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軍神マルス第二部 44

第四十四章 マルス国王

マルスとヴァルミラ、それにピエールとヤクシー、オズモンドは馬に乗り、戦場を駆け巡った。そして、歩兵部隊の中では、クアトロが例の大剣で一度に五人ずつ切り殺している。
戦況は急速にマルスたちに傾いて行った。少しでも危ない部分があると、天守閣のアンドレから指示が出て、近くにいた者がそこの救援に向かう。
「いやはや、あのヴァルミラって女は凄いな。見ろよ、あの女が向かうところは、敵がみんな逃げていくじゃないか。あっ、また一人斬った。これでさっきから数えただけで十五人目だ」
 アンドレの側で高みの見物をしているのはジョーイである。投石器のところまで敵が来たので、これでお役御免とばかり城内に逃げ込んでいるのである。
「素晴らしい。それに、実に美しい」
「ここから顔が見えるのかよ」
「いや、あの乗馬姿が美しいと言っているのだ。こうしてみると、あの血生臭い戦場すら一幅の絵のようだ」
「暢気な事言ってらあ。戦の指示は大丈夫かよ」
「もう終わりだ。この戦は、我が軍の勝ちだ。見ろ、今マルスが敵の本陣に攻め込んだ。間もなく国王を討ち取るだろう。これで王手だ。チェックメイト!」
 マルスは国王シャルルの首を一刀で跳ね飛ばした。
傍らにいたマーラーの姿はいつの間にか見えなくなっている。
「王はこのマルスが討ち取ったぞ! 兵士たち、これ以上無益な戦いは止めるのだ」
国王軍の兵士たちは皆、手にした武器を捨てた。降参したものに対してマルスが慈悲深い事は知っているから、降伏するにもためらいはない。

「王はこの私にいわれの無い濡れ衣を着せて、この戦を起こした。仕方なく私も受けて立ったが、この戦で亡くなった者たちの事を思うと慙愧の念に耐えない。こうなった以上、私は全国を統一して、すべてをこのゲイル郡のようにしたいと思う。さもなくば、人々の恨みによって、この国は滅びるであろう」
 全軍の兵士と、降伏した国王軍の兵士たちに向かってマルスは言った。
「もしもこの中で、私に従って戦いたい者がいれば、私に付いて来て欲しい。もとの仕事に戻って平和に暮らしたいのなら、それでももちろん良い。私は年貢を今の4分の一にして、農民が楽に暮らせる世の中にするつもりだ。領主たちは必ずそれを憎んで戦を挑んでくるだろう。その戦いに勝ち抜くのは容易な事ではないかもしれないが、私が勝った暁には、必ずあらゆる人間がまともに暮らせるような国を作るつもりだ。どうだ、私に付いて来る者はいるか?」
マルスの言葉は歓呼の声で迎えられた。
「マルス万歳! 新国王万歳!」
「あなた以外に国王はいない。我々は皆、あなたに付いて行きます」
 マルスは傍らのヴァルミラを振り返った。
「こういう訳だが、私の命を狙うのはもう少し待ってくれないか」
ヴァルミラはにやっと笑った。
「いいだろう。あんたが全国を統一するまで待つよ」
マルスは手を出した。二人は握手した。
「万歳! 鬼姫ヴァルミラ万歳! グリセリードの勇者たち万歳!」
人々は握手する二人に歓声を上げた。

 それから戦いの日々が始まった。
 国王軍の降伏した兵士たちは皆、マルスに忠誠を誓い、元のグリセリードの兵士たちと共にマルスの軍勢の中心となった。
 戦いの先頭には常にマルスと共に、鬼姫ヴァルミラの姿があり、アンドレは戦の総指揮を執りながら、全国の領主たちに、マルスに従うよう手紙を書き送った。
 各郡の領主たちは、領地を失う事を恐れて、マルスの軍に戦いを挑んできたが、もともとその領主の土地の人民はマルスの軍が勝つ事を願っており、兵士たちですら逃亡してマルスの軍に加わる者が多かった。やがてマルスの軍勢は十万を越え、もはやマルスの軍に対抗できる存在は無くなった。全国の領主たちは自分の領地を自らマルスに差し出して恭順の意を示した。
 そして、マルスが十八歳の春、マルスは即位してアスカルファンの国王となった。
 それと同時に、マルスとマチルダの結婚式が行なわれ、全国民は二人を祝福した。

