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軍神マルス第二部 23

第二十三章 グリセリード軍との遭遇

 神殿に近い墓地にこっそりとイライジャの屍骸を埋め、簡単な葬儀をした後でマルスたちはイライジャの書斎から、古代パーリ語の写本二冊を探し出し、それを荷物の中に入れて、ダムカルを離れた。
 来た時とは違って、なるべく砂漠を避けて、一行は東の海岸回りで帰ることにした。
ダムカルを離れる前に、ヤクシーは人目を避けながら何人かのパーリの女たちに会い、自分の生存を知らせて、必ずここに戻ってくると約束した。女たちは涙を流し、あなただけが希望だとヤクシーに訴えていた。
「なんとかして、パーリをボワロンから、いや、グリセリードから解放しなけりゃあならんな」
 ヤクシーや女たちの様子を見ていたピエールは、さすがに同情せざるを得なかったのか、再び旅に出た後、マルスに向かってそう言った。
「それは、そう遠くはなさそうだぞ。見てみろ、あの軍勢を」
マルスが地平の彼方を指した。そこには地平を埋め尽くすかと思われる数の軍隊が、西に向かって行進しているのだった。
「グリセリードの軍隊だ。ボワロンの西に向かっている」
「グリセリードがボワロンに何の用がある?」
「おそらく、ボワロンの海岸からアスカルファンに向かうのだ」
「だが、ボワロンの海岸にはそんな船など無かったぞ」
「何か、軍勢をアスカルファンに運ぶ方法があるのだ。どのようにしてかは、分からんが」
「じゃあ、アスカルファンは風前の灯じゃあねえか」
愛国心など全く無いピエールだが、戦で無辜の民が殺されるのを見殺しには出来ない。
「あの軍勢は少なくとも十万はいそうだな」
マルスの視力を以てしても数え切れない大軍だ。
「幸い、向こうは歩兵がほとんどだ。俺たちは駱駝があるから、奴らよりは何日か早く西側海岸に行き着ける。だが、何とかして、あいつらの数を減らせないものかな」
ピエールの言葉に、マルスはロレンゾを見た。
「一番いいのは、彼らの飲み水を失わせることじゃろうな。それと、食料や武器に損害を与えることだ。そうすれば、自ずと戦力は下がる」
ロレンゾの言葉に、マルスは前回の戦いでグリセリード軍に奇襲を掛けた時の事を思い出した。しかし、こんな砂漠の中で、十万もの軍勢相手に奇襲は不可能である。
「ロレンゾ、姿を見えなくする術を教えてください」
マルスの言葉に、ロレンゾは驚いた。
「魔法はそんなに簡単なものではないぞ。一体、何をしようというのだ?」
「僕があの軍勢の中に忍び込んで、水と食料を駄目にしてきます」
「前にも言ったが、姿を消す術は、催眠術だ。多くの者を相手にしてはできない」
「それでもいいです」
ロレンゾはためらったが、マルスの決意は固かった。
ロレンゾは、マルスとピエールに、ある秘策を教えた。二人で、グリセリード軍に侵入すると言ったからである。
「要するに、気合の問題じゃ。催眠術など使わずとも、お主らが、グリセリード軍の兵士のつもりでいれば、誰一人お主らを疑うまい。だが、少しでも怯えたなら、一発で見破られるだろう」
マルスとピエールは、髪を黒く染め、グリセリード風の表情を作る練習を少しした後、グリセリード軍の方へ向かって歩き出した。
歩きながらマルスは、砂漠の湿地帯に落ちていた、蝿のたかった動物の糞を、水の入った皮袋に入れた。蝿のたかった食物が危険な事をこの時代の人間はあまり知らなかったが、マルスは山の古老から教わっていた。
マルスたちがグリセリードの野営地に着いた時は、ちょうど軍隊が夕食も終わって眠りにつこうとしている頃だった。
星明りだけの闇の中を、マルスとピエールは堂々と近づいていった。
形だけの夜警はいるが、グリセリード軍はまったく敵に対する警戒はしていなかった。十五万もの大軍に対する奇襲など想像も出来なかったし、ここボワロンは、まだグリセリードの統治領だったからである。
これだけの人数がいれば、自分の部隊以外の人間の顔など誰も知らない。マルスやピエールが夜営地の中を歩いていても、どこか別の部隊の御用商人が、小用に立ったのだろうとしか思っていないのである。南部グリセリード風の格好をしたマルスとピエールの姿は完全に周囲に溶け込んでいた。
輜重車には警護の兵士が付いていたが、本気で警戒している者は一人もいない。デロスからは、厳重に警備しろと命ぜられているが、輜重車が狙われた事など一度も無いのだから、心が緩むのも当然だろう。
水だけでニ百台、食料は三百台の輜重車の中で、見張りの遠くにあるものからマルスとピエールはこっそり近づいた。
水の樽は栓を抜いて転がし、食料には溶けた糞便液をかける作業を二人は一晩続けた。

