスは首を振った。
「弓は持っているが、矢が二十四本しかない」
「追っ手の数がどのくらいかが問題だな」
「あれは百人以上いる」
例によって、マルスがその驚異的な視力で彼方を見て言う。
「早く山に登って、こちらに有利な場所を探そう」
駱駝は山の中腹に繋ぎ、グレイだけを引っ張って、山頂を目指すうちに、道は馬では登れない地形になってきた。人目につかない場所にグレイも隠し、さらに登る。
「いったいぜんたい、ロレンゾの奴はどこにいるのかな」
ピエールがぶつぶつ言っていると、マルスが手を上げて指差した。
「あそこだ」
マルスの指した所は、山頂であった。そこに祭壇を築き、何かを燃やしながらロレンゾはその前に身を屈めて、何かを祈っている。
ピエールやその他の者がロレンゾのその姿を認めた丁度その時、青空に雷鳴が轟き、雲一つ無い天の一角に一筋の稲妻が走り、その稲妻はロレンゾのいる山頂の祭壇に落ちてきた。
その稲妻にロレンゾが跳ね飛ばされたのを見て、マルスとピエールはその側に駆け寄った。
「大丈夫ですか」
マルスはロレンゾを助け起こした。
「おお、マルスか、丁度いい時に来たな。見ろ、大天使ミカエルの力が今、この剣に下りてきたのだ」
ロレンゾは祭壇を指した。
石で作った祭壇は稲妻で黒焦げになっていたが、その上には青く輝く一振りの剣があった。それがガーディアンであることは分かったが、剣の輝きはこれまでとは全然違う。
「この剣を持てば、まず大抵の妖魔には勝てるだろう」
マルスは剣を天にかざして感動している。
「人間にはどうだ」
あまり感動もしていないピエールの言葉に、ロレンゾは首を捻った。
「それは分からん。これは妖魔と戦うための剣であり、人間相手のものではない。まあ、普通の剣と同じだろう」
「何だ。今の俺たちには、人間相手の武器の方が必要みたいだぜ」
「興ざめな奴だ。わしの折角の労作だのに、もう少し感心せんか。人間相手とはどういう事だ?」
「俺たちは百人の軍勢に追われているって事さ」
「百人か。大した事は無い。だが、軍勢に追われているという事は、宮殿に潜入したという事じゃな。で、賢者の書は?」
「取ってきたみたいだぜ」
「ほう、それはよくやった。後でゆっくり見せて貰おう。どれ、百人の軍勢などわしが追っ払ってやるわい」
マルスたちを追ってきた軍勢は、今や山頂から二百メートルの地点に迫っていた。もちろん、馬では来られないから、皆徒歩で登ってきている。
「あれがその軍勢だな。よし、わしがあれを半分くらいに減らしてやろう」
ロレンゾは胸の前で手を組んで印を結び、何やら呪文を唱えて精神を統一した。
 敵兵はマルスたちを前方に発見し、気勢を上げて前進しようとしていたが、その時、奇妙な事が起こった。
 兵士たちの前で数個の小石がふわふわと浮き上がったのである。
 その小石は、呆然としている兵士たちの前を生き物のように漂っていたが、やがてスピードを上げて、兵士たちの顔や体に叩き付けられた。
「うわっ」
兵士たちは顔面を手で覆って、小石を避けようとするが、小石は次々と飛来する。
やがて、兵士たちは、上方から無気味な物音がしてくるのに気付いた。その物音はやがて地鳴りとなり、上から地響きを立てて大小様々な岩石が雪崩れ落ちてきたのであった。
 兵士たちは半分以上がこの地崩れの下敷きになり、あるいは岩石に跳ね飛ばされて死に、あるいは重傷を負い、残りはこの不思議な現象に恐れをなして、そのまま我先に逃げ去ってしまったのであった。
「やるねえ、爺さん、あんたが魔法使いだってのは本当だったんだ」
ピエールが感心して声を上げた。
「あまりこういう事はやりたくないんじゃ。疲れるのでの」
ロレンゾは息を切らし、額に脂汗を滲ませて言った。そして、こう続けた。
「なにはともあれ、これでここでの仕事は終わりじゃ」