「マルス、行くぞ!」
「来い、ヴァルミラ!」
馬場の両側に離れて対峙したマルスとヴァルミラは、互いに声を掛け合った。
この戦いを見ているのは、マルスの親しい仲間たちだけである。
太陽の日差しを反射して、ヴァルミラの白い鎧兜、マルスの赤い鎧兜が鮮やかな対照
をなしている。
 それぞれの馬の横腹を蹴って突進し、駈け違った二人は、どちらも相手の剣の一撃をかわし、あるいは盾で受け止めた。
 剣をかわしたマルスは、続けて第二撃を与える。盾で受け止めた分、剣の衝撃を受け止めたヴァルミラは、マルスの第二撃で馬から叩き落とされた。
「参った! 約束通り、あんたの命を狙うことはもうやめよう」
 ヴァルミラは兜を外して立ち上がりながら、明るく笑った。

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軍神マルス第二部 43

第四十三章 戦場の名花

トリスターナは、ヴァルミラを閉じ込めた部屋をノックした。
「勝手に入れ。別に歓迎はしないがな」
中からヴァルミラの凛とした声が響く。
まあ、素敵、とトリスターナは考える。このヴァルミラが、グリセリードでも一、二を争う武勇の持ち主であることは聞いていた。
「入っても逃げないと約束して。今、ここがどんな状況かは分かっているでしょう?」
「ははは、同じアスカルファン同士戦っているんだってな。面白いな」
トリスターナは戸を開けた。
「おいおい、私は逃げないなんてまだ約束してないぞ。一体何の話だ」
「お願い、マルスを助けて。私たちと一緒に戦って」
ヴァルミラはあきれてトリスターナの顔を見た。
美しい女だ。しかし、頭がおかしいのではないか。マルスを恋人の仇とつけ狙う自分に、マルスを助けろ、だと?
しかし、トリスターナの邪念の無い澄んだ目を見て、なぜかヴァルミラは目をそらしてしまった。ちえっ、男相手には睨み負けたことはないのに。
「あのなあ、私はマルスの敵なんだぞ。そいつが何で自分の敵を助けるなんて思いつけるんだよ」
「いいえ、あなたとマルスは敵ではありません。同じ不幸な運命を背負った仲間なのです」
「どういうことだ」
「あなたの恋人マルシアスは、実はマルスの父親なのです」
ヴァルミラは、がーんと頭を殴られたような衝撃を受けた。
「では、マルスは自分の父親を殺したのか」
「ええ、知らずにです。相手がグリセリードの兵士だから、戦わずにはいられなかったのです。国と国が戦うこと自体がいけないことだったのです。そのために、マルスはずっと探していた自分の父親を知らずに殺すことになったのですわ。あなたも可哀想ですが、マルスの方はもっと可哀想なのです」
「……でも、だからと言って、マルスが私の仇であることに変わりはない……」
ヴァルミラは、力無く言い張った。
「ええ、そうですわ。マルス自身が、マルスにとって親の仇であるように」
ヴァルミラはトリスターナの言葉を噛みしめた。
「分かった。マルスを助けて戦おう。だが、もしも戦の後で二人とも生き残っていたら、私はマルスと戦わせて貰う。なぜなら、アスカルファン一の強者と戦ってみたいからだ」
「それはご自由に。ただの喧嘩なら、私は口出ししませんわ」
「喧嘩ではない。試合をするのだ」
「同じようなものですわ。それでは、私と一緒にいらして」
トリスターナは、戸口を出かけて、振り返った。
「あ、それから、マルスが自分の父親を殺した事は、マルスには絶対に言わないでください」
「分かった。約束する」
トリスターナは、にこにこと居間に戻った。そこにいたマチルダは、ヴァルミラを見てびっくりしたが、トリスターナは
「ヴァルミラさんは、マルスを助けて戦ってくれるそうよ。私たち、お友達になったの」
と明るく言う。
マチルダは正直なところ、トリスターナを只のお人よしだと見くびっているところがあったのだが、変な特技を持った女でもあるようだ。
「マルスの奥さん、あんたの旦那を助けてやるよ。他の人間には殺させたくないからな」
にやっと笑ってヴァルミラは言った。
「私、まだ奥さんじゃありませんわ。でも、有難う。気をつけて戦ってね」
気をつけて戦うなんてことができるか、アスカルファンの女ってのはみんな頭の中は湯気が立っているんじゃねえか、とヴァルミラは思ったが、短く「ああ」と答えた。