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軍神マルス第二部 22

第二十二章 イライジャの死

「そういう訳でしたか」
ヤクシーの話を聞き終わって、イライジャは溜め息をついた。
「なんというご苦労をなされたのでしょう。お可哀想に」
「もう終わったことよ。これまで、王宮でぬくぬくと贅沢をしていた罰が当たったのね」
「そんな……。パーリ王ほど善政を敷かれた方は無いのに」
二人の会話を聞いていたピエールが口を挟んだ。
「天道是か非か、ってところだな。愁嘆場はそれくらいにして、用件に入ろうぜ。あんた、古代パーリ語を読めるかい?」
「わずかならな。なぜだ?」
イライジャは戸惑ったように聞いた。
ロレンゾが懐から賢者の書を取り出す。
「これを解読して欲しいんじゃ。今、世の中が大変な事になろうとしておる。一国の興亡など話にならん、世界の危機じゃ。悪魔がこの世を支配しようとしておるんじゃよ」
「あんたは?」
「わしの名はロレンゾ。魔法を少々使うが、もともと武士上がりで、生憎、学問が今一つでな」
「古代パーリ語か。難物じゃな。少しお借りして、研究してみよう。古代パーリ語の写本がここには何冊かあるから、それと照らし合わせれば、幾分かは分かるかもしれん」
ロレンゾはイライジャに賢者の書を手渡した。
五人は、神殿の奥の庫裏の一室で、久し振りにベッドで寝ることが出来た。

 翌朝、目を覚ますとすぐにイライジャの部屋に行ったロレンゾは、部屋の戸が開いているのを奇妙に思ったが、そのまま中に入った。
 そこでロレンゾが見たのは、床に横たわるイライジャの血まみれの体の上にのしかかってその喉首に喰らいついている大猿の姿だった。
 ロレンゾは大声でマルスたちを呼んだ。
 その声に顔を上げた大猿は、ロレンゾを一睨みすると、側の机の上にあった本に手を伸ばし、それを口に銜えて窓からさっと出て行った。
 床の上のイライジャは、既に喉を食い破られてこときれていた。
 ロレンゾは窓に駆け寄って大猿の行方を目で追った。
「マルス、弓を取って来い! あの大猿が賢者の書を持って逃げた」
 ロレンゾの言葉に、マルスは部屋に駈け戻って弓を手にして外に走り出た。
裏庭につないであったグレイに飛び乗り、大猿を追う。
大猿は今しも林の中に姿を消そうとしていた。
一度後ろを振り返って、自分を追うマルスの姿を見た大猿は、跳躍して林の木の枝に飛びついた。
マルスは弓に矢を番えた。大猿の手が枝に掛かった瞬間、マルスの矢が猿の背中に突き立ち、ぎゃっと一声上げて、大猿は木の下に転落した。
 マルスは大猿の落ちた辺りに近づいた。
 その時、グレイがいなないて棒立ちになった。大猿が跳ね起きてこちらに向かってきたのである。
マルスはさっと踝を返してグレイを後ろに走らせ、離れた所から、数本の矢を続け様に射た。あっと言う間に大猿の体には何本もの矢が突き立った。
大猿の体がぐらりと揺れて、地響きを立てて倒れた。なんともしぶとい生き物だが、今度こそ本当に死んだようだ。
木の下から賢者の書を拾い上げて、マルスはロレンゾたちの元へ戻った。
「もう駄目じゃな。わしらのせいで、何の罪も無い老人を死に至らしめてしまった」
ロレンゾは後悔するように言った。
「なあに、このくらいの年になりゃあ、遅かれ早かれそろそろお迎えの来る頃さ」
ピエールが口悪く言って、おっと、と口を押さえてヤクシーの顔を見た。
「でも、これで賢者の書を解読する事が不可能になったわけじゃない?」
マチルダがロレンゾに尋ねた。
「そうじゃな。どうしたものじゃろう」
イライジャの死体の前に屈みこんでいたヤクシーが立ち上がって言った。
「もしかしたら、イライジャの弟子が古代パーリ語を読めるかもしれないわ」
ロレンゾの顔がぱっと明るくなった。
「その者の名は何と言う?」
「名前はオマー。でも、あの敗戦で子供と老人以外の男はほとんど殺されたんだから、生きているかどうかもわからないわ。生きているとしたら、多分奴隷になっているでしょうね」

