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少年マルス 29

第二十九章 ジルベールの行方

 さわやかな初夏の風が頬を撫でて吹いていく。
「これこそレントですよ。一年のうちでも今の季節のレントは最高ですな。どうです、この風の気持ちいいこと」
ジョンが、馬車を御しながらまるでレントが自分の持ち物ででもあるかのように自慢する。
 マルスたちは、ここでも馬に荷馬車をつけて、旅をしていた。貴族の乗るような馬車だと目の玉が飛び出るほど高い値段を吹っかけられるし、急に手に入るものでもないが、荷馬車ならたいていすぐに入手できる。その値段はおそらく相場の二倍くらい請求されていると思われるが、オズモンドの懐にはさほどの痛手でもない。
 さすがに、総勢七人ともなると、荷馬車に乗るのも、あまりゆったりとはしていないが、それは辛抱しなければならないだろう。
マルスだけは例によってグレイに乗っているので、その窮屈さを免れている。他の者で馬に乗れるのはオズモンドとマチルダくらいだが、マチルダも乗馬よりは馬車の荷台の方が楽なのである。
「何でもいいから、早くエーデルシアにやってくれ。それともどこかの町の宿屋を早く見つけてくれ」
オズモンドがぼやく。
アンドレは馬車の荷台から、並んで馬を歩ませるマルスに声を掛けた。
「君の父上のことだが、一体何でレントなどへ向かったんだろう。アルカードに君の母上がいないと分かったら、アスカルファンに戻りそうなものだが」
彼はマルスの身の上を聞いて、興味を持っているのである。
「そのことは僕も不思議に思ったんだが、多分、山脈を越えてアスカルファンに戻るよりも、船でレントに行き、そこからアスカルファンに向かおうと思ったんじゃないだろうか」
「山越えの大変さを考えれば、十分うなずける考えだ。だが、それなら、君の父上は実はアスカルファンに戻っているという可能性もあるわけだ」
「それは無いと思うぜ。あんな名家の嫡男が、アスカルファンに戻っていたなら、誰にも気づかれないはずはない」
オズモンドが、マルスに代わって答えた。
「では、レントに来て、ここで恋人の捜索をあきらめて、そのままここに住み着いたとでも?」
アンドレの言葉に、オズモンドは黙り、マルスは考え込んだ。
「気を悪くさせたのなら謝るが、考えられる可能性としては大きく三つある」
アンドレは自分の考えを口にする事で、考えを進めるいつもの癖で、独り言のように呟く。
「第一は、今言ったように、ジルベールがそのままここに住み着いたということ。この場合、ここで結婚までしている可能性もある」
マチルダが非難するような目でアンドレを見たが、アンドレはそれに気づかず、続ける。
「二番目は、ジルベールはアスカルファンに戻ったが、何らかの理由で人目につかないように帰国し、そのままどこかに隠れている、もしくは幽閉されている」
「たとえば、どんな理由だ?」
オズモンドがずばりと聞いた。
「それは分からん。というより、僕にはある想像があるが、言いたくない」
他の者は、アンドレの言葉で、それ以上追求する気を失った。追求すると、マルスを傷つけることになりそうだったからである。
「三つ目は、これはマルスには残酷な言葉だが、一番ありそうな場合だ。……レントでジルベールが死んだということだ。船上でということも考えられるが」
「そんな!」
マチルダが、たまりかねて声を上げた。
「もちろん、これは只の仮定の話だから、そのどれでもない場合もある。だが、行き当たりばったりで行動するよりは、これらの場合を想定して行動したほうが、何かにぶつかる可能性は高いんじゃないかな」
「アンドレさんの言うとおりよ。私自身、マルスが現れるまでは、ジルベールは死んだものと思って疑わなかったもの、ジルベールがやっぱり死んでいたと聞いても驚かないわ」
思いがけず、トリスターナがアンドレの弁護をした。
 マルスはしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。
「アンドレがさっき言った二番目の場合だが、人目を避けて帰国し、そのまま姿を隠すというのは、どんな場合だ? 言ってくれないか」
「……聞かない方がいい」
「いや、ここまで聞かされて後を聞かないわけにはいかない。お願いだから、言ってくれ」
「そうか。……では、言おう。……天刑病だ」
アンドレの言葉に、一同は凍りついたようになった。
 天刑病とは、この頃最も恐れられた病気である。顔や手足に白斑ができ、やがてそこから体が膿み、腐ったように崩れていく病で、しばしば人間と思えない病相を示すため、迷信深いこの頃の人々はそれを何かの罪に対する神罰だと考え、天刑病と名づけたのである。
 天刑病にかかった人間は、もはや一般の人間社会には戻れなかった。村や町の外れに彼らだけの集落を作り、道を歩く時には、自分に普通人が近づかないようにと、銅製の鈴を鳴らして歩かねばならなかった。
「そんな、ありえないわ」
マチルダが悲鳴のように言った。