トリスターナと共に戦場に現れたヴァルミラを見て、マルスは「わっ」と驚いたが、戦の間は恨みは忘れて一緒に戦うというヴァルミラの言葉に安心した。
ちょうど、弓矢の戦いも終わり、全面的な白兵戦に移ろうという時だったから、鬼姫ヴァルミラの助けは有り難い。
戦況は五分であった。百姓部隊の方は敵軍に押し捲られていたが、グリセリード兵士の軍は健闘している。そこへ、鬼姫ヴァルミラが現れて、グリセリード兵士たちは大喜びした。なにしろ、グリセリードでは神様扱いの名将デロスの娘であり、本人自身、武芸の達人、兵士たちの憧れの的の鬼姫ヴァルミラである。兵士たちは勇気百倍した。
戦場の放れ馬を見つけて、それに飛び乗ったヴァルミラと、グレイに乗ったマルスの姿は、二人で並ぶと絵のようであった。
「人間いつかは死ぬ。せめて一花咲かせて死のうぞ!」
ヴァルミラの大見得に、兵士たちは歓声を上げた。
 二人は並んで敵軍に向かって突進して行った。

「あれは女ではないか」
戦場の中にヴァルミラの姿を見出して、シャルル国王は言った。
「そうです。確か、鬼姫ヴァルミラと言って有名なグリセリードの女武者です」
ロックモンドの答えに、シャルルはわなわなと手を握り締めた。
「知っておる。わしの后になる事を断った女だ。それがなぜマルスの陣営にいる!」

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軍神マルス第二部 42

第四十二章 アンドレの帰還

「ロレンゾ、あの雪を止めることはできないか?」
マルスは傍らのロレンゾに言った。
ロレンゾは思念を凝らした。雪は止まった。だが、あっという間に、また降り出した。
「駄目じゃ。向こうにも妖術師がいる。しかも、そいつは悪魔の力を借りていて、強大な力を持っている。そいつが雪を降らせているのじゃ」
敵兵の黒い影は、静かに近づいた後、しばらく動かなくなった。おそらく、先頭の何人かが落とし穴に落ちたのだろう。
「ジョーイ、あの落とし穴までの距離は分かるか」
「ああ、覚えている。戦場の下見は何度もした」
「よし、ならば、そこまでの距離を計算して、盲撃ちをしろ。音で落ちた位置を判断して、少しずつ修正するんだ」
マルスは、猟師の呼子を矢の先につけ、遠くの影に向かって矢を射た。
矢は、音を立てながら黒い影の手前に落ちた。まだ、敵は味方の石弓の矢の範囲に来ていないようだ。マルスは、大急ぎで火矢を何本か作らせた。
「いいか、この火矢を目印に射るんだ。真っ直ぐに、この火矢に向かって射るんだぞ。そうすれば、ちょうど敵の上に落ちる」
マルスは、次々と矢倉に上って、目印の火矢を射た。矢はグリセリード軍を超えて、彼方に落ちたが、他の弓兵の石弓の軌道を考えれば、これでちょうどグリセリード軍の上に矢が落ちるはずだ。

 シャルル国王は、雪の中を飛来する矢と石に驚いた。
「なぜ、この雪の中でこちらの位置が分かるのだ」
「分かるはずはありませんよ。盲撃ちをしているだけです。当たるのはまぐれです」
参謀役のロックモンド卿が言った。
「そうか。安心したぞ。もし、こっちの位置が分かるのなら、せっかくマーラーに頼んで雪を降らせている意味が無いからな。ははは、この雪にはあのマルスめもまいったであろう。自慢の弓が、この雪では使えないからの」
国王軍の兵士たちは、しかし、雪の中を飛来する矢と石に怯えきっていた。前方の様子は雪に包まれて全く見えない上に、あちらからは、まるでこっちの姿が見えるかのように矢と石が降り注いでくる。これでは、殺されるために前に進むようなものだ。とにかく、周りが見えないことくらい不安なものはない。
国王も、あまりに相手の石と矢が当たり過ぎる事に、だんだんと不安になってきた。
「おい、あちらにはこっちが見えているのではないか。あまりにも被害が大きすぎるぞ」
「そんなはずはありません」
そう言いながらも、ロックモンドも不安な気持ちに襲われていた。
「もしも、向こうにもマーラー並みの魔法使いがいたらどうじゃ。そいつが、雪の中でも見えるような魔法を使っていたとしたら」
シャルル国王は、臆病者の常として、想像を悪い方へ悪い方へと募らせていった。
その時、シャルル国王に向かって、巨石が雪の中を飛来してきた。
その巨石はシャルル国王には当たらなかったが、王冠を弾き飛ばして、傍らの軍旗をへし折った。
「うわっ!」
シャルル国王は身を伏せた。これは、どうしても、向こうにはこちらの姿が見えているのだ。
「やめい、やめい、マーラー、雪を止めよ。この雪は味方を不利にするだけじゃ」
国王は震え声でわめいた。
王の左手にいたマーラーは、呪文を呟いた。そして、雪が止んだ。