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軍神マルス第二部 14

第十四章 脱出

「お腹が一杯になったら、ライオンも人間は襲わないわ」
ヤクシーが言った。
「分かるもんか。ちょうどいい食後の運動だといって我々を襲うかもしれんぞ」
「そうかもね。でも、このままここにいる訳にもいかないでしょう」
先ほど出て行った女が、あと数人の女と一緒に戻ってきた。それぞれ大きな盆に生肉をどっさり載せている。
「ライオンは三頭らしいから、もっと持ってきて」
ヤクシーはそう命じて、自分は窓から生肉をどんどん下に投げ落とした。
ピエールが下を覗いてみると、成る程、落ちた生肉に三頭の茶色い生き物が寄ってきている。
ピエールは覚悟を決めて、ロープを下に下ろし始めた。
最初の餌になる覚悟で、まず、ピエールが下りる。
恐る恐る足を地面につけたが、ヤクシーの言った通り、ライオンたちはすっかり満腹したのか、彼を見て威嚇するような唸り声は上げたが、のんびりと寝そべっている。
続いてマチルダ、ヤクシーが下りる。
「ところで、外にはどうして出るの? 堀の向こうにまだ外壁があるわよ」
マチルダが聞いた。ピエールは虚を突かれた顔をした。
「そう言えば、そうだな」
「考えてなかったの?」
「上から見たら、すぐに外に出られそうに見えたんだ」
「この大きな猫さんたちと一生ここで暮らすの?」
「……」
ヤクシーが、上の窓に向かって手を振って、何か指示した。
ヤクシーの侍女だったという女がうなずいて、窓のロープの結び目を解いて下に落とした。
「これで、なんとか越えられない?」
「やってみよう」
ヤクシーに答えて、ピエールはロープの先に、その辺に落ちていた短い木の枝を結びつけて、それを外壁の上に投げ上げた。
即席の投げ縄は、外壁の向こうの木に引っかかったようである。
「よし、これで大丈夫」
ピエールは先にマチルダに上るように促したが、マチルダはむっつりした顔をしている。
「どうした、俺が先に上ろうか?」
「私、行かないわよ。マルスはどうしたのよ。まさか、死んだんじゃないでしょうね。だったら、私もここでこのままライオンの餌になるわ」
「頼むから、早くしてくれ。マルスは大丈夫だったら!」
後ろの後宮の窓から、とうとう後宮の中に押し入った衛兵たちが顔を出した。
「見ろよ、もうすぐここに来るぜ。よし、分かった。ならあんたはここでライオンと暮らせ。ヤクシー、行こう」
ピエールは言ったが、ヤクシーもアスカルファン語で言い合う二人の只ならぬ様子に、上るのをためらっている。
その時、外壁の上から人の顔が覗いた。
マルスであった。
「おい、何をぐずぐずしているんだよ。早くしないと兵隊が来るぜ」
「マルス!」
マチルダは歓喜の声を上げた。
外壁の上に上ったマチルダは、マルスと力一杯抱き合った。
「無事だったのね。賢者の書は?」
「それらしいのは取って来たが、これがそうかどうかは分からない。とにかく、早くここを離れよう」
宮殿の外にマルスが準備してあったらしい馬と駱駝に乗り、四人は宮殿から逃走した。

町を離れた後で四人はやっと再会を祝し合った。
「どうして、俺たちがあそこから逃げると分かったんだ?」
ピエールが不思議そうにマルスに聞いた。
「宮殿のザイードの書斎から丁度、後宮の窓が見えたんだ。ピエールがロープを垂らしたんで、ここから逃げるんだなと思って、先に宮殿の別の窓から下りて、馬と駱駝を準備して待っていたのさ。しかし、あそこにライオンがいたのは知らなかった」
「逃げられたのは、ヤクシーの御蔭さ」
と言いながら、ピエールはヤクシーの方を向いた。
「ところで、ザイードが倒れたってのは偶然かい、それともあんたがやったのかい?」
「もちろん、私が殺したのよ。あいつが私の上にのしかかってきた時に、あいつの睾丸を握り潰して気絶させ、その後で首を締めて完全に息の根を止めてやったわ」
「おっそろしい女だな。一族の敵討ちか?」
「そうよ。私の一族だけではなく、国民全部の敵討ちよ。あんたたちにはいい機会を作ってくれたと感謝しているわ」
ヤクシーは静かに言った。
「ううむ、元お姫様とも思えぬ凄腕だな。女には惜しいぜ」
「いざという時の武芸や人の殺し方はパーリの王家の娘のたしなみよ。時には最初から夫を暗殺する目的で政略結婚することだってあるんですからね」
 ヤクシーの言葉の迫力に、他の者は思わず気圧されるのであった。