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少年マルス 28

第二十八章 海賊

やがて海賊船は、マルスらの乗っている船の数百メートル先まで近づいた。
今では、海賊船の甲板で手ぐすね引いてこちらに乗り移ろうと待ち構えている海賊どもの凶悪な顔までもはっきり見える。船の舳先で腕組みしている、素肌に毛皮を着て、頭に角のついた兜をかぶっているのが海賊の頭目だろう。北方系の端正な顔に美しい金髪も、顎まで垂らした口髭のために、動物的で野蛮な印象である。
「インゲモルだ……」
水夫の一人が呟いた言葉に、
「インゲモルとは?」
マルスは尋ねた。
「この海でもっとも有名な海賊だ。『肝食いインゲモル』と言われている。襲った船の乗組員を殺して、その肝を食うんだ」
マルスはもう一度その「肝食いインゲモル」を眺めた。
美男と言ってもいい、三十代の偉丈夫だが、青い目が、ガラス球みたいで奇妙である。見かけよりはずっと野蛮な奴らしい。
マルスは弓を構えた。
こういう場合は、まず大将を倒すに限る。
マルスの放った矢は、しかし海上の風に流されて、僅かに逸れ、インゲモルには当たらなかった。矢はインゲモルの肩をかすめ、後ろのマストに突き刺さった。
だが、通常は届かない距離からマルスの放った矢は相手をあわてさせ、向こうもどんどん矢を射始めた。そのほとんどは、もちろん海上に落ちるだけである。
マルスは二本ある弓のうち、大弓を使っているのだが、その弓は男三人がかりで弦を張った強力なものである。普通の人間では、ぴんと張った弦は一寸も引けない。
矢も特製の長矢を使っている。これだと、遠く、正確に届く。
マルスのその後の矢は、次々に海賊どもを甲板に縫い付ける。時には、同じ矢が二人を同時に刺し貫いたりしている。
「船を相手に近づけるな。この距離なら、マルスの矢は届くが、向こうには手が出せない。常にこの距離を保つんだ」
アンドレが船長に命じた。
そして、一本の矢の先端近くに布を縛り、油を染み込ませたものをマルスに渡した。
「マルス、これであの船の帆を射るんだ」
マルスは彼の意図を了解した。
近くの松明から、その火矢に火を移し、マルスはそれを高々と打ち上げた。布が巻き付いている分の重さを計算し、それだけ上方を狙う。たとえ帆に当たらなくても、甲板には落ちるはずだ。
矢は狙いどおり、敵船のメインマストの帆と帆柱の間に刺さり、やがて帆に火が燃え移った。
敵はしばらくは、自分の船の帆が燃え出したのに気がついていないようだったが、やがて大慌てしだした。帆を張った綱を切り、帆を下ろして火を消そうとするが、マルスは二本、三本と火矢を放った。やがて、帆柱そのものに火がついたらしく、敵は消化活動に大童になって、こちらの船を攻撃するどころではなくなった。
海賊船はとうとうこちらの船をあきらめ、海岸に進路を向けた。海岸に船を停泊させて、避難するか、消火をするのだろう。
「どうする、追おうか」
アンドレが船長に聞いたが、船長は滅相も無い、という顔で首を横に振った。
「そいつは残念だな。今ならあいつらをやっつけることも出来るんだがな」
そうは言ったが、アンドレも強くは主張しなかった。こちらに少しも被害がないのだから、無理に戦闘に持ち込んで、一人でも傷つけたくはない。
宵闇の中を、炎を上げながら岸に進んでいく海賊船は、面白い眺めである。
ワグナー船長は、自分の船の進路を沖に向け、海賊船から遠ざけていった。
やがて、海賊船の火は後方に小さくなって闇に消え、見えなくなった。

マルスたちに対する船長の態度は一変した。
「あんたは我々の命の恩人だ」
彼は何度もマルスに頭を下げ、礼を言った。
 船長が自分用に取ってある最上のワインを十本、礼として貰ったマルスは、それを仲間たちと楽しく味わった。