 雪の止んだ平野は、一面の雪が積もり、その上にいる国王軍の兵士たちははっきりとした弓の的になった。マルスたちの弓兵たちは、今度こそ狙いをはっきりと付けて矢を射始めた。国王軍からも、矢の応酬をするが、矢倉から射る飛距離の差の分、分が悪い。それに、マルス側には矢防ぎがあるのに、国王軍にはそれが無いのも不利である。
 だが、矢で兵士たちを殺されながらも、騎兵が突進していくと、その何割かはマルス軍の陣地に入り込むことが出来た。そうした敵兵の侵入を受けた部分では白兵戦が始まっている。
 この状況の中で、国王軍の後方から走ってきた騎士が、走りながら国王シャルルの肩に切りつけた。
 残念ながら、深手を負わせることは出来ず、その騎士はそのままマルス軍の方へ駆け抜けていった。
「待て、あれはアンドレだ。あの白い鎧の騎士は撃つな」
マルスは大声で指示した。
マルスたちの陣営に飛び込んだアンドレは、荒い息をつきながら、マルスと抱き合った。
「マルス、済まない。どうしてもレント国王を説得できなかった。普段は仲が悪くとも、同じ国王同士としては、国王への反乱軍の味方をするわけにはいかん、ということだ」
「ああ、多分そうなるだろうとは思っていた。それより、よく戻ってくれた」
「死ぬ時は一緒だ。さっき、シャルル国王に斬りつけたが、斬り損ねた。やはり、剣は私の柄じゃない」
照れたように言うアンドレの言葉に、マルスは笑い声を上げた。
マルスは全軍の指示をアンドレに任せ、自分は戦いに専念することにした。アンドレは城の天守閣に上り、そこから戦況を見て指示をすることになった。