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軍神マルス第二部 13

第十三章 後宮

地上まではおよそ三十メートル。落ちたらまず命は無い。ここから後宮の建物までおよそ二十メートルの距離を、指の力だけで体全体の重さを運んでいくのである。
壁を攀じ登ることは、商売柄お手の物だが、さすがにこれだけの距離を指の力だけで移動したことはない。半分ほど行くと、体を吊り下げている手がこわばってきた。
一休みして息を入れ、気力を充実させ、再び体をゆっくりと揺らして移動していく。
あと数メートルというところでほとんど手の感覚は無くなってきたが、なんとか堪えてやっと最後の端まで来た。そこから僅かな出っ張りに足を掛け、一休みした後、ほとんどつかまる物も無い壁に張り付くようにして、窓までにじり寄る。
窓に手が掛かった。そこから体を懸垂の要領で吊り上げ、窓から中に上半身を入れた時には、ピエールはほとほと疲れきっていた。
「キャーッ! 男よ、おとこ!」
中にいた女が窓から入ってきたピエールを見て悲鳴を上げた。
「えっ、男ですって? まあ、ほんと、嬉しい。殿様以外の男を見るなんて五年振りだわ」
嬉しげな歓声を上げる女もいる。
「ま、待て。あんたたちに危害は加えない。そこを通してくれ」
「あら、固い事言わないで、ゆっくりしていきなさいよ。あんた、ちょっといい男じゃない」
しがみつく女を振りほどいて、ピエールは次の部屋に向かった。
三つ目の部屋でピエールはマチルダとヤクシーを見つけた。何人かの女官の前で、可哀想に、二人とも縄で縛られ、座っている。二人はピエールを見てぱっと顔を明るくした。
「その二人は俺が貰うぞ。邪魔をしなければ、あんたたちには何もしない。邪魔をしたら危ないぞ。黙ってその二人を渡しな」
 女官のリーダーらしい中年女が金切り声を上げた。
「誰か、衛兵を呼んで来なさい。曲者です!」
「おっと、ここから出て行ったら殺すぜ」
ピエールの脅しに、他の若い女官たちは足を止めた。
「何をぐずぐずしてるのです、この男は武器は持ってません。はやくこの男を捕まえなさい!」
 こいつが邪魔だな、と思ったピエールは、手近のベッドの天蓋から垂れているカーテンを引き抜いてリーダーの女官に近づいた。
 女は金切り声の悲鳴を上げたが、ピエールは構わずに女をカーテンで縛り上げ、余った端を猿轡にした。
「あんたたちの中で、ここから逃げたいのがいたら、連れて逃げてやるぜ」
隠し持っていたナイフでマチルダとヤクシーの縄を切りながら、ピエールは呆然と彼らを見ている他の女官たちに言った。
「大丈夫かい。間に合ったかな」
ピエールの質問に、マチルダが聞き返した。
「間に合ったって?」
「……つまり、ザイードに手篭めにされなかったかって事さ」
マチルダは顔を赤らめた。
「それは……私は大丈夫だったけど、ヤクシーが先にベッドに連れて行かれて、その時にザイードが倒れて騒ぎになったんで、ヤクシーの方がどうだったのか……」
「ヤクシーはいいさ。あんたの貞操さえ無事なら、マルスに申し訳はできる」
「ヤクシーはいいなんて、ひどいわね!」
「そんな事言ってる場合じゃない。ここから逃げ出すぜ」
「マルスは?」
「あいつは大丈夫さ。我々さえ無事だと分かれば、一人でも逃げ出せるだろう」
ピエールは窓のカーテンを引き裂いてロープにしながら言った。
「まさか、ここから下りるんじゃないでしょうね」
「そのまさかさ。それとも、表でひしめいている兵士たちの前に出て、すみません、怪しい者ですが、ちょっと通してくださいとでも言うか?」
女官の一人がボワロン語で何か言ったが、ピエールにはその言葉が分からなかった。ヤクシーがその言葉をグリセリード語に通訳して、ピエールに言った。
「この下には何頭ものライオンが放し飼いされているそうよ」
「げっ」
ピエールは頭を抱えた。
「後宮から女が逃げるのを防ぐために、下の空堀には腹を減らしたライオンを放しているらしいわ」
「ライオンって?」
マチルダが聞いた。アスカルファンにはいない生き物である。
「預言者ダニエルがお友達になった生き物さ。猫のでっかい奴だ」
「まあ、猫なら大好きよ」
「ううむ、マタタビか何かが通用するならいいんだが……」
ヤクシーが、この部屋に集まってきていた後宮の他の女たちに向かって何か言った。
 女の一人がうなずいて、急ぎ足で部屋を出て行く。ピエールはヤクシーに尋ねた。
「何て言ったんだ?」
「食堂から、生肉を沢山持ってきてくれるように頼んだの。あの子は昔の私の召使よ。こんなところで遭うとはね」
「生肉をどうするんだよ。ライオンが我々を食う前の前菜か?」