 海賊船との遭遇から六日後、マルスたちの乗った船の前方にレントが姿を現した。
 真っ白く切り立った崖が特徴的な、レントの海岸線は、美しい風景である。
「とうとう来ましたね。生きてもう一度レントがみられようとは思わなかった」
ジョンは目を潤ませて、懐かしい故郷の海岸を眺めている。
 レントへの上陸は、大きな河の河口に広がった平野にある町の船着場で行った。 
「レントは一人の国王で全土が治められているのですよ。今の国王は二年前に即位したばかりの若者ですが、なかなか優れた王様だという話です。ジュリアスという王様です」
 ジョンがレントの知識をひけらかす。
目の前に広がるレントの風景は、緑の丘と平野が多い、好ましいものであった。

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少年マルス 27

第二十七章 商船

およそ三ヶ月続いた篭城戦は終わった。
三日に渡る祝勝会の後、マルスたちは出発の準備をした。
「どうしても行かれるのかな。このまま、この町で暮らせばよいものを。町の者は皆、あなた方に感謝しても感謝しきれないと思っておるのに」
イザークは別れを惜しんだが、マルスには父を探すという目的がある。
アンドレがためらいがちに言った。
「私も仲間に入れて貰えませんか」
マルスたちは驚いた。
「あなたも町を出ると言うんですか?」
「ええ。世の中を広く見てみたいのです」
おそらくアンドレは今の参事の誰かが死ねば、すぐに参事になり、将来はイザークの後の筆頭参事になるはずの人間である。その人間をイザークや参事会が出すだろうか。
「俺も行きたいな」
と言ったのはオーエンである。
「俺は三男だから、どうせ家を出なけりゃあならないし、狭いこの町で生きるよりも、広い世界を見てみたいんだ」
マルスはイザークの顔を見た。イザークはうなずいた。
「いいだろう。若い者が大きな世界を知るのはいい事じゃ。だが、一年で帰るのじゃぞ。オーエン、お前もじゃ。お前は町にとって大事な若者じゃ。わしはお前をこの町の守備隊長にしようと思っておるのじゃよ」
守備隊長と聞いて、オーエンの顔がぱっと輝いたが、やはり旅の魅力の方が上である。
「ところで、お主らはどこへ向かうつもりじゃな?」
「レントに行くつもりです。実は、この町で聞いた話ですが、父はこの国に母がいない事を知って、レントに向かう船に乗ったようなのです」
「ならば、近いうちにレントに向かう商船があるから、それに乗るがよい。この篭城戦の間で町の食糧はすっかり無くなった。毛皮や鉄、銅や木材などの品は倉庫にたっぷりあるから、それをレントで売って、あちこちの町で食糧を買い込んでこなければならん。その船に同乗すればよい。お主らのような勇者が同乗してくれれば、海賊に遇っても安心じゃ」
「レントですか。久し振りですなあ。おお、わが故郷、レントよ」
レントの生まれであるジョンが歌うように言った。

三日後、マルスたちはレントに向かう商船に乗り込んだ。商船は五十人乗りの中型船で、内海はオールで、外海では帆で進む型である。その船には船の乗組員二十五人の他に、マルスたち七人と、荷物の管理と商いをする者十五人が乗った。船長はワグナーという、厳めしい顔の四十代の男である。
「あんたたちの事はイザークから頼まれているが、船の迷惑にはならんでくれよ」
ワグナーはマルスたちにいきなり言った。あまり同乗を喜んではいないようである。彼はスオミラの町の者ではなく、幾つもの町から請け負って、荷を運ぶ商売人なのである。
 航海は順調に進んだ。
スオミラの川岸から出航して二日後には海に出た。これからおよそ一週間でレントに着くはずである。その間、時々沿岸の町に停泊して、水や食糧を仕入れ、休息するが、そのままレントに向かっても大丈夫なだけの水や食糧は積んであるということである。
「船に乗るのは初めてだが、妙な気分のものだな。足元が頼りなくて不安だ」
オズモンドが言った。
「今はまだましでさあ。これで、海が荒れた日にゃあ、大変なことになりますぜ」
ジョンが経験者ぶりをひけらかして言う。
「海の上の夕日って、実にきれいなものですね。あの雲の上にはきっと神様が私たちを御覧になってますわ」
トリスターナが指差す先には、絢爛たる、とでも言いたいような色彩の雲が海上を彩っている。
「そう、実に美しいです」
とアンドレが答えたが、その目は雲ではなくトリスターナを見ている。
 マルスは別の場所でマチルダと話し込んでいる。この頃では二人の仲は周囲にも知られているのだが、二人だけは、二人の間は仲間には秘密だと思い込んでいる。
「もし、レントにもお父様がいらっしゃらなかったらどうするの?」
「アスカルファンに戻ります」
「私は戻りたくないわ。このままマルスたちと一緒にずっと旅をしていたい」
「そうもいかんでしょう。アスカルファンの情勢も気になるし」
マルスの脳裏をかすめたのは、ジーナの面影だった。もしかしたら戦乱の中にあるかもしれないジーナやその家族を放っておいて旅をしていることが、済まないような気持ちである。
船の舳先で行く手を眺めていたオーエンが後ろを振り返って叫んだ。
「船が見えるぞ! 海賊船じゃあないか?」
人々は火を掛けられたように騒ぎ出した。
確かに、前方に船が見える。大きさはまだ分からないが、漁師の乗る小船ではない事は確かだ。
船はどんどん近づいてくる。
メインマストの上の監視台から目を凝らしてその船を見ていた水夫が、下のほうに向かって叫んだ。
「海賊だ! 海賊船だぞお」

