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軍神マルス第二部 37

第三十七章 戦いの終わり

 戦いは終わった。
 グリセリード軍は、総指揮者エスカミーリオ以下、将官数名が戦場から逃亡し、兵士たちだけでしばらく戦ったが、統率を失った軍隊はやがて、アスカルファン、レント両軍によって滅ぼされた。
 グリセリード軍の死者はおよそ五万人、負傷者と、降伏して捕らえられた兵士は三万五千人、残りは戦場から逃亡していった。
 捕虜の中にヴァルミラもいた。
 自分に斬りかかって来た相手が女である事に驚いたマルスは、相手を殺す気にはなれず、ただ相手の剣を避けるだけであった。そうしたマルスの姿を見たアスカルファン兵士の一人がヴァルミラに矢を射た。矢はヴァルミラの右腕に刺さり、剣を取り落とした所をマルスが生け捕りにしたのである。
「私を殺せ。そうせぬと、どこまでもお前を追って、殺してやる」
ヴァルミラはマルスに向かって叫んだが、マルスは自軍兵士に、この娘を手荒に扱うな、と指示した。
 戦勝の祝賀会の後、戦の功労者の褒賞があった。
 第一の殊勲者にはマルスの名が挙げられ、マルスは領主が不在になっていたゲイル郡を領地として与えられた。
「やれやれ、マルスも貴族になった御蔭で、まともに評価して貰えるようになったな」
ピエールがマルスに言った。久し振りに皆がオズモンドの家に集まって慰労会をしていたのである。
 その席上で、只一人、トリスターナだけが浮かない顔をしていた。
 マルスが戦場で倒したという栗色の髪の敵将が、マルスの父のジルベールではないかと思ったからである。もし、そうだとしたら、この事は自分だけの秘密として死ぬまで人には言わない事にしようとトリスターナは考えた。
「しかし、三万五千人の捕虜は一体どうなるんだい」
ジョーイが言った。
「普通なら、身代金を敵国に要求するが、相手がグリセリードだけに、下手にそんな要求をしたら、もう一度軍勢を寄越しかねないからな。なにせ、兵隊だけはいくらでもある国だからな」
オズモンドが答えた。
「捕虜の中には、とても美しい娘がいたそうね」
マチルダがマルスに聞いた。
「うん。鬼姫ヴァルミラと言って、グリセリードでは有名な女らしい」
マルスが答える。
「シャルル国王が、一目見て大層お気に入りで、自分の后の一人にならんか、と聞いたが、一言のもとに撥ねつけたそうだ」
オズモンドが宮廷ゴシップを教える。
「身代金の払えない兵士はどうなるのかしら」
ヤクシーが聞いた。
「普通は、殺されるな。アスカルファンには奴隷の習慣はないし」
オズモンドの答えに、女たちは眉をひそめた。
「全部、国に帰してあげればいいのに。好きで戦った人だけでもないでしょうに」
トリスターナの言葉に、一同うなずく。
「とりあえずは、この戦で死んだ兵士の死体の片付けや、壊れた家屋敷の修復に、捕虜たちが使われるだろうが、その後どうなるかは国王の気持ちひとつだな」
オズモンドが結論を述べた。
「しかし、戦後の処理も大変だな。また、税金が上がって、庶民の暮らしは大変だぞ」
ピエールが言うと、マルスもうなずいた。やはり、この中では庶民の暮らしを知っているのはこの二人である。ジョーイはまだ生活者としての実感はあまりない。
「おい、爺さん、さっきから何も言わないが、どうしたんだ。息はしているか?」
ピエールが、隅の方で瞑想に耽っているロレンゾに声を掛けた。
「うむ、さっきお前たちが言った事を考えていた。ほれ、ヤクシーが町で見かけた男じゃ」
「オマーの事?」
「そうじゃ。もしかしたら、そのオマーこそが悪魔の封印を解いた男かもしれん」
「まさか、そんな」
「オマーはイライジャの所にいたのなら、古代パーリ語の書物を読んでいたのかもしれん。頭のいい男なら、まったく未知の言葉を読み解けると聞いたことがある」
「それは本当だ。アンドレは全く独学で、グリセリード語の本を読み解いたことがあるそうだ」
マルスが言った。ロレンゾはうなずいて続ける。
「まして、古代パーリ語は大部分が象形文字じゃ。時間さえあれば、ある程度読めるようになるだろう。発音は今のパーリ語から類推できるだろうしな。で、かなり飛躍した想像じゃが、オマーがイライジャの元を出て、ザイードの専属の魔術師として仕えたとしたら、きっとこの賢者の書を見る機会があったじゃろう。その写しを取って、悪魔を呼び出したとすればどうじゃ?」
なるほど、と一同はうなずく。考えられない話ではない。
「でも、なんでそのオマーがアスカルファンにいるの?」
マチルダが聞いた。ロレンゾは答えた。
「マルスの指にあるダイモンの指輪が欲しいんじゃよ。それがあれば、悪魔の要求に従うことなく、悪魔を使うことが出来るからな」