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軍神マルス第二部 12

第十二章 ザイード

計画実行の日、マルスとピエールがマチルダを連れてザイードの宮殿に向かおうとすると、ヤクシーが、自分も連れて行けと言い出したので、二人は目を見交わした。
「あなたはここに残っていていいのよ、ヤクシー」
マチルダが言ったが、ヤクシーは、どうしても自分も行くと言ってきかない。
「まあ、美女が二人の方が、ザイードは喜ぶだろうし、いざという時、二人で助け合えるだろう」
ピエールの言葉で、四人全員でザイードの宮殿に向かう事になり、マルスとピエールは商人の服装をし、マチルダとヤクシーは女奴隷らしい身なりをして出発した。
ザイードの宮殿では思った通り、衛兵に誰何されたが、ザイードへ女奴隷を献上するという事をグリセリード語で喋り、身に武器を有していない事を示すと、しばらく待たされた後、宮殿に入る事を許された。
四人は宮殿の大広間に通された。
ザイードは七十近い老人だが、眉毛の黒々とした矍鑠とした男であった。
「わしに美女を献上しようというのはお前らか。ははは、わしはこの通りの老人じゃのに、わしを余程好色な男と思っておるようじゃな」
「滅相も無い。ザイード様の宮廷には多くの美女がおられ、屋上屋を架すようなものではありますが、この女奴隷は美貌といい、また高貴な血筋といい、卑しい庶民の手に置くよりもザイード様の側室のお一人に加えて貰う方が、ふさわしいかと思いまして、献上いたすのでございます」
慣れぬボワロン語ではなく、グリセリード語で流暢にピエールが言った。若い頃グリセリードを旅したこともあるピエールは、グリセリード語はお手の物である。
「ほう、高貴な血筋とな」
「はい、パーリの王族の者です」
ピエールがヤクシーを指して言った。
ザイードは側近の一人に何かを言った。
 その側近は、マルスたちには分からぬ言葉でヤクシーに話し掛けた。
「この者の申した事は事実です。パーリの皇女、ヤクシーという者だそうです」
「パーリか。ならば、ついこの前わしの軍勢が滅ぼした国ではないか。こんな美女がいたとは聞いてないぞ」
側近は再びヤクシーに聞いた。
「宮殿から逃亡した後、人買いの者の手に捕らえられ、ここに売られてきたそうです」
「なら、もはや生娘ではないな。それは残念じゃ。その、もう一人の方は?」
「こちらは、アスカルファンの生まれだそうですが、詳しい素性はよく分かりません」