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少年マルス 26

第二十六章 戦いの終わり 

ギーガーは今はたった三名だけで敵と戦っていた。もはや疲労の限界であり、目も見えなくなりそうである。
(もはやこれまでか……)
その時、
「ギーガー、助けにきたぞ!」
声とともに飛び込んできたのはマルスだった。
今にもギーガーに止めを刺そうとしていたシルヴェストルは、横から猛烈なマルスの剣の一撃を受けて、よろめいた。マルスの剣は相手の鎧に当たって跳ね返ったが、打撃は与えている。
「おのれ、小僧め」
シルヴェストルは横殴りに剣を払ったが、マルスはさっとそれをかわし、相手の喉首めがけて突きを入れた。剣は深々とシルヴェストルの喉に刺さり、その体は地に崩れ落ちた。
「シルヴェストルはこの俺が倒したぞ。他に相手になる者はいるか!」
マルスは大声を上げた。
戦闘の指揮者を失った敵兵たちは動揺した。
そこへ町のあらゆるところから手に武器を持った町人たちがわっと現れ、彼らを取り囲んだので、野盗たちは観念した。
盗賊たちは手にした武器を捨てて降伏した。

アンドレは城壁の上に立って、堀の外からこちらを眺めている盗賊の残党に向かって呼びかけた。
「盗賊ども、これが見えるか」
アンドレの合図で、横にいたギーガーが、槍を掲げてみせる。
その槍の先に突き刺さっているのは、……シルヴェストルの首である。
「見てのとおり、城内に入ったお前らの仲間はすべて討ち取った。お前らは、ここから立ち去るなら良し、立ち去らねば、同じ目にあわせよう。さあ、どうする」
赤髭ゴッドフリートは槍の先の首が本物のシルヴェストルであることを確認すると、傍らの「血まみれジャック」に向かって、肩をすくめてみせた。
「やれやれ、シルヴェストルもついに年貢を納めたか。さて、どうする。もう一丁やってみるか、それとも退散して捲土重来といくか?」
ジャックは頭髪の薄い貧相な頭を少しかしげて考え、ぺっと地面に唾を吐いて言った。
「この人数ではちょっとな。まあ、忌々しいがしばらくよそに行って小遣い稼ぎでもすることにしよう。そのうち、仲間を増やして、今度はこの町の人間を皆殺しにしてやろうぜ」
「俺もそいつに賛成だ。おーい、その首預かっときな。今度来た時返してもらうぜ」
高笑いを上げて、赤髭ゴッドフリートは馬に乗り、残った五十人ほどの仲間を引き連れて悠々と去っていった。