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軍神マルス第二部 36

第三十六章 マルス対マルシアス

「お前も覚えているだろうが、うちにマーサという女中がいただろう。そして、その女中と私が恋仲になったことも。だが、父は二人の仲を許してくれなかった。私はマーサを町中のある家に住まわせて、そこに通っていた。マーサが子供を産んだ時に、私は自分が父から貰ったブルーダイヤのペンダントを、オルランド家の嫡男の印にマーサに与えた。ところが、父はマーサと私の仲がまだ続いている事を知って、マーサの住む家に行って、私と別れる事を迫ったのだ。別れなければ、私を廃嫡するとまで言ってな。その後、マーサは姿を消した。
 私はマーサの行方を探したが、どうしても見つからなかった。アスカルファン国内だけでなく、アルカードまで行ったが、そこでも探せなかった。アスカルファンに戻った私は、深夜、オルランド家に着き、父と対面した。マーサに対する父の仕打ちに怒った私は、父と口論になり、父を殴って、……殺してしまったのだ」
 ジルベールの告白に、トリスターナは驚きのあまり、声も出なかった。
「呆然としてそこに立っていた私は、部屋にアンリが入って来たことにもしばらくは気付かなかった。アンリは父と私の口論の様子を隣の部屋で聞いていたらしい。父の倒れた物音で部屋に入って来て、全てを了解したアンリは、私に逃亡を勧めた」
「私、お父様は卒中で急死なさったものだとばかり思ってました」
「アンリがそのように計らったのだ。最初私は、逃亡する事をためらったが、結局アンリの勧めに従う事にした。卑怯に思うかも知れないが、私はその時、この家もこの国も捨てて、まったく新しい人間として生きようと決心したのだ」
「それからグリセリードに行かれたのですか?」
「そうだ。グリセリードで私は自分の生きる道を見つけた。それは、ヴァンダロス王の下で武人として生きることだ。貴族の家の中で、眠ったような日々を送っていた私にとって、戦場の日々は刺激と興奮に溢れていた。きっと私の中には生まれつき血を好む性質があったのだろう。私は名前もマルシアスと変え、グリセリード軍で出世もした。
 グリセリードがアスカルファンを攻めると聞いた時にも、私は別にどうとも思わなかった。ただ、お前やアンリには済まない、と思ったが」
「お兄様は国を裏切るのですか?」
「私にとっては、今自分の居る所が自分の国だ。だが、お前だけは何とか助けてやりたい」
「助けて貰う必要はありません。この戦はアスカルファンが勝ちます」
「そうかも知れん。では、お前は一人で生きていけるのだな? ならば、これ以上は言うまい。達者で暮らせよ」
 ジルベールはすっかり成人した美しい妹を優しげに見つめ、うなずいて踵を返した。
「お兄様……」
ジルベールを見送るトリスターナの目には涙が溢れていた。幼い頃から、トリスターナは、優しく男らしいこの兄が好きだった。しかし、もはや兄と自分は、生きる世界が違うのである。

 馬を走らせて戦場に戻ったマルシアス、いや、ジルベールは戦場の情勢が一変している事に驚いた。
 何と、グリセリード軍は背後から来たレントの軍に攻め立てられ、前のアスカルファン軍と両方に挟まれて苦戦をしていたのである。
 この二万人のレント軍は、数日前にマルスからアンドレに送った急使によって、アンドレ自身が率いてアスカルファンの西に上陸し、駆けつけたものであった。
 グリセリード軍後方にいるヴァルミラが危ない、と思ったジルベールは、戦場中央を突破しようとした。だが、その時、一人の若武者が彼の前に立ちふさがった。
「敵に後ろを見せて逃げる気か!」
ジルベールは、その若者をどこかで見たような気がした。だが、相手は明らかにアスカルファン軍の兵士である。
「逃げはしない。私の相手がしたいのなら、してやろう。私の名はマルシアス。グリセリードでは少しは知られた男だ。私を討ち取ったら、お前には名誉になるだろう」
「そうか、私の名はマルス。いざ、勝負!」