ピエールがマチルダに代わって答える。
「どちらも、滅多にいない美女じゃ。お前らへの褒美は、追って渡す事にする。しばらく控えの間で待っておるがよい」
 マチルダとヤクシーはザイードの後宮に連れていかれ、ピエールとマルスは控えの間に案内された。
 マルスとピエールは、この機会に賢者の書を探したかったが、部屋には衛兵がいて、彼らを見張っており、自由に動けない。
 その間にも、マチルダが早くもザイードの毒牙に掛かっているのではないかとマルスは気が気でない。
 やがて、ザイードからの褒美を持った役人が二人の前に現れた。
「お前らはもう下がってよいぞ」
ピエールはその役人に聞いてみた。
「あの二人の女奴隷はどうなりましたでしょうか」
「ああ、殿様はたいそうお気に入りじゃ。まだ昼間なのに、早速味を試してみる気か、先ほど後宮に行かれたぞ、はっはっ」
マルスとピエールは顔を見合わせた。もう一刻の猶予もできない。二人はこの役人や衛兵を倒して、マチルダとヤクシーの救出に向かうことにした。
その時、宮殿の奥でなにやら騒がしい物音が聞こえ、人々が走り回る気配がした。
こちらに走り寄ってきた役人の一人に、先ほどマルスたちに褒美を渡した役人が聞いた。
「何事だ。騒がしいぞ」
「ザイード様が倒れられた! もしかしたら、暗殺かもしれん。その者たちを外に出すな」
 驚いて二人を振り返った役人の首に、マルスは手刀を叩き込んだ。
 ピエールがもう一人の役人を殴り倒し、慌てて剣を抜いて掛かってきた衛兵の一撃をかわしてハイキックでその側頭部を蹴った。
 二人は、衛兵の武器を奪い、後宮のあるらしい方向に向かって走り出した。
「待て、マチルダとヤクシーは俺が救う。お前は賢者の書を探せ」
ピエールの言葉で、マルスは一瞬躊躇したが、すぐにうなずいてザイードの書斎と思われる部屋に飛び込んだ。
ピエールは後宮に向かったが、後宮が目に見えた所で足を止めた。役人や衛兵が、入り口近くに固まって騒いでいる。どうやら、後宮に入れろ、入れないで後宮の女官と役人や衛兵たちが押し問答しているらしい。ピエールはにやりと笑った。領主以外の男は後宮には入れないという規則を守ろうとする女官の官僚主義が、思わぬ助けになりそうだ。
ピエールは後宮に向かう中庭の側面の壁に攀じ登った。
壁の上から外を覗くと、壁は切り立っており、足場は無い。だが、後宮の側まで行けば、窓の近くに僅かに手を掛けられる出っ張りがある。危険だが、やるしかない。
ピエールは壁の外側にぶら下がった。