「さて、こいつらをどうする」
イザークが言った。こいつらとは、捕虜にした敵兵である。その数は戦闘の間もアンドレが正確に把握していたとおり、シルヴェストルを除いて二十六名である。
「殺すべきだ」
と言ったのはヨハンセンである。
「生かしておいて、町の兵隊にしてはどうだ。わしが鍛えてやるぜ」
とギーガーが言う。彼は、この戦闘で部下のほとんどを失っており、手下が欲しいのである。
「そいつは危険すぎる。狼は人に飼われても犬にはならん」
他の参事が言った。
「しかし、降伏した者を殺すというのは、道義に外れる」
イザークが言ってアンドレを見た。
アンドレは黙っている。
(殺すべきだ)
とマルスは思ったが、何も言わなかった。参事の一人が言ったように、悪に染まった人間の性根は変わらないものだという気がしたのである。しかし、イザークの言うとおり、降伏した者を殺すことは、道義には外れている。もともと道義と無縁な野盗相手に道義を守る必要があるかというのも疑問ではあるが。
「私には分かりません。人生経験の豊富な参事会の皆さんで決めてください」
アンドレは言った。
参事会の決定は、生かして町の傭兵にする、というものだった。ギーガーは失った部下の代わりが手に入って大喜びだったが、マルスの心には一抹の不安が残った。
「お前らの命はこの俺が預かった。いいか、これからは真人間として町のために働くんだ。少しでも悪事を働いた者、町の者に迷惑をかけた者はその場で俺が殺す。それでよけりゃあ俺の手下になれ。それがいやなら、この場で処刑だ」
こう言われて処刑を選ぶ人間はいない。捕虜たちはすぐさま、ギーガーの部下になることに同意した。
マルスはギーガーを側に呼んで言った。
「あの者たちに決して気を許すなよ。しばらくは囚人として扱って、武器も持たすな。少しでも危険そうな奴はすぐに殺すんだ」
「大丈夫だ。俺はこういう連中の扱いは慣れている」
ギーガーは思いがけないマルスの厳しい言葉に驚いたが、笑って答えた。
マルスはギーガーの顔を見た。その顔は自信に溢れていた。

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少年マルス 25

第二十五章 城内の戦い

まずい、とマルスは思った。
町の傭兵軍が、あまりに町から遠く離れすぎてしまったように見えたのである。
もしも周りを囲まれたら、ギーガーたちは町に戻れなくなり、なぶり殺しにされるだろう。
だが、ギーガーはさすがだった。一見真剣に戦っているように見せながら、じりじりと退却し、途中でかなわぬと見せて逃げ出した。
野盗たちはそれを見て勢いづき、ギーガーたちの後を追いかけた。町の四方を囲んでいた敵軍は、今は町の正面に集まり始めていた。
ギーガーたちは跳ね橋を渡って城内に逃げ込んだ
逃げ遅れた兵士が何人か敵の集団の中に呑みこまれるのが見える。
矢の射程内に入った敵を目掛けてマルスは次々に矢を射た。このような乱戦では、狙いが定めにくく、数に限りのある矢が勿体無いが、少しでも多く、敵にダメージを与えておきたい。
敵軍は、数を頼みとして、マルスの矢も恐れず城門に殺到してきた。ギーガーたちの後からすでに城内に敵が走りこんでいる。その中にはシルヴェストルの姿もあった。
マルスはシルヴェストル目掛けて矢を放ったが、運悪く他の敵兵がその前を横切ったため、目指す相手には当たらなかった。
「あの、城壁の上の弓兵どもを射殺せ! 縄を掛けて城壁に上って切り殺せ。弓兵一人を殺した者には五百リムやるぞ。正面の小僧を殺せば千リムだ」
シルヴェストルは上を見上げて怒鳴った。さすがに戦なれしており、弓兵が彼らの邪魔になることをよく知っている。
敵兵のおよそ四分の三ほどが外門の中に入ったところで、ロープで吊り下げてあった鉄格子を切って落とし、残る敵兵を城の外に締め出した。これもアンドレの策の一つである。同時に、内門も閉められ、さらに敵軍は分断された。敵軍のうち、城の本丸まで入った数はおよそ百名ほどであり、内門と外門との間に取り残された者が二十名ほどいる。その二十名ほどは他の射手に任せ、マルスは本丸に入った敵軍を次々に矢で射た。
最初の計画では、外門と内門の間にもう少し敵を入れて、じっくり矢で射る予定だったが、内門の中に入った敵軍が予想より多い。
マルスは城壁の上を移動しながら、眼下の敵を目掛けて矢を放つ。敵が城内に入ってからおよそ二十分ほどの間に、二十名ほどがマルスの矢によって死に、あるいは戦闘不能になっている。しかし、敵の剣に追われて逃げ惑う味方の姿も見える。マルスは、味方を追う敵から狙っていった。敵の中には民家に入って上方からのマルスの矢を避ける者もいる。
マルスはさらに、町の奥のほうに向かって城壁の上を移動した。
見下ろすと、敵の中には、通りの真ん中の落とし穴に落ちている者や、頭上から石を落とされて怪我した者もいる。しかし、シルヴェストルを含め、大半の敵兵の姿が見当たらない。
マルスの心に焦りの気持ちが湧いてきた。味方に何か悪い事でも起こっているのではないだろうか。
もはや城壁の上から倒せる敵はすべて倒したと見極めをつけ、マルスはロープを使って下に滑り下りた。ロープは味方に引き上げて貰う。マルスと一緒にオーエンも、その他の守備兵も下り、城壁の上には弓兵十人だけが残った。
マルスと十人の若者は、町の通りを走って敵兵を探した。
敵兵たちはそれぞれ民家の中に入り込み、町民を探し出そうとしているようである。
もちろん、町民はそれぞれ組になって敵に備えているが、町民だけではやはり敵には対抗できない。
マルスは、町民に襲い掛かる敵兵を見つけて、打ち掛かった。一、二合切り結ぶとすぐに相手を切り倒すことができた。板金の鎧で完全武装をしている敵は数名であり、鎖帷子程度では、剣の打撃を受け止めることはできない。
「マルス! 敵は町の奥の袋小路よ。今、ギーガーたちが戦っているわ。でも、負けそうなの。助けに行って」
マチルダの声だった。
マルスは振り向いて、マチルダを見た。マチルダは、緊張した顔に微笑を浮かべた。
(無事だった……)
マルスは嬉し涙を流しそうになったが、こらえて「うん」とうなずいた。

