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軍神マルス第二部 23

第二十三章 グリセリード軍との遭遇

 神殿に近い墓地にこっそりとイライジャの屍骸を埋め、簡単な葬儀をした後でマルスたちはイライジャの書斎から、古代パーリ語の写本二冊を探し出し、それを荷物の中に入れて、ダムカルを離れた。
 来た時とは違って、なるべく砂漠を避けて、一行は東の海岸回りで帰ることにした。
ダムカルを離れる前に、ヤクシーは人目を避けながら何人かのパーリの女たちに会い、自分の生存を知らせて、必ずここに戻ってくると約束した。女たちは涙を流し、あなただけが希望だとヤクシーに訴えていた。
「なんとかして、パーリをボワロンから、いや、グリセリードから解放しなけりゃあならんな」
 ヤクシーや女たちの様子を見ていたピエールは、さすがに同情せざるを得なかったのか、再び旅に出た後、マルスに向かってそう言った。
「それは、そう遠くはなさそうだぞ。見てみろ、あの軍勢を」
マルスが地平の彼方を指した。そこには地平を埋め尽くすかと思われる数の軍隊が、西に向かって行進しているのだった。
「グリセリードの軍隊だ。ボワロンの西に向かっている」
「グリセリードがボワロンに何の用がある?」
「おそらく、ボワロンの海岸からアスカルファンに向かうのだ」
「だが、ボワロンの海岸にはそんな船など無かったぞ」
「何か、軍勢をアスカルファンに運ぶ方法があるのだ。どのようにしてかは、分からんが」
「じゃあ、アスカルファンは風前の灯じゃあねえか」
愛国心など全く無いピエールだが、戦で無辜の民が殺されるのを見殺しには出来ない。
「あの軍勢は少なくとも十万はいそうだな」
マルスの視力を以てしても数え切れない大軍だ。
「幸い、向こうは歩兵がほとんどだ。俺たちは駱駝があるから、奴らよりは何日か早く西側海岸に行き着ける。だが、何とかして、あいつらの数を減らせないものかな」
ピエールの言葉に、マルスはロレンゾを見た。
「一番いいのは、彼らの飲み水を失わせることじゃろうな。それと、食料や武器に損害を与えることだ。そうすれば、自ずと戦力は下がる」
ロレンゾの言葉に、マルスは前回の戦いでグリセリード軍に奇襲を掛けた時の事を思い出した。しかし、こんな砂漠の中で、十万もの軍勢相手に奇襲は不可能である。
「ロレンゾ、姿を見えなくする術を教えてください」
マルスの言葉に、ロレンゾは驚いた。
「魔法はそんなに簡単なものではないぞ。一体、何をしようというのだ?」
「僕があの軍勢の中に忍び込んで、水と食料を駄目にしてきます」
「前にも言ったが、姿を消す術は、催眠術だ。多くの者を相手にしてはできない」
「それでもいいです」
ロレンゾはためらったが、マルスの決意は固かった。
ロレンゾは、マルスとピエールに、ある秘策を教えた。二人で、グリセリード軍に侵入すると言ったからである。
「要するに、気合の問題じゃ。催眠術など使わずとも、お主らが、グリセリード軍の兵士のつもりでいれば、誰一人お主らを疑うまい。だが、少しでも怯えたなら、一発で見破られるだろう」
マルスとピエールは、髪を黒く染め、グリセリード風の表情を作る練習を少しした後、グリセリード軍の方へ向かって歩き出した。
歩きながらマルスは、砂漠の湿地帯に落ちていた、蝿のたかった動物の糞を、水の入った皮袋に入れた。蝿のたかった食物が危険な事をこの時代の人間はあまり知らなかったが、マルスは山の古老から教わっていた。
マルスたちがグリセリードの野営地に着いた時は、ちょうど軍隊が夕食も終わって眠りにつこうとしている頃だった。
星明りだけの闇の中を、マルスとピエールは堂々と近づいていった。
形だけの夜警はいるが、グリセリード軍はまったく敵に対する警戒はしていなかった。十五万もの大軍に対する奇襲など想像も出来なかったし、ここボワロンは、まだグリセリードの統治領だったからである。
これだけの人数がいれば、自分の部隊以外の人間の顔など誰も知らない。マルスやピエールが夜営地の中を歩いていても、どこか別の部隊の御用商人が、小用に立ったのだろうとしか思っていないのである。南部グリセリード風の格好をしたマルスとピエールの姿は完全に周囲に溶け込んでいた。
輜重車には警護の兵士が付いていたが、本気で警戒している者は一人もいない。デロスからは、厳重に警備しろと命ぜられているが、輜重車が狙われた事など一度も無いのだから、心が緩むのも当然だろう。
水だけでニ百台、食料は三百台の輜重車の中で、見張りの遠くにあるものからマルスとピエールはこっそり近づいた。
水の樽は栓を抜いて転がし、食料には溶けた糞便液をかける作業を二人は一晩続けた。

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