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軍神マルス第二部 41

第四十一章 雪

オズモンドから話を聞いて、まず声を上げたのはピエールだった。
「なんて話だ。これまでマルスにさんざん助けられながら、今度はマルスを殺そうというのか!」
 アンドレも、考え込むように言った。
「私は一度レントに戻る事にしよう。出来れば、レント国王を説得して、マルスを助けて貰うようにしたいのだが、前にはアスカルファンを救うように言って、今度はアスカルファンと戦うことになるのだから、説得は難しいかもしれん」
「こっちだってアスカルファンだぜ」
ピエールが不服そうに言った。
「だが、国王軍こそがアスカルファン軍なのだ。マルスたちは反乱軍ということになる」
「ひでえ話だな」
アンドレは久し振りのトリスターナとの対面を懐かしむ余裕もなく、すぐにゲイルの西の港からレントに向かって出発した。
「よし、こうなりゃあ、国王軍と戦って、マルスをアスカルファンの国王にしようぜ」
ピエールは叫んだが、マルスは首を振った。
「ピエール、ゲイルは国王軍と戦うだけの戦力は無いよ」
「正規兵はいなくても、百姓たちを駆り出しゃあいいじゃねえか。グリセリードの捕虜たちもほとんどここに残ったんだから、マルスのために喜んで戦うだろうよ」
 ピエールはすぐに城を出て、各村や町々から兵士を募集した。
「お前ら、マルスが負けたら、また前のような暮らしに戻るんだぞ。収穫の半分以上も年貢に取られ、生きていくのが精一杯という暮らしに戻りたいのか!」
 人々はすぐさまピエールの言葉に応じて、続々と兵士になった。
 グリセリードの捕虜たちは、今では自由人となっていたが、こちらも喜んでマルスのために戦おうと言った。
 二日のうちに志願兵と元のグリセリード兵で、マルスたちの兵の数は七万五千人になったが、残念ながら彼らの武装は貧弱なものだった。剣も槍も弓も全員の分は無い状態である。
「ええい、こうなりゃあお前らは石でも棒切れでも持って戦え! 鍬でも鎌でもその気になりゃあ武器にならあ」
ピエールは滅茶苦茶な事を言っている。だが、確かに、長い鋤なら立派に槍の代わりになるし、その他にも武器になりそうな農具は幾つかあった。
 ジョーイは人々に指示して、それらの農具を武器に改良させた。その一方で、また多くの人々を使って投石器や石弓、矢を作る。
 マルスの居城の近くが決戦の場と定められた。当然、敵がそこを目指して来るからだ。
 城の前は、刈り取りの終わった畑が広がっている。間もなく雪が降りそうな空模様である。もしも雪が降ったなら、雪の下に隠れた足場の悪い部分は、敵を悩ますだろう。
 城の前に並んだ矢倉と投石器の飛距離の範囲に、マルスは幾つも落とし穴や堀を作らせた。城の背後は川になっているから、そこから回られる心配はない。まだ雪も降らない状態で川が凍るはずは無いからだ。川は深く、歩いて渡ることはできないし、泳いで渡ろうものなら、絶好の弓矢の的である。
 国王軍がゲイル郡に入ったのは、オズモンドが急を知らせてから十日後だった。全国の領主に触れを回して軍勢を集めた分だけ遅れたのである。ゲイルの西側にあるマルスの居城に着くのは、あと二日後である。
 その頃には、マルス側の戦争準備はすっかり終わっていた。
 これまでの戦いとは違って、今回に限っては、マルス側の陣営の方が兵の数は多い。だが、そのほとんどは戦の経験のない百姓である。戦の経験のあるのは元グリセリードの兵士くらいだが、彼らがどこまで本気で戦うか、信じ難い点がある。
 ヤクシーとオズモンドは百姓兵たちの指揮をし、ピエールはグリセリード兵の統率をする。そしてジョーイは例によって投石器の指示係だ。
 マルスは、最初は矢倉の一つから敵を射て、敵が接近してきたらグレイに乗って戦場を駆け巡る予定である。今回は、慣れた弓兵がマルス以外にはほとんどいない。捕虜になったグリセリード兵は歩兵か騎兵だけである。従って、これまでのように敵の接近前に、弓で敵の数を減らすことは難しい。今度の戦いは困難なものになりそうだな、とマルスは思っていた。
 百姓の中から、器用そうな者や目のいい者を選んで石弓の練習をさせてきたが、やはり慣れた弓兵ほどの命中率はない。僅か五、六日ではそこまでの上達は無理である。敵が密集していればそれでもそこそこ当たるだろうが、散開したら、まず当たらないはずだ。
「今回は、わしも働かざるを得ないようじゃな」
ロレンゾは言った。
「どうも、今回の戦には、妖魔の匂いがする。もしかしたら、敵軍の中に妖術師がいるのかもしれん。ただでさえ困難な戦いじゃのに、難儀な事じゃ」
 やがて、雪が降り出した。
 雪は翌日になっても降り止まず、国王軍が視界に現れた時にも、その姿は雪の中の黒い影でしかなかった。
 マルスの胸は氷のようなもので覆われた。このまま雪が降り続けば、マルスが弓を射ることはできない。いかにマルスといえども、見えない物を射ることはできないからだ。
 敵兵は、降りしきる雪のカーテンに隠れて、視界の端の黒い染みにしか見えない。そして、その黒い染みは少しずつ広がってきていた。

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軍神マルス第二部 40

第四十章 悪霊

「なぜ、マルスが反逆を企てているなどと言うのです」
オズモンドは、噂を流している人間の一人を問い詰めた。
「マルスはグリセリード軍の兵士を五万人も連れて行ったではないか。それを自分の手兵にして、このアスカルファンの王位を狙おうとしているのだ。それに、レント国王の臣下であるはずのアンドレとやらがいつまでもマルスの所に滞在しているのも怪しい。きっとレントと呼応して、アスカルファンに内乱を起こそうとしておるのだ」
 アルプのジルベルト公爵は答えた。彼と弟のロックモンドが、マルス反逆論の中心人物だった。
「話になりませんな。なら、前のグリセリード戦でのマルスの働きは何だったというのです?」
「あれとこれは別だ。分不相応な地位を手に入れて、野心を起こすのは、よくある話だ」
「己を持って他を推す、という奴ですな。あなたは、ゲイル郡がご自分の物にならなかったのを逆恨みなさってるんだ」
「無礼者! そのような暴言を吐くと、国王の側近とはいえ、容赦はせぬぞ」
「あなたこそ、お言葉に気をつけなさるがよい。せっかく二度の戦が終わったところに、平地に波風を立てるようなことはおよしなさい。それでなくとも国事多端な時に」
 確かに、全国は不穏な気配に包まれていた。
二度の戦費捻出に苦しむ各郡の領主たちは、自郡の年貢や税金を引き上げ、一般の人々の生活は窮乏に追い込まれていた。そのため、絶望から領主への反乱を起こす民衆も増えていた。中には、数千人規模の反乱もあり、暴徒となった民衆が、領主の館に押し入って、領主を殺し、領主の妻や娘たちを強姦した上で惨殺するという出来事もあった。その反乱は隣国の領主が手勢二千人を率いて乗り込み、暴徒のほとんどを弓や剣で殺すことで抑えられたが、その後も数百人規模の一揆は絶えなかった。その中で、奇跡的なほど平和に治められ、人口を増やしているゲイル郡への羨望が全国の人民に生まれていて、マルスを国王にせよ、という声が上がっているのも事実であった。
「年貢を四分の一にするなど、民衆への人気取り以外の何物でもない。あんな事をされては、我が郡のやり方に非難が集まるではないか」
他の領主たちからは、マルスを非難する声が上がっていた。
 