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軍神マルス第二部 21

第二十一章 パーリの神殿

 ピラミッドの宝物室を出た後、マルスたちは、宝物室への通路を元通りに石を組んで閉じた。これで、彼らの後にピラミッドに入る者がいても、宝物室は見つけきれないだろう。
「このピラミッドは俺たちのでっかい金庫ってわけだ」
ピエールは満足そうにピラミッドを見上げて言った。
「さて、それではパーリに向かうことにするか」
宝を見つけたことよりも、思わぬ時間を取られた事を後悔しながら、ロレンゾが言った。
「そうだ、こいつは返しておこう」
ピエールは、胸元からペンダントを取り出して言った。
それは、ずっと前にピエールがマルスから盗んだブルーダイヤのペンダントだった。
「やっぱり、まだ持っていたんだ」
マルスはそれを受け取りながら苦笑いした。
「まあな。俺は泥棒だから、只で返す気は無かったが、こんなお宝が手に入った以上は、こいつはあんたに返すぜ。親父の形見とか言ってたな」
「ああ。見た事もない父だがな」
久し振りに見るブルーダイヤのペンダントを開け、中に入れてあった護符を確認する。
「ほう、それはわしがお前に与えたものだな」
「ええ。この中に入れてあったんです」
「なら、瑪瑙のペンダントの方は、マチルダに上げるがよい」
「そうですね」
マルスから渡されたペンダントを、マチルダは首に掛けた。本当は、ブルーダイヤの方がきれいだと思ったのだが、そっちは親子の証の品だというので、欲しいとは言えなかったのだ。
まあ、いいわ、マルスが父親に遇ったら、ペンダントは用済みなんだから、そのうちそれも私のものよ、とマチルダが心の中で考えたことをマルスは知らない。マルスに対する愛情と、宝石への愛はまた別物である。