…… ……

 マルスは足元に倒れた敵の騎士を見下ろした。相手はまだ息がある。
「見事な腕だ。お主はきっと偉大な武人になるだろう……」
 倒れた相手は、苦しげな息の下から、兜の面頬を上げて、笑って言った。そして呟いた。
「神よ、私の数々の罪をお許しください。マーサ、あの世で会おう……」
マルスは、ぎょっとして相手を見た。マーサだと?
しかし、栗色の髪の騎士は、微笑んだまま、すでに息絶えていた。
 きっと自分の聞き違いだろう。それに、マーサという名前がグリセリードにもあるのかも知れないし。
 マルスは、グレイに乗ろうとして、はっと飛び退った。
「マルシアスの仇、これを受けよ!」
 ヴァルミラであった。
 背後からレント軍に襲われて算を乱したグリセリード軍の中で、ヴァルミラは顔見知りの者に頼んで縛めを切って貰い、マルシアスを探して戦場を駆け回っていたのであった。
 ヴァルミラがマルシアスを見つけた時、マルシアスは敵の若武者と対峙していた。そして、ヴァルミラがそのそばに駆けつけようとした時、マルシアスの体が馬から落ちたのであった。ヴァルミラは悲鳴を上げ、剣を抜いてその若者の所へ突進した。

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軍神マルス第二部 35

第三十五章 ジルベール

「ついでに今すぐ私も斬ったらどうだ。味方の士気が高まるだろう」
ヴァルミラは嘲笑するように言った。
「分からぬ奴だ。あれを見ろ」
 エスカミーリオの指差す方には、敵兵を切りまくるマルシアスの姿があった。
「あのマルシアスは、もともとアスカルファンの男だ。それが、先王ヴァンダロス様に心酔し、グリセリードのためにあのように働いておるのだ。あれこそ武人というものだろう」
「マルシアスは、アルカードの者ではないのか?」
「アスカルファンの者だ。何か訳があって故国を追われてグリセリードに来たのだ」
「なら、故国に対する裏切り者ではないか」
「愛するに足る故国では無かったという事だ」
「ふふん、グリセリードだってそれほどの物か」
「どうとでも言え。国があっての国民だ。戦に勝ってこそ、望む物が手に入るのだ。負ければ全てを失う。今はとにかく、この戦に勝つことだけが大事なのだ」
二人は口論を止めて、前方の戦いの様子を眺めた。
 
 グリセリード軍の先頭に立って目立った働きをしているのは、アルカードから来たガイウスと、マルシアスの二人だった。この二人とも、もとはアスカルファンの生まれであるというのも、思えば皮肉である。
 アスカルファン軍の前面は、この二人によって切り崩されつつあった。
 マルスは、この二人を倒そうと心に決めた。このような白兵戦では、両軍の士気が大きく影響する。中心を失った敵はもろいものだ。
 マルスは愛用の弓を手にしてグレイを走らせ、ガイウスに近づいていった。
「ガイウス、俺が相手だ!」
マルスの前方の兵たちは、マルスのために道を開けた。
「マルスだ!」
「マルス様がガイウスに立ち向かうぞ!」
かつてアスカルファン全体に名を轟かせた勇将ガイウスとマルスの戦いに、両軍とも戦いの手を止めて、見入った。
「お前がマルスか! 見ればまだ若僧ではないか。殺すには惜しいが、勝負を受けよう」
ガイウスは馬をマルスに向けて走らせかかったが、マルスの弓が自分を狙っているのを見て、慌てて立ち止まった。
「待て! 騎士同士の勝負に弓を使うのは卑怯!」
マルスは一瞬ためらった。弓で相手を射殺すのは簡単だが、卑怯者の汚名を着ては、全軍の士気に関わる。
 マルスは、弓を収めて、ガーディアンを抜いた。
 ガイウスはにやりと笑って、馬の腹を蹴った。
 突進してくるガイウスに、マルスの方もグレイを走らせる。
 勝負は一瞬であった。
 大上段から振り下ろすガイウスの豪剣を、マルスは間一髪の差で避け、横殴りにガーディアンを払った。剣はガイウスの胴を鎧ごと切断し、ガイウスの上体は空に飛んで落下した。ガイウスの下半身だけを乗せて、ガイウスの馬はそのまま戦場を駈けて行く。
 この戦いを見ていた両軍の兵たちは、戦うのも忘れて呆然としていた。
「ガイウスは、このマルスが討ち取ったぞ! 残りは弱敵のみ、皆、奮戦せよ!」
マルスは大声に言った。
おおっ、とアスカルファン軍兵士の中から声が上がる。
 勢いを盛り返した兵たちを見て、マルスは戦いのもう一つの場に向かった。だが、自軍を散々に悩ませていた栗色の髪の将は、どこに行ったか、姿が見えない。
 その頃、マルシアスはバルミア市内に馬を乗り入れていた。
 現れた敵兵を見て、市民たちは逃げ惑う。
 マルシアスは、市民たちには目もくれず、ある方角に向かった。
やがてマルシアスが馬を止めたのは、マルスとトリスターナの屋敷、オルランド家であった。
「きゃあっ、敵兵よ!」
下働きの女たちは、マルシアスを見て逃げ惑う。
マルシアスはずかずかと屋敷の中に入っていった。
「そこに止まりなさい。この家で無礼をすると、承知しませんよ」
 二階の階段の上から震えながら声を掛けたのは、トリスターナである。
「やあ、トリスターナ。私だよ。ジルベールだ。忘れたか?」
「ジ、ジルベールですって? まさか!」
「元気そうだな。すっかり大人になったが、まだ昔の面影はある」
「本当にジルベールなの?」
「見てのとおりだ。アンリは?」
「アンリはいないわ。それより、ジルベール、どうしてグリセリード軍の格好をしているの?」
「話せば長い。それより、間もなくここはグリセリード軍が来る。お前も無事では済むまい。私と一緒に来なさい。グリセリード軍の役人に、保護してもらおう」
「いりません。それより、どうしてお兄さんがグリセリード軍にいるのか説明して」
 マルシアスは、少しためらったが、テーブルに腰を掛けて言った。
「仕方ない。簡単に説明しよう」
そして、次のような話をした。