やがて、奇怪な出来事があった。シャルル国王の后が、精神が錯乱し、誰彼構わず、男を自分のベッドに引き入れるようになったのである。しかも、そのありさまをわざと人前に曝すのであった。最初、病気として王妃を診察しようとした医者は、王妃に抱きつかれて理性を失い、王妃と交わっている最中に王妃が大声で人を呼んだのに驚いて体を離そうとしたが、王妃が足を絡めて放さず、あられもない姿を衆人に見られて、処刑台に送られた。次に悪霊の調伏に呼ばれたエレミエル教の高僧も同じ憂き目にあった。
やがて、民間で超能力者として知られるようになっていたある男が、王宮に呼ばれた。
色浅黒く、骸骨のように痩せて背の高いその男は、香を焚いて王妃の前で祈りを捧げた。
王妃は甲高く、しわがれた笑い声を上げた。
「お主が来たからには、わしは出てゆかざるを得ないわい。だが、お主が去れば、わしはまたこの女に取り付こうぞ」
 そう王妃は叫んだ後、気を失った。
 気を取り戻した時、王妃はこれまでの事を一つも覚えていなかった。
 シャルル国王は、この男、マーラーを賢者として宮廷に抱えることにし、もう一人の賢者カルーソーは宮廷を追われた。

国王シャルルは、マーラーの持つ様々な超能力を目の前で見せられ、すっかりこの男に信服した。
「我が国の未来はどうなっておりますかな、マーラー殿」
国王は敬語を使ってマーラーに呼びかけた。
 マーラーは、目を閉じて瞑想した。
「戦乱が近づいていますな。戦は西から来る」
「敵は何者ですか」
マーラーは再び目を閉じて考え、そして言った。
「マルスという名の男です」
「やはり、マルスであったか! あの男わしが貴族に取り立て、領地をくれてやった恩義も忘れおって」
シャルル国王は、すぐさまマルス討伐の準備に取りかかった。 
国王がマルスを討とうとしている事を知ったオズモンドは、必死で国王の説得に努めたが、それが不可能と知ると、急いでトリスターナの家に向かった。
 事情を話してトリスターナと、トリスターナの保護のために同じ家にいたジョーイとクアトロを連れ出し、自分の家に戻って両親とジョンだけを馬車に乗せ、他の使用人には、家にある財物を皆で仲良く分けろ、と言い置いてオズモンドはゲイル郡に向かって馬車を走らせた。
 四頭立ての馬車を休み無く走らせ、ゲイル郡に着いたのは翌々日だった。