ピラミッドに立ち寄ってから九日後、マルスたちの前に草原が現れた。パーリ国である。砂漠地帯から、少し内陸部になっており、さらにその先は猛獣だけの世界であるジャングルが続いている。
 そして、草原の中にやがて一つの町が見えてきた。遠くからでも、古代からある町だという事がはっきり分かる、古びた壮麗な建物の多い町である。
「あそこがダムカルよ。パーリの都の中で、神聖都市と言われているところよ」
ヤクシーが指差す方を見て、ピエールが呟いた。
「ダムカルだって? ダンガルと似ている名だな」
「ダンガルはダムカルにあやかったのよ。大昔はパーリとボワロンは一つの国だったの。国王で大賢者のアロンゾが治めていた頃は、世界の中心だったくらいよ。今の魔法のほとんどは、アロンゾが見つけ出したものだと言うわ。その中でも、アロンゾの指輪は、悪魔を支配する力を持った指輪だという伝説があるのよ」
「アロンゾの指輪、別名ダイモンの指輪じゃな。その伝説が、悪魔と戦おうという我々の頼りなんじゃよ」
ロレンゾは言った。
「マルスが嵌めておる指輪がそれじゃ」
ヤクシーはびっくりして、マルスの指を見た。
「ところが、その指輪を使う呪文が分からないんでな。この賢者の書に、その呪文が書かれているというわけだ」
「それで、その本を読むためにパーリに行く必要があったわけね」
 ヤクシーの話では、ダムカルには古代からの神殿が幾つかある、ということである。
町はボワロンの兵士が支配しているはずだが、神殿までは警戒していないだろう、ということでマルスたちは暗くなるのを待ってダムカルの最大の神殿に潜入することにした。
神殿はほとんど人がいず、マルスたちは何の困難も無く、神殿に入ることができた。
日が沈んだ後の、ほとんど真っ暗な建物の中を五人は一かたまりに進んでいった。
神殿の奥に一つだけ、明かりの灯った部屋があった。
ヤクシーが部屋の戸をそっと叩くと、中から「どなたかな?」という声があった。
「ヤクシーよ。イライジャ」
「ヤクシーだと? パーリの姫のヤクシー様なら死んだはずだ」
戸が開いて、中から明かりが洩れた。
逆光の中に見えたのは、僧服をまとった、黒い肌に白髪の老人だった。年は八十以上に見えたが、背は高く、腰も曲がっていない。
「おお、ヤクシー様。生きておられたのですか。良かった……」
その老人は、ヤクシーと抱き合って涙を流した。
「お前も無事で良かったわ」
ひとしきり再会を喜び合うと、イライジャと呼ばれた老人は他の者たちを不審そうに眺めた。
「この方たちは?」
「私の恩人よ。この人たちの御蔭で、奴隷の身から解放され、憎い仇のザイードも倒すことが出来たの」
「何と、あなた方はあのザイードを倒したと?」
「俺たちは、知らずにお膳立てしただけで、ザイードを殺すのは、このお姫様が一人でやったんだがな」
 ピエールが解説を加えた。

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軍神マルス第二部 20

第二十章 宝物室

マチルダは、向こう側とこちら側の鉄輪に結び付けられたロープに手を掛け、横壁の石組みの僅かな出っ張りに足先を載せた。穴の上に一歩を踏み出すと、ロープはマチルダの体重が掛かって、大きく撓んだ。
「きゃああっ」
マチルダは悲鳴を上げた。
 マチルダの体は反り返り、ほとんど穴の上に落ちかかっている。
「大丈夫か?」
マルスが声を掛ける。
「だ、大丈夫よ」
そう答えたものの、声はほとんど裏返っている。
しかし、勇気を奮い起こして、マチルダは一歩ずつ向こう側ににじり寄っていった。