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軍神マルス第二部 34

第三十四章 最後の戦い

 北の山脈を越えて、グリセリード軍がアルカードからアスカルファンに入ってきたという知らせがマルスたちの所に届いたのは、バルミアの戦いからおよそ半月後だった。前回と同様にポラーノ郡を北から侵略した約一万のグリセリード軍は、怒涛のような進撃で、あっという間にアスカルファン中部に進出し、先にバルミアを東西から囲んでいたグリセリード軍と共にバルミア包囲陣を作った。その数、およそ八万八千人、前回の戦闘の死者を上回る数が、すでに二十五隻の船で後方から補充されていた。
 自軍に倍する敵軍に囲まれ、アスカルファンは絶体絶命の窮地に追い込まれていた。
 マルスはアルプ軍を中心としたアスカルファン主力軍の弓兵隊隊長に任命されたが、マルスが最初にしたのは、前回のイルミナスの野の戦いと同様、バルミアの市民たちを徴用する事だった。その為に、国庫から日当を支出する事を、マルスはシャルル国王に要求し、認めさせていた。国王としても、国家の危急の際であり、金に糸目をつけている場合ではないと分かっており、その要求を受け入れたのである。
 市民たちは、男女を問わず石弓と矢の生産に加わり、グリセリードの北からの侵入の報を聞いて四日のうちに、バルミアには二十万本の矢が備蓄された。
 戦いは再びイルミナスの野になる可能性が高かった。バルミア周辺で、双方合わせて十三万人の軍勢が会戦できる場所はここだけだったからである。
 マルスはイルミナスの野の南に矢倉を築かせた。前に、バルミアの近くの崖からグリセリードの船に火矢を射た経験から、高い場所から矢を射る有利さを知っていたからである。三十の矢倉にはそれぞれ、石弓隊の中でも腕の立つ者二人ずつが、矢を篭める役の者四人と共に上る。弓兵隊の残りは、それぞれ十人ずつの小隊に分け、小隊長に率いさせて、イルミナスの野の小高い要所要所に矢防ぎを作ってそこに待機させてある。矢の届く距離に敵が入ったら、そこから矢を射るのである。
 マルス自身は、二十人の騎馬弓兵を引き連れて、戦場全体の要所に向かうことにした。各所にいる弓兵隊に敵の攻撃が向かったら、それを迎撃しようというのが狙いである。
 ジョーイは、同じく市民の男たちを動員して、小型の投石器を二百台作ってあった。船を攻撃するほどの大きさではなく、せいぜい二十キロくらいまでの石を飛ばすものだが、その飛距離は石弓に匹敵するものをジョーイは作り上げていた。その弾丸用に、ジョーイはバルミアの民家の屋根石や煉瓦、敷石などを大量に集めさせていた。
「金は払うぜ。古い家を新調するいい機会だとでも思ってくんな」
ジョーイの言葉に市民たちも快く家を壊す事を承知した。どうせ、戦に負ければ命の保証も無いのである。
 市民の中でも壮年の者たちは、槍部隊を編成して、こちらの陣営まで到達した敵兵を迎え撃つことにした。特に騎馬兵には、長槍は有効なはずである。そして、もとからの兵士たちは肉弾戦を引き受ける。これがマルスの戦いの構想だった。
 総大将ジルベルトは、マルスの献策をほとんど受け入れた。もともと自分の考えなど無い男だから、誰かが案を立ててくれればそれに越したことはないのである。案が上手くいけば自分の手柄になるし、失敗したら、案を立てたマルスの責任にすればよい。
 イルミナスの野に敵軍が姿を現したのは、夏至の日だった。
 太陽がかっと照り付ける正午に、戦闘開始を告げるラッパの音が鳴り響き、グリセリード軍の中からどっとときの声が上がった。
 八万八千の大軍勢を頼みにし、グリセリード軍は歩兵を先頭に駆け足に進む。敵が矢を射掛けても、それで殺される人数は高が知れている。八割九割は敵陣に到着できるだろう。そうなれば、勝利は目の前である。
 ジョーイの号令で、投石器がうなりを上げて石を放った。次々に発射される大石は、敵陣に落ち、その度に何人もの敵兵に大怪我を負わせている。
 矢倉の上からは、優秀な弓兵が、敵兵の密集したあたりに石弓を射る。その後ろでは、矢篭め係が、矢を装備した石弓を次々に手渡していく。
 戦闘開始後三十分で、投石器はおよそ五千個の石を投げ、矢倉の上の弓兵はおよそ八千本の矢を放った。そのうちおよそ三分の二が敵に当たり、重傷を負わせ、あるいは殺していたが、それでも敵のうち一万人程度を倒したに過ぎない。敵の先頭は、アスカルファン軍の先頭に達しようとしていた。
「くそっ。前のようにイルミナスの野の中央を泥沼にしてあれば……」
マルスは思ったが、今回は、前にこの野に水を引いた小川が涸れており、その策は使えなかったのである。
 野の両側に位置した弓兵たちは、横からグリセリード軍に矢を射掛けるが、それでも圧倒的な数のグリセリード軍兵士の数は少しも減ったようには見えない。
 とうとう両軍の先頭の軍勢同士がぶつかった。白兵戦の始まりである。