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軍神マルス第二部 39

第三十九章 噂

グリセリードの捕虜たちが、身代金の支払われた数名を除いてすべて処刑されるという事を聞いたマルスは、国王シャルルの元に出向いて、残る捕虜全員の命と引き換えに百万リム自分が出すから、捕虜たちを自分に渡してくれ、と言った。二度に渡る戦争の戦費の捻出に頭を悩ませていたシャルルは、渡りに船とばかりにこの提案に飛びついた。
マルスは五万人近い捕虜を率いて、新領地のゲイル郡に向かった。その護送には、オズモンドが隊長を務める親衛隊五百人が当たった。その旅にピエール、ヤクシー、マチルダ、ロレンゾ、アンドレも同行したが、トリスターナだけはマルスの屋敷の留守番に残った。
「お前たちは、これからゲイル郡で百姓をして貰う。グリセリードの方へは連絡しておくから心配するな。ゲイルの山野を開墾して、一人十反の畑を作った者は自由の身にしてやろう。これは、お前たちの国がアスカルファンに与えた被害の償いだ。そのままここに残りたい者には、自分の開墾した畑をそのまま与えよう」
 マルスは捕虜たちにそう告げた。自分たちが処刑されるのでも、一生奴隷にされるわけでもないと知った捕虜たちは歓喜の声を上げた。
ゲイルの領主の城に入ったマルスたちは、旧領主の召使たちと対面した。彼らは明らかに、上の者にはへつらいながら、地元の百姓を蔑視し、虐げるのを当然と考えるような者たちだった。
マルスは彼らに金をやって追放した上で、地元の百姓の娘や子供の中から城の召使や従僕を選んだ。
マルスはグリセリードの捕虜たちに、まず自分たちの住む家を作らせた。およそ十日で五万人の住む住居群が出来上がった。そこを拠点に、ゲイルの山野に向かって捕虜たちは開墾の仕事を始めた。暑さも次第に和らぎ、開墾の労働もそれほど苦痛を感じさせるものでもない。捕虜たちにとっては、自分の国で百姓をしているよりここの方が安楽だと思う者も多かった。
出来た畑には、出来次第に秋撒きの小麦や野菜を植えて行き、早いところは既に芽を出していた。
ヴァルミラの扱いにマルスは困りきっていた。自分を自由にしたら、必ずマルスを殺すと言う者を自由にする訳にもいかず、城の一室に閉じ込めてあるのだが、戸に鍵が掛かっていている以外は不自由がないようにしてあった。
マチルダやヤクシーが彼女の説得に努めたが、ヴァルミラは頑として心を変えなかった。
「マルスも大変な女を敵に回したもんだな」
ピエールは面白半分でその様子を眺めている。
「あんな美人でなけりゃあ、殺してしまえば一番簡単なんだがな」
アンドレが顔に似合わぬ残酷な事を言う。
「別に美人だから特別扱いしている訳ではないぞ」
マルスが弁解じみた事を言うのは、心に疚しいところがあるせいだろう。美人に弱い所が自分の欠点ではないか、とこの頃マルスは思うようになっていた。敵のヴァルミラに対してすら、何となく心が動くのである。
「賢者の書の解読はどんなだ?」
マルスは話題を変えた。
「八割方分かってきた。だが、完全に解読しないで呪文を使うのは危険だ。魔法のことはロレンゾに、パーリ語の発音はヤクシーに聞けばいいから、一人で解読するのに比べれば、ずっと楽な仕事だがな」
「しかし、ピラミッドから持ってきた宝も、捕虜の身代金と食費、衣服、薬代で半分以上使ってしまったぜ。そろそろもう一度取りに行ってこようかな」
ピエールは、無為な毎日に少々退屈しているようだ。
「賢者の書の解読が終わってからにしてくれ。それに、ピエールには捕虜の監督の仕事があるだろう」
アンドレが言うと、ピエールは肩をすくめてみせた。
「監督ったって、何もする事はありゃしねえよ。そりゃあ、中には不真面目な者もいるが、ほとんどの者は真面目に働いているし、逃亡する者なんていやしねえし」
「逃亡したって、野盗になるしか無いし、グリセリードに帰りたければ、さっさと畑を作った方が早道だしな。秋の終わりには開墾は全部終わるんじゃないか」
アンドレも言う。
 秋の収穫も始まっていた。いつものように収穫の半分を年貢として納める事を覚悟していた百姓たちは、年貢は収穫の四分の一でいいというお触れに狂喜した。
「一体、収穫の半分も納めさせて、前の領主はそれをどうしていたんだろうな。四分の一もあれば、城の人間だけでなく、捕虜たちの一年分の食料にも十分だというのに」
 アンドレが言う。四分の一という計算は、アンドレによるものである。
「領主という連中はそんなものさ。百姓を苦しめて喜んでいるだけだ。きっと、年貢のほとんどは城の倉庫で腐っていたんだろうよ」
ピエールが吐き捨てるように言う。ゲイル出のピエールは、前のゲイルの領主には恨みがあるのである。
 マルスは、人々の間の争い事の裁きで忙しい。だが、人の顔を見ればその善悪がすぐに分かるマルスの裁きが間違うことは少しも無かった。どのような悪巧みも、マルスの前では通用しない事を人々は知って、マルスは神に通じた者だという噂が立っていた。その評判や、年貢の低さを聞いて、他の郡から逃亡してきてゲイルに住み着く者が増え、ゲイルの人口は急速に増えていた。
「マルスは国王に対する反逆を企てている」
という噂がシャルル国王の宮廷に流れ出したのは、冬の初めの頃だった。宮廷のオズモンドはやっきになってその噂を否定したが、その噂を触れまわす者が何人かいた。