ある小さな民家の二階で、アンドレは机の上に町の地図を広げていた。その地図の上には戦闘のあった場所と、死んだ敵の数、味方の数が書き込まれている。それらはみな、マチルダと何人かの子供達が報告したものである。
「これまでに死んだ敵の数は四十七人、怪我で戦闘不能になっているものが二十六人、味方の捕虜になっているものが三人いる。城内に入った人数は百三人だから、残りはあと二十七名だ。
味方の被害は、死んだのが八名、大怪我をしたのが十九名、ほとんどは傭兵隊の兵士だが、町民も大怪我をしたのが六名いる。幸い、といっては傭兵たちに悪いが、町民の死者はまだいない」
アンドレは護衛役のオズモンドに言った。というより、独り言のようなものである。
開けたままのドアの向こうに、マチルダが顔を覗かせた。
「マルスはオーエンたち十名とともに、ギーガーの救援に向かいました!」
息をはずませて報告する。それを聞いて、アンドレはにっこり微笑んだ。
「よし、これで戦闘はほぼ終わりだ。各部署にいる町民をすべてギーガーたちの戦闘場所に集めて敵を取り囲むように伝えてくれ。われわれも向かおう」

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少年マルス 24

第二十四章 決戦

 それから三日、町民たちはアンドレの指示のもとに、敵兵を迎え撃つ準備にかかった。
 町の通路のあちこちには落とし穴が掘られ、狭い通り道の上からは石を落とす仕掛けが作られた。町に火をかけられた時のために、あちらこちらには消防用の水桶が準備される。
 味方の守備位置と攻撃要領、退却要領が徹底して訓練され、退却の際にどのように援護するかも教えられた。
高齢の老人や病人、幼児は町の深部の建物に集められ、それ以外は女子供に至るまで各自が扱える武器を手にして戦うのである。
一番のポイントと思われるのは、城の二重壁の外壁と内壁の間で何人の敵を倒せるかである。そのすべてはマルスの弓にかかっていた。
最後の夜には、参事会はそれまでの食糧制限をやめ、人々に心行くまで腹いっぱいに食べさせ、翌日の決戦にそなえた。

そして、決戦の日の夜明けが来た。
すみれ色の空は下に行くに従って透明な水色に変わり、東の空は朝焼けで美しい薔薇色に輝いている。自然の営みは、人間世界の悪や悲惨と関わりがない。
マルスは城壁の上に立って空を眺めた。もしかしたら今日が自分の最後の日になるのかもしれないのだが、不安や恐れはまったくない。不安は自分のことではなく、マチルダやトリスターナがこの戦いを無事に生き延びることができるかどうかだけである。もちろん、オズモンドやジョンのことも心配だ。だが、戦いが始まれば、自分は敵の最後の一兵に至るまで殺すしかない。今のマルスには何の迷いも無かった。
「マルス、朝御飯よ」
後ろから声を掛けられてマルスは振り向いた。
マチルダであった。
「有難う」
マチルダの手渡したパンとワインをマルスは受け取った。パンにはチーズがはさんである。
「いよいよね」
「うん」
「マルス、死なないでね」
「大丈夫だ。そっちこそ、気をつけるんだよ」
マチルダはうなずいた。言いたいことはあるが、言葉にならない。
「さあ、マチルダ、持ち場に戻って。あと半時ほどで戦が始まる」
マルスは弱くなりそうな自分の心を励まして言った。
マチルダは伸び上がってマルスの唇に自分の唇を押し付けた。
マルスはほっそりと柔らかなマチルダの体を力一杯に抱きしめた。
「本当よ。絶対死んじゃ駄目」
マチルダはそう言って、涙を隠すように身を振りほどき、足早に去っていった。
マルスの唇には今のマチルダの唇の感触が残っていた。マチルダの言葉とはうらはらに、もう、これで死んでもいい、とマルスは考えていた。