 敵陣に攻め込んだグリセリード軍を見ながら、エスカミーリオは、傍らに縛られたまま立たされているヴァルミラを振り返って言った。
「どうだ、ヴァルミラ、お前の父、デロスが誤りで、俺が正しかった事が分かっただろう。何も、戦を止めることは無かったんだ。まあ、お前の父を斬ったのは悪かったが、俺には、この戦を遂行する義務があったんだ。お前の恨みは分かるが、今は大事の前の小事、俺に協力してくれんか」
 ヴァルミラはエスカミーリオを睨みつけた。
「お前の首を貰う方が先だ。グリセリードがどうなろうが、私の知ったことか」
「お前の父デロスが、国王からどれほどの恩義を受けたか、分かっているのか。武人は国のために命を投げ出すものだ。戦場を前にして敵に後ろを見せる武人は武人ではない。それを斬ったのがなぜ悪い」
 エスカミーリオもかっとなって言い返した。

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軍神マルス第二部 33

第三十三章 オルランド家相続

 船の一室に閉じ込められたヴァルミラは、脱出の機会を窺っていた。もちろん、脱出して、父デロスの仇、エスカミーリオを殺すつもりである。
 部屋の戸の前に誰かが来た気配がした。ヴァルミラは、戸が開いたら、すぐに外に飛び出そうと身構えた。
「ヴァルミラ。私だ。マルシアスだ」
聞き慣れた声に、ヴァルミラは体の力を抜いた。
「いいか、ヴァルミラ、そのうち必ずここから助け出す。今は、無謀な事をせずに我慢するんだ」
言い終わると、マルシアスは部屋の前から遠ざかって行ったようである。
 ヴァルミラは溜め息をついて、部屋のベッドに身を横たえた。