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軍神マルス第二部 38

第三十八章 謎の男

「この戦で死んだ数万人の怨霊が今、アスカルファンをさ迷っておる。魔物がそれらの怨霊の恨みを己の力として強大な力を得ているのじゃ。早く、この賢者の書を読み解かねばならんのだが」
ロレンゾは溜め息をついた。
「さっき、アンドレは一人でグリセリード語の本を読み解いたと言ったな? なら、こいつもアンドレに読んで貰えばいいじゃないか」
ピエールが言った。
「なるほど、わしはそのアンドレという男は知らんが、よほど頭のいい男のようじゃな」
宮廷の晩餐会から戻って、ロレンゾから話を聞いたアンドレは、書物の解読を快く引き受けた。こうした謎解きが大好きだったから、むしろ大喜びである。

その頃、他の捕虜とは別に独房に閉じ込められていたヴァルミラの元へ一人の男が現れていた。その男は、見張りの厳しいはずの牢獄に、誰に咎められることもなく入り、ヴァルミラの牢獄の前に立った。
「どうだ、ヴァルミラ、悔しいであろう。父デロスを失い、また愛するマルシアスを失った上、このような牢獄に入れられる屈辱を味わいながら、なぜお前は生きているのだ?」
 その男は、褐色の肌をした南部グリセリード人であったが、ヴァルミラの知らない男である。痩せて背が高く、長い漆黒の口髭が顎の下まで垂れ下がっている。その眼の光は鋭く、異様な深みがあった。まるで骸骨に褐色のなめし皮を着せたような男だ、とヴァルミラは思った。
「名将デロスの娘として敬われ、常に人を見下していたお前はどこへ行った。このような独房で、排便すらも下司の監視兵の卑しい好奇の目の前で行なう屈辱になぜ耐えている」
「言うな! それ以上言えばお前を殺す!」
ヴァルミラは顔を紅潮させて叫んだ。
「わしは、お前をここから出してやることも出来る。そうしてやろう。その前に、言ってみろ、お前はなぜ生きようとするのだ」
「復讐のためだ。父を殺したエスカミーリオ、マルシアスを殺したマルスを殺すまでは、私はどんな屈辱にも耐えて生きるつもりだ」
 ヴァルミラは吐き出すように言った。
「なら、なぜ国王シャルルの申し出を受けん。王の寵姫になれば、マルスを陥れることなど簡単だろう」
「私は、策謀など嫌いだ。ただこの手に刀がありさえすればよい。そうすれば、草の根を噛んでも地の果てまでエスカミーリオとマルスを追って討ち果たす」
「その前に、捕虜の死刑が行なわれたらどうする」
「怨霊となって取り殺してみせる」
「見上げた心だ。だが、わしの使い女となるほうが簡単だぞ。わしの言う事に、はい、と一言言うだけで、今すぐここから出してやろう」
ヴァルミラは迷った。この男が信用できない男である事は直感で分かる。だが、今ここから出なければ、このまま復讐を遂げずに終わるかもしれない。
 ヴァルミラは、男に、はいと言おうと決心した。だが、その瞬間、どこからともなくマルシアスの声が聞こえてきた。
(駄目だ、ヴァルミラ)
声はただそれだけだった。だが、それははっきりとマルシアスの声だった。
「いやだ。私の事は放っておけ。お前などの力は借りん」
ヴァルミラは男からそっぽを向いた。
「強情者め。わしの申し出を受けなかった事を、いずれ後悔するぞ」
男は叫んで、来た時と同様、音も無く立ち去った。
眠り込んでいた見張り番は、はっと目を覚まし、周りを見回して、異状が無い事に安心した。

アスカルファンから船に乗って、ボワロンを経由してグリセリードに戻ったエスカミーリオは、報告の中で、今回の敗戦についてすべての責任をデロスに押し付けていた。まさに、死人に口無しである。彼と一緒に戻った他の将校たちもエスカミーリオに同調し、自分たちは勇猛に戦った、すべての責任は総指揮官デロスの作戦のまずさにあった、と口を揃えて言った。
お前らだけが戻ったことで、お前らの卑怯卑劣さは歴然としとるよ、とロドリーゴは思ったが、役に立つ部下であるエスカミーリオを失いたくないために、その報告にうなずいた。もともと、目の上のたんこぶであるデロスを葬ることが、今回の戦いの目的の一つである。
さすがに、敗戦の責任をまったく取らせないわけにもいかないので、戻った将官たちはそれぞれ降格減俸されたが、それも大した物ではなかった。
やがてアスカルファンから、捕虜の釈放の条件に、身代金を払えという要求が届いたが、高官の子弟数人を除いて、後は勝手にそちらで処分してくれ、という返事が返された。ヴァルミラの名はその中には入っていなかった。

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HN:
酔生夢人
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男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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