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軍神マルス第二部 11

第十一章 ヤクシー

「ヨゼフの爺さん、また妾を買う気か。もう五人もいるくせに」
マルスの後ろで忍び笑いをする声がした。マルスには、その言葉は分からなかったが、笑い声の感じで、それが老人の好色を笑う声だと見当がついた。
マルスは千ドラクマの値をつけた。
老人は怒ったような声を上げた。
「奴隷一人に千ドラクマなんてべらぼうだ」とでも言っているのだろう。
結局、その女奴隷は千ドラクマでマルスの手に落ちた。

周囲の好奇の目にさらされながら、マルスたちは奴隷の競り市を離れた。
女奴隷は大人しくマルスたちの後を付いて来る。どうせ自分の前には大した運命は待っていないと諦めきった顔である。
マルスたちが女奴隷を連れて帰ると、ロレンゾはさすがに驚いた顔をしたが、女の顔を興味深げに眺めて、言った。
「この女は高貴な生まれじゃな。かなり不幸な目にあったようだが、死なずにいてよかった。この女には他人には無い強い運命があるようだ」
ロレンゾが女に名前を聞くと、女は、ヤクシーと名乗った。
「ヤクシーじゃと?」
ロレンゾは驚いて問い直した。
マルスが、その名がどうしたのか、と聞くと、ロレンゾは答えた。
「ヤクシーは、古代の神の一人じゃ。まあ、偶然にその名をつけたのかもしれんがな」
「どんな神様だい?」
ピエールが聞いた。
「……魔神じゃよ。争闘と復讐の神じゃ。もっとも、母性の神でもあるがな。矛盾した心を持った神じゃな」
「女ってのはみんなそうさ。虫も殺さねえ顔して、結構残酷な事をするもんさ」
「なかなかうがった事を言うの。よほど女にひどい目にあったと見える」
「みんなひどい事言うのね。この人はそんな人じゃないわ。顔を見れば分かるでしょう」
マチルダが怒って言った。
 ヤクシーは、自分が召使にされるわけでも、誰かの妾にされるわけでもない事に戸惑っているようだった。
「ところで、お主らが取ってきた、あの光輝の書だがな、あの中になかなか面白い事が書いてあったぞ。普通の剣を魔法の剣に作り変える秘法じゃ」
「魔法の剣ですって?」
「うむ、別名、大天使ミカエルの剣じゃ。ミカエルは、昔から、悪魔と戦う者の象徴となっている。この剣を以てすれば、あるいはダイモンの指輪無しでも、悪魔と戦うことが出来るかもしれん」
「それは簡単に作れるのですか?」
「簡単ではないよ。剣に呪文を彫り、七日間の清めの儀式をしなければならん。そのためには、太陽の香料も手に入れねばならん」
「太陽の香料とは?」
「それを作るにもまた、秘法があるのさ。まあ、それはわしに任せておけ。お主らは、何とかして宮殿に忍び込んで、賢者の書を探してみるのだ。賢者の書があれば、悪魔と戦うには一番確実だからな」
 ロレンゾは、翌日、魔法の剣を作るために、近くの山の山頂に行ってしまったので、マルスたちはその間に宮殿に忍び込む計画を立てた。
「宮殿に入るのに一番いいのは、正面から行くことだな」
ピエールが言った。
「どんな風にして?」
マルスが尋ねると、ピエールが言いにくそうに言った。
「ヤクシーを領主のザイードに献上する、という名目で宮殿に入るんだ」
「それは駄目よ。ヤクシーが危いわ」
マチルダが言った。
「なんなら、あんたでもいいんだが……」
ピエールがマルスの顔色を窺いながら続けた。
「なんて事をいうんだ。マチルダにそんな事がさせられるもんか」
マルスは大声で言った。マチルダはそれを押し止めて、言う。
「私でいいならやるわ。私だってヤクシーほどじゃないけど、美人でしょう?」
「あんたなら、ザイードは涎を流して欲しがるよ。だが、危険だぜ」
「大丈夫よ。マルスも一緒なんだもん。私が危なくなったら助けてくれるんでしょう?」
マルスは考え込んだ。マチルダを女奴隷として献上するというのは危険すぎるが、しかし自分たちの目の届かない所に女二人だけで残すのも不安である。かえって、近くにいるだけこの案の方がいいのかもしれない。
「よし、それで行くことにしよう。しかし、危なくなったら、僕たちには構わず逃げるんだよ」
「馬鹿ね。女だけで逃げられるわけないじゃない。もしも、貞操を奪われそうになったら、死ぬわ。どう、こんなに思われて嬉しいでしょう、マルス」
マルスは、マチルダの冗談にも何と答えていいか分からなかったが、目頭が熱くなるのを感じるのであった。
 ヤクシーはマチルダに説明されて、事情を理解したようだが、どの程度分かっているのか、にっこり笑ってうなずくだけであった。