 グリセリード軍の使者がアルカードに着いたのは、アスカルファン上陸から一週間後だった。その間、グリセリード軍はバルミアを東と西から挟む形でじっと待機していた。
「奴らはなぜ攻めてこないのだ」
アスカルファン軍総大将のジルベルト公爵は、いらいらと言った。
「この前バルミアを正面から攻めて全滅しているので、警戒しているのでしょう」
軍議の場に加わっているオズモンドが答える。
「あの、マルスとやらを警戒しているのか?」
「それが一番大きいでしょうな」
「重宝な男だ。是非、我がアルプ軍の弓兵に加えたいものだが、お主口利きしてくれぬか」
「弓兵ですって? 将軍の間違いでしょう」
「何を馬鹿な事を。たかが庶民の若僧ではないか」
「いや、失礼ながら、あなたより高い家柄です。オルランド家の嫡男です」
軍議の場にどよめきが走った。
「それはまことか、アンリ殿」
シャルル国王が、軍議の場に場違いそうに座っていたアンリに聞いた。
「い、いえ、何かそのような事を申し立てているそうですが、何の証拠も無いことで」
アンリは太った顔に脂汗を浮かべて言った。
「証拠は有るそうですよ。オルランド家に代代伝わるブルーダイヤモンドのペンダントをマルスは受け継いでいます。私もそれを見ています」
「そう言えば、そのダイヤの事は聞いた事がある。もしもそのペンダントが本物なら、オルランド家を継がせぬわけにはいかんだろうな」
シャルル国王の言葉に、アンリは真っ青になった。
 やがてマルスは国王から呼ばれてその前に証拠のペンダントを提出し、明らかにジルベールの息子であると認められた。マルスはアンリに、屋敷と領地以外の財産のすべてを譲り、自分はトリスターナと共にオルランドの屋敷に住むことだけしか求めなかった。これは、トリスターナのためであった。しかし、ジルベールの行方については相変わらず手掛かりは無かった。
「マルスさん、えらく出世したもんだねえ。ローラン家よりでかい家じゃないか」
マルスとトリスターナの新居に招待されたジョーイは、周りを物珍しげに見ながら言った。
「こんな大きな屋敷では、掃除するだけでも大変だ。僕にはケインの家の一部屋で十分だ」
マルスは溜め息をついて言った。ケインの店で弓矢作りの仕事をしていた女たちを家政婦として雇っているが、五人でもまだ足りないくらいなのである。
 マチルダは、マルスとトリスターナが同居している事に、少々心穏やかでなかった。ケインの家にいた時にもジーナという存在はあったが、身近にケインも、その妻のマリアもいたから監視の目はあった。しかし、この広大な屋敷で、しかも一家の主人であるマルスの行動を誰も制止はできないだろう。
 どんなに誠実な人間でも、男は男なんだから、魔が差すってこともあるわ、とマチルダは考えた。同じ屋根の下に、トリスターナのような美女がいて、むらむらと来ないほうがおかしいくらいよ。
「いい、マルス、もしもトリスターナさんとおかしな事になったら、私とはおしまいよ。よく覚えておいて」
「何を馬鹿な事を」
とマルスは答えたが、心の奥底には、マチルダの疑念を完全に否定できないものがあった。
それは、トリスターナと同じ屋根の下に住むということのわくわくする感じである。もちろん、マルスには、マチルダを裏切る気はまったく無い。しかし、心のときめきまでを抑えろというのは無理である。これも精神的な浮気という事にはなるのだろうが。
 オズモンドも、トリスターナが自分の家を出る事を残念がったが、こちらは、マルスの身の証が立った以上、トリスターナと共にオルランド家を引き継ぐのは当然だ、という考えだった。
 朝起きて、朝食の場にトリスターナがいる。それだけで、マルスは嬉しいものを感じるのである。これが一人きりの朝食なら、どんなに味気ない事だろう。
 下働きの女たちの間で、一体、マチルダとトリスターナ、どちらが最終的にマルスのお嫁さんになるのかという事が一大関心事になっている事をマルスとトリスターナの二人は知らない。
「そりゃあ、マチルダさんに決まってるさ。なにせ、れっきとした婚約者だもの。もう奥さん同然よ。この前の旅も一緒に行っているじゃない」
「甘いわね。男と女ってのは、なんだかんだ言っても、近くにいるかどうかよ。あんな美人が側にいて、手を出さなきゃあ、失礼だがマルス様は男じゃないね」
 台所の議論は、止まる所を知らなかった。