 ようやく、反対側の床まで、あと五十センチというところまで来た時には、一同安堵の吐息をついたものである。
 その時、ロープを結び付けていた矢が、音を立てて折れた。
「きゃっ!」
 マチルダは落ちながら咄嗟に手を伸ばして、反対側の床を掴んだ。
床にぶら下がったマチルダが、何とか自力で上に上ったのを見て、真っ青になっていたマルスは胸を撫で下ろした。
手元に手繰り寄せたロープを二重にして補強した後、重石をつけて、もう一度マチルダのところに投げて輪に結びつけ、残りの連中も渡り終える。
「こんな苦労をして、何の収穫も無かったなんて言ったら、承知しないわよ。大体、こんな所に入ろうなんて言ったのはあんたなんですからね」
先ほど命を失いかけた憤懣を、マチルダはピエールにぶつけている。
「大丈夫だって。なにせ王の墓だぜ」
 ピエールの頭はもはや目の前の宝の事で一杯である。
 穴を越えた所には、深い暗がりが広がっていた。
 黴臭い匂いと、妙な薬の匂いが混ざり、冷気が漂っている。
「まだ先があるのかな?」
ピエールは首を捻った。
 その時、闇の中から無気味な声が響いてきた。
 人間の言葉だが、聞いた事の無い言葉である。それは明らかに何かを警告していた。
 こんな墓の中で人の声がした事に、一同は震え上がった。
 闇の中に一つの姿が現れた。
 燐光に包まれたその姿は、体中を白布でぐるぐる巻いた、ミイラの姿であった。 
 両手を上に上げ、ゆっくりとした足取りで、それはマルスたちのところに近づいてくる。
 あの奇妙な薬の匂いが一層強くなった。
 ミイラが両手をさらに上に振り上げた時、それが彼らを襲う意思を持っている事がはっきりした。
 ピエールは後ろに飛びすさって、ミイラの手の一撃を避けた。
 ゆっくりとした動作に見えるが、思ったより威力のありそうな一撃である。
 マルスは、腰の剣を抜いてミイラに切りかかった。闇の中でもなお青く輝くガーディアンは、ミイラの体を斜めに断ち切った。
床に崩れ落ちたミイラは、体を巻いた布以外は、ほとんど灰のような物質に変わった。
「見かけは凄いが、案外弱い奴だな」
ピエールが言った。
「魔法の剣、ガーディアンの威力じゃよ」
剣の作成者、ロレンゾが自慢気に注釈する。
 広間の先には、石壁にはめ込まれた一つの鉄の扉があった。
 扉には鍵がかかっていたが、ピエールが、持っていた太い針金で少し探ると、簡単に開いた。
 扉を開けると、そこが宝物室だった。
 頭上には小さな明り取りの穴があるらしく、ぼんやりとした光が差し込んでいる。その光の中に、眩いばかりの黄金の装飾品が所狭しと並べられ、中央の台座には王のものらしい黄金の棺が安置されていた。
「やった、やった。お宝だぜ!」
ピエールが歓声を上げた。
「これだけあれば、一つの国を買い取ることだってできるぜ」
はしゃぐピエールをロレンゾがたしなめた。
「いくら金があっても、この世が悪魔に支配されたら、使い道はないぞ」
「なあに、悪魔だって金で買収してやるさ。地獄の沙汰も金次第ってな。はは」
しかし、たった五人で持ち出せる金には限度があるので、五人はそれぞれかさばらないが高価そうな装飾品を二、三個ずつだけ持って、外に出ることにした。
「魔法の書や道具などはなさそうじゃな」
ロレンゾは残念そうに言った。
「これはどうですか」
マルスが差し出したのは、一本の金属の杖だった。黄金の握りがついていることと、奇妙な文字が掘り込まれていることが、目に付いたのである。
「ほう、よく見つけたな」
ロレンゾは言って、その杖を調べ、首を捻って言った。
「よく分からんが、只の杖ではなさそうだ。持って行こう」