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軍神マルス第二部 10

第十章 奴隷市

 マルスたちはダンガルの町の中を歩き回って宮殿と寺院の警備の様子を調べたが、やはり宮殿の警護は厳しく、中に忍び込むのは難しいようである。
「ロレンゾ殿は、姿を消す術をお持ちのはずだが、それで宮殿に忍び込まれてはどうでしょう」
マルスはロレンゾとの最初の出会いの時、彼が目の前で消えたのを思い出して言った。
「あれは催眠術じゃよ。お前を瞬間に眠らせて、その間に立ち去っただけだ。お前を少し驚かせてやろうと思っての。相手が一人なら出来るが、何人もの警備兵を相手には難しい。それに、盗みならピエールの領分じゃ」
ロレンゾはあっさり言った。マルスには、ロレンゾが力の出し惜しみをしているように思えたが、それ以上は言えず、引っ込んだ。
「まあ、物事は簡単な事からやるのがいいものじゃ。寺院は警護はほとんどないし、そこに賢者の書があるならそれに越したことはない」
ロレンゾの言葉で、マルスとピエールは寺院に忍び込むことにした。
「賢者の書の特徴は?」
マルスはロレンゾに聞いた。
「分からんな。だが、お前の瑪瑙のペンダントが教えてくれるのではないかな」
夕暮れを待って、マルスとピエールは寺院に忍び込んだ。人の気力が減退し、集中力のゆるむ時刻である。
 寺院に参詣する人々の数も減り、黄色の僧服を着た僧侶たちは、夕べの祈りのために寺院の大広間に集まっている。
 ピエールが先導して、寺院の奥の部屋に進む。長い間の盗賊生活で、獲物のありそうな場所は直感が働くのである。
「この部屋が怪しいな」
ピエールの言った部屋に入ると、なるほど、そこが図書室であった。 
しかし、膨大な書物の中から、どうやって一冊の本を探せばいいのか。
途方に暮れながら、マルスは本棚の間を歩き回った。やがて日がすっかり暮れて、あたりは闇に包まれ始める。
「おい、こう暗くなっちゃあ、探すどころじゃないぜ」
ピエールはいらいらと言ったが、マルスは、せめて本棚の最後の場所まで歩いてみようと思って、それには答えなかった。
 とうとう最後の本棚に来た時には、マルスもすっかり諦めかけていたが、その時、マルスのペンダントが闇の中で、かすかに白く輝き出したのであった。
 マルスはその本棚の前に立って、並んだ本の前にペンダントをかざしながらゆっくりと動かしていった。
 一冊の本の前で、ペンダントは一際明るくなった。
「これだ!」
マルスはその本を棚から抜き出した。
本にはずいぶん埃が積もっていた。このあたりの本は、ずいぶん長い間、ほとんど見向きもされていなかったのだろう。
マルスとピエールは、探し出した本を持って、寺院を抜け出した。
ロレンゾとマチルダの待つ宿屋に戻ると、ロレンゾは待ち兼ねたように本を手に取ってめくりはじめた。
やがて、その顔に失望の表情が浮かんだ。
「これではない。これも確かに珍しい、貴重な魔法の書物だが、これにはダイモンの指輪の呪文は載っていない。詳しく読んでみないとはっきりしたことは分からんが、これではなさそうだ。だが、これも十分に役には立つ。わしも知らないような魔法の呪文が沢山載っている。少し、研究してみよう」
 ロレンゾがその本「光輝の書」を読んでいる間、マルスたちは御用済みということで、ダンガルの町中をのんびりと見物し歩くことになったのであった。 

 ダンガルの町には、あちこちから商人が集まってきていて、様々な取引が行われている。
 中でも目を引くのは、奴隷の売買である。男は頑健さ、女は美貌によって値段がつけられている。奴隷の多くは黒人だが、白人奴隷や黄色や褐色の肌の奴隷も混じっている。
「この男は体は普通だが、算術ができるし、字が読める。差配人として重宝するぞ。この優秀な奴隷をたった百ドラクマでどうだ」
「この女は戦争で負けたパーリ族の皇女だ。見ろ、この美しさ、今すぐ女房にするのもいいし、召使、妾、なんでもいいぞ。こんな美女がたった五百ドラクマだ。誰か買う者はいないか」
 人間が牛や馬並みに扱われ、売買されていく有様を、マルスたちは痛ましい思いで眺めていた。
「マルス、あの人を買って」
マチルダが言ったのは、奴隷商が、これはパーリ族の皇女だと言った娘である。年の頃は二十くらいだろうか。確かに、毅然とした態度には風格があり、顔も美しい。おそらく、戦に負けた後、さんざんに男たちの慰み者になってきたのだろうが、そんな気配は微塵も無い。
マルスはマチルダの意図を測りかねて、その顔を見た。マチルダは悲しげな目で、奴隷女を見つめている。単に、この薄倖の皇女への同情心から、そう言ったものらしい。
マルスは手を上げて、買う意思を示した。しかし、その後から六十くらいのグリセリード人の老人が手を上げて、六百ドラクマの値をつけた。

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酔生夢人
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男性
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仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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