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軍神マルス第二部 32

第三十二章 小休止

「あれはマルシアスか? ちゃんと働いているではないか」
エスカミーリオは船の上から海岸での戦闘を見ながら言った。
「はあ、そのようです。やはり、勇猛さではグリセリードでも一、二と言われた勇者ですからな」
ジャンゴが言う。
「ふむ、デロスの腰巾着かと思っていたが、使える男のようだな」
「ヴァルミラ様が使えないのは残念ですな」
「仕方あるまい。放せば、アスカルファン軍に向かうより、まずこの俺を殺しに来るさ」
エスカミーリオは片頬をゆがめて苦笑した。
 陸上の戦闘は終わろうとしていた。千人のアスカルファン軍は、ほぼ全滅である。
「西に上陸したラミレスの軍と、バルミアを攻めたアルディンの軍はうまくやっているかな」
 エスカミーリオは上陸の準備をしながら言った。
「アスカルファンの主力軍は、いったんここへ引き付けられてからバルミアへ戻って行きましたから大丈夫でしょう」
「後は、アルカードからの援軍が来るのを待つだけだな」
「それと、ボワロンからの後続軍ですな」
「一度兵を下ろせば、何度でも戻って兵を乗せてくればいいだけだ。デロスめは一度の輸送だけの兵力しか考えてなかったが、なあに、多少時間はかかるが、ここで持ちこたえていれば、こちらは数がどんどん増える、向こうは数が限られているということだ」
「まったくその通りで」
エスカミーリオはいったん兵を収めて、バルミアへの偵察兵を出した。

バルミアでの戦闘の間、ピエールはヤクシーと共に、宿屋の二階に寝転がっていた。
「こういう時は泥棒の稼ぎどころじゃないの?」
ヤクシーがからかうように言った。
「火事場泥棒ってのは性に合わねえ。それに、ピラミッドに、一生かかっても使い切れねえ宝を隠しているんだ。小さい仕事はもうやらねえよ」
「こうしているのも退屈だから、ちょっと外に出てみない?」
「よしとけよ。好奇心は猫を殺すって言うぜ。女って奴はつまらん好奇心が多すぎる」
「臆病者!」
「何を!」
ヤクシーに挑発されて、ピエールもしぶしぶ外に出た。
町は戦闘がおさまったらしく、ひっそりとしているが、街路には死体があちこちに転がっている。そのほとんどはマルスに射殺されたグリセリードの兵士である。
「マルスたちはどうしているかな」
死体に突き立った矢を見てマルスを思い出したピエールが言った。
「あらっ」
ヤクシーが足を止めた。
「どうした?」
ピエールが聞くのに答えず、ヤクシーは駆け出した。
ピエールがヤクシーに追いついた時、ヤクシーは、町の四つ角であたりをきょろきょろ見回していた。
「一体どうしたんだよ」
「知った顔を見たの。パーリの人間よ」
「パーリの人間だって? そいつは珍しいな」
「ほら、イライジャの弟子のオマーよ。彼に良く似た顔だったの。服装はアスカルファン風だったけど」
「ほう、妙だな。もしかしたら、ボワロンとパーリの戦争のずっと前からここにいたんじゃないか?」
「かもしれないわ。私はダムカルには数年行っていなかったから、オマーの消息は知らないの」
「で、そいつを見失ったんだな」
「そう。まるで消えてしまったみたい」
 二人はその近辺を探したが、オマーはやはり見つからなかった。

宮殿での戦闘はあっけなく終わった。
宮殿まで迫った敵兵の数は僅か数百人であり、国王の近衛兵だけでも十分に持ちこたえられた。そこにオズモンド率いる親衛隊五百人が救援に来たのだから、形勢は完全にアスカルファンに有利になった。白兵戦に勝るグリセリード軍も、数の不利によって圧倒され、やがて全滅したのであった。
戦闘の終結を見届けたマルスは、戦後処理の仕事に追われるオズモンドを残し、マチルダらの元に戻った。
 この戦闘でのマルスの神がかった働きの噂はローラン家にも届いていた。
 不安な思いでマルスの帰りを待っていたマチルダたちは、マルスの顔を見て飛びついてきた。
「マルス! 無事だったのね」
「怪我が無くて良かったわ」
マチルダ、トリスターナが口々に言う。ジーナもその後ろで笑顔を見せていた。
彼女たちの顔を見れば、自分のあの大殺戮も正しい行為だったとマルスには思われた。