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軍神マルス第二部 19

第十九章 マチルダの試練

 上から投げ落とされた松明を、ピエールは空中で掴んだ。足元に殺到するサソリの群れに、松明を近づけると、サソリたちはその熱に驚いて、退くが、少し隙を見せると、また近づく。
 その間に、マルスは自分のターバンとロレンゾのターバンを結びつけて長いロープを作り、それを下に下ろした。
 ピエールはそのロープにしがみついて、足元のサソリを蹴飛ばしながら引き上げられた。
「ひええっ。死ぬかと思ったぜ。俺は虫が大嫌いなんだ」
真っ青になって言っているところを見ると、本気らしい。
「でも、この穴はどうして越えるの? だって、通路一杯に広がっていて、先に行けないわよ」
ピエールには大して同情もせず、マチルダが疑問を呈した。
「走ってジャンプするには距離がありすぎるな」
マルスも考え込む。
「ここは、やはり元泥棒のピエールに働いて貰うしかないな」
ロレンゾが言った。
「お主ならどうして向こうに渡る?」
「簡単な話さ。ほら、見てみろ、ここに鉄の輪がある。ここからは暗くてよく見えんが、穴の向こう側の同じ位置にも同じような輪があるはずだ」
ピエールの言葉に、マルスは目を凝らして向こう側を見た。
「ピエールの言う通りだ。向こう側にも同じ物がある」
「つまり、こういうことだ。もともと、向こう側の輪とこちら側の輪の間には、ロープが掛かっていたんだ。それが長い間に腐って無くなり、輪っかだけが残ったということさ」
「じゃあ、ロープ伝いに穴を越えたのね」
マチルダが感心して言ったが、すぐにこう続けた。
「でも、それなら、向こう側の輪とこちら側の輪に、どんなにして新しくロープを掛けたらいいの? ロープを掛けるためには、向こう側まで行かなきゃあならないじゃない」
マチルダの言葉に、ピエールは言葉に詰まった。
「ううむ、それは問題だな……」
「じゃあ、何にも解決してないじゃない」
「いや、この輪を使えばいいというだけでも、大きな手掛かりだ」
マルスは、幸い、ピエールが穴に落とさずにいた六尺棒を手に取って、それを半分に切った。さらに、それを縦に二つに割り、その一方をさらに細く割った。そして、半分に割った方を撓めて弾力を確かめた後、それを削り出した。
「何をやってるんだ?」
ピエールの言葉に、マルスは答えた。
「弓を作ってるのさ」
成る程、と一同は感心した。
程よい太さに弓を削ると、今度は腰の袋から革紐を取り出し、その弓に弦を張る。
あっという間に、即席の弓の出来上がりである。
今度は、細めの木材をきれいに削って、矢を作る。矢羽には、もったいないが「光輝の書」の一ページを破りとって、その羊皮紙を使う。
「このページには何の魔法が書いてあるの?」
マチルダがロレンゾに聞く。
「夫に浮気をされない秘法じゃったかな」
「まあ、もったいない。何で、そんな大事なページを破るのよ」
「こういう魔法は、世の中から消滅してもよいのじゃよ」
そうする間に、矢は即席の矢尻も付けられて、見事に出来上がった。
 先ほどピエールを救い上げたターバンの布をさらに細かく裂いて、細めのロープにし、それを矢に結びつける。
 マルスは、ロープの結び付けられた矢を、向こう側の輪に目掛けて射た。僅か五メートルほどの距離だが、ロープの重みを計算に入れて射るのは簡単ではない。しかし、一度目こそ失敗したが、二度目には、矢は見事に輪を通り抜けた。
 ロープを引っ張ると、輪の向こう側で、矢が輪に掛かって、ロープを留める支えとなる。
「さあ、いよいよあんたの活躍する番だな」
ピエールがマチルダに言った。
「何の事よ」
「ロープが細いから、このままでは危険すぎる。誰かが向こう側に渡って、ロープを手繰り寄せて、もっと太い物に変えるんだ」
「何で私がそれをやるのよ。あんた、こういうこと得意なんでしょう?」
「この中で、一番体重が軽いのは、残念ながらあんたなんだよ」
見かねて、マルスが、自分が行くと言ったが、マチルダはそれを断った。
「いいわ、私だって、たまには役に立つってとこをみせるわ。マルス、私が穴に落ちたらすぐに助けてね」
マルスはうなずいた。
 マチルダは、もう一度サソリの穴を覗き込んで、ぶるっと身震いしたが、心を決めて細いロープにしがみついた。
「ねえ、向こう側の矢は折れたりしないでしょうね」
マチルダはマルスに言った。
「多分……」
嘘のつけない性分のマルスの返事は頼りない。