やがて、下に見える広場に町の傭兵軍が整列した。彼らが城の外に出て、敵と一戦交えて、城内に敵を引き込むのである。
「マルスさん、早いですね」
城壁に上ってきた若者がマルスに声を掛けた。城壁の上にはマルスの他に弓兵が十人と、城壁の上に上って来る敵兵から弓兵を守る防御兵が二十人いる。防御兵は身軽な若者の中から腕達者が選ばれている。アンドレの考えでは、この戦いの勝敗は、マルスたち弓兵が城壁の上からいかに多くの敵兵を倒すかにかかっており、城壁の上に敵が上って弓兵が殺されるのが最も怖いのである。だから、城壁への階段はすべて壊されていた。上に上るには縄梯子を使い、上ったら引き上げる。しかし、下からロープを投げ上げて上ってくる敵兵がいるはずだから、それを撃退する者が必要である。上まで上ってきた敵とは剣で戦わねばならない。城壁の上の弓兵がいなくなったら、城内は敵の思うがままだろう。
マルスに声を掛けた若者はオーエンという十七歳の若者である。町民の中ではもっとも武術の才能があり、機敏なので、アンドレが特にマルスの副官兼護衛としてつけたのである。マルスの仲間の中では、オズモンドはアンドレの護衛、トリスターナは町の奥の隠れ家で老人や幼児の世話をし、いざと言う時には彼らを守る役目である。
マチルダは力は弱いが機敏なので、伝令係となり、城の各部署へアンドレからの緊急の指示を伝える。ジョンは城内に仕掛けられた罠を動かす指図をして回ることになっている。
マルスが見下ろしている広場にアンドレが姿を現した。いよいよ攻撃の開始である。アンドレが最後の訓示を与えているが、その声はここからは聞こえない。アンドレの側にしゃちこばって立っているオズモンドを見てマルスは微笑した。
やがて傭兵軍はギーガーを先頭に動き出した。城の内門が開き、幅五十歩ほどの外門と内門の間に一度整列して突進の準備を整える。
外門の前の跳ね橋が堀の上に下り、外門が開いた。
ギーガーが「突撃!」と叫び、馬に乗った傭兵軍およそ三十人は雷のような物音とともに跳ね橋の上を走り抜けた。
マルスが城壁の上から見ていると、はるか彼方で城を遠巻きにしていた野盗の軍勢も、城門が開いたのに気づいたようである。すぐさま準備を整え、突進してくる町民軍を迎え撃とうとしている。
こうして戦闘は始まった。

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少年マルス 23

第二十三章 アンドレ

マルスの木剣の打ち込みを受け損ねて、ギーガーは左肩をしたたか殴られ、大げさな悲鳴を上げた。
「痛っ!」
マルスは心配そうにその側に駆け寄ったが、幸い、骨を折ったりしてはいないようだ。
「いやはや、三つの町の傭兵隊長を務めたこのギーガー様を打ち負かすとは、マルス殿は剣を取ってもこの国一の勇者になりそうじゃ」
ここのところ、マルスはギーガーの指導で剣を習っていたのである。マルスだけではなく、オズモンドやジョン、いや、マチルダやトリスターナまで、最後の決戦に備えて剣と槍を習っていた。もちろん、他の町民たちも、武器を手にして戦える年頃の者は皆、戦の訓練をしていた。まだ幼児に近いような子供も、石を投げたり、灰を投げて敵の目つぶしをすることを教えられている。
町民の数はおよそ三百だが、その中で戦える人数は、老人、幼児を除くと二百五十人くらいであり、その中で武器が扱えるのはせいぜい二百人くらいである。純粋な戦闘員に勘定できる者となると、百人くらいだろうか。この前マルスの弓で五十人くらい倒されて、敵の数は減ったとはいえ、まだ百五十人ほどはいる。しかも彼らは専門の殺し屋たちである。町民たちが勝つのは至難の業だろう。
 