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軍神マルス第二部 31

第三十一章 鬼神

はっと我に返ったマルスは、すっかりこわばった手を伸ばしながら立ち上がった。
気が付くと、オズモンドも周りの兵たちも皆、呆然とした顔でマルスをじっと見つめていた。マルスの神技に皆、恐怖に近いほどの感嘆の気持ちに捉えられていたのである。
「マルス、君は人間か?」
オズモンドがやっとのことで声を掛けた。
「もちろんだ。だが、これだけ人を殺したのでは、悪魔と言われても仕方が無いな」
マルスは虚ろな気持ちで笑った。一体、何のためにこれらの兵士は死なねばならなかったんだ。もちろん、彼らを殺した事自体を後悔しているわけではない。彼らを殺さねば、マチルダもトリスターナも市民たちも皆、死ぬか暴行されていただろう。だが、こんな戦に何の必要性があったというのか。一部の人間の野望の為に、これほど多くの人間の血が流されていいのか。
海の上も、陸上も、夕日が血のように真っ赤に染め、そして海の上にも陸の上にもおびただしい本物の血が流れていた。海上を漂う船の残骸が、まるでグリセリードの兵士たちの墓標のようである。

マルスたちは気付かなかったが、バルミアを攻撃したグリセリード軍の一部は、港から王宮の方へ攻め上っていた。
王宮からの伝令でその事を知ったオズモンドは、すぐさま親衛隊を率いて王宮に戻ることにした。
「マルス、君はどうする?」
「マチルダやトリスターナが心配だ。君の家に行ってみる」
「そうか、なら、僕は王宮へ向かう。後で来てくれ」
「分かった」
オズモンドが去った後、マルスはぐったり疲れた体をグレイに乗せた。
グレイは、まるで自分の行くべきところが分かっているかのように、オズモンドの屋敷に向かった。
グリセリード軍の一部はバルミアの民家に押し入って、強奪、暴行をしている。マルスは馬上から、そうした悪党どもを見つける度に、弓で射殺しながら進んでいった。
「虫けらどもめ!」
マルスの心には、先ほどとは打って変わった怒りが湧き起こっていた。
敵兵の中には、マルスを見て矢を射掛け、あるいは槍や剣で切りかかろうとする者もいたが、どういう訳か、それらの矢はマルスがよけるわけでもないのに、一つもマルスに当たらなかった。
憤怒の表情で次々とグリセリードのやくざな兵士たちを射殺していくマルスは、まさに鬼神であった。
 その有様を目撃したバルミアの市民たちは、マルスの後ろにひれ伏して、マルスを拝むのであった。
やがてローラン家の門が見えてきた。
初めて、マルスの心に不安が起こってきた。自分がいない間に、マチルダたちの身に、何か悪い事が起こっていないだろうか。
グレイから下りたマルスは、ローラン家の門の前に立った。門は閉まっている。周りを見回したマルスは、門の上に攀じ登って、邸内に飛び降りた。
広い敷地を小走りに進んだマルスは、屋敷のドアをノックした。
「誰かいるか! マルスだ」
ドアが開いて、クアトロのいかつい顔がのぞいた。マルスはほっと安心した。
「やあ、クアトロ、ここには敵は来なかったか?」
「来たよ。三人だけだが、俺が殺した。まだ庭の中に置いてある」
「そうか、よくやった。皆大丈夫なんだな?」
「もちろんだ」
マルスはマチルダの顔を一目見たいと思ったが、今日はなぜか、マチルダの顔を見ると王宮へ戦いに行く気力を失いそうな気がしたので、そのまま王宮に行くことにした。
「王宮にグリセリード軍が来ているそうだから、僕は王宮に向かう。君たちは、このままここを守っていてくれ」
「分かった。安心しろ、マチルダさんたちには指一本触れさせない」
マルスはクアトロにうなずいて、ドアから離れた。
マルスの仕事は、まだこれからである。

 バルミアの東側で囮になっていた三十隻の船にエスカミーリオはいた。
 海岸で敵の上陸を待っていたジルベルト公爵が、痺れを切らして軍の大半を引き連れてバルミアに戻ったのを確認した後、船は海岸に悠々と近づき、上陸を開始した。残っていた千名のアスカルファン軍は慌てて矢を射掛けたが、船の方からも矢で応酬する。数少ない弓兵しかいないアスカルファン軍は、たちまち圧倒されて、後退し始めた。その間に、船からは兵士たちがどんどん上陸していく。船に積んでいた馬ごと海に乗り入れて、海岸に泳ぎ着く騎兵もいる。
 やがて本格的な戦闘が始まった。白兵戦になると、百年近い平和の時代を過ごし、ほとんど戦らしい戦をしていないアスカルファン軍の兵士と、戦乱の中に生き延びてきたグリセリード軍の優劣ははっきりしていた。
「見ろ、やはり我が軍の兵士の勇猛さは、一人がアスカルファン兵士三人ほどに匹敵するわ」
 戦闘を眺めていたグリセリードの将校の一人が高笑いをした。

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酔生夢人
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仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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