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軍神マルス第二部 18

第十八章 闇の妖虫

「なんだかいやな予感がするな。運命の別れ路という訳だ。まさか、このどれかを選んだら二度と地上に戻れなくなるんじゃないだろうな」
先頭のピエールが、心細い声を出した。
「そうかも知れんな」
後ろからロレンゾが脅す。
「おい、魔法使い。あんたの魔法で正しい道を教えろよ」
「残念ながら、この中は魔法が利かん。結界じゃ」
「頼りない魔法使いだぜ、まったく」
ぼやきながらピエールは、勘で左の道を選んで、しぶしぶ先に進む。
勘は正しかったようである。道は狭くなってきたが、行き止まりにもならず、地下へと下っていった。
 とうとう明り取りの小穴も無くなり、一同は松明に火をともして進んでいった。
「いやに埃臭くなってきたな」
「埃の匂いだけじゃないわ。何かの香料の匂いがする。油臭い匂いね」
マチルダが匂いに敏感なところを見せた。
「待て、俺たち、もしかしたらさっきから同じところを何度も通っているかもしれんぞ」
マルスが立ち止まって声を上げた。
「この匂いはさっきも嗅いだ。そして、しばらく匂いが消えて、また同じ匂いを嗅いだんだ」
「そう言えば、そうだわ」
マチルダがマルスに賛成した。
「くそっ、道に迷ったか! さっきの分かれ路で間違えたんだ」
ピエールが叫んだ。
ロレンゾは足を止めて、考え込んだ。
「いや、間違えてはおらん。宝物室、いや、王の遺骸を安置した部屋への入り口が閉ざされているのじゃ。おそらく、この匂いは王の遺骸を腐らぬように処理した薬の匂いじゃろう。つまり、真の入り口が近くにあるはずじゃ。壁を探ってみよう」
一同は分かれて近くの壁を丁寧に調べて見たが、千年以上もの歳月の後では、壁の継ぎ目など容易に見つかるものではない。
「この辺りが、匂いが一番強いわ」
マチルダの言葉で、一つの壁を細かく調べていたマルスが、天井に松明を近づけると、その火がかすかに揺らぐのに気付いて声を上げた。
「ここだ! やはり、この向こうに部屋がある」
天井にさらに松明を近づけて見てみると、壁と天井の間には、僅かにナイフの刃が通る程度の隙間があった。普通に下から見ては、絶対に気付かれない隙間である。
 ナイフを差し込んで動かしてみると、その隙間の周囲の石は動かせることが分かった。
 壁の石は、およそ五十センチ四方の石であり、それを動かすのは大変だったが、最上段の鍵になる石を一つ外すと、他の石はすべて動かせるようになったのである。
 およそ一時間ほどの作業で、壁にはやっと人が一人通れるほどの穴が開いた。これが宝物室への真の入り口なのだろう。
 穴の中に入ると、そこにはまた通路があった。
「まだ先があるのかよ」
ピエールがうんざりしたような声を出した。
「いや、もうすぐだ。先ほどの匂いからして、宝物室はすぐ近くのはずだ」
マルスが言う。
あせって注意がおろそかになったのか、ピエールは足元を確かめずに歩き、あっと言う間に、下に開いていた穴の中に転落した。
「ピエール!」
ヤクシーが悲鳴を上げた。
一同は穴の側に急ぎ寄って、下を覗きこんだ。
「ピエール、大丈夫か」
上からの松明でぼんやり見えるところでは、穴の深さは五メートル程度らしい。
「大丈夫だ。少し頭を打ったが、怪我はしてない」
下からピエールの声が戻ってきたので、一同は安心した。
 穴の中に落ちたピエールは、打った頭を振って意識をはっきりさせ、周囲を見た。といっても、真っ暗闇で、何も見えはしなかったのだが。
 まあ、この程度の高さなら、自力で出るのは無理にしても、幸い上に仲間がいるのだから、何とか助けてくれるだろう。
ピエールは気楽にそう考えたが、その時、彼の耳にいやな物音が聞こえてきた。
カサカサとしたかすかな物音が、すぐにザワザワと多くの群れが立てる物音に変わる。その群れは穴に落ちた獲物を知って、彼に近づいてくるのである。
「うわーっ!」
穴の下から聞こえてきた悲鳴に、ピエール救助の支度をしていた上の者たちは驚いた。
「どうした!」
「さ、サソリだ! 何百匹もいる!」
ピエールは、壁に僅かにある突起に手を掛けて、壁に攀じ登ろうとした。しかし、壁にもまた何匹ものサソリがいる。
 ヤクシーが、ピエールに声を掛けた。
「ピエール、これを!」
と同時に、自分の手にしていた松明をピエールに向かって投げた。