日が真上に昇った頃、参事会堂の扉が開き、五人の参事が中から現れた。
「決定を告げる。我々はあと三日のうちに、野盗どもと最後の決戦をすることになった!」
 イザークが大声に言った。広場に集まっていた町民たちは大きくどよめいた。
オズモンドは側のマルスと目を見交わし、喜びの顔で強く握手した。今の今まで、マルスが敵に引き渡されることになるのではないかと気がかりだったのである。マチルダとトリスターナはマルスに飛びついて、祝福のキスをした。
 騒ぎがひとしきり収まるのを待って、イザークは続けた。
「戦の総指揮はこのアンドレが行う。ギーガーとマルスには戦闘の采配を取って貰うが、戦略面はアンドレの指示に従うように。アンドレが死んだら、後の指揮はこのわしが行う」
 マルスはイザークの後ろに立っている若者を不思議そうに見た。女のようにほっそりとした二十歳くらいの若者で、色白の顔をうっすらと紅潮させている。
「あの人は?」
マルスは側のギーガーに聞いた。
「アンドレかい? イザークの孫だが、妙な男でな。ほとんど人と会わず、本ばかり読んでいるという話だ。なんでそんな男が戦の総指揮をするのかな」
ギーガーは忌々しそうに言ったが、マルスはそのアンドレという若者に興味を持った。ちょっと、普通の人間ではない雰囲気が漂っているのである。ここには場違いな感じで、迷子の天使が少し人間の仲間入りをしてみたとでもいった雰囲気である。
「あの人可愛いわね」
マチルダとトリスターナは女らしく男の品定めをやって互いに喜んでいる。

マルスとギーガーは参事会堂に呼ばれた。戦の相談だろう。
「始めに、僕の構想を言いますから、まずいところがあったら指摘してください」
アンドレは自己紹介もなく、すぐに本題に入った。
「まず、戦の場所ですが、城外ではなく、この城内に敵を引き入れて戦います」
「ふむ、まあ、どうせ負けたらそれで終わりなんだからな.それでもいいさ。俺としては広いところで思い切り戦いたいがな」
ギーガーが言った。
「いえ、これが最良の方法なんです。まず、こちらは城の地理に慣れてますが、敵は初めてです。それに、城内というものはもともと守備側が有利なように作ってあるのです。もちろんこの町は単なる城砦都市であって、本格的な防御設備はありませんが、それでも今から幾つか罠を仕掛けることもできますし、あちこちに人を潜ませて敵を不意打ちすることができます。皆さんの役割ですが、マルスさんには城の高いところを移動しながら、敵を弓で射て貰います。ギーガーさんには他の兵士たちと中心の通路で敵を迎え撃ちながら敵を罠に導く役目をして貰いたいのです」 
 聞いているマルスは直感的にこの戦略が優れていることが分かった。いや、この方法以外には敵に勝つ方法は無いと言っても良いだろう。
「次に、具体的な作戦ですが、まず城門を開けて外に打って出ます。少し戦ったところで味方は城に逃げ戻ります。すると、敵は中に攻め込んでくるでしょう」
「攻め込まなかったらどうする」と、ギーガーが口をはさむ。 
「次の機会を待ちます。しかし、十中八九敵は追ってきますよ。せっかく城門が開いたチャンスを逃すことはしないでしょう」
アンドレは淡々と言った。自分の言ったことに強い自信を持っているのだが、それを力説しようとするところはまったくない。いわば、それが数学の定理ででもあるかのように考えているのである。
「そううまくいけばいいがな。戦ってのは考えどおりにいくことは滅多にないものさ」
ギーガーが実戦派らしい疑いを呈したが、アンドレは気に掛けず、先を続けた。
 罠の内容、戦闘員の配備、戦闘の手順に至るまで、すべてがアンドレの頭の中で精密機械のように考え抜かれていることにマルスは驚嘆した。
 この男にとっては、戦争というものはチェスのゲームか何かと同じなのではないか。
 ギーガーの言うように、それが机上の空論なのではないかという一抹の不安はあったが、マルスはとにかくこのアンドレという男は天才的な頭脳の持ち主だと思ったものである。
 仲間たちのところに戻ったマルスはアンドレのことを仲間に話した。
「彼の言うとおりにやれば、この戦は大丈夫、勝つよ」

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酔生夢人
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男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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