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軍神マルス第二部 17

第十七章 ピラミッド

 ダンガルからパーリに向かったマルスたちは、数日の旅の後、砂漠の前方に不思議な物体を見た。
 それはマルスたちがこれまで見たことのない建造物で、石造りの巨大な四角錘だった。岩山の前にある、その四角錘を守るように、二体の石像があり、その石像もライオンの体に人間の顔を持った奇妙なものだった。
「あれは?」
マルスの質問に、ロレンゾが答える。
「ピラミッドとスフィンクスじゃよ。ピラミッドは王の墓、スフィンクスはそれを守る神像じゃ」
「王の墓だって? なら中には宝が納められているんじゃないか?」
ピエールが聞いた。
「砂漠にもお前のような泥棒は無数にいるさ。宝があれば、とうの昔に盗まれているに決まってる」
 ロレンゾはにべも無く言ったが、ピエールはあくまでピラミッドの中に入ってみると言ってきかない。
 ちょうど夕暮れになっていたので、一行はピラミッドの側で夜営することにした。
「ピラミッドの中には、確かに王家の宝が納められている。その中には昔の魔法の道具や書物がある可能性もあるから、ピエールの言う通り、ピラミッドの中に入ってみるのもいいかもしれん。だが、ピラミッドは、宝物を盗掘から護るために、様々な仕掛けや呪文が施されているという。危険を冒す意味があるかどうかが問題じゃな」
食事を作る為の焚き火の火を眺めながら、ロレンゾが言った。
「入ってみなきゃあ、何があるか分からんだろうが。どうせ、悪魔との戦いなんていう、雲を掴むような話なんだから、少しくらい寄り道したっていいだろう」
「まあな。悪魔がなぜ我々を襲ってこないのか、わしにもよく分からん。あのアプサラスだけで終わりだとは思えないのだが……」
マルスとマチルダは慣れない片言のグリセリード語やボワロン語でヤクシーと話している。
「パーリはまだボワロンに占領されているんでしょう? あなたがそこに帰ったら、危険なんじゃないの?」
マチルダが言うと、ヤクシーは笑って言った。
「私には失うものは一つも無いわ。だから、何も恐れるものは無いの。命だって惜しくない。パーリの中には、ボワロンの支配に反抗する気力のある人間も沢山いるはず。そうした人々を集めてボワロンを倒すのが、これからの私の生き甲斐よ。でも、あなたたちには恩があるから、もし私の力が必要なら、ずっと一緒にいるわ」
「そいつは助かる。これからはパーリ語が出来る人間が必要だからな」
側で聞いていたピエールが言った。
「しかし、復讐なんてのはあまり感心しないな。言っちゃあ悪いが、庶民にとっては誰が支配者になろうが同じ事なんだ。どちらの側について戦おうが、死ねば犬死にさ」
「私の父は国民の為に力を尽くして、国民を幸せにしてきた。国民もみな私の父を敬愛していたはずだ」
ヤクシーは、きっとピエールを睨んで言った。ピエールは首を横に振って言う。
「それは支配者の自己満足さ。為政者に不満を持ってない国民はいない。だが、不満を口に出せば殺されるから、表面では王の善政を褒め称えているだけだ」
ヤクシーは黙り込んだ。
「あんたが、ボワロンを倒すために自分の命を賭けるのは勝手だが、そのために他の人間を無駄死にさせちゃあいけないぜ」
「分かった。考えて見る」
ヤクシーは案外素直に言ったので、ピエールは少し意外な気持ちだった。
「まあ、俺のような泥棒がお姫様に説教なんてするのも変だがな」
「『元お姫様』よ。今は只の逃亡奴隷の女よ」
「はは、身分が何であれ、あんたが絶世の美人で、素晴らしい女だってことは変わらんよ」
「あんたも、泥棒にしてはいい男よ」
グリセリード語で話す二人の会話は、ロレンゾ以外はほとんど分からなかったが、どうやら二人が意気投合していることだけは理解できた。

 翌日、朝食が済むと、五人はピラミッドの中に入ることにした。
 ピラミッドの入り口には別に戸があるわけでもなく、大きな穴が口を開けているだけであったが、下はちゃんと石の敷かれたスロープになっており、穴の広さは五人が横に並んで通れるほどで、高さも頭上一メートル程度の余裕があった。
 念のために松明を二十本ほど用意してあるが、中は真っ暗である。だが、ところどころに薄明かりが見えるのは、小さな明り取りもしくは空気穴が通路の上にあいているからである。
 先頭を行くピエールは、マルスが常に持ち歩いている六尺棒を借りて、それで通路を叩きながら歩いている。
「おっと、ここには穴が開いている」
立ち止まったピエールが示した所には、確かに通路の幅の五分の四ほどを占める大きな穴が開いており、闇の中を足元を確かめずに歩いた者は中に落ちるようになっている。
 マルスが覗き込むと、穴はかなり深く、底にはここに落ちた者の白骨らしきものが積もっている。おそらく、壁の勾配は、登ることが不可能な角度で作られているのだろう。
 壁に張り付くように通路の横をにじりながら進み、穴を過ぎて一同はほっと一息ついた。
 そこからさらに進むと、通路は三つに分かれていた。

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酔生夢人